まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

風越キャンプ(ポスター)

ポスターをつくる

(2021年11月23日)およそ2年ぶりのポスターづくりのプロジェクトです(この日が来るまで、長かった…)。今回は、8名のかたがたにインタビューをおこない、ふた晩かけてポスターをつくりました。“ポスター展のポスター”をふくめて9枚。取材にご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
状況は好転しているものの、まだCOVID-19の影響下にあり、宿泊をともなう活動ができません。今回は、日帰りで取材をし、翌々日までにポスターを完成させる(いつもとちがう)段取りですすめました。成果報告会は、オンライン/ハイフレックスでの実施を計画しています。
(2021年11月30日)成果報告会を終えて、ポスターを公開しました。

風越の人びとのポスター展
  • 会期:2021年11月30日(火)20:00ごろ〜
  • 成果報告会:2021年11月30日(火)17:00〜 オンライン/ハイフレックスで成果報告会をおこないます。(報告のあと、ふり返りビデオ鑑賞・まとめと講評成果報告会は終了しました。ありがとうございました。
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2021年11月30日(火)|成果報告会(リモートで風越学園とつないで実施)

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2021年11月30日(火)|成果報告会(リモートで大学とつないで)写真提供=中田早紀

 

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B面 写真提供:堤飛鳥

 

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「キャンプ」の練習

2021年11月16日(火)

全国のまちを巡る「キャンプ」では、ポスターづくりのプロジェクトをすすめてきましたが、COVID-19の影響で、2年近く休眠状態にあります。変則的ではあるものの、日帰りで「キャンプ(→ 風越キャンプ)」を実施することになったので、これまでのブランクを埋めるためのウォーミングアップとして、2時間半ほどで取材〜ポスター制作までを体験する「キャンプ」の練習をおこないました。

おおまかなスケジュール
  • 15:00〜 「キャンプ」とは(ぷちレクチャー)
  • 15:30 グループ分け+ドラフト会議
  • 15:40〜16:30 グループごとに取材(インタビュー+写真を撮る)
  • 16:30〜 ポスターづくり
  • 17:30 プレゼンテーション(+ふり返りビデオの上映)
  • 18:00 終了

この日は18:00過ぎから会議が予定されていたため、講評・ふり返りができなかったのですが、ぎゅっと3時間に凝縮した「キャンプ」で、ひさしぶりに味わうスピード感は、なかなかよかったです。これで、少しずつでも勘を取り戻すことができればと思います(取り戻すというより、初めての学生が大部分でしたが)。
じつは、「キャンプ」でのふるまいは、詳細なところまで言語化(活字化)されることはなく、現場での口承に近いかたちで引き継がれてきました。COVID-19によって、ある種の(口承の)断絶が起きているともいえます。そのことを憂ういっぽうで、これまでの準備や運営について、あらためてチェックする機会をえたと考えることもできます。

ポスター

上記のスケジュールで進行し、つくられたポスターです。

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ビデオ(ドキュメント)

ドラフト会議〜ポスター制作までのようすを記録したダイジェストビデオです。

◎ビデオ撮影・編集:山本凜

風越キャンプ

風越で考える・つくる

全国のまちを巡る「キャンプ」は、COVID-19の影響を受けて、2019年12月に宮崎県日南市の飫肥(おび)に出かけて以来、ストップしています。とはいえ、動きを止めるわけにはいかず、この2年近くは、状況を見ながらオンラインのインタビュー(ちょっと窮屈な毎日)、駅での風俗採集(人びとの池上線, 人びとの世田谷線, 人びとの多摩川線)、「ムービーキャンプ」などをすすめてきました。いずれにせよ、移動や交流・交歓の機会は著しく制限されていて、出かけた先のまちを自由に歩いたり、人びとに話を聞いたりする活動は実現しませんでした。いまだに安心はできないものの、状況は好転しているので、やや変則的ながらも「キャンプ」を再開することにします。
今回は、これまで続けていたように、人びとを対象に取材をおこない、その結果をもとにポスター/ビデオを制作する予定です。ただし、現時点では(大学の「研究会」として)宿泊を伴う活動は禁止されているため、日帰りが可能な対象地をえらび、複数日に分けて全体のプログラムを構成することになります。

【きっかけ|つながりの系譜】軽井沢風越学園は、あの本城さんが設立の構想を発表したころから、もちろん知っているわけですが、2014年の11月(すでに7年前だった)に、海士町で辰巳さん(まりこさん)と知り合いになり、その後は細々とやりとりしていて、気づいたらまりこさんが風越の広報担当になっていたのです。「いずれ、風越でカレーキャラバンを…」と話していました。
いっぽう(ほぼ同時期に)、カレーキャラバンのリーダー(亜維子さん)が、ほっちのロッジ藤岡さん(さとこさん)とやりとりをはじめていました。つまり(説明するの難しい)、リーダーとさとこさん、ぼくとまりこさんが、別々に軽井沢でのカレーキャラバンについて話をすすめていたのですが、じつは風越学園とほっちのロッジは密接な関係にあったというわけです。そして2019年9月、柳澤農園・よこみち農園で、カレーキャラバンを実施しました。そのとき、風越学園はまだ開校準備中でした(2020年4月開園)。けっきょく、それ以来、カレーキャラバンもCOVID-19の影響で休みが続いています。

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2019年9月14日(日)柳澤農園(カレーキャラバン)

(その後2年近くはCOVID-19に翻弄されていたのですが)2021年秋学期を迎えて、少しずつフィールドワークなどもやりやすい状況になりつつあって、どのように「キャンプ」を計画するか悩んでいました。そんなタイミングで、まりこさんから連絡があって、東京で会う機会がありました。それまでは、あまり考えていなかったのですが、ひさしぶりに会って、そのときに一緒に来ていた曳田さん(ゆうこりん)とともに、あれこれ話をしているなかで、軽井沢なら日帰りができそうだということに気づきました。

日帰りという制約のなかで、実施できるかどうか。学生たちに日帰り案を投げかけてみたら(やはり窮屈な毎日が続いていたことへの反動なのか)、18名が「参加」を表明しました。というわけで、やや急ごしらえではあるものの、実施に向けて準備をすすめようと思います。
わずかな滞在時間ですが、まちを歩くこと、人と出会うこと、「ちいさなメディア」をつくること・流通させることの可能性や意味について考えてみたいと思います。まずは日帰りで取材をおこない、ポスター展と成果報告会は、後日、別の日程でおこなう予定です。  

  • 日時:2021年11月21日(日)(現地集合・現地解散)*成果報告会は別途設定
  • 場所:長野県軽井沢町
  • 本部(作業):軽井沢風越学園(〒389-0113 長野県北佐久郡軽井沢町発地1278-16)
  • 参加メンバー(加藤文俊研究室):19名(学部生 17名・大学院生 1名・教員 1名)*11月6日現在

スケジュール(暫定版)

11月21日(日)
  • 12:30〜13:00ごろ 集合:矢ヶ崎公園・町営駐車場(〒389-0104 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東19-30)(昼食を済ませて集合)
  • 12:30〜13:00ごろ フィールドワーク・インタビュー(ペアごとに行動・取材先に応じて随時スタート):できるかぎり取材協力者の日常に接近して、その「生きざま」をとらえます。
  • 〜16:30ごろ 軽井沢風越学園( 〒389-0113 長野県北佐久郡軽井沢町発地1278-16)
    • 学園見学
    • まとめ
  • 17:00ごろ 解散(17:32発 🚌 風越公園→軽井沢駅)
〜11月23日(火・祝)
  • アイデア出し・デザイン作業(ペアごとに行動):21日(日)の取材後、ポスターのデザイン/編集作業をすすめます。
  • ポスターデータ入稿:データ提出(11月23日 12:00, 時間厳守)
  • ダイジェストビデオ:データ提出(11月23日 12:00, 時間厳守)
11月30日(火)
  • 成果報告会(オンライン/ハイフレックス):報告のあと、ふり返りビデオ鑑賞・まとめと講評
  • 12月1日(水)00:00〜 ポスターをウェブで公開 https://camp.yaboten.net/entry/kzksh_posters

『XXの社会学』を考える

出典:この課題について https://vanotica.net/books_21s/about.html

『XXの社会学』を考える|Sociological Books of Every Damned Things

https://vanotica.net/books_21s/

ケン・プラマーは、『社会学の教科書』(2021, ちくま学芸文庫)の導入として、「あらゆるどうでもいいものの社会学(原著ではA socilology of every damned thing)」について述べている(第1章)。社会学では、壮大なことから些末なことまで、「あらゆるどうでもいい」(と思われる)ものが、研究の対象になるというのだ。プラマーは、3つの「T」を挙げて、この実態を説明する。「トマトの社会学」「トイレの社会学」そして「テレフォンの社会学(電話の社会学)」である。そして、いずれの「T」についても、具体的な調査研究の事例が紹介される。どれもが、人びとの日常と結びついた社会的な事物・事象として理解できることに、あらためて気づくだろう。

「なんでもアリ」は、社会学的想像力を駆使すれば、さまざまな〈モノ・コト〉を研究対象として柔軟に扱えることを示唆している。同時に、「なんでもアリ」は、優れた研究からそれほどでもない研究まで、そのクオリティを保証しないまま(できないまま)、一緒くたにすることにもつながる。実際に、「それっぽい」社会学の本は、たくさんある。「あらゆるどうでもいいもの」に向き合いながら、調査研究の信頼性・妥当性について、自らの意識や要求水準を高めなければと自戒する。

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2021年度春学期の「研究会」では、この『社会学の教科書』を「教科書」に指定した。プラマーの本に着想をえて思いついたのが「『XXの社会学』を考える」という課題である。学生たちは、『XXの社会学』という本を書くつもりになって、説明文やはじめに(序文)を書いて、さらに架空の本の表紙をつくってみる。判型や文字送り(縦書き/横書き)もふくめて、一人ひとりがまだ見ぬ社会学の本を想い描く。
もちろん、「XX」は「なんでもアリ」だ。(3つの「T」になぞらえて)じぶんのイニシャルから考えてもいい。4年生は、じぶんの「卒業プロジェクト」を出版するつもりでアイデアを整理するのに役立てることもできる(本当に成果を出版できる可能性もある)。このウェブには、一人ひとりが構想した本の書影と200〜300字程度の紹介文が掲載されている。

ぼく自身は、この課題に取り組む学生たちのようすを眺めながら、『課題と評価の社会学』を思いついた。職業柄、学期が来るたびに課題を考え、学生に投げかける。課題に応えようとする学生たちと向き合いながら、課題そのものについて再考する。そのくり返しである。「よい課題」は、いきいきとしたコミュニケーションを促し、提出後にも余韻が残る。学生たちは、「それほどでもない課題」は、とにかく終わらせることを目指して取り組むようになり、(その過程を見て)評価する立場の教員も、いささか事務的な態度に変わることもある。
だから、課題の設計は難しい。いうまでもなく、課題と評価がセットになって反復されることで、「教育」のある側面が成り立っている。課題と評価は、社会のありように洞察をくわえる「入り口」になるはずだ(『課題と評価の社会学』については、別途まとめる予定)。

vanotica.net

生活記録としてスケッチをすることに関する研究

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

牧野 渚

調査概要

本プロジェクトでは、生活記録としてまちの人々をスケッチします。日々の生活の中でなるべく頻度高く調査を行い、より多くの人を描きます。この調査は、アメリカのアーティストであるジェイソン・ポランのEvery Person in New Yorkというプロジェクトの取り組みをなぞっています。全てのニューヨーカーを記録したいという好奇心から、毎日のようにニューヨークにいる人々のスケッチをしたプロジェクトです。そのスケッチの集積はアート作品として世に広まったと同時に、彼の生活記録でもあります。具体的な方法としては、お気に入りのスケッチブックとペンを持ってまちを歩いて、彼なりに気になる人を見つけると、相手が気づかない程度の自然な距離を保ってその様子を記録します。対象物をじっくりと観察しながら描く基本的なデッサンの方法とは異なり、いついなくなってしまうかわからなくても、その人の様子を直接見ながらほんの数分の間に特徴を捉えます。そのため、描いている途中に被写体の人が動けば線は二重に描写され、片腕を描いている途中でその人が立ち上がって移動をすればもう片方の腕は描かれません。彼は他のツールに頼ることをせず、自分の目だけを信じ、記録をする上で忠実さを大切にしていました。
のちに、描いたスケッチをスケッチブックからひとつひとつ切り抜いて物理的に並び替えながらレイアウトを吟味し、それらをスキャンして組み合わせたものを画集として刊行しました。各スケッチには日付や場所などのメモが少し記載されている程度で、説明文などは特に加えられていません。ことばによる情報はなくても、集積されたスケッチを見た人はその規模に感銘を受けると同時に、スケッチと経験の中で見てきた景色が結びつけられていきます。鑑賞者の記憶を刺激し、想像力を掻き立てることを通して、各々の解釈がつくられていきます。彼が行った記録は主観的で個別具体的であるからこそ、鑑賞者を選ぶことなく、見た人が内省的にものごとを考えるきっかけになると考えられます。

調査フィールドについて、プロジェクトの調査計画を立てていた段階では、自分が現在住んでいる横浜市に定めていました。しかし、現在は少し変更をして取り組んでいます。ニューヨークはまちに特徴があり、その地域性を活かすために彼はそこをフィールドとして選んでいたと考えられます。一方で、横浜市をひとつの地域としてみたとき、また他の地域と比べたとき、横浜市ならではの特徴や惹かれるような魅力は感じられませんでした。むしろ狭い空間に人が密集していることによる息苦しさばかりが目についてしまい、積極的に調査を行うことができなくなっていきました。また、自宅からアクセスのいい場所として自分が住んでいるまちを選んでいましたが、生活は横浜市の中だけで収まるものではないため、そこに限定することに想定外の難しさを感じていました。例えば、電車に乗って横浜から都内まで移動をするとき、自分が乗っている電車は変わっていないのにも関わらず、フィールドから出た途端に記録を制限されることにも強い違和感を抱いていました。そこで、調査自体は自分が訪れた場所でその都度行い、最終的にひとつにまとめるときに地域性を踏まえて整理を行おうと考えるようになりました。そのため、今学期はフィールドを限定せずにスケッチによる記録を行いました。この方法をとるようになってから、調査がより生活に馴染んでいったので、負担が減りました。

記録方法

「キャンプ」という、加藤研で行っている活動を通して、このプロジェクトの記録方法について改めて考えました。以前は宿泊を伴うかたちで「キャンプ」を行っていましたが、コロナの感染が拡大してからは従来と少し違う方法で取り組んでいます。東急池上線や多摩川線などの小規模な路線を選び、そこの人々を加藤研メンバーで同じ日時にスケッチをするというプロジェクトです。描写の方法は自由で、ジェイソン・ポランのようにその場でスケッチをする人、現場の様子を撮影してそれを元に後からスケッチにおこす人、撮った写真をiPadでトレースをしてイラストにする人などがいます。そのため、さまざまなやり方をみることが、改めて自分の調査方法について考えるきっかけになり、集団で自分の卒プロと似たような取り組みをすることで得られた気づきがあります。

記録方法については、その場の様子を見て直接描いたスケッチの解像度の低さが、描写をする人とされる人の精神的な安全を守ることがあると感じるようになりました。自分の卒業プロジェクトが誰かに不安を感じさせてしまうものにはしたくないため、この方法で進めていくことに決めました。また、そうすることで、記録者の視点が強く反映されるとわかりました。写真をなぞるとイラストとしての完成度は高くなる一方で、全体的な精度が均一になります。そのため、描いた人がどのようなところを注視しながら描写をしていたか、客観的に見たときに汲み取ることが困難になります。一方で、被写体がいつその場から離れるかわからない状態におかれると、自分が記録したい情報に無意識的に優先順位をつけます。例えば、重心を崩してずっしりとしたバッグを肩にかけている様子や、ホームのベンチに座って靴の中の石ころを出そうとしているところを見たときは、髪型や衣類の色についての記録より、その様子を描写したい気持ちを優先したくなります。完成したスケッチは左半身や足元だけの限定的なものになったとしても、その欠如こそが記録者が行った情報の取捨選択を表現します。デッサンやイラストとしての完成度より、このような表現を求めているとわかりました。

さらに、スケッチは生活記録の手法として汎用性が高いことに気がつきました。記録の対象物を選ばないことに加えて、記録をする人の技量もあまり必要としません。文章での記録と同様、訓練をすることで表現力がついていきます。絵を描くことに苦手意識があって、「キャンプ」に対して不安を抱えていた人も、描いているうちに個々のスタイルが絵にあらわれるようになることで自分が描いたものに対して愛着が湧いていき、それが楽しさややりがいにつながっていく様子が見受けられました。生活記録においてスケッチをすることの専門性は低く、さらにプロジェクトを進めていく上では参加者を増やすことも可能だと考えるようになりました。

活動報告の方法

活動の報告は、動画の制作と公開によって行っています。加藤研で取り組む卒業プロジェクトは特にパーソナルな部分に触れることが多いからこそ、周りの人や他者がそれを理解するために追わなければいけない文脈も多いです。大事だとわかっている上でも、それが負担に感じる場合があると想像します。加藤研内外の人に関わってもらうために、アクセスのハードルが比較的低いYouTube上で制作した動画を公開しています。こうすることで、興味を持ってくれた人にこのプロジェクトについて知ってもらうことができ、広がりを持たせることができています。

また、ものごとに対して母国語である日本語での理解をしている場合と、英語での理解をしている場合あります。そのため、動画の中では場面に応じて使い分けをして話しています。編集ができるという動画の利点を活かし、動画全体を通して日本語と英語の字幕をつけているため、可能な限りオーディエンスの限定をしないようにしています。話しているときはできなかった表現も、字幕をつけるために翻訳をしているうちに思いつくことがあり、両方の語彙力を補い合うための訓練にもなっています。

まとめ方について

最終成果物については、これから緻密に計画をしなければいけない要素がたくさんありますが、今年度のフィールドワーク展では主に原画の展示をしようと考えています。展示期間までに使ったスケッチブックを積み上げて、来場者が自由にページをめくって記録を見ることができるようにします。感染対策をしっかりと考えた上での場の設計をしなければいけないため、状況に応じた工夫が必要です。また、オンラインでの開催になったときのことも想定しておく必要があります。そうなった場合は、スケッチを一覧にまとめたウェブサイトを作って公開をするなどの方法をとります。これに加えて、冊子を制作します。具体的なまとめ方については、溜まったスケッチの様子を見て、それらを表現する方法として最も合っているものを選んで冊子をデザインします。期間中は展示会場に在廊し、来場者をスケッチします。もし実際にスケッチをしてみたいという人もいれば、ジェイソン・ポランが行ったTacobell Drawing Clubのように、一緒にスケッチをする時間と場を設けたいと考えています。

1920年代に、Every Person in New Yorkで行われていたような生活記録に重きを置く「考現学」という分野を提唱した、今和次郎という建築家がいました。彼はこのような記録について「結論をうるためのものでなく、暗示的な結果をあげ、発展のレールを敷くための枕木の役をすればたりるのである」(『考現学入門』ちくま文庫, 1987)と語っています。長い期間をかけて描いたスケッチが、思考やコミュニケーションのきっかけになることを目指します。