まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

12回目の設営

この時期は、いつもドタバタと過ごしている。修士論文や卒業制作(卒業プロジェクト)の評価、講義科目の採点、成果報告会などなど。そのタイミングで、展覧会の設営がある。

毎年、2月の初旬に開催している展覧会。もともとは、今和次郎が1927年に新宿紀伊国屋で「しらべもの(考現学)展覧会」を開催したという話に憧れて、(その気持ちだけで)「フィールドワーク展」を開いたのがはじまりだ。第1回目は、2005年、銀座のギャラリーで開くことになった。じつは、その年度の後半は野毛(横浜市)のまち歩きをすすめていたので、銀座で野毛の調査報告をおこなうという、ちょっと不思議な展覧会になったが、教室や会議室ではなく、まちなかでフィールドワークの成果を報告するのは、とても大切なことだと実感した。

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会場を訪れてくれたのは、知り合いが大部分ではあったものの、あたらしい出会いもたくさんあった。フィールドワークの成果を、どのような形で、どのようなことばで報告すればよいのか、いろいろと考えるきっかけになった。そして、展覧会という場所を設けることで、コミュニケーションの機会が格段に拡がることもわかった。なにより、フィールドワークの成果を眺めながらだと、話がはずむ。

先日、部屋を片づけていたら、第1回目(2005年2月)の案内用ポストカードが出てきた。おもて面には、会場にたどり着くための道案内の写真が並べてある。裏面には、つぎのように書いてある。

「まちに教えてもらおう…」そう思って出かけてみました。
わたしたちのフィールドワークの本質は、“ふだん見ているけれど、認識していない世界”に触れることです。そのためには、エキゾチックな遠い国に赴くことも、また、時間を遡って過去を復原する作業も必要ありません。わたしたちのフィールドは、何気ない日常生活のなかにあるからです。
いつも見慣れている風景や、じぶんが投げ込まれた毎日を、“異人(ストレンジャー)”となって見直してみるのです。たとえばそれは ----- カメラ付きケータイを持ってまちを歩くこと、ショッピングモールでひとに話しかけること、いつもの通学路を変えること、おなじ場所に3時間留まること ----- です。ひとびとの微細なふるまいに目を向け、まちに散らばるさまざまなモノやコトを採集することによって、わたしたちの社会や文化についてあたらしい理解を創造するための、ひとつの手がかりが得られるはずです。

「フィールドワーク展I」は、2004年度「場のチカラ プロジェクト」の活動報告です。昨年秋からすすめてきたフィールドワークの成果や卒業制作の展示をはじめ、ワークショップも企画しています。展示内容等については、http://vanotica.net/fw101/ をご覧ください。

なるほど…。言っていることは、昔からあまり変わっていないようだ。10年以上経っても関心がブレないのか、それとも進歩がないのか。あの頃は「まちに教えてもらおう」という姿勢だったが、ここ数年は「まちに還そう」がキーワードになった。今年の4年生の「卒業プロジェクト」は、フィールドも活動内容もさまざまだが、いずれも「誰かに何かを還そう」というテーマでつながっている。

https://www.instagram.com/p/BBZmfX6JZUd/

https://www.instagram.com/p/BBaCTwkpZQb/

https://www.instagram.com/p/BBZpwpgJZYa/

ようやく、無事に準備が終わった。いつも、学生たちのふるまいを見ながら「このままで、だいじょうぶかな」と心配になるのだが、不思議なことに、前日の晩になると、何とか体裁が整う。毎年、設営をしつつ「大変だからもう展覧会はやめようか」などと思う。それでもひとたび場所ができあがると、それはそれですでに愛おしく感じられて、「また来年もやろう」ということになる。それをくり返しているうちに、12年目の設営が終わった。

もちろん、ずっと続けばいいと思ってきた。でも、しばらく続けているとどうなるかについては、まったく想像できていなかった。たとえば、(この10数年のあいだに)卒業生たちが家庭を持ち、子どもを連れて展覧会にやって来るようになった。その兆しはあったが、ついに今年は(ささやかながら)会場に「キッズスペース」ができた。成果発表の展覧会でありながら、毎年恒例の「同窓会」のような気分になる。一年に一度、「フィールドワーク展」の会期中に、懐かしい再会がいくつもあるのは、幸せなことだ。

ぼくだけでなく、学生・卒業生たちも一緒に、毎年ひとつずつ歳をとっていくのだから、変化があるのはあたりまえのことだ。場数(ばかず)が増えて、経験から学ぶことはたくさんある。人とのつき合いは、永きにわたって続きうることも知っている。それでもなお、わからないことがいっぱいある。それは、この先何年続けたとしても、毎年の展覧会はあたらしいということだ。

暦の上では、もう春になった。12回目の「フィールドワーク展」の前夜、今年も愉しい時間がはじまることを祝して、シウマイで乾杯した。