まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

仮縫いの食卓をひらく ― 気にかけあう関係を育む地域メディアの実践 ―

(2026年8月7日)この文章は、2026年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

矢野 晶|Akira Yano

 

背景

私は大学入学を機に上京し、藤沢市で一人暮らしを始めた。初めての一人暮らしは想像以上に寂しく、毎日の食事は埋まらない穴を眺めるような時間だった。自分の住むまちを何も知らず、誰ともつながっていないという感覚は、私を部屋に閉じ込め、孤独をいっそう強くしていた。そんな中、2024年春に、加藤文俊研究室のフィールドワークを通して善行団地と出会った。団地には生活の気配が穏やかに漂い、豊かな緑と明るい日差しがあった。公園には子どもたちの笑い声が響き、広場では住民同士がおしゃべりを楽しんでいる。その風景を見たとき、「ここで暮らしてみたい」という直感が働いた。その気持ちは日に日に大きくなり、大学3年に上がる春、私は善行団地へ引っ越した。

引っ越しからしばらくして、団地の広場で毎朝行われているラジオ体操に参加するようになった。最初は一人で体操をして帰るだけだったが、やがて参加者のおばあちゃんたちが声をかけてくれるようになった。それ以来、季節のことや団地で起きた出来事など、他愛もない話を交わす時間が日課になった。「ここに来ると人と話せるから嬉しい」と話す人がいたが、その気持ちは私も同じだった。ラジオ体操で築かれた関係は、互いの名前を知らなくても自然と気にかけ合う、不思議なつながりだった。休めば「どうしたのだろう」と心配され、久しぶりに顔を出せば「元気だった?」と迎えてくれる。それほど親しくはなくとも、近くに自分を気にかけてくれる人がいて、自分にも気にかけたい人がいるという安心感は、私の日常を静かに支え、一人暮らしの孤独を和らげてくれた。こうしたゆるやかな関係は、血縁や親しい友人とは異なるかたちで、人が安心して暮らすための大切な要素なのではないかと感じるようになった。

このつながりは、毎朝同じ場所に集まるという時間と場所の共有によって成り立っている。そのため、大学卒業後に団地を離れれば、この関係も失われるかもしれない。これは私だけの問題ではない。進学や就職、転勤によって住む場所を変え、その度につながりを失う人は珍しくない。では、新しい土地でも誰かとのつながりの中で生活するためには、どうしたら良いのだろうか。善行団地のラジオ体操で私が得たような「気にかけあう」ゆるやかな関係は、別のメディアでも生み出すことができるのだろうか。この問いを出発点として、私は卒業プロジェクトに取り組むことにした。

フィールドをつくる

ラジオ体操のようなメディアをつくりたいと考え、私が選んだ方法は、団地で冊子をつくることだった。

冊子を作ろうと思ったきっかけも、ラジオ体操での出来事にある。私が団地に出会ったきっかけでもある2024年のフィールドワーク課題では、「第nの孫」という3人のグループが、団地に咲く花についての小冊子「孫と花さんぽ」を発行し、団地のパン屋に置いていただいていた。(参照:https://vanotica.net/danchijin/04.html)冊子には「教えて!善行団地ってどんなところ?」と書かれたハガキが挟み込んであり、団地の方々からハガキが返ってきていた。「第nの孫」のプロジェクトは2024年末で一旦終了していたが、ある日のラジオ体操で参加者に呼び止められ、「パン屋の冊子は次いつ置かれるの?いつも楽しみにしていたのよ」と声をかけられた。プロジェクトが終わってしまったことを伝えると、その方は、とても残念がっていた。このやり取りで、「孫と花さんぽ」の更新が、団地の人たちの楽しみになっていたことを知った。また、実際にお手紙を送ってくれた人の何倍もの人が、冊子を通じて「第nの孫」の3人とつながりを持っていたことにも気づいた。冊子とハガキという形のメディアなら、ラジオ体操のように毎日同じ場所へ集まることは難しくても、人が互いを思い出し、気にかけるきっかけをつくるメディアを設計できるのではないかと考え、テーマは変えつつ、スタイルを引き継ぐことに決めた。このプロジェクトを始めるにあたって、「第nの孫」チームの3人には承諾をいただいた。

現場の観察
1,「いっしょにごはん」の冬

冊子は、偶数月の月末に発行することに決めた。2026年の2月から2027年の2月まで、全6号発行する計画だ。冊子のタイトルは「いっしょにごはん」とした。これには、「冊子を手に取ってくださった方と一緒にご飯を囲むような温かい時間を作りたい」という思いが込められている。冊子を通して自分の暮らしを共有すれば、誰かが感想を書いて返してくれるかもしれない。創刊号となる「いっしょにごはん 冬号」では、団地の我が家に招いた友人との食事の様子について、レシピブック風にまとめることにした。12月から2月までの全3回の食卓の様子について、写真と手書き文字で作った素材をアドビイラストレーターで加工して制作した。印刷は、印刷会社(キンコース)に依頼して、マットコート紙90kg 、フルカラー印刷8ページを、ホチキス留め製本とした。また、返信用ハガキも挟み込んだ。こうして完成した「いっしょにごはん 冬号」は団地のパン屋さん「N⇒Bakery」の入り口近くに置いていただいた。(実際の誌面:https://drive.google.com/file/d/1uFD2vUp047lAnxGZNeFlQcoFfVbiab9E/view?usp=sharing

2,「いっしょにごはん」の春

3月末、冬号に寄せて4通のハガキが送られてきた。そこには手書きの丁寧な字で、おすすめの料理やローカルな買い物スポット、富士山の見えるお気に入りの場所などがびっしりと綴られていた。自分の手作りのメディアに返答が返ってきたことで、読者の存在を実感した。これらのハガキは単なる「読者アンケート」にとどまらないものであると考える。冬号で私自身のプライベートな食卓や日常を開示したことに対し、読み手もまた自身の生活やお気に入りの場所というプライベートな領域を返してくれた。一方的な情報提供ではなく、個人の生活を交換し合うコミュニケーションが成立していると感じ、このことをとても嬉しく思った。

春号の制作では、自宅で料理する様子のほかに、いただいたハガキを起点としたコンテンツを組み込み、教えていただいたレシピを実際に調理する企画や、買い物スポットへ行ってみる「おでかけレポート」企画など、誌面上で読み手への返答できるよう設計した。

特に、ハガキで教えていただいた「わいわい市」での体験は大きな意味を持った。4月16日、団地から歩いて30分ほどの場所にあるJAの直売所「わいわい市」に実際に足を運んだ。駅前のスーパー以外を知らなかった私にとって、直売所での買い物は初めての体験だった。「わいわい市」はその名の通り、平日にも関わらず多くの人で賑わっており、地元の人たちにとって欠かせない買い物スポットであることを知ることができた。この日はタケノコの最盛期で、一列分の棚が全て大きな朝採れのタケノコで埋め尽くされていた。私は人生で初めてたけのこを皮のまま購入して帰り、その日のうちにあくぬきなどの下処理をして、炊き込みご飯にして食べた。その一連の様子を記事にして、春号の「おでかけレポート」とした。住民が日常的に利用する場所を訪れ、買い物をして、その食卓をなぞる行為は、単なる取材を超えて、地域の住民の生活を追体験する行為になった。これによって、これまでどこか観察対象であった地域に対し、自分自身も一人の生活者として深く没入していく感覚を得た。

また、研究に協力してくれている友人(Mちゃん)との対談では、団地に移り住んだきっかけ、私が感じる一人暮らしの寂しさといった自己紹介的な内容や、大学卒業後の転勤や引っ越しに対する不安、いずれこの団地を離れなければならない寂しさといった素直な感情を打ち明けた。

こうした試みを通して、春号は「手紙に返信する」態度で制作されたと振り返る。ハガキを通して教えてもらった場所に足を運び、住民と同じ食卓や風景を追体験すること、そしてその体験を再び誌面へ還元していく一連のプロセスは、私一人の視点では決してみえてこなかったまちの魅力を浮かび上がらせた。この段階で、「いっしょにごはん」は、私個人の生活を発信するメディアから、双方向性を持ったメディアへと変わっていった。

春号はウェブ印刷会社(ラクスル)に印刷・製本を依頼し、マットコート紙90kg、中綴じ、フルカラー12ページの冊子が完成した。50部印刷してハガキとセットにし、今回もパン屋に置いていただいた(実際の誌面:https://drive.google.com/file/d/1p27D_Y8CEqyU0yT1Hfx1ZqFYsDy4nuuF/view?usp=sharing

春号には、6通のハガキが返ってきた。そこには、そのお家の定番料理や、善行団地の好きな風景にとどまらず、春号の対談記事で転勤への不安や一人暮らしの寂しさについて打ち明けた内容について、「引っ越してもすぐに友達ができるから大丈夫です」と励ましの声をかけてくださる人もいた。返ってきた言葉はどれも、冊子を通して開示した私の生活を受け止め、自分の経験や実体験に基づいた言葉を返してくれるものだった。一方的な食卓の開示から始まったこの「いっしょにごはん」というメディアは、徐々に、読み手と私との間に相互に思いあう関係性の入り口になりつつある。

3,「いっしょにごはん」の梅雨

私のメディアに対する考え方も変化した。創刊号では自分の日々の暮らしを書き、誰かから返事が届くことを願う「内向き」な姿勢であった。しかし、いただいたハガキが積み重なるにつれて、「地域に住む人々の暮らしをもっと知りたい」「地域の人に喜んでもらえる冊子を作りたい」というより外へ開かれた関心へと移っていった。

この時期に思いついたのが、地域の人と一緒に団地を歩き、その人の記憶や経験を聞く「団地さんぽ」の企画である。最初にお願いしたのは、団地内の幼児教室に35年間勤められ、「団地みまもり会議」のメンバーでもある稲葉先生だった。ちびっこ幼児教室は約60年前に設立され、多くの団地の子どもたちが育った歴史ある場所である。しかし、今年3月、少子化を理由に閉園した。ある日、掲示板に貼られた「幼児教室閉園のお知らせ」を静かに見つめる住民の後ろ姿を目にし、この団地には、まだ語られていない思い出が数多く残っているのではないかと感じた。それを聞き取り、団地内外の方に届けることが、私と「いっしょにごはん」にできることなのではないかと考えるようになった。

「みまもり会議」で稲葉先生に卒業研究の趣旨をお伝えし、記事化も含めて快諾いただいたことで、梅雨号の目玉企画「いなば先生と団地さんぽ」が実現した。
 稲葉先生との団地散歩では、幼児教室をスタート地点とし、団地内をぐるりと2.8kmにわたって巡った。稲葉先生は少し歩くごとに足を止め、「この斜面は自然の滑り台で、子供たちはシートを敷いてここを滑り降りるのが大好きだった」「この低い植え込みは、子どもたちがかくれんぼで使う隠れ場所だった」といったように、園児たちとの思い出を丁寧に教えてくださった。そのほかにも、ドクダミ、タンポポ、梅、胡桃、シイ、ビワの木、駐車場の奥に広がる森のような広場――私がこれまで何気なく通り過ぎていた団地の風景の中には、多様な遊び場が潜んでいた。私が普段見逃していた木々や垣根や花々は、稲葉先生や卒園児たちにとっては何重もの記憶が積み重なった特別な場所だったのである。思い出をひとつひとつ愛おしそうに語る稲葉先生の横顔を見ていると、ただの日常の風景が宝石よりも価値のある宝物のように思えた。「こんなに宝物だらけだなんて知りませんでした」と感極まって伝えると、稲葉先生は「住んでいると意外と知らないでしょう」と深く頷かれた。住民の記憶を通してまちを歩くことで、私自身ますますこの団地が好きになる。それと同時に、まちへの愛着は、単にその土地に住む年月だけでなく、そこに重ねられた他者の記憶や経験を聴き取り、共有してもらうプロセスの中で育まれるのではないかと感じた。

冊子にするにあたって、稲葉先生との散歩で知ることができたそれぞれの場所での思い出をどのように伝えるか、試行錯誤を繰り返し、手書きのイラスト風の地図と写真集にページを分けて誌面を割り付けることにした。イラスト風の地図はA3サイズに大きく印刷して挟み込み、団地内の散歩に使ってもらえるようにした。ある程度ページのレイアウトが完成したところで、稲葉先生と、一緒にいらっしゃった幼児教室の先生方にも確認していたき、了承を得て記事は完成となった。(実際の誌面:https://drive.google.com/file/d/1-92UE3auwfgVSFPxsxn4nBQXxRAtoQYX/view?usp=sharing

梅雨号では、「いなば先生と団地さんぽ」の企画以外にも、いただいたレシピでご飯を作ってみたり、ハガキにお返事を書くコーナーを設けたりと、双方向性のあるコンテンツが増えた。友人を家に呼ぶ企画も続いているが、自分たちの食卓の様子についてのページと、いただいたハガキの内容に応えるページ、稲葉先生との団地散歩の3コンテンツが大体同じくらいの割合になった。そうして、梅雨号は、カラー印刷16ページ、中綴じの冊子として完成した。冊子を稲葉先生に郵送すると、とても喜んでくださり、「卒園児や知り合いに配りたいです。」とおっしゃっていただけた。「いっしょにごはん」が単なる個人的な生活を綴る冊子を超えて、幼児教室の関係者の方にとっては、アーカイブ的存在にもなっているのかもしれない。

橋場さんとの出会い

6月、「いっしょにごはん」に記載したメールアドレス宛に、団地に住む橋場さんからメッセージが届いた。そのやり取りをきっかけに、まだ梅雨も明けきらない頃に、団地の近くを一緒に散歩させていただくことになった。この時には、「団地さんぽ」企画の一環として、団地周辺を案内していただくことができればと考えていた。
実際にお会いした橋場さんは、溌剌としてお元気で、どこか祖父を彷彿とさせる、優しい方だった。橋場さんはこの団地に50年前から暮らしており、団地周辺の散歩道を熟知していた。最初の散歩では、近くの川沿いを歩きながら、いちごの直売所や森の中の小径、鐘を鳴らせる小さな神社など、約6キロの散歩コースを案内していただいた。「冬になるとこの川には鳥が来るから、その頃にまた歩くのがおすすめですよ」と教えてくださり、私たちは「ぜひ冬にもまた散歩しましょう」と約束をして別れた。

この散歩以後、私は「いっしょにごはん」の企画のために会うのではなく、橋場さんに会うために出かけたいと思うようになった。その後も、隣町まで消防署の訓練施設や森の中の道を見に行ったり、車を出していただいて牧場やダムを訪ねたりと、これまでに3回一緒に出かけた。まちを案内していただき、畑で採れた野菜を分けていただくなど、私が受け取ることの多い関係ではあるが、「いっしょにごはん」がつないだ縁をきっかけに、ご近所の友人と呼べるような関係が生まれたことをとても嬉しく思っている。

この経験は、「いっしょにごはん」の役割についての考え方を変化させた。当初、この冊子は、誌面上とハガキで地域の誰かと交流し、ささやかなつながりを感じる媒体として設計していた。しかし実際には、一度つながりが生まれると、その後の関係は冊子とは関係なく育っていった。散歩をし、一緒に食事をし、お裾分けをいただき、次の約束をする。そうした日常の積み重ねの中で、「いっしょにごはん」は、地域での人と人との関係が始まるための入口として機能し始めている。
創刊時、「はじめに」で掲げた「いっしょにご飯を食べられるような関係性を築くことを夢見ています」という挨拶文は、制作当初は理想のようにも思えた。しかし実際に、ご近所の友人と呼べる存在ができたことで、その目標は現実のものとなった。一人暮らしを始めた頃に感じていた寂しさは薄れ、私の日常には、近所に住む友人と「また今度」と約束できる暮らしが生まれている。

卒プロ2に向けて 

冬号制作時に比べて、「いっしょにごはん」は地域に開かれたものへと変化している。ハガキの存在によって、地域に読み手がいる実感があることで、より地域の人に喜んでもらえるコンテンツを考えるようになった。外へ向いた姿勢によって、取り上げるテーマや企画も豊かになり、梅雨号のページ数は、冬号の倍(16ページ)に拡大した。冬号発行の際には、瓶に詰めた手紙を海に流すような気持ちで返事を待つ、どこか受け身なメディアだった。しかし、梅雨号においては、私自身が読み手である地域の人と交流を持つための、渡し船のような存在であると感じている。これは、メディアがもともと持っている「渡し船」的役割に、ようやく私が気付いたということでもある。冊子という手づくりのメディアを媒介に、人と出会い、その出会いが次の企画や取材へとつながり、さらに新たな読者との関係を生み出していく。その循環の過程そのものが、「いっしょにごはん」の誌面にあらわれている。

今後も、「いっしょにごはん」の発行を続けるとともに、団地やメディアに対する私自身の捉え方がどのように変化していくのか、その過程を引き続き丁寧に観察していきたい。一方で、このメディアをどのように終えるのかという課題にも向き合う必要がある。大学卒業後、私が団地を離れたあとも何らかの形で「いっしょにごはん」を残すのか、それとも卒業プロジェクト限定の実践として、その役目を終えることを受け入れるのか。メディアを始めることだけでなく、終わらせることもまた実践の一部である。そのあり方について、考えていきたい。