まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

exploring the power of place - 043

【本日発行】️🏠あっという間に学期末。加藤研のウェブマガジン“exploring the power of place” 第43号(2020年7月20日号)をお届けします。今学期のテーマは、「うち」です。そろそろ、「そと」も考えたい。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/043

◎ 第43号(2020年7月20日号):うち(3)
  • 【求む】わたしとあなたの繋がりを(喜安 千香)
  • 歩くポイントカード(藤田 明優菜)
  • 共感(中田 江玲)
  • 一人と独り(飯盛 いずみ)
  • アルファベット探し(染谷 めい)
  • 帰り道(岩崎 はなえ)
  • アマー(Nuey Pitcha Suphantarida)
  • 旅への思い(加藤 文俊)
  • 町田のうち(牧野 岳)

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exploring the power of place - 042

【本日発行】️🧑🏻‍💻 気づけば梅雨入り。ずっとオンライン生活が続いています。加藤研のウェブマガジン“exploring the power of place”も、地味ながらも続いています…第42号(2020年6月20日号)『うち(2)』をどうぞ。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/042

◎ 第42号(2020年6月20日号):うち(2)
  • 食卓での時間(坂本 彩夏)
  • 自粛バディー(牧野 渚)
  • 親子だ…(安藤 あかね)
  • 6月4日(中田 早紀)
  • 新しい「ふつうの生活」をみつめる(龍花 慶子)
  • 広がるリビングルーム(日下 真緒)
  • 通学と思考(佐藤 しずく)
  • とりもどす(加藤 文俊)
  • 飛田給(太田 風美)

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exploring the power of place - 041

【本日発行】️🏠あたらしいメンバーを迎えて、一度もキャンパスで集うことのないまま新学期がはじまっています。加藤研のウェブマガジン(2016年5月創刊)“exploring the power of place”は、5年目。第41号(2020年5月20日号)『うち(1)』をどうぞ。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/041

◎ 第41号(2020年5月20日号):うち(1)
  • ズボラな私は「どうぶつの森」でスローライフを楽むことができるのか①(田村 糸枝梨)
  • 制限の中の自由(山田 琴乃)
  • 明日やろうはばかやろうn回(喜安 千香)
  • さて、どの部屋を選ぶか(入江 桜子)
  • モノがあるということ(堤 飛鳥)
  • 所属感が足りない(安田 浩一郎)
  • Who am I?(染谷 めい)
  • 「うち」の工夫(笹川 陽子)
  • 「LINEでいいじゃーん」(廣瀬 花衣)
  • つながる調味料(Nuey Pitcha Suphantarida)

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えらび、えらばれる。(3)

他人から見たじぶん

ここのところ、「えらび、えらばれる」という関係について考えているが、学生たちは、どのように教員をえらんでいるのだろうか。まずは、専門領域で探すのだろうか。ウワサや評判も耳にするだろう。直感的にえらぶこともあるはずだ。いろいろな場面で公開される「プロフィール」に書かれているような、経歴(何を学んできたのか)や業績(どのような仕事をしているのか)といった情報は、えらぶさいの大切な手がかりになっているにちがいない。SNSへの投稿にも、おのずと人格はにじみ出る。多様な情報を集めてつなぎ合わせて、ぼくたちのイメージがつくられる。「えらばれる」という立場を意識すると、じぶんがどのように理解されているかに関心がおよぶ。

例の課題では、(仮想の「アドバイザリーグループ」を構成する)教員たちの名前を挙げるだけでなく、その理由も簡単に記してもらうことにした。それを読めば、ぼくに対して(あるいは「研究会」に対して)何を求めているのかをうかがい知ることができるはずだ。回答の内容を、整理してみた(提出された文章を抜粋し、一部書き換えてある)。

  • 「場づくり」にかんする知識と経験
  • 「卒プロ」の設計・卒プロの実現(実施)
  • 定性的調査研究の進めかた研究の他者への見せかた・伝えかた
  • プロジェクトの面白さを見つける着眼点
  • 成果物への意識記録とプレゼンテーション(共有)
  • 個別具体的な経験から人びとや都市のありかたを考える
  • テーマ選び(あたりまえのことに気づく)
  • 人に伝えることへのこだわり
  • コミュニケーションとおして形成される場所について考える
  • 観察・記録する力を身につける
  • 自分自身の表現方法や自分のスタイルについて考える
  • フィールド調査の実践
  • ワークショップの設計・実践
  • 卒プロの指導方法や研究会の運営スタイル
  • 手法と表現
  • 社会への問題提起
  • フィールドワークや概念的整理
  • 定性的な方法(観察と記録)
  • コミュニケーション・場づくり・参与観察
  • コミュニケーションへの多角的・実践的アプローチ
  • 研究の個性・研究の社会性を際立たせる

2019年12月:学生からの回答(抜粋, 一部改訂)


なるほど。ぼく自身が、シラバスをはじめ「プロフィール」などに載せている内容は挙がっているようだ。「コミュニケーション」や「場づくり」など、関心を寄せている領域も、「フィールドワーク」や「定性的調査」などの方法にかんするキーワードも書かれている。思っていたよりも多かったのが、研究会(ゼミ)の運営方法をはじめとする、いわゆる「教授法」だった。
全員が、少なくとも一学期間は、ぼくの「研究会」で活動したので、これは一人ひとりの経験にもとづくコメントだ。なんとなく、専門にかかわる内容が少なかったという印象だが、それでも、このリストに並んでいるのが、ぼくに期待されていることなのだ。それは、〈他人(学生)から見たじぶん〉だ。

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〈じぶんから見たじぶん〉と〈他人から見たじぶん〉は、ちがう。〈じぶんから見たじぶん〉には、願望や理想も表れる。見栄を張ったり、少しばかり誇張したりもする。〈他人から見たじぶん〉は、もちろん素直に受け入れるべきだと思うが、情報不足や誤解・誤読がふくまれているかもしれない。
たとえば、8年ほど前から友人とともにすすめている「カレーキャラバン」というプロジェクトがある*1。この試みについて本を書いたり、話をしたりする場面はあるが、じつは「本業」とは区別して、ひとつの趣味として位置づけている。(実際のところは、活動を始めて数年後にこの活動を事例に学会発表をしているので、少しずつ「本業」との接点を考えてはいるが。)

数年前、富山県のまちでカレーをつくったときのようすが、地元の新聞記事になった。じつは、直接、取材を受けた記憶はない。活動しているぼくたちに声をかけることさえせずに文章が綴られ、「キャラバンで慶大生が提供」という見出しで記事になった。そのときは、同じ時期に学生たちのフィールドワークもおこなっていたので、たしかに学生たちの姿はあった。でも、学生たちは地元の人と同じ列に並び、カレーを食べていたのだ。現場にいながら、記者のイメージだけで現場のようすが語られてしまった。どうやら、大学の研究会(ゼミ)の活動の一環で、カレーをつくっていると思っている人は少なくないようだ。

いまや入学試験の形態は多様化していて、自己推薦というやり方も認知されるようになった。そして、受験ビジネスをとおして「模範解答」や「必勝法」が流通する。志望動機や研究計画書の類いは、あまり一般的・抽象的なことではなく、個別具体的なことを書くのがポイントのようだ。具体的に何をしたいのかを語って、アピールするのだろう。ネットを眺めていると、「模範」となる文案が、一人ひとりの教員ごとに公開されているサイトが見つかる。ぼくの研究会を想定すると、「実際にフィールドにでかけてカレーキャラバンなど食のプロジェクトを計画・実行し、コミュニケーションデザインの有効性を実地検証する研究を行っている」*2ことを、志望動機に綴るといいのだろうか。これには、思わず苦笑した。ぼくたちは、「コミュニケーションデザインの有効性を実地検証する」ためにカレーをつくっているわけではない(そういう意味づけはできるかもしれないが)。そもそも、そんなに面倒なことを考えていたら、楽しく調理などできるはずもない。もちろん、書いた人も読んで参考にする人も、責めるつもりはない。

ごく素朴なレッスンは、〈他人から見たじぶん〉は、ぼくの思いどおりではないということだ。「本に書いてあるのに(ちゃんと読んでほしい)」「きちんと説明したはずだ(聞いていなかったのだろうか)」などと言っても、それはぼく自身の(一方的な)言い分にすぎないのだ。だから、(多少なりとも冗長に思えても)何度も、丁寧に、ときには喩えや語り方を変えて、コミュニケーションを続けてゆくしかない。そして、いささか不本意であったとしても、〈他人から見たじぶん〉を受け容れる姿勢も大切なのだろう。
これは、当然のことながら、コミュニケーションの相手についても言えることだ。ぼくが、相手を誤解・誤読している可能性は大いにある。手がかりがないから、それを探そうとする。〈じぶんから見たじぶん〉と〈他人から見たじぶん〉とのギャップがあるからこそ、コミュニケーションが続くのだ。「えらび、えらばれる」関係は、このギャップとともにつくられる。

(つづく)

exploring the power of place - 040

【本日発行】️😉「フィールドワーク展XVI:むずむず」は、無事に終了しました。加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” 今年度最後の第40号(2020年2月20日号)『えびす(5)』をどうぞ。2016年5月に創刊してから、4年。これまでに360本ほどの記事が掲載されました。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place

◎ 第40号(2020年2月20日号):えびす(5)
  • Take-ins from Yebisu(牧野 渚)
  • お買い得情報(高島 秀二郎)
  • 在るものとして扱う(安藤 あかね)
  • 恵比寿はつづくよどこまでも(廣瀬 花衣)
  • フィールドワーク展という場のチカラ(大橋 香奈)
  • おわり。はじまり(森部 綾子)
  • 仲良くなれただろうか(染谷 あい)
  • ステッカーの痕跡(堤 飛鳥)
  • 純喫茶日誌(佐藤 しずく)
  • Ichi-go Ichi-E(Nuey Pitcha Suphantarida)
  • 誰もいない場所には帰れない(牧野 岳)

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