まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

トレイナート号にゆられる。(前編)

「トレイナート」は、つかみどころがない。

「トレイナート(http://trainart.jp/)」は、つかみどころがない。昨日の午後、トレイナート号にゆられながら、そう思った。もちろん、「つかみどころがない」というのは、賞賛のことばだ。

まず、パンフレットを見ればわかるが、3日間の会期中、いろいろなことが同時に進行していて、とにかくその情報量に圧倒される。地図や時刻表を眺めながら、事前に、時間や場所のことをよく考えておかないと、取り残されてしまう。いかにも愉しそうに見えるのだが、どのように鑑賞すればいいのだろう。手がかりが、足りない。

http://instagram.com/p/uheDJNJZS9/

【2014年10月24日(金)駅舎JAZZライブ・串本駅】

「つかみどころがない」のは、おそらく、「トレイナート」のイメージが、細部にわたって計画される前に形になった(形になってしまった)ことの表れだ。たしかに、荒削りな感じがする。やや無鉄砲な試みだったのかもしれない。それでも、ひとたびトレイナート号に乗って、ちいさな子どもからお年寄りまで、わいわいと賑やかに電車にゆられている姿を目にすると、このような「つかみどころのない」イベントこそが、多くの人を巻き込む力を持っていることに気づくのだ。よくわからない…などと言っているあいだにも、列車は走りつづける。じぶん(たち)で、関わりかたをさがすということだ。

いろいろな人が、いろいろな理由で同じ列車に乗り合わせ、紀伊半島をぐるりと巡る。列車は、ゆっくりと海沿いの駅に停車しながらすすむ。アートプロジェクトの批評家も、数多くのイベントを手がけてきた人も、何か言いたくなる気持ちをおさえて、まずはトレイナート号にゆられて窓の外を眺めてみるといい。ぼくたちも、(細かいことは気にせずに)その雰囲気を無条件に受けいれることが大切だ。確実に言えるのは、トレイナート号が、乗り合わせた一人ひとりの「ものがたり」を束ねる役割を果たしているということだ。

 

「トレイナート」を綴る。

ぼくたちは、アーティストを名乗って活動しているわけではないが、今回、これまでに田辺や串本でつくったポスターを、トレイナート号の車内に掲出することになった。ポスターは、まちに暮らす人びとの「分身」となって、トレイナート号とともに旅をする。そのようすを見物するだけではもったいないので、何らかの方法で「トレイナート」の記録を試みることにした。いわゆる「見どころ」は、新聞をはじめとするメディアが扱ってくれるはずだが、そもそも、このような「つかみどころのない」イベントを記録しようとするとき、従来型の取材やドキュメンテーションの方法は役に立たないだろう。

http://instagram.com/p/uhL7aQpZdD/

【2014年10月24日(金)きのくにの人びとのポスター展(トレイナート号)】

だから、今回の課題は、愉しくて「つかみどころのない」イベントを理解するための方法(および態度)を考えることなのだ。それが、ぼくたちにとっての「トレイナート」だ。

会期中(おもに2日目)、17名の学生たちはペア(あるいは3人)になって、「トレイナート」というイベントの記録を試みる。8つのグループによる、8つの「ものがたり」がまとまる予定だ。対象になるのは、駅舎や車両を彩るアート作品とはかぎらない。「トレイナート」の風景から着想された「何か」をつくる。たとえば、トレイナート号に乗り合わせた人びとの姿が描かれることで、ぼくたちは、このイベントについて、より豊かに語れるようになるはずだ。

* 8つの「ものがたり」については、26日のトレイナート号のなかで成果報告会をおこなったあと、ウェブで公開する予定。