まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

地獄でつながる

(2026年8月7日)この文章は、2026年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

西尾 有紗|Arisa Nishio

 

私の卒業プロジェクトは、地元にある飲み屋街「地獄谷」を参与観察という形でフィールドワークし、「友達」について考える取り組みである。

背景

2025年秋。私は大学3年生で、就職活動に勤しんでいた。そうしているうちに、「何をしたくて生きているんだろう」と自問する機会があった。私はこれまで、ずっと与えられた課題や試験をとにかくこなしていくような生活を送ってきていたような気がしていた。さらに言えばにはこれと言って秀でた特技や分かりやすい「個性」みたいなものもあるわけではなく、自分に何ができるかも説明できないでいた。そんな自分を責めるかのように、数々のエントリーシートには、「あなたが将来成し遂げたいことは?」とか「世の中にどういう変化をもたらしたいか」などの設問が多く書かれていた。だからそれらに対峙するたび、大人になるには大きな社会に立ち向かうような立派な目標を持っていることが求められていると感じてしまい、戸惑っていた。
冬。卒業プロジェクトのテーマを決めなければいけない時期になった。「自分にしかできない卒業プロジェクトにしなさい」ということを加藤先生や加藤研の先輩たちから言われていた。例のごとく「自分にしかできないもの」が分からない私は、とりあえず先輩たちや同期と飲みに行っていた。湘南台のバーで夜が明けるまで語りあったり、付いているカラオケでAKB48を歌い、合いの手のところでマイクをみんなに向け、他の卓まで巻き込んで歌ったりしながら馬鹿みたいにふざけて過ごしていた。そうしていると、これが私にとってはかけがえのない時間で、ただ他愛もないことで友達と笑い合う時間を過ごすことこそがもはや人生目標なのではないかと感じた。幼稚だと思われるかもしれないが、社会を変えたいなどの大義名分がなくとも、私にはこの時間があれば十分だと本気で思ったのである。そんな様子を面白がってくれた先輩に、「こういう飲み屋をフィールドにしたらありさちゃんにしかできない卒業プロジェクトができるんじゃない?」と言っていただいた。そのことがきっかけで、私は地元の飲み屋街「地獄谷」をフィールドワークすることに決めた。「地獄谷」は数年後に再開発することが決定しているため、なおさら今あるうちに研究する価値があるのではないかとも考えた。

家族と友達

友達について語るとき、私の中で切り離せないものは家族の存在である。
かつて母とケンカをして友達の家に家出したとき、母から「友達は親みたいに面倒見てくれないし、責任もとってくれないよ」と言われたことがあった。当時は、自分のことを仮にでも心配して行動してくれた友達を否定されたように感じ、とても悔しかった。たしかに、家族は友達よりも強固な結びつきがあり、簡単には切り離すことができないため、お互いのことはお互いで面倒を見て、時には家族の責任を負わなければならない。一方で友達は個人の選択によって築かれ、嫌になったら簡単に関係を遮断することができてしまう。
しかし、デボラ・チェンバースの『友情化する社会』によると、女性の社会進出や多様性、グローバル化、地理的流動性など様々な理由から、以前のような家族や地域コミュニティなどのつながりは希薄になってきているという。そんな個人主義が高まった現代社会での人々の社会的紐帯は、個人の選択によって築かれる「友達」がとって代わるという説があるのだそうだ。また著者は、「『友達』の話になると途端に定義は曖昧になる」とも述べている。
辞書で引いてみても「互いに心を許し合って、対等に交わっている人」とか「いつも親しく交わっている人々」などと記載されており、なんだかやや抽象的である。互いに心を許し合えているかなんて、確かめようがない。相手の気持ちはいつまでたっても理解しきることはできないのだから。そう考えると、やはり友達は非常に繊細で脆いものなのかもしれない。

参与観察

卒業プロジェクトを始動し、初回のフィールドワークは加藤先生と2人で訪れた。
まずは私が以前母と訪れたことのあるvivo daily standというバーに入った。加藤先生と普段大学では話さないような他愛もない話をしたり、隣のお客さんやマスターとも話したりしていた。夫婦で来る方や仕事終わり1人で飲みに来る方、年代も30代あたりから60代までの方まで様々なお客さんがいた。だがそこでは制度的な役割を忘れ、ただ同じ店で同じ時間を過ごす仲間として皆が対等であったような気がしている。
話している中で、マスターのうにやさんに、突然「うちでバイトする?」と声を掛けていただいた。すぐに私は勢いで「はい!」と答え、2月の中旬から毎週金曜日の夜にアルバイトをすることが決定した。こうして、私はvivoのスタッフとして合法的に参与観察という形を取れることになった。

バーはこじんまりしたお店で、店の中には10人ほどしか座れないようになっている。うにやさんは音楽が好きで、店の中にはギターがたくさん飾られていたり、レコードが置かれたり、店内にも緻密にコントロールされた音量で音楽が流れている。そんなうにやさんのこだわりのつまったお店では、固定のお客さんが何時間も居座るよりも、新規のお客さんが入れるようにお客さん同士が気を使って「俺そろそろ出るわ!」と席を空けてくれたりする。
また、うにやさん自身「お店には流動性が大事だ」とおっしゃっていることからも分かるように、お客さんの配置にはこだわっていることが伺えた。そのため、私はまずお客さんの席を記録することにした。
基本的には常連さんを扉側の席に座らせ、新規のお客さんは奥の冷蔵庫側の席に座らせることが分かった。もっと詳しく見ると、18時台のまだ人が全然いない時間帯には、新規のお客さんを扉側に座らせ、常連さんが来たらその少し奥側の席に座らせている。静かに飲みたそうな方や、内輪だけで話したそうな方々はもっと奥の冷蔵庫側に座らせている。予約されたお客さんには冷蔵庫側の奥の席を残しておいていることが多い。そしてお客さんが新しく入るたびにお店の中のお客さんを少しずつずらし、時には常連さんと新規のお客さんの間に緩衝材になりそうな人を座らせたりもしていた。さらに面白いことに、常連のお客さんが扉側で隣の新規のお客さんに話しかけたり、冷蔵庫側に隣にいるいつものメンバーに話しかけたり両方に話題を振ることがあった。そのおかげで話題がそろい、初対面なのに店の中の大半でおしゃべりする形ができる。こうしたことから、うにやさんがお店の中を常連さんだけの一見さんが入りづらい空気にすることなく、色々な人が入りやすい場を作る工夫を観察することができた。

「僕は潤滑油的な役割をしている」

「僕は本来人付き合いとかは面倒なタイプなんだ。ここでたくさん喋っているのは仕事というスイッチを押して切り替えているだけ。じゃなきゃやってられないっすよ」
うにやさんはお客さんにとても慕われており、常連のお客さんが大半を占めているため、私はてっきり人と接することが好きでこういう飲食店を営んでいるのかと思っていた。だが、そういう訳でもないみたいだ。
「学生時代もずっと1人で過ごしていたから。孤独な時間に本とかを読んだり音楽とかをやったりしていた。そういう時間に価値が生まれることもある。だから孤独を悪いとか、それを中途半端に埋めようとは思わない。」
なるほど、私は今まで、現代社会において家族的なつながりとか地域的なつながりが希薄になっていることから、それを「友達」という形態によって代替されないと「いけない」ような気がしていた。しかしそれはもしかしたら「孤独が悪」という固定観念に無意識のうちに縛られていたのかもしれないと思った。
「人付き合いが面倒なのに、なぜこういう場所で働いているんですか?」と聞くと、「人と人がつながる場所を作るのは好きで、自分はあくまで潤滑油的な役割をしたいと思っている」と答えていた。
私は今まで、私の大好きな人たちには幸せになってもらいたいという気持ちを持って生きていた。世の中に社会貢献をしたいとか、そんな意志を持つことを求められていると感じる中で、「まずは目の前の人を幸せにしたいと思えなくて何ができるのか」と考えていた。
だが、それはおこがましいことなのだそうだ。
さらに、「大人になるということは、身の程を知るということだ」とも言われた。うにやさんはここにいる全員、あくまで他人だと思っているのだという。
「ただこの瞬間、一緒に過ごして笑い合うだけで、幸せにしようなんておこがましいことは考えていない。」

たしかに、親しい人と他愛のない話をして呑んでいる瞬間は幸せを感じるけれど、解散し、1人になったら現実と向き合わなければならない。皆それぞれ人には見えないところで悩んでいたり苦しんでいたりする時間がきっと私と同じようにあって、それを忘れるその一瞬だけを共有することしかできないのかもしれない。
「友達は責任とってくれないよ」という母の言葉の裏には、他人を幸せにするには覚悟がどれだけ必要なのか、相手にとって自分がどれほどの存在なのかということが潜んでいるのかもしれない。友達と言えどもあくまで他人なのだから、他人の人生に深く踏み込むようなことはできない。むしろ、自分自身も、たとえ血が繋がっていても他者からの過度な干渉を鬱陶しいと思うのだから、当然なのかもしれないと思った。

みとめる

2026年6月。内定をいただき、ようやく長い長い就職活動に終止符を打つことができた。
私も納得のいく結果になり、安心して入社を決めた。これまで私の進路を案じ、時に口うるさく、時に諍いが生まれることもあった母も、最後は「優秀だよ。もう心配することはありません」と言ってくれた。その言葉を聞き、私は娘としての、母は親としての肩の荷がふっと下りたような感覚があった。
就職活動は今でも決して好きではないが、嫌なことにも逃げずに向き合う姿勢は、私自身の強さだと実感することができた。

以前vivoに来た加藤先生から「今どきの若者っぽくないんだよね」と評されたことがある。

「不器用で、要領よくかわすこともできず、何事にも正面からぶつかってしまう」のだそうだ。

それは就職活動においても同じだった。自分の大切な人たちと楽しく飲む時間を作るためにはいい企業に入って安定した収入がなくてはならないことと、親からの期待にも応えたいという気持ちから、企業が問うことと曲がりなりにもぶつかっていた。そのプロセス自体が、私という人間を形作っていったと今では思えている。加藤先生がvivoという場所で私に対して率直に、忖度せずお話してくださったおかげで、自分のことを前より理解することができたように感じた。うにやさんが以前、「一見、無駄に思えることでも、やっておくことが意外と大事だったりする」と語ってくれた言葉の意味を、今なら少し理解できる気がする。

実を言うと、vivoのお客さんたちにも、大学4年生だという話をすると毎回「就活終わった?」と聞かれ、時にはそれらを疎ましく思うこともあったが、一番私の就活を気にしていたYさんに報告をすると、「最高におめでとう、よくやったよ」と言ってくださった。

同時に、このプロジェクトの調査方法も変えた。それには、加藤先生におすすめされた、大川将さんの「新宿ゴールデン街のエスノグラフィー」という修士研究を読んだことが大きな転換点となっていた。

「自身の存在を匿名的にして研究を進めることは不可能であるため、自己再帰的な、一人称で告白的に語る記述方法として小説を採用することにした」

これまでの私はどこかで、冷静に、写実的に調査する「観察者」であろうとしていたのかもしれない。地獄谷は年齢層が高く、また男性の方が多いことから、私は珍しい存在として扱われることが多かった。そのため、自分が足を踏み入れたことによってvivoの本来の姿を変えてしまいたくないと考えていた。しかしこの記述によって、私がここに影響を与えることは避けられない事実であると痛感させられた。であれば、フィールドワーカーが体験したこと、街の人々と交わした人間関係の移ろい、そして私自身の内省的な変化を含めた「生々しい記述」こそが、より誠実な態度なのではないか。この研究にヒントを得て、私はもっと私自身の視点から現場を語りたいと思い、今までの座席表のメモよりも、その日の日記的な記録を重視することに決めた。

徐々に私もアルバイトに慣れていき、簡単なお酒は1人で作成できるようになってきた。うにやさんはよく営業中でも気が向いた時にカウンターの外でギターを弾く。その間に注文が入っても私一人で対応できる場面が増えたため、気にせず演奏をできるようになった。そのとき、うにやさんが私に対して「ありがとね、あなたがいると僕は遊べるんだよ」と言ってくださった言葉が印象に残っている。私が調査者として懸念していたある種の「邪魔者性」は、こういう場面において「アルバイト」という役割を発揮することで克服できているのかもしれない。こうして、私は自分の存在を肯定的に捉えられるようになった。

他者との距離

もちろん、毎週働いていて楽しいことばかりがあるわけではない。
2026年7月。同じ加藤研の仲間がvivoに遊びに来てくれた時、みんなの卒業プロジェクトに興味を持ってくださったうにやさんに、私は友達について考えているという話をした。すると、うにやさんは「僕は垣根を越えて仲良くするとかそういうことは嫌いだ。むしろ境界線が大事だと思っている」と言った。やはり、友達は家族を超えることができないのかと考えた。

しかし、よくよく考えると、私も別にこのプロジェクトによってvivoにくるお客さんと「友達」になりたいわけではないことは明らかだった。むしろ、お客さんとスタッフという距離感を超えようとするお客さんを止めるうにやさんには感謝していた。

研究会の時間に、プラースという人類学者の考えた「コンボイモデル(人生の道連れ)」という概念が紹介された。人生の航路を共に進む「道づれ」や「伴走者」のように、個人を支え親密な関係を保ち続ける身近な他者の集団を指す概念のことである。これを同心円上で表したとき、子どもの時は否応なしに親や家族が一番中心に近い位置にあるが、これらは成熟とともに組み換え可能であるとされている。言い換えれば、これを選んでいくことが大人になるということなのではないだろうか。

まとめ

私は「友達」という関係に価値を感じ、この卒業プロジェクトを進めていくことによって友達を否定されたと感じたあのころの自分を救おうとしている。だが、もしかしたら「友達は責任取ってくれない」という言葉は本来正しいのかもしれないと思い始めている。それは、コンボイモデルの内側に他者を配置するには相当の覚悟がいるという意味だ。そもそも全員と友達になれるわけでもないし、なりたいとも思わない。だからこそ選んでいかなければならないのである。私はこれから人生において誰をコンボイモデルの内側に置いて、誰を外側に置いておこうとしているのだろうか。その判断基準を卒プロ2では考えていこうと思う。