まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

日々を現像する:スナップ写真を通した場へのまなざしの変化

(2024年7月16日)この文章は、2024年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

背景

私は「世界をどうやったら丁寧にあじわえるのか」をずっと考えている。どちらかというと、つくること、よりも、今あるものをどう味わうか、の方が実は難しいのではないかと思っている。それは、ささやかで、放っておいたら気づかず通り過ぎてしまいそうなものに目を向けることができるかと同義だからだ。

『世界をきちんとあじわうための本』という本が大好きで何度も読み返しているのだが、この本の表紙をめくるとこんな言葉がある。
>世界をきちんとあじわおうとすれば、まずはそれに気づく必要があります。でも、それはとても難しい。なぜなら、世界はあらゆるもののすべてを含むので、誰もその外側に出て、丸ごと「これが世界です」と示すことができないから。世界とは、みんなその内側に住みつつ、生きながら気づくしかないもの。
ただスローに生きたり、知る人ぞ知る逸品にこだわる洗練された生活を送ることではなくて、呼吸をしたり頬にあたる風に季節を感じたり意味ではないものに気づくことだと。

いつもここではないどこかに居場所を探していた私にとって、はじめて、世界をきちんとあじわうことと身体が結びつき、大きく息を吸える場所があった。編集者・あかしゆかさんが瀬戸内海の海のそばで営む本屋・aruだった。私は最初、このaruをフィールドに据えて卒プロを進めようとしていた。
春学期の中盤に差し掛かるころ、卒プロの中心に据えるものがaruから変わってしまったが、この成果報告は、卒プロを進める中で紆余曲折した自分を残しておくための文章でもある。だからまずは、6月ごろまでのaruでのフィールドワークの話を、先にちょっと書いておこうと思う。
高校卒業までの18年間岡山にいた私は、aruが2021年にオープンしてから大型休みの帰省のたびに訪れていた。数ヶ月に1回の帰省していたのが、"卒プロ"という嬉しい口実で、2024年2月から、毎月、月に数日だけオープンする日に合わせて岡山に通えることになる。毎月、少しずつ変化していく空間や、あかしさんとお客さんのささやかなやりとりなどを記録していた。3月から時々お店のお手伝いをさせてもらえることになり、店主でもお客さんでもない、あいだの不思議な存在としてその空間に居座り、常連さんと仲良くなったりした。aruに訪れるお客さんがぽろっとあかしさんにこぼす言葉、物理的には来れないけども「海から届く」という選書サービスを通してaruとかかわりをもつお客さんがわざわざペンを握り書いた何通もの手紙、お客さんが教えてくれるお花の意味や、知らない国のある日の大切な慣習。通うたびにゆかさんが嬉しそうに話してくれるのが毎月楽しみだった。aruという場にかかわりをもつ人たちが、それぞれ持っている自分なりの世界を愛する術が気づいたら溢れ出ている場。そんな「場を編集する」ことに興味を持った。aruという空間にあるものや、あかしさんのお店でのふるまい方やその背景・考えていることにヒントがあると思い、それを自分なりに要素分解していった。その中で私はあることに気づいた。確かに店主はあかしさん1人なのだが、aruという場は、あかしさんだけが世界観を完璧につくりあげているのではなく、お客さんの場の受け取り方・感じ方に自然に委ねている部分が大きい、それを何よりも大切にしている、と。
そうなると私の問いは、aruという場に限定せずとも「人はどのようなまなざしで場や世界をみたり、残そうとしたりしているのだろう」ということに変わっていくのである。(一周回ってきた感覚とも言える。)

カメラと私

そんな問いをもちながら、場と編集という大きな(とても抽象的な)ことばに頼りすぎることなく、社会調査(研究)を行いたいと思うようになった。そこでまず、私自身の生活に紐づいた世界へのまなざし・見方を顧みるようになった。私にとって、きってもきり離せないのが、毎日首からさげているカメラの存在だった。
大学1年生のころは、祖父からお下がりでもらった両手でもつのがやっとのサイズの大きくて古いCanonを使っていたが、2022年の12月、遂に新宿の北村写真機店で運命を感じたカメラを手を震わせながら買った。人生で初めて、「私のカメラ」を手にしたのだ。
そのカメラは、Fujifilm xpro-3。単焦点レンズの35mm(カメラのセンサーサイズ換算で50mmになる)と組み合わせて使っているため、ほぼ人間(私)が見えている世界をそのままレンズを通してうつしていることになる。
私は、去年の冬前からどこへいくにも毎日これを首から下げて歩いている。いつもと同じ道を歩いていても、どこかに向かっていても向かっていなくても、「あっ」と思った瞬間があったら、カメラを向けてシャッターをきる。カメラはもうほぼ私の身体の一部くらいに同化していて、カメラを持ち歩けない日は、気持ち悪くてとてもソワソワしてしまう。私の身体に備わる第6の感覚器官のような働きをしていて、私の世界との関わりを広げている。
実はこのカメラ、買ってから1年経たずに液晶画面が突然映らなくなった。しかし、修理のために数ヶ月このカメラから離れる生活が考えられなかったのと、元来カメラはファインダーを覗いて撮るものだよなという原点回帰的な考えによって、壊れたまま(壊れているという感覚はもう私からほぼ消えているが)そのまま使い続けている。
「これを撮るために!」などという目的を持ってカメラを持ち歩くのではなくても、生活する私の身体の一部にカメラがあること、そのことによって確実に私のまちや場に対する見方は確実に変わっていった。
スマートフォンを使って写真が大量に撮影できて、そしてそれをすぐにSNS上でシェアできる現代、プロのカメラマンなわけでも、写真家と名乗り生きているわけでもない私が、わざわざ毎日カメラを首からさげてまちにくりだし、スナップ写真を撮る。私は何をそんなに日々残したいと思っているのだろう。カメラを持ってまちを這うときのあの感覚。世の中は些細な人間らしさと小さく転がる美しさで溢れている、それに目を向けたい、残したいと思う感覚。ここを丁寧に紐解くことで、まずは、私が、カメラを持ったことで場というものをどのようにみているのかに近づけるのではないかと思った。

スナップ写真を通した一人称研究

今後頻出する単語である、「スナップ写真」とは、日常の出来事や風景の一瞬を捉えた写真のことである。何か特別なセッティングをするのではなく、ありのままを写したもの、つまり、私が写真を撮るためにモノに対してなんらかの指示や変化を加えたりはしないで撮影した写真のことである。
スナップ写真は、私とそこにうつる人・ものとの距離感を色濃く反映している。写真のフレームというのは、撮る人が移動しカメラを動かすことによって流動していく枠であり、つまり、とても能動的・行動的な空間意識が貫かれていることになる。自分の足を使って動き回り、「撮りたいと思ったその瞬間(や被写体)を目撃した私」の存在が必ずあるのだ。『カメラは、撮る人を写しているんだ』の中では以下のように語られている。《写真には必然性がある、なぜ他でもないこの瞬間、他でも無いただ一つのそれを選んで撮ったのか、撮らないで無視することもできたはずなのになぜか撮った。(中略)写真は生み出しているのではなく選択しているのだ。》と。まさに、どうあじわうかの話とリンクする。ただ、私がカメラを構えた時の眼はいつも他人や外の世界に向けられていることになる。カメラを自分に向けることがないように、自分を見ることに関しては意識を向けたことがあまりなかった。雲の写真一枚見返すときでも、ただ雲のたたずまいを写した科学的な写真を撮ったわけではなく、その雲のたたずまいに見入った私という人間がそこにいたということが重要なのだ。
誰のために撮ったわけでもなかったスナップ写真たちはパソコンのソフトに取り込まれそのまま眠っていたけど(まだパソコンにも取り込まれていないものもある)、もう一度全部掘り起こしてみる。これまで撮り溜めていた写真を11月からざっと数えて1430枚、その日に歩いた距離や歩数、誰といたか、何をしていた日かを見返して、スプレットシートに記入して分析していくことから始めた。意外と1枚も撮っていない日があったり、似たような写真をすがるように何枚も撮っていた日もあったり。撮影してから時間が経って、ある意味私の身体から一度離れていった写真を、その日の記憶と結びつけて食べなおすことで、私は何を残したいと思っているのだろうという問いに近づこうとしている。つまり、私が、現場で出合ったモノゴトを、その個別具体的状況を捨て置かずに、一人称視点で観察・記述し、そのデータから新しい仮説をたてようとする研究、一人称研究からはじまった。

他者と振り返ることで変化する"撮る"行為

私がカメラさえあれば何時間でも歩き続けられる楽しさを他者に熱弁すると、「その感覚全然わかんない(笑)」と言われるのがたいていだ。しかし、まれに「カメラ欲しくなってきたんだけど...まず何から選んだらいい?」と聞いてくれる友達がいる。まちを這ってスナップ写真を撮る共犯者が増えていくのがとても嬉しい。そして、ついに、1ヶ月近くにわたる作戦会議を経てカメラの購入を決心した友達と、6月末に、私の家のまわり(日本橋)をルートを決めず一緒に歩き、お互い好きに写真を撮って、帰ってから、お互いの撮ったものを見返し、送り合って対話(おしゃべり)をした。私にとってはいつも歩いているまちで、彼女にとってはほぼ初めてのまちということもあるが、同じ場所を歩いても、見ているものも切り取るものも全然違うということの面白さを再確認すると共に、撮影した写真をお互いに見せ合って言葉にする行為を通じて初めて気づける、"私が撮る世界の輪郭"が浮かびあがることに気づいた。
その時に印象に残った具体的な話をひとつ挙げる。撮った写真を見せ合っていた時に、友達が「幸歩の写真、背中多いね」とぽろっとこぼした。それまでは全然意識していなかったけど、これまでの写真ももう一度全て見返してみる。すると、枚数でいうと全体の10%、日数でいうとスナップ写真を撮っている日のうちの1/3は背中の写真を撮っていたことに気づく。(*下資料1参考)また、空港に行った日のジャーナルにも、空港にいる人の背中の表情について言葉を綴っていた日があった(*下資料2参考)。なぜ背中なのか、カメラを向けていることを気付かれるかもしれないという恐れからなのか、無防備な人の瞬間をキャッチしたいのか、背中から何かを読み取ろうとしているのか、その人の向こうに広がる場所が気になっているのだろうか、私はその発見をした日から"背中"という言葉が妙に脳内を駆け回るようになった。なんとなく、で残していた日々がデータとして浮かび上がってくると、それによって新たな発見があり、発見したことによって私の場の捉え方や、写真の撮り方も変化するのかもしれない。でも、毎日のスナップ写真にことばを与えることで生まれた、自身の撮る時の変化自体も、楽しみたいと思っている。
この行為について考えている時に、スナップショットという手法に強くこだわり続けた森山大道という人物について語られている本の中の、印象的なことばがよみがえってきた。《ひとりの人間のなかに、見たものを「撮る人」と撮れた結果を「見る人」という二つの人格が存在するのである。「撮る人」は狩りに似た興奮に操られてシャッターを切るが、「見る人」はその興奮がおさまった状態で眺める。両者の関係は、試合を終えたスポーツ選手に似て相反しがちなのだ。(中略)それまでは見るだけに終わっていたイメージを残し、見直し、それに 触発されてつぎの写真を撮る、というふうに世界を相手にエネルギーを循環させる方法が見つかったのである。》(『スナップショットは日記か?』-大竹昭子)。
撮った写真そのものにも、私が「撮る」際にみている世界や思考があらわれているが、実はそれらを通して、その時の自分にことばを与えたり、それを他者と交わしたりして初めて表出するものがあるのだと気づいた。

*資料1

*資料2

卒プロ2に向けて

私は日々何を残そうとしているのか、という問いをもって、私とカメラと場所へのまなざしの関係に近づこうとしている。私のフィールドは、空間的にいうと私が移動している世界中のどんな場所でも、時間的には第三の目(カメラ)を携えている間ずっと、にまで広がった。卒プロ2では、まずは、引き続きこれまでのスナップ写真のデータをあらゆる角度から分析してみるとともに、日々の"撮る"行為自体をわたしのことばに翻訳しながら観察していく。具体的には、①これまでと同じように日々スナップ写真を撮る ②写真を見返して私がなぜそれを撮ったのか、撮った時の気持ち、見返した時の気持ちや気づきを言葉にする ③その写真とことばを友人に送り、話す。(カメラを使っている友達に送るか、カメラを持たない友達に送るかなどは迷っているため、ひとまず絞らず複数人に送ってみる。)
私の卒業プロジェクトは「人はどのようなまなざしで場や世界をみたり、残そうとしたりしているのか知りたい」という想いが根底にあるため、私以外の協力者(例えば6月に一緒に歩いた友人や写真とことばについて語っている友人)が、カメラを持ってまちに出た時に撮った写真から彼女自身について語りたくなるくらいまで設計できると、より当初の問いに近づき深みを増していくと考える。その背景として実は、6月に自分自身の写真の分析をする前に、私がある4枚のそれぞれ別の場所で撮影したスナップ写真を何人もの友人に見せてその写真から想起したものをテーマに文章を書いてもらうことをしてみた。ひとつの場に複数の場の記憶が重なり語られていく初めての感覚を覚えたものの、私がその人のために撮影したわけではない写真に強引に結びつけることで場の捉え方をわかった気になってはいけないと強く思ってしまった。そんな理由からも、写真に自己を見出すことにおいて、何らかの言葉を紡ぐその人自身がカメラを構えていることが重要なのではないかと思うようになった。映画学に関しては、社会学や美学に基づいた研究が活発であるが、写真学は歴史や技法に関することは語られても社会学などと紐付けられて語られることはあまりないといわれている。被写体の了承なしにカメラにおさめるという、スナップショットが時にもちえてしまう暴力性に慎重になりつつも、私自身や、カメラを持ちまちに出てゆく友人たちが、その狭間の中でどう揺らぎながら、カメラを覗く"私"に近づけるかを調査していきたい。
私は今日もまたカメラをさげてまちに出る。

(山本 幸歩|Yukiho Yamamoto

奄美大島における「らしさ」の探求と帰属意識の変遷:過去の記録と現在の視点を通じて

(2024年7月16日)この文章は、2024年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

はじめに

新たな場所を訪れた際、その場所に馴染むために、言葉を変えたり、服装を変えたり、ローカルなお店に顔を出したりすることで、あたかもこの場所を知っていたかのようにふるまうことができる。そして、このまちの一員として社会の誰かから認めてもらえているような感覚になれる。もしかするとそれは、まちに溶け込むためのマナーであり、まちで生活をしている他者から課せられたミッションなのかもしれない。このプロジェクトは小学校6年間の間に積み重ねられた日記や手紙、写真や映像、そして人を手がかりに、過去をすくいながら当時は言葉にできなかった思いを、23歳のわたしなりの言葉で文字に表し、過去の自分と現在のわたしを繋ぐプロジェクトである。島をでて10年以上経ったのにも関わらず、奄美大島という場所とそこでの記憶に囚われているわたしがいることを当時は想像もしていなかった。そして当時から、薄々と感じていた島独特の集団意識からの疎外感や、自分自身の島における縦と横の繋がりの希薄さに、孤独さを感じ、どうしようもない劣等感を感じていた。しかし誰かに伝えたところで解決するような問題でもないことは当時も理解していて、もやもやを自分の中の心にしまっていた。シマンチュ(島人)らしく生活をすること。わたしは小学校の6年間の中で、新たな土地で生活をする際は、その「場所らしさ」に馴染む必要性があることに気がつき、適応しながら生活していたようだった。移住して2週間で方言を話し、一人称を「わたし」から「ひなこ」に変えた。スカートやフリルのついた洋服は一切やめて、動きやすい半袖と短パンになった。まだ知らない誰かから評価される「変わり者」を怖がり、奄美大島らしさに馴染むことを知らず知らずのうちに望んでいたのかもしれない。島の人はよく「内地」という言葉を使うが、わたしも小学校4年生の時に参加した、奄美本土復興周年が大々的に行われていることからもわかるように、奄美大島は本土から離れた「離島」という意識が強く根付いており、それほど島内での集団意識が強いのだと感じる。わたしは内地からきたよそ者を隠すことが自分が傷つかない方法だと、15年前から感じていた。それは、奄美大島らしさがよく、人があたたかく、アットホームな雰囲気と語られることの言葉に隠れている、島独特の集団意識やまちでの縦と横の繋がりの強固さを表現しており、2泊3日の旅行者が郷土料理屋や地元の居酒屋を訪れるだけでは、感じえない、つながりへの劣等感逃げる方法である。かつて何度も、集落単位で出身地を問われたり、苗字を聞かれて惨めな気持ちになったように、奄美大島への移住者は生活の要所要所で疎外感を感じざるをえなくなっている。奄美大島に移住した知り合いから「東京にいる奄美の人は楽しい。」という声を聞いたことがあるが、そう感じざるを得ない状況を作っている原因はどこにあるのだろうか。奄美大島で出会った島唄は15年の間でたくさんの出会いと経験を作ってくれた。しかしふと振り返ると、多くの出会いや経験と同時に、それらと相応の苦しさを対人関係やコミュニティにおいて感じる経験もしていた。対人関係やコミュニティへのつながりを強く求められるこの場所で、何を考え、6年間を過ごしたのか、研究を行いたいと考えた。そして卒業後も大切にしていきたい記憶だからこそ、時間をかけて向き合いたいテーマとなった。

日記を通して考える

今回、幼いながらも小さな島の帰属意識に気づきコミュニティに対して、友人に対して、家族に対して何を考えていたのかを思い出す手がかりとして、6年間分の日記や、手紙、文集などの記録を用いた。登場した人物や登場した場所の回数、日記のトピックなどを数値化し、どのような人物と生活をし、どのような発見があり、どのような感情を抱いていたのか、変えることのできない記録から読み取った。日記に登場する人物やトピックには偏りがあり、当時から交流のある友人を再確認すると同時に、学校内では吹奏楽や水泳、学童などのコミュニティに属し、人間関係を築いていたこと、学校外においては6年間続けた島唄教室の話題も多く、当時特に印象に残っていたことだとわかった。また手紙を通して、縦と横のつながりを強くもつことの重要性に駆られていたことに気づいた。兄弟のいないわたしは、学校内でsisという擬似のお姉ちゃんとのつながりをもつことで縦の関係をもとうとしていた。そして信頼され、気に入られることで生活をし易い環境を自分自身で作っていた。さらに学校外においても、わたしという人物を認めらもらうために、あらゆる行事に参加をしたり、他校の小学生とつながりをもつためにキャンプに参加をしたりすることで、あたかも奄美大島が地元であるかのように取り繕い、知ったようなフリをするように努めていた。苗字を聞いただけでどの辺に住んでいるのかが大まかに分かってしまう奄美大島で、友達の友達という関係性の構築がどれほど重要なのか当時から理解していたようだった。しかしそれでも、どんなに頑張っても現在もなお、苦い疎外感から逃れることはできなかった。完璧に取り繕っていても、いつか内地の人間ということがバレてしまった際に、腫れ物のように扱われることは避けられない。わたしはこれからも本当の意味で奄美大島の人間となることはできないのである。わたしには奄美大島がどこへ行っても味方になってくれる故郷と言える資格はないのかもしれない。
それでも、わたしが6年間の生活を乗り越えることができたのは、当時のわたしが活発で目立つことを好んだ性格であったということが記録を通して分かった。学校内外でライバルと競い1番にこだわったり、毎日外に出て家族以上に他者とコミュニケーションを行ったりすることで、自分らしさを相手に伝え、認識してもらい、存在を認めてもらおうとしていた。また他者とつながることや、頼ることに抵抗をもたないことが、奄美大島らしさへの適応もすんなりと果たせたことと関係していると考えた。
そして今回、プロジェクトを通して日記の取り扱いの難しさを学ぶことができた。扱っている日記は、当時毎日の宿題として提出していたものであったため、誰かにみせ、添削が返ってくる文章になっていることから記録媒体として抽出できる部分の少なさが課題として上がった。そのため、今後の扱い方については再度考えていく必要がある。

(卒業プロジェクトにて扱う日記)

友人と会い考える

プロジェクトを始めた当初、わたしはフィールドを広げ、友人にあったり、積極的に奄美大島を訪れることを考えていなかった。しかし6月には日記に名前が多くあがった友人に会い、8月には奄美大島を訪れることを予定している。これは、奄美大島での記憶がわたしだけで作られているのではなく、友人や島という場所との強い関わりがあってこそのものであるということを日記を通して実感したことにある。そして当時のわたしらしさを客観的に評価できる声があることで、より詳細なエピソードや、わたしの忘れていた記憶を思い出すことができると考えたからだ。さらに当時の記憶を共有することで、より思い出が鮮明になり、自分にとっての過去の苦い思いをポジティブなものに捉え直すことができるかもしれないという期待があった。そのような中で6月下旬、6年間の登校をともにした友人と新宿で待ち合わせた。会いに行くまでの気まづさは全くなかった。むしろあの頃のようにふるまえる自信があった。それは友人も同じだったようで、標準語から突然、方言を使い出したり、日常の中に潜むあの時のあの思い出が共有できたり、テンポよく会話が繰り返された3時間に6年間、奄美大島で過ごしたわたしの存在を感じることができた。「島の人と話してたら自然と方言になるから。」と言われたり「島の人とは会えば普通に喋れるかなって思ってる。」と言われることで卒業後別れて10年ほど経っていながらも、彼女の当時の思い出にわたしが存在していたことを感じられた。そして23年間のうちのたった6年間の時間を共有していたのにも関わらず、あの頃のように、お互いがお互いのことを全て知っているような気持ちにさえなった。友人からは、ごく自然に、当たり前に奄美大島の「あの場所」や「あの時間」を共有され、知っていることを前提に話されることが、今も現在も島の一員になれていたような感覚になり、過去の自分が島に馴染むために行っていたふるまいの力強さに驚かされた。そしていつまでも過去の記憶にとらわれ、島での生活を印象深くもっているのはわたしだけなのかもしれないという気持ちも覚えた。わたしが思っているより、奄美大島はわたしという人間を疎外していなかったかもしれないし、内地の人間だという対象として扱っていなかったかもしれない。しかしそれほど敏感に当時は「らしさ」に馴染むことを迫られていた。過去のふるまいを振り返ると、わたしは島の一員になるための奄美「らしさ」に馴染むように無意識に動かされていたようにも感じた。わたし服でスカートを履かないこと、一人称をわたしではなく自分の名前で呼ぶこと、方言を使うこと、このような他者からわたしがその場所にいても良いと認めてもらえるようなふるまいをしなければ、これほど時を超えて友人とのスムーズなコミュニケーションがができていなかったかもしれない。わたしは7歳なりに感じていたルールに倣い、馴染めるようにしていたのだろうと感じさせられた。

(小学校6年間を過ごした学校)

らしさを捉える

過去の記録から始まり、当時の友人と再開する中で島「らしさ」について知りたいと考えるようになった。居心地の良さを感じる一方で、内地の人間がどこか寂しさを感じてしまう奄美「らしさ」はどこにあるのだろうか。これまで「らしさ」を捉える上で、奄美大島全体の風習や風土、慣習などの大きな枠組みと、小学校内でわたしらしさを位置付けるための小さな枠組みがあると考えた。「モビリティーズ 移動の社会学」(ジョン・アーリー)によると、アクセスの概念には、経済的、身体的、組織的、時間的な制約があるという。当時小学生だったわたしがアクセスできたものは、その中でも友人や家族、文化といった組織的なものと学内外の時間的なものであり、だからこそより他者との密なコミュニケーションが求められていたのだと感じた。また本書で弱い紐帯の強さについても語られており、密に織り込まれた小集団が与える強さは大きく、奄美大島で築かれている関係性は、特にこの弱い紐帯の強さに依存している社会だと考えた。そしてわたしは社会的排除から緩和されるために、日常生活を織りなす、交友や家族、インフォーマルなつながりを通して、社交をすることで奄美大島という社会へのアクセスを行っていたのだと考える。実際にご近所付き合いや人とのつながりがなかった島でのわたしの姿を想像することは難しい。人のつながりがなぜ必要だったのかという問いに対しては、このような目に見えないコミュニティや関係性を薄くじわじわと広げていくことで自分の存在を感じてもらうためだと答えることができるのかもしれない。小学校入学時、家族以外に知り合いを知らず、加えてクラスの出身幼稚園が2つだけに別れているという状況の中で自分の居場所をみつけることは簡単ではなかったと思う。それでも6年間休まずに登校をすることができたのは、ご近所付き合いや人とのつながりによって紡がれた、関わりと受け入れてくれたあらゆるコミュニティのおかげであると感じた。
わたしは、場所らしさを比較する際、現在住んでいる神奈川などの関東圏と地元である鹿児島を含む九州、そして奄美大島を想像する。客観的に評価をするならば、大きくはそれぞれ人の流れが異なると感じる。「渋谷学」(石井研二)においては、場所のもつ特殊なシンボル性のなかには取り替え不可能な問題があり、場所性と文化消費に必要な多様なオーディエンスだという。東京のシンボル地とも言える渋谷と比較した際、2つ目の多様なオーディエンスは奄美大島とは大きく異なる。島において、日本人観光客やインバウンドの観光客を増やす働きはあるものの、実際に島に降りたつと方言を話さない人を探す方が難しい状況で、多様さとはかけ離れていることが分かる。そのような環境では、集団意識がより強固なものになることも理解ができるのかもしれない。そしてこのような奄美大島の環境や人、空気、街、あらゆるところから感じられる慣習を身につけることができたわたしは、すでにどの場所でも生きていける力を身につけられているのかもしれないと感じた。

これから

これまで、過去の日記を読み解いたり、友人と会うことを通して、当時のわたしを客観的にみながら、6年間のわたしらしさや奄美大島らしさを徐々に言語化できるようになっている。卒プロのこれからに向けて、より具体的な表現やエピソードを集めるためにも実際に奄美大島を訪れ、参与者として「らしさ」を捉えていきたい。そして引き続き、友人と繰り返し会話を行いながら過去の記憶を紐解いていきたいと考えている。しかし友人とのコミュニケーションを行う中で感じた、お互いの記憶の乖離には慎重になる必要があると感じている。友人と会話を行いながら、一方にとっては大きな出来事と捉えていることでも、他方にとっては記憶にすら残っていない出来事が多くあった。わたしは奄美大島「らしさ」を考える上で、過去の出来事を友人と同じもののように共有し、当時の答え合わせをしていくように紐解いていくことができるのではないかと期待していた。しかし10〜15年前の記憶となると、曖昧になることも多かった。「そうだったような気がする」と相手に合わせてしまう会話では、普段のコミュニケーションと変わらないものになってしまう。そして記憶の改ざんができてしまうと感じている。当時の記憶をそのまま現在にもってくるためにも、繰り返し友人と会うことが必要性を感じており、さらに日記を現場に持ち込むことや、友人の人数を変えることで記憶を広げていくことが必要になると考えている。今後は、引き続き過去の記録を読み解き、当時の自分が何を考えていたのか友人とのコミュニケーションを通して考えるとともに、奄美大島を訪れ、生活を眺めることで風習や風土、慣習などの大きな枠組みの奄美大島らしさを考えていきたい。もう2年ほど奄美大島で半日以上の滞在をしていないわたしが、改めて奄美大島と関わりをもつ。当時の友人のほとんどが島外へ出ている島に長く滞在する理由がなくなってしまっている現在の環境は、15年前、初めて島を訪れた時の環境と似ているのかもしれない。何かと理由をつけて、そこにいても許される理由を探しているわたしにとって、時間が経てば立つほどアクセスがしづらくなっている島に足を運んでみる。少し部外者となってしまった、わたしが今改めて島で生活することでみえる社会はどのようなものだろうか。卒プロのこれからは数年ぶりに奄美大島での生活を眺め、より近くで「らしさ」を感じていきたい。

(岩﨑 日向子|Hinako Iwasaki

研究会シラバス(2024年度秋学期)

更新記録

(2024年8月21日)履修のための課題は25日(日)が提出期限です。ギリギリに書き上げて提出するのではなく、いちど書いてからひと晩寝かせて、よく読み直して(読み手の立場でじぶんの思考を辿って)から提出するのがオススメです。いずれにせよ、期限(しめきり)の向こう側には「人」がいます。これも、ガーゲンのいう協応行為(co-action)によって成り立っていると理解できるでしょう。参考までに → しめきり(2016年に書いた記事です)理想的には1週間とか10日とか、寝かせておけるとよいのですが…。

(2024年8月11日)履修のための課題提出まで、2週間になりました!「フィールドワーク展XXI」を追記しました。
(2024年7月26日)「7月25日(木)の加藤研メンバーたち」を追記しました。
(2024年7月9日)「履修にあたって」「読んでおきたい本(抜粋)」などを追記しました。

(2024年7月6日〜7日)シラバスを大幅に改稿する予定です。
(2024年6月24日)シラバス(詳細版)入力中です。随時更新するので、マメにチェックしてください。

大学のオフィシャルサイトにある「研究会シラバス」をかならず確認してください。 

https://syllabus.sfc.keio.ac.jp/courses/2024_26605

もくじ

7月25日(木)の加藤研メンバーたち*1

fklab - July 25, 2024 from who_me on Vimeo.

※ 加藤研メンバー(2024年6月20日現在):大学院生 6名(博士課程 4名・修士課程 3名)・学部生 22名(4年生 5名・3年生 8名・2年生 9名)

はじめに

ぼくたちは、絶えずコミュニケーションしながら暮らしています。
ワツラヴィックらは、『人間コミュニケーションの語用論』(二瓶社, 2007)のなかで「コミュニケーションにおけるいくつかの試案的公理」について述べています。その冒頭に挙げられているのが、「We cannot NOT communicate(コミュニケーションしないことの不可能性)」です。つまり、ぼくたちは、いつでも、どこにいても、コミュニケーションせざるをえない。非言語的なふるまいはもちろんのこと、沈黙もまたメッセージであることに、あらためて気づきます。
そして、コミュニケーションについて考えることは、(いつ・どこで・だれが)集い、(何を・ どのように)語らうのかを考えることだと理解することができます。つまり、コミュニケーションへの関心は、必然的に「場所」や「場づくり」への関心へと向かうのです。この研究会では、コミュニケーションという観点から、人びとの「移動」や人びとが集う「場所」の成り立ち、「場づくり」について実践的な調査・研究をすすめています。 

いま述べたとおり、人と人とのコミュニケーション(ヒューマンコミュニケーション)が主要なテーマです。既存の学問分野でいうと社会学や社会心理学ということになりそうですが、ぼく自身は、学部を卒業後は「コミュニケーション論/コミュニケーション学」のプログラムで学びました。

何が起きるかわからない…。ぼくたちは、変化に満ちた時代に暮らしています。とくにこの4年近くのあいだはCOVID-19に翻弄され、これまで「あたりまえ」だと思っていたことを諦めたり手放したりする場面にいくつも遭遇しました。哀しい出来事にも向き合い、また不安をかかえながら不自由な毎日を強いられることになりました。でも、そのような不安(あるいは不満)、問題に向き合いながらも、明るくてエネルギッシュな人びとが、確実にいるということにも、あらためて気づきました。そこに、「何があっても、どうにかなる」という、人びとの強さを感じ ます。また、諸々の課題に向き合いながらも、ぼくたちを笑顔で迎えてくれる優しさにも出会います。それが、リアルです。

この圧倒的なパワーを持って、ぼくたちの目の前に現れるリアリティに、どう応えるか。それはまさにコミュニケーションにかかわる課題であり、ぼくたちが「研究会」の活動をとおして考えてゆくべきテーマです。お決まりの調査研究のスキームに即して、「報告書」を書いているだけでは、ダメなのです。つぶさな観察と、詳細な記録、 さらには人びととのかかわり(ときには、長きにわたるかかわりの「はじまり」に触れていることもある)をもふくめたかたちで、学問という実践をデザインすることに意味があるのです。

ぼくたちの活動は、たとえば「まちづくり」「地域づくり」「地域活性」といったテーマと無縁ではありません。でも、いわゆる「処方箋」づくりにはさほど関心がありません。 そもそも「処方箋」などつくれるのだろうか、と問いかけることのほうが重要だと考えます。「ふつうの人びと」の暮らしにできるかぎり接近し、その強さと優しさに光を当てて可視化するのです。そこまで行ければ、じゅうぶんです。あとは、人びとがみずからの暮らしを再定義し、そこから何かがはじまるはずです。ぼくたちのコミュニケーションのなかにこそ、たくさんのヒントがあります。

2024年度秋学期のおもな活動(案)

詳細については調整中(随時更新)です。

キャンプ

全国のまちを巡る「キャンプ」(ポスターづくりのワークショップ)は、47都道府県の踏査を目指しながら、すでに20年近く続けています。残すところ、1府3県になったのですが、いずれも遠方です。コスト(旅費・宿泊費)はもちろん、学期中の実施は時間のやりくりがなかなか難しいところです。2024年秋学期は、11月中旬に大分県に出かけるつもりで調整をはじめています。* 他にも、可能であれば計画します。

写真:美波キャンプ(2024年6月)より

(参考)これまでの「キャンプ」の軌跡は、「続ける|年代別インデックス」や「拡げる|地域別インデックス」で参照してください(一部、書式など統一感に欠けるかもしれません)。また、「ひさしぶりに地図を塗った。」は、2022年9月に東北地方を「コンプリート」したさいに書いた記事です。ポスターづくりについては、「ポスターをつくる」に簡単な説明があります(ちょっと古い記事です)。

ダンチジン(Danchizine)

かねてから、団地というフィールドは、集住や共食などについて考える「入り口」として関心をよせてきました。2014年度秋学期には「団地の暮らし(Danchi Days)」と題して洋光台団地(横浜市)でフィールドワークを実施しました。また、2021年度秋学期は(COVID-19の影響下にありましたが)善行団地(藤沢市)で「善行キャンプ」をおこないました。加藤自身は、「大規模団地におけるVUCA時代の全世代対応型孤立予防研究」というテーマの共同研究に参画していて、その対象地のひとつが善行団地になっています。団地の集まりに定期的に参加しながら、共食のイベントをとおした場づくりやコミュニケーションのありようについて調査研究をすすめています。

「ダンチジン」は、「団地人」であり「団地ZINE」なのですが、2024年度春学期のフィールドワーク(グループワーク)として企画・実施してきました。実際には、グループワークをとおしてZINEを発行して流通させるところまでを目指していましたが、ZINEづくりの部分がふじゅうぶん(不完全燃焼)なまま学期を終えることになりそうです。そこで、「ダンチジン」(善行団地におけるフィールドワークとZINEづくり)については継続し、2024年度(通年)の成果として「フィールドワーク展XXI」で展示したいと考えています。

写真:ダンチジン(2024年4月〜)より

(参考)春学期の成果はこれから春学期末に向けてまとめる予定ですが、ポストカードの『ダンチジン』は、フィールドワークの進捗や途中経過を記録するためのメディアです。

モバイルプレス(移動編集室)(仮)

継続的にすすめている「キャンプ」は、ここ15年ほどはポスターづくりがメインの活動になっていますが、「現場で考えて、現場でつくる」という機動性についてはずっと考えてきました。ジョン・アーリの『モビリティーズ』をベースに、大学院では「モバイル・メソッド」というアカデミックプロジェクト(AP)を2015年春から開講しています。これまでのプロジェクトでも「爽やかな解散(B)」や「うごけよつねに」「はこべるよろこび」などは、移動体をもちいた場づくりとコミュニケーションへの関心の表れです。
フィールドワーク先で「かわら版」や「折り本」をつくるプロジェクトを「モバイルプレス(移動編集室)」と呼んで束ねていましたが、ここしばらくは休眠中でした。
2024年度秋学期は、「SBC実践(出版)」(金曜日2限)という科目を担当することになったので、これを機に「モバイルプレス」のプロジェクトをふたたび動かすことにしました。

写真:鳥取でいきなりジン(2024年6月)より

フィールドワークをおこない、それぞれの観点からメディア(ZINE)をつくり、流通させます。「現場で考えて、現場でつくる」ための環境づくりもふくめて実験・実装をおこないます。対象地は、野毛町界隈(あるいはみなとみらい)を想定しています。

(参考)10年ほど前にまとめていた「モバイルプレス」のウェブはこれです(一部書式などに不具合があります)。 → https://vanotica.net/mobpress_then/ (今後、あたらしいウェブを整えることを想定して、mobpress_then となっています。)
作業中のまま放置されていたものですが、秋学期の活動とともに、このサイトを再編集します。コンビニやイートインのスペース(あるいはコワーキングのような場所)など、既存の「社会的インフラ」(一時的・仮設的なものをふくむ)を活用しながら、現場で編集して現場で発行するやり方を試すことも活動の一部として位置づけています。たとえば、最近では「いきなりジン」「鳥取でいきなりジン」など、ごく簡単なものについては試しています。

フィールドワーク展XXI

毎年、研究室の活動成果を報告するための展覧会を開いています。2005年2月にはじまった「フィールドワーク展」は、今年度21回目となります。まちで考えたこと・学んだことを、もういちど「まちに還す」ための試みです。キャンパスで成果発表をおこなうのとはちがって、まちの人びと(通りがかりの人もふくむ)、家族や友人たちにも、研究室の活動を紹介する機会として継続してきました。今年度は、以下の日程で開催することになりました。


写真:昨年度の「フィールドワーク展XX:はちじ」のひとコマ(2024年2月・渋谷)

「研究会」の活動をわかりやすく整理し、「世に問う」場として、展示の会場づくりをすすめます。例年のことですが、秋学期は「フィールドワーク展」の企画や準備に時間とエネルギーを使うことになります。展示に向けて、合宿(キックオフミーティング)を計画しています(詳細は未定)。

  • 日時:2025年2月7日(金)〜9日(日)
  • 会場:BUKATSUDO(横浜市西区)(予定)
イベントカレンダー(仮)
  • 2024年10月中旬 ぷちキャンプ(予定)
  • 2024年11月中旬 キャンプ(大分県)
  • 2024年12月 展覧会のための合宿(SBCを予定)
  • 2025年2月7日(金)〜9日(日) フィールドワーク展XXI(予定)

履修にあたって

シラバス(大学のオフィシャルサイト版)に記載しているとおり、以下を「履修条件」として挙げています。

  • フィールドワークやインタビューなど、現場での活動を「がっつり」やってみたい
  • コミュニケーションの理論・実践に関心がある
  • 文章を書くのが好き(ことばの難しさを実感している)
  • 紙メディアの編集(製本・印刷のことなどをふくめ)に興味がある

また、加藤が担当する「フィールドワーク法(B6114)」「インプレッションマネジメント(C2030)」「リフレクティブデザイン(C2104)」のいずれかを履修していることが望ましいでしょう。

フィールドワークは、時間を必要とします。地道にコツコツと積み上げてゆく方法と態度を学ぶための「研究会」です。サークル、アルバイト、インターンシップ、就職活動など、やること・やりたいことがたくさんあるのはよいことですが、週1回の「研究会」の時間(時間割に表れる時間)以外に、多くの時間を供出することが条件です。それができない場合には履修をおすすめしません。フィールドに出ること、観察したモノ・コトについて文章に綴ること、たくさん語ること、そのための時間とエネルギーを惜しまないひとの履修を期待しています。

※2024年度春学期に「研究会」を履修したひとは、上記の履修条件をもういちど確認してください。記載事項は半年前と変わりませんが、今学期をふり返って、履修する(履修できる)かどうかをよく考えてください。継続が難しい場合もあります。
※原則として、7セメスター目からの新規履修は認めていません。また、2024年度秋学期が6セメスター目の場合、「研究会」の履修が「卒プロメンター」の引き受けを約束するものではありません。「研究会」と「卒プロ」は、別のもの(履修上も別科目です)なので、よく考えて行動してください。

履修したいと思ったら

シラバスや参考資料などに触れて、「研究会」を履修してみたいと思ったひとは、下記のように学ぶ時間をつくってみてください。春学期が終わった解放感も大切ですが、秋学期に向けていろいろと整えることも忘れずに。ちょっと面倒かもしれませんが、お互いのためです。「研究会」を履修する・しないにかかわらず、夏休みの勉強のつもりで向き合ってみるとよいでしょう。

(1) 読む

まず、ケネス・ガーゲンの『関係の世界へ:危機に瀕する私たちが生きのびる方法』(2023)を読んでください。ちょっと物足りないというひとは、『関係からはじまる:社会構成主義がひらく人間観』(2020)を読むのもいいでしょう。

(2) 書く

本の内容を身体に取り込んだら、文章を書いてみてください。「身体に取り込む」というのは、本に書かれた内容が、みずからのふるまいや態度にどのような影響をあたえた(あたえうる)かについて自覚的になるという意味を込めています。本に出てくる概念を復唱したり、安易に援用したりすることではありません。もちろん、本の内容をすべて受け入れる必要もありません。『関係の世界へ』では、教育、セラピー、医療、組織、紛争などの領域に「関係の視点」を適用しようと試みています。
あなたにとって、考えずにいられない「関係の世界」はどのようなものでしょうか。じぶんの身近な問題意識のもとで、「関係の世界へ」というタイトルのエッセイ(1000〜1200字程度)を書いてください。

  • 求めているのは本の感想文や要約、書評ではありません。個別具体的なモノ・コトに根ざした「関係の世界」を描いてください。
  • 「読み手」のことを考えて、わかりやすい、きれいな日本語で綴ってください。

提出期限:2024年8月25日(日)23:59 時間厳守
提出方法:メールで 24f [at] fklab.net宛てに送ってください。他のアドレスに送られらたものは、読まない(というより、見落とす)場合があるので注意。

  • かならず、学部、学年、学籍番号、名前、メールアドレスを明記すること。質問・その他についても、同様に24f [at] fklab.net宛てにメールを送ってください。@の前は、24f(エフは小文字です。)
  • .txt、.doc(.docx)、または.pdf形式のファイルを添付してください。
  • メールの件名は、かならず「2024f」としてください。期限遅れ、宛先/件名の誤り、内容の不備等がある場合は読まない(読めない)可能性があります。

(3) 話す

エッセイを読んだうえで、「関係の世界」のこと、フィールドワークや展覧会のことなどについて話をしたいと思います。
すすめかた:2024年8月26日(月)以降にメールで連絡します。そのあとは、予定を調整して面談(原則として対面で)します。9月2日(月)〜10日(火)くらいまでのあいだで日程を決めます。

  • エッセイを読んだ時点で、履修は難しいと判断する場合もあります。

(4) その他

(これは任意です)その他、ポートフォリオ、じぶんの関心領域やこれまでの活動を紹介する資料などがあったら、上記のエッセイとともに送付してもかまいません。会って話をすることになったら、そのさいに持参してもよいでしょう。

(5) 結果は…

そして、9月12日(木)15:00までに秋学期のメンバーを確定します。秋学期の履修メンバー(履修許可者)にはメールで連絡し、Slackなどのアカウント設定をおこないます。

参考

資料

フィールドワークや学習環境の設計にかんする考え方については、下記を読んでみてください。

  • 加藤文俊・諏訪正樹・石川初(2023)フィールドワークの学と術 桑原武夫・清水唯一朗(編)『総合政策学の方法論的展開(シリーズ 総合政策をひらく)
  • 加藤文俊(2022)態度としてのフィールドワーク:学会誌の「外」へ 『認知科学』第29巻4号, pp. 661-667.
  • 加藤文俊(2020)デザインというかかわり『デザイン学研究』特集号(社会実践のデザイン学)102, Vol. 27-2, pp. 42-47. 
  • 加藤文俊(2017)「ラボラトリー」とデザイン:問題解決から仮説生成へ『SFC Journal』第17巻第1号 特集:Design X*X Design: 未知の分野における新たなデザインの理論・方法の提案とその実践(pp. 110-130)
  • 加藤文俊(2014)まちの変化に「気づく力」を育むきっかけづくり(特集・フィールドワーカーになる)『東京人』5月号(no. 339, pp. 58-63)都市出版
読んでおきたい本(抜粋)
  • 荒井良雄ほか(1996)『都市の空間と時間:生活活動の時間地理学』古今書院
  • ジョン・アーリ(2015)『モビリティーズ:移動の社会学』作品社
  • 海野弘(2004)『足が未来をつくる:〈視覚の帝国〉から〈足の文化〉へ』洋泉社
  • アンソニー・エリオット+ジョン・アーリ(2016)『モバイルライブス:「移動」が社会を変える』ミネルヴァ書房
  • ケネス・ガーゲン(2023)『関係の世界へ:危機に瀕する私たちが生きのびる方法』ナカニシヤ出版
  • ケネス・ガーゲン(2020)『関係からはじまる:社会構成主義がひらく人間観』ナカニシヤ出版
  • 加藤文俊(2018)『ワークショップをとらえなおす』ひつじ書房
  • 加藤文俊(2016)『会議のマネジメント:周到な準備、即興的な判断』中公新書
  • 加藤文俊(2009)『キャンプ論:あたらしいフィールドワーク』慶應義塾大学出版会
  • 佐藤郁哉(2006)『フィールドワーク(増補版):書を持って街に出よう』新曜社
  • 清水義晴・小山直(2002)『変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから』太郎次郎社
  • 橋本義夫(1978)『誰にでも書ける文章:「自分史」のすすめ』講談社現代新書
  • ドロレス・ハイデン(2002)『場所の力:パブリックヒストリーとしての都市景観』学芸出版社
  • エドワード・ヒュームズ(2016)『「移動」の未来』日経BP
  • ケン・プラマー(2021)『21世紀を生きるための社会学の教科書』(ちくま文庫)
  • ケン・プラマー(1991)『生活記録の社会学:方法としての生活史研究案内』光生館
  • パウロ・フレイレ(1979)『被抑圧者の教育学』亜紀書房
  • ウィリアム・ホワイト(2000)『ストリート・コーナーソサエティ』奥田道大・有里典三(訳)有斐閣
  • ジョン・ヴァン・マーネン(1988)『フィールドワークの物語:エスノグラフィーの文章作法』現代書館
  • 宮本常一・安渓遊地(2024, 増補版)『調査されるという迷惑:フィールドに出る前に読んでおく本』みずのわ出版
  • ポール・ワツラヴィックほか(2007)『人間コミュニケーションの語用論:相互作用パターン、病理とパラドックスの研究』二瓶社
リンク

その他、活動内容や日々の雑感についてはブログや研究室のウェブ、SNSなどで随時紹介しています。

*1:加藤研の2024年7月25日は、こんな感じでした。春学期は、サバティカル(特別研究期間)なのですが、「研究会」と「修士研究会」は平常どおり開講していました。ようやく、無事にひと区切り。そのタイミングで、7月25日をむかえました。「A Day in the Life」 は、加藤研メンバーのそれぞれの一日の「細片」を束ねるもので、 2020年の夏から半年ごと(1月と7月)に記録を続けています(今回が、9回目)。
思えば、2020年の7月25日はずいぶん重い空気のなかで過ごしていました。届いたビデオクリップを見るかぎり、いまは、おおむね穏やかなようです(もちろん、いろいろあるとは思います)。みんな、ばらばらのようでいて、一日のなかで誰かと接点をもったり、あるいは離れていても似たようなことをしていたり。「ふつうの一日」のなかで、特別なことがたくさん起きています。

鳥取でいきなりジン

2024年6月20日(木)

8月のはじめに予定されている高校生を対象とするワークショップの下準備(事前リサーチ)のために、鳥取に行くことになりました。ぼくは、これまでワークショップを担当してきましたが、今年はサバティカル(特別研究期間)なので8月は不参加。それでも、ワークショップを担当する高汐さん、瀧田さんのご厚意で、加藤研の学生・大学院生数名とともに、今回のリサーチにおじゃますることになりました。

ぼくたちのフィールドワークのやり方・まとめ方を紹介しつつ、8月のワークショップ参加者の課題設定に役立つような素材を集めて整理することを目指します。午前中は、キックオフミーティングで中心市街地の現況やさまざまな試みについて学び、午後は高汐研との混成チームで、鳥取駅界隈(おもに若桜街道)を歩き、その内容をまとめた折り本(ZINE)をつくることになりました。
ちなみに、4月の終わりに渋谷で実施した「いきなりジン」では、正味3時間でフィールドワークと制作をおこないました。今回は、5時間ちょっとで完成させることになります(下記のスケジュールを参照)。

ちがう研究室(研究会)に所属しているとはいえ、学生たちはおなじキャンパスに通っているわけで、(見たところ)難なく打ち解けていたようすでした。あらかじめ、前日の打ち合わせを経て、それぞれのグループがどのような着眼点でまちを歩くのか、ゆるやかに設定されていました。

スケジュール
  • 10:30〜 キックオフ ミーティング(鳥取市役所 会議室)
    • 未来構想キャンプの概要について
    • インプットトーク
  • 12:00ごろ〜 各グループでランチ → まち歩き
  • 15:00ごろ〜 アイデア出し、デザイン・レイアウト作業(鳥取県庁 会議室)
  • 17:30 印刷・加工(切る・折る)
  • 18:30ごろ〜 食事・成果報告/講評(鳥取港海鮮市場かろいち)
いきなりつくったZINE

[1] 歩きながら聴く(宇治川 遥祐・島田 愛里・宮下 理来)

街を歩くとき、惹かれるのは看板や匂いだけじゃないはず。私たちは街中の"音"に注目し、街歩きの方法を再提案しました。街に溢れる車のエンジン音が止み、一瞬の寂しさにつつまれたり。川のせせらぎが私たちを足止めしたり。街の音は私たちの歩くテンポを作り出します。街歩きは街という楽譜をなぞる行為なのかもしれません。

 

[2] GO OUT WITH かわいい(河井 彩花・坂本 紅都・松本 仁奈)

わたしたちは、「かわいいロボットとのインタラクションの研究」をテーマにまちを歩きました。折本は、まちを歩きながら注目したモノを左ページに、そこから発想したロボットのアイデアを右ページに載せました。いま目の前にあるものを見つめる視点と、これから作りたいものを考える視点が組み合わさった冊子になりました。

 

[3] 全力体現若桜街道(池本 次朗・小橋 龍人・塩谷 明日香)

看板の文字やモニュメント、植物にアーケード…。商店街には、私たちの気持ちを揺さぶるものがたくさんありました。私たちのグループは、そんな「心が動くもの」を文字通り全身で表現した写真集を製作しました。ただ見るだけでなく、見たものを表現しようとしながら歩くことで、街への向き合い方が大きく変化することに気づきました。

 

[4] でこぼこ(大浦 早貴・瀧澤 将音・瀧田 塁・蓮見 まどか)

私たちは「触覚」に注目して、街を歩きながらさまざまな物(形や素材は様々)に触れました。物に触れるとオノマトペを使って共有したくなり、個人の実感は共感へとつながります。また、物は触れられることでその歴史が更新され、過去から現在までのなりゆきを想像させます。触覚を通じて私たちは街と積極的に関われるかもしれません。

[01][04]は、A3サイズに片面で印刷し、一部に切り込みを入れてから折り本にします。
[02][03]は、A3サイズに両面で印刷し、一部に切り込みを入れてから折り本にします。

Day 3: ポスター展と骨付き阿波尾鶏 🐢

2024年5月26日(日)

6:00前に起床。すべてのデータが揃ったというメッセージが届いていたので、ひと安心。予報では曇り(晴れ)だったが、雨がぱらついている。今朝は、これからポスターを印刷するので(それがまずは大切)、プリンターをクルマに載せたままだと雨に濡れてしまうかもしれない。調べてみたら、9:30くらい(印刷をはじめる時刻)には、雨雲は移動しているはずだ。ひとまず朝ごはんは、コンビニでコーヒーとサンドウィッチを買って簡単に済ませた。

谷屋に着くと、空が少し明るくなってきたので、しばらくようすを見ることにした。でも、雨は弱まったり、また勢いを増したり。どうもはっきりしないので(そして、ずっとのんびり待っているわけにもいかず)、プリンターをクルマから降ろして、谷屋の軒下にはこんで印刷することにした。
今回は、全部で9枚ある。何度かインク交換やヘッドクリーニングのメッセージを受け取りつつも、印刷は順調にすすんだ。すでに、何度か「外」での印刷を試しているが、モバイルバッテリーで問題なく印刷できる。開始するときに100%充電の状態で、A1サイズのポスターを9枚印刷したあとでも、99%だった。せっかくなので、プリンターはクルマに載せたままポスターを印刷したかった(ぼくの勝手な、『顔たち、ところどころ』ごっことして)。

成果報告会と「ポスター展」は12:30からなので、その間は、会場づくりや報告の準備に充てることにしている。なんとなく間延びしてしまうのだが、準備の段階で、これまでにもいろいろと予期せぬことが起きた。だから、なるべく安全に、時間に余裕をもたせるようにしている。時刻になると、まちの人びとがやって来る。事前にその旨案内を出しているが、まちによって時間感覚がちがう。あるまちでは、告知していた時刻の10分くらい前にはみなさんがやって来て、予定どおりの動きを(暗に)求められた。別のまちでは、聞いたところ、記載されている開始時刻になったら家を出るくらいの感覚だといわれた。ここは、どうなのだろう。なんとなく、このまちは緩やかな感じではないかと想像していた。

印刷にくわえて、ポスターをどのように展示するか(掲出するか)を考えなければならない。これは、行き先(会場)によって、条件がことなる。たとえば、今回、作業や展示のために使えることになった谷屋(たんにゃ)は、1870年(明治3年)ごろに建てられたという由緒ある場所だ。改装して、あたらしい(まだぴかぴかの)木に貼り替えられているところもあるが、黒光りする柱や欄間を見ると、時代を感じる。ささやかながらもポスター展をひらくので、できあがったポスターを部屋を囲むように提げて、一覧できるようにしたい。ここでは、テープや釘の類いは使えない。いろいろ考えて、洗濯物用(物干し竿用)のクリップを使って、長押にはさんで留めることにした(じつは、昨日の段階で現場を見つつ、ホームセンターでクリップを買っておいた)。

ほぼ定刻にみなさんがやって来て、成果報告会がはじまった。順番にペアごとに昨日の取材先について説明し、どのように過ごしたかについて語る。ポスターを披露して、それを部屋に提げる。これは、いつもどおりの流れ。一枚一枚、説明がすすむごとに、部屋がポスターで彩られていった。
学生たちの報告は、たいてい持ち時間(各ペア3分くらいということになっている)には収まらない。ある種の高揚感につつまれているようで、学生たちは饒舌になる。それを目の当たりにするとき、濃密な時間を過ごしたことがわかる。ポスターの出来はもちろんだが、それ以上に、この最後の報告会のときの雰囲気で「キャンプ」の面白さを実感する。直接体験があると(そしてその直後は)、語りたくなるのは、ごく自然なことだ。

そのあとは、しばらく歓談の時間。ポスターの「モデル」になった人と、ポスターをつくった学生たちが、ポスターを眺めながら語らったり、記念撮影をしたりする。この時間が、とても好きだ。最初のきっかけづくりから下見、準備などもふくめ、すべてはこの時間のためにあるような、そんな気分になる。
そして、みんなでダイジェストビデオを観る。2泊3日の出来事をふり返ると、一人ひとりの体験が、短い時間に凝縮されていることがわかる。

雨はすでに上がって、晴れてきた。無事に予定していた活動は終わって、解散。多くの学生は、駅に向かっていそいそと移動しはじめた(一本逃すと、飛行機の出発時刻に間に合わなくなる)。

ぼくは、明日の船に乗る予定なので、もう一泊することになっていた。美波をあとにして、1時間ちょっとのドライブで徳島駅に到着。ホテルにチェックインしてから、ふたたび数名の学生たちと合流して、阿波尾鶏の店に行って食事をした。いつものことながら、「キャンプ」はあっという間に終わってしまう。

一鴻 徳島駅前店 (イッコウ) - 徳島/居酒屋 | 食べログ