まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

「いろんなみかた」へ行こう(3)

 

アンオフィシャル・ガイド(3)グループワーク編

1月12日から、「広報担当」の学生たちを中心に、Facebookのページ(https://www.facebook.com/fw1014/)で展示内容の紹介がはじまりました。ぼくのコメントを添えながら共有しているので、コメントの部分だけ、「アンオフィシャル・ガイド」として束ねることにしました。その(3)は、グループワーク編です。

うごけよつねに(Stay Mobile and Carry On)

毎学期、学部の1〜3年生は、フィールドワークに必要な感性を開拓したり、記録や表現のあり方について学んだりするための課題に取り組みます。2017年度秋学期は、「うごけよつねに(Stay Mobile and Carry On)」というテーマにしました(愛称は“SMACO”です)。 http://vanotica.net/smaco/



学生たちは、5つのグループに分かれて、〈いつ・どこで・誰と・どのように過ごしたいのか〉という具体的な状況を考えながら、場づくりを容易にしたり、コミュニケーションを促したりする「モバイル・キット」のデザインに取り組みました。「フィールドワーク展」では、それぞれが考案した「車両」をまちに持ち出した、実践(フィールド・テスト)の成果を展示しています。モノ自体は粗削りですが、なにより、教室や研究室に留めておくのではなく、リアルな現場へと「車両」をころがして、実践をとおして考えるよう心がけました。

 

YUZÜROCAR

6年ほど前から、ZÜCAというキャリーバッグを愛用しています(より正しくは、ZÜCA Proというやつです)。堅牢な金属のフレームなので、座るだけでなく、ちょっとした踏み台にもなります。「カレーキャラバン」でつかおうと思って購入した2台目のZÜCAを、ベース「車両」のひとつとして提供しました。フレームには穴があって、いろいろと造作を加えやすいはずです。さらに、ころがすときに車輪が光るので、ぼくは、デコトラのような「改造車」が出来上がることを勝手に妄想していました。「ZÜCAでいこか」の3人は、ぼくの密かな期待をあっけらかんと裏切って、なんと100均で買ったという黄色いクッションを載せただけで「課題」を乗り越えようとしました。〈つくる〉という「課題」に対して、〈つくらない〉という「こたえ」を出したのです。(このことも、じつは示唆に富んでいて、いろいろと考える機会になりました。)
彼女たちの問題意識は明快で、(ぼくがシラバスにも書いているような)日常的なコミュニケーションにかかわる問題を扱っています。くり返される毎日のなかで、〈他者への想像力〉が足りないと思える場面が、たくさんあります。なんらかのモノ(人工物)を介してぼくたちの日常に介入し、コミュニケーションを促そうと試みる。これには「うごけよつねに」の精神が求められるはずです。

 

MaTTello

数年前に、クラウドファンディングで見かけたのが「OLAF」です。キャリーカートとキックボードを組み合わせたようなもので、いかにも小回りがききそうな感じがしました。面白かったので、少しだけ資金のサポートをして、そのあと購入したものです。いずれは、「おかもち」と組み合わせて、何かつくろうと思っていたのですが、今回のベース「車両」のひとつとして提供しました。
「いまぬま」の4人の活動は、わりと早い段階から「日常のなかにちいさな幸せを」という方向性が決まっていたものの、試行錯誤の連続でした。たとえば通勤や通学につかう道が、ゴミひとつなく綺麗に掃除されていたら。ちょっと疲れたときに、温かいコーヒーを口にしたら。ぼくたちの日常には、「ちいさな幸せ」がたくさんあります。〈つくる〉と〈考える〉を行き来しながら、さらに試行錯誤がつづきました。「OLAF」の強みは、おそらくはその敏捷性でしょう。「疾風のように現れて、疾風のように去ってゆく」、あの感じです。目立たぬように、人知れず「ちいさな幸せ」を届けるというのは、なんだかシブい。
最終的には、「信号待ち」という数十秒の時間をちょっとほっこりさせる「MaTTello」が出来上がりました。ビデオで見ただけですが、鉄琴の音色が、道ゆく人を笑顔に変えます。夢中になった子どもたちは、信号待ちをしていたはずなのに、なかなか横断歩道を渡れなくなってしまうかもしれません。でも、それはそれでいいのだと思います。険しい面持ちで足早に急ぐオジサンたちが、ちょっとだけでも鉄琴をたたいてくれれば、とたんに、まちはちがって見えてくるはずです。「ちいさな幸せ」は、連鎖的に広がります。

 

OKURUMI cart

赤いワゴンは、今回のプロジェクトのために新調しました。思っていたよりも大きくて重いのですが、それでも、(難なく改札を通れるので)一緒に電車に乗って出かけることができます。
「OKURUMIES」の3人は、「モノを包む」ことをとおして人と出会い、一人ひとりのモノへの想いに触れようという試みを思いつきました。つまり、会話を促すための「おくるみ」です。ワゴンには、リボンやラッピングペーパーが積んであって、モノを渡せばその場で包んでくれます。10日ほど前に、実際に「OKURUMI cart」の「フィールド・テスト」の現場に居合わせることができました。いきなり「何かモノを包みませんか」と言われるのは、どんな感じなんだろう。やろうとしていることを、うまく伝えることができるのだろうか。なんだか唐突な感じもするし。ほどなく、そんなぼくの心配は、まったく必要なかったことがわかりました。まずは、みんな興味津々で近づきます。そして、カバンの中をごそごそしたり、腕時計をはずしてみたり。みんな、ものすごく包まれたいのです。興味ぶかいのは、差し出されたモノ自体にはいっさい手を加えずに、その外側(つまり「おくるみ」)から、モノの価値を大きく変えてしまうという点です。もちろん、ラッピングというのはそういうものだと理解していたつもりでしたが、あらためてその意味を考えるきっかけになりました。会場で赤いワゴンを見つけたら、声をかけて、包んでもらいましょう。

 

お爺車

このグループのベース「車両」は、まちでよく見かける(標準的な)キャリーカートです。「おたまじゃくし」の3人は、学期のはじめから、なぜだか〈おじいちゃん〉に関心があると言いつづけてきました。当然、〈おばあちゃん〉のことも考えなければ、と思うのですが、あまりにも偏愛的な態度で「おじいちゃんが好き」だと口走っているので、ひとまず『90歳ヒアリングのすすめ』という本を紹介し、〈おじいちゃん〉への接近を見守ることにしました。
少し堅苦しいとらえかたをすると、このグループが考案した「お爺車(おじいしゃん)」は、社会調査、とりわけインタビューのための「モバイル・キット」だということになります。会話を促しながら、記憶を喚起したり、あたらしい話題を生み出したりする、さまざまな「刺激」を持ちはこぼうというアイデアです。それは、話のネタであり、同時にコミュニケーションの記録にもなるということでしょう。見た目は障子ふうで、一つひとつの扉を開けると、〈おじいちゃん〉にかかわるモノが鎮座しているはず。(ぼくは、まだ見ていません。)
どこまで現場での実践がすすんだのかわかりませんが、誰かのモノを載せてこの「お爺車」がまちを移動し、別の誰かと出会ってゆく過程こそが面白いのだと思います。(どこかで出会った)一つの「ものがたり」が、モノとともに語り継がれるからです。つまり、〈おじいちゃん〉どうしをつなぐメディアになるのです。〈おばあちゃん〉は、このような大げさなモノがなくても、ノンストップの勢いでたくさんしゃべってくれるのかもしれません…。

 

TURE TEKE BIKE

「チャリンコベイビーズ」のプロジェクトは、自転車をつかいながら、じぶんの行動範囲(テリトリー)を広げてゆこうという発想からはじまりました。当然のことながら、自転車があれば、スピードも活動範囲も大きく変わります。ちょっと大げさに言えば、自転車は、ぼくたちの世界(世界観)を変えるツールだということです。たとえば、引っ越したばかりの慣れないまちでも、スピードを獲得すれば、さほど不安を感じることなく移動する(通り過ぎる)ことができるはずです(もちろん、ゆっくり歩けばこそ見えるものはたくさんあります)。
そして、このプロジェクトは、少しずつちがう方向へと展開します。まずは、まちに暮らす人びとの「優しさ」ともいうべき気質を知るための実験をおこないました。やや乱暴な試みでしたが、界隈には、見知らぬ誰かのために、ちょっとした手間を引き受けようとする素地があることを実感します。これは、素朴に喜ばしいことでしょう。そして、じぶんの移動のための「自転車」から、誰かとのかかわりをつくるための「TURE TEKE BIKE」へ。ツールから、人と人の〈あいだ〉にあるメディアへ。私設の郵便サービスのような活動ですが、結局のところ、まちに親しみをもってかかわってゆく過程には、誰かに何かを託されたり(託したり)、誰かのことを想いながらまちを眺めたりすることが大切なのです。

 

「いろんなみかた」へ行こう(2)

アンオフィシャル・ガイド(2)キッチン編

1月12日から、「広報担当」の学生たちを中心に、Facebookのページ(https://www.facebook.com/fw1014/)で展示内容の紹介がはじまりました。ぼくのコメントを添えながら共有しているので、コメントの部分だけ、「アンオフィシャル・ガイド」として束ねることにしました。その(2)は、キッチン編です。

 

おなかのみかた|有馬一起・田島里桃・小梶直

[2月3日] 展覧会の会場となるBUKATSUDOには、きれいなキッチンがあります。「フィールドワーク展XIV:いろんなみかた」初日(2月3日)に、「キッチンワークショップ」が開かれることになりました。キッチンは、コミュニケーションが生まれる場所です。

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フィールドワーク展まであと15日! 【おなかのみかた(キッチンワークショップ)】... - フィールドワーク展XIV いろんなみかた | Facebook

 

カレーキャラバン|江口亜維子・加藤文俊

[2月4日] そして、カレーキャラバン(http://curry-caravan.net/)は、「フィールドワーク展」の2日目(2月4日)、BUKATSUDOへ。

(「フィールドワーク展XII:こたつとみかん」に出展したカレーキャラバンのようす|2016年2月7日)

【カレーキャラバン|2度目のBUKATSUDO】... - フィールドワーク展XIV いろんなみかた | Facebook

「いろんなみかた」へ行こう(1)

アンオフィシャル・ガイド(1)個人展示編

ぼくたちは、毎年2月上旬に「フィールドワーク展」を開催しています。学部4年生・大学院生のプロジェクト報告や、学部1〜3年生のグループワーク、全国のまちを巡る「キャンプ」など、加藤研究室の1年間の活動成果を報告する場です。2004年度に第1回を開催して以来、今年度で14回目となります(これまでに開催した「フィールドワーク展」→ http://fklab.today/exhibition)。今回は「いろんなみかた」というタイトルで、展示の準備がすすめられています。
そもそも、フィールドワークは身体全体で受けとめる体験なので、その成果はパネルにしたり展示台に載せたりできる性質のものではありません。しかしながら、あえて何らかの形をあたえることで、会話のきっかけをつくることができます。語られることによって、フィールドワークの体験が(不完全ながらも)再現されます。会場にいる研究室メンバーとのコミュニケーションをとおして、ぼくたちの活動に触れていただければと思います。なにより、まちなかで展覧会を開くのは、フィールドで考えたこと・気づいたことは、フィールドに「還す」べきだと考えているからです。

1月12日から、「広報担当」の学生たちを中心に、Facebookのページ(https://www.facebook.com/fw1014/)で展示内容の紹介がはじまりました。ぼくのコメントを添えながら共有してきたので、コメントの部分だけ、ここで束ねておきます。つまり、「アンオフィシャル・ガイド」です。まずは個人展示編から。

 

移動する「家族」(“Families” on the move)|大橋香奈

ビデオカメラをもって、人びとの暮らしに近づこうするとき、とくに調査対象者との信頼関係に細心の注意を払うことが大切です。適切な距離を保ちながら、過度に感情を移入しないように努めなければならない。それを意識していても、フィールドワーカーは、ひとりの人間です。現場に足をはこび、調査対象者との関係が深まるにつれて、そう簡単に「折り合い」がつかないこともあります。現場とかかわりを持たない〈観察者〉ではなく、むしろ、能動的に現場に介入してゆく〈関与者〉としての自分に気づきます。

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『移動する「家族」』は、人と向き合い、ともに編纂することで紡がれる〈ものがたり〉です。少しずつ撮影がすすみ、今年が3回目の上映です。一昨年、昨年はちいさなディスプレイでしたが、いよいよ大きなスクリーンで最新版を鑑賞することができます。この作品には、さまざまな「家族」の移動ばかりでなく、じつは作者自身の移動の軌跡も描かれているのだと思います。

 

Montage|松浦李恵

ケータイやスマホとともに、「インスタ」は、私たちの日常のリズムに浸透しています。いつでもスマホを片手に歩き、「インスタ映え」などと口にしながら、まちのようすや運ばれてきたランチの写真を撮って公開する。口コミ効果に期待して、わざわざ「撮影用」と称して準備をしている店さえあります。このちょっと不思議なふるまいは、いまや全世界的に広がっているようです。

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「インスタ」にかぎらず、多くのSNSはタイムラインという、ひと筋の流れをつくります。それは、刻々と流れゆく性質のものです。『Montage』は、まずはこの流れを復元するところからはじまります。私たちは、正方形に切り取られた〈モノ・コト〉から、そのときのようすを思い出すことができます。それは、「インスタ」にならなかった、フレームの外側にあった〈モノ・コト〉の記録です。一連の流れとして眺めると、写真と写真の〈あいだ〉にまで意識が向かうはずです。なにより、「インスタ」は私たちのイメージを表現し、交換する装置です。〈モノ・コト〉の真偽は、さほど重要ではないのかもしれません。 
 
新宿ゴールデン街に「住む」|大川将

フィールドワークは、孤独な作業です。とりわけ「参与観察」は、試行錯誤をしながら現場にとけ込んでゆく、時間を必要とする手続きです。『新宿ゴールデン街に「住む」』というタイトルどおり、しょうは、ゴールデン街に通い続けました。1年間でも、「こちら側」と「向こう側」を行き来していると、調査者自身も変化します。実際に、しょうは、少しずつ「向こう側」のことを自信をもって活き活きと語るようになりました。それは、フィールドワーカーであることの自覚の表れだったのでしょう。

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調査の成果は「小説」として綴られました。すでに全文を読む機会があったのですが、「フィールドワーク展」では体裁が整えられた「本」を読むことができるはずです。研究会(ゼミ)での最後のプレゼンテーションが、あまりにも印象的だったので、その晩、ぼくはこんなふうにツイートしていました。

 

Variety of Interactions|Chrysoula Panagiotidou

ぼくがアメリカの大学院に留学して、初めて(英語で)書いたレポートの評価は「C-」でした。期限までに、レポートを書き終えるだけでせいいっぱいだったのを覚えています。教室にいるときは、聴くのに一生懸命で、意見を求められても「文章」ではなく「単語」で応えるような感じ。それなりに大変だったのですが、ふり返ってみると、あの頃の日々が、じぶんの考え方やふるまいに少なからず影響をあたえているように思います。あれからずいぶんと時間が流れて、いまは、じぶんが留学生を受け入れる立場になりました。

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クリサは、少しずつ日本語を使うようになって、いままで以上に好奇心をかき立てられているように見えます。ことばが変わると、見える〈世界〉も変わるからです。もちろん翻訳できないことはたくさんあって、とくに意味づけや表現にかかわるやりとりは、もどかしいはずです。でも、その不自由さがあればこそ、「伝え合う」ことの大切さを実感します。ことばがわからなくても、つまり、ことばがなくても、「だいじょうぶ」だと思える場面がたくさんあることに気づきます。まずは、語らう時間をつくることからはじまるのでしょう。

 

STAND BY YOU|阿曽沼陽登

フィールドワークやインタビューで大切なのは、じぶんの「立ち位置」にかかわる感性を開拓することです。信頼関係を築いて現場にとけ込むことを目指しながらも、現場とのあいだに適切な距離を保つ。つまり、ある種の「移ろい」のなかに、じぶんを位置づけなければならないのです。

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その意味で、「STAND BY YOU」は、とても難しいプロジェクトでした。というのも、「普通じゃない」選択をした人びとにインタビューをしている、きよと自身が「普通じゃない」選択をしてきたからです。調査のデザイン自体が、調査者とインタビュー相手との距離の調節が難しい状況を生み出しています。お互いに共通点があるからこそ理解できることはたくさんあるはずですが、上手にじぶんを「異化」しないと、何もあたらしいことは見えてきません。そのチャレンジに、どのように向き合ったのか。成果物の仕上がりに、期待しましょう。

 

images — 鈴木家の食卓から|橋本彩香
私たちは、フィールドワークに出かけて、さまざまな〈モノ・コト〉を観察します。どのような手続きでフィールドワークをすすめるか、その方針や記録の方法はさまざまです。なかでも、ひとつの基本的な方法は〈数える〉ことです。それは、個性を知るための重要な手がかりになります。量を把握してこそ、質がわかってくることは少なくないのです。

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さやかは、このプロジェクトで鈴木家の冷蔵庫の中身をひたすら数えました。当然のことながら、取り出して並べてみると、夥しい数の食べものがしまわれていることがわかります。それは、一つひとつの食べものが、毎日の生活のなかで別々に持ち込まれ、冷蔵庫に収められた結果です。そして、日常があるかぎり、つねにさまざまな食べものが出たり入ったりしている。このあたりまえのことは、あたりまえすぎるために、ふだんは見ることができません。「食材採集」は、〈数える〉ことから、イメージの問題に向き合おうとする試みです。
 
子どもはつらいよ|和田悠佑
ぼくたちは、まちに育てられて大きくなりました。たとえば近所のおじさんに、励まされたり、叱られたりする。めんどうくさいと思えるときも、少なからずありました。それでも、かつての子どもたちの日常には、さほどよく知らない大人たちとのかかわりが、確実にありました。まちの大人たちは、ときどきちょっかいを出しながら、ぼくたちを見守っていてくれたのでしょう。最近では、そういう関係が希薄になったと言われます。こどもが外に出ないからなのか、大人が無頓着になってしまったのか。

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「子どもはつらいよ」は、和田が、わざわざじぶんの住まいを移すことからはじまった「参与観察」で構成されています。すぐそばに住んでいるゆうさくに密着し、一緒に遊んでみる。子どもたちのテリトリーを知り、子どもたちの創意とくふうにあふれる日常を見つめる。一連のフィールドワークをとおして、子どもの〈まなざし〉を獲得しようと試みています。でも、子どもたちの〈世界〉は、じゅうぶんに複雑です。和田はフィールドワークをしているつもりでも、その想いとは裏腹に、ずっとゆうさくに遊ばれていたのかもしれません。

exploring the power of place - 019

【本日発行】😉あっという間に1月も後半。「フィールドワーク展XIV:いろんなみかた」の準備で、いよいよ慌ただしくなってきました。今年も、加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” をよろしくお願いいたします。


今年度は、毎号テーマ(お題)を決めて、それぞれが文章を綴るやり方ですすめています。第19号(2018年1月20日号)のお題は「妥協」です。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/019

◎ 第19号(2018年1月20日号):妥協 🙉
  • 過去と今(佐々木瞳)
  • 「東京」という選択(最上紗也子)
  • まち時間(和田悠佑)
  • 日本語しか話せない。(津田ひかる)
  • 新たな味との出合い(小梶直)
  • 松田聖子と安室奈美恵にみる、女性の「妥協しない生き方」考。(高野公三子)
  • 生活(中原慎弥)
  • 知れば知るほど(塙佳憲)
  • しあわせ(田島里桃)
  • 赤煉瓦の壁(有馬一起)
  • ゴールが見えても(保浦眞莉子)
  • 居心地のいい距離感(松浦李恵)

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広島キャンプ(ドキュメント)

ビデオでふり返る

2017年12月15日(金)から17日(日)の成果報告会までを記録した、ダイジェストビデオです。このビデオは、現地にいるあいだに撮影と編集を済ませ、「キャンプ」のプログラムのなかで上映・鑑賞する「リアルタイム・ドキュメンテーション」の試みです。

◉撮影・編集:中原慎弥・塙佳憲

いい感じ。「たおやかな人びと」のポスター展、 #hirop #vanotica17f

f:id:who-me:20171217142050j:plain2017年12月17日(日)ビデオ上映のようす|広島大学東広島キャンパス(東広島市)