まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

きっかけのデザイン

(2025年8月7日)この文章は、2025年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

松尾 佳歩|Kaho Matsuo

はじめに

人は、いつ、どのようなときに意志を持って自らの行動を変えようと思うのだろうか。何かを始める、辞める、続ける、...という意思決定の背景には複雑な要因があると考えられるが、私はその中でも「他者との関わり」が人の行動変容にどのように影響するのかに強い関心を持っている。
この関心の出発点は、大学2年次に履修していた「リーダーシップのためのコーチング」という科目での経験にある。授業では、コーチングを「自発的行動を促進し、目標達成を支援するコミュニケーション」と定義し、実践を通してそのスキルを学んだ。そのなかで特に印象に残ったのは、「アドバイスをしたとしても、コーチィ(コーチの支援を受けながら自らの目標達成に向けて行動する主体者)自身が納得しなければ行動変容にはつながらない」という学びである。これは、他者がどれだけ善意をもって助言しても、それが本人の内的動機に結びつかない限り、実際の行動には反映されにくいという事実を意味している。だからこそ、コーチ(コーチィの内面にある答えを引き出すためのサポート役)には良質な問いによって相手の気づきを促し、内省を深めることが求められる。この学びを通じて、私は「アドバイス」ではない形で人が変わるきっかけに興味を持つようになった。特に、日常の何気ない会話の中に、行動を変えるほどの本音が見える話が始まる瞬間があると感じており、好奇心を抱いている。本音が見える話とは、表面的な情報交換ではなく、相手の価値観や人生観に触れるような会話であり、自己理解や関係性の再構築を促すような力を持つと考えている。
これまで大学生になって始めた中高生向けの進路支援イベントや、イタリア留学中の日常の何気ない会話の中でも、ある一言やある瞬間が人の決断に影響する場面に立ち会ってきた。そのたびに、単なる情報提供やアドバイスではなく、本音が語られている空気感や心が動く瞬間のようなものが作用していた感覚があった。これらの経験と学びを踏まえて、私の卒業プロジェクトでは「自分を見つめ直す時間と深い対話の場をどのようにデザインすれば、人は行動へと踏み出すことができるのか」という問いに対して探求していきたいと考えている。

 

卒業プロジェクト1の活動

卒業プロジェクト1の期間である2025年4月から7月において、主な活動としては「2024年9月から開始したイタリア留学中の旅行やアペリティーボについて写真や日記をもとにふりかえり、記述する」「月に一度、卒業プロジェクトに関する文章を1600文字程度で書き、自分の研究テーマについてさまざまな視点から考える」の2点であった。月ごとに記述した文章(加筆・修正あり)をもとに、研究テーマと研究活動について再考していきたいと思う。

・4月:「きっかけ」の後押し
旅行中に友人と深い話をする中で、彼女自身が海外インターンへの挑戦を決意する「きっかけ」を提供できた経験から、私は「なぜ人は心の奥底の想いを行動に移せないのか?」「行動のきっかけを自分が後押しできるのか?」という問いを持つようになった。この問いの背景には、私がこれまで地方の中高生の進路選択に課題意識を持ち教育について学ぶ中で出会った「自己効力感」という概念がある。カナダの心理学者バンデューラによれば、「自己効力感」とは自らの能力を信じ、「自分にはできる」と感じる力のことである。彼は自己効力感を高める要因として「遂行行動の達成」「代理的経験」「言語的説得」「情動的喚起」の4つを挙げている。中でも後者の3つは、他者との関わりや外部からの刺激を通じて高められる可能性がある。つまり、意図的に『きっかけ』を設計することで、人の行動変容を促すことができるのではないかと推測する。


私が重要だと考える『きっかけ』は大きく2つある。ひとつは、日常から離れる留学や旅など非日常の体験。もうひとつは、人との関係性を深める食を媒介とした空間、すなわちアペリティーボや手料理をふるまう食事の場面である。現代の大学生や若者は、常に忙しさや目の前のタスクに追われており、「立ち止まって自分の気持ちや価値観を見つめ直す時間」が極端に少ない。加えて、人と深い話をする機会も限られ、心の奥にある想いや葛藤を言葉にすることも難しくなっている。こうした問題意識は、イタリア留学中でアペリティーボや手料理を振る舞うことで自然に深い話が生まれた経験や、留学中に出会った「マイクロリタイア」という考え方に触れて心のゆとりの大切さを実感したこと、そして深い対話の後に得られる満たされた感覚が自分にとってかけがえのないものであることが背景にある。今後は「マイクロリタイア的な空間での対話の場」や「食を媒介とした深い対話の場」などの場が持つ重要性に着目し、自分のフィールドについて模索していきたいと思う。

・5月:「できそう!」と思える瞬間
「行動を起こすきっかけとは何か」という問いをさらに掘り下げる中で、私自身が「行動を起こせなかった過去」を振り返る必要性を感じるようになった。
鹿児島県出身の私は、地元の高校の国公立志向や、通っていた塾に志望大学の合格実績がなかったことから、受験を一人で進め、現役では不合格となった。より良い教育環境を求めて上京し、予備校に通う中で、地方と都市部の教育格差を痛感した。特に、印象的だったのは、夏休みの模試後の面談で志望校が変わったことだ。それまで早慶は視野に入っていなかったが、メンターの問いかけと、合格実績やノウハウに関する説得力のある話を聞く中で、「自分も目指してみよう」と思えたのだ。この経験から、進路選択における地方格差、特に「情報量」と「文化的背景」が、無意識に可能性を狭めていると感じた。この状態を「進路選択の自分ごと化」ができていない状態と捉えている。自分の進路にもかかわらず、周りの環境や価値観に影響され、視野が狭まってしまう状態のことだ。ここから脱却するためには、自分のことをよく知った上で「こういうふうに行動できそうだ」と前向きに予感することが大切だと考える。後に知った心理学者バンデューラの「自己効力感」という概念は、その経験を言語化する手がかりとなった。
私の進路選択の経験を振り返ると、以下のステップで自己効力感が高まったことがわかる。

  1. 選択肢の発見: メンターとの対話により、視野になかった早慶が選択肢として見えるようになった。
  2. 確信の獲得: 模試の成績や予備校の合格事例(代理的経験)が、説得力のある言葉(言語的説得)とともに提示され、「自分もできるかも」と思えた。
  3. 目標設定と行動: 新たな第一志望が見つかり、合格に向けて努力を開始した。

この経験は、自己効力感を高める要因(遂行行動の達成、言語的説得、代理的経験)が複合的に働くことで、「自分もできる」という確信が生まれ、行動につながることを示していると考える。

このような原体験をもとに自分の言語化できていなかった概念として出会った「自己効力感」というキーワードを大切にしつつ、これを高めるための他の要素がないか考察を続けていくつもりである。

・6月:アペリティーボで心をひらく
私は、人々の行動を促す「きっかけ」として、「食」を媒介とした対話の場に着目している。特に、イタリアの「アペリティーボ」という文化に興味を抱き、そのデザインについて考察する。
まず、「アペリティーボ」とは何かを明確にするために、日本の「立ち飲み」と比較しながら、自分なりの定義をしたい。アペリティーボはイタリアの北部にある美食のまちトリノで始まった。ラテン語の「aperire(開く)」が語源となっており、現代では食前酒と共に軽食を楽しみ、人々がおしゃべりをする社交の場を指す。レストラン、バール(カフェ)、自宅だけでなく、川のほとりや公園のベンチなど場所の定義はなく、その日のアペリティーボをするために心地よい場所が会場となる。多くの場合、どこで行うとしても参加している人同士の目線の高さや座る位置はバラバラで、その適当さが心地よさにつながる。そして、その会話は、その日の出来事からこれまでの過去の話、人生観や将来の夢といった深い話題まで幅広い。これは、日中の忙しさから解放され、心にゆとりがある時間帯(体感として13〜26時と幅広い)であること、食が提供されることで心理的な障壁が低くなることが要因と考えられる。一方、日本の立ち飲みは、仕事帰りに気軽に立ち寄り短時間で一杯を楽しむ文化というイメージが強い。私のこれまでの体験を振り返ると、目的は「飲むこと」や「手軽に済ませること」に重点が置かれ、会話も比較的一時的なものになりがちだと感じる。空間はカウンター形式で、隣の人と同じ環境で会話をしていることが傾向として挙げられる。この違いとして、「対話の深さ」があると考える。つまり、アペリティーボとは、心地よい空間とゆるやかな関係性の中で、食と対話を媒介に相手との距離を縮め、深い自己開示や共鳴を自然に引き出す、「心をひらくための時間」として定義できる。
実際に、友人と行ったアペリティーボでは、授業の前後の短い会話では知り得なかった彼女の価値観や夢を知ることができた。彼女の意思決定の軸を知ったことで彼女に対する自分の解像度が上がった。周りが賑やかな中でも、視線が合い続けるわけでも、常に会話が盛り上がるわけでもない自然な雰囲気の中で、時には互いの存在も時間も場所も忘れるほど一つの話題に没頭し、ふたりだけの世界が広がり共鳴し合う感覚を得た。本音で話し、「きっかけ」を後押しできるエネルギーと、そのエネルギーに触発されて自ら動き始めようとするエネルギーが生まれたと感じた。相手と自分の共感できる類似体験や相手の意思決定の核になっているものを知ることで関係性が深まり、深い対話の場につながっていくのではないかと考える。この経験から、アペリティーボという場は、相手との類似体験や意思決定の核となる部分を知ることで関係性が深まり、深い対話につながると考えている。

・7月:ひらいた2人で少しずつ近づく
留学中に出会ったYさんとの関係が、アペリティーボを重ねるなかで深まっていった。初対面の頃は表面的な話が中心だったが、10ヶ月の期間を通じて徐々に彼女の本音が垣間見えるようになっていった。Yさんとの出会いは、友人の誕生日パーティーだった。20分ほどの立ち話で、住んでいるエリアや専攻など表面的な会話に終わった。しかし、十分に話せなかった心残りから、翌週の私の誕生日パーティーに彼女を招待した。当日、彼女は参加できなかったが、「準備を手伝いたい」と申し出てくれた。30人分の料理を一緒に作る中で、自然と会話が深まり、前回は聞けなかった内面に触れることができた。料理という共同作業を通じてタイミングや感覚を共有できたことが、会話の深さにつながった。 その後、3ヶ月ほど会わない時期が続いたが、再会はイタリア北部とモナコへの旅だった。地域の食文化を巡る旅の道中、電車内や宿での会話では、「イタリアで英語を使うことの脆さ」や「イタリア語学習における自分なりの工夫」など、より深いテーマが自然と上がった。彼女の言葉に共感しつつ、自分とは異なる視点や考え方を受け取ることで、自身の行動や意思決定にも影響が及んだ。
アペリティーボのような空間では、無理に会話を続けようとする必要がなく、沈黙も自然に受け入れられる。飲み物を選んだり、料理を味わったりする時間が「沈黙の理由」となり、言葉がなくても安心して過ごせる時間が成立する。このような余白があるからこそ、会話に過度な緊張感が生まれず、話したいことを自分のタイミングで話すことができるのだ。また、相手の反応が肯定的であったり、過去の会話を覚えてくれていたりすることが、「この人になら話しても大丈夫だ」という安心感につながる。Yさんとの対話を通して、自分の考えが整理されたり、言葉にすることで内面に気づきを得たりする場面が何度もあった。そのような対話は、単なる会話にとどまらず、「行動へ移すエネルギー」を生み出すプロセスとしても機能すると考えている。
Yさんとの関係性は、一度の対話で急速に深まったわけではない。むしろ、回数を重ねる中で信頼が築かれ、それに伴って話の深さも変化していった。このプロセスを通じて、「深い対話」の背景には、安心して話せる関係性の蓄積があること、そしてその関係性を育てる場としてアペリティーボのような余白を含む空間が有効であるということを実感した。

・卒業プロジェクト1からの仮説
本稿で取り上げた4〜7月の実践を通じて導かれる仮説は、「人が行動に踏み出すためのきっかけは、安心感と余白を備えた関係性と場の中で生まれる」というものである。まず、場の設計においては、心理的に安全であることが不可欠である。否定される心配がなく、自分の思いや考えを自由に話せる空気があることで、心をひらいた状態で会話ができるようになる。また、沈黙を無理に埋める必要がない「余白」があることも重要だ。たとえば、食事や飲み物、風景といった身体感覚を共有できる要素があることで、無言の時間も心地よく過ごせ、無理なく自然に話題が深まっていく。さらに、日常から少し離れた「非日常性」を持つ空間、つまり旅先やアペリティーボのような切り替えのきっかけがある場は、自分自身と向き合う感覚を後押ししてくれる。一方で、関係性の土壌も深い対話には欠かせない。相手の言葉や変化を記憶し、関心を持って関わり続けることは、「この人は自分をちゃんと見てくれている」という信頼を生む。そうした信頼は、上下のない対等な関係性の中でこそ育ちやすく、「教える/教わる」といった固定的な構図を超えた共創的な対話を可能にする。また、深い関係性は一度の会話で築かれるものではなく、何度も重ねたやりとりの中で少しずつ育っていくものである。そのような継続的な関係性の中では、「今すぐ答えを出さなくていい」という余裕も生まれ、自分の内面と向き合う時間が自然に確保される。このように、深い対話を生み出すためには、成果を急がず、相手が安心して「揺れること」ができるような環境と関係性を、丁寧に育てる姿勢が大切なのではないかと考える。

・振り返りを通じて
 4月から7月にかけての文章作成を通じて、私の問いはより具体的に、かつ幅広く展開してきた。当初は「人が行動を変える『きっかけ』」に関心を寄せていたが、実践・考察の中で「深い対話とは何か」「どのような場がその対話を可能にするのか」「変化とは一瞬ではなく蓄積の結果ではないだろうか」と次々と問いが浮かび上がってきた。これらの問いを持ちながら、フィールドワークを続けていく中で、前後を含むフィールドで起こったことについて丁寧に目を向けてそのプロセスと影響を写真・フィールドノートへの記録・深い話ができた人へのインタビューなど様々な質的なデータを集め、それらをもとに分析していきたい。
卒業プロジェクト1に取り組むにあたって、「構成的フィールドワーク」というものが何かわからずにただひたすら自分の興味に従って問いを持ち、考察を進めてきた。しかし、「『構成的フィールドワークに向けて』という論考」を読み、自分が行ってきた活動のフィールドの認識やフィールドへの向き合い方の曖昧さが課題であり不十分であると感じた。夏季休暇を利用し、これまでのフィールドだと思っていたものやそこへの関わり方などについてもう一度考え直し、「構成的フィールドワーク」だと自信を持って言えるような状況にしていきたい。

 

卒業プロジェクト2に向けて

以下の視点をもとに、卒業プロジェクト2では、これまでの経験を土台にしながら、より対象を絞った深い観察と分析を行い、「きっかけのデザイン」に関する独自の知見を育てていくことを目指していきたいと思う。

・フィールドを捉え直す
一番はじめにすべきことは、フィールドワークの設計を改めて見つめ直すことである。現在の状況としては、フィールド(内部メンバーとして参加者の立場、ときどき主催者という権限付きの立場のときもある)としてイタリア・ヴェネチアのバール、自宅、旅行中の移動の交通機関・ホテル・レストランなど、地理的な側面からのみ捉えている。今後は、自分のフィールドだと思えるものが地理的な条件以外に何が挙げられるのかを考え、他の側面の条件(たとえば「対等な関係性があるか」「ゆるやかな時間の流れがあるか」「目的が過剰でないか」など)を追加することで、研究の対象を絞り、ひとつのリサーチクエスチョンが継続的に成り立っている状態を目指したい。

・分析の方法を具体化する
分析の方法が明確でないことも課題である。卒業プロジェクト1では記述的に現象を捉えることが中心であったが、今後は観察や記録から得られる情報をもとに、対話のプロセスや参加者の変容に関する共通点やパターンを抽出していく必要がある。そのために、出来事の記録だけではなく、「行動変容の兆し」や「自己効力感の変化」がどこで生じているのかに着目した視点で読み解くフレームワークをつくる必要があると考える。また、継続的な観察対象を設定することで、対話による内面や行動の変化を中長期的に追っていきたい。

・記述・記録のフォーマットを整備する
会話や場の観察から得た気づきを、どのように記述・記録するかも重要である。現在は日記やレポート形式が中心であるが、今後は対話の断片、表情、沈黙、場所の雰囲気など、非言語の要素を含めて記録できるフォーマットを模索する。写真、図解、関係性マップ、タイムラインなど、複数の方法を組み合わせながら、主観と客観のあいだを行き来できるような記録手法を試みたい。

・リサーチクエスチョンの決定
卒業プロジェクト1では、「深い対話が行動変容を促す」「本音が語られる場には共通点がある」といった問いが浮かび上がってきた。卒業プロジェクト2では、これらをもう一段階抽象化・定式化したリサーチクエスチョンを設定し、検証可能な形に落とし込む必要があると感じている。

・アウトプットの形を構想する
最終的な成果物の形を早い段階から意識することで、観察や記録の際に必要な情報や構成の方針も見えてくる。今後、自分の関心や伝えたいメッセージに最適な表現方法を探り、場づくりと記録がつながる実践としてアウトプットの方向性も具体化していきたい。

 

参考文献・資料
  • バンデューラ,A.(1997)『自己効力感――行動変容の社会的認知理論』金子書房
  • 山本幸生(2010)『高校生のキャリア教育プログラムの開発と実践に関する研究』
  • 加藤文俊(2025)『構成的フィールドワークに向けて』

おすそわけを通して紡がれる関係

(2025年8月7日)この文章は、2025年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

蓮見 まどか|Madoka Hasumi

はじめに

このプロジェクトは、祖母(以下、「ばあちゃん」)が日常的に行っている「おすそわけ」を手がかりに、人と人とのあいだに生まれるやりとりやコミュニケーションを観察し、記録していくものである。私自身、このプロジェクトを始めるにあたり、日常の中にあるささやかな風景や出来事に目を向けることで、普段は見過ごしてしまいそうな豊かさに気づきたいと考えた。これは、大学3年生になって就職活動を始めた私が、自分の価値や役割について否応なく問われる日々を経験していたからだ。企業から求められる人物像。自分はどんな力を持っていて、どのような立場なら「必要とされる人間」になれるのか。そんなことばかりを考えていた。エントリーシートを書くたびに、自分という存在をラベルや実績で説明しようとする焦りと向き合い、どこかで本当の自分を手放していくような感覚さえあった。
そんなある日、久しぶりに訪れた大阪のばあちゃん家で、私は思いがけず、少しずつ生きる活力のようなものを取り戻していった。今年の4月、地域のボランティア活動に参加しているばあちゃんから「春まつり」の手伝いに誘われ、スタッフとして桜の下で抹茶を点てることになった。
拙いながらも着物の着付けをしてお点前をしていると、近所の人たちはにこやかに声をかけ、「先生」とまで呼んでくれた。たとえ素人であっても、その場にいる一人として受け入れられ、何者でもない私が誰かに喜んでもらえていると感じられたとき、心から救われた。この地域には、お花の先生、ピアノの先生、オカリナの先生など、多くの「先生」と呼ばれる人たちがいる。それは、資格や職業としての肩書きというよりは、互いに敬意をもって呼び合う、やわらかな敬称のようなものだった。年齢や上下関係にとらわれず、相互の信頼のなかで生まれる「先生」という関係性。その心地よい距離感のなかで、私は自分が点てた抹茶を嬉しそうに飲んでくれる人々の笑顔に胸を打たれた。ここには、能力や実績で測られる世界とは別の価値観がある。肩書きではなく、人と人の間に流れる信頼や時間の積み重ねの方が重視されているようだった。
また、ばあちゃん家は地域の人が気軽に出入りする開かれた場所でもある。誰かが玄関に訪れ、少し雑談を交わした後におすそわけを手渡して帰っていく。そのような関係性が、私にとっては非常に人間らしい営みのように感じられた。ひとり暮らしで地域やご近所との関わりが希薄なこともあり、このおすそわけのやり取りが新鮮に映ったのかもしれない。
現代社会では、個人主義的な価値観や資本主義の論理が強く支配しているように感じる。人との関わりも、「それが自分にとって得か損か」「時間や労力に見合うかどうか」といった基準で選び取られる場面が少なくない。けれど、ばあちゃんの周囲にあるやりとりは、そういった損得勘定とは少し違う軸で動いているように思えた。分け合うこと、与えること、思い出すこと、待つこと。そうしたふるまいの中に、どこか懐かしいけれど新鮮な気づきがあった。
この経験を通じて私は、資本主義的な軸と、それとは異なるもう一つの軸とのあいだを行き来するような暮らし方を考えるようになった。どちらが正しいと断言することはできない。むしろ、その2つのあいだのグラデーションのなかで、バランスを取りながら生きていくこと。それが、卒業後も私が自分自身に問い続けていくであろう、大切なテーマだと感じている。

 

玄関からみるおすそわけ

大阪のばあちゃん家には、今年の4月から毎月、1週間ほど滞在することを続けている。私にとっては第2の実家のような場所だが、観察対象として向き合ってみると、そこにはこれまで見過ごしてきた無数のやりとりがあった。
このプロジェクトの観察の出発点として選んだのが「玄関」である。ばあちゃん家の玄関は、内と外をつなぐ土間のような空間であると同時に、人と人との関係性を紡ぎ、繋ぎとめる場所でもある。地域の人々は、あいさつの延長のようにこの玄関に立ち寄り、何かを渡し、何かを置き、あるいは立ち話をして去っていく。
ばあちゃんの家の玄関には、さまざまな形のコミュニケーションがとれるように椅子と机が置かれている。そのため、ちょっと腰かけて話をしたり、書類を広げて簡単なミーティングをすることもできる。玄関というより、半分は縁側、もう半分は居間のような使われ方をしているように感じる。さらに、玄関の机の上にはメモ帳が常備されており、ばあちゃんが不在のときには、そこに伝言を書き、おすそわけをそっと置いて帰っていく人もいる。

【図1:玄関の様子】

この場を中心に観察したいが、四六時中玄関に張りついて観察することは現実的ではない。私自身がそこに居続けることで、自然なふるまいを妨げてしまう恐れもある。そこで私は、玄関の隅に小型の見守りカメラを設置することにした。無機質なカメラをただ設置するのではなく少し親しみも加えて、この家の空気に溶け込むような存在になってほしかった。ばあちゃんの家にあったギンガムチェックのペーパーナプキンでカチューシャをつくり、同じ柄でスカートのようなものを巻きつけて着せてみた。
私はこのカメラに「まもるちゃん」と名付けた。これから長い時間を共に過ごすであろう、私の小さな相棒である。

【図2:まもるちゃん】

まもるちゃんは、玄関を一定の角度からじっと見守り続ける。動きがあったときにだけ自動で録画を始め、夜になると暗視モードに切り替わる機能もついている。映像はスマートフォンで確認できるため、東京にいる間でも、ばあちゃんの玄関の出来事をリアルタイムで見ることができるようになった。玄関は、これまで月一でしか観察できなかった場であったが、まもるちゃんの導入によって、いつでもどこでもアクセス可能になった。私は、録画された映像の中から気になった場面を選び出し、静止画として切り取っていく。その数は、すでに数百枚にのぼっている。加えて、6月からは新たな記録方法も試みている。映画『Smoke』に登場する人物が、毎朝同じ時間に同じ街角の写真を撮り続け、アルバムに収めていくというシーンにヒントを得て、私も毎朝9時にばあちゃんの家の玄関を、スマートフォンで1枚ずつ撮影することにした。同じ場所、同じ時間帯のはずなのに、光の入り方や影の落ち方、置かれているものや戸の開き方が少しずつ異なり、毎回新しい発見がある。
撮りためた写真は、約1か月ごとに現像してアルバムに収めていく。この作業は記録だけではなく、「見る」ことへの感度を養う訓練のようでもある。データから紙媒体として印刷された写真をめくることで、デジタルでは感じられない手触りと時間の流れを感じることができる。半年後には、何百枚もの写真が収められた分厚いアルバムが完成する予定だ。

【図3:アルバム】

こうして並べた写真を眺めていると、玄関という空間が常に変化していることにあらためて気づかされる。たとえば、夏になると蚊取り線香や虫除けスプレーが置かれ、家庭菜園で収穫されたばかりのゴーヤやキュウリが写真に写る頻度も次第に増えてきた。ばあちゃん家のベランダに植えられたゴーヤのつるは、あっという間に2階から4階まで這い上がった。7月からは毎日ゴーヤが採れるようになり、収穫したその日のうちにご近所へ配られている。毎年恒例となっており、ばあちゃんの野菜を心待ちにしている人も多い。また、玄関でのふるまいにも、訪れる人の距離感や関係性が滲み出る。引き戸をほんの少しだけ開けて立ち話をする人もいれば、戸をすべて開けて、玄関の縁側に座り込んでじっくり話し込む人もいる。その立ち位置、腰のかけ方などから、ばあちゃんとの関係性が伝わってくる。おすそわけの渡し方にもバリエーションがある。その場で一緒に味見をすることもあれば、お皿ごと渡して後で返却されることもある。7月になると、お中元の時期を迎え、包み紙やリボンがついた箱入りの品が玄関に現れるようになった。いつもの素朴なおすそわけとは少し異なる、よそいきのやりとりがあった。季節のうつろいとともに、玄関の風景もまた変わっていくのだ。

 

ばあちゃんについていく

関の観察と並行して、私はもうひとつ大切なアプローチとして「ばあちゃんについていく」ことを意識するようになった。ばあちゃんが日々関わっている地域ボランティアの現場に同行し、行動を共にすることで、より立体的に「おすそわけ」の世界を捉えたいと考えたからだ。
これまで私は、ばあちゃんが長年ボランティアを続けていることを、なんとなくは知っていた。けれど、それはあくまで年末年始や夏休みに顔を合わせたときに聞く話でしかなかった。ばあちゃんがどんな場所で、どんな人たちと、どんなふうに関わっているのか。具体的なイメージはまったく持てていなかった。
そんな中、4月の春まつりで、ばあちゃんが大勢の人と軽やかにコミュニケーションを取り、生き生きと現場をまわしている姿を見たとき、私は軽い衝撃を受けた。自分はばあちゃんのことを、実は何も知らなかったのではないか。普段の玄関での少人数のおしゃべりからは想像できなかったが、ばあちゃんは地域の中で頼りにされ、あちこち動き回っていた。
ばあちゃんが関わっているボランティア活動は、大きく分けて3つある。町会活動、老人ホームでのボランティア、食育支援活動である。そのすべてにばあちゃんは積極的に参加しており、しかも多くの場合、運営の中心に近い立場で動いている。町会の活動ひとつ取っても、月に1度のモーニング喫茶の運営、年4回ある季節のお祭りの準備、公園の花壇の水やり、会費の徴収、定例会議への参加など、多岐にわたっている。それに加えて、老人ホームでは南京玉すだれやマジックを披露し、食育ボランティアでは地域の学校に出向いて食育教育を行っている。まだまだ把握できていない業務もあるはずだ。
ある日、公園の花壇に花の苗を植える作業を一緒にしたことがある。かがんでの作業はなかなかの重労働だったが、植え終えた頃には自然と花壇に愛着が湧いていた。ばあちゃんは近くの工事現場で不要になった木の端材を分けてもらい、それを家に持ち帰った。ノコギリで切り、マジックペンで一つひとつ花の名前を書いたら、即興的にネームプレートが完成した。ばあちゃんの体力と行動力は、想像以上だった。

【図4:花壇の様子】

私は今、「ばあちゃんの孫」という立場を活かして、ごく自然なかたちでその場に立ち会わせてもらっている。ボランティアごとに用意されたTシャツを着ると、見た目にも仲間の一員として馴染むことができる。これまで外からは見えていなかったばあちゃんのもう一つの顔が、少しずつ見えるようになってきた。こうした現場に同行することで、私は玄関だけを観察していたときには見えてこなかったつながりの輪郭を、より解像度高く捉えることができるようになった。たとえば、老人ホームで共に活動していたメンバーや、モーニング喫茶で知り合った方が、お菓子のおすそわけをしに訪れる場面を目にした。ボランティア活動とおすそわけは決して別々の出来事ではなく、日常のなかで自然に連続している営みだったのだ。
玄関だけでなく、当然ほかの家庭でもおすそわけは行われている。ある日、ボランティアメンバーのご自宅を訪ねたとき、高級な生卵をおすそわけしてくれた。ばあちゃんはそれに対して、ちょうど買ってきたばかりの551の豚まんを手渡していた。義務ではないけれど、何かをもらったら何かを返す。その返しが即座であっても、少し時間が空いていても、それは等価交換というよりも、関係を続けるためのやりとりのように見えた。
さらに、玄関という空間そのものが、地域ボランティアと深く結びついていることにも気づかされた。祭りの前日には、イベントで使用する道具や備品が玄関に山のように積み上げられる。紙皿、飾り、椅子や机など、必要なものは大抵ばあちゃんの家に保管されており、それらが出し入れされるたびに、玄関の風景が目まぐるしく変わる。ばあちゃん家の椅子を数えてみると54脚あるのだから驚きだ。一見すると、ものが多くて雑然としているようにも見えるが、ばあちゃんにとってはどれも「いつか誰かの役に立つもの」なのだ。実際、春まつりのときには、家の奥に眠っていた30年前のお茶碗がふたたび日の目を見て、抹茶席で大活躍していた。「何にも無駄になってない。」それがばあちゃんの口癖だ。
私はこれまで、おすそわけはばあちゃん家の中で起きることだと思っていたが、実際にばあちゃんについて外に出てみると、それはあくまで地域で行われているコミュニケーションの一部にすぎないのだと実感するようになった。人と人との関係を繋ぎとめる小さな回路としてのおすそわけは、私が想像していた以上に広がりをもっていた。

 

これから

「おすそわけ」という行為は、モノのやり取りにとどまらず、人と人とのあいだにある目に見えない関係性や、信頼の積み重ねを表しているように思う。ばあちゃんのふるまいを見ていると、それは一方的な善意や「いいことをしている」という意識から生まれるものではないような気がしている。より日常的かつ素朴で、ばあちゃんにとってはあたりまえの他者との関係を維持するためのやりとりであるように感じる。ボランティア活動もまた、その延長線上にあるように見えてきた。誰かに必要とされること、誰かのために動くこと、それらは決して見返りを求めるものではなく、ただ今自分ができることをするという感覚に近いのかもしれない。見返りのない行為のなかに、なにかおすそわけ的な精神が宿っているのではないだろうか。
私は今、まもるちゃんによるオンライン定点観察と、ばあちゃんとの日常の対面観察という二つの方法を行き来しながら、おすそわけを観察している。どちらも一長一短があるが、それぞれの視点を補い合うことで、より立体的にこの空間のありようを記録できるようになってきたと感じる。
先日、アルバムに収めた玄関の写真をばあちゃんに見せてみると、「自分の玄関がこんなふうに見えていたなんて」と目を丸くして驚いていた。しばらくして、ばあちゃんがシャーベットを食べながら「このシャーベット、どうやってもらったっけ?」と首をかしげた。私たちはアルバムを一緒にめくり、記憶の手がかりを探すと、一枚の写真に隣家の方が玄関の机にシャーベットの箱を置いている姿が写っていた。その一枚が、ばあちゃんの記憶を改めて呼び起こし、数日前の出来事が急に鮮明に蘇ったようだった。記録を第三者に見せるだけでなく、写真に写っているばあちゃん本人と共有することの面白さと意義を改めて感じた。
また、アルバムを眺めていると、ばあちゃんは縁側のように玄関を使い、来客と腰をかけて話すことがあると気づいた。なぜ立ち話だけでなく、腰を据えて話すのか尋ねてみると、玄関が1段高くなっているため、片方だけが上から話すとどうしても物理的に上から目線になり、少し気後れしてしまうという。だからこそ、同じ目線で話すことで気持ちも自然と通いやすくなるのだそうだ。そんな配慮をしているのが、ばあちゃんらしいなと感じた。このアルバムの活用方法には、まだまだ可能性がありそうだ。
観察を続けるなかで、私は自分がどんな写真に惹かれるのか、なぜその一枚を選ぶのかといった選び方の癖に気づくようになってきた。それは、自分の関心や視点の偏りが表れている。ばあちゃんと過ごす時間が増えるほどに、私の「見る目」も少しずつ変化しているのを感じる。今後は、写真を撮るだけでなく、「どのように見るか」「誰と見るか」をより意識していきたい。同じ写真を今日見て感じたことと、3か月後に見返したときに感じることは、きっと違うだろう。同じ光景に対する印象や、目に留まる要素は、自分自身の変化によって変わっていく。だからこそ、この記録は一度きりのものではなく、時間をかけて繰り返し立ち返るためにも、継続して残していくべきだと考えている。玄関という場には、日々の暮らしの変化や地域の中で交わされる小さなやりとり、季節のうつろい、そして人と人との関わりが、折り重なるように存在している。そうした営みを丹念に記録し、丁寧に言葉にしていくことによって、ばあちゃんの生き方を知るだけでなく、私自身のこれからの生き方を見つめ直すヒントが得られるような気がしている。
また、「誰の視点で見るか」という部分も大切だと感じている。以前、祖母は喪服を着て近所の方の葬儀へ出かけたことがある。その方が数週間前に贈ってくれた花は、まだ玄関に飾られていたが、ゆっくりと色褪せ、しおれ始めていた。祖母はその花をひとつひとつ丁寧に片づけた。花があった場所にできた小さな空白が印象に残り、玄関の空気がほんの少し変わったように感じられた。こうした空間から受け取る感情は、まもるちゃんの視点だけではすくい取れないものもあることに気づいた。
まもるちゃんの視点、ばあちゃんの視点、そして私自身の視点──この3つのまなざしを通して玄関を見つめ、このプロジェクトを通じて、観察と記録をさらに深めていきたい。そして、このおすそわけをめぐるプロジェクトが、いずれは私にとって、日々の暮らしの中にある豊かさや、人間という生き物としての在り方に立ち返るための、ひとつの羅針盤となるのではないかと感じている。

 

参考文献
  • 青木真兵(2024)『武器としての土着思考:僕たちが「資本の原理」から逃れて「移住との格闘」に希望を見出した理由』東洋経済新報社
  • Wayne Wang.(1995)『Smoke』Miramax, LLC.KADOKAWA HERALD PICTURES, INC.

おうちから家族を紐解く

(2025年8月7日)この文章は、2025年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

清水 彩也香|Sayaka Shimizu

はじめに 

私の卒業プロジェクトは、家にあるモノを通して家族の大事にしているもの、価値観、性格などを紐解いていくというものだ。我が家は今どき珍しい3世代世帯である。1階に母方の祖父母、2階に両親と私が暮らしている。両親は共働きであったため、保育園への送り迎え、ご飯のマナーや挨拶など、いわゆるしつけは祖父母がしてくれた。そんな祖父母のことを、私は物心ついた時から「パパさん、ママさん」と呼んでいる。生活圏は分かれているものの、晩御飯はできる限り一緒に食べ、時間を共有することを大切にしている。そんな家族5人のこだわりがつまった家を卒プロのフィールドにしている。

 

テーマの変遷・背景

元々卒プロ1を始める前は別のテーマを進めていた。「ママさんの暮らしを観察したい」と思い、祖母の暮らしの工夫を記録していたのだ。きっかけになったのは、1年前の善行団地での経験だ。住民の方々へ暮らしにまつわるインタビューをする機会があり、そこで団地のルールや加齢に伴う身体の変化などいろんな制限がある中で、心を豊かにしようと工夫を凝らしているおじいちゃんおばあちゃんに出会った。自主的に棟の前を掃除したり、回覧板にメッセージを添えることで近所との交流を深めたり、団地に咲く四季折々の花を療養中の旦那さんに届け続けて幸せを感じていたり、それぞれがそれぞれの方法で充実した生活を送っていた。この出会いをきっかけに、私は小さいことにでも幸せを感じられる、自らその幸せを作り出せる人でありたいと思うようになった。そこで、ふと祖母の顔が浮かんだ。我が家にもいろんな工夫をしながら楽しく人生を送っている人がいる、と。私は、そんな彼女の生活をじっくり見たくなった。暮らしの観察という大きなテーマをどう進めていくか考えているとき、「持続可能なライフスタイルデザイン手法」として2013年にグッドデザイン・未来づくりデザイン賞を受賞した「90歳ヒアリング」の存在を知った。これは、東京都市大学の古川柳蔵教授が低環境負荷な暮らしのかたちに関する研究の一環として実施しているもので、90歳前後の方々に直接話を聞き、戦前の暮らし方について分析し、暮らしの知恵や感性を再発見することで未来の暮らし方の変革モデルを提案していくものである。私の祖母は81歳であるため、対象の年齢とは離れているものの、「暮らし」を知る手段としてインタビューがどう活用できるか、公開されているマニュアルを参考に考え、実践しようと思っていた。

しかし、3月のある出来事をきっかけに、ママさんに限らず「私の家族」を対象に暮らしを観察したいと思うようになった。3月中旬、約8年間癌と闘っていた父が亡くなった。2歳の時に父方の祖父が亡くなって以降、親族の誰かとお別れするのは初めてだった。こんなに喪失感を覚えたのも初めてだった。そんな中遺品整理をしていると、思い出深いものがたくさん出てきた。一緒に弾こうと半分ずつお金を出したが結局ケースにしまわれ続けたアコースティック・ギター、父の日にプレゼントして以降3日に1回のペースで着ていたパイナップル柄のシャツ、たくさんの家族写真など。同時に、物で溢れている我が家でも、父のクローゼットや書類が入っている棚だけ妙に整理整頓されていることに気づいた。リモコンやコースターなど一つひとつのモノに住所を決めるほどの家族イチの綺麗好きで、無駄なものを買わない性格が反映されていた。「家」という箱には、それぞれが大切に思っているもの、それぞれの性格や信念がつまっている。そんなことに気づいた時、家族がそれぞれどんなことを思い毎日を過ごしているのか、どんなことを大切にしているのか、家の中を観察することで紐解いていけるのではないか、と思った。実際、進んでいたママさんの暮らしの工夫の観察も、家にあるモノに対して「これは何?」と聞く中で明らかになっていったものばかりだった。父とのお別れを通して、家族を失うことの怖さや辛さを実感した私は、家族の記録を日々残すことの大切さ、残さなかったことへの後悔、同時に残していることへの安心感に気づいた。きっとあたりまえだと思っている日常を意識的に残しておくことが、いつかの自分の心の支えになる。そこから、家族が生きている証、生きてきた証を辿って残す卒業プロジェクトをやりたいと思った。自分の家での観察を終えたときには、「お家から家族を紐解く方法」を提案できるようになれていたら嬉しい。

 

「卒プロ1」を通して見えてきたこと

卒プロ1では、家の中を「1階キッチン棚」「1階畳部屋の角」「2階ベッドルームの押し入れ」などエリアで分けて、1つずつ観察し、気になったものについては所有者に聞きながら、記録を行った。祖父母は1階、母と私は2階と世帯ごとに居住空間を分けていることから、普段は全く足を踏み入れないエリアも多く、新鮮な気持ちで家を探索することができている。記録方法は、「おうち」考現学について書かれている『ホーム・スウィート・ホーム』という本を参考にしている。「生き方の数だけ存在する住まいのかたちを見たい」と多くの家を訪ねる筆者が、家の俯瞰図イラストと共に各家庭での家のこだわりやエピソードをまとめているものだ。私はこの本を通して、家主の性格や仕事への関わり方、同居人との関係性が家からこんなにも分かるものなのかと驚いた。
私は本を参考に、観察エリアを一番使っている家族に付き添ってもらい、「これはなんでここにあるの?」「いつからあるの?」など何気ない質問を投げかけながら、進めている。やり取りは全て録音をし、後から写真やメモと合わせデータとして分析している。はじめは、家の隅から隅までを観察しようと思っていたのだが、やっていくうちに現実的ではないことに気づいた。いざ進めると、観察には1箇所に最低でも1時間かかってしまい、そこから文字起こしをすると相当な時間を使うことがわかったのだ。
こんなに時間がかかるのにも理由がある。1つ目は、単純にモノが多いからだ。我が家は2000年に母と祖父母が1から建てた家であり、今後引越しをする計画もないため、モノは捨てられずに溜まっていく。また、祖母は「捨てるものは何もないんだよ」とよく言っているくらいになんでも有効活用してしまう性格で、母も紙袋やお菓子の箱などをいつかのためにと取っておくタイプである。私もその血を引き継ぎ色々と残してしまう性格であるため、気づいたらモノは溜まっているのだ。2つ目は、話がどんどん広がっていくからだ。特に意識していなくても、1つのものから過去のエピソード、連想される別のモノの話へと広がっていく。時には時間を置いて「そういえばあれ…」と話が続くこともある。このように観察に時間がかかることから、家の中でも特に気になる、こだわりがつまっていそうなエリアを厳選して記録していくことにした。

 

実際にやってみた

卒プロ1で観察したのは、3箇所である。

【1回目】

  • 場所:1階 パソコンエリア
  • 日時:5/31(土)15:35〜 
  • 所有時間:60分間

気づき① 連想された違うモノの話へ
最初は写真①の肩たたきの話をしていたのだが、気づいたら今回は観察対象外だった場所にある写真②のめん棒の話になっていたのだ。

パパさん「これ、肩トントンするやつ。あの、それ、新聞の広告を丸めて作ったやつな!」
私「これも手作り?」
パパさん「うん、ママさんがお手製のやつね」「それでこれは、このめん棒は、あの、強盗用、対策。この間一回出動したんやけど、何もなかったけどね。」
私「えっ!」
ママさん「あーさやちゃんに言うてないわ。ママには言ったけど。」

この後、めん棒が最近どんな場面で使われたのかエピソードを教えてくれた。肩たたきの話をしていたのに、棒つながりで思い出したであろう違う話題が繰り広げられた。

肩たたき、めん棒の写真入れる

その後も、本やスピーカーなどが置かれた木製の板について話していると、祖母のお兄さんの話へと広がっていった。

私「ママさん!ママさんこの板は何か覚えてますか?」
パパさん「兄さんが作ったやつ?」
ママさん「うん、これね、この木の木目がもう本当に珍しいんだって」
パパさん「ママさんの兄さんは、その、鏡台とかほんなん作ってた人で」
ママさん「こんなのとか(2回目に観察する木製の棚を指して)、ママさんの三面鏡とか。そんなのみな作ってくれたの。お嫁に行く時な。」
パパさん「それが仕事だから、本職。」
ママさん「だからうちの家系はみんな手先が器用。あの東(あずま)のおばちゃんにしたってそうでしょ?」

※会話の一部を抜粋

これまで祖父母の兄弟の話を聞く機会はなく、21年一緒に暮らしていて今回初めて話題に上がった。このように話題が飛んだり、広がったりすることにこそ意味があるということに気づくことができた。ただモノを見るだけでなく、そのモノに込められた想いやエピソード、そのモノから関連して思い出されるあれこれをしっかり記録していきたい。

気づき② 回想法としての可能性
卒プロ1期間中に5回進捗を共有する機会が授業の中であったのだが、観察1回目の内容を共有したときに「モノをきっかけにして話す」というやりとりが回想法に近いのでは、と言われた。公益財団法人長寿科学振興財団の健康長寿ネットによると、「回想法とは、昔の懐かしい写真や音楽、昔使っていた馴染み深い家庭用品などを見たり、触れたりしながら、昔の経験や思い出を語り合う一種の心理療法」だそう。モノを見ると「そういえば」と何かを思い出して話すことは、実際に私が祖父母と家の観察をしたときに何度も起こった。そのモノとエピソードは繋がっているとき、そうではないときがあるが、自然と話し出すことに変わりない。回想法のような効果を与えられるプロジェクトになるかもしれないと考えると、ワクワクした。回想法は、対象者に応じた細かいシナリオを準備するのを推奨しているため、その姿勢を参考にして、インタビュアーに応じて一部方法を変えるやり方も考えてみたいと思った。

【2回目】

  • 場所:1階 木製棚エリア
  • 日時:6/12(木)18:40〜 
  • 所有時間:45分間

気づき① 「手作り」の話やすさ
2回目は、前回ほど話題が広がらない感じがした。それでも特定の話になると祖母がよく話すようになった。自分が手を加えたモノについては積極的になり、別のエリアにあるモノまで持ってきて話していた。

私「このケースは何?」
ママさん「牛乳パック!」
私「すご!牛乳パックで作ったの!?すごい!結構なんか、高さがそれぞれ違うんだね。」
ママさん「あー違えてあるの」
私「すごい、こられてる」
ママさん「こんなんだったらいっぱいあるよ〜(部屋から持ってきた)」
私「すごい!いっぱいある(笑)」
ママさん「向こうにも」
私「へ〜これも?これ牛乳パックじゃないでしょ(ぷくぷくしてる)」
ママさん「これも牛乳パック」「ほれで、これ布の中に綿を、これ。」
私「あ、入れてるのね」
ママさん「うん。ホワホワ〜としてるでしょ?布貼るんが大変。」

※会話の一部を抜粋

これ以外にも、洋服の虫食いにあった部分を刺繍した話、栞を作った話など、2回目は手作りしたものについて多く語ってくれた。ママさんは普段からタオルを服にアレンジしたり、破れたジーンズを雑巾にしたり、「何も無駄にしない」「より便利に」という気持ちを元にモノに手を加えるのが好きである。そういうママさんの一面がよく見えた回になった。

気づき② とりあえず残す
観察している時、「ママさんはよう捨てないんだよね」「処分するものがいっぱいあるんだよ、こうやってみたら」とパパさんが言う場面があった。ただ、言うだけで捨てることはなかった。昔使っていた4台のガラケーやスマートフォン、町内会の集金で活用していた領収証など、もういらないものがたくさん残っていた。観察1回目の時も、大量の裏紙が棚にしまわれていた。「いつか使うかも」と、捨てるか迷ったら捨てない方を選ぶという価値観が表れている。父が迷ったら捨てる派だったので、祖父母の価値観を改めて言葉として聞いたときは新鮮だった。

【3回目】

  • 場所:2階 ベッドルームのクローゼット
  • 日時:6/26(木)10:00〜 
  • 所有時間:150分間

気づき① 「捨てる・捨てない」の判断
3回目は、初めて母と私が暮らす2階で、普段あまり開かないクローゼットを観察してみた。1階の時同様、「これは何?」と好奇心旺盛な5歳児のように聞いていった。そこには、母の冬物の服、もう着ない着物、私が小さい頃好きだった本や色鉛筆、父のお気に入りだった服などいろんなものが入っていた。すると、母が「いらないものは捨てちゃおう」とゴミ袋を取り出してきた。リサイクルできるもの、捨てるもので分けて、2人でいらないと判断したものはどちらかの袋に入れていくことにした。結果的に、ゴミ袋2つ、リサイクル袋1つ分を処分することになった。また、母と観察を行っていると、クローゼットの上にソファーに取り付けるヘッドレストを見つけた。その隣には謎の紙袋も。ヘッドレストは本来あるべき場所へ、紙袋は中身を確認し、小中高の同級生と「30歳になったら開けよう」と約束したタイムカプセルだと分かったため、分かりやすいようにメモをつけた。このように、3回目は片付けながら行うことになった。

そこで、私たちは日常から「片付ける」という行為を無意識的に行っていると気づいた。捨てるもの、元の場所に残しておくもの、場所を変えて残しておくもの、誰かにあげるもの、いろんな片付けを短時間で判断して行動に移している。そのやり方や判断する時間はモノへの思いの深さによって異なったりもする。今回の観察は、その無意識の行動をあえて言葉にしながら行う機会になった。声として発しなくても、よく考えてモノを移動させる機会になった。これはなんで捨てるのか、これはなぜ残したいと思ったのか、これをここに置き直した理由は何か。家でのこのようなモノの動き、それに伴う思いを丁寧に記録することで、家族の大切にしているもの、考えがわかるかもしれないと思った。片付けも、「家から家族を紐解く」方法として有効かもしれない。

気づき② アルバムは最強アイテム
クローゼットの中には大量の父と母のアルバムがあった。両親はスピード婚だったため、2人の初々しい写真はほぼなく、学生時代や20代にそれぞれが旅行先で撮った写真などが大半だった。ただ、見ていると写真から人となりが見えてくる。もう直接確認できないが、写真を通して父の昔の様子を垣間見ることができた。そこで、お葬式の時に参列していた父の高校時代の友達が「ニカーッと笑うんだよな、そうそうこの顔!」と飾ってあった写真を指さして語っていたのを思い出した。これまでいろんな人に「お父さん似だね」と言われ続け、その度嫌な顔をしていたのだが、アルバムに映る父の笑顔があまりに自分と似ていたので、納得してしまった。アルバム、写真を見ると自然と会話が生まれる。「昔はこんな子だった」「この時は〇〇が流行っていた」と当時の話はもちろん、「今のさやちゃんくらいの時だよ」と現在の話になることもあり、母と時代を跨いでいろんな話をすることができた。回想法でも写真を活用すると言われているが、家族を知るためにアルバムを活用するのも一つの手だと感じた。

このように、3箇所観察を行い、性格や生活、過去や家族との関係性など、モノから分かることはたくさんある。ささやかな日常、そんな日常を過ごす家を丁寧に見ていくことで家族についてより深く知ることができると確信できる卒プロ1になった。

 

これから

【夏休み中】
「家から家族を紐解く方法」として何がいいのかを考えるため、様々な方法で観察を試す予定だ。あるモノから別のモノを連想してもらい、それに関するエピソードを聞く連想ゲームのようなやり方や、直接的に「こだわりがあるエリア・モノ」を紹介してもうやり方などを考えている。また、片付けながらやる場合に何をもって捨てる・捨てない・別の場所へ移動を判断しているのかも丁寧に記録したい。そこに家族について知るヒントが隠されているか気になっている。さらに、観察をして感じたこと、気づきなどをその日のうちに記録することも意識的にやっていきたい。ボイスメモでも箇条書きでも、自分がその日の観察で印象に残ったことはなんだったか、残しておく予定だ。

【卒プロ2】
夏休み中に記録方法を絞ることができたら、2周目をやってみたい。1回目の内容を元に話題を少し変えて行ったり、メインで語っていた人とは違う人を呼んで行ったり、回数を重ねることで得られる情報が変化するかも興味がある。また、卒プロを行うことで家族との関係がどう変化しているかも言語化していきたい。卒プロ1を通して、家族との会話、特に祖父母とのコミュニケーションに変化が起こっているのを感じている。接触回数が増えたのはもちろん、日常会話だけでない深い話を以前よりもしやすくなったり、小さい頃の祖父母との思い出を振り返る機会が多くなったり、プラスに変化している実感がある。これからは、家から家族を紐解く方法、それを明らかにする過程での家族との関係値の変化をまとめていきたい。来年4月になると、家族とは今以上に一緒にいる時間が少なくなる。このプロジェクトが自分と祖父母、両親との関わりを記録したものになったら嬉しい。

 

参考文献・資料

「あの状況」で:大学ミュージアムにおける協働の試行錯誤

(2025年8月7日)この文章は、2025年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

木村 晃子|Koko Kimura

はじめに

「またあの状況だ。」
わたしが誰かと協働するとき、ある状況に困惑し、焦り、納得できずにいることがある。また反対に、ある状況に高揚し、喜びを感じ、満たされることもある。どうしていつもこれほどまでに上手くいかないのか。わたしの能力不足のせいだろうか。あの人のやる気がないせいだろうか。あるいはやり方や仕組みがその状況との相性が悪いことが原因なのかもしれない。
わたしは誰かと誰かが過ごす場、特に協働の場において自分がめざしている状態にするためにはどうすればよいのかということについて、かねてより強い関心を寄せてきた。わたしの卒業プロジェクトでは自分が実際に関わっている協働の場で起きたことの記録から、どうすれば、どうしたことによって上手くいったのかを考えていく。その記録と考えたことを再び「あの状況」に遭遇するであろう後の自分や、似たような状況に遭遇する他者のためにひとつひとつ言葉にしていきたい。

 

背景

わたしは大学生活で10種類のアルバイトやインターンシップを経験してきた。仕事を早く覚えて自分を場に役立たせるため、またその職場について知るためにそれぞれの職場に少なくとも半年以上在籍するというルールを自分に課していた。マーケティング担当者に経理担当者にカフェ店員に空間デザイナー、アパレル店員に美術館の監視員にティーチングアシスタント、ドラッグストア店員に書店員と自分の役割と立場を変えながら、それぞれの現場をみてきた。自分が生きている社会のある部分がどのような役割の人の、どのような働きによって動いているのかを身をもって知りたいと思っていたからだ。
そのように現場を転々としてきたわたしが唯一大学1年生の頃から現在まで継続して参加しているのが、慶應義塾ミュージアム・コモンズ(以下、KeMCo)でのアルバイトだ。KeMCoでは慶應義塾内の各所に存在するコレクションを公開する展覧会や教育普及・研究を目的としたワークショップ等を展開し、慶應義塾のアートとカルチャーをめぐる活動を活性化させるという役割を担っている。わたしは、KeMCoの学生スタッフとして他12人の学生たちとともに施設のあり方や使い方を考えるために日々試行錯誤しながら活動・研究・勤務している。過去には、蔦屋重三郎が版元の浮世絵がテーマの展覧会における、浮世絵の歴史や制作過程や浮世絵師についてまとめたZINEを来館者に和綴じを簡略化した方法で綴じてもらう体験の企画や、慶應義塾の中等部・高等学校とのコラボレーション、アーティストへのインタビューや研究ワークショップの運営など多種多様な活動に関わってきた。
わたしたち学生スタッフの主な活動拠点は三田キャンパス東別館8階のKeMCo StudI/O(以下、ケムスタ)と呼ばれる場所だ。ケムスタでは文化財の撮影やスキャン、データ化、デジタルアーカイブ化のインプットとそれらのデータを活用したアウトプットができるデジタルファブリケーションなどの設備がある。これらのリソースを利用しながらKeMCoにやってくる人が楽しんだり学んだりできる状態にするために、学生スタッフや教員、学芸員、職員が話し合い、つくりながら考えている。
KeMCoでの活動はわたしがこれまで経験してきたほかのアルバイトやインターンシップでの現場と比べて、特殊で複雑であると感じる。KeMCoは非営利のミュージアムであり、研究機関でもありながら、在籍するわたしたち学生スタッフには活動・仕事への対価が支払われている。ふつう、研究や学びは学生がお金を払って得たいもの、得るものであるのに対してここでは学生協働として研究活動とも、仕事とも言い切れないそのあいだの活動に大学側からお金が支払われている。それだけわたしたちには相応の責任が伴い、成果が求められているとも言える。
そのような特殊な現場であるKeMCoでの活動を3年弱の間、わたしが継続して気がついたことは、KeMCoで度々発生する「あの状況」は、条件がそろえばKeMCoに限らずほかの現場でも起こるということだった。余裕を持ってスケジュールを組んで着々と進めてきたはずなのに、締め切り間際でトラブルが発生し、追い込みをかける「あの状況」、チーム内での引き継ぎが上手くいかず、昨日と今日でやることが重複してしまう「あの状況」、などはKeMCo以外の現場でもよく経験されることだった。誰かと誰かが協力しながら共通の目標を達成することが求められる場においてよく起こる状況には、共通する部分があると考えている。
KeMCoの活動は日によってやること・関わる人・目的が異なるため自分や自分たちがやること、したほうがいいことを即興的に判断をする必要がある。誰がどの席に座れば話し合いがすすめやすいか、休み時間にどのような話題をふれば居心地のよい雰囲気をつくれるか、その日にいない人への共有のSlackの文章はどのように書くのがいいかなど、言語化もマニュアル化もされていない活動を円滑に有意味にすすめるための方法に悩み、試行錯誤を続けてきた。
わたしの卒業プロジェクトでは、KeMCoに加入した2023年の1月から現在までの間で、起こった状況とその状況に対してわたしや他の学生スタッフがしたことをふりかえり、また卒業まで実践を続けながらその方法を見つけ出したいと考えている。そして、KeMCoを卒業したあとも様々な現場で起こる「あの状況」に対して困惑せず、焦らず、納得して動けるようになりたいと思っている。

活動の様子

 

関わる人とわたしについて

わたしの卒業プロジェクトに関わる人たちには、一緒に活動している12人の学生スタッフのほかに、活動を統括している教員、活動のサポートしている職員、わたしたちが取り組む目的やお題を与える学芸員の方々がいる。また、以前まで一緒に活動していたが、現在は卒業して時々顔を合わせるOBOGの方々にもこの卒業プロジェクトにあたってお話を伺った。他にも、KeMCoの4階を活動拠点にしているより学芸の仕事に近い部分のサポートをしている別組織の学生スタッフたちとも協働することがある。
この卒業プロジェクトでは主に日々一緒に活動している12人の学生スタッフと活動を統括している教員の方とのやりとりを取り上げている。12人の学生スタッフは、慶應義塾の学生のみで構成されており、大学院生が4人、学部生が8人、学年も専攻分野も様々である。文化財やミュージアムの運営に関心を寄せている文学部の美学美術史専攻のメンバーもいれば、デザインやデジタル展開などのアウトプットの仕方に関心を寄せている理工のメンバー、ほかにも医学部や法学部のメンバーもいる。それぞれの得意なことや関心のあることを持ち寄って活動をしている。この組織の中でのわたしは、Adobe製品を使ったグラフィックデザインや写真撮影、プロジェクションマッピングなどの主にデザインを担当し、学年順では3番目、年齢順では9番目、加入順では現在のメンバーのなかでは最古参に位置付けられている。先述した通り、大学1年生の頃からこの組織に参加しているが、あと半年ほどで慶應義塾の卒業と同時にKeMCoでの活動を終了することになる。同じように現在学部4年と修士2年で、慶應義塾での進学予定がないほかの6人のメンバーも同じタイミングで活動を終了する予定だ。
わたしがこの卒業プロジェクトに取り組む理由は、ケムスタでの「あの状況」について記録し、まとめることはわたしにしかできないことなのではないかと考えているからだ。現在在籍しているメンバーの中でも、わたしは加入から卒業まで3年と3ヶ月もの長期にわたって在籍する機会を得られた。「長期間在籍している」というだけではあるが、何度も起こる状況の共通点を感じ取り、あるいは考えてまとめることにはその時間の厚みが役に立つのではないかと考えている。また、わたしが卒業したあとも「あの状況」に直面する後輩たちがわたしの記録をみて、少しでも参考になることがあればこれほど嬉しいことはない。

在籍中メンバーの加入と卒業

 

方法と経過

プロジェクトをすすめるにあたって、ケムスタで起きていることをどのように記録し、「あの状況」をすくいとるのかが重要だ。ケムスタで起きていることを考えるために、『会議のマネジメント(加藤文俊/著)』の空間・時間・情報の3つの側面からコミュニケーションの現場を理解する考え方からヒントを得た。具体的には、その日に起こったことを記述した文章、活動の様子の写真、スケジュール表、Slackやnotionといったコミュニケーションツールでのやりとりの記録をもとに「あの状況」を整理していく。
空間の側面においては、フリーアドレスの大きなテーブルのどの席に自分が座ることが多いのか、なぜその席に座ることが多いのか、誰の近くに誰が座るのかなどを活動の様子の写真をもとに記録した。浮世絵の展覧会の企画準備に追われていた5月の活動では、図右下の①の席、ホワイトボード前のお誕生日席②とデスクトップPCが置かれたひとり用テーブル席③に座ることが多かった。わたしがその席に座ることが多い理由をそれぞれのちに考えてみた。①は正面に窓があり、こちら側の席に座るとデザイン作業などでPCを使用する際に窓からの光でディスプレイが反射することがない。②はZINEのデザイン案を構想する際にメンバーへの説明や自分が考えをまとめる際にすぐにホワイトボートにかくことができる。③の席にあるデスクトップPCはデザインツールであるAdobe製品を使用する際に、大きなタッチパネル機能のついたディスプレイモニターが使いやすい。しかし、わたしだけ他の学生スタッフが座っているテーブルに背を向けて作業することになるので、テーブルでの雑談に入れなかったり、他のメンバーが何かわたしに話かける際には③の位置まできてもらっていたりした。

ケムスタの席配置図

また、ケムスタで流れているBGMの音量や曲調によっても声量や会話量、話される内容が変わるのではないかと予想し、その体感的な変化を記述した。具体的にはBGMを再生・停止した際、音量を調整した際にどのような動機や状況なのかを記述した。
ケムスタの活動は大学の時間割と連動しており、大抵の活動日が10時45分開始、つまり三田キャンパスの時間割で2限の授業の開始時刻と同時に活動もはじまることになっている。学業が本分であるわたしを含めた13人のメンバーはそれぞれ、一日中授業のない全休の日や授業の空きコマの時間に活動しているため、毎週水木金曜日に全員が集まることはほぼない。春学期のわたしは授業のある木曜日と金曜日は、三田キャンパスで開講している1.2限の授業を受けてから、東別館のケムスタに移動して活動をはじめるというルーティーンであった。他のメンバーも時間割と結びついたケムスタでの活動を、それぞれのルーティーンの中で位置付けているのだと思う。そのため、どのメンバーとどれくらい時間を共有できるかを気にしながら活動をしている。たとえば、制作しているZINEの装丁について決める際には、デザインを担当しているメンバーが木曜日に来るのを見越して、水曜日にいるメンバーで大まかな目星をつけて引き継ぎ、木曜日に最終決定する流れをとることがあった。このような自分と他のメンバーの「時間割」を意識した活動において、どのように時間をマネジメントしようとしているのかの気づきも記録している。
「あの状況」と「あの状況に対してどうすればよいか」ということをすくいとるために、空間・時間・情報の3つの側面から記録を続けていき、まずはケムスタで「何が起きているか」を理解したいと考えている。

 

遭遇した「あの状況」

1. 引き継ぎ問題
5月のケムスタは、6月3日より開催の浮世絵の展覧会「夢みる!歌麿、謎めく?写楽 — 江戸のセンセーション」展の準備で忙殺されていた。5月のスケジュール表をみると、わたしの活動日数は16日だった。2日に一度は必ずケムスタに訪れていたことになる。ケムスタで活動するわたしたちの仕事は、浮世絵の展覧会における「浮世絵鑑賞+αの体験」を考え、実際に手を動かしてつくり、来館者の方に届けることだと考えている。動画&SNS、テック、ZINEの3つのプロジェクトチームに分かれてその体験のデザインと制作にあたった。
わたしはZINE企画のチームを担当した。わたしを含めて5人いるメンバーは大学の時間割によって参加できる曜日や時間帯が異なる。そのため、情報の共有やその日に話して進めたことの引き継ぎの仕方を工夫しなければならなかった。引き継ぎの仕方をわたしが工夫したい理由は、これまで3年弱の活動の中で引き継ぎが上手くいかなかったことによる不都合を何度も目撃してきたことにある。昨日と今日でやることが重複してしまう。その日の話し合いでなぜ企画を採用・不採用にしたのかの経緯を追えずに議論が重複してしまう。その結果、活動の進行が遅れて展覧会の開催日に間に合わない状況は今回こそは避けたいと思った。
この「引き継ぎ問題」を回避するために、云々と考えてわたしが実際にしたことは、「自分がずっといる」ということだった。チームの中で誰かひとりでも、毎回の話し合いや活動に参加しているひとがいれば、そしてそのひとがプロジェクト全体を把握してマネジメントしておけば、今回はひとまず「引き継ぎ問題」を回避できると思った。ただこの方法は、チームメンバーに、学部4年生で時間割にもスケジュールにもゆとりがあるわたしのようなメンバーがいる場合にしか使えない方法なのかもしれないと、実際にしてみて思った。平日の2日〜4日毎週ケムスタに通う生活を1ヶ月続けてみて、わたしはいつもより少し無理をしていたと思う。ケムスタでの活動日はケムスタでの活動に没頭して、活動がない日にはケムスタで起こったことの振り返りや反省をしてしまい頭の中はケムスタのことでいっぱいになっていた。
また、みんなで話し合ったことの内容の共有はできるだけケムスタで一緒にいるときに口頭で経緯から話すことを心がけた。決まったことのメモやスケジュールはその日にいないメンバーに活動の進捗を共有するためにSlackでのやりとりや共有において以前よりも頻度とわかりやすさを意識していたと思う。また、他の人がすでに取り組んでいた場合の重複を防ぐという思惑と、明日いないメンバーにも自分がこれからやることについて何か意見やアイデアがあれば書いてくれるかもしれないという期待から「明日きむここがやることリスト」も時々共有していた。

5月のスケジュール表

2. 締め切り直前のハードワーク
「あの状況」のひとつに「締め切り直前のハードワーク」が挙げられる。ZINE制作の企画において、6月2日からの一般公開に向けて入稿を遅くとも5月26日までに行う必要があった。入稿の前々日の昼に思いがけず学芸員の方の最終チェックで初稿時には挙げられていなかった修正点が入った。入稿前日、前々日は元々活動予定日ではなく、十分な作業時間を予定していなかったため、メンバーやわたしの他の予定にもよくない影響を与えてしまう結果になった。最終的に修正点を重要度順に整理して修正していき、質は落ちるが致命的な誤りはない状態にして無事5月26日に入稿することができた。この「締め切り直前」の状況は、特にZINE入稿をする際に陥ることが多い。何度もこの状況を経験し、今回は未然に防ぐために事前にタスクを洗い出し、スケジュール管理をしていた(つもりだった)。それでも直前に予期せぬことが起こると、避けられない「あの状況」に陥ってしまうことがあるようだ。


3. 「お昼ご飯を一緒に食べる」
わたしが「あの状況」と呼んでいることは、よく陥る/よくない状況のみならず、何気なくしているが、実は活動やわたしたちの関係においてよい/重要なのではないかと思う状況も含まれている。その例として、「お昼ご飯を一緒に食べる」ということがある。6月に入り、展覧会がひらかれてからは、ケムスタでメンバーがまとまって作業する機会がなくなり、その影響でお昼ご飯を一緒に食べに行く機会も減った。これにより、メンバー同士、とりわけ5人以上での会話の機会が著しく減ってしまった。「一緒に活動している」という意識も薄れてきたように思う。これはわたしにとって無視できない感情の変化だった。それだけ「一緒に食べる」という時間はわたしにとって大切なことだったということなのかもしれないと思っている。お昼ご飯を一緒に食べるような状況を意図的に作り出すことによって、今までは話しにくかったことが話せるようになるきっかけになり、質問するほどの・相談するほどの・報告するほどのことではないと思って言わずにいたことを気軽に言える関係になれる場合があることに気がついた。

活動日のお昼ご飯

このような「あの状況」について、具体的なエピソードを公開しながら自分が(自分たちが)その状況においてどのような行動をしたのか、その行動によって状況がどう変化したかの記録をまとめていきたいと考えている。

 

おわりに

わたしは大学生活で経験した様々な働く現場で、トラブルが起きた際にその原因を現場にいた人の能力、やる気、注意散漫といったことに追及しようとする状況を何度も目撃してきた。本当にその人のせいなのだろうか。その人がその時にした行為のせいなのだろうか。それとも、チーム内のコミュニケーションや仕事の仕組みややり方、自分自身ではコントロールすることができない外的環境の影響でトラブルが起きてしまったかもしれない。そのような疑問をずっと持ち続けてきた。
卒業プロジェクト1では、ケムスタで起こっていることを写真とフィールドノートで記録し、活動のスケジュール表、Slackでのやりとりなどの記録と見比べながら理解しようとしてきた。プロジェクトを通してよく陥る「あの状況」は、ちょっとしたコミュニケーションの工夫をすることで状況をよりよくすることできる場合があるのではないかと考えるようになった。
夏季休暇中に行いたいことは、夏季休暇中の活動を引き続き写真や記述により記録していくこと、春学期中の記録(写真・出来事の記述・Slackのやりとり・スケジュール表など)を見返して整理すること、そこからよく起こる状況をすくいとることの3つだ。そして卒業プロジェクト2では、KeMCoでの活動に関わる人たちに自分がすくいとった「あの状況」の具体的なエピソードを共有して、話を聞いてみたい。また、このプロジェクトでの学びや気づきをどのようなかたちでそとにひらいていくのかについても手を動かしながら考えていくつもりだ。

 

参考文献・資料
  • 加藤文俊(2016)『会議のマネジメント:周到な準備、即興的な判断』中公新書

「F」の社会学

(2025年8月7日)この文章は、2025年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

小田 文太郎|Fumitaro Oda

はじめに

「Fの社会学」は、不登校という社会問題を、当事者である私自身と、不登校の子どもを持つ親という視点から見つめ直し、ドキュメンタリー映像という手法によって可視化することを目的とした卒業プロジェクトである。「Fの社会学」のFとは「Fumitaro」「Futouko」「Film」「Fieldwork」などの私の卒業プロジェクトに関する単語の頭文字である。これは、ケンプラマーの著書「21世紀を生きるための社会学の教科書」において3つのT、すなわち「トマト、トイレ、テレフォン」のようなアルファベット一文字でも社会学になるという文脈に由来するものである。本プロジェクトでは、「不登校のこどもの親が何を考えているのか」という親の視点のドキュメンタリーと、「不登校であった私」を描いた主観的ドキュメンタリーの二本を制作する。この試みによって、不登校の当事者とその親の間にある、可視化されにくい関係性や感情を描き出すことを目指している。

 

問題意識と背景

私は高校入学式の翌日から学校に行かなくなり30日間連続で欠席したことで不登校になり約1年間引きこもった。学校に行かなかった理由は、高校入学前の終わっていない課題をやるためだった。明日やろうと思いながらも引きこもる日が続いていった。16歳の夏休みの終わりに、母から欠席日数が原因で高校2年生へ進級することができないと伝えられた。同時に同じ高校で1年生をやり直すか、転校することを勧められた。母がいくつか転校先の候補の高校のパンフレットを見せてくれて、私は映画を作ったりアナウンスをする放送部のある桜丘高校に興味が湧き、16歳の11月にオープンキャンパスへ行き転校することを決めた。桜丘高校では、放送部に入部し5~8分程度のドキュメンタリー作品をグループの仲間たちと制作することに没頭していた。高校2年生の時にグループでヤングケアラーをテーマにしたドキュメンタリー「ヤングケアラー 高校生の葛藤」を制作し、第65回NHK杯高校放送コンテストで優勝した。優勝したことでNHKホールやNHKで作品が放映されて作品が多くの人の目に留まった。この時に取材した重度の障がいを持つ⼩学4年⽣の妹を持つ⾼校3年⽣の兄のインタビューが印象に残っている。

「同級⽣って平気でガイジとかいう⾔葉を使うじゃないですか、そうなると僕の家族も偏⾒を持たれるんですよ」

ヤングケアラーの生きづらさや周りから向けられる視線によるやり切れなさを、このインタビューにより伝えることができる。このように社会問題という大きな壁に対して、ドキュメンタリーは素の人間の姿を映し視覚的に視る側の感情に訴えかけることができるのが魅力的である。また、NHKホールや手紙などで「ヤングケアラーという言葉を初めて知った」「同級生にもヤングケアラーがいると気づいた」という言葉を受け取った。当時、私はヤングケアラーという社会問題を解決するための一助になれたと思った。放送部での活動は、身近な事象から社会に対して鋭敏な感性を養い、社会問題と自分を結びつけ高校生の視点で考え解決するにはどうすれば良いかを考えるというものであった。

高校を卒業し2020年に大学に入学したのと同時にCOVID-19の影響で、授業が全てオンラインになった。この時は学校に行きたくてもいけない状況で、パソコンを見ながら部屋で授業を受け外出せずに生活する様は、16歳の不登校の時に感じたものと似ていた。COVID-19が収まり対面授業が開始されても、ベッドから起き上がれずキャンパスに行けないことが多く単位を落とし留年した経験から、私にとっての不登校はまだ終わっていないのではないかと考えることが多くなった。

2023年大学3年生の秋、「私自身の不登校であるという状態と感覚を可視化する」を卒業プロジェクトのテーマとすることに決めた。しかし、単位が足りず留年したため履修することができなかった。しかし、卒業プロジェクトのテーマに不登校を扱うことになり、朝起きてから寝るまで「なんで学校に行けないのか?なぜ私は不登校になったのだろうか?」を考え続ける日々が始まった。不登校である私自身を観察するために、毎日鏡の前で写真を撮り日記をつけインスタグラムに投稿することを始めた。写真は2024年3月13日から、写真と日記では2024年5月1日から現在も続いている。正式な形ではないが卒業プロジェクトは2024年に私自身を観察するための記録を始めた時点から始まっていた。

2025年大学4年生の春、私が当事者意識を抱えた不登校を卒業プロジェクトのテーマにしようと考え直した時に、「不登校の子どもの親はどんなことを考えているのだろうか?」という疑問が浮かんだ。私が両親との会話を拒んだ日々に、両親はどのようなことを考えていたのだろうか。不登校の子どもを持つ親は、子どもとどのようにしてコミュニケーションをとっているのだろうか。このように、不登校の当事者である私に対象を絞らずに、不登校の子どもの親と子どもの関係性に着目し始めた。

 

調査の手法

私は卒業プロジェクトで二つの映像作品により不登校の可視化を目指している。一つ目は私を主人公としたドキュメンタリー作品である。卒プロを考え始めた2025年の3月、不登校の元当事者である私自身には焦点を当てないつもりであった。なぜなら、私自身が引きこもっていた9年前のことを思い出すことは辛く、私をテーマにした作品を制作するには私にカメラを向ける必要があり実現可能性が低いと考えていたからだ。そのため、取材対象者を不登校の子どもの親に限定した。しかし、私自身が不登校だった時に感じた葛藤を残しておきたいという願望が日に日に強まっていった。

2024年4月のある日戯曲「ゴドーを待ちながら」のように私自身を出演させずに私をテーマにした作品を作れるのではないかと考えた。私が過去に見た映画「ドライブマイカー」では主人公演じる舞台俳優が「ゴドーを待ちながら」の舞台演出をしていたことから着想を得た。「ドライブマイカー」では「ゴドーを待ちながら(以下ゴドー)」が作中に出てくるもののテーマではない。そのためゴドーをテーマにした映画「アプローズ、アプローズ 囚人たちの大舞台」を鑑賞した。映画を見終わった時、これは不登校の渦中であった9年前の私と通ずるものがあると思った。作中に出てくる囚人たちは皆、ウラディミール(ゴドーの登場人物)のように刑務所から出れる日や迎えてくれるシャバの家族や友人たちを、待ち続けている。9年前の私も、自宅の自室に引きこもり外の世界にまた出ることを待ち望みひたすらベッドに臥しながら生き、明るい日々がくることを待ち続けていた。囚人は自ら檻を出ることはできないが、私は出ることができるのが違いである。そして、ゴドーの登場人物たちや囚人たち、過去の私も苦しみがありながらも生き続けなければならないという、人生という名の不条理に頭を悩ませている。このように、ゴドーと私の不登校時代を照らし合わせると、共通点が多いと私は考える。「ゴドーを待ちながら」のゴドーを私に置き換えて、私をよく知る人物に話を聞きそれを編集して並べることにより、私(ゴドー)が一切映らなくとも私の不登校について浮かび上がらせることができる。具体的には私の小学校、中学校、高校、大学と私のことを知っている人物を時代毎に分けて、私についてインタビューをする。このインタビューの内容により、私が過去どんな人間であったか、そして不登校時代にはどのような状態であったかを映像として残したい。また、2024年から続けている写真と日記の記録は私自身を私が観察していることから、私を読みとく鍵となるのではないかと考える。

そして、二つ目は元不登校の子ども、その親、現在不登校の子どもの親にインタビューすることによるドキュメンタリーである。高校生の時に放送部で不登校をテーマにした作品を制作しようとしたが、取材対象者を不登校の子どもにすることを目標としていたためできなかった。大学での授業や活動を通じて、不登校の親の当事者会をしている方、小中学生のフリースクールを運営している方などと出会った。そこで、当事者会やフリースクールなどの不登校と関係のある活動に参加し不登校の子どもの親との対話により現場にからだを馴染ませ、取材対象者を見つけることができるのではないかと考えた。ドキュメンタリーを制作していく中で不登校の当事者意識を持つ私が不登校の子どもの親と話すという行為は、過去の私を現在の私が掘り起こして振り返ることである。インタビューやビデオカメラによる撮影を通じて、「不登校の子どもの親が子どもに対して考えていること」を可視化することができるのではないかと考えている。

 

結果

写真1(2024年9月に制作したzine)

2024年春から続けてきている私を観察するために続けてきた服の写真と日記の文章による記録は、2024年の9月4日に撮り溜めた写真と綴った文章をZ I N Eとして紙媒体にまとめることで4ヶ月間を振り返った。写真から服には3つのパターンがあることに気づいた。一つ目はその日の服装に意味を込めているパターンである。具体的には「軽音サークルのライブがあるためライブに映える」「キャッチに声をかけられないための衣装」「カートコバーンの再構築」など、服を選ぶ基準がある場合である。ライブで映えるためにジッパーがついているデニムを履いたり、夜の繁華街でキャッチに声をかけられないようにするためにレザーのジャケットやサングラスなどを着用したりするなど全身の服の一つ一つに意味を込めて着ている。鏡の前で服の写真を撮ることで毎日のクローゼットを開き服を選ぶという行為は、外に出ていく時にどのように見られたいか、どのように服を選んでいるかを意識的に考えていることの再確認であることに気づいた。二つ目はバイトや大学のキャンパスに行く、親しい友人と会うことから、他人の目を気にしていないパターンである。この場合は特に服に意味を込めていなく、普段着に近い服装である。三つ目は人と合わないため部屋着でいるパターンである。そして四つ目は服の写真がないというパターンだ。三つ目と四つ目のパターンは、家から出ていなく友達とも会っていない部屋着の私の写真の日や写真を撮れなかった日、投稿が数日遅れている日は不登校と近い感覚の日であると考える。2024年には不登校の感覚を可視化しようとしていたため、後者の二つのパターンにより、引きこもりであった16歳の私に近い日を写真から気づくことができた。

不登校の子どもの親とその子どもの親の関係性を可視化するためのドキュメンタリーを制作する上は、最初に元不登校だった方に実際に会ってインタビューをする前にオンラインで不登校について話した。そこで私は「不登校という問題を解決するためにはどうすれば良いか」ということを軸に話を聞いていた。話をする中で「不登校を問題として扱うことはおかしいのではないか」ということが私の前提を崩すものだった。学校に朝礼から授業、そして終礼まで居続けることを普通とし、それ以外の学びの形を問題行動として扱うということに気づいた。対面でのインタビューを予定していたが、忌引きにより葬儀の日程とインタビューの日程が被ってしまったためまだ実施できていない。

次に、不登校の子どもの親の当事者会に参加するフィールドワークを行った。インタビューの協力者を探すことが目的であり、あくまで調査者ではなく不登校の子どもの立場で参加した。この際、現在不登校の子どもを持つ親たちの前で私の不登校になった経緯や大学でも不登校は終わっていないことなどを語ったことで、私自身が不登校になった16歳の時から8年間がたったことでようやく自分自身に向き合うことができるのだと気づいた。そこでは、14人の不登校の子どもを持つ親たちが円を囲むように座っており、子どもが不登校になったきっかけや現在の状態などを自己紹介を交えて話していた。そこで、自己紹介に合わせて私の「子どもに学校に行ってほしいのか」という問いについて話してもらう機会を得た。問いの答えとして「学校に行ってほしい」という親の意見では、「学校に行くことが普通であると思っていた」「不登校の期間をへて学校に少しづつ行くようになるともっと行ってほしいと期待してしまう」などがあった。それに対して「学校に行かなくてもよい」という親の意見では、「学校に行けずに苦しんでいる子どもを見ていると生きていてほしいと思う」などがあった。このような話をする中で子どもが不登校になったことを親がどう受け入れるまでの過程が印象的で心に残っている。子どもが不登校になったことに衝撃を受け最初は混乱し、学校に行かせるなど子どもをどうにかしようとする焦りがあり、子どもが学校に行かないことを受容していくというものである。14人の親たちの話を聞き終わり、初めは「学校へ行ってほしい」「学校へ行かなくてもよい」という二項対立の考え方でパターンを分けようとした。しかし、親たちの子どもが学校に行かないことに対する考えをパターン化し、単純化することは難しく複雑なまままずは話を集めるべきだと考えるようになった。そして、私が不登校になってから8年を経てようやく自分の体験を言葉にし振り返ることができたように現在不登校の子どもを持つ親に話を聞くということは難しいことにも気づいた。

最後に、元不登校の子どもを持つ両親とオンラインで話をした。そこでは、子どもが学校に行かなくなった時の母と父による家庭環境をどのようにするべきかの違いや、不登校は一つの表現方法であるという認識などの話を聞いた。また、子どもが不登校になった原因やその時に考えていたことを不登校から立ち直って数年が経ってから話せるようになったという、不登校について語るには年月の経過が必要であることを聞くことができた。

不登校の元当事者や現在不登校の子どもの親、元不登校の子どもの親の話を聞く中で、少しずつ不登校の子どもと親が考えていることが分かりかけてきた。元当事者として、不登校の子どもの親と話すことで親の考えていることを明らかにはできてきたが、同時に子どもは不登校の時に何を考えているのだろうかということも可視化していきたいと考えるようになった。今後は元不登校の子どもに話を聞くことで少しずつ明らかにしていきたい。

図1

 

これからについて

卒業プロジェクト1として学期を通じ研究会での発表がありフィードバックのコメントをもらったりするようになった。2024年一人で記録をつけながら不登校を考えていた時は自分自身に向き合い続けるのみで視野が狭まりすぎることが多かったが、正式に卒業プロジェクト1として始まったことで、私以外の意見が加わることで不登校に対する理解の幅が広まった。また、私自身が不登校になった経緯を整理するために両親にいつからいつまで学校に行っていなかったか、私の当時の写真を見せてもらったりした。それにより欠けていた不登校の時の記憶が出てきたりすることがあり解像度が深まった。不登校になった16歳の時から8年たったとはいえ、自分のもやもやとした感情を掘り起こし語ることや、不登校の親の考えていることを可視化する過程は苦しみが伴うものであった。2023年最初に卒業プロジェクトを履修するさいに書いた文章では「あわよくば卒業プロジェクトという形で「不登校」を終わらせられることができればいいなと思う」と語っていた。しかし、2024年、2025年春学期を経て私の不登校を終わらせることはできないと確信した。むしろ、うまく付き合う方法を卒業プロジェクトを通して見つけたり、卒業プロジェクトとして考えることで昇華させる心持ちで行った方がよい。夏休みのこれからの期間では春学期に事前に会話をした不登校の子どもの親たちへインビューの撮影や、私に関するドキュメンタリーの撮影を進めていきたい。