まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

マイペンライでゆこう(1)

Day 1:2018年3月8日(木)

東京は、ふたたび真冬のような寒さになった。おまけに、雨もぱらついている。きょうからタイへ。ヘルシンキ香港につづく3度目の海外「キャンプ」だ。今回は、ぼくをふくめて8名。こぢんまりとしたグループで、バンコクに数日間滞在する。(驚かれることも多いのだが)加藤研の「キャンプ」は、いつも現地集合・現地解散が原則だ。海外で実施するさいも、その方針で実施してきた。だから、まずは無事にみんなが揃うところから。
海外での実習は、いつも地元にくわしい人を頼りにしながら計画する。ぼくが住んだことのあるまちなら、いろいろと案内もできるのだが、今回は、タイからの留学生であるヌイに、あれこれと面倒をかけながらの滞在になりそうだ。そもそも英語が通じるとはかぎらないし、看板などに書かれている文字は解読する手がかりさえないのだ。なにより、いわゆる「ガイドブック」的な場所から、もう一歩(半歩)人びとの暮らしに近づいてみたいというのが「キャンプ」を実施する原動力だ。

飛行機は、ほぼ定刻どおりにスワナンプーム空港に着陸した。家を出るときはダウンジャケットを着ていたが、飛行機を降りるときにはTシャツになった。別の便で到着していた学生たちと空港で落ち合い、(ひと足先に帰省していた)ヌイの案内でシティーライン、BTSを乗り継いでホテルに向かった。
同僚のオオニシさんと、そしてぼくがアメリカに留学していた頃に知り合ったノボさんも、同じタイミングでバンコクにいるとのことだったので、声をかけておいた。ホテルに着くと、すでにオオニシさん、ノボさんがロビーにいた。オオニシさんとはつい一週間ほど前に渋谷で食事をしたばかりだったので、こうしてバンコクで会うのはなんだか不思議な感じ。そして、ノボさんにいたっては、もう20年近く会っていなかった。偶然と幸運のおかげで、いくつもの再会があった。それは、とても嬉しいことだ。
ちがうルートで向かっていた学生も合流し、無事に全員がそろった。午後7時半。これで「タイキャンプ」が「正式」にはじまった。

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そして、みんなで一緒に夜のまちへ。賑やかなエリアなので、活気がある。やはり蒸し暑くて、しばらく歩いているうちに汗だくになった。寄り道しながらレストランまで歩き、10名でテーブルを囲んだ。初日は、タイスキ。クーラーの効いた店内で、熱さと辛さ(マイルド)を味わった。食事を終えて外に出ると、少し気温が下がったようだった。
最後の「仕上げ」に、ホテルのそばでもう一杯。ノボさんが、ふと「もっと若いうちにタイに来ておけばよかった」と口にした。たしかに、あの頃は、アメリカばかりを見ていた。時代と世代がそうさせたのだろうか。ぼくとノボさんが、アメリカで出会ったことがまさにその表れだ。

アジアならではの価値観や態度を、ぼくたちはどれだけ意識しているのだろうか。そう、もう少し早くアジア(そしてオセアニア)の国ぐにに足をはこんでいればよかったとも思う。英語だけではなく、アジアの国のことばもつかえたら、世界はずいぶんちがって見えるはずだ。
聞けば、近年、まちを「キレイ」にするべく、急速に変化がもたらされているという。たとえば、路上を彩る屋台は、さまざまな規制や取り決めで数が減ったり、場所を移動したりしているらしい。衛生上の理由なのか、それともクルマの往来を阻害するからなのか。いろいろな事情はあると思うが、おそらくは、アジアの近隣の国ぐにを見ながら、これからのまちの計画がかたどられているのだろう。

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そういえば、ぼくたちが空港から乗ったシティラインは、京成ライナーのラッピング車両だった。車内には、浅草や秋葉原、渋谷のスクランブル交差点のようす、アニメのキャラクターなどのイメージが並ぶ。まるごと、日本へと誘う内容だ。文字は相変わらずわからないが、写真やイラストを見れば、言いたいことは、だいたいわかる。
きっと、この国の人びとは、ぼくたちが思っている以上に、ぼくたちへの関心をいだいているのではないだろうか。ぼくたちは、いま、どこを向いて暮らしているのか。どこを見ながらゆくのか。ノボさんのひと言を反芻しながら、ホテルまで歩いた。🇨🇷

(つづく)

exploring the power of place - 020

【本日発行】🚲「フィールドワーク展XIV:いろんなみかた」は、無事に終わりました。そして、加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” は、2017年度の最終号。

今回(2018年2月20日号)のお題は「荷づくり」です。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/020
あたらしいシリーズは、5月からお届けする予定です。ありがとうございました。🙇

◎ 第20号(2018年2月20日号):荷づくり📦
  • 家を離れて(塙佳憲)
  • 世界の家族(金美莉)
  • Weekday Strangers(Nuey Pitcha Suphantarida)
  • 連れていくもの(松室雄大)
  • ちょうどいい(比留川路乃)
  • 大切なもの(望月郁子)
  • Life out of a suitcase(クリスーラ パン)
  • ままならないパッキング(矢澤咲子)
  • 進むために、置いていく(大川将)
  • とっておき(加藤文俊)

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Thai Camp

タイで考える・つくる 🇨🇷

ヘルシンキ(2012)、香港(2015)につづく、3回目の「海外キャンプ」は、タイへ。2018年春季「特別研究プロジェクトB|コミュニティリサーチのデザインと実践」として実施します。参加者は、タイ(バンコク郊外)でのフィールドワークをおこない、成果をスケッチ(風俗採集)、ポスター、ビデオなどのフォーマットでまとめる予定です。

This project aims to explore the idea of "community research" through a series of lectures and field research. This year, we will make a short trip to Thailand in order to conduct our fieldwork. There, students will interview local residents in casual (informal) fashion, together with various site visits, and will organize research results toward presentations on the final day. Currently, we plan to make a set of posters to summarize the research results. A poster is like a mirror, but what it illustrates is not a mere reflection of oneself. Rather, it is a reflection of how an individual has been "seen" by others (outsiders). A poster will contribute, to some extent, to create a moment at which one can reflect upon him/herself, and to recognize the relationships with others.

Theoretical motivations of the present project are in tune with "Mobile Methods" Project (http://mobile-methods.net/) offered in the Graduate School of Media and Governance.

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[Photos: Nuey]

 

On the idea of "camp": A "camp" is a mode of participartory learning, in that participants seek to understand the resources available, and attempt to expand their capacities to organize their ideas within given situations.  It is an attempt to design a place at which we can reflect upon things that are regarded as 'taken-for-granted' in our day-to-day activities.

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I suggest that such form of learning may promote communication among participants, through the set of goals, roles, and rules that constructs the situation.  This year, we will make a short trip to Thailand.  For Keio students (preregistration required), it will be offered as a "Special Research Project B" for the Spring Semester, 2018.

  • Dates (Thai Camp): Thursday, March 8 - Monday, March 12, 2018
  • Venue: To be announced
  • Participants (Keio University): [Students] Yoshinori Hanawa, Michino Hirukawa, Nao Kokaji, Yudai Matsumuro, Nuey Pitcha Suphantarida, Rito Tajima, Mariko Yasuura; [Faculty members] Fumitoshi Kato, Takuya Onishi (Special guest)

スケジュール (tentative)

🇯🇵東京

Day 0: Friday, March 2

キックオフ(ブリーフィング):出発前のオリエンテーションをおこないます。

18:00〜(タイ料理研究所)

  • スケジュールの確認
  • 成果のまとめかた・滞在中の動きについて
  • その他(懇親会)

🇨🇷タイ:※2018年3月8日(木)〜3月12日(月)* 原則として現地集合・現地解散です。

Day 1: Thursday, March 8

  • Check-in: Arriving at Thailand
  • 18:00 Get together - Meeting in brief
  • 19:00 Dinner

Day 2: Friday, March 9

Site visits/Interviews

  • 10:00 Leave Bangwa station (BTS)
  • 11:00 Wat Rhai King Temple
  • 12:30 Lunch (Floating market, to be arranged)
  • 13:30-17:30 Casual interview/Modernological observation (1)
  • 18:00 Dinner
  • 19:00- Designing posters/web articles

Day 3: Saturday, March 10

Site visits

  • 10:00- Leave for site visits (to be arranged) --> possible destinations:
  1. Bangkok Art and Culture Centre (bacc)
  2. Thailand Creative and Design Center (TCDC)
  3. The Jam Factory
  • 12:30- Lunch
  • 13:30- Site visits (cntd)
  • 18:00 Dinner

Day 4: Sunday March 11

  • 10:00- City tour/Modernological observation (2)
  • 12:00-13:00 Lunch
  • 13:30-17:30 Site visits (TBA)
  • 18:00- Dinner

Day 5: Monday, March 12

  • 8:00* Wrap up: Debriefing session; Reflection (video session) 

🇯🇵神奈川

Day 6: Monday, March 26

ふり返り(ディブリーフィング):プロジェクト全体のふり返りをおこないます。

  • 成果のまとめかた
  • 今後に向けて
  • その他

参考


「自分たちごと」について

故・渡辺保史さんの刺激を受けた人は、たくさんいるはずだ。ぼく自身も、そのひとり(自称)。その渡辺さんの遺稿をまとめて「本」にするというプロジェクトがすすんでいる。多くのサポートをえて、いよいよ刊行されるという。『Designing ours』を手にするのが楽しみだ。

ぼくは、2010年の秋ごろまで(不定期ながら)ブログを書いていた。検索してみたら、2010年2月20日付で“「自分たちごと」について”というタイトルの記事を書いていた。ちょうど8年くらい前のことだ。いま読み直してみると、ぼくの関心は、あの頃から変わっていないというか、ブレていない?というか。「キャンプ」も「カレーキャラバン」も、「自分たちごと」を大切にする精神と無関係ではないことに、あらためて気づいた。以下は、そのブログ記事を転載(原文のまま)。


 「自分たちごと」について(2010)

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「自分ごと」と「他人ごと」のあいだに、「自分たちごと」があります。それは、マスでもなく、パーソナルでもない、中間の領域です。この、「自分たちごと」ということばをはじめて聞いたのは、2007年の2月、渡辺保史さんにお声がけいただいて、「縮小する都市の未来を語る:コミュニティに根ざした情報デザイン」というセッションに参加したときです。今年はじめにISCAR Asia2010に参加したときにも、杉浦裕樹さんの発表用スライドに書いてありました。渡辺さんに聞いてみたところ、もともとは、「共有のデザインを考える」というトークセッション(2002年5月:仙台メディアテーク)で、参加者のひとりが使ったことばのようです。

…一つは先ほど「自分事」「他人事」というお話がありましたが、僕自身、建築計画に関わる中で最近痛感しているのは、実はその二つの間にもう一つ、「自分たち事」という部分があるのではないかということです。
自分の部屋の中とか、あるいは自分が欲しいものといった個人的なことではなく、たとえば、プロジェクトにいろんな人たちが関わってうまく進んでいく。これは個人の内側にある自分事でも、自分とは全く無関係に切り離された他人事でもない、その中間です。…
「共有のデザインを考える」スタジオ・トークセッション記録 Chapter 1:人が生き生きとする場所のデザイン(p. 22-23)より

そして、「自分たち事」ということばが、とてもいい表現なので、みんなで使い始めた…とのこと。これは、ぼくたちが標榜する「キャンプ」の考え方を深めてゆく上でも、示唆に富んだコンセプトです。とくに、フィールドワーク先で制作するビデオクリップやポスターなど、“ちいさなメディア”と呼んでいるものは、マスメディアでも、パーソナルメディアでもない存在です。それは、特定少数の人びとを結びつける(さらに、その関係を維持する)ためにデザインされます。

いっぽう、最近、マーケティング的な観点から、注目されているのは「自分ごと」です。『「自分ごと」だと人は動く』(2009, ダイヤモンド社)という本のタイトルに象徴されるように、人は、何らかの形で当事者意識が刺激されたとき、具体的な行動へと駆り立てられることが多いようです。とくに、情報過多と呼ばれる時代においては、一人ひとりが、上手に情報を取捨選択する術を身につけています。そのなかで、“スルー”せずに敏感に反応するのは、「自分」に関係が深い内容なのかもしれません。どうやって、人びとにとっての「自分ごと」を理解し、メッセージを送るかがマーケティング的な課題になるはずです。その意味で、ぼくたちをとりまく情報環境の変化や、コミュニケーション行動を理解する上で、「自分ごと」という視点は大切です。

しかしながら、ぼくたちの仕事はマーケティングでありません。もちろん、調査・研究をすすめていく上では、読者を想定します。何らかの社会的貢献を目指す場合には、誰に成果を届けたいのかをはっきりさせておく必要があります。でも、それを(狭い意味での)“マーケット”としてとらえることが、ふさわしいかどうか。そろそろ、再考する時期が来ているように感じるのです。
20年ほど前、大学は、学生(新入生)を「顧客」に見立てて、カリキュラムや大学の役割の再定義を試みました。学生が「客」なら、大学は最良の「サービス」を提供し、「顧客満足度」を高めなければならない。これからは、学生一人ひとりの「自分ごと」を刺激するための講義や演習を提供しよう、ということになるのでしょうか。科目数を増やし、自由度を高めることは、「自分ごと」に向き合っていくためのカリキュラムづくりのように見えます。それでいいのか…。

大学とは? という大きなテーマにつながるので、そう簡単に整理することはできません。一人ひとりの能力や可能性を高めるという意味では、大学は、学生の「自分ごと」に応える準備をしておかなければならないでしょう。ただ、個人的には、「自分ごと」ばかりでなく、「自分たちごと」についてきちんと考えてみたいと思います。ぼくたちは、ひとり(自分だけ)ではなく、関係性のなかに生きているからです。大学は、「自分たちごと」に向き合い、関与者としての自分のあり方について模索する〈場〉なのではないか。ここ数年の「キャンプ」という実践をつうじて、その確信は強くなりました。少なくとも、従来型のマーケティング的なメタファーでは語り得ないような、「何か」を考えていく必要があると思います。

ぼくたちの関係性に目を向けるとき、誰かと共に居ること、何かに居合わせることの価値が際立ちます。それは、まさに「共有のデザイン」なのであり、「自分たちごと」について自覚的になるということなのでしょう。

(♪さあ冒険だ - 矢野顕子)

 

◎コピー元:2010年2月20日(土)のブログ → fklablog | ::「自分たちごと」について

「いろんなみかた」へ行こう(3)

 

アンオフィシャル・ガイド(3)グループワーク編

1月12日から、「広報担当」の学生たちを中心に、Facebookのページ(https://www.facebook.com/fw1014/)で展示内容の紹介がはじまりました。ぼくのコメントを添えながら共有しているので、コメントの部分だけ、「アンオフィシャル・ガイド」として束ねることにしました。その(3)は、グループワーク編です。

うごけよつねに(Stay Mobile and Carry On)

毎学期、学部の1〜3年生は、フィールドワークに必要な感性を開拓したり、記録や表現のあり方について学んだりするための課題に取り組みます。2017年度秋学期は、「うごけよつねに(Stay Mobile and Carry On)」というテーマにしました(愛称は“SMACO”です)。 http://vanotica.net/smaco/



学生たちは、5つのグループに分かれて、〈いつ・どこで・誰と・どのように過ごしたいのか〉という具体的な状況を考えながら、場づくりを容易にしたり、コミュニケーションを促したりする「モバイル・キット」のデザインに取り組みました。「フィールドワーク展」では、それぞれが考案した「車両」をまちに持ち出した、実践(フィールド・テスト)の成果を展示しています。モノ自体は粗削りですが、なにより、教室や研究室に留めておくのではなく、リアルな現場へと「車両」をころがして、実践をとおして考えるよう心がけました。

 

YUZÜROCAR

6年ほど前から、ZÜCAというキャリーバッグを愛用しています(より正しくは、ZÜCA Proというやつです)。堅牢な金属のフレームなので、座るだけでなく、ちょっとした踏み台にもなります。「カレーキャラバン」でつかおうと思って購入した2台目のZÜCAを、ベース「車両」のひとつとして提供しました。フレームには穴があって、いろいろと造作を加えやすいはずです。さらに、ころがすときに車輪が光るので、ぼくは、デコトラのような「改造車」が出来上がることを勝手に妄想していました。「ZÜCAでいこか」の3人は、ぼくの密かな期待をあっけらかんと裏切って、なんと100均で買ったという黄色いクッションを載せただけで「課題」を乗り越えようとしました。〈つくる〉という「課題」に対して、〈つくらない〉という「こたえ」を出したのです。(このことも、じつは示唆に富んでいて、いろいろと考える機会になりました。)
彼女たちの問題意識は明快で、(ぼくがシラバスにも書いているような)日常的なコミュニケーションにかかわる問題を扱っています。くり返される毎日のなかで、〈他者への想像力〉が足りないと思える場面が、たくさんあります。なんらかのモノ(人工物)を介してぼくたちの日常に介入し、コミュニケーションを促そうと試みる。これには「うごけよつねに」の精神が求められるはずです。

 

MaTTello

数年前に、クラウドファンディングで見かけたのが「OLAF」です。キャリーカートとキックボードを組み合わせたようなもので、いかにも小回りがききそうな感じがしました。面白かったので、少しだけ資金のサポートをして、そのあと購入したものです。いずれは、「おかもち」と組み合わせて、何かつくろうと思っていたのですが、今回のベース「車両」のひとつとして提供しました。
「いまぬま」の4人の活動は、わりと早い段階から「日常のなかにちいさな幸せを」という方向性が決まっていたものの、試行錯誤の連続でした。たとえば通勤や通学につかう道が、ゴミひとつなく綺麗に掃除されていたら。ちょっと疲れたときに、温かいコーヒーを口にしたら。ぼくたちの日常には、「ちいさな幸せ」がたくさんあります。〈つくる〉と〈考える〉を行き来しながら、さらに試行錯誤がつづきました。「OLAF」の強みは、おそらくはその敏捷性でしょう。「疾風のように現れて、疾風のように去ってゆく」、あの感じです。目立たぬように、人知れず「ちいさな幸せ」を届けるというのは、なんだかシブい。
最終的には、「信号待ち」という数十秒の時間をちょっとほっこりさせる「MaTTello」が出来上がりました。ビデオで見ただけですが、鉄琴の音色が、道ゆく人を笑顔に変えます。夢中になった子どもたちは、信号待ちをしていたはずなのに、なかなか横断歩道を渡れなくなってしまうかもしれません。でも、それはそれでいいのだと思います。険しい面持ちで足早に急ぐオジサンたちが、ちょっとだけでも鉄琴をたたいてくれれば、とたんに、まちはちがって見えてくるはずです。「ちいさな幸せ」は、連鎖的に広がります。

 

OKURUMI cart

赤いワゴンは、今回のプロジェクトのために新調しました。思っていたよりも大きくて重いのですが、それでも、(難なく改札を通れるので)一緒に電車に乗って出かけることができます。
「OKURUMIES」の3人は、「モノを包む」ことをとおして人と出会い、一人ひとりのモノへの想いに触れようという試みを思いつきました。つまり、会話を促すための「おくるみ」です。ワゴンには、リボンやラッピングペーパーが積んであって、モノを渡せばその場で包んでくれます。10日ほど前に、実際に「OKURUMI cart」の「フィールド・テスト」の現場に居合わせることができました。いきなり「何かモノを包みませんか」と言われるのは、どんな感じなんだろう。やろうとしていることを、うまく伝えることができるのだろうか。なんだか唐突な感じもするし。ほどなく、そんなぼくの心配は、まったく必要なかったことがわかりました。まずは、みんな興味津々で近づきます。そして、カバンの中をごそごそしたり、腕時計をはずしてみたり。みんな、ものすごく包まれたいのです。興味ぶかいのは、差し出されたモノ自体にはいっさい手を加えずに、その外側(つまり「おくるみ」)から、モノの価値を大きく変えてしまうという点です。もちろん、ラッピングというのはそういうものだと理解していたつもりでしたが、あらためてその意味を考えるきっかけになりました。会場で赤いワゴンを見つけたら、声をかけて、包んでもらいましょう。

 

お爺車

このグループのベース「車両」は、まちでよく見かける(標準的な)キャリーカートです。「おたまじゃくし」の3人は、学期のはじめから、なぜだか〈おじいちゃん〉に関心があると言いつづけてきました。当然、〈おばあちゃん〉のことも考えなければ、と思うのですが、あまりにも偏愛的な態度で「おじいちゃんが好き」だと口走っているので、ひとまず『90歳ヒアリングのすすめ』という本を紹介し、〈おじいちゃん〉への接近を見守ることにしました。
少し堅苦しいとらえかたをすると、このグループが考案した「お爺車(おじいしゃん)」は、社会調査、とりわけインタビューのための「モバイル・キット」だということになります。会話を促しながら、記憶を喚起したり、あたらしい話題を生み出したりする、さまざまな「刺激」を持ちはこぼうというアイデアです。それは、話のネタであり、同時にコミュニケーションの記録にもなるということでしょう。見た目は障子ふうで、一つひとつの扉を開けると、〈おじいちゃん〉にかかわるモノが鎮座しているはず。(ぼくは、まだ見ていません。)
どこまで現場での実践がすすんだのかわかりませんが、誰かのモノを載せてこの「お爺車」がまちを移動し、別の誰かと出会ってゆく過程こそが面白いのだと思います。(どこかで出会った)一つの「ものがたり」が、モノとともに語り継がれるからです。つまり、〈おじいちゃん〉どうしをつなぐメディアになるのです。〈おばあちゃん〉は、このような大げさなモノがなくても、ノンストップの勢いでたくさんしゃべってくれるのかもしれません…。

 

TURE TEKE BIKE

「チャリンコベイビーズ」のプロジェクトは、自転車をつかいながら、じぶんの行動範囲(テリトリー)を広げてゆこうという発想からはじまりました。当然のことながら、自転車があれば、スピードも活動範囲も大きく変わります。ちょっと大げさに言えば、自転車は、ぼくたちの世界(世界観)を変えるツールだということです。たとえば、引っ越したばかりの慣れないまちでも、スピードを獲得すれば、さほど不安を感じることなく移動する(通り過ぎる)ことができるはずです(もちろん、ゆっくり歩けばこそ見えるものはたくさんあります)。
そして、このプロジェクトは、少しずつちがう方向へと展開します。まずは、まちに暮らす人びとの「優しさ」ともいうべき気質を知るための実験をおこないました。やや乱暴な試みでしたが、界隈には、見知らぬ誰かのために、ちょっとした手間を引き受けようとする素地があることを実感します。これは、素朴に喜ばしいことでしょう。そして、じぶんの移動のための「自転車」から、誰かとのかかわりをつくるための「TURE TEKE BIKE」へ。ツールから、人と人の〈あいだ〉にあるメディアへ。私設の郵便サービスのような活動ですが、結局のところ、まちに親しみをもってかかわってゆく過程には、誰かに何かを託されたり(託したり)、誰かのことを想いながらまちを眺めたりすることが大切なのです。