まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

大垣キャンプ(ポスター)

ポスターをつくる

ポスターづくりのプロジェクトをはじめて、もうすぐ10年。これまで、全国をめぐりながら、みんなで(学生たちは毎学期入れ替わりますが)500名近くの人に出会い、話を聞く機会に恵まれました。一人ひとりの暮らしの一場面をポスターにして、それを眺めながら語る。人やまちを理解するための方法として、態度として、続けてきました。
今回は、8名のかたがたにインタビューをおこない、ひと晩かけてポスターをつくりました。“ポスター展のポスター”をふくめて9枚。取材にご協力いただいた(いただいている)みなさん、ありがとうございました。

大垣の人びとのポスター展
  • 日時:2019年5月26日(日)12:00ごろ〜
  • 会場:ちょいみせキッチン(〒503-0887 岐阜県大垣市郭町1-34 1F)

* 26日(日)12:30〜 成果報告会をおこないます。13:30ごろ〜 ふり返りビデオ鑑賞・まとめと講評成果報告会は終了しました。ありがとうございました。

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今回の滞在中につくったポスターは、「ちょいみせキッチン」の平塚さんのご厚意で、下記のとおり展示されることになりました。(2019年5月27日追記)

  • 日時:5月29日(水)、31日(金)、6月1日(土)、2日(日)、5日(水)、6日(木)、8日(土)、9日(日)11:00〜18:00ごろまで(変更の可能性あり)
  • 会場:ちょいみせキッチン

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 ポスター展のポスター

 

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2019年5月26日(日)|成果報告会のようす(ちょいみせキッチン)

 

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 堤 飛鳥・比留川 路乃

 

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 森部 綾子・パナヨティドゥ, クリスーラ

 

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加藤 夏奈・牧野 岳

  

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 染谷 めい・久慈 麻友

 

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日下 真緒・大門 俊介

 

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 田村 糸枝梨・スパンタリダー ピッチャー

 

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坂本 彩夏・太田 風美

 

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安藤 あかね・矢澤 咲子

 

 

 

exploring the power of place - 031

【本日発行】️ 😉あたらしいメンバーとともに、あたらしい時代をむかえています。早いもので、春学期も中盤へ。加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” は、第4期(4年目)のはじまりです。第31号(2019年5月20日号)『余白のものがたり(1)』をお届けします。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/031

◎ 第31号(2019年5月20日号):余白のものがたり(1)
  • たまぁの片付け(笹川陽子)
  • 「めい」を名乗る(染谷めい)
  • その大きさを“かえて”(木村真清)
  • 動きとともに生まれゆく(森部綾子)
  • ぶかぶかの制服(坂本彩夏)
  • キッチン(加藤文俊)
  • 太郎の日曜日(佐藤しずく)
  • 「ふところ」の広い文字(矢澤咲子)

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余白の理由(2)

キッチン

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事をつくる場所であれば私はつらくない。

吉元ばななの『キッチン』は、出てすぐに読んだので、もう30年ほど前のことになる。たしかに、キッチンは大切な場所だと思う。つくるときのふるまいや、心のありようのなかに、食べること以上の価値を見出せるのかもしれない。「カレーキャラバン」の活動が7年も続いているのは、一緒につくることが楽しいだけでなく、もっと大事な〈何か〉を感じているからだろうか。友人とのやりとりのなかで、あらためて確認したのだが、調理をしながらのコミュニケーションはとても気楽だ。一緒に並んで調理台に向き合っているので、目と目を合わせずに話がすすむ。手を動かしながらだと、ごく自然に緊張も和らぐ。(料理を仕上げるという)目標をきちんと共有しているから、別々のことをしていても、ばらばらではない。ほどよい距離を感じながら、時間が流れる。

キッチンは、食べたり飲んだりする前後の時間を過ごす場所だ。つまりそれは、もっぱら準備や片づけのための場所である。ふだんはさほど意識しないが、キッチンでは、食卓を囲む時間を想像しながら、あるいはふり返りながら過ごすことが多い。実際に食べている時間とくらべると、キッチンで過ごすほうがはるかに長いとさえ思う。誰かと一緒なら、おしゃべりしながら野菜を刻んだり、皿を洗ったりする。一人で過ごすときでも、いろいろなことを考えつつ、じぶんと語る。

あたらしい年度になって、大掃除をした。いま職場でつかっているのは「共同研究室」ではあるものの、シャワーやキッチンが併設された「ハウス」として設計されている。もっと早くに片づけておけばよかったと、少しばかり後悔しながら、思い切って不要なモノを処分する。単純なことながら、モノを減らすと空間に余裕ができて、その分、気持ちにもゆとりが生まれてくる。

キッチン周りも整理して、調理台をつくることにした。これまでつかっていたデスクは、立って作業をしているとすぐに腰が痛くなった。DIYの簡単なものだが、少し高めのサイズにしただけで、料理をしようという気になるから不思議だ。無理のない姿勢でいられるので、おのずと長居するようになる。つくって間もないが、まずまず好評のようだ。せっかくなので、できるだけこの調理台をつかってもらいたい。それでこそ、こしらえた甲斐があるというものだ。キッチンに誰もいないと、ちょっと寂しい。

調理台は、いつも綺麗にしておきたい。清潔であることはもちろん、つかうたびに、きちんとモノを片づけておこう。というのも、またいつでも食事をつくることができるように、調理台は「空いている」ことが大事だからだ。広びろとした調理台に、ぼくたちは誘われる。モノが置かれていない「空いている」天板は、「(調理人たちを受け入れる)準備ができている」という合図だ。キッチンで、一緒に調理台を囲む。準備をしていると、少しずつ食材や調味料が置かれて、調理台は何もない「空いた」状態から変化してゆく。調理台の上が賑やかになっていくのと呼応するように、ぼくたちのコミュニケーションのリズムも刻まれる。他愛のない話も真面目な話も、レシピの一部になるかのようで、ぼくたちは、「間」を埋めることなど気にせずに語ることができる。いい時間がうまれる。キッチンは、それを絶妙に後押ししてくれる場所なのだ。調理台の前だと話しやすくなる、もうひとつの理由は、「空いている」ところからはじまるからなのかもしれない。

『キッチン』の細かな内容は忘れてしまったが、時間の流れを、つまり人とのかかわりを見つめる場所として描かれていた。あらためて、そのことに気づいた。(つづく)
 
◎この記事は、加藤研究室のウェブマガジン exploring the power of place 第31号(2019年5月号)に掲載されました。 キッチン - exploring the power of place - Medium

大垣キャンプ

大垣で考える・つくる

ぼくたちの「キャンプ」は、いつも幸運な出会いではじまります。2019年度春学期は、あたらしいメンバーをむかえて、大垣市(岐阜県)に出かけることになりました。まちの人びとを対象に取材をおこない、その結果をもとに滞在中にポスター/ビデオなどを制作する予定です。

ここ数年、地域活性学会の研究発表大会でIAMAS情報科学芸術大学院大学)の金山先生にお目にかかる機会があり、そのたびに「何かでご一緒できるといいのですが」「大垣に行きたいです」などと言いながら、なかなか実現できずにいました。そして、ようやく「大垣キャンプ」の実施へ。IAMASつながりといえば、ずっきーこと鈴木さん(ごぶさたしています)をはじめ、知り合いがたくさんいます。カレーキャラバンのことで、(ちょっとだけど)やりとりしたとみ像さんとか。最近だと島影さんも。他にも、仕事やアートプロジェクトなどでも、IAMAS出身者に出会う機会が多いのですが、実際に大垣でフィールドワークをおこなうのは初めてのことです。
年度末はなかな調整できず4月になって、ドタバタと下見に行ってきました。大垣駅前(南口)界隈を中心に歩いて、宿泊先や作業スペースのことなどを話しつつ、まちのようすが(わずかながらも)わかりました。やっぱり歩いてみないと。そして、大垣駅のそばで「ちょいみせキッチン」を主宰している平塚さんにもつないでもらいました。下見の日にはお目にかかれなかったのですが、作業や成果報告会(ポスター展)の場所として「ちょいみせキッチン」を利用できるよう調整をすすめています。

4月7日の時点で、まだまだ調整が必要なことがたくさんありますが、なんとかなるでしょう…。「大垣キャンプ」が、36か所目。ぼくたちのポスターづくりのプロジェクトは、今年の9月で10周年をむかえます。

わずかな滞在時間ですが、まちを歩くこと、人と出会うこと、「ちいさなメディア」をつくること/流通させることの可能性や意味について考えてみたいと思います。最終日(26日)には、ポスター展と成果報告会をおこなう予定です。 

  • 日時:2019年5月24日(金)〜26日(日)(原則として現地集合・現地解散)
  • 場所:大垣市(岐阜県
  • 本部(作業):ちょいみせキッチン(予定)(〒503-0887 岐阜県大垣市郭町1-34 1Fhttp://choimise.net/
  • 参加メンバー(加藤文俊研究室):19名(大学院生 3名・学部生 15名・教員 1名)
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📢プレスリリース:大垣キャンプ(フィールドワーク)について(2019年5月16日) → http://vanotica.net/ogkp/pr_190516.pdf

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2019年4月5日(金)

スケジュール

5月24日(金)

  • チェックイン
  • 18:00〜18:30 集合:ちょいみせキッチン(〒503-0887 岐阜県大垣市郭町1-34 1F
  • 19:00〜 交流会

5月25日(土)

  • 10:00ごろ〜 フィールドワーク・インタビュー(グループごとに行動・取材先に応じて随時スタート):2名のグループで、インタビュー先に出かけて話を聞きます。もちろん、写真も撮ります。
  • 14:00ごろ〜 アイデア出し・デザイン作業(グループごとに行動):フィールドワークで集めてきた素材をもとに、ポスターのデザイン/編集作業をすすめます。
  • 17:30ごろ 夕食
  • 19:00ごろ〜 アイデア出し・デザイン作業(つづき)

5月26日(日)

  • 8:00 ポスターデータ入稿:データ提出(時間厳守)→ 印刷へ
  • 10:00〜 展示準備・設営 会場:ちょいみせキッチン(〒503-0887 岐阜県大垣市郭町1-34 1F
  • 12:00ごろ〜 「大垣の人びとのポスター展」
    (12:30〜 成果報告会;13:30〜 ふり返りビデオ鑑賞・まとめと講評)
  • 14:00ごろ 片づけ・解散

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2019年4月5日

余白の理由(1)

「余白」から考える

案内してもらうつもりで待っていると、奥から店員がやって来た。そして、席が空くまでしばらく待つことになると告げられた。店のなかを見渡すと、いくつも空席が見える。満席ではないはずなのに、ぼくは、店の前で待たされることになった。きっと、似たような経験があるはずだ。なぜ、ぼくはすぐ席に案内してもらえなかったのか。空いているのに、埋めることができない、埋めようとしないのはどういう事情によるものなのか。空いているじゃないかと言って、強引に掛け合ってもよかったのかもしれない。
一人の客として向き合っていると、この状況はわかりづらい。レストランという場所は、さまざまな〈モノ・コト〉の連携によってつくられているからだ。たとえば厨房にはシェフがいるし、フロアの担当も、準備や片づけを担うスタッフもいる。絶えず注文の情報が飛び交い、料理をのせた皿が行き来する。客を席に案内する役目には、その移りゆく店内のようすを逐次考えに入れながら、切り盛りすることが求められているのだ。空席があったとしても、店にいる客からの注文で厨房がフル回転しているときには、あらたに客を迎えることは避けたい。しばらく落ち着いてから、準備が整ってからになる。

つまり、空席があるのにぼくが席につけなかったのは、その時、一人の客を受け容れる余裕のない状況だったからだ。それは、すでに食事をしている客たち、当日働いていたスタッフの人数、目に見えない厨房の事情など、さまざまな〈モノ・コト〉のようすから、そう判断されたのだろう。
すぐに席に案内されたとしても、こんどはメニューを眺めたり注文したりするのが遅れたかもしれない。注文できたとしても、すぐに料理が運ばれてくるとはかぎらない。余裕がないとき、「余白」が必要になる。結局のところ、その時のレストランの「キャパ(許容力)」が問題だったのだ。そして、「キャパ」の有無が、店内に入ったときのコミュニケーションに表れたということだ。

どこにでもありそうな、このちいさなエピソードを入り口に、「余白」について考えてみたい。一人でも多くの客にサービスを提供し、レストランの売り上げを増やすという観点で考えれば、できるかぎり空席を減らしたほうがいい。だが、ぼくがしばらく待たされたという(ちょっとした)出来事は、時と場合によっては空席をつくっておくこと、つまり「余白」を残しておくことが、最良な判断になりうることを示唆している。たんに売り上げを伸ばすだけではなく、客の満足度を高めたり、クレームを受け取るリスクを減らしたり、あるいはスタッフへの負荷に配慮したり。さまざまな理由で、しばらくの間は客を待たせて、空席を残しておくという判断になる。

こうした考えをふまえて、自分自身のまわりを眺めてみると、さまざまな形で、「余白」との向き合い方がデザインされていることにあらためて気づく。引き続き、飲食店を例に考えてみよう。冒頭の例とは対照的な、たとえば、いまどきの牛丼屋の「余白」はどうだろう。多くの店はカウンター席だけで、案内されるのを待つ必要はない。空席を見つけて、自分でそこに座るだけだ。店によっては、自動販売機でタッチパネルに触れたとたんに厨房に注文の情報が届く。水やお茶は、セルフサービスだ。店員とことばを交わすこともない。そもそもがファストフードの部類だから、長居する客はあまりいないはずだ。単価は安いかもしれないが、一連のサービスの流れに、ほとんど「余白」は見当たらない。一杯でも多く売るために、「余白」を減らすための工夫が盛り込まれているのだ。このように、とにかく空席を減らそうという方針であるならば、無理がないように回転率を上げればいい。つまりは、効率化である。人件費を節約しつつ、マニュアル化、単純化・自動化などをすすめる。

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ジョージ・リッツアは、こうした一連の合理化の仕組みを、象徴的に「マクドナルド化(MacDonaldization)」と呼んだ。*1「マクドナルド化」は、効率性、計算可能性、予測可能性、そして制御という4つの側面を実現させていることで性格づけられる。客のふるまいが、データとして蓄積されていけば、さらに「余白」との向き合い方が繊細に調整されていくことになるだろう。じつは、それを歓迎する客もたくさんいるのだろう。
当然のことながら、「余白」は空間的な側面だけでとらえられるものではない。席に案内されなかったという出来事のなかには、すでに「余白」の時間的側面がふくまれているからだ。空席がないことは、空間的な状況としてすぐさま観察されるが、じつはその状況がもたらされているのは、調理という過程にかかわる時間的な事情によるものだ。その意味で、「余白の理由」は、空間的・時間的な側面から考えいく必要がありそうだ。

ところで、「マクドナルド化」を推奨して、「余白」を減らすことを目指せばよいとはかぎらない。合理化をすすめて「余白」のない場所ができること自体にも価値はあるはずだが、いささか慌ただしい。素っ気ない感じもする。友だちとおしゃべりを楽しみながら、外の景色に目をやりながら、ゆっくりと食事をする時間も大切だ。そんなときには、急かされることなく、席についてからメニューを眺め、料理がはこばれてくるまでの時間さえも愉しみたい。そのためには、ぼくたちにも余裕がなければならない。そう考えると、「余白」には心理的な側面もあることに気づく。心に余裕がないと、人との接し方にも影響がおよぶ。不要なミスを招くこともある。

ぼくたちの日常生活のなかには、どのような「余白」があるのか。その意味や価値に、どうすれば気づくことができるのか。そして、たとえば一日の時間の流れにどのように「余白」を配置すればよいのか。まずは、身の回りにある「余白」をさがすことからはじめよう。(つづく)

*1:ジョージ・リッツア(1999)『マクドナルド化する社会』早稲田大学出版部