まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

基山キャンプ

基山で考える・つくる

2016年度秋学期の「キャンプ」は、佐賀県基山町から。これまでと同様、参加者は2〜3名のグループに分かれてインタビューやフィールドワークをおこない、滞在中に編集作業をすすめて、ポスター/ビデオを制作す る予定です。基山で暮らす人びとの考え方、日々の暮らし、まちへの想いをとおして、まちの魅力を綴る試みです。今回は、カレーキャラバンも合流予定です。

f:id:who-me:20160106220248j:plain

わずかな滞在時間ですが、「ちいさなメディア」をつくること・流通させることの可能性、そして楽しさについて考えてみたいと思います。最終日(23日)には、まちなか公民館(基山モール商店街)でポスター展と成果報告会をおこなう計画です。

  • 日時:2016年10月21日(金)〜23日(日) * 21日はオリエンテーション
  • 場所:基山町(佐賀県)
  • 本部:基山フューチャーセンターラボ(〒841-0204 佐賀県三養基郡基山町宮浦182-1)
  • 宿泊:児童養護施設 洗心寮 http://www.sensinryo.com/(〒841-0204 佐賀県三養基郡基山町大字宮浦823番地2)
  • 参加メンバー:加藤文俊研究室(学部生17名+大学院生1名+教員1名), カレーキャラバン

【2016年3月2日|荒穂神社】

基山の人びとのポスター展

今回の滞在中に制作したポスターを展示する予定です。* 23日(日)12:00から、成果報告会をおこないます。

◎日時: 2016年10月23日(日)12:00〜

◎会場:基山フューチャーセンターラボ(〒841-0204 佐賀県三養基郡基山町宮浦182-1)

スケジュール

*スケジュール・内容等は変更されることがあります。

10月21日(金)

  • チェックイン
  • 14:00ごろ〜 集合(オリエンテーション):基山フューチャーセンターラボ
  • 18:00ごろ〜 懇親会:基峰鶴酒造・ギャラリーKey

10月22日(土)

  • 10:00〜 フィールドワーク・インタビュー(グループごとに行動):2〜3名のグループで、インタビューやまち歩きをおこないます。
  • 15:30〜 アイデア出し・デザイン作業(グループごとに行動):フィールドワークで集めてきた素材をもとに、ポスターのデザイン/編集作業をすすめます。(まちなか公民館)
  • 17:00ごろ〜 夕食(カレーキャラバン)(基山フューチャーセンター)
  • 20:00〜 デザイン作業/ブラッシュアップ:フィードバックをふまえて引き続き作業。

10月23日(日)

  • 8:00 ポスターデータ入稿:データ提出(時間厳守)→ 印刷
  • 9:30〜 展示準備 基山フューチャーセンターラボ(〒841-0204 佐賀県三養基郡基山町宮浦182-1)
  • 12:00〜 「基山の人びとのポスター展」発表会・交流会
    (12:30〜 ふり返りビデオ鑑賞・まとめと講評)
  • 13:00ごろ〜 打ち上げ+食事
  • 14:30ごろ 片づけ・解散

 

 【2016年3月3日|基山にて】

exploring the power of place - 004

【本日発行】(冬のまちから)残暑お見舞い申し上げます。🍉

加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” 第4号(8月20日号)をお届けします。今回は、6つのストーリー。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/004


◎第4号(2016年8月) 目次

  • 「ケータイ小説」(檜山永梨香)
  • 「私有」を譲り合うということ(大川将)
  • ちいさき工夫の毎日(家洞李沙)
  • あの犬(和田悠佑)
  • おじいさんおばあさんのサードプレイス(松浦李恵)
  • まちの掲示板のルール(井上涼)

f:id:who-me:20160820080348j:plain

生活のある大学(4)

枕はいらない。*1

みんな、広間に集まっていた。ノートPC、書類の束、お菓子とペットボトル。夜は更けてゆく。2009年の9月、ぼくは、学生たちとともに家島(兵庫県)に出かけた。Studio-Lの「探られる島」プロジェクトに合流するためだ。そして、このときの出会いや体験は、いろいろなかたちでいまの活動につながっている。5年目の「探られる島」プロジェクトでは、参加者が二人ひと組になって、家島の人びとを訪ねて話を聞き、ポスターをつくることになっていた。

f:id:who-me:20200222080008j:plain【2009年9月5日(土)|大広間で作業がつづく(いえしま荘)】

 家島での逗留先は、「いえしま荘」だった。ポスターづくりは、二人ひと組になって取り組むので、おおかた、ひとつのPCを二人でのぞき込むようなスタイルになる。それぞれのペアは、取材先はちがうものの「ポスターづくり」という同じ作業をすすめる。どのようなことば(コピー)を添えるのか、どのようなデザインにするのか。それぞれのペアのセンスと能力しだいだが、完成させる期限は共通だ。だからこそ、「別々」でありながら「同じ」場所に集まっていることが重要なのだ。適度な距離を保ちながら、わいわいと手を動かす。ばらばらのようで、一体感がある。(それなりに)作業に集中しているが、賑やかな空気が流れる。つまり、大きな部屋にみんなが集うことによってつくられる〈場所〉だ。一番わかりやすいのは、このときのように、畳の大広間に座卓と座布団を並べる「宴会」のセッティングだ。いくつものペアが「つかず離れず」の関係を保ちながら作業に没頭できる。ちょっと気になれば、隣のペアのようすをのぞき込んだり、軽くことばを交わしたりする。お互いの進捗を意識しながら、ゆるやかな競争と協調が息づく。その後も、全国のいろいろなまちに出かけてポスターづくりのワークショップをおこなっているが、似たような作業環境があるとき、ぼくたちの満足度は高い。もちろん、行き先の事情によって、できることはかぎられている。日程や人数なども毎回ちがうので、いつでも似たような状況で「キャンプ」を実施できるかどうかはわからないが、「別々」に「同じ」ことに取り組む環境は、なかなか居心地がいいものだ。

f:id:who-me:20200222080020j:plain

【9月6日(日)の朝|作業をしながら?倒れた参加者たち(ピンぼけ)】

 一緒に過ごすことのできる大きな部屋(広間)にくわえて、もうひとつ重要なのは、眠くなったらすぐに布団やベッドにたどり着けるということだろう。大広間で作業を続けて、眠くなったらすぐに横になる。しばらく休んで、また作業に戻ることもできる。あるいは、眠さに耐えられずに「寝落ち」することもある。布団やベッドがすぐそばにあれば、安心して「寝落ち」に備えることができる。言うまでもなく、夜を徹して作業をすれば、質の高い成果が生まれるという保証はない。むしろ、無駄を省いてテキパキと仕事をすすめて、翌日のためのエネルギーを蓄えたほうが、身体にも優しいはずだ。それでも、大広間で更けてゆく夜は、悪くない。ぼくたちの学びは、生活とともにある。日常生活は、いつでも学びに満ちている。大学の「キャンパス」のありようをじぶんたちで構想するということは、つまり、じぶんたちの生活(生活スタイル)をつくってゆくことである。「生活のある大学」は、寝食をともにしながら学び、自由闊達に語らう場所をつくることを目指している。書を読むこと、学ぶことを活動の中心に据えて暮らす。そのスタイルは、とくにあたらしいものではない。たとえば、明治30年に記された『福翁自伝』につぎのような一節がある。少し長くなるが、引用しておこう。

学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政三年の三月、熱病を煩うて幸いに全快に及んだが、病中は括枕で、座蒲団か何かを括って枕にしていたが、追々元の体に回復して来たところで、ただの枕をしてみたいと思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居していたので、兄の家来が一人あるその家来に、ただの枕をしてみたいから持って来いと言ったが、枕がない、どんなに捜してもないと言うので、不図思い付いた。これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時でも構わぬ、殆ど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻りに書を読んでいる。読書に草臥れ眠くなって来れば、机の上に突っ臥して眠るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。これでも大抵趣がわかりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為ようはないというほどに勉強していました。

『新訂 福翁自伝』(「塾生の勉強」岩波新書, 1978, p. 80)


このような「緒方の塾風」は、ひとつのスタイルだ。もちろん、当時は乱暴で不衛生な場面がたくさんあったと思うが、これが「滞在棟」に流れてほしい気風だ。好きなだけ本を読んで、気が済むまで語らい、お腹がすいたら食事をして、眠くなったら横になる。起きたらシャワーを浴びて、昨日の続きに勤しむ。枕がないことに気づかないほどに。

学びと生活が一体化すること。それは、じぶん(たち)の時間を自在に使える贅沢を味わうということだ。それは、あらかじめ(常識的な)「時間割」に集約することのできない、特別な時間だ。前にも書いたが、「滞在棟」を使うためには、お互いの時間を差し出す覚悟が求められる。たとえば「合宿」の場合(ぼくたちの「キャンプ」の試みもそうだが)、一泊二日というように、事前に時間を確保する必要がある。参加表明は、すなわち、じぶんの時間を差し出す決意の証だ。遠くのまちに出かけるときは、「逃げ場」がないので、必然的に学びと生活が一体化する。いつもの環境を離れて集中的に学べるのが、「合宿」のいいところだ。

もう少し考えてみたいのは「不意の宿泊」だ。それは、時間を忘れるほどに勉強に没頭していて、あるいは語らうことに夢中で、(終電/終バスを逃して)家に帰れなくなるような場合の宿泊だ。提出期限に間に合わなくて、やむを得ず「残留」するのとはちがう。あるいは、泊まりで向き合わないと課題が終わらないような切迫した状況でもない。

知的な没入が、ふだんの時間感覚を揺さぶり、160年前の書生のような暮らしへと誘うとき。ときめくような会話をとおして、時計とカレンダーで窮屈になっているじぶんに気づいたとき。そんなときこそ、木立を抜けて「滞在棟」に向かうのだ。

(つづく)

*1:この文章は、2016年7月2日(土)にMediumに掲載したものです。本文はそのまま。→ 枕はいらない。 - the first of a million leaps - Medium

生活のある大学(3)

長い時間*1

ちょうど5年前のいまごろ、みんなで船に乗って島を目指した。「三宅島大学」のはじまりだった。船は、夜に竹芝桟橋を出るので、東京湾の灯りが見えなくなると、あとは真っ暗な空と海が広がるだけだ。明け方まで、みんなで一緒に船にゆられる。「三宅島大学」が閉校になるまでの3年間、ぼくは、学生たちとともに何度も船に乗った。

f:id:who-me:20140306223036j:plain

「三宅島大学」の拠点となった御蔵島会館は、しばらく使われていなかった施設だが、マネージャーが常駐し、プロジェクトにかかわるアーティストや「加藤研」の面々が頻繁に利用するようになった。建物のなかを風が通り抜け、人びとが集うようになると、眠っていた部屋が少しずつ息づいていくようだった。船上にかぎらず、島にいるあいだも、ぼくが学生たちと一緒に過ごす時間は長かった。というより、一緒にいるしかなかった。フィールドワークに出かけていたとしても、大海原に囲まれた外周38キロの島にいるという意味では、つねに一緒にいたようなものだ。善くも悪くも「逃げ道」がなかった。

いまでも記憶に残っているのは、食卓の風景だ。島で過ごすときは、おおかた自炊だったので、買いものも調理も片づけも、みんなで段取りよくすすめる必要があった。ぼくもふくめ、一人ひとりの「家事力」が問われる場面がいくつもあって、数日でも一緒に過ごしているだけで、ふだん「教室」では見ることのない、学生たちの人間性に触れることができた。「三宅島大学」には、この10年ほど「キャンプ論」などをとおして考えてきた「生活のある大学」について、アイデアを整理するためのヒントがたくさんあった。

f:id:who-me:20130813190140j:plain

人と出会い、お互いを知り合ってゆくためには、一緒に食事を準備したりテーブルを囲んだりすることは、とても大切だ。もちろん、美味しい料理やアルコールはコミュニケーションを滑らかにするが、ただ一緒に厨房に立ち、一緒に食べればよいという話ではない。その本質は、「長い時間」を共に過ごすということだ。そして、(おそらく)一緒にいる時間が長ければ長いほど、お互いのことがわかるようになる。忘れてはならないのは、「長い時間」は、お互いに「時間を出し合う」ことによって生み出されるという点だ。ひとたび、じぶんの時間を差し出すと決めたら、あとは(たとえイヤでも)戻ることができない。それなりの覚悟が必要だ。

“In the same boat”という言い回しがあるように、いちど同じ船に乗ったら、目的地の港に到着するまでは「運命」を共にする(せざるをえない)。三宅島への道行きは、文字どおり、島までの時間を一緒に船上で過ごそうという、みんなの意思表明が束ねられることで成り立っていた。

今学期はサバティカル(特別研究期間)をいただいているので、ふだんとはちがったリズムで過ごしている。変則的になるという点では、学生たちに不都合なことがあるかもしれないが、そのおかげで、ぼく自身の気づきは多い。とりわけ、時間の使い方について、いろいろと考えさせられる。たとえば、「時間割」という仕組みによって、ぼくたちの時間が細かく分節化されていることに、あらためて注意が向く。大学という文脈では、ぼくたちの毎日は、90分「ひとコマ」という単位に分けられ、(ときには複雑なかたちで)組み合わせられることで、学期中のリズムがつくられている。会議や打ち合わせの時間も、パズルの“ピース”のように細片となってカレンダーの空いているところに組み込まれる。

そして、なぜだかわからないが、ぼくたちは、すき間なく“ピース”を並べようとする。じぶんのスケジュールを眺めて、すき間、つまり「空き時間」があることに不安を覚える人もいるという。忙しいことは悪いことではないが、すき間がないために、不都合が生じる。ぼくたちのコミュニケーションは、時計仕掛けのように制御されているわけではないので、予定よりも早く会議が終わることもあれば、話が盛り上がって、もともと想定していた時間ではとうてい足りないと感じることもある。コミュニケーションの移ろいやすさ(まさにそれがコミュニケーションの面白さなのだが)は、すき間を埋めたいという欲求によって無理を強いられる。だから、「(前の約束が長引いたので)途中から参加します」「(次の予定があるので)先に帰ります」などというメッセージが飛び交い、さらに不自然なかたちで時間が分断されることになるのだ。相手が「長い時間」を想定していた場合には、途中参加も中座も残念な話になる。学生たちのグループワークは、「長い時間」を確保できない(確保しようとしない)ことによって破綻する場合が多い。すれ違いが多ければ、当然のことだ。

(自戒も込めて)ぼく自身のことを言えば、不安こそ感じないものの、さまざまな理由で、すき間のない状態が続きがちだ。相手のこと、コミュニケーションのことを考えて、もっと丁寧にすき間のつくり方に向き合わなければならない。それは、結局のところは、じぶんのためなのだ。

【2014年3月9日|「三宅島大学」閉校式(御蔵島会館)】

 

一週間ほど前、「三宅島大学」プロジェクトの「同窓会」が開かれた。歴代の常駐マネージャーたちをふくめ、15名ほどが集まって、とても賑やかな時間になった。はじめて島に渡ったころのビデオを観ながら、あれこれと話した。いちどお開きになって、「じゃあもう一杯」という流れになったが、飲み足りないのか、もっと話したいのか、ほとんど人数が減ることなく、2次会も10数名でテーブルを囲んだ。数時間後、ぼくは名残惜しい気持ちでタクシーに乗った。「三宅島大学」が閉校してから、もう2年以上になる。いまは、一人ひとり、それぞれの居場所であたらしいプロジェクトに携わっている。「同窓会」の呼びかけがあったとき、予定をやりくりして、どうしても参加したいと思ったのは、ぼくたちが、かつて一緒に「長い時間」を過ごしたからだ。そして、みんなに会えて本当に嬉しかった。

「生活のある大学」は、お互いに「時間を出し合うこと」によってかたどられるはずだ。キッチンやシャワー、ベッドを備えた“多機能”の「教室(共用スペース)」として「滞在棟」を理解しているかぎり、カレンダーのすき間を埋める程度の、ありきたりの「イベント」が企画されるだけだろう。ぼくたちに「時間を出し合う」覚悟をせまるような、刺激的なコミュニケーションが必要だ。コミュニケーションこそが、「長い時間」が流れる場所をつくるからだ。

(つづく)

*1:この文章は、2016年6月14日(火)にMediumに掲載したものです。本文はそのまま。→ 長い時間 - the first of a million leaps - Medium

生活のある大学(2)

ガラスの向こうに*1

あたらしい多目的スペース(以下「パビリオン」)や「滞在棟」ができて、キャンパスが変化しつつある。その変化を目の当たりにしているなかで、「みんなでキャンパスをつくろう」という呼びかけは、とても魅惑的だ。夢はふくらむ。だからこそ、「ちゃんとした夢」を見なければならない。そう思うのだ。

【2016年1月14日(木)|パビリオン】

 

「生活のある大学」を夢見るとき、まずは「共用」ということについて考えておきたい。近年、シェアハウス、シェアスペースといった場所の利用が、ひと頃にくらべて親しみのあるものになってきたが、ぼくたちにとって身近な存在である「教室」も、多くの人と「共用」する場所だ。ふだん、ぼくたちは、あまりいろいろなことを考えずに「教室」を使っている。好き嫌いはあるし、細かい仕様や設備などについて、言いたいことはあるだろう。だが「教室」は、講義や演習のために(それなりの経験やアイデアにもとづいて)設計された空間だ。そして、学生も教員も、「教室」は一時的に過ごす部屋として理解しているので、そのまま受け容れながら使うことが多いはずだ。たまに、設備のあり方について意見を口にする程度だろうか。基本的には、あたえられる環境として、さほど疑うことなく受け容れている。

「パビリオン」や「滞在棟」になると、少し事情が変わってくる。ぼくたちは、もっと主体的に場づくりにかかわろうという姿勢になって、物理的な空間に直接はたらきかけたり、時間のやりくりをしたりする。たとえば、テーブルやイスを並べ替えて、自分たちの活動に合ったレイアウトにする。あるいは、ふだんの「教室」での過ごし方とはちがった時間の流れを実現しようとする。それは、自由であり創意くふうを試される場面でもある。とくに興味ぶかいのは、いつも「教室」でお互いに見せ合っているじぶん(たち)の姿が、とても一面的・限定的であることに気づくという点だ。一緒に空間を整備したり、あるいは泊まったりすると、善くも悪くもぼくたちの人間性がにじみ出るからだ。

「生活のある大学」では、学生も教員も、ふだん以上にじぶんの人格や身体性(つまり、「教員」や「学生」という役割をこえた「生活者」というじぶん)を露呈し合う。あたらしい関係性を発見するためには、じぶんの生活観を、積極的に披露してゆくことが求められるのかもしれない。

f:id:who-me:20160526134815j:plain
f:id:who-me:20160602165830j:plain
【2016年5月26日(木)・2016年6月2日(木)|モバイル・メソッド(@パビリオン)】

 

あたらしくできた「パビリオン」も「滞在棟」も、できるだけ使ってみることにしている。直接体験は、学びの源泉だからだ。「滞在棟」では一度合宿をしただけだが、「パビリオン」のほうは、「モバイル・メソッド」でたびたび利用している。「モバイル・メソッド」は、ぼくたちの「移動性(モビリティ)」をテーマに、調査研究をすすめるプロジェクトだ。場づくりもコミュニケーションも、ぼくたちが、つねに“移動しているということ(on the move)”を前提にしながら、あらためてとらえなおしてみると、さまざまな発見がある。たとえば、設営や撤収をくり返すための方法や態度について考えたり(We separate to meet again, 2015)、(時にはゲリラ的に)環境にはたらきかけてみたり(Tactical design: Intervention into the cityscape, 2015)、実験にも積極的に取り組んでいる。

今学期、毎回のミーティングは、(参加している3研究室の持ち回りで)「当番」を決めて、場づくりをおこなうことにした。屋外の場合も、「教室」をつかう場合でも、メンバーが90分間をどのように過ごすかを考えながら準備をする。参加者は10名ほどだが、みんな、決められた日の90分間を一緒に過ごす。その前後の時間は、一人ひとりがそれぞれの予定で(ばらばらに)動いている。一日、一週間、一か月と時間の範囲を広げて考えると、90分のミーティングの場は、大いなる時間のなかのちょっとした逗留先に過ぎない。ミーティングは、そもそも仮設的なのだ。だからこそ、その90分をどのように設計するのか、きちんと考えなければならない。お互いに時間を供出し、調整した結果として生まれる場は尊ぶべきものだ。それはまさに「モバイル・メソッド」という方法と態度が発揮される領分だ。

f:id:who-me:20160602203907j:plain
f:id:who-me:20160602203930j:plain
【2016年4月28日(木)・5月12日(木)|場所の記録(ログシート)】

 

ミーティングの概要は、毎回「ログシート」に記入している。このシートは、写真やスケッチ、経過の説明にくわえて、「空間」「ツール/装置」「活動」という3つの項目で要約するようになっている。それぞれ、どのようにして調達したかという点も書きとどめておきたい。この記録をとおして、道具をふくめた物理的な空間のことだけではなく、さまざまな〈モノ・コト〉の集まりとして、ミーティングという場をとらえておきたいと考えている。まだ数回分しかないが、このシートは、どのような場づくりがおこなわれたのか、そのなかで、どのようなコミュニケーションが発生したのか、後から復原する手がかりになる。

“移動しているということ”に光を当てて、場づくりやコミュニケーションについて考えると、みんなに「共用」される場所は、できるかぎり「無色透明」であるのが望ましいことに気づく。一般的に「多目的スペース」と呼ばれている場所は、文字どおり、使う人のさまざまな目的や用途に応じて、改変できる仕様であることを指している。じぶんたちが使うときには、好きなようにアレンジしたい。それは、(顔を合わせることさえないかもしれない)他の利用者が、同じような欲求を持っていることを尊ぶことによって実現する。ぼくたちは、あくまでも一時的に利用するのであって、時間が来たら、「無色透明」な状態で次の利用者に引き継がなければならないのだ。“移動しているということ”は、設営と撤収をくり返すということだ。

「共用」を支えるのは「原状復帰」の精神である。個人的には、細かいルールをつくるのは好きではないので、多少の時間がかかっても、「原状復帰」の精神を育まなければならないと思っている。「終わったらきれいに片づける」というルールや「規約」をつくって利用者に従わせるのではなく、じぶんたちの自律性を確保するための態度として、「共用」に必要な一連の所作を身につけたい。つまり、次に使う人への気持ちを表明するということだ。「パビリオン」も「滞在棟」も、多くの人に使われることによって、息づいてゆく。まさに「生活のある大学」は、生活をとおして理解される性質のものだ。だからこそ、ゆっくりと時間をかけて向き合わなければならない。まだまだ、これからだ。

ぼく自身は、最近「パビリオン」のガラスに描かれたイラストをちょっと複雑な想いで眺めている。たしかに、カラフルなイラストで空間は華やぐ。きっと、評判も悪くないのだろう。だがそれは、「共用」ならぬ「私用」へと向かう兆しではないのか。「無色透明」は、退屈でも無機質でもない。文字どおり、ガラスの向こうに何があるのかを見とおすことのできる贅沢なのだ。それは「共用」であることの象徴だ。

ひとしきり愉しんだら、「原状復帰」で引き継ぐ。「無色透明」であればこそ、愉しかったであろう場所のようすを想像し、その場に居合わせることのできた人を羨む。それが、コミュニケーションへの欲求になる。

(つづく)

*1:この文章は、2016年6月6日(月)にMediumに掲載したものです。本文はそのまま。→ ガラスの向こうに - the first of a million leaps - Medium