(2026年8月7日)この文章は、2026年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。
吉田 優斗|Yuto Yoshida
はじめに
「何をやっているのですか。」「これによってどうなるのですか。」この言葉は展覧会や研究会の説明をする際に必ずといってもよいほど聞かれる質問である。私は未だかつて、このような質問に自信を持って答えることができていただろうか。そもそも、私はこの研究会の活動をしっかりと理解することが出来ていたのだろうか。私がこの研究会で出会ったフィールドワークや成果物作りは、これまでの私の学問の常識を打ち破るような新しさと斬新さ、そして楽しさを有しているものであった。しかし、それはすべて自分自身の漠然とした感覚であり、果たしてそれが何になるのか、どうなっていくのかということは私にも分からなかった。そこで加藤文俊研究会(以下加藤研)について調査することにした。加藤研の人々がこれまで行ってきた活動を振り返り、知ることによって、この疑問や自分自身の実感に何か名付けや答えを出してみようと試みた。しかし、早くも壁にぶつかってしまった。過去の卒業生の卒業研究を読み進めていたのだが、それではパソコンと向き合うのみで、フィールドワークや成果物といったものからどんどん離れていってしまったのだ。それは、加藤研の研究をしながらも、自分自身で実践していたことは最も加藤研から遠いところだったということだ。そこで、かつて私が加藤研の活動でフィールドワークを行っていた藤沢を対象に再度フィールドワークを行うことにした。なぜ藤沢なのかというと、加藤研に所属し、種々の活動を行っていくなかで、フィールドワークや成果物作りが最も上手くいかなかったのが藤沢だったからである。なぜ、上手くいかなかったのかは私にも分からない。ただ、フィールドワークも成果物も十分に納得のいく結果ではなかったことは確かである。そこでフィールドワークを探るためにも、そして過去のリベンジを果たすためにも藤沢というまちを選んだ。
過去の卒業生の活動を振り返る
研究を開始した初めのころは、加藤研のことを調査するべく過去の卒業生の研究を調べていたのでそれを一部紹介する。調べた過去の卒業研究は2023年から2021年までの計10本。調査方法としては、文章を読みながら気になったところや良いと思ったところをメモ書きし、その後、氏名、タイトル、テーマ、年度、観察方法、記録方法、場所・対象、頻度等、アウトプット、文献、気づき、苦労したことなど、まとめ、感想、評価という項目で、エクセルにまとめ、記録をとった。特に重点を置いて記録/記述したのが観察/記録方法と気づき、苦労したことである。各卒業プロジェクトに個性が詰まっていたのだが、そのなかでも特に感銘を受けたものをいくつか紹介していきたい。
2023年の卒業プロジェクトの1つである『人びとの博物館』~東京国立博物館の来館者スケッチと、その様態の考察~ではタイトルの通り、東京国立博物館に訪れる人々のスケッチをテーマとしてプロジェクトが行われている。その文章中に「作品鑑賞をする人同士のわずかな仕草からでも、人と人との関係性は滲み出てしまうもののように感じます。それと同時に、2組のペアを見比べてみると、それぞれの装いが類似しているということにも気がつきます。一方は、なんとなくラフな感じで、もう一方は、シャツとワンピースでフォーマルな感じ。このような装いの違いも、2人の関係性を表しているのかもしれません。」という記述がある。この文章は男女ペア2組の特徴を比較した後に書かれているものであり、大きな気づきを得られる。一方は、身体を寄せ合って視線を合わせながら鑑賞しているのに対し、もう一方は、お互い物理的な距離を保ちながら自立して立っていて、心理的な距離も感じられると記述している。このように事細かに観察してスケッチするだけで、その人にインタビューせずとも、装いや距離感から想像してその人のことを窺い知ることができるのである。その延長線上でその人の気持ちを想像することも、関係性を見出すこともできる。つまり、フィールドワークし、その記録を丁寧にスケッチすることで、その人のことをほんの少しだけでも分かったような心地がするのである。それに合わせてどのような物語を附随させていくのかは私たち観察者の想像力の問題である。
2021の+2℃という卒業プロジェクトでは「誰かを想いながら、その人との時間を構想する、そのプロセスから相手とのコミュニケーションは始まっている。ティーセットを作るという形でなくても、例えば友人と一緒にご飯を食べるためのお店を事前に予約しておくときや、誰かに贈り物をするときも同じだ。相手が喜んでもらえる、心地良くすごしてもらえるために時間と労力をかける中で、そこには自ずとストーリーが生まれる。」と記述されている。私たちは誰かと会うとき、誰かと空間を共有するとき、既に相見えるよりも前からその人とのコミュニケーション、つまり関係の構築は始まっているのである。何を準備するのか、どんな装いをするのか、相手のために何をしようとするのか、私という存在は相手に対して思いを巡らせながら変容していくのである。そうした過程を経て、出会うことによって、関係はさらに織りなされるのである。
フィールドワークに立ち戻る
過去の卒業生の活動を振り返るうちに新たな気づきを得ることができた。まちの眼差し方、人間関係の捉え方、組立て方は、当然ではあるけれど、十人十色、千差万別であるということだ。そのフィールドワークの眼(日常生活の気づき)ともいえるものを知ることが純粋にとても楽しく、また自分自身の中に蓄積しているような感覚もあった。その一方で、上記でも少し触れたが、文章を読んでいるだけでは、自分自身の中にその眼を留めておくだけでは、加藤研的なものからは逆行してしまい、ただの自己満足で終わってしまう。なにより現場に自らの身を置き、実践することの大切さは、加藤研で過ごした2年間によって、肌で感じている。ゆえに藤沢にてフィールドワークを行うことにした。

(図1 藤沢でのフィールドワークの範囲)
6/16(火) 9:20-10:20頃
久しぶりのフィールドワークだった。3か月ぶりであったため意気揚々と藤沢に出かけ、何か見つけまいと意気込んでいた。私がちょうど1年前に藤沢をフィールドワークしていた時とは異なり、駅の整備が進められ、新たに小田急線に二階の改札口が出来ていた。そのようにして、まちの利便性、小綺麗さが上がっていく一方で、自転車の違法駐輪を取り締まる無数の監視員や短い間隔で並べられたコーン、まちの至るところに貼られた注意書きなど、ルールの守らない人々に対して、まちが積極的に取り締まろうとする様子も窺える。また、藤沢駅はJR線、小田急線、江ノ島電鉄線の3つが乗り入れる駅である。電車やそれに伴う人々の出入りが多く、時刻表に沿った人々の流れの様子を見ることができる。どこからかやって来て駅に入っていく人々と、駅から出てきてそれぞれの目的地に散っていく人々とが、まるで波のように打ち付け合い、引いていくことで絶えず人々の流れを形成しているのである。花屋やドラックストアはお店の敷地から越境しがちである。店舗から地続きになっているタイルと道路のタイル、その境目までお店のものが置かれている。その場所は、お店の営業時間外であれば人々が通る通路の一部となっているが、営業時間中はお店の敷地のようになり、棚と商品が陳列されている。時間によって、場所の利用者とその用途が変化する面白い空間である。藤沢駅のすぐそばにはベンチ付きの地下広場が存在する。朝方の時間帯には学生と高齢者が主に座っていて、話をしていたり、誰かを待っていたりしていた。フリーWi-Fiと電源が設置され、藤沢市に関する映像が流されているが、誰も作業していたり、気にしていたりする様子はなかった。多くの人々に使われているような空間ではなく、どちらかというと地元の人のちょっとした休憩場として利用されているという印象を強く受けた。



(フィールドワークの様子、左上図(図2):ドラッグストア、右上図(図3):注意書き、下図(図4):地下広場)
7/11(土) 8:40-10:00
朝だったこともあり、仕入れ(運搬)の車やトラックがとても多い印象であった。シャッターが下りているお店が多く、朝から営業しているお店の中には何人かお客さんがいた。上記の花屋やドラッグストアでは品出し作業が行われており、まさにお店の境界線が拡張されていく経過を眺めることができた。迷いなく作業が進められていて、そこで働く人々の間でここまではお店のものを出しても問題ないといった了解が共有されているのかもしれない。また、新たな発見もあり、藤沢駅の南口と北口のバス停で違いがあることも分かった。南口では、江ノ島電鉄線の改札口がJR線、小田急線の改札口よりも少し南にあるためなのか、江ノ電バスがバスロータリーのほとんどを占めていた。反対に北口では、江ノ電バスもわずかに運行されていたものの、神奈中バスが大部分を占めているような感じだった。このバスの様子は棲み分けや縄張り争いといったものと似ている。ただ、それによって人々の動きが南口、北口で大きく変化するといったことはなかった。
また、定点観測も行った。定点観測を行った場所については以下の図の通り。歩道橋で9:10頃から約20分間行い、人々の様子や感じたことを多くは文字を用いて、補足的にスケッチを描いて、スケッチブックに記録した。この日は晴れ渡っていてとても蒸し暑い日であった。そのせいか多くの人々が日傘をさしており、そうでない人も帽子を被るなど暑さ対策、日差し対策をしているように見えた。また、日傘を差すためだろうか、肩掛けバックや手提げというよりもリュックサックを背負っている人が多かった。予想に反していて面白かったのはハンディファンを持っている人が少なかったことである。これだけ暑ければ日傘と同じくらいハンディファンを持っている人もいると思いきや観察時間のなかで持っている人は10人にも満たなかった。このことを少し考えてみると、2つしか手がない中で、片方の手には暑さ対策品が、もう片方の手がスマホもしくは何も持たない状態であると仮定したときに、より屋外の徒歩で優先される暑さ対策品は、ハンディファンやうちわ・扇子ではなく、日傘であるということがいえるのではないだろうか。さらに、人々の装いに関して、トップスは半袖シャツを着ている人がほとんどであったが、ボトムスでは半ズボンを着用している人はほとんどおらず、長ズボンまたはスカートが大多数であった。
地下広場でも同様にして定点観測を行った。歩道橋と変わらず日傘を抱えている人は多かったが、やや手提げの割合が増えているように感じた。また、マスクをしている人がちらほらといた。そもそも地下道は歩道橋よりも圧倒的に人通りが少なく高齢者の割合が幾分か高い。上記のことを含めて色々と勘案するに、地下道は地域住民にとってひっそりと存在する抜け道のような存在なのかもしれない。また、地下広場には上述の通りベンチがあり、そこで長居する人こそ多くはないが、休憩や待ち合わせの場所として機能していることも分かる。藤沢市に関する映像も流れているが気に留めるひとは全くいない。



(上図(図5):定点観測の地点、左下図(図6):歩道橋での記録、右下図(図7):地下広場での記録)
7/21(火)10:15-11:05
この日は湿度も気温も特に高く、少し外に出ただけで汗が吹き出してしまいそうな陽気であった。いつも私が藤沢駅のFWにおいて回っている順路からは少し外れて、特に駅ビルに着目することとした。藤沢駅に隣接する駅ビルでは館内から駅にそのまま向かうことができる構造を持っている。そのため、特に暑い日では、お客さんでない駅の利用客が涼しい通り道として、行き来する姿が多くみられる。藤沢駅でいえばLIERRE(リエール藤沢 | エキナカポータル)やルミネ(ルミネ藤沢 │ LUMINE)がそれにあたる。そういったフロアでは飲食店やカフェ、パン屋、雑貨屋があることが多く、ふらっと立ち寄れる仕組みが整えられている。また、そこで働く従業員の方々も、お店の目の前を素通りしていく人々に対して特別に意識しているといったことはなさそうであった。ルミネは9階まであり、主に4階は雑貨、化粧品、5階、6階はユニクロ、7階は医院・薬局、8階は事務所、9階は塾である。4,5,6階はお買い物をしているお客さんという体で容易に入ることが出来たが、7階以上は外に対する開放性が低く、立ち入りにくかったため、行くことを断念してしまった。
他の駅ビルでは藤沢名店ビル、OPA、ODAKYU湘南GATEがある。藤沢名店ビル(フジサワ名店ビル | ホーム | Fujisawa | 神奈川県)では、1階に自転車屋、サーティワン、雑貨屋があり、かなり雑然としていて未開の地に足を踏み入れた心地がした。2-5階は本屋があり、その他にアクセサリー・化粧品、雑貨、ミュージックサロンが入っていた。アクセサリー・化粧品店やミュージックサロンといった馴染みのないお店はあったが、親近感のある本屋が自分の居場所を確立するような、中和するような役割を果たしてくれているように思えた。OPA(湘南藤沢オーパ)は1階から3階までは飲食店と雑貨、服屋などが混在するような雑多な配置で、4階以降も雑貨、服、アクセサリー/くつ、ガチャガチャ、スーツ/古着、タワレコ、スポーツ用品店などが入っていた。さらに、7階は無印良品、8階はCOCAというアパレルである。このように様々なジャンルのお店があることによって、フロア全体の居心地の良さが上がっているように感じられた。となると、フロア全体の居心地が良いためか、スーツ屋のような馴染みのないお店の前だけ、急いで通過したくなってくる。つまり、同じフロアの中でも私をどのように位置させるかによって、居心地の良さは変化するということである。ODAKYU湘南GATE(ODAKYU湘南GATE │ 65の専門店と百貨店の個性が集う、お気に入りのコトやモノが見つかる商業施設 │ OdakyuSCポータル)では各階ごとに想定する客層が何となく定められているようなお店の配置であって、居心地の良い悪いがはっきりと分かれた。最も居心地が悪かったのは1階で高級ブランドのアクセサリー・化粧品のお店(しかもショーケース型)が並んでいた。そもそもアクセサリー・化粧品になじみがないうえに、名前だけは聞いたことのあるような海外のブランドがいくつも並んでいて、すぐさま退散した。もっとも居心地が良かったのは4階で百均、眼科、雑貨と物凄く馴染みのあるお店が順番に並んでいた。以上をまとめると、自分自身にとって馴染みのないおしゃれな服屋や婦人服、アクセサリー、化粧品、和服、スーツなどのお店がフロアを占めていると居心地の悪さが大きくなり、反対にチェーンのお店や量販店、飲食、本屋、百均などがあると緊張感が解け、心が安らぐ感覚がすることが分かった。
理論的接続
今後の方針にも関わることであるので、ここで少し私の考えをしたためておきたい。思考の源流となっているのはもちろん加藤研の活動やメンターである加藤先生の影響が大きいが、本をいくつか取り上げるとするならばC・ライト・ミルズ「社会学的想像力」、ケネス・J・ガーゲン「関係からはじまる」、P・L・バーガー=T・ルックマン「日常世界の構成」の影響も受けている。
人とはどのようにできているのだろうか。社会とはどのように形成されているのだろうか。様々な体験や本を読む中で、私たちは関係のなかで出来ているということが分かった。私という個は真には存在せず、相手との相互行為によってその場その場で絶えず作られていく。そのひとつひとつの関係の総体として私というものが存在しているのである。それをより大きな範囲に適用することによって社会も理解することができる。人々の関係が、その表出としての行為や言葉が集積することによって、社会ができていく。そして、ある共通認識としての社会が形成されると、それが人々の行為をも司るものになりうる。社会という大きな存在(これを細かく見ていくと人々の関係が網目になっているものなのだが)によってもまた個という存在は変化するのである。つまり、人と人との関係、人と社会との関係によって、個も社会も形成されるというわけである。
この考えをもとにして、どのようにフィールドワークに繋げてゆけば良いのだろうか。まず1つ言えることとしては、フィールドワークをするという行為そのもの自体によって、私を含めた人々の行動が変化し、関係が生まれる。そのため、フィールドワークによって私もまちもほんの少しだけ再構成されるということだ。また、フィールドワークをすることによって新たな視点や気づきを獲得することもできる。他者の工夫が見えたり、社会の暗黙の了解を感じ取ったり、自分自身の感情や価値観の揺れを感じたりなど実に様々な学びがある。このように他者やまちを通すことによって、自分自身に取り込むことによって、自分というものを捉え直すとともに、人と人の関係、人と社会の関係をわずかながらに変化させていくのである。さらに、その視点や気づきを他者と共有することによって、それの持つ意味合いも解釈も拡大することができ、想像力はより豊かになっていく。そのために人と人を繋ぐ、人と社会を繋ぐ媒体が必要となってくるのではないか。学問の世界では、それに従事する人々に向けられた論文という形で主に共有される。しかし、より一般市民にも届きやすいメディアにも価値はあるだろう。その中間体となるメディアによって、私たちはさらに関係を変化させることができ、より深みのある(意味を持つ)ものになる。フィールドワークやメディアを通じて誰かを感じることによって、個も社会もより自分自身にとって面白い変化をするようになるだろう。
まとめと今後
加藤研とはなにかということから始まったこの問いは、過去の卒業生の活動を読んでいくうちに様々な視点を獲得する面白さへと繋がり、どのようにフィールドワークと紐づけながら、人や社会を変化させ得るのか、関係を結びうるのかという関心へと繋がっていった。ただ、私の考えが散在しているのもあってか、フィールドワークと理論とそしてメディアというものがそれぞれ別のものとして区切られてしまっている。フィールドワークという実践的で身体的なものと、理論という一般化された概念的なものと、そしてメディアという学問の外や関係への一種のアプローチを、上手に整理付け、位置づけることが私のプロジェクトにおける一つの目標なのかもしれない。さらに、ある問題意識のもとでこの一連の試みを行うためには、フィールドワークという調査法だけではなく、他の質的調査法や量的調査法など多角的な調査法を用いることによって、社会と人という両方の観点から、問題を理解することができると考えている。そうすることで社会構成主義という観点から、その問題について深く考察することができるのではないかと考えている。とはいえ、本研究ではそこまでの応用はせずに、フィールドワークというものを軸により深く考えていく。そのためには、ひたすらにフィールドワークを行い、試行錯誤していく必要がある。つまり、その対象地なり対象者が必要で、この春学期間はそれすらも揺れ動いていたが、藤沢という土地で、さらにSFC内外におけるフィールドワークの専門家、実践者にお話を伺うことによって、フィールドワークとはいかなるものなのかを編み出していきたいと思っている。そして、それをまとめる過程において、メディアとしてどのように表出すればよいのか、人々の手に渡ってどのように関係を変容させられるのか、新たな視点を与えることができるのかというところまで辿り着きたい。これらのすべてを満たせたとき、私の卒プロと私の知的好奇心は十分に満たされたといっても過言ではない。
文献一覧
- Charles Wright Mills「社会学的想像力」伊奈正人、中村好孝訳、ちくま学芸文庫、2017
- 長谷川公一、浜日出夫、藤村正之他「社会学―New Liberal Arts Selection―」有斐閣、2019
- Ken Plummer「21世紀を生きるための社会学の教科書」赤川学監訳、ちくま学芸文庫、2021
- Zygmunt Bauman, Tim May「社会学の考え方」奥井智之訳、ちくま学芸文庫、2016
- Kenneth J. Gergen「関係からはじまる」鮫島輝美、東村知子訳、ナカニシヤ出版、2020
- Peter L. Berger, Thomas Luckmann「日常世界の構成」山口節郎訳、新曜社、1977
- Erving Goffman「出会いー相互行為の社会学」佐藤毅、折橋徹彦訳、誠信書房、1985
- 加藤文俊「態度としてのフィールドワーク:学会誌の「外」へ」認知科学29(4)、661-667、2022
- 加藤文俊「「ラボラトリー」とデザイン:問題解決から仮説生成へ」SFC Journal17(1)、
110-130、2017 - 加藤文俊「デザインというかかわり」デザイン学研究特集号27(2)、42-47、2020
- 佐藤郁哉「社会科学における定性/定量の区分についての覚え書き」一橋論叢115(5)、1021-1038、1996








