まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

「社会人」との距離を考える

(2026年8月7日)この文章は、2026年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

須永 こころ|Kokoro Sunaga

 

背景

「社会人」への不安を感じたきっかけは、大学3年で始めた就職活動だった。周囲の人と遜色なくふるまう「社会人」の姿に自分とは異なる人びとであるのではないか、と感じるようになっていた。一般的に「社会人」と呼ばれる人びとのイメージとして、平成22年6月の経済産業省による「大学生の社会人観の把握」では企業が学生に求める「社会人基礎力」の能力要素に「粘り強さ」や「コミュニケーション能力」が挙げられている。しかしわたしが感じた社会人のハードルの高さは、こういった説明だけでは到底語りえるものではなかった。実際にわたしが「社会人」と呼ばれるようになるのはこのプロジェクトを終えたときであるものの、そんな自分の気持ちと少しでも折り合いをつけることを、このプロジェクトの目的とした。そうは言いつつも、とらえようのない「社会人」とどのように向き合えばよいのだろうか。現在の辞書的な説明では語りえない「社会人」が日常の中で言葉やふるまいとなって表れるのを、なんとかしてつかまえるしかない。その考えのもと、日常の中での「社会人」を見ていきたいと思った。

「社会人」の観察

まずは「社会人」という言葉について考えてみた。国立国会図書館の「Ngram Viewer」を用いて、「社会人」という言葉がどの時代から使われるようになったのかを確認したところ、1925年頃からのようだった。現代において「社会人」という言葉がどのように使われているのかを書籍やインタビュー、アンケート、SNS、就職活動サービスなど、できるだけ多様な媒体から集め、その共通点を探ろうとした。異なる場面で用いられる「社会人」を比較することで、一般的な「社会人」のイメージの断片を浮かび上がらせようとしたのである。すると、大きく分けて2つの使われ方があることに気がついた。1つ目は、学生の次のステップとして「社会人」という言葉が使われるパターンである。具体的には、会社へのOBOG訪問向けのサイトでは、アカウントのステータスが「社会人」になることで学生からの就活相談に乗れるようになったり、就職活動後の生活そのものが「社会人生活」と呼ばれていたりした。2つ目は、能力面としての使われ方である。新卒入社先を選ぶことが「社会人一歩目の踏み出し」と呼ばれていたり、投資セミナーでプレゼンテーションを時間内に終えられなかった人に対して「社会人としてありえない!」という言葉が投げかけられていたりする。2つ目の使われ方は人によりイメージが異なることから、1つ目の使われ方に基づいて、大学卒業後に正社員として働いている方々に実際にお話を伺ってみることにした。
確かに「社会人」の方から名刺をいただいたとき、わたしは不覚にも、もっといろんな人と名刺交換をしたいと思ってしまった。いただいた名刺には名前よりも社名の方が大きく書かれていて、裏面には英語版まで印刷されている。名刺交換のルールはなんとなく頭では把握していたつもりだったが、実際にそれを披露するのは初めてだった。こういった細かいルールを一つひとつ覚えていくたびに、わたしはどこかパワーアップしたような気持ちになってしまう自分に気づく。それだけでなく、会食の場では上座に誰が座るべきか、そのなかで自分はどこに座るべきかといった細かなルールにとらわれているとき、自分のふるまいがどこかの「社会人」に近づいていくような、奇妙な感覚をおぼえた。

わたしにとっての「社会人」の変化

わたしはこの6月末まで、ふたつのテレビ局で、片方には内定者として、もう片方にはアルバイトとして関わっていたため、それぞれの局で働く方に、学生時代と「社会人」になってから何が変わったのかを尋ねてみた。どちらも活動内容自体はほとんど変わらないのだが、違いとしては、前者ではお昼ご飯を支給していただける一方、後者ではアルバイト契約を結び、時給千二百円で働くことになる。
内定者として参加していた局の方は、学生と「社会人」の違いはハンコリレー(書類の承認や決裁を得るために、複数の担当者や上司が順番に印鑑を押していくプロセス)の有無くらいしかない、と話してくれた。その方はハンコリレーそのものが好きだともおっしゃっていた。入社前からすでに「社会人」について考え込んでいるわたしの姿を見て、もともと南米に興味を持っていることも含めて、わたしが「社会人」になることを途中で辞めてしまうのではないかと心配してくださった。
一方、アルバイトとして働いている局では、「その質問にどういう意図があるの?」と逆に質問を返された。その方によれば、違いは「サボれなくなること」だという。作品で勝負したい以上、手を抜こうとは思わないのだと話してくれた。その後、わたしがエクアドルに行きたいと考えていることや、残置のアルバイトの話をすると、確かにわたしがやってみたいと思っていることの多くは、「社会人」になったらできなくなりそうだ、という話になった。
できなくなることは確かにあるのだろう。けれど、できなくなること自体に気づかなくなることこそが、「社会人」になるということなのかもしれない。わたしは「社会人」になったらできなくなることに、いまこの瞬間、真剣に向き合いたいと思った。「社会人」と呼ばれずにいられる期間は、あとわずかしか残されていない。だからこそ、「社会人」にはできないことをするなかで、「社会人」というものに向き合っていきたいと思うようになった。
この発言を聞いて、わたしは以前抱いていた「社会人はやりたくないことを我慢している存在だ」というイメージが、必ずしも当てはまるわけではないことに気づかされた。同じ仕事であっても、人によって楽しさを見出すポイントはまったく異なる。仕事そのものではなく、人との関係や組織全体の動きを面白いと感じる人も、確かに存在するのだ。
その後、大学一年生の後輩であるMさんとの出会いがあった。同じ大学生であるにもかかわらず、一年生のMさんにとって「社会人」という言葉はまだしっくりきていないようだった。この出来事を振り返りながら、わたしは「社会人という言葉への興味は、大学四年生であるいまのわたしだけのものなのだろうか」という問いを、自分自身に投げかけることになった。
友人Oちゃんは、「学生を卒業したら自然に社会人になるのだと思っていた」と振り返りながら、「社会人というよりも、人としてどう生きるかという問題なのではないか」と語ってくれた。また、「学生は自由な時間が多いからこそ、その時間をどう使うかで他人と比較してしまい、実は学生の方が大変なのではないか」という意見も述べていた。
この対話を通じて、わたしは「社会人」と「学生」を明確に区別するのではなく、「人としてどう生きるか」という視点から考えることの重要性に気づいていった。つまりわたしのなかで、「社会人とは何か」という問いは、いつの間にか「どのように他者と関わりながら生きるのか」という、もっと根本的な問いへと変化していったのである。

「社会人」ということばについて考えること、また「社会人」と呼ばれる人からお話を伺う中で、わたしの中での「社会人」の捉え方も変化していった。わたしにとっての「社会人」が変化してしまうことがこのプロジェクトの難しさであると感じていた。「フィールド」と呼べるものを見つける試みのひとつとして、わたしと「社会人」との関わり方を記録して行った。まだ「社会人」になったことのないわたしの中での「社会人」も、一般的に使われている「社会人」もあまりに抽象的で、よく分からないが少なくともわたしの中での「社会人」の捉え方はまだまだ不十分な部分が多いものの、記録として残していきたい。

卒プロ2に向けて

「社会人」という言葉が卒業後の人を指す言葉として使われることが多いからこそ、逆に「社会人」という言葉を使わずに、今の自分の状況と卒業後の自分の状態を考えていきたい。
母とともに、以前アメリカに住んでいたときにお世話になった友人Aちゃんと、その母親に会いに行った。Aちゃんは日本人とアメリカ人のハーフで、ちょうど日本に一時帰国しているタイミングだった。半年前の一時帰国のとき以来、レジ打ちのアルバイトで貯めてきたお金をすべて、日本のアニメグッズの購入に費やしていたという。Aちゃんの母親は、就職が決まらないAちゃんに焦りを感じていて、すでに就職が決まっているわたしに対しては、「社会人」になるまでの残りの生活を思う存分楽しむようにと勧めてくれた。けれどAちゃん自身は、そんなことをまったく気にしていないようだった。自分の好きなものを自分のお金で買うことができれば、その雇用形態がどのようなものであろうと気にならないらしい。わたしの母は、生活費(光熱費や学費など)を一切支払わずに、アルバイト代のすべてを自分の好きなものに注ぎ込むAちゃんの姿を見て、「あの子は社会人になれるのだろうか」と呆れていた(そう考えると、わたしの娘としてのふるまいは、もっと呆れられてしかるべきなのかもしれない)。それでもわたしは、彼女のようになりたいと思ってしまった。

そもそもいまのわたしは、生活のなかで必要なお金を一度自分で立て替え、あとから使った分の金額を母親に伝えて返してもらう、という形をとっている。このお金のなかには、食費や教科書代もあれば、お菓子代や趣味のお金も含まれている。大学一年生のときには、まず予算表を作成し、その内容に応じて両親に支払ってもらう部分と自分で支払う部分を決める、というやりとりが行われていた。しかし、わたし自身の予算作成が追いつかなくなったことで、この形式は次第に崩壊していき、いまではあらかじめ予算を立てることもなく、一ヶ月分の立て替えた内容をそのまま母親に提出するだけの形になっている。立て替えた内容があまりに多くなったことで、母親の検閲も次第に行き届かなくなっていった。それと同時に、食費や生活費以外の部分まで母親に払ってもらうことへの後ろめたさから、立て替えた分をきちんと記述しなくなったり、どこかごまかすようになったりしていった自分にも気づいている。

いまのこの中途半端な状態では、お金の話をするときだけ、わたしは親に敬語を使ってしまう。普段はごく普通に話しているにもかかわらず、「立て替えた分なんですけど…」といったお金についての話をするときだけ、急によそよそしい話し方になる。親に頼ることが申し訳なくて、どこか他人行儀な物言いになってしまうのだ。その結果、この精算のシステムは、わたしの家庭のなかであまりうまく機能していない。言い出しにくさから、お金関連の話題をつい後回しにしてしまい、何週間も経ってからまとめて伝えることになる。すると「なんでもっと早く言わないのか」と両親から叱られてしまう。その経験があるからこそ、次はさらに言い出しにくくなっていく、という悪循環に陥っていることにも気づいている。

最近では、この中途半端な精算をいつまで続けるのだろうと考えるようになった。家賃や学費は別として、せめて生活費くらいは一度、自分のアルバイト代だけでやりくりしてみてもいいのではないかと思う。そうすれば、親にお願いすることも、お金の話のときだけ敬語になってしまうことも、なくなるはずだ。
そもそも、自分とは異なる他者が存在するということを受け入れているという意味では、母親という存在を認識した瞬間、すなわち生まれたときからすでに「社会人」なのだと言えるような気もしてくる。(もちろん、現代ではそのような使われ方はされていない。)むしろ、実際に就職活動で出会う「社会人」たちよりも、よほど「社会人」と呼ぶにふさわしいような同い年や年下の友人が、わたしの周りにはたくさんいる。

1926年に加藤拙堂が著した『人間味 : 修養道話』(1.)に収録されている「刑餘の人と社會人」という文章がある。以下、文中の「社會人」も「社会人」とする。この文献では「社会人」という言葉は、現在のように会社で働く人を指すものではなく、監獄や教育機関といった閉ざされた制度や組織の外で生活する人びとを意味していたことが示されている。つまり、「社会人」という言葉は、本来、特定の組織や制度に属しているかどうかとは関係なく、広い社会のなかで生きる人びと全体を表す概念だったのである。しかし現代では、「社会人」という言葉は「会社で働く人」や「正社員」とほぼ同義のように用いられることが多い。作中で「刑餘の人」と呼ばれる、刑期を終えて監獄から出てきた人が、当時の社会では刑を終えた人がふたたび社会に受け入れられるかどうかという文脈のなかで「社会人」という言葉が使われていた。つまりこの言葉は、もともと「組織のなかにいるかどうか」を測るものさしではなく「閉ざされた場所の外側に、他者とともに生きる場所を持てているかどうか」を測るものさしだったのだ。わたしが集めてきた「社会人」の使われ方は、加藤拙堂が示した意味とほとんど正反対のところに立っていた。OBOG訪問サイトで「社会人」というステータスが付与されるのは、あくまで会社という組織に所属した瞬間で、投資セミナーで「社会人としてありえない」と叱責されるのも、組織のなかで求められる振る舞いを果たせているかどうかが基準になっていた。つまり現代の「社会人」は、加藤拙堂の時代とは逆に、組織のなかにきちんと組み込まれているかどうかを測る言葉へと変わってしまっている。監獄という閉ざされた制度の「外」にいる人を指していた言葉が、いつのまにか会社という組織の「内」にいる人を指す言葉へと反転している。

Aちゃんは正社員として組織に属していないという意味では、現代的な「社会人」の定義からは外れている。けれど、レジ打ちのアルバイトで得たお金を自分の意思で使い、母親からの心配をよそに、自分の好きなものを自分の力で選び取って生きている彼女の姿は、むしろ加藤拙堂が描いた「閉ざされた制度の外で、他者とともに自分の生を引き受けている人」という意味での「社会人」に、ずっと近いのではないかとわたしは思うようになった。加藤拙堂の文章を知る前のわたしは、「社会人になれない人」というとき、無意識のうちに「正社員になれない人」を思い浮かべていた。しかし加藤拙堂にとっての「社会人になれない人」とは、閉ざされた場所から一歩も外に出られず、誰とも関係を結び直せずにいる人のことだった。
わたし自身も「社会人」を自分なりに定義できるようになりたいという目標から始まったこのプロジェクトの発表で、最初のスライドのページに「社会人どうしよう」と書いていた。当時は「社会人」と呼ばれることへの単純な不安のつもりで書いた言葉だったが、いま振り返ると、そこには「自分なりに定義できるようになりたい」と言いながらも、結局は「社会人」と呼ばれる未来に向けての準備期間として、この時間をとらえてしまっていた自分の姿が記録されていたのだと思う。

そんな背景もあって、就職活動のなかで「社会人」の方と話すとき、わたしは必ずと言っていいほど「学生に戻ったらどんなことをしたいですか」という質問を投げかけてしまっていた。この問いに対する答えを自分自身十分に理解できていたわけではないのに、それでも「社会人」と同じような学生時代の過ごし方をすれば、自分もいずれ「社会人」になれるはずだと、どこかで思い込んでいたからなのだろう。
こうした違和感をさらに深めるきっかけとなったのが、栗田隆子の著書『働けないをとことん考えてみた』(2.)との出会いだった。この本では、日本社会がフルタイムの正社員を標準的な労働者像として制度や価値観を形づくってきたこと、そして「社会人」という言葉もまた、そうした価値観を色濃く反映していることが指摘されている。病気や障害を抱える人、正社員として働くことが難しい人、既存の働き方に適応できない人は、「社会人」とみなされにくい現状があるという問題提起がなされていた。栗田隆子が指摘する「正社員こそが社会人である」という現代的な価値観への違和感も、加藤拙堂の1926年のテキストに立ち返ってみれば、決して新しい批判ではなく、「社会人」という言葉がもともと持っていた広がりを、わたしたちがこの百年のあいだにどれほど狭めてしまったかを示す、一つの証言として読むことができる。
この記述を読んだとき、わたしは大きな衝撃を受けた。名刺の交換や上座の作法といった細かなルールを覚えることに、どこか誇らしさすら感じていた自分の姿が、急に恥ずかしいものに思えてきた。それまでのわたしは、「社会人」という言葉を何気なく、当たり前のように使ってきた。しかしその言葉を使うこと自体が、「正社員こそが社会人である」という価値観を、知らず知らずのうちに再生産することにつながっているのではないか、という不安を抱くようになった。そして、「このまま何も考えずに社会人という言葉を使い続ければ、自分もまたその価値観に加担することになる」という感覚を持つようになった。
様々な事情によって正社員として働くことができない人もいれば、そもそも働かないことを自ら選択したわけではない人もいる。そうした人びとの存在を思うとき、「社会人」という言葉を無邪気に振りかざすことの危うさを、わたしはあらためて実感せずにいられない。

もしもこのプロジェクトを行っていなかったら、わたしは「社会人」になることからずっと逃げ続け、このような家族頼みの精算システムを、疑問すら持たずに継続していたかもしれない。あるいは反対に、社会人であることをただ自覚するだけで、親にお金を出してもらっていることへのありがたみに、いつまでも気づけていなかったかもしれない。そのような機会をいただけたことへの感謝の気持ちを、わたしは常に心のどこかに留めておきたいと思う。そのうえで、「社会人」から逃げるのでもなく、「社会人」になるのでもなく、「社会人」にならないことを積極的に選択する、学生最後の夏休みを送っていきたい。

  • 加藤拙堂 『人間味 : 修養道話』森江書店
  • 栗田隆子 『働けないをとことん考えてみた』平凡社