まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

えらび、えらばれる。(2)

学生はメディア。

「もし、3人の教員をえらぶことになったら」という課題を出したことについては、すでに紹介した。なるほどと思う提案もあったが、じつは、注⽬すべきなのは「想定外」の名前と、教員の組み合わせだ。誰と⼀緒に研究テーマに向き合いたいのか、誰の後ろ盾を求めているのか。学⽣は、⾃由に教員をえらべばいい。 カリキュラムの案内を⾒ると、教員たちは、研究テーマに応じてゆるやかにグルーピングされている。「専⾨」を表すキーワードも公開されている。ぼくたちは、研究テーマが似ていたり、同じ学会に所属していたりすることで、同僚とつながってゆく。学内の会議や業務で ⼀緒になって、親しくなることもある。それは、いわば⾃然なつながりだ。 学⽣たちがえらんだ「想定外」の教員の組み合わせは、そうした既存のカテゴリーをしなやかに乗り越えて、あたらしい可能性を⽰唆している。

もちろん、学⽣たちの思い込みやイメ ージで、教員の理解にもばらつきがあるだろう。無茶な組み合わせに⾒えるかもしれない。 だが、学⽣がじぶんの想いでえらんだ組み合わせは、教員にとって貴重なチャンスをひらいている。きっと、ぼくたちの経験では理解しえない、あたらしい「何か」に触れているのだ。 学⽣こそが、教員どうしのあらたな出会いやつながりをつくる。だからぼくたちは、えらばれることを楽しみにしながら、まだ⾒ぬ「想定外」の提案を受け容れる準備をしておくのだ。

少し話は変わるが、「出版の未来」という授業で紹介した一節を、ここでも引用しておきたい。さわや書店(盛岡市)の、長江さんのことばだ。長江さんは、「文庫X」という企画の仕掛け人として知られている。ある文庫本が手書きのオリジナルカバーで覆われ、さらにシュリンクラップされて店頭に並ぶ。そして「税込で810円であること」「500ページを超える作品であること」「ノンフィクションであること」だけが記されている。書店を訪れた人は、この情報だけで一冊の本と向き合い、買うか買わないかを決めるのだ。この販売方法は、全国の650を越える書店を巻き込んで、記録的な売り上げがあった。昨年の今ごろ、長江さんは書店を退職することになり、そのさいにはニュースになったくらいの有名人である。(長江さん自身が、『書店員X』というタイトルの本を出している。)
さわや書店のことは、しばらく前に、友人の沼田さん(フキデチョウ文庫)に教えてもらった。何度か盛岡に足をはこぶ機会があって、そのたびに、フェザンにある書店をうろうろした。長江さんは、語る。

例えば、本を買うという行為の場合、「これは自分が読む本ではないな」と感じるものであっても、手を伸ばしてみてほしいと思う。世の中には、「殺人犯はそこにいる」のような、読んだ人間を揺さぶり、常識や価値観を打ち破るような作品がまだまだ存在する。『殺人犯はそこにいる』のように、誰が読んでも衝撃を受ける作品はそう多くはないかもしれない。でも、あなたを揺さぶる作品は、書店の棚のどこかに間違いなく存在する。本を選ぶことは、とても難しい。けれど、本を買う一人ひとりが、今の自分が持っている先入観を乗り越えて本を探すことが出来れば、本によって人生が変わる可能性は格段に高まるはずだと思う。

また、同じことは、本を買うという行為だけに留まらない。先入観というのは結局、「今の自分」にとって「許容可能」かどうか、という判断の結果でしかない。本に限らず、何らかの経験によって「今の自分」を押し広げ打ち破ろうとしたら、「今の自分」の判断を疑うしかないだろう。それは結局、先入観に囚われずに判断する、という経験の積み重ねによってしか身につかないだろうと思う。
出典: http://hon-hikidashi.jp/bookstore/21212/

手書きのPOPが売り上げに貢献するという話は、それほどめずらしいものではないが、この一節は示唆に富んでいる。ぼくたちは、かぎられた情報だけを手がかりに「文庫X」を買うか買わないかを決める。このとき、さわや書店(そして、仕掛け人の長江さん)は、読者と「未知の著者」とをつなぐ役割を果たしている。たまには「今の自分」の判断を疑ってみてはどうかと、背中を押すのだ。

学生たちが教員をえらぶのは、書店で本をえらぶのに似ている。実際に、シラバスの一覧というのは、書棚のようなもので、一つひとつのシラバスには教員の想いが書かれている。ぼくは、シラバスを介して学生たちと出会う(もちろん、他にも本や論文、SNSなどを介して出会っているはずだ)。「研究会」に興味があるという学生と話をしていると、ぼんやりと「ぼくではなくて、他の先生のところで学んだほうがいいのではないか」と思いいたることがある。ぼくが受け入れを拒んで、他の先生に押しつけようとしているわけでもなく、素朴にそう感じるのだ。分野にかんする説明をしたり、参考になりそうな本を紹介したりする。話しているうちに、お互いに「許容可能」かどうかを再考するきっかけが生まれる。

学生との会話をとおして、気づくことはたくさんある。ふたたび、「もし、3人の教員をえらぶことになったら」という課題への回答を眺めてみる。「想定外」の提案は、ぼくの先入観を揺さぶる。「今のぼく」の判断を疑ってみるよう促す。ぼくには、「未知の同僚」がたくさんいることを、あらためて思い知る。学生は、ぼくが「教員X」に出会うためのメディアなのだ。

(つづく)

書店員X - 「常識」に殺されない生き方 (中公新書ラクレ)

書店員X - 「常識」に殺されない生き方 (中公新書ラクレ)

  • 作者:長江 貴士
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/07/06
  • メディア: 新書
 

exploring the power of place - 039

【本日発行】️🏃🏻‍♂️「フィールドワーク展」まであと18日。今年度の成果を、丁寧にまとめたいと思います。学期末の慌ただしさのなかで、ちょっと手を休めて加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” 第39号(2020年1月20日号)『えびす(4)』をどうぞ。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/039

◎ 第39号(2020年1月20日号):えびす(4)
  • クリスマス・プレゼント(田村 糸枝梨)
  • 美しさ(太田 風美)
  • 信じること(比留川 路乃)
  • 東京都写真美術館と僕(木村 真清)
  • 自分の感性とは(水野 健)
  • ノリコさん(坂本 彩夏)
  • 恵比寿の余白(加藤 文俊)
  • たい焼き「ひいらぎ」(笹川 陽子)
  • 恵比寿で見つけたこと(久慈 麻友)

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えらび、えらばれる。(1)

「研究会」と出会う。

100人の教員がいれば、100通りの「研究会(ゼミ)」があるのだから、えらぶのは難しい。でも、選択肢が多くてえらぶのが難しいこと、悩んでしまうことを、ポジティブにとらえるのがいい。迷うのは、悪いことではないからだ。まずは研究テーマ(学問領域)や方法論、成果物などを手がかりに、「研究会」について調べてみる。シラバスは、「研究会」を知るための大事な「接点」になるはずだ。授業を履修したり、見学に行ったり、あるいは友だちや先輩からの情報(うわさ)を聞いたりするのもいい。さまざまな方法で、じぶんに合っている(と思える)「研究会」をえらぶ。
「研究会」によって、事情はことなる。ぼくの知るかぎり、学生が50名をこえるような大所帯のところもあるし、数名のところもある。定員が決められている場合には、選考プロセスを経て、メンバーとしてむかえられる。だから、学生が自由にえらべばそれで決まるわけでもなく、何らかの課題(レポートや面談)をとおして認めてもらわなければならないこともある。

ぼくも、必要に応じて選考をしているが、とくにここ数年は、いくつかの「研究会」にエントリーする学生が増えているようだ。面談のときには「加藤研が第一志望です」などと言いながら、「合格」を伝えても(何の連絡もなしに)別の「研究会」に加わっている学生もいる。😔 いっぽうで、青田買いのようなふるまいをしている教員がいるとも聞く。学生の不誠実さを嘆きながらも、じつは教員も、こうした状況の一部を構成しているのだと思う。「研究会」をえらぶのが、なんだか面倒な手続きに見えてくる。

理由はともかく、まずは、学生がじぶんの「研究会」をえらんでくれることに感謝したい。えらばれることは、嬉しいことだ(ありがとう)。少し大げさに言えば、他の可能性を(ひとまず)「捨てる」決断をして、えらんでくれたからだ。もちろん、もっと軽い気持ちでえらんでいる学生もいるはずなのだが、このさい、それは気にしないようにする。とにかく、ぼくはえらばれたのだ。
学生は、数あるなかから「研究会」をえらぶ。そして教員は、希望者のなかから、学生をえらぶ。それも、決断だ。授業をとおして知っている学生なら、判断しやすい。レポートや面談でわかることもあるが、わからないこともたくさんある。「研究会」で活動するなかで、お互いに変わってゆくのだから、えらぶのは難しい。ぼくの「見る目」が試される。

えらんだ人に、えらばれたい。えらんでくれた人を、えらびたい。理想的なのは、「えらび、えらばれる」という関係だ。ここのところ、ずっと「えらび、えらばれること」について考えていた。そして昨年の秋、ふとした思いつきで、「研究会」の学生たちに、下記のような課題を出してみた。

【課題】(架空の話です)
カリキュラムが改訂され、今後、「卒プロ」を修了するためには(つまり卒業するためには)、3名以上の教員による「アドバイザリーグループ」を申請することが義務づけられました。あなたは、どの3人とともに「卒プロ」をすすめたいと思いますか?

  • 具体的に3名の教員名(SFCで「研究会」を担当している教員に限る)を挙げる。
  • なぜ、その3名なのか、じぶんの関心のあるテーマや方法論を紹介しながら、「アドバイザリーグループ」が妥当であることを説明する。

提出期限までに、23名から回答が提出された。なかなか面白い結果で、いろいろと考えるきっかけになった。ところでこの課題、架空の設定ではあるものの、それほど突飛な話ではない。大学院に進学すれば、主査と副査(2名以上)によって指導がおこなわれているので、文字どおり「アドバイザリーグループ」が必要になる。学部のカリキュラムも、「研究会」にかんしては、学期(半期)ごとに「移動」が許されているのだから、卒業するまでに複数の「研究会」に所属する学生もいる。同じ学期に「掛けもち」している場合もある。だから、担当教員を一人にかぎることなく、何人か頭に浮かんだほうがいいはずだ。

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学生たちが誰をえらんだのか、簡単にまとめてみた。1行目は、同僚の先生がたの名前(イニシャル)、2行目は、その先生の名前を挙げた学生の人数である。たとえば、回答した23人中9人がYSさんをえらんだということだ。見てのとおり、続いてHI、TK、MNさんの名前が挙がった。なるほど。すでに一緒に調査研究をしたり、「卒プロ」の合同発表会をしたりという関係を知ってか知らずか、「想定内」の名前が挙がった。組み合わせで見ると、「YS・HI」「YS・MS」を「指名」した学生が、それぞれ3名、2名だった。
結局のところ、23名の名前が挙がった。たしか100名くらいは「研究会」の担当者がいるはずだから、仮にこの課題の設定どおりの仕組みになって、学生が自由に教員をえらべるようになったとすると、同僚のおよそ4人に一人が、ぼくと一緒に「アドバイザリーグループ」を構成する、潜在的なメンバーだということになる。

(つづく)

研究会シラバス(2020年度春学期)

2020年度秋学期からの新規履修(選考)については、大学のオフィシャルサイトにある「研究会シラバス」を参照してください。

※ 加藤研メンバー(2020年1月1日現在):大学院生 6名(博士課程3名・修士課程3名)・学部生 20名(4年生 6名・3年生 6名・2年生 8名; 休学中の学生をふくむ) 

00 「研究会」について考えていること

(執筆中:随時更新予定)↓ これ、とても大事なので、じっくり読んでください。

01 はじめに

ぼくたちは、絶えずコミュニケーションしながら暮らしています。そして、コミュニケーションについて考えることは、(いつ・どこで・だれが)集い、(何を・ どのように)語らうのかを考えることだと理解することができます。つまり、コミュニケーションへの関心は、必然的に「場所」や「場づくり」への関心へと向かうのです。この研究会では、人びとが集う「場所」の成り立ちや「場づくり」について、実践的な調査・研究をすすめています。主題は、 コミュニケーションという観点から「居心地のいい場所(グッド・プレイス)」について考えることです。

ことばを大切に正確につかいたい。つねにそう思いながら活動することを心がけています。たとえば「地域活性化」「まちづくり」「コミュニティ」など、 それっぽくて、その気になるようなキーワードはできるかぎり排除して、慎重にことばをえらびたいと考えています。つまり、コミュニケーションに執着するということです。「わかったつもり」で、ことばをえらばないこと。そして、相手(受け手)を考えて丁寧に語る/表現する姿勢を執拗に求めることです。

02 「時間割」にない授業

「研究会」の学びとはどのようなものか。いつ、どこで、誰と、どのように学ぶか。いろいろと考えるべきことがたくさんあります。ぼく自身は、大学の教員になってから、「場づくり」への関心がますます高まりました。(あたりまえのことですが、授業をするわけなので)まずは、「教室」におけるコミュニケーションのあり方を理解することが大きな課題でした。講義科目にかぎらず、「研究会」を開講してみると、なかなか思うようにいかないことがある。どんなに周到に準備や計画をすすめていても、実践の現場では、予期せぬことがたくさん起きます。つねに実験する精神を忘れずに、「研究会」のことを考えるようにしています。

これまでの経験でわかってきたのは、ぼくたちの活動には、インフォーマルなコミュニケーションが重要だという点です。たまたま居合わせた人とのコミュニケーションが、予期せぬ結果へと結びつくことがあります。「未知の隣人」との出会いが、刺激的なコミュニケーションへの第一歩なのです。こうしたアドホックな出会いは、「偶然」に任せていたら、おそらくは実現しないでしょう。あらかじめ予定を組むと、それはすでに「必然」になります。そう考えると、大学における「時間割」という仕組みがとても窮屈に思えてきます。その日の気分で教室をえらぶことはできないし、時間が来たら、否応なしにコミュニケーションを中断せざるをえないからです。インタラクティブな授業づくりの工夫はたくさんありますが、その多くは「時間割」にしばられています。

実際に、学生とのコミュニケーションについてふり返ってみると、ちょっとしたきっかけが、面白いプロジェクトに結びつくことが少なくありません。教室でのコミュニ ケーションではなく、立ち話やフィールドワークの最中だと、リラックスできるからかもしれません。フェイス・トゥ・フェイスにかぎらず、メーリングリストやSNSも、インフォーマルなコミュニケーション機会をつくるために有用です。

https://www.instagram.com/p/B6CPEXfjEch/

☕️どのまちにも、居心地のいい場所があります。

誰かの呼びかけが、信頼できるかたちで伝わり、それに対して即座に応えることができるようになれば、即興的な「教室」が生まれます。〈その時・その場〉で結ばれる関係は、緊密なコミュニケーションを実現するはずです。こうしたプロジェクトの仕組みを考えることで、「研究会」のこと、さらには、(ぼくたち以外の)第三者にとっての「研究会」の役割を再考することもできるはずです。

たとえば、もうずいぶん前になりますが、「坂出フィールドワーク2」 では、学生たちはグループに分かれて、商店街でフィールドワークやインタビューをおこない、ひと晩かけて、30秒のCM映像を作成しました。フィールドは「教室」になります。まちを理解するためには、じぶんの足で地面を感じ、そこに暮らす人びとの声を聞くことからはじまります。宿の大広間は、机を並べれば「スタジオ」として使うことができます。最近のノートPCなら、動画編集は容易にできます。マシンのスペックも、学生たちのリテラシーも、ここ20年で大きく変わりました。さらに、古い民家は「シアター」になります。徹夜で完成させた映像を、地元の人びとに観てもらい、意見交換をしました。調査をおこなった現場で、場合によっては被写体となった人から、直接感想やコメントを聞くことができます。

当時は「モバイルリサーチ」という言いかたをしていましたが、それは、たんにモバイルメディアを使った社会調査/フィールド調査ではなく、調査者が旅をしながら、行く先々で即興的な「場所」をつくる試みなのです。90分ひとコマの授業で換算すれば、1泊2日のワークショップ形式で「研究会」を開講すると、少なくとも10コマ分になります。窮屈な「時間割」から脱出して学び、その「場」で生まれたアイデアは、すぐさま人びとに還す/届けることができます。

自然発生的に、そしていろいろなところでこのようなプロジェクトが動き出せば、人びととの関わりについてあたらしい理解を創造できるでしょう。アドホックな集まりが、これからのコミュニケーションのあり方を考えるためのヒントになると考えられます。

こうした問題意識のもと、2006年の秋ごろから「キャンプ」をコンセプトに、「研究会」の活動をデザインしていくことにしました。そもそも、「キャンパス」も「キャンプ」も、広場や集まりを意味する「カンプス (campus)」が語源です。大学の「時間割」によって組織化される時間・空間を再編成して、いきいきした「場」づくりを実践する。その実践こそが、活気のある「グッド・プレイス(good place)」はどのように生まれ、育まれてゆくのかを考えるヒントになるはずです。

03 「キャンパス」と「キャンプ」

「キャンプ」は、ぼくたちのコミュニケーションや社会関係のあり方を再認識し、再構成してゆくための「経験学習」の仕組みです。

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「キャンプ」と聞くと、多くの人は、テントを持って出かける、いわゆる「アウトドア」の「野営」活動を思い浮かべるかもしれません。本格的ではないにしても、ぼくたちの多くは、おそらく、幼い頃に何らかの「キャンプ」体験をしているはずです。たとえば、林間学校や野外学習などの一環として、仲間とともに、飯盒でごはんを炊いたり、星空を見上げたり、火を囲んで語ったりした思い出はないでしょうか。ここで言う「キャンプ」は、必ずしも、こうした「アウトドア」の活動を指しているわけではありません。

「キャンプ」は、ぼくたちに求められている「かかわる力」を学ぶ「場所」として構想されるものです。さほど、大げさな準備は必要ありません。「キャンプ」は、日常生活のなかで、ちょっとした気持ちの切り替えをすることで、ぼくたちにとって「あたりまえ」となった毎日を見直し、「世界」を再構成していくやり方を学ぶためにあります。それは、道具立てだけではなく、心のありようもふくめてデザインされるもので、思考や実践を支えるさまざまなモノ、そして参加者のふるまいが、相互に強固な関係性を結びながら、生み出される「場所」です。くわしくは、拙著『キャンプ論』(2009)を参照してください。

https://www.instagram.com/p/B6FBfebDVL_/

「おびの人びとのポスター展」成果報告会です。 @obp #vanotica19f

さしあたり、「キャンプ」には以下のようなふるまいが求められます。

フィールドで発想する 「キャンプ」では、現場(フィールド)での直接的な体験から、〈モノ・コト〉を考えるスタイルを大切にします。もちろん、本・論文を読むこと、理論的な枠組みをしっかりとつくることも重要ですが、まずはじぶんの目で見ること・じぶんの身体で感じることを重視します。近年、「フィールドワーク」ということばが一般的に使われるようになりましたが、「フィールドワーク」には、地道に観察・記録をおこなうこと、時間をかけてデータの整理や解釈を試みることなど、知識を生成するための「技法」としてのトレーニングには(それなりの)時間とエネルギーが要求されます。まち歩きを愉しむことは重要ですが、一人前のフィールドワーカーとして、足(と頭)を動かすことが求められます。

カレンダーを意識する 忙しいことは悪いことではないと思いますが、じぶんの〈やりたいこと〉と〈やること〉とのバランスを上手く取らないと、すべてが中途半端になります。他の授業やサークル、アルバイトなど、さまざまな活動とともに研究会を「中心」に位置づけることを強く望みます。言いかえるならば、〈望ましさ〉と〈実現可能 性〉をつねに意識するということです。これはやる気、能力、チャンスなどと関連していますが、スケジュールや時間のマネジメントが重要である場合が少なくありません。中途半端にならないように、研究活動のカレンダーをきちんとデザインすることが重要です。

じぶんを記録する  フィールドワークを基本的なアプローチにする際、調査の対象となる〈モノ・コト〉への感受性ばかりでなく、テーマに取り組んでいるじぶん自身への感受性も重要です。つまり、じぶんが、いったいどのような〈立場〉で〈モノ・コト〉を見ているのか…をどれだけ意識できるかということです。また、その〈立場〉をどのように明示的に表現(=つまりは調査結果の報告)できるかが大切です。フィールドワークをおこなう際には、現場で見たこと・発見したことを書き留めるためにフィールドノートを書くのが一般的ですが、研究会の時間をふくめ、日々のじぶんを記録します。

2016年春学期から、全員が同じスケッチブックを持ち歩いて、日々の調査研究のこと、気づいたことなどを綴っています。文字だけではなく、観察、図解、概念化などさまざまな思考を整理するために、引き続きスケッチブックを活用します。(スケッチブックは開講時に配布)

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04 まちに還すコミュニケーション

すでに述べたとおり、この研究会では、とくにコミュニケーションという観点から「場」 や「場づくり」について考えます。日常生活のなかで、いきいきとした「グッド・プレイス(good place):居心地のいい場所」はどのように生まれ、育まれてゆくのか…。まずは、じぶんの足で歩くことからはじめます。五感を駆使してまちをじっくりと眺め、気になった〈モノ・コト〉をていねいに「採集」することを大切にします。それは、つまるところ、人との関係性を理解することであり、じぶん自身と向き合うことでもあります。「キャンプ」は、こうした問題意識で活動するための方法と態度を示すコンセプトです。

「場」 は、たんなる物理的な環境ではなく、人と人との相互作用が前提となって生まれます。つまり、上述のとおり、「場」は、コミュニケーションのための空間・時間の整備として、アプローチする必要があります。さらに、人びとが「状況(situation)」をどう理解するかは、個人的な問題であると同時に、社会的な関係の理解、環境との相互作用の所産として理解されるべきものです。たとえば関わる人の数によって「場」の性質は変わるはずです。単発的に生まれ、一 度限りで消失する「場」 もあれば、定期的・継続的に構成され維持されていく「場」もあります。

こうした人びとの暮らしや生活を理解するための「しかた」(つまり、調査・学習・表現に関わるさまざまな考え方・道具・実践)をデザインし、実際にフィールドに出かけて、その有用性を試すこと、意味づけをおこなうことが、この研究会の中心的な活動になります。ここ10年ほど、全国各地を巡って、人びとの暮らしやまち並みに接近する「キャンプ」の実践をすすめてきました。これまで30回ほど実施しましたが、少しずつすすめて、47都道府県の踏査を目指しています。また、高校生向けのプログラムや、中長期的な滞在、あるいは繰り返し(おなじまちを)訪問するやり方な ど、いくつかのバリエーションも生まれつつあります。

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キャンプ|2004〜2019(2019年12月16日現在)→ http://camp.yaboten.net/entry/area_index

 2020年度春学期は、引き続き「キャンプ」という方法と態度を身につけながら、「まちに還すコミュニケーション」について考えます。

すでに触れたとおり、考えたいのは、ぼくたちの「かかわる力」です。つまりそれは、見知らぬ土地を訪れた場合でも、そこに暮らす人びとに近づく能力です。そして、たんに調査をし、データを持ち帰るだけではなく、きちんと「まちに還す」ことを考えてみたいと思います。ぼくたちは、結局のところは「よそ者」として 地域に入り、短い滞在で出て行くことになります。それでも、騒いでゴミを置き去りにするだけの「よそ者」ではなく、「調査されるという迷惑」に自覚的でありたいと思います。何かを残し(還し)、少しでも余分にゴミを拾ってから帰路につくような「キャンパー」を目指したいのです。

「まちに還すコミュニケーション」については、『キャンプ論』(2009)の「副読本」という位置づけで小冊子をつくりました。下記よりダウンロードして、じっくり読んでみてください(iPadのスクリーンサイズのPDFなので、iPadで読むと快適かもしれません)。冊子も多少の余部があるので、キャンパスで声をかけてもらえれば、渡すことができるでしょう。

05 観察者から関与者へ

ここで、最近の具体的な活動として「おびキャンプ」を紹介しておきましょう。「おびキャンプ」 は、2019年12月13日(金)~15日(日)にかけて飫肥(宮崎県日南市)で実施したプロジェクトです。学生たちは2名のグループに分かれて、飫肥町商店街のに人びとを取材しました。このビデオは、現地にいるあいだに撮影と編集を済ませ、「キャンプ」のプログラムのなかで上映・鑑賞したものです。

◉撮影・編集:佐藤 しずく・大門 俊介

キャンプの最後に、みんなでこのビデオを観て、3日間をふり返りました。

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このように、訪れた先々で、[まちを歩く]→[人と出会う・語らう]→[仲間と語る・考える]→[つくる]→[見せる・還す]というプロセスを経ながら、人びととのコミュニケーションのあり方(そして、その「集まり」の構造)を体験的に学びます。あたえられた状況を理解し、かぎられた時間内にみずからの知恵や経験を動員して、課題に向き合います。この一連のプロセスを「キャンプ」と呼んで、概念的に整理しています。

「キャンプ」で実践的に考えてみたいのは、たんなるフィールド調査の方法ではありません。従来からある「問題解決」(ビジネスモデル的発想)を志向したモデルではなく、「関係変革」 (ボランティアモデル的関わり)を際立たせた、あたらしいアプローチを模索しています。より緩やかで、自律性を高めたかたちで人びとと向き合い、その「生きざま」 を描き出すことを目指します。つまるところ、ぼくたちは「調査者」という、特権的に位置づけられてきた立場をみずから放棄し、人びとの日常と「ともに居る」立場へと向かうことになります。その動きこそが、変革のためのよき源泉になると考えているからです。

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何が起きるかわからない…。ぼくたちは、変化に満ちた時代に暮らしています。たとえば、じぶんの身近な生活空間について考えてみると、まちや地域をめぐる暗い話題は絶えません。実際に、「シャッター通り」と呼ばれるような商店街は、閑散としていて、寂しい気分になります。何らかの方策を求める声が聞こえてくるのも確かです。しかしながら、ここ15年ほど、学生たちとともに全国各地を巡っていて、あらためて気づいたのは、そのような不安(あるいは不満)、問題に向き合いながらも、明るくてエネルギッシュな人びとが、確実にいるということです。そこに、「何があっても、どうにかなる」という、人びとの強さを感じ ます。また、諸々の問題を抱えながらも、ぼくたちを笑顔で迎えてくれる優しさにも出会います。それが、リアルです。

この圧倒的なパワーを持って、ぼくたちの目の前に現れるリアリティに、どう応えるか。それはまさにコミュニケーションに関わる課題であり、ぼくたちが「場のチカラ プロジェクト」 として考えてゆくべきテーマです。お決まりの調査研究のスキームに即して、「報告書」を書いているだけでは、ダメなのです。つぶさな観察と、厳密な記録、 さらには人びととの関わりをもふくめたかたちで、学問という実践をデザインすることに意味があるのです。

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おびキャンプで制作したポスター https://camp.yaboten.net/entry/2019/11/03/144241

 ぼくたちの活動は、いわゆる「まちづくり」「地域づくり」「地域活性」といったテーマと無縁ではありません。でも、いわゆる「処方箋」づくりにはさほど関心がありません。 そもそも「処方箋」などつくれるのだろうか、と問いかけることのほうが重要だと考えます。「ふつうの人びと」の暮らしにできるかぎり接近し、その強さと優しさに光を当てて可視化するのです。そこまで行ければ、じゅうぶんです。あとは、人びとがみ ずからの暮らしを再定義し、そこから何かがはじまるはずです。「キャンプ」は、このような人間観に根ざした学問をつくる試みとして位置づけることができます。

06 これを読んでください。

◎まずは、下記(近著)を読んでみてください。コミュニケーションやメディアについてどう考えているか、「キャンプ」や「場づくり」の実践、理論的・方法論的な関心、具体的な事例などについて知ることができます。

  • 加藤文俊(2018)『ワークショップをとらえなおす』ひつじ書房
  • 加藤文俊(2017)「ラボラトリー」とデザイン:問題解決から仮説生成へ『SFC Journal』第17巻第1号 特集:Design X*X Design: 未知の分野における新たなデザインの理論・方法の提案とその実践(pp. 110-130)
  • 加藤文俊(2016)『会議のマネジメント:周到な準備、即興的な判断』中公新書
  • 加藤文俊(2016)フィールドとの「別れ」(コラム) - 工藤保則 ・寺岡伸悟 ・宮垣元(編著)『質的調査の方法〔第2版〕』(pp. 156-157)法律文化社
  • 加藤文俊(2015)フィールドワークの成果をまちに還す - 伊藤香織・紫牟田伸子(監修)『シビックプライド2 国内編』第1部(p. 77-84)宣伝会議
  • 加藤文俊(2015)『おべんとうと日本人』草思社
  • 加藤文俊・木村健世・木村亜維子(2014)『つながるカレー:コミュニケーションを「味わう」場所をつくる』フィルムアート社
  • 加藤文俊(2013)「ふつうの人」のデザイン - 山中俊治・脇田玲・田中浩也(編著)『x-DESIGN:未来をプロトタイピングするために』(pp. 157-180)慶應義塾大学出版会
  • 加藤文俊(2009)『キャンプ論:あたらしいフィールドワーク』慶應義塾大学出版会

◎2016年5月に刊行した、加藤研のウェブマガジンです。毎月1回、メンバーが分担して記事を書いています。テーマの方向性や雰囲気がわかるはずです。定期的に記事を書くことで、一人ひとりの筆力の向上を目指します。

 ◎「キャンプ」というアプローチは、当然のことながら「滞在型学習」と密接に関わっています。現在、「キャンパス」で進行している「SBC」のプロジェクトには、おもに基本的な考え方やプログラムづくりという観点で関わってきました。「生活のある大学」というテーマでアイデアを整理しつつあります(まだ、まとまりのない文章ですが)。

◎ぼくたちは「フィールドワーク」と呼ばれる方法や態度を大切にしています。「フィールドワーク法」という講義も担当していますが、以下の文章を読むと、その基本的な考え方がわかるはずです。参考までに。

  • 加藤文俊(2014)まちの変化に「気づく力」を育むきっかけづくり(特集・フィールドワーカーになる)『東京人』5月号(no. 339, pp. 58-63)都市出版
  • 加藤文俊(2014) ツールを考えるということ(特集・フィールドワークとツール)『建築雑誌』12月号(Vol. 129, No. 1665, pp. 32-35)日本建築学会

◎それから、こんなのもあります。

  • 「瞬間」をつくる[AXIS jiku 連載コラム「x-DESIGN/未来をプロトタイピングするために」Vol. 4 加藤文俊×藤田修平(2013年6月)] [http://goo.gl/xSfKx]
  • まちを巡り、人びとの暮らしに近づく。 地域の魅力を照らす、フィールドワークという方法と態度。[SFCオフィシャルサイト:SFCの革命者(2011年7月)] [http://www.sfc.keio.ac.jp/vanguard/20110726.html]
  • 人の暮らしに飽くなき興味を[大学院XDプログラムオフィシャルサイト:XD教員インタビュー(2012年3月)] [http://xd.sfc.keio.ac.jp/features/2012/interview-kato/]

07 2020年春学期の活動

キャンプ:全員(学部生+大学院生) 2020年度春学期は、「キャンプ」を2回実施する計画です(詳細未定)。

卒業プロジェクト:7-8セメスター(個人) 4年生は、それぞれのテーマで「卒プロ1」「卒プロ2」に取り組みます。

フィールドワーク:1-6セメスター(グループ) グループに分かれてフィールドワークに取り組みます。2020年度春学期テーマは「チャラです。詳細は開講時に説明します。

[参考]これまでにおこなわれたグループワークのテーマと成果のまとめサイト

08 スケジュール(暫定版)

2020年

  • 4月25日(土):エクスカーション(春の遠足)
  • 5月15日(金)〜17日(日):キャンプ(宮城県, 予定)
  • 6月12日(金)~14日(日):キャンプ(熊本県, 予定)
  • 夏季休業期間中:特別研究プロジェクト(未定)

exploring the power of place - 038

【本日発行】️🎄今年も、カウントダウンです。大掃除の合間に、加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” 第38号(2019年12月20日号)『えびす(3)』をどうぞ。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/038

◎ 第38号(2019年12月20日号):えびす(3)
  • また、恵比寿で(大門 俊介)
  • 時の流れを味わう(中田 早紀)
  • つよく、ゆるやかに(染谷 めい)
  • 贈ること(山田 琴乃)
  • 愛着がない街へ(Nuey Pitcha Suphantarida)
  • 私たちは、回遊する(藤田 明優菜)
  • 恵比寿系女子(日下 真緒)
  • 恵比寿三店周遊記(牧野 岳)
  • 赤とんぼ(加藤 文俊)

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