まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

生活のある大学(5)

夜からはじまる*1

ときおり、夜から大学に来る学生を見かけることがある。ぼくが、まさに帰ろうというタイミングで、すれ違うバスに学生たちが乗っているのだ。もちろん、夜どおし集中して勉学に励むのなら、それは悪いことではない。大学で、朝を迎える。それが、「(夜間)残留」と呼ばれるふるまいだ。キャンパス開設当初にくらべると、「残留」する学生の数は格段に減っているとのことだが、ある一定数の学生たちがキャンパスに逗留していることもたしかだ。きちんと食事をして、(ある程度は)快適な睡眠があればこそ、「残留」の価値も高まるだろう。

夜どおし作業をすれば、いいアイデアや成果物が生まれるということではない。無駄に体力や時間を消耗するのも困る。このことは、経験的に知っているなずなのだが、やはり夜から朝への時間は、不思議な魅力がある。とりわけ、仲間(あるいは同じ境遇で過ごしていると思われる人)と一緒に過ごす夜は、特別な空気をつくる。

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【2016年12月2日(金)|滞在棟1】

いわゆる「合宿」の効用についても、多様な見解があると思うが、じぶんの経験からは、肯定的にとらえている。とくにゼミ(研究会)の学生たちと、わずかながらも、寝食をともにする時間をもつことはとても重要だと思う。「合宿」のプログラムには、講義や学生のプレゼンテーションの時間が組み込まれているが、その前後もふくめた「余白」がたくさんある。たとえば一緒に調理をしたり、他愛もない話に興じたり。善くも悪くも、お互いの人間性を見せ合うことになる。それが、その先のコミュニケーションにつながる。(これについては「長い時間:生活のある大学(3)」で触れた。)
今年の4月に「滞在棟」が竣工したので、真っ先にゼミの合宿をおこなった。新年度・新学期のはじまりで、あたらしいメンバーが加わったので、親睦をふかめるにはちょうどいいタイミングだった。できたばかりの施設で、新鮮な気持ちで「キックオフ」が実現した。そして、今年の秋からは講義科目での「滞在棟」利用も可能になった。まだ試験運用の段階だが、さっそく試してみることにした。2016年度の秋学期は「インプレッションマネジメント」という科目を担当しているので、2回の宿泊を組み込んだ。いずれも、金曜日の午後に集合し、土曜日の午前中に解散するというスケジュールだ。
 
ぼく自身は、この十数年、「キャンプ」と呼んでいるワークショップ型のフィールドワークを実施している。「キャンプ」は、「キャンパス」と対比させながらつかっているコンセプトで、大学の「外」での活動を組織化する方法や態度にかかわるものだ。沖縄から北海道まで、これまでに30数回の「キャンプ」(ゼミの一環として実施する宿泊をともなう「学外」の活動)をおこなった(海外でも2回実施)。大学の「外」で実施するので、ぼくたちは「アウェー」な感覚とともに過ごすことになる。そして、「キャンプ」にあたっては、一連の段取りに苦心する。切符や宿の手配から、作業環境の確認など、事前に考えておくべきことはたくさんある。もちろん、その準備や現地調達、現場での即時即興的なふるまいは、「キャンプ」の楽しさでもある。たまに(今学期はしばしば)、授業の準備が間に合わずに大学に「残留」することはあるが、ゼミではなく、通常の授業(講義科目)の一環として、「学内」の施設に宿泊することは、いままでなかった。ふだん、「キャンプ」を実施するときは、少しずつ心の準備もおこなわれる。もちろん、初めて訪れる場所なら、期待も緊張もする。荷造りをして出発に備え、集合場所に向かうとき、それが旅の道行きだということを、はっきりと意識できる。じぶん自身が移動を実感し、景色も大きく変わるからだ。いっぽう、「キャンパス」のなかでの「合宿」となると、ずいぶん勝手がちがう。ぼく自身、「滞在型学習」には関心があるのだが、10年以上通い続けている「キャンパス」なので、クルマを走らせていても旅の高揚感はない。「キャンパス」は、「アウェー」ではなく、「ホーム」だからだ。忘れ物をしても、研究室はすぐ近くだから、なんとかなる。いささか無防備な向き合い方だったのかもしれない。
ぼくは、せっかく授業の一環で「合宿」をするなら、わざわざ通い慣れた「キャンパス」に泊まるのではなく、箱根あたりまで足を伸ばしてもいいのではないかとさえ考えていた。だから、今回の「合宿」は、(言い方が適切かどうかわからないが)なんとも「中途半端な合宿」という感じがしていた。
 
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12月2日(金)は、夕方に集まって食事をして、2時間弱のレクチャー、そのあとはグループワークで課題に取り組む。翌朝は、朝食のあとでグループワークの成果発表をして解散という流れで全体を構成した。「インプレッションマネジメント」という問題を理解する手がかりとして、「ゆるいコミュニケーション」について考えたり実践したりすることを目指しているので、スケジュールも課題も(比較的)「ゆるい」ままだった。学生たちは、寝ようとしなかった。グループワークの課題は、それほど難しいものではなかったが(というより、唯一の「こたえ」がないという意味で、難しくも易しくもなるということだが)、ぼくが見ていたかぎり、30名ほどの学生たちは、思うままのスタイルでグループに分かれて、熱心に議論をすすめていた。
午前2時ごろになって、ぼくは移動して横になった。だが、一枚の戸を隔てた向こう側から、学生たちの声はずっと響いている。「ゆるい」やり方を求めているので、消灯時間を決めていたわけでもない。音を遮断できるほどのたてつけではないので、議論のようすや笑い声(ときどき奇声)を聞きながら数時間は眠れずにいたが、いつの間にか静かになった。翌朝。眠くて怠い。だが、夜どおし議論をしたからか、学生たちのプレゼンテーションはどれも面白かった。課題そのものは抽象的だったが、いずれのグループも、それなりに「こたえ」を求めてエネルギーをつかったことを、うかがい知ることができた。一つひとつのことばが、じぶん(じぶんたち)から発せられているということに自覚的に見えたのが、とてもよかった。
 
やはり、これは「残留」の効用なのだろうか。同じ境遇で、夜から朝へと向かう。「ホーム」にいるという安心感もあいまって、不思議な一体感が生まれたのかもしれない。この「中途半端な合宿」にこそ、「滞在型学習」を理解するヒントがあるのだろうか。それは、ぼくたちが慣れ親しんだ「キャンパス」での過ごし方を変容させる、「上質な残留」とも呼ぶべきものなのか。まだまだ考えること、試すことはたくさんある。
土曜日は、解散してからもずっと、日付変更線を越えて旅をした後のような倦怠感だったが、こういう「残留」も悪くないと思った。🐸
(つづく)

【2016年12月2日(金)〜3日(土)|インプレッションマネジメント】

*1:この文章は、2016年12月5日(月)にMediumに掲載したものです。本文はそのまま。→  夜からはじまる - the first of a million leaps - Medium