まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

exploring the power of place - 030

【本日発行】️ ☕️無事に「フィールドワーク展XV:ドリップ」が終了しました。お越しいただいたみなさん、ありがとうございました。さて、加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” 第30号(2019年2月20日号)は、「渋谷」をテーマにした『渋谷の断想(5)』です。今年度は、これでひと区切り。次号は新年度、2019年5月20日に発行予定です。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/030

◎ 第30号(2019年2月20日号):渋谷の断想(5)
  • 「表現者」として生きる(津田 ひかる)
  • 「暮らすように旅する」?(日下 真緒)
  • 彼女と彼の“さわやか”(染谷 めい)
  • 酔っぱらい(高島 秀二郎)
  • かよう(比留川 路乃)
  • ふたたび、渋谷で。(久慈 麻友)
  • 信号機下の世界(佐々木 茅乃)
  • 行くか、行かないか(矢澤 咲子)
  • 渋谷の一面(牧野 岳)

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「移動」の季節

毎年度末に開いている「フィールドワーク展」(今回は、15回目の「ドリップ」 https://vanotica.net/fw1015/ )も終わり、「追いコン」についてのやりとりがはじまって、いよいよ卒業のシーズン。大学のほうも学期末のあれこれが一段落して、新学期を前にちょっとひと息というタイミング。学生たちが「移動する」季節だ。

あらためて、この2年間の「研究会(ゼミ)」をふり返ってみた(じつは、これがなかなか面白いので、いずれもう少し遡って整理してみようと思う)。この2年間(4学期)で、35名の学生(大学院生を除く)が、出たり入ったりした。そして、毎学期18〜19名という人数だった。(他の「研究会」のことはわからないが)新陳代謝は、激しい。

人数の変化を、簡単に図示してみた。ウチのカリキュラムは半期制で(前期・後期)、1年生から「研究会」に所属することができるのが特徴。だから、たとえば2年生の春(3セメスター)で「研究会」に所属すると、長ければ3年間は一緒に活動することになる。これまで、そういう学生がけっこう多かったものの、最近は「移動」が多い。
図で、は1年生(1〜2セメスター)、2年生(3〜4セメスター)、が3年生(5〜6セメスター)、が4年生(7〜8セメスター)という色分け。は「卒業プロジェクト」を完了したかどうかの印。(その他の例外的な表記については後述)

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2017年度春(2017S):左から順番にざっと見ていくと、1〜6は、2018年3月卒業予定で入学した学生たち。つまり、2014年度の「新カリキュラム」(通称「14学則」)で学びはじめた学生の初代になる。この年から、3年生があたらしく5名。5名全員が、2年生の秋学期までは別の「研究会」に所属していた。ウチのカリキュラムだと、なんとなく3年生からスタートするのは「遅い」というイメージがあるが、じつは世の中の多くの大学では3年生の春から「ゼミ」に所属して、2年間を過ごすのが標準的である。まぁ、3年生の春というタイミングだと、もう「後がない」ので、無理にでもじぶんの居場所として考えることにはなる。
同じタイミングで2年生が7名、1年生が1名加わっている。つまり、2017年度春学期は、19名のうち、13名が新メンバー。残っていた(継続履修の)学生のほうが、圧倒的に少ない状況で「加藤研」が動きはじめた。

2017年度秋(17F):「卒プロ」修了は4名、そのうち2名は途中から「研究会」を離れて、ぼくは「卒プロ」の指導だけを行なった。は、「研究会」に所属せずに「卒プロ」の指導を受けるパターン。やや例外的だが、少数いる(というより、あまり勧めないけど技術的には可能)。
あとの4年生は、1名は休学、1名は卒業延期。2年生が1名、半期の履修を終えたところで離脱。そして、3年生が3名、1年生が1名、あらたに加わった。

2018年度春(18S):卒業延期していた1名が修了。6セメスター目に「研究会」に所属していると、通常だとそのままもう1年かけて「卒プロ」に取り組むところ、2人が離脱。2年生の4名が、1年間の所属ののち(つまり、3年生になる段階で)離脱。入れ替わりで、3年生が3名、2年生5名があたらしく加わった。

2018年度秋(18F):4年生は1名が「研究会」を離脱して「卒プロ」のみのパターンに、もう1名は離脱。3年生は、メンター申請の学期をむかえるタイミングで1名が離脱。3年生が1名、2年生が3名、あらたに加わった。

2年間をふり返って気づいたこと/考えたこと(雑感):

  • 1年間ほど所属してから離脱するのは、なんだかもったいない。素朴に、そう思う。ようやく、これからというタイミングだから。それは、学生たちの「様子見」の期間(トライアル的に「研究会」にかかわる期間)が長すぎるということなのか、それとも、ぼくのほうが「様子見」を許容しすぎているのか。とくに3セメスター目で「初研究会」として所属すると、どうしても「様子見」になりがちなのかもしれない。講義科目や、書籍などをとおして、ある程度の理解をしてから入ったほうがあれこれ上手くいく。
    「フィールドワーク(=時間がかかるし、意外と苦しい)」をきちんと学びたいなら、やはり2年くらいはじっくりやらないと、その本質を理解することはできないのに…。道半ばで辞めてしまうのは、とても残念なことだ。大学院生たちの「本格的なフィールドワーク」を、もっとわかりやすく紹介するようにすれば、時間感覚や紆余曲折(試行錯誤)についてイメージしやすいかもしれない。やっぱり覚悟が大事だから。
  • もちろん、1年くらい活動して「やりきった感/ひと仕事終えた感」とともに、他の「研究会」を目指すなら、それはよいことだと思う。そもそも、ウチのカリキュラムは学生たちの「移動」が自由な設計になっているのだから、いくつかの「研究会」で学びながら「卒プロ」に向かうのは、理想とも言える。教員としては「囲い込み」の発想は捨てて、「移動」を後押しする姿勢が必要。ただし、その「やりきった感/ひと仕事終えた感」が本物かどうかは要チェック。それは、多くの場合、成果物(いわゆるポートフォリオ)として表れているはず。半期でも1年でも、「研究会」のメンバーとして活動している間に、何をして/何をえて、何を生み出したのか。無形の〈モノ・コト〉はもちろんあるけど、確実に誰かに紹介できる〈何か〉はあるのか。不完全燃焼のままだと、けっこう引きずる(ことがある)。
  • そもそも、じぶんでやる気と関心の高さを表明して、希望して「研究会」をえらんだはずなのに、続けられなかった(続ける気にならなかった)のはなぜかを考えてみることは大切。テーマ(コミュニケーション論、メディア論)や手法(質的調査法)、運営方法(ワークショップ、「キャンプ」などの学習環境のデザイン)、教員との相性(これは、つねに移ろうけど)、メンバーとの人間関係(グループワークが上手くいくかどうか)などなど、いろいろな理由は見つかるはずだが、一番のふり返りが必要なのは、じぶんはどのくらいの意識をもって「研究会」に向き合っていたかを問うこと。やることはやっていたか、サボっていなかったか、本を読んだり文章を書いたりしていたか、メンバーや教員とのコミュニケーションのありようについて自覚的だったか、関係性を維持することについて、どこまでじぶんの感性がはたらいていたのか、などなど。あえて教員目線で語ると、そもそも「シラバス読んだの?」と聞きたくなる場面は、たびたび訪れる。
  • 「ちょっとちがってた」「他に興味がある」などと感じたら、それを言語化したり、じぶんなりのタイムライン(=どのように大学生活にケジメをつけたいかという見とおし)に位置づけたりして考えてみること。つまり、「移動」することの意味づけ。調査研究には、感情が充填されている(と、ぼくは考えている)ので、その情熱と方法論(実現のための道筋)がフィットしていることが大切。そして、評価者をえらぶこと。それは、じぶんの成果を「誰に見てもらいたいか/誰に評価してもらいたいか」を問うこと。すべて、じぶんのセンスや要求水準しだい。楽にやりたければ、楽なところ。不健康なプレッシャーは避けたほうがいいけど、じぶんに深く向き合いたいなら、変化を拒まないこと。
  • 最後に。「移動できること」は、他学部(他大学)では、あまり聞いたことがない、ウチのカリキュラムの特質。その自由が、かえってやりづらさを生んでいるのかもしれないけど、カリキュラムの構造をよく理解することは大事。(大学生の4年間のあとで、たくさん「移動」するわけだから、まぁよく考えて決めればいい。)
    でも、ほとんど何も言わずに辞める人が多いのは残念。じぶんの考えについて話すこともせずに、事務的に離脱する人は、非礼とか非常識とかいうよりも、可哀想な感じ。大学生の一番の特権を、放棄しているわけで。コミュニケーションに気後れしたり、ビミョーだったり、畏れたりすることはあっても、きちんとお互いに「ありがとう」「さようなら」を言って別れないと、たぶん、もう会えない。それは、ぼくの(すでに20年を越えてしまった教員としての)経験から、確実に言えること。本当に、もう会えない。🐸

参考:もともとは、20年前!に書いた文章。

exploring the power of place - 029

【本日発行】️ ☕️あっという間に1月も後半へ。加藤研にとって15回目(平成最後!)の展覧会「フィールドワーク展XV:ドリップ」の準備で、いよいよ慌ただしくなってきました。今年も、加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” をよろしくお願いいたします。第29号(2019年1月20日号)は、「渋谷」をテーマにした『渋谷の断想(4)』です。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/029

◎ 第29号(2019年1月20日号):渋谷の断想(4)
  • ちいさなものがたり(吉澤 茉里奈)
  • 桜丘の風景(木村 真清)
  • 否定じゃなくて(保浦 眞莉子)
  • 五感で味わう(佐藤 しずく)
  • 渋谷で「暮らす人」(水野 元太)
  • ダンシング・ベアー(大橋 香奈)
  • サダメの外から(太田 風美)
  • 渋谷と育つ -2-(笹川 陽子)
  • The Smell of Convenience (Nuey Pitcha Suphantarida)

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出雲キャンプ(その後)

ポスターのその後

2018年11月24日(土)から26日(月)にかけて実施した「出雲キャンプ」でつくったポスターは、中町商店街に掲出されています。その後、ぼくたちが滞在中に過ごした「ともに」の入り口にインフォメーションボードができて、そこにポスターが貼られているとのことです。昨年末、藤田さんから写真が届きました。ありがとうございます。🙇‍♂️(本格改装がはじまるまでの、「期間限定」の掲出らしいです。)

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 【写真:藤田貴子(2018年12月15日)】

スコールの晩に考えた。

「学会」という集まり

12月14日(金)〜16日(日)にかけて開催されたPacific Rim Community Design Networkという会議に参加するため、シンガポールに出かけた。*1 今学期、とくに後半はかなりタイトなスケジュールになってしまった。大学で講義とミーティング(オリエンテーション)に参加し、その足で羽田に向かって夜の便に乗るというパターン。じつは、いままでそういう動きをしたことがなかった(荷物と一緒に動くのは面倒だし、そもそも慌ただしくて疲れる)。首都大の饗庭さんと同じ飛行機に乗り合わせて、あとから聞いたら、饗庭さんも同じように授業を終えてからの出発だったとのこと。翌朝の6時過ぎに、シンガポールに到着。

会場となったシンガポール国立大学(National Univerisity of Singapore)は、数年前に仕事で訪れたことがあるが、じつに広大なキャンパスだ。空港から直接大学に向かい、紅茶をすすりながら、受付が開始されるのを待った。東京はようやく冬らしくなってきたが、やはりシンガポールはずいぶんちがう。朝陽を浴びているだけで、暑い日になることがわかった。

会場で、亜維子さん、木下さん、黒石さんに会った。参加者リストを見ると、他にも日本人の名前がたくさんある。受付を済ませると、ほどなく全体セッション(プレナリー)がはじまった。キーノートやパネルディスカッションは、この集まりについての議論が中心で、ほぼ隔年で開催されているこの会議は、今年で20年という節目を迎えたとのこと。Pacific Rim Community Design Networkの成り立ち(そしてこれまでの活動)について、紹介があった。20周年という特別な機会に、Great Asian Streets Symposium (GASS) と、Structures of Inclusionという二つの集まりと相乗りしつつ開催されている(という理解で正しいはず)。そのせいもあってか、プログラムは盛りだくさん。ぼくも発表したが(くわしくは後ほど)、7つの部屋でパラレルセッション。そして発表10分+質疑10分という、ちょっと窮屈な構成だった。(5月にウチのキャンパスで開催した「日本生活学会」の研究発表大会は、発表20分+質疑10分。その贅沢さにあらためて感謝した。)

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金曜日の朝は、デッキで。 

疲れてはいたものの、せっかくなので、なるべくたくさんの発表を聞くことにした。やはり、“ネットワーク”という名前を冠した集まりなので、文字どおり、世界じゅうで展開しているさまざまな事例を知り、つながりをつくることを大切にしているのだろう。そう考えれば(そういう生い立ちで続いているのだから)、発表時間の短さもわかる。むしろ、コーヒーブレイクやランチ、レセプションやディナー、エクスカーションというように、参加者とともに語らい、ともにまちに出るという時間が充実しているのは当然のことだろう。いわゆる「学会」というよりは、お互いの近況や活動の進捗を確かめ合う、隔年で開かれる「社交の場」なのだ。
そもそも「学会」には、その役割がある。職場を、研究領域を、さらには国境を越えて、いろいろな人に出会えるのが楽しい。それが、じぶんの思考や行動につながる。それは、よくわかる。すでに「お友だち」になっているどうしの面々が集まっていて、なかにはひさしぶりの再会もあって、旧交をあたためている光景は悪くない。でも、初めて参加したこともあって、ちょっと居場所がないような、落ち着かない気分にもなった。「新参者」には、肩身が狭い。

全体セッションでも説明があったが、20年前、想いを同じくする面々(もともとは、UC Berkeleyのグループ)が集まって問題意識を共有し、それぞれの考えや方法について議論したのがはじまりだという。かつての写真を見ると、15〜20名程度。大きなテーブルを、参加者全員で囲むことのできるくらいの規模だった。その集まりが、あらたなメンバーを加えながら、20年かけて成長した。すでに述べたとおり、いくつものパラレルセッションを設けなければ、プログラムが成り立たないほどの規模まで広がったということだ。
この会議にかぎらず、いくつかの「学会」に参加して感じるのは、ぼくたちの集まりは時間とともに成長し、その性格も少しずつ変化してゆくということだ(もちろん、ぼくたちも、その分だけ歳をとる)。たとえば設立当時からのメンバーは、20年間、お互いの成長を見ながら今回の会議を迎えている。感傷的になるのは、もちろんかまわないし、当時、まだ学位を取ったばかりだった若き研究者たちは、20年間を経て、いまではこの分野の「大御所」になり「重鎮」になっている。それは、分野を拓いた人の功績だ。だが、ここまで広がってきたときにこそ、もう一度ふり返ることが重要なのだろう。「昔はよかった」「もともとはこうだったはず」という回想を大切にしながらも、あたらしい知が立ち上がる現場に居合わせるとき、ぼくたちは興奮をおぼえるのだ。
まぁ同じことは、ウチのキャンパスにもいえる。先人たちに大いに敬意を表しながらも、「昔はこうだった」という、懐古的な空気に流されないように、つねに前を向かないと。

参考までに、当日のプレゼンテーション(via SlideShare)はここ。*2

◎Kato, F. and Eguchi, A. (2018) The looseness of significant ties: On reclaiming our "common" places. Presented at Pacific Rim Community Design Network, December, National University of Singapore.
* じつはこれ、「ORF2018」のピッチ(P10-5)で話した内容の英語版という感じ。

 

〈共〉の場所をとらえなおす

カレーキャラバンは、もともとはアートプロジェクト(墨東大学, 2010-2011)のなかから生まれた。とても趣味性の高い活動だし、ぼく自身は、できるかぎり大学教員という肩書きを使わずに7年近く続けてきた。肩書きのみならず、「フィールドワーク」や「コミュニティ」などということばを使わないことが、人との出会い方、その後の関係の育み方にも、少なからず影響をおよぼす。あくまでも愉しさを優先して、旅をしながら人と出会い、みんなでつくって、みんなで食べることに集中するのがいいと考えている。幸いにも活動は途絶えることがなく、これまでに78回の実践を重ねたので、そろそろ整理してみようと考えてはじめている。調査研究という文脈に位置づけようとすると、どうしても「後付け」になってしまうが、そもそも現場は、研究者の頭のなかにある概念や仮説などはおかまいなしに、いつでも動いている。だから、実践の積み重ねのなかから、ことばを探していくほうが、じつは自然なのだと思う。
カレーキャラバンは、かつて、ぼくたちの身の回りにあった(はずの)〈共〉の場所(誰のものでなくて、誰のものでもある)を、即興的・一時的に取り戻す活動だと言える。いまの段階では、恩田さんの図式(下図)を使いながら説明しすることが多い。*3 恩田さんは、現代社会では、〈公〉あるいは〈私〉と呼ぶべき場所だけになり、もはや〈共〉は消失したのだと問いかける。ぼくたちは、〈公〉と〈私〉の境界(あるいは「際, きわ」)に大きな鍋を据えてカレーをつくる。出来上がってみんなで食べるとき、それがわずか2時間程度であったとしても、境界が曖昧になって、〈共〉らしさをもった場所が生まれるというストーリーだ。今回の会議でも、〈共〉をつくりだす「方法」として、ぼくたちの場づくりの実践を紹介した。

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【共独自の領域の消失(現代社会)|恩田守雄(2006)『互助社会論』(世界思想社)を元に作成】


できるだけサボらずにセッションに出て、いろいろな発表を聞いた。すでに触れたとおり、全体のプログラムは、ちょっと詰め込み過ぎだった印象が強い。個人的には、居場所のなさも感じていた。でも、2日目の岡部さんのキーノートスピーチは抜群に面白かった。いま簡単に紹介したような、ぼくたちがカレーキャラバンについて語ろうという試みと、岡部さんの話した内容は、問題意識が重複していた。大いに共感できる論点だった。
ぼくも、どこかでしゃべったことがあるが、「パブリック(public)」は、日本語だと〈公共〉になる。公共部門、公共サービス、公共空間などなど、日常的に流通していることばを挙げても、〈公〉と〈共〉がセットになって語られることが少なくない。これは日本語(翻訳)の問題ではあるが、「パブリック」が日本語になったとたんに〈共〉をふくんでしまうということは、きちんと考えておく必要がある。〈共〉が、「私たち」(渡辺さん的には「自分たち事」だろうか)の領分であるとするならば、たとえ〈公〉や〈私〉との境界が曖昧であったとしても、その〈あいだ〉の特質について理解する態度は求められるだろう。岡部さんは、ぼくたちが〈公〉〈共〉〈私〉ではなく、〈公共〉〈私〉という理解に陥りがちなことに触れた。

もう一つ、岡部さんの話で気にとめておくべきなのは、さまざまな〈公共〉的な活動の主体は誰かという問いだ。近年、「コミュニティ(コミュニティデザイン)」「ソーシャル(ソーシャルグッド)」といったことばが流通しているが、その主たる使い手は誰なのか。ぼく自身も、「コミュニティ」や「ソーシャル」といったことばはできるだけ慎重に使いたいと考えている。実際、シラバスには「それっぽくて、その気になるようなキーワードはできるかぎり排除して、慎重にことばをえらびたい」という一節を添えている。岡部さんは、こうした「コミュニティ」や「ソーシャル」といったことばを掲げた活動が、最近では広告代理店やコンサルティング企業によって手がけられていることを指摘し、それは(〈公〉でも〈共〉でもない)〈私〉の領分で扱われているのではないかと問いかける。つまり、「それっぽくて、その気になるようなキーワード」を使いながらも、〈私〉的な価値観によって活動が成り立っているとすれば、それは知らず知らずのうちに〈共〉の領分を駆逐してしまうかもしれないという問題提起だ。

こうした論点を際立たせるために、〈公共〉(public)と〈私〉(private)の区別について語るところからはじまったのだと思う。セッションの時間はかぎられていて、しかも遅れ気味で進行していた。いよいよ、面白い議論が展開するというタイミングで、フロアから、一連の問題提起はたんなる「ことば遊び(言語ゲーム)」にすぎないというコメントがあった。それで、会場の空気が変わってしまった。パブリックということばに対する批評だと受け取られてしまったのだろうか。その後は、つぎの予定に追われるようにそそくさと議論がすすみ、なんとなく精神論のような話で終わってしまった(ように聞こえた)。すでに触れてきたとおり、ややハイコンテクストな集まりだったので、ぼく自身が正しく理解しているかどうかは、わからない。

でも確実にわかったのは、(自戒を込めて)日本人の研究者は、もっと自在に英語を操れるようならなければ困るということだ。言語がすべてではないが、20年前に巻き戻されてしまうようなことは、避けなければならないだろう。というより、現場の躍動をきちんとことばにして、世に問いかけてこそ、この集まりの価値があるように思えた。概念的・理論的な整理はやや粗くても、現場での実践に裏打ちされた態度を表明すること(精神論ではなく)、それが、ネットワーク(ネットワーキング)としての場づくりなはずだ。

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Little lndia

かくして2日目が終わった。プレゼンテーションのほうは、滞りなく、というか、「無風状態」に近かった。亜維子さん、饗庭さん、内田さんとともにリトルインディアに向かい、カレーやビリヤニを食べてビールを飲んで、軽い打ち上げ。
あれこれ話をしていたが、岡部さんのセッションのことが、ぼくの頭から離れなかった。「ことば遊び(言語ゲーム)」だというコメントは、やはりちがうと思った(というより、あの水を差すようなコメントをとおして、何をしたかったのかがわからずにいた)。一連のタイトなスケジュールのせいで眠気におそわれていたり、初めての参加だったから居場所がなかったという言い訳がましい発想をしたり。じぶんの不甲斐なさが、悔しかった。もっと勉強して、英語力も鍛えて、不埒なコメントをスマートに論破しなければダメだと思った。ひと仕事終えて、すっきりすると思っていたが、そうならずにいた。

来るときタクシーで追い越したはずの雨雲が、少しずつ近づいているようだった。しばらくして、ぼくの浮かない気分を丸ごと洗い流すほどの、激しい雨。いま、シンガポールが雨季だということを忘れていた。⛈

おまけ

翌日にそなえて、飛行機ではよく休んでおいたほうがいい。夜の便(翌日の早朝着)なら、なおさらだ。…と思いつつ、貧乏性というか、この時こそと思って、行きも帰りも深夜に映画を観た。行きは『EDIE』(美しかった)、帰りは『Searching』(観ようと思いつつ、まだだった)。

*1: http://gass-prcdnet-sfi2018.org/ 

*2:プレゼンテーション資料に埋め込まれている動画の撮影・編集は、矢澤咲子によるもの。

*3:これまでにも、少し「理屈」をまとめる機会はあった。カレーキャラバンをすすめながら考えたこと・気づいたことは「ゆるさ」をキーワードにまとめている。詳細はここから。→ 「ゆるさ」があれば カテゴリーの記事一覧 - クローブ犬は考える