まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

研究会シラバス(2024年度秋学期)

更新記録

(2024年7月9日)「履修にあたって」「読んでおきたい本(抜粋)」などを追記しました。
(2024年7月6日〜7日)シラバスを大幅に改稿する予定です。
(2024年6月24日)シラバス(詳細版)入力中です。随時更新するので、マメにチェックしてください。

大学のオフィシャルサイトにある「研究会シラバス」をかならず確認してください。 

https://syllabus.sfc.keio.ac.jp/courses/2024_26605

もくじ

※ 加藤研メンバー(2024年6月20日現在):大学院生 6名(博士課程 4名・修士課程 3名)・学部生 22名(4年生 5名・3年生 8名・2年生 9名)

はじめに

ぼくたちは、絶えずコミュニケーションしながら暮らしています。
ワツラヴィックらは、『人間コミュニケーションの語用論』(二瓶社, 2007)のなかで「コミュニケーションにおけるいくつかの試案的公理」について述べています。その冒頭に挙げられているのが、「We cannot NOT communicate(コミュニケーションしないことの不可能性)」です。つまり、ぼくたちは、いつでも、どこにいても、コミュニケーションせざるをえない。非言語的なふるまいはもちろんのこと、沈黙もまたメッセージであることに、あらためて気づきます。
そして、コミュニケーションについて考えることは、(いつ・どこで・だれが)集い、(何を・ どのように)語らうのかを考えることだと理解することができます。つまり、コミュニケーションへの関心は、必然的に「場所」や「場づくり」への関心へと向かうのです。この研究会では、コミュニケーションという観点から、人びとの「移動」や人びとが集う「場所」の成り立ち、「場づくり」について実践的な調査・研究をすすめています。 

いま述べたとおり、人と人とのコミュニケーション(ヒューマンコミュニケーション)が主要なテーマです。既存の学問分野でいうと社会学や社会心理学ということになりそうですが、ぼく自身は、学部を卒業後は「コミュニケーション論/コミュニケーション学」のプログラムで学びました。

何が起きるかわからない…。ぼくたちは、変化に満ちた時代に暮らしています。とくにこの4年近くのあいだはCOVID-19に翻弄され、これまで「あたりまえ」だと思っていたことを諦めたり手放したりする場面にいくつも遭遇しました。哀しい出来事にも向き合い、また不安をかかえながら不自由な毎日を強いられることになりました。でも、そのような不安(あるいは不満)、問題に向き合いながらも、明るくてエネルギッシュな人びとが、確実にいるということにも、あらためて気づきました。そこに、「何があっても、どうにかなる」という、人びとの強さを感じ ます。また、諸々の課題に向き合いながらも、ぼくたちを笑顔で迎えてくれる優しさにも出会います。それが、リアルです。

この圧倒的なパワーを持って、ぼくたちの目の前に現れるリアリティに、どう応えるか。それはまさにコミュニケーションにかかわる課題であり、ぼくたちが「研究会」の活動をとおして考えてゆくべきテーマです。お決まりの調査研究のスキームに即して、「報告書」を書いているだけでは、ダメなのです。つぶさな観察と、詳細な記録、 さらには人びととのかかわり(ときには、長きにわたるかかわりの「はじまり」に触れていることもある)をもふくめたかたちで、学問という実践をデザインすることに意味があるのです。

ぼくたちの活動は、たとえば「まちづくり」「地域づくり」「地域活性」といったテーマと無縁ではありません。でも、いわゆる「処方箋」づくりにはさほど関心がありません。 そもそも「処方箋」などつくれるのだろうか、と問いかけることのほうが重要だと考えます。「ふつうの人びと」の暮らしにできるかぎり接近し、その強さと優しさに光を当てて可視化するのです。そこまで行ければ、じゅうぶんです。あとは、人びとがみずからの暮らしを再定義し、そこから何かがはじまるはずです。ぼくたちのコミュニケーションのなかにこそ、たくさんのヒントがあります。

2024年度秋学期のおもな活動(案)

詳細については調整中(随時更新)です。

キャンプ

全国のまちを巡る「キャンプ」(ポスターづくりのワークショップ)は、47都道府県の踏査を目指しながら、すでに20年近く続けています。残すところ、1府3県になったのですが、いずれも遠方です。コスト(旅費・宿泊費)はもちろん、学期中の実施は時間のやりくりがなかなか難しいところです。2024年秋学期は、11月中旬に大分県に出かけるつもりで調整をはじめています。* 他にも、可能であれば計画します。

写真:美波キャンプ(2024年6月)より

(参考)これまでの「キャンプ」の軌跡は、「続ける|年代別インデックス」や「拡げる|地域別インデックス」で参照してください(一部、書式など統一感に欠けるかもしれません)。また、「ひさしぶりに地図を塗った。」は、2022年9月に東北地方を「コンプリート」したさいに書いた記事です。ポスターづくりについては、「ポスターをつくる」に簡単な説明があります(ちょっと古い記事です)。

ダンチジン(Danchizine)

かねてから、団地というフィールドは、集住や共食などについて考える「入り口」として関心をよせてきました。2014年度秋学期には「団地の暮らし(Danchi Days)」と題して洋光台団地(横浜市)でフィールドワークを実施しました。また、2021年度秋学期は(COVID-19の影響下にありましたが)善行団地(藤沢市)で「善行キャンプ」をおこないました。加藤自身は、「大規模団地におけるVUCA時代の全世代対応型孤立予防研究」というテーマの共同研究に参画していて、その対象地のひとつが善行団地になっています。団地の集まりに定期的に参加しながら、共食のイベントをとおした場づくりやコミュニケーションのありようについて調査研究をすすめています。

「ダンチジン」は、「団地人」であり「団地ZINE」なのですが、2024年度春学期のフィールドワーク(グループワーク)として企画・実施してきました。実際には、グループワークをとおしてZINEを発行して流通させるところまでを目指していましたが、ZINEづくりの部分がふじゅうぶん(不完全燃焼)なまま学期を終えることになりそうです。そこで、「ダンチジン」(善行団地におけるフィールドワークとZINEづくり)については継続し、2024年度(通年)の成果として「フィールドワーク展XXI」で展示したいと考えています。

写真:ダンチジン(2024年4月〜)より

(参考)春学期の成果はこれから春学期末に向けてまとめる予定ですが、ポストカードの『ダンチジン』は、フィールドワークの進捗や途中経過を記録するためのメディアです。

モバイルプレス(移動編集室)(仮)

継続的にすすめている「キャンプ」は、ここ15年ほどはポスターづくりがメインの活動になっていますが、「現場で考えて、現場でつくる」という機動性についてはずっと考えてきました。ジョン・アーリの『モビリティーズ』をベースに、大学院では「モバイル・メソッド」というアカデミックプロジェクト(AP)を2015年春から開講しています。これまでのプロジェクトでも「爽やかな解散(B)」や「うごけよつねに」「はこべるよろこび」などは、移動体をもちいた場づくりとコミュニケーションへの関心の表れです。
フィールドワーク先で「かわら版」や「折り本」をつくるプロジェクトを「モバイルプレス(移動編集室)」と呼んで束ねていましたが、ここしばらくは休眠中でした。
2024年度秋学期は、「SBC実践(出版)」(金曜日2限)という科目を担当することになったので、これを機に「モバイルプレス」のプロジェクトをふたたび動かすことにしました。

写真:鳥取でいきなりジン(2024年6月)より

フィールドワークをおこない、それぞれの観点からメディア(ZINE)をつくり、流通させます。「現場で考えて、現場でつくる」ための環境づくりもふくめて実験・実装をおこないます。対象地は、野毛町界隈(あるいはみなとみらい)を想定しています。

(参考)10年ほど前にまとめていた「モバイルプレス」のウェブはこれです(一部書式などに不具合があります)。 → https://vanotica.net/mobpress_then/ (今後、あたらしいウェブを整えることを想定して、mobpress_then となっています。)
作業中のまま放置されていたものですが、秋学期の活動とともに、このサイトを再編集します。コンビニやイートインのスペース(あるいはコワーキングのような場所)など、既存の「社会的インフラ」(一時的・仮設的なものをふくむ)を活用しながら、現場で編集して現場で発行するやり方を試すことも活動の一部として位置づけています。たとえば、最近では「いきなりジン」「鳥取でいきなりジン」など、ごく簡単なものについては試しています。

フィールドワーク展XXI

(これから書きます)

イベントカレンダー(仮)
  • 2024年10月中旬 ぷちキャンプ(予定)
  • 2024年11月中旬 キャンプ(大分県)
  • 2024年12月 展覧会のための合宿(SBCを予定)
  • 2025年2月7日(金)〜9日(日) フィールドワーク展XXI(予定)

履修にあたって

シラバス(大学のオフィシャルサイト版)に記載しているとおり、以下を「履修条件」として挙げています。

  • フィールドワークやインタビューなど、現場での活動を「がっつり」やってみたい
  • コミュニケーションの理論・実践に関心がある
  • 文章を書くのが好き(ことばの難しさを実感している)
  • 紙メディアの編集(製本・印刷のことなどをふくめ)に興味がある

また、加藤が担当する「フィールドワーク法(B6114)」「インプレッションマネジメント(C2030)」「リフレクティブデザイン(C2104)」のいずれかを履修していることが望ましいでしょう。

フィールドワークは、時間を必要とします。地道にコツコツと積み上げてゆく方法と態度を学ぶための「研究会」です。サークル、アルバイト、インターンシップ、就職活動など、やること・やりたいことがたくさんあるのはよいことですが、週1回の「研究会」の時間(時間割に表れる時間)以外に、多くの時間を供出することが条件です。それができない場合には履修をおすすめしません。フィールドに出ること、観察したモノ・コトについて文章に綴ること、たくさん語ること、そのための時間とエネルギーを惜しまないひとの履修を期待しています。

※2024年度春学期に「研究会」を履修したひとは、上記の履修条件をもういちど確認してください。記載事項は半年前と変わりませんが、今学期をふり返って、履修する(履修できる)かどうかをよく考えてください。継続が難しい場合もあります。
※原則として、7セメスター目からの新規履修は認めていません。また、2024年度秋学期が6セメスター目の場合、「研究会」の履修が「卒プロメンター」の引き受けを約束するものではありません。「研究会」と「卒プロ」は、別のもの(履修上も別科目です)なので、よく考えて行動してください。

履修したいと思ったら

シラバスや参考資料などに触れて、「研究会」を履修してみたいと思ったひとは、下記のように学ぶ時間をつくってみてください。春学期が終わった解放感も大切ですが、秋学期に向けていろいろと整えることも忘れずに。ちょっと面倒かもしれませんが、お互いのためです。「研究会」を履修する・しないにかかわらず、夏休みの勉強のつもりで向き合ってみるとよいでしょう。

(1) 読む

まず、ケネス・ガーゲンの『関係の世界へ:危機に瀕する私たちが生きのびる方法』(2023)を読んでください。ちょっと物足りないというひとは、『関係からはじまる:社会構成主義がひらく人間観』(2020)を読むのもいいでしょう。

(2) 書く

本の内容を身体に取り込んだら、文章を書いてみてください。「身体に取り込む」というのは、本に書かれた内容が、みずからのふるまいや態度にどのような影響をあたえた(あたえうる)かについて自覚的になるという意味を込めています。本に出てくる概念を復唱したり、安易に援用したりすることではありません。もちろん、本の内容をすべて受け入れる必要もありません。『関係の世界へ』では、教育、セラピー、医療、組織、紛争などの領域に「関係の視点」を適用しようと試みています。
あなたにとって、考えずにいられない「関係の世界」はどのようなものでしょうか。じぶんの身近な問題意識のもとで、「関係の世界へ」というタイトルのエッセイ(1000〜1200字程度)を書いてください。

  • 求めているのは本の感想文や要約、書評ではありません。個別具体的なモノ・コトに根ざした「関係の世界」を描いてください。
  • 「読み手」のことを考えて、わかりやすい、きれいな日本語で綴ってください。

提出期限:2024年8月25日(日)23:59 時間厳守
提出方法:メールで 24f [at] fklab.net宛てに送ってください。他のアドレスに送られらたものは、読まない(というより、見落とす)場合があるので注意。

  • かならず、学部、学年、学籍番号、名前、メールアドレスを明記すること。質問・その他についても、同様に24f [at] fklab.net宛てにメールを送ってください。@の前は、24f(エフは小文字です。)
  • .txt、.doc(.docx)、または.pdf形式のファイルを添付してください。
  • メールの件名は、かならず「2024f」としてください。期限遅れ、宛先/件名の誤り、内容の不備等がある場合は読まない(読めない)可能性があります。

(3) 話す

エッセイを読んだうえで、「関係の世界」のこと、フィールドワークや展覧会のことなどについて話をしたいと思います。
すすめかた:2024年8月26日(月)以降にメールで連絡します。そのあとは、予定を調整して面談(原則として対面で)します。9月2日(月)〜10日(火)くらいまでのあいだで日程を決めます。

  • エッセイを読んだ時点で、履修は難しいと判断する場合もあります。

(4) その他

(これは任意です)その他、ポートフォリオ、じぶんの関心領域やこれまでの活動を紹介する資料などがあったら、上記のエッセイとともに送付してもかまいません。会って話をすることになったら、そのさいに持参してもよいでしょう。

(5) 結果は…

そして、9月12日(木)15:00までに秋学期のメンバーを確定します。秋学期の履修メンバー(履修許可者)にはメールで連絡し、Slackなどのアカウント設定をおこないます。

参考

資料

フィールドワークや学習環境の設計にかんする考え方については、下記を読んでみてください。

  • 加藤文俊・諏訪正樹・石川初(2023)フィールドワークの学と術 桑原武夫・清水唯一朗(編)『総合政策学の方法論的展開(シリーズ 総合政策をひらく)
  • 加藤文俊(2022)態度としてのフィールドワーク:学会誌の「外」へ 『認知科学』第29巻4号, pp. 661-667.
  • 加藤文俊(2020)デザインというかかわり『デザイン学研究』特集号(社会実践のデザイン学)102, Vol. 27-2, pp. 42-47. 
  • 加藤文俊(2017)「ラボラトリー」とデザイン:問題解決から仮説生成へ『SFC Journal』第17巻第1号 特集:Design X*X Design: 未知の分野における新たなデザインの理論・方法の提案とその実践(pp. 110-130)
  • 加藤文俊(2014)まちの変化に「気づく力」を育むきっかけづくり(特集・フィールドワーカーになる)『東京人』5月号(no. 339, pp. 58-63)都市出版
読んでおきたい本(抜粋)
  • 荒井良雄ほか(1996)『都市の空間と時間:生活活動の時間地理学』古今書院
  • ジョン・アーリ(2015)『モビリティーズ:移動の社会学』作品社
  • 海野弘(2004)『足が未来をつくる:〈視覚の帝国〉から〈足の文化〉へ』洋泉社
  • アンソニー・エリオット+ジョン・アーリ(2016)『モバイルライブス:「移動」が社会を変える』ミネルヴァ書房
  • ケネス・ガーゲン(2023)『関係の世界へ:危機に瀕する私たちが生きのびる方法』ナカニシヤ出版
  • ケネス・ガーゲン(2020)『関係からはじまる:社会構成主義がひらく人間観』ナカニシヤ出版
  • 加藤文俊(2018)『ワークショップをとらえなおす』ひつじ書房
  • 加藤文俊(2016)『会議のマネジメント:周到な準備、即興的な判断』中公新書
  • 加藤文俊(2009)『キャンプ論:あたらしいフィールドワーク』慶應義塾大学出版会
  • 佐藤郁哉(2006)『フィールドワーク(増補版):書を持って街に出よう』新曜社
  • 清水義晴・小山直(2002)『変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから』太郎次郎社
  • 橋本義夫(1978)『誰にでも書ける文章:「自分史」のすすめ』講談社現代新書
  • ドロレス・ハイデン(2002)『場所の力:パブリックヒストリーとしての都市景観』学芸出版社
  • エドワード・ヒュームズ(2016)『「移動」の未来』日経BP
  • ケン・プラマー(2021)『21世紀を生きるための社会学の教科書』(ちくま文庫)
  • ケン・プラマー(1991)『生活記録の社会学:方法としての生活史研究案内』光生館
  • パウロ・フレイレ(1979)『被抑圧者の教育学』亜紀書房
  • ウィリアム・ホワイト(2000)『ストリート・コーナーソサエティ』奥田道大・有里典三(訳)有斐閣
  • ジョン・ヴァン・マーネン(1988)『フィールドワークの物語:エスノグラフィーの文章作法』現代書館
  • 宮本常一・安渓遊地(2024, 増補版)『調査されるという迷惑:フィールドに出る前に読んでおく本』みずのわ出版
  • ポール・ワツラヴィックほか(2007)『人間コミュニケーションの語用論:相互作用パターン、病理とパラドックスの研究』二瓶社
リンク

その他、活動内容や日々の雑感についてはブログや研究室のウェブ、SNSなどで随時紹介しています。

共食の場での自分と他者のふるまいの記録と分析から、 他者とかかわりながら生活すること(できること)について考える

(2024年7月16日)この文章は、2024年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

背景

私は、「円環のなかを巡る」というタイトルで取り組んでいる卒業プロジェクト(以下「卒プロ」)を通して、私たちがどのようにして他者と時空間を共有することができているのか、どのようなコミュニケーション行動によって他者とともに過ごす時間がかたちづくられているのかについて解き明かしたい。他者と時空間を共有できるということに対して私が感じている稀有さやありがたさ、場を繰り返しつくることのできる不思議さの実感に着目し、繰り返し時間を共有できることの背景にある仕組みや人びとの関係性の表現の仕方、時間の流れの知覚について考えようとしている。
大学2年生の春学期に履修した加藤教授による「フィールドワーク法」という授業をきっかけに知った時間地理学の考え方は、自分自身がうまく言葉にできずにいた他者とのかかわりにまつわる悩みについて説明する新たな視座を与えてくれたように思った。ふり返れば、私はこれまで他者とのかかわりにおいて、簡単には他者と時空間を共有できないというような感覚や一対一で友人などと過ごす機会において相手の時間を奪っているというような感覚を持っていたが、それらの感覚に対してどのように向き合えばいいのかがずっとわからなかった。パスやバンドル、3つの制約などの考え方だけではなくて、時間から逃げ出すことのできない私たち一人ひとりが、地理座標のなかだけではなく時間軸のなかにパスを描き続けているという捉え方が、一人ひとりが生きていくうえで繰り返す無数の選択や他者とのかかわり方の個別具体性を捨象せずに扱おうとすることの根拠になっていることが魅力的に映った。それ以来、大学2年生の夏休みに取り組んだ「フィールド研究1」やグループワークとして取り組んだ「渋谷のプリズム(2秋)」、「一緒に食べよう(3春)」、「はこべるよろこび(3秋)」のすべてで、私は一貫して人びとの時間供出のこだわりや時空間を共有するまでの段取りと制約などについて関心を持ち続け、それを表現しようと試みてきた。
時間地理学は地理学者のトーシュテン・ヘーゲルストランドが興した考え方であり、日々の暮らしやそのなかで繰り返される移動やあらゆる出来事について考える際に時間軸を取り入れて検討するべきであるとする考え方である。たとえば、大学のとある授業を履修している学生とその授業の先生が教室に集い、滞りなく授業が行われるということひとつをとっても、授業が行われる日時と場所があらかじめ共有されており、その授業に向かって各々がそれぞれの段取りと道のりを経て大多数が同じ場所に集うことができてはじめて実現しているのである。このように、日常生活のあらゆる出来事がこのような移動の段取りの繰り返しによってかたちづくられていることはあたりまえのように感じられるが、あらゆる出来事の背後にある段取りや移動手段の検討など、他者と時空間を共有するまでにかかるコミュニケーションや段取りの計画性、前後の予定との兼ね合いなどについて、ふり返ってじっくりと考えたり誰かと議論したりする機会は限りなく少ない。多くの場合、場がつくられるまでの背後にある手続きは、その努力を見せまいとすることが美徳とされているとすら感じる。しかしながら、私たちは日々段取りの繰り返しによって他者とかかわり合っていると考えると、他者との時空間の共有は必ず段取りとセットであることがわかる。すなわち、私たちが生きる時間の多くの部分が普段共有されることの少ない段取りに費やされており、段取りも私たちの生きる生活時間のうちの多くを占めていると捉えることができる。だからこそ「時間地理学」の考え方を起点に、私たちの日常生活や他者との時空間の共有がどのようにして可能になっているのかについて考えることを私は自身の卒プロとしたいと思った。そして、このことについて考えることが、これからも多様な他者とともにかかわりながら生きること、互いを大事に保ちながら、それでも他者とささやかにかかわり、ときに影響し合いながら日々を暮らすことに対する希望や期待に接続するといいなと思っている。
また、時間地理学では、他者と時空間を共有している状態を、ひとりのパス(行動経路)が他者のパスと結びついてバンドル(束)をつくっている状態と表現する。このとき互いのパスは平行を保ったまま垂直方向に伸びていくと表現される。しかしながら、実際に他者と時空間を共有しているとき、互いのパスが平行を保っているとは考えにくい。私たちには他者と対峙し言葉を交わしていながらなにか別のことを考えたり次の予定の段取りを組み立てたりしている瞬間がある。バンドルがつくられている状態であってもその状態は一様ではなく一人ひとりのパスはつねにひとりでまたは互いに影響しあって揺らいでいるように感じる。つまり、ふたつのパスが物理的な空間の移動を経てバンドルを形成している間にも、さらに細かいバンドルを形成するためのコミュニケーションが不断に繰り返されていると私は捉えている。

時間地理学が表現する平行を保ったバンドルの状態を記録し分析することは、時間を供出してつくられる場がどのようにかたちづくられているのかをより細かいスケールで明らかにするだけではなく、物理的な移動を伴って形成されるバンドルのつくられかたについてもなにか興味深い示唆をもたらすかもしれない。バンドルが形成されてさえいれば同じ熱量でその場に向き合っていると捉えがちな他者とのかかわりについてさらに詳細に捉えたり表現したりしようとする試みを通じてこそ、「私たちがどのようにして他者と時空間を共有することができているのか」「どのようなコミュニケーション行動によって他者とともに過ごす時間が形づくられているのか」という素朴な問いに対する自分なりの納得のいくこたえと向き合い方を見つけ、他者と時空間を共有できることの不思議さについての理解の解像度を高めることができるのだと思う。私が時間地理学の考え方に惹かれた背景には、時間地理学が一人ひとりの日常生活のパスの個別具体性を個別具体的なまま扱おうとする視座を大切にしているところにあった。バンドルにさらにクローズアップし、バンドルの「ゆらぎ」を捉えようとする試みは時間地理学が持つ、個別具体性を保ったまま人びとの暮らし方を捉えようとする視座と合致し、より個別具体性を担保することにつながるのではないかとも考えている。バンドルの中で行われているコミュニケーション行動についてまでを含んで時間地理学の分野の検討材料とすることは、バンドルへ向かうパスの特徴やバンドルが解かれた後のパスの特徴などについても新たな視座を与える可能性を持っている。ほかにも、繰り返されるバンドルの傾向についてもバンドルの中でのコミュニケーション行動がその背景にあるかもしれない。時間地理学の考え方に対する私個人のこれまでの捉え方は、とくにパスとバンドルの関係についてどこかで「バンドルのためのパス」というような位置づけをしていたようにふり返る。多くの場合、バンドルがつくられたという事実だけが重要視されるけれども、その背後に必ずあるパスとバンドルの中でのそれぞれの個別具体的なふるまいが相互に作用し合いながらともに時空間プリズムをかたちづくっているのだという理解ができる。

これらのきっかけや背景を踏まえて、私の卒プロ「円環のなかを巡る」では、他者と時空間を共有できている場がどのようにして成り立っているのかについて検討することを決めた。小学校から高校まで一緒に学校生活を送った友人との共食の場における会話やふるまいを記録し分析することを通して、他者と時空間を共有できていること、共有している場でのふるまいや会話がどのようにして関係性を表現したり伝達したりして次の共食の場へと接続しているのかなどについても検討したいと思う。

他者とのバンドルがつくられる場面にはいろいろなバリエーションがあるが、そのなかでも共食の場に限定して検討したいと考える理由はいくつかある。
まずひとつに、協力者との普段のバンドルをふり返ると、ともに高校を卒業してからも1・2ヶ月に一度のペースで待ち合わせの約束をし、会ってごはんを食べることを通してゆるやかに関係が続いてきている。小学生のときは一緒に給食を食べ、中学生・高校生のときは一緒にお弁当を食べた。ふり返ると協力者とともに過ごしてきた時間の多くに食事という行為が介在している。普段のかかわり方に近いフィールドを観察することを通して卒プロに取り組みたいと思った際に、共食の場が最も適していると考えた。
もうひとつの理由として、大学2年生の春学期から所属している研究会での活動のなかで、一緒にごはんを食べることや一緒に料理をすることによって発生するコミュニケーションやそのような場において自然と変わる私たちのふるまいなどについて考える機会がたくさんあったことが背景にある。私はそれまで、共食の場が他者との他者をちかづけるというような考え方にはある種懐疑的ともいえるような考えを持っていたが、共食の場について考える機会を重ねたことによってその理解が変容していった。共食の場を持つことが簡単に他者と他者の距離を縮めるというような単純な理解ではなく、共食の場を持とうとする背景にある場づくりのための努力やコミュニケーションをも含めて、共食の場がコミュニケーションを促すポテンシャルを持っていると捉えるべきだったのだと気がついた。そのことは、やはり時間地理学のパスとバンドルの考え方にリンクしている。共食の場に対する理解の変容や深まりという点からも、共食の場を卒プロに取り組むうえでの調査のフィールドにしたいという気持ちがふくらんでいった。

「卒プロ1」を通して考えたこと・見えてきたこと

春学期を通して取り組んできた「卒プロ1」では、卒プロの背後にある自分自身の問題意識や卒プロを通して見たいと思っていることについてより具体的で明確に捉えようと試みてきた。その方法は、春学期が始まる前の2月と、春学期が始まってからの4月に協力者である友人との共食の場を試験的にビデオで記録し、そのデータを手がかりにフィールドの設計について検討を重ねてきた。そして、研究会の授業時間内に卒プロの進捗を共有する機会をいただき、研究会メンバーに向けて4回卒プロの進捗を共有し意見をもらうことができた。このようにあらかじめ設計された研究会の仕組みによって私の卒プロ1は支えられ、かたちづくられてきた。秋学期は、研究会の仕組みに沿って進めるだけでなく、より主体的に卒プロを進めていきたいと思っている。研究会での発表を行う際に一度進捗や足踏みの様子をふり返りまとめるという作業が生まれたことによって私自身が卒プロで何を見ようとしているのか、現時点のフィールドの設計でそれを見ることができるのかなどを客観的に捉え直すことができた。そして、卒プロを通して向き合いたいと考える問題意識についていくつかの視点から整理することができた。それらを以下にまとめ、卒プロ2へと接続させていく所存である。

卒プロ1では、卒プロ協力者である友人との共食の場を試験的にスマホで撮影した動画を手がかりに、私が卒プロを通して見たいと思っていることや考えたいと思っていることについてより明確に捉えフィールドの設計について精査することを試みてきた。協力者には、大学の卒プロの一環として一緒にごはんを食べている場面をビデオで記録し、そのビデオ内での会話や身体的な動作を分析したい旨を事前に伝えている。またそれらの内容が公開される可能性のあることについて了承を得ている。公開を躊躇するような個人的な内容の会話などについては協力者にその都度確認を取りながら丁寧に進めているつもりである。

試験的に記録した共食の場は、2月21日(水)にマルイ溝口のおひつごはん四六時中というお店でごはんを食べたときに記録した26分41秒の動画と、4月15日(月)にスシロー新宿西口店でごはんを食べたときに記録した27分18秒の動画の2回である。図1と図2が記録したビデオの画角を伝える資料である。

図 1:2024年4月15日スシロー新宿⻄口店での協力者との共食の様子 

12024415スシロー新宿⻄口店での協力者との共食の様子

図 2:2024年2月21日マルイ溝口おひつごはん四六時中での協力者との共食の様子 

この2回の共食の場の記録をもとに、協力者との共食の場がどのような構造をしているのかについて検討し、フィールドの設計をより良いものにするためにあらゆる視点から考えてきた。協力者との共食の場の構造については複数の視点から捉え理解することができることに気がついた。それらの視点を以下に提示し説明する。

1.     会話で待ち合わせる
試験的に記録した1回目のビデオを何度か見返すなかで、協力者と私とで繰り返される会話のなかに「待ち合わせ」をしているように感じられるふるまいがあることに気がついた。なにげない会話のワンフレーズによって暗黙のうちに待ち合わせ場所が指定され、そのワンフレーズをきっかけに、そのフレーズが内包する出来事やその時共有していたであろう感情を現在の共食の場へと引っ張ってきている。たとえば、1回目のビデオでは、記録を開始して早々に、ビデオの撮り方や卒プロの一環で2人の間の会話や身体動作の分析をしたいという旨を再度協力者に伝えている場面がある。(実際のシーン:https://drive.google.com/file/d/1nC9MqMtnmKla9dLkifC13a1862sClgkZ/view?usp=drive_link)そこでの会話では、卒プロへの協力に対する了承と受け取れる協力者の「いいよ」という返答のすぐ後に「前の焼肉みたい、撮った時、おもしろかった」という言葉が続く。ここでの「前の焼肉みたい、撮った時、おもしろかった」というフレーズが、のちに見返した際に会話のなかでの待ち合わせ場所を指定するキーフレーズとして作用しているように感じられた。私はそのあとに「あああ、タイムラプスとかで、あれ結構見てた、めっちゃ食ってんなあ、みたいな」と間髪入れずに返答している。ここでは、会話によって指定された待ち合わせ場所に私が瞬時にたどりつき合流している。正しい待ち合わせ場所に辿り着いたことは、私が「タイムラプスとかで」と発言したすぐあと、私の「あれ結構見てた、」という発言の前に協力者のよる「ね、あれ楽しかったよね」という言葉が重なってくることからも確かめることができる。ここでの待ち合わせ場所は、この時の共食の場よりも過去に協力者と私ともう二人の友人たちと一緒に焼肉を食べ、その際に肉を焼いたり食べたりする様子を終始タイムラプスで記録していたという共通の体験、さらにはそのタイムラプス動画をその後ともに見返しおもしろさを共有したという体験のことを指し示していた。私のスマホに保存されていたタイムラプスの日付を確認したところ、なんと5年以上も前の2018年12月21日の出来事だったということがわかった。(タイムラプス:https://drive.google.com/file/d/1c2PD1C04s3JYfeSpKih77BoLLSJcPbQo/view?usp=sharing

2.     「移動を伴わない待ち合わせ」から「座ったまま繰り返される旅」という見方へ
「会話で待ち合わせている」という視点で協力者との共食の場について捉える視点を得たことによって、私たちは共食の場のように自分たちが物理的に同じ場所に留まっている間、すなわち垂直にパスを描いている間にも、会話によって現実に居る場所とは異なる場所や時間に行くことができると考えられるようになった。それはつまり、移動せずとも会話によっていろんな場所へワープできるというような捉え方である。このような見方を卒プロメンターである加藤教授に共有した際に、移動せずとも待ち合わせができているというよりも、物理的な移動をしていないだけで私たちがつねに移動し続けているというふうに見ることができるのではないかという意見をいただいた。いただいた意見を踏まえて改めて考えてみるとたしかに物理的な移動をせずとも移動を続けているという見方は時間地理学の人は生まれてから死ぬまでパスを描き続けているという考え方にも沿っているように思えた。つまり、「移動を伴わない待ち合わせ」ではなく「座ったまま繰り返される旅」と表現することがしっくりくる。このように捉えると、私たちは座ったまま描く垂直方向へとまっすぐ伸びる地理座標に対応したパスと、地理座標を無視した会話による移動によって描かれるパスの2本を並行して描いていることになる。これは、時間地理学が人は生まれてから死ぬまで「1本」のパスを描くという考え方に新たな視点を提示することになるのだろうか。ヘーゲルストランドの言う「もちろん、一人の個人が同時に複数の役割を果たすということも、ときにはありましょう。しかし、異なる役割を同時に果たすことは難しいのが普通です。それぞれの役割は、一定の時刻、一定の場所で、他の一定の人々および道具と結びついた上で、一定の長さの時間の中で実行されます。」(荒井ほか, 1989)という言葉についても考える余白があると思うが、現段階ではこの部分に感じている違和感をうまく捉えきれていないため、引き続き考えていく所存である。

3.     バーチャルステーションを持っている
協力者とのこれまでの関係性や親密度から、協力者とならば何度でも共食の場をつくり出せるという実感がある。そのことがこの卒プロに協力してもらいたいと思った理由でもあった。このような感覚は、「バーチャルステーションで会っている」という感覚、会っていないときでも自分のアクセスできる場所として「バーチャルステーションをつねに持っている」という感覚というような表現ができると考えている。
協力者である友人とは、高校を卒業してからも1ヶ月から2ヶ月に一度のペースで時空間を共有する機会をともにつくりながら関係性が続いてきた。会う場所は2人の予定をすり合わせた際に都合の良い駅周辺の飲食店になることが多く、駅で待ち合わせをしたあとにぶらりと歩きながらごはんを食べる場所を一緒に探すという流れが多い。会う場所の地理的な位置は会う時々によってちがうけれども、2人とも会う場所に大きなこだわりがあるわけではないと感じている。ときに、互いに「近いうちにまた会おう」という流れになったときにどこかで会いたいけれど場所を決めるのが億劫だと感じていることを共有している瞬間がある。また、どこで会ったとしてもいつも安定的に同じようにコミュニケーションをする空間をつくり出せているという感覚もある。すなわち、これまでのバンドルをふり返ると、会っている場所の地理的な位置は複数あり、バンドルは地理的な広がりを持ってつくられているものの、感覚的にはいつでも同じ場所にアクセスしている、同じ地理的な位置でいつも会っている。時間地理学の用語で、家や学校などの地理的にいつも同じ場所にあって停留する場所のことを「ステーション」と呼ぶ。これらのステーションは「結合の制約」の際の場所となることもあるし、「権威の制約」によってそこにアクセスできる人や時間帯が制限されていることがある。「ステーション」は物理的に存在し地理空間を占有することが「ステーション」としての条件である。しかし、この卒プロにおいて、協力者と時空間を共有する場は、とある場所が変わらずにあり続けるという意味において「ステーション」っぽさを持っている。あるいは私自身が「ステーション」っぽさを感じている。この感覚をもとに、協力者と時空間を共有する場所を構造的に捉えるひとつの視点として、「バーチャルステーションで会っている」、「バーチャルステーションをつねに持っている」と表現することにした。 

4.     学校教育によってかたちづくられていたバンドル
「バーチャルステーション」という捉え方について、その感覚的な捉え方の理由を協力者とのこれまでの関係性の蓄積において検討した。協力者とは小学校から高校までともに学校生活を送り、高校卒業後から現在までは1か月から2か月に一度のペースで会いながら関係性が続いてきたと何度か説明してきた。研究会のメンバーに向けて卒プロの進捗を共有する際に、私は協力者との関係性について「小中高の友人で」というフレーズを頻繁に使っていたとふり返る。この言葉選びからもにじみ出ているように、同じ学校でともに学校生活を送ったという事実が「またバーチャルステーションで会える」という実感や「バーチャルステーションで会っている」という感覚の背後にあるのではないか。ヘーゲルストランドも「結合の制約」についての説明の部分で、学校教育について触れてこのように述べている。「学校では、情報とアイデアをやり取りするために先生と生徒がバンドルを作ります。バンドルはさまざまな原理によって形成されます。たいていの場合は、バンドルはあらかじめ毎週同じように決められたスケジュールに従います。工場や学校で取られている原理は個々の参加者の都合を斟酌しません。彼らにとって自由になるのは仕事の種類や場所を選ぶ段階までです。いったんそれを選んでしまえば、契約を続けようとする限り、あとは上司の振付けに従うほかありません。また、学校へいっている子供は、たいていの場合、学校を選ぶ自由すらありません。」(荒井ほか, 1989)
つまり、小学校から高校までの12年間、私は学校とのバンドルを結ぶ必要があった。協力者も同様に協力者と学校とでバンドルを結ぶ必要があった。その必要性、すなわち時間地理学でいう「結合の制約」を土台にして、協力者と私はバンドルをつくっており、バンドルのつくりやすい環境が学校教育の仕組みによって整備されていたと捉えられる。このように考えると約16年間の協力者との関係性の4分の3の時間は学校教育に支えられてバンドルをつくっていた。12年間の束ねられ続けていたパスが高校卒業と同時に解かれたと捉えると、大学2年生の春学期に履修した「フィールドワーク法」で紹介された時間地理学に私が惹かれたのも、小中高の友人に卒プロの協力を依頼した理由も、12年間のバンドルが解かれたことによる寂しさや、学校教育に支えられずに自力で他者とバンドルを結ぶことの難しさを痛感し、それに対して向き合いたいと思っていたからなのかもしれない。与えてもらった小中高一貫校という環境によって私の他者とのかかわりは支えられていた。

卒プロ2に向けて

以上に提示したいくつかの視点は、普段ビデオによって記録することのない、何気なく他者と時空間を共有しているような場面である共食の場をあえてビデオによって記録しそれをじっくりふり返り観察することによって得ることのできた気づきであると考えられる。時間地理学においてもパスが常に垂直方向に描かれ続けるように、つねに時間は流れ現在は過去になり未来へと向かっていく。日常生活は他者との時空間の共有とそのための調整の連続であることから、一つひとつのコミュニケーションをじっくり味わっている暇などないのかもしれない。時空間が共有されて行われる活動についてビデオによって記録されたものが編集されたのちに再生され、ふり返ることはあるけれども、編集せずにコミュニケーションに費やされた時間と同じ長さの時間を割いてコミュニケーション行動についてふり返る機会は少ないのではないか。そして、過ぎ去った時間をじっくりとふり返る試みにこそバンドルがつくられている間の自分と相手の振る舞いについての新たな理解を得る材料が埋め込まれているのだと考える。
そのため、フィールドの設計については、試験的に記録したように共食の場をビデオによって記録することに加えて、その記録したビデオを後日協力者とともに見返す機会をつくる。卒プロ1の段階では1人で2人の共食の場のビデオを見返して考えていたが、協力者である友人に2人の共食の様子をふり返る部分にも協力してもらうことを決めた。そしてともにビデオを見返している様子についてもビデオによって記録する。研究会での発表の際、私の視点に偏って、協力者との共食の場の構造の捉え方について話す機会が多かったため、その見方や感じ方は協力者とどの程度共有していると思うか、などの質問をもらうことが度々あった。ともに時空間を共有して、時空間を共有していた場面をふり返ることによってお互いのふるまい方に説明を加えたり感覚を直接的に共有したりすることが可能になるのではないかと期待している。

さらに、このようなフィールドの設計が興味深いと感じているのは、2人の共食の場を2人でふり返ること自体が、関係性の持続を意味していることである。「あのとき」のふるまいを時空間を共有しながらふり返ろうとしていること、ふり返ることができると思っていることがすでに「あのとき」以降も関係性が続くことを前提または期待している。そして、時空間を共有して「あのとき」をふり返ることは、ともに「あのとき」を再び味わえることだと考えてみることができる。それはすなわち今このときに充足したいけれども充足する前に時間が流れてしまうという感覚に対して、その気持ちを未来から過去に戻ることによって満たすことを可能にする設計であるとも捉えられるのではないだろうか。

卒プロ2では、卒プロ1において精査したフィールドの設計に沿ってフィールドをつくり、本格的な分析の素材となるデータをつくるところからはじめたい。そして、データの分析を通してまた新たに見えてくる視点を取り入れながら、研究会の人たちと一緒に考える場をもっとつくれたらいいなと思っている。自分自身のふるまいかたによってそのような場を積極的につくり、納得できるまで考え尽くす所存である。

参考文献
  • 荒井ほか(1989). 生活の空間 都市の時間 古今書院

(篠原 彩乃|Ayano Shinohara


 

「放課後の過ごし方」を通じて写し出すあの頃のわたし

(2024年7月16日)この文章は、2024年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

問題意識

「らしさ」という言葉は、都合よく物事を一般化していく。人々は生きていく中で、「男らしさ」「女らしさ」「大人」「学生」といったラベリングの中で一般化されがちである。この研究会に所属し活動する中で、質的調査はそういったラベリングを剥がし、ささやかな抵抗として、個別具体的な人々の生活を浮かび上がらせる手段であると実感してきた。ラベリングという行為に違和感を感じながらも、一方で、私は今までの人生において「ラベルを貼ること」で物事を単純化させてきてしまった。そして特に都合よく使ってきた「らしさ」こそが、「麻布生らしさ」「男子校らしさ」なのである。

私は麻布高校という、東京都港区にある中高一貫男子校に通っていた。麻布高校は偏差値が比較的高く、関東の一部の学生では名の知れた学校だ。そしてそれでいて校風が独特だという点がアピールポイントであり、校則は無く、服装と髪色が自由、悪さをしている、といったイメージが定着している。大学進学後もコミュニティが大きく変わらなかったことが影響していることは否めないが、大学でも「麻布って自由な学校だよね」「麻布っぽいよね」と指摘されることは度々あり、就職活動でも「麻布っぽい経歴だね」などと面接官に突っ込まれたこともあった。また、麻布を題材とした新書も複数刊行されており、「自由な男子校」というイメージを学校側が世間に浸透させようとしている側面もある。

そんな麻布で私は、小学校の6年間を中学受験の勉強に費やした反動からか、入学から卒業まで遊んで過ごした。学校外にコミュニティがあるわけでも無く、毎日の塾通いの影響もあり地元に友人がいるわけでもない。決まった同級生達15名程度と放課後を共に過ごしていた。

中高6年間という時間を彼らと共にしたことは自分の人格形成において大きな影響を及ぼしたことは認めざるを得ない。地元に居場所はなく、そして基本的に家族と仲が良くない自分にとって、登校してから家に帰るまでの時間が1日の楽しみの全てであり、その時間をいかにして延長するかに腐心していた。6年間も閉鎖的空間で共に過ごしてきたことにより醸成されてきた「空気感」や「ノリ」の中で生きる自分しか知らず、大学入学後は悩んだ時期もあった。
そのせいか当時の同級生達とはほぼ全員と未だに関係は続いており、そのうち2名とはシェアハウスをしていた時期もある。

この卒業プロジェクトを思いついたのは、そのシェアハウスでたびたび起こっていた「思い出話」の質の変化がきっかけである。
卒業して4年以上経つと、思い出話自体が、世間に広まった「麻布らしさ」「男子校らしさ」を都合よく利用したものになったと気付いた。具体的には、「あの時あんな悪さをしたよな」「俺たちってあの頃は自由だったよな」という振り返りが急激に増えたのである。
自分たちの大切な記憶を、自分たちの手で塗りつぶしていく感覚を覚えた。ずっと髪を染めていたわけではなかった。タバコも吸っていなかったし、すぐ上半身裸になるのも、正直嫌だった。
私たちが高校生の時点では、「麻布らしさ」「男子校らしさ」を自覚したことはなかった。それはその世界しか知らず、比較対象が存在していなかったからである。しかし卒業してから、自分たちの過ごしてきた時間の特異性に気付くことになった。そして、高校生活と大学入学後の生活のギャップに悩み、自らの高校生活を「麻布らしい学生生活」とラベリングすることで、思い出話が慰め合いのような意味合いを持ち始めたのである。
この「思い出話」が健全か不健全かはさておき、問題点として、「こぼれ落ちてしまう記憶が増えていくこと」が挙げられる。このまま年を重ねていき、「悪さ自慢」「自由さの自慢」を重ねていくと、純粋無垢なエピソード、「悪さ」「自由さ」といったワードに該当しない思い出を思い出す機会が失われていく可能性が高いと実感した。
自分の学生生活の記憶を、「らしさ」に拘らない「個別具体的な語り」として保存することが、卒業プロジェクトの目標となった。

手法

プロジェクトを進めるにあたって、「個別具体的な学生時代の記憶」を引き出すフィールド作りが必要となった。高校の同級生達にただインタビューをするだけでは、従来の思い出話と同じになってしまう。そこで、語りを「場所」から引き出すことの実験を重ねていくことにした。
はじめに、高校生当時放課後遊んでいた場所を様々な同級生と歩きながら、その場所に関わる思い出をお互いに話し合い、エピソードを収集していくことを試みた。実際に高校時代を過ごした場所に足を運ぶことで、場所に紐づけられた記憶を掬い出すことを目標とした。
「歩きながら話す」という行為がもたらすコミュニケーションの変化は、学部生で行なってきたグループワークで体感してきた。3年生の秋学期に行なったグループワークでは、商店街を歩きながら繰り広げた会話の記録を行なっていた。その際、街に溢れる事象(看板・人)が、会話のきっかけ作りとなり、話しやすさを生むことを身をもって実感した。よって、会話の起点となる対象物の存在が、「卒業プロジェクトのフィールド調査」という緊張感をなるべく和らげ、普段通り友人と話すことができる役割を果たすことへの期待感もあった。
友人と歩くエリアは、麻布高校周辺に限定した。特に皆で放課後に遊んでいた場所を満遍なく回ることを意識した。また、プロジェクトに協力してくれる高校の同級生も10人ほど集めることができた。
そしてこのプロジェクトのタイトルは、「放課後.zip」と名付けた。zipファイルのように、数ある情報をアーカイブしてまとめ上げ、さらにはいつでも解凍できるように保存しておきたい、という目標をタイトルに掲げた。また、この「まとめ上げる」という行為自体がもたらす自分自身の変化への興味も抱いていた。

経過

初回の調査は4月の上旬に行った。初回は部活の同期だったY君に協力してもらうことにした。
麻布高校の最寄駅である広尾駅を開始地点とし、駅前の商店街を通り、麻布高校方面に歩きつつ、六本木駅に到着した時点で調査を終了とした。多少止まったり立ち寄ったりした場所はあれど、直線では2キロほどの距離をを1時間半かけて歩いたことに新鮮な驚きを感じた。

調査の中で実感したのは、歩きながら目に入る対象物が高校生の時と変わっていたことである。高校があったエリア、すなわち放課後を過ごしたエリアは港区であり、学生向けの飲食店は学校周辺にほとんど存在しなかった。そのせいか、「学校周辺には飲食店が少ない」という印象を在学当時は抱いていた。しかし今回の調査の中で、歩きながら「この店美味しそう」などと言い合う機会が多く見受けられた。金銭感覚の変化が、歩きながら目に入る対象すらを変化させていることを発見した。言い換えれば、高校生当時は、自分の金銭感覚にそぐわない店を視界から自然に排していたのかもしれない。
これに類する気づきとして、「高校生の時は入ることができた場所」の存在がある。学校の近くに、有栖川公園という大きな自然公園がある。公園といえどもかなり規模が大きく、四季折々の自然を楽しめる遊歩道や図書館が付属している。学校から駅までの道中に重なるように位置しているため、当時は通り道として、そして溜まり場としてよく利用していた。
その公園の中に、図のような小道がある。

(図1)

この道が目に入った時、「この道を放課後走って通って遊んでたよね」と会話は弾んだものの、Y君が「もうここは通れないね」と呟いていたことが印象的であった。泥まみれになることを厭わなかった「高校生」だからこそ入ることができた場所の存在に、現地に訪れることで気づいた。実際に思い出の場所に足を運ぶことは、過去の自分の行動を外側から観察する、というどこか寂しさのある行為であることも実感した。

2回目の調査からは、より歩きながら話したことの分析に力を入れることにした。5月の調査では、同級生2人と計3人で前回と同じルートを歩いた。またこの日は高校の文化祭だったため学校の内部にも入ることができ、その様子も録音した。

会話を文字起こしする中で注目したのは、歩いている最中の言葉遣いだ。6年間を共にしてきたことは、その中で培われてきたコミュニティ内でしか通用しない固有名詞の多さにつながっていると改めて実感した。これをいわゆる「内輪ノリ」と呼ぶのだろう。

3人で歩いていたことにより、全員が共通して理解できる思い出を話している場面はやはり減ってしまった。ただ、有栖川公園を歩いている時に関しては盛り上がりを見せ、当時遊んでいた公園の小道をじゃんけんをしながら延々と歩く遊びを実際に再現する流れになった。ただ、3人とも気恥ずかしくなった上に、あまりのつまらなさにすぐに音を上げてしまった。
この調査では、観察するだけでなく、過去の自分と同じ行為をやってみる、ということも、過去の自分との関わり方の一種の手段なのだと気づいた。過去の自分をなぞることで、公園での遊びをつまらなく感じる今の自分が理解できるような気もした。

しかし調査を続ける中で、当初の目標としていた「個別具体的なエピソードを集める」という方向性からは離れていってしまった。
まず、調査を実際進めていく中で、このフィールド調査自体も「思い出話」「らしさ」という枠組みから逃れることは全くできていないことに気づいてしまった。現場に足を運び、昔の自分の行動を思い返したり、あるいは真似たりしている時には、必ずそれを俯瞰している「現在の私」が存在している感覚があった。「現在の私」が「過去の私」を振り返るという構造が存在している時点で、それは自分の目標から離れていっていると感じた。
そして、「思い出話」を怖がること自体もどこか不健全であるかの如く感じるようになった。また、就職活動のストレスの中でこの「過去について考える」卒業プロジェクトを進めていくこと自体が、かえって「過去を美化する」ことに繋がりかねないという懸念も生まれた。

その結果、6月以降は一度「思い出話」という枠組みから離れてみることにした。行っていたのは、有栖川公園の調査である。有栖川公園の人々の様子を観察し、私たちの過ごしていた公園はどのような人物構成によって成り立っていたのか、そして現役の麻布生はどのように公園を利用しているのかを採集することにした。午後3時から午後5時ごろという、麻布生の下校時刻に合わせ、公園内にある広場のベンチで人々のスケッチを4回行った。

まず見えてきたのは、この街の特殊な人口比率である。広場内で遊ぶ子どもたちの半数以上を非日本語話者が占める時間帯があるほど、この公園はグローバル化されている。周辺には大使館も多く、その影響が強く窺い知れた。

3,4回目のスケッチでは、現役の麻布生の公園の利用法について重点的に採集を行った。その結果頻繁に観察できたのは、何をするわけでもなく広場にたまる集団である。広場で何か体を動かして遊ぶでもなく、スマホゲームをしながら3〜4人でひたすら話している。彼らはまるでカフェかファストフード店にいるかのように広場を利用していた。確かに、前述の通り学校付近には学生の入れるような飲食店は少なく、公園がその代理としての役割を果たしている可能性を考察できた。

(図2)

また、広場を離れれば、身体を動かして遊ぶ麻布生の姿を多く確認できた。初回の調査に登場した小道を通っている生徒を目撃したり、過去の自分たちと同じような遊び方を同じ場所で行っている集団も見かけた。
この「現役の麻布生も、過去の私たちと似通った場所で似たような遊び方をしている」という事実は当たり前のようでいて私にとっては盲点であった。自分たちのオリジナリティが編み出したと思っていた遊び方は、実は同じ街で「放課後」を過ごしていれば自然と獲得できるものだったのかもしれないと感じ始めた。

結果と今後

春学期の間フィールドワークを続けてきた中で、結果的に当初掲げてきたプロジェクトの目標から大きく離れてしまったことは認めざるを得ない。「語りを集める」ことへの興味は薄れ、今後はそれを続けていくことはないだろう。
フィールドワークの中で得た現在の興味の一つに「放課後」そのものがある。「放課後」という言葉は、小学生から高校生までしか実感を持って使うことのできない言葉だ。春学期の調査の中で、学生だからこそ生まれるまちへの視座であったり、時間の使い方について触れる機会が多かった。そしてそれは、自分が高校を卒業し、ある程度の時間が経過したからこそ観察対象とすることがようやくできるようになったものだとも気づいた。学校から家に帰るまでの間、時間の制限、予算の制限、入ることのできる場所の制限の中で、まちを楽しむ姿勢そのものに強く関心を抱いている。
だが、夏休みが訪れ、授業が無くなってしまえば「放課後」というフィールドが立ち消えてしまうことも事実だ。今後どう動いていくかは考えている最中である。

また、興味が移り変わったことを機に、卒業プロジェクトを「麻布」と関連させるのはやめるべきだともと考え始めている。
このプロジェクトを進めるにあたり、恥ずかしながら、どうしても「麻布に通っていた頃の自分」を美化してしまう傾向にあった。美化に溢れた思い出話を避けたい!という目的で始まったはずのプロジェクトが、かえって思い出話と同じような意味合いを持ってしまったのは自分の幼さゆえの失敗であったと強く反省している。

ただ、フィールドワークの中で出会った、「実際に過去の行動をなぞる」という行為自体の持つ面白さは強く感じている。この「なぞる」という体験は、「演じる」ことに近いのかもれない。中学生、高校生と演劇を続けていた私は、演じるという行為を他者(脚本で描かれた役柄)の人生に触れ、入り込むというように解釈していた。もし「過去の私を演じる」ことができるのであれば、「その当時の私という”役柄”」に触れ、入り込むことになる。フィールドワークの中で何気なく行った、昔やっていた公園で遊びを再現した時に感じた「つまらなさ」や「気恥ずかしさ」は、「当時の私という役柄」と「現在の私という役柄」のギャップを表しているような気がして、非常に興味深い。

また、肌感覚として「なぞる」という行為自体には「聖地巡礼」であったり「コスプレ」とも近いものを感じている。今学期の反省点として、社会学的な言葉で事象を語ることをせず、自分のフィールドでの体験を述べ、考察するにとどまってしまったことも大いにある。春学期のフィールドでの体験で得た「なぞる」という言葉の意味を深く考えつつ、夏休み、そして秋学期へと続くフィールドをひらいていこうと考えている。

(宮下 理来|Riku Miyashita

日々を現像する:スナップ写真を通した場へのまなざしの変化

(2024年7月16日)この文章は、2024年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

背景

私は「世界をどうやったら丁寧にあじわえるのか」をずっと考えている。どちらかというと、つくること、よりも、今あるものをどう味わうか、の方が実は難しいのではないかと思っている。それは、ささやかで、放っておいたら気づかず通り過ぎてしまいそうなものに目を向けることができるかと同義だからだ。

『世界をきちんとあじわうための本』という本が大好きで何度も読み返しているのだが、この本の表紙をめくるとこんな言葉がある。
>世界をきちんとあじわおうとすれば、まずはそれに気づく必要があります。でも、それはとても難しい。なぜなら、世界はあらゆるもののすべてを含むので、誰もその外側に出て、丸ごと「これが世界です」と示すことができないから。世界とは、みんなその内側に住みつつ、生きながら気づくしかないもの。
ただスローに生きたり、知る人ぞ知る逸品にこだわる洗練された生活を送ることではなくて、呼吸をしたり頬にあたる風に季節を感じたり意味ではないものに気づくことだと。

いつもここではないどこかに居場所を探していた私にとって、はじめて、世界をきちんとあじわうことと身体が結びつき、大きく息を吸える場所があった。編集者・あかしゆかさんが瀬戸内海の海のそばで営む本屋・aruだった。私は最初、このaruをフィールドに据えて卒プロを進めようとしていた。
春学期の中盤に差し掛かるころ、卒プロの中心に据えるものがaruから変わってしまったが、この成果報告は、卒プロを進める中で紆余曲折した自分を残しておくための文章でもある。だからまずは、6月ごろまでのaruでのフィールドワークの話を、先にちょっと書いておこうと思う。
高校卒業までの18年間岡山にいた私は、aruが2021年にオープンしてから大型休みの帰省のたびに訪れていた。数ヶ月に1回の帰省していたのが、"卒プロ"という嬉しい口実で、2024年2月から、毎月、月に数日だけオープンする日に合わせて岡山に通えることになる。毎月、少しずつ変化していく空間や、あかしさんとお客さんのささやかなやりとりなどを記録していた。3月から時々お店のお手伝いをさせてもらえることになり、店主でもお客さんでもない、あいだの不思議な存在としてその空間に居座り、常連さんと仲良くなったりした。aruに訪れるお客さんがぽろっとあかしさんにこぼす言葉、物理的には来れないけども「海から届く」という選書サービスを通してaruとかかわりをもつお客さんがわざわざペンを握り書いた何通もの手紙、お客さんが教えてくれるお花の意味や、知らない国のある日の大切な慣習。通うたびにゆかさんが嬉しそうに話してくれるのが毎月楽しみだった。aruという場にかかわりをもつ人たちが、それぞれ持っている自分なりの世界を愛する術が気づいたら溢れ出ている場。そんな「場を編集する」ことに興味を持った。aruという空間にあるものや、あかしさんのお店でのふるまい方やその背景・考えていることにヒントがあると思い、それを自分なりに要素分解していった。その中で私はあることに気づいた。確かに店主はあかしさん1人なのだが、aruという場は、あかしさんだけが世界観を完璧につくりあげているのではなく、お客さんの場の受け取り方・感じ方に自然に委ねている部分が大きい、それを何よりも大切にしている、と。
そうなると私の問いは、aruという場に限定せずとも「人はどのようなまなざしで場や世界をみたり、残そうとしたりしているのだろう」ということに変わっていくのである。(一周回ってきた感覚とも言える。)

カメラと私

そんな問いをもちながら、場と編集という大きな(とても抽象的な)ことばに頼りすぎることなく、社会調査(研究)を行いたいと思うようになった。そこでまず、私自身の生活に紐づいた世界へのまなざし・見方を顧みるようになった。私にとって、きってもきり離せないのが、毎日首からさげているカメラの存在だった。
大学1年生のころは、祖父からお下がりでもらった両手でもつのがやっとのサイズの大きくて古いCanonを使っていたが、2022年の12月、遂に新宿の北村写真機店で運命を感じたカメラを手を震わせながら買った。人生で初めて、「私のカメラ」を手にしたのだ。
そのカメラは、Fujifilm xpro-3。単焦点レンズの35mm(カメラのセンサーサイズ換算で50mmになる)と組み合わせて使っているため、ほぼ人間(私)が見えている世界をそのままレンズを通してうつしていることになる。
私は、去年の冬前からどこへいくにも毎日これを首から下げて歩いている。いつもと同じ道を歩いていても、どこかに向かっていても向かっていなくても、「あっ」と思った瞬間があったら、カメラを向けてシャッターをきる。カメラはもうほぼ私の身体の一部くらいに同化していて、カメラを持ち歩けない日は、気持ち悪くてとてもソワソワしてしまう。私の身体に備わる第6の感覚器官のような働きをしていて、私の世界との関わりを広げている。
実はこのカメラ、買ってから1年経たずに液晶画面が突然映らなくなった。しかし、修理のために数ヶ月このカメラから離れる生活が考えられなかったのと、元来カメラはファインダーを覗いて撮るものだよなという原点回帰的な考えによって、壊れたまま(壊れているという感覚はもう私からほぼ消えているが)そのまま使い続けている。
「これを撮るために!」などという目的を持ってカメラを持ち歩くのではなくても、生活する私の身体の一部にカメラがあること、そのことによって確実に私のまちや場に対する見方は確実に変わっていった。
スマートフォンを使って写真が大量に撮影できて、そしてそれをすぐにSNS上でシェアできる現代、プロのカメラマンなわけでも、写真家と名乗り生きているわけでもない私が、わざわざ毎日カメラを首からさげてまちにくりだし、スナップ写真を撮る。私は何をそんなに日々残したいと思っているのだろう。カメラを持ってまちを這うときのあの感覚。世の中は些細な人間らしさと小さく転がる美しさで溢れている、それに目を向けたい、残したいと思う感覚。ここを丁寧に紐解くことで、まずは、私が、カメラを持ったことで場というものをどのようにみているのかに近づけるのではないかと思った。

スナップ写真を通した一人称研究

今後頻出する単語である、「スナップ写真」とは、日常の出来事や風景の一瞬を捉えた写真のことである。何か特別なセッティングをするのではなく、ありのままを写したもの、つまり、私が写真を撮るためにモノに対してなんらかの指示や変化を加えたりはしないで撮影した写真のことである。
スナップ写真は、私とそこにうつる人・ものとの距離感を色濃く反映している。写真のフレームというのは、撮る人が移動しカメラを動かすことによって流動していく枠であり、つまり、とても能動的・行動的な空間意識が貫かれていることになる。自分の足を使って動き回り、「撮りたいと思ったその瞬間(や被写体)を目撃した私」の存在が必ずあるのだ。『カメラは、撮る人を写しているんだ』の中では以下のように語られている。《写真には必然性がある、なぜ他でもないこの瞬間、他でも無いただ一つのそれを選んで撮ったのか、撮らないで無視することもできたはずなのになぜか撮った。(中略)写真は生み出しているのではなく選択しているのだ。》と。まさに、どうあじわうかの話とリンクする。ただ、私がカメラを構えた時の眼はいつも他人や外の世界に向けられていることになる。カメラを自分に向けることがないように、自分を見ることに関しては意識を向けたことがあまりなかった。雲の写真一枚見返すときでも、ただ雲のたたずまいを写した科学的な写真を撮ったわけではなく、その雲のたたずまいに見入った私という人間がそこにいたということが重要なのだ。
誰のために撮ったわけでもなかったスナップ写真たちはパソコンのソフトに取り込まれそのまま眠っていたけど(まだパソコンにも取り込まれていないものもある)、もう一度全部掘り起こしてみる。これまで撮り溜めていた写真を11月からざっと数えて1430枚、その日に歩いた距離や歩数、誰といたか、何をしていた日かを見返して、スプレットシートに記入して分析していくことから始めた。意外と1枚も撮っていない日があったり、似たような写真をすがるように何枚も撮っていた日もあったり。撮影してから時間が経って、ある意味私の身体から一度離れていった写真を、その日の記憶と結びつけて食べなおすことで、私は何を残したいと思っているのだろうという問いに近づこうとしている。つまり、私が、現場で出合ったモノゴトを、その個別具体的状況を捨て置かずに、一人称視点で観察・記述し、そのデータから新しい仮説をたてようとする研究、一人称研究からはじまった。

他者と振り返ることで変化する"撮る"行為

私がカメラさえあれば何時間でも歩き続けられる楽しさを他者に熱弁すると、「その感覚全然わかんない(笑)」と言われるのがたいていだ。しかし、まれに「カメラ欲しくなってきたんだけど...まず何から選んだらいい?」と聞いてくれる友達がいる。まちを這ってスナップ写真を撮る共犯者が増えていくのがとても嬉しい。そして、ついに、1ヶ月近くにわたる作戦会議を経てカメラの購入を決心した友達と、6月末に、私の家のまわり(日本橋)をルートを決めず一緒に歩き、お互い好きに写真を撮って、帰ってから、お互いの撮ったものを見返し、送り合って対話(おしゃべり)をした。私にとってはいつも歩いているまちで、彼女にとってはほぼ初めてのまちということもあるが、同じ場所を歩いても、見ているものも切り取るものも全然違うということの面白さを再確認すると共に、撮影した写真をお互いに見せ合って言葉にする行為を通じて初めて気づける、"私が撮る世界の輪郭"が浮かびあがることに気づいた。
その時に印象に残った具体的な話をひとつ挙げる。撮った写真を見せ合っていた時に、友達が「幸歩の写真、背中多いね」とぽろっとこぼした。それまでは全然意識していなかったけど、これまでの写真ももう一度全て見返してみる。すると、枚数でいうと全体の10%、日数でいうとスナップ写真を撮っている日のうちの1/3は背中の写真を撮っていたことに気づく。(*下資料1参考)また、空港に行った日のジャーナルにも、空港にいる人の背中の表情について言葉を綴っていた日があった(*下資料2参考)。なぜ背中なのか、カメラを向けていることを気付かれるかもしれないという恐れからなのか、無防備な人の瞬間をキャッチしたいのか、背中から何かを読み取ろうとしているのか、その人の向こうに広がる場所が気になっているのだろうか、私はその発見をした日から"背中"という言葉が妙に脳内を駆け回るようになった。なんとなく、で残していた日々がデータとして浮かび上がってくると、それによって新たな発見があり、発見したことによって私の場の捉え方や、写真の撮り方も変化するのかもしれない。でも、毎日のスナップ写真にことばを与えることで生まれた、自身の撮る時の変化自体も、楽しみたいと思っている。
この行為について考えている時に、スナップショットという手法に強くこだわり続けた森山大道という人物について語られている本の中の、印象的なことばがよみがえってきた。《ひとりの人間のなかに、見たものを「撮る人」と撮れた結果を「見る人」という二つの人格が存在するのである。「撮る人」は狩りに似た興奮に操られてシャッターを切るが、「見る人」はその興奮がおさまった状態で眺める。両者の関係は、試合を終えたスポーツ選手に似て相反しがちなのだ。(中略)それまでは見るだけに終わっていたイメージを残し、見直し、それに 触発されてつぎの写真を撮る、というふうに世界を相手にエネルギーを循環させる方法が見つかったのである。》(『スナップショットは日記か?』-大竹昭子)。
撮った写真そのものにも、私が「撮る」際にみている世界や思考があらわれているが、実はそれらを通して、その時の自分にことばを与えたり、それを他者と交わしたりして初めて表出するものがあるのだと気づいた。

*資料1

*資料2

卒プロ2に向けて

私は日々何を残そうとしているのか、という問いをもって、私とカメラと場所へのまなざしの関係に近づこうとしている。私のフィールドは、空間的にいうと私が移動している世界中のどんな場所でも、時間的には第三の目(カメラ)を携えている間ずっと、にまで広がった。卒プロ2では、まずは、引き続きこれまでのスナップ写真のデータをあらゆる角度から分析してみるとともに、日々の"撮る"行為自体をわたしのことばに翻訳しながら観察していく。具体的には、①これまでと同じように日々スナップ写真を撮る ②写真を見返して私がなぜそれを撮ったのか、撮った時の気持ち、見返した時の気持ちや気づきを言葉にする ③その写真とことばを友人に送り、話す。(カメラを使っている友達に送るか、カメラを持たない友達に送るかなどは迷っているため、ひとまず絞らず複数人に送ってみる。)
私の卒業プロジェクトは「人はどのようなまなざしで場や世界をみたり、残そうとしたりしているのか知りたい」という想いが根底にあるため、私以外の協力者(例えば6月に一緒に歩いた友人や写真とことばについて語っている友人)が、カメラを持ってまちに出た時に撮った写真から彼女自身について語りたくなるくらいまで設計できると、より当初の問いに近づき深みを増していくと考える。その背景として実は、6月に自分自身の写真の分析をする前に、私がある4枚のそれぞれ別の場所で撮影したスナップ写真を何人もの友人に見せてその写真から想起したものをテーマに文章を書いてもらうことをしてみた。ひとつの場に複数の場の記憶が重なり語られていく初めての感覚を覚えたものの、私がその人のために撮影したわけではない写真に強引に結びつけることで場の捉え方をわかった気になってはいけないと強く思ってしまった。そんな理由からも、写真に自己を見出すことにおいて、何らかの言葉を紡ぐその人自身がカメラを構えていることが重要なのではないかと思うようになった。映画学に関しては、社会学や美学に基づいた研究が活発であるが、写真学は歴史や技法に関することは語られても社会学などと紐付けられて語られることはあまりないといわれている。被写体の了承なしにカメラにおさめるという、スナップショットが時にもちえてしまう暴力性に慎重になりつつも、私自身や、カメラを持ちまちに出てゆく友人たちが、その狭間の中でどう揺らぎながら、カメラを覗く"私"に近づけるかを調査していきたい。
私は今日もまたカメラをさげてまちに出る。

(山本 幸歩|Yukiho Yamamoto

奄美大島における「らしさ」の探求と帰属意識の変遷:過去の記録と現在の視点を通じて

(2024年7月16日)この文章は、2024年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

はじめに

新たな場所を訪れた際、その場所に馴染むために、言葉を変えたり、服装を変えたり、ローカルなお店に顔を出したりすることで、あたかもこの場所を知っていたかのようにふるまうことができる。そして、このまちの一員として社会の誰かから認めてもらえているような感覚になれる。もしかするとそれは、まちに溶け込むためのマナーであり、まちで生活をしている他者から課せられたミッションなのかもしれない。このプロジェクトは小学校6年間の間に積み重ねられた日記や手紙、写真や映像、そして人を手がかりに、過去をすくいながら当時は言葉にできなかった思いを、23歳のわたしなりの言葉で文字に表し、過去の自分と現在のわたしを繋ぐプロジェクトである。島をでて10年以上経ったのにも関わらず、奄美大島という場所とそこでの記憶に囚われているわたしがいることを当時は想像もしていなかった。そして当時から、薄々と感じていた島独特の集団意識からの疎外感や、自分自身の島における縦と横の繋がりの希薄さに、孤独さを感じ、どうしようもない劣等感を感じていた。しかし誰かに伝えたところで解決するような問題でもないことは当時も理解していて、もやもやを自分の中の心にしまっていた。シマンチュ(島人)らしく生活をすること。わたしは小学校の6年間の中で、新たな土地で生活をする際は、その「場所らしさ」に馴染む必要性があることに気がつき、適応しながら生活していたようだった。移住して2週間で方言を話し、一人称を「わたし」から「ひなこ」に変えた。スカートやフリルのついた洋服は一切やめて、動きやすい半袖と短パンになった。まだ知らない誰かから評価される「変わり者」を怖がり、奄美大島らしさに馴染むことを知らず知らずのうちに望んでいたのかもしれない。島の人はよく「内地」という言葉を使うが、わたしも小学校4年生の時に参加した、奄美本土復興周年が大々的に行われていることからもわかるように、奄美大島は本土から離れた「離島」という意識が強く根付いており、それほど島内での集団意識が強いのだと感じる。わたしは内地からきたよそ者を隠すことが自分が傷つかない方法だと、15年前から感じていた。それは、奄美大島らしさがよく、人があたたかく、アットホームな雰囲気と語られることの言葉に隠れている、島独特の集団意識やまちでの縦と横の繋がりの強固さを表現しており、2泊3日の旅行者が郷土料理屋や地元の居酒屋を訪れるだけでは、感じえない、つながりへの劣等感逃げる方法である。かつて何度も、集落単位で出身地を問われたり、苗字を聞かれて惨めな気持ちになったように、奄美大島への移住者は生活の要所要所で疎外感を感じざるをえなくなっている。奄美大島に移住した知り合いから「東京にいる奄美の人は楽しい。」という声を聞いたことがあるが、そう感じざるを得ない状況を作っている原因はどこにあるのだろうか。奄美大島で出会った島唄は15年の間でたくさんの出会いと経験を作ってくれた。しかしふと振り返ると、多くの出会いや経験と同時に、それらと相応の苦しさを対人関係やコミュニティにおいて感じる経験もしていた。対人関係やコミュニティへのつながりを強く求められるこの場所で、何を考え、6年間を過ごしたのか、研究を行いたいと考えた。そして卒業後も大切にしていきたい記憶だからこそ、時間をかけて向き合いたいテーマとなった。

日記を通して考える

今回、幼いながらも小さな島の帰属意識に気づきコミュニティに対して、友人に対して、家族に対して何を考えていたのかを思い出す手がかりとして、6年間分の日記や、手紙、文集などの記録を用いた。登場した人物や登場した場所の回数、日記のトピックなどを数値化し、どのような人物と生活をし、どのような発見があり、どのような感情を抱いていたのか、変えることのできない記録から読み取った。日記に登場する人物やトピックには偏りがあり、当時から交流のある友人を再確認すると同時に、学校内では吹奏楽や水泳、学童などのコミュニティに属し、人間関係を築いていたこと、学校外においては6年間続けた島唄教室の話題も多く、当時特に印象に残っていたことだとわかった。また手紙を通して、縦と横のつながりを強くもつことの重要性に駆られていたことに気づいた。兄弟のいないわたしは、学校内でsisという擬似のお姉ちゃんとのつながりをもつことで縦の関係をもとうとしていた。そして信頼され、気に入られることで生活をし易い環境を自分自身で作っていた。さらに学校外においても、わたしという人物を認めらもらうために、あらゆる行事に参加をしたり、他校の小学生とつながりをもつためにキャンプに参加をしたりすることで、あたかも奄美大島が地元であるかのように取り繕い、知ったようなフリをするように努めていた。苗字を聞いただけでどの辺に住んでいるのかが大まかに分かってしまう奄美大島で、友達の友達という関係性の構築がどれほど重要なのか当時から理解していたようだった。しかしそれでも、どんなに頑張っても現在もなお、苦い疎外感から逃れることはできなかった。完璧に取り繕っていても、いつか内地の人間ということがバレてしまった際に、腫れ物のように扱われることは避けられない。わたしはこれからも本当の意味で奄美大島の人間となることはできないのである。わたしには奄美大島がどこへ行っても味方になってくれる故郷と言える資格はないのかもしれない。
それでも、わたしが6年間の生活を乗り越えることができたのは、当時のわたしが活発で目立つことを好んだ性格であったということが記録を通して分かった。学校内外でライバルと競い1番にこだわったり、毎日外に出て家族以上に他者とコミュニケーションを行ったりすることで、自分らしさを相手に伝え、認識してもらい、存在を認めてもらおうとしていた。また他者とつながることや、頼ることに抵抗をもたないことが、奄美大島らしさへの適応もすんなりと果たせたことと関係していると考えた。
そして今回、プロジェクトを通して日記の取り扱いの難しさを学ぶことができた。扱っている日記は、当時毎日の宿題として提出していたものであったため、誰かにみせ、添削が返ってくる文章になっていることから記録媒体として抽出できる部分の少なさが課題として上がった。そのため、今後の扱い方については再度考えていく必要がある。

(卒業プロジェクトにて扱う日記)

友人と会い考える

プロジェクトを始めた当初、わたしはフィールドを広げ、友人にあったり、積極的に奄美大島を訪れることを考えていなかった。しかし6月には日記に名前が多くあがった友人に会い、8月には奄美大島を訪れることを予定している。これは、奄美大島での記憶がわたしだけで作られているのではなく、友人や島という場所との強い関わりがあってこそのものであるということを日記を通して実感したことにある。そして当時のわたしらしさを客観的に評価できる声があることで、より詳細なエピソードや、わたしの忘れていた記憶を思い出すことができると考えたからだ。さらに当時の記憶を共有することで、より思い出が鮮明になり、自分にとっての過去の苦い思いをポジティブなものに捉え直すことができるかもしれないという期待があった。そのような中で6月下旬、6年間の登校をともにした友人と新宿で待ち合わせた。会いに行くまでの気まづさは全くなかった。むしろあの頃のようにふるまえる自信があった。それは友人も同じだったようで、標準語から突然、方言を使い出したり、日常の中に潜むあの時のあの思い出が共有できたり、テンポよく会話が繰り返された3時間に6年間、奄美大島で過ごしたわたしの存在を感じることができた。「島の人と話してたら自然と方言になるから。」と言われたり「島の人とは会えば普通に喋れるかなって思ってる。」と言われることで卒業後別れて10年ほど経っていながらも、彼女の当時の思い出にわたしが存在していたことを感じられた。そして23年間のうちのたった6年間の時間を共有していたのにも関わらず、あの頃のように、お互いがお互いのことを全て知っているような気持ちにさえなった。友人からは、ごく自然に、当たり前に奄美大島の「あの場所」や「あの時間」を共有され、知っていることを前提に話されることが、今も現在も島の一員になれていたような感覚になり、過去の自分が島に馴染むために行っていたふるまいの力強さに驚かされた。そしていつまでも過去の記憶にとらわれ、島での生活を印象深くもっているのはわたしだけなのかもしれないという気持ちも覚えた。わたしが思っているより、奄美大島はわたしという人間を疎外していなかったかもしれないし、内地の人間だという対象として扱っていなかったかもしれない。しかしそれほど敏感に当時は「らしさ」に馴染むことを迫られていた。過去のふるまいを振り返ると、わたしは島の一員になるための奄美「らしさ」に馴染むように無意識に動かされていたようにも感じた。わたし服でスカートを履かないこと、一人称をわたしではなく自分の名前で呼ぶこと、方言を使うこと、このような他者からわたしがその場所にいても良いと認めてもらえるようなふるまいをしなければ、これほど時を超えて友人とのスムーズなコミュニケーションがができていなかったかもしれない。わたしは7歳なりに感じていたルールに倣い、馴染めるようにしていたのだろうと感じさせられた。

(小学校6年間を過ごした学校)

らしさを捉える

過去の記録から始まり、当時の友人と再開する中で島「らしさ」について知りたいと考えるようになった。居心地の良さを感じる一方で、内地の人間がどこか寂しさを感じてしまう奄美「らしさ」はどこにあるのだろうか。これまで「らしさ」を捉える上で、奄美大島全体の風習や風土、慣習などの大きな枠組みと、小学校内でわたしらしさを位置付けるための小さな枠組みがあると考えた。「モビリティーズ 移動の社会学」(ジョン・アーリー)によると、アクセスの概念には、経済的、身体的、組織的、時間的な制約があるという。当時小学生だったわたしがアクセスできたものは、その中でも友人や家族、文化といった組織的なものと学内外の時間的なものであり、だからこそより他者との密なコミュニケーションが求められていたのだと感じた。また本書で弱い紐帯の強さについても語られており、密に織り込まれた小集団が与える強さは大きく、奄美大島で築かれている関係性は、特にこの弱い紐帯の強さに依存している社会だと考えた。そしてわたしは社会的排除から緩和されるために、日常生活を織りなす、交友や家族、インフォーマルなつながりを通して、社交をすることで奄美大島という社会へのアクセスを行っていたのだと考える。実際にご近所付き合いや人とのつながりがなかった島でのわたしの姿を想像することは難しい。人のつながりがなぜ必要だったのかという問いに対しては、このような目に見えないコミュニティや関係性を薄くじわじわと広げていくことで自分の存在を感じてもらうためだと答えることができるのかもしれない。小学校入学時、家族以外に知り合いを知らず、加えてクラスの出身幼稚園が2つだけに別れているという状況の中で自分の居場所をみつけることは簡単ではなかったと思う。それでも6年間休まずに登校をすることができたのは、ご近所付き合いや人とのつながりによって紡がれた、関わりと受け入れてくれたあらゆるコミュニティのおかげであると感じた。
わたしは、場所らしさを比較する際、現在住んでいる神奈川などの関東圏と地元である鹿児島を含む九州、そして奄美大島を想像する。客観的に評価をするならば、大きくはそれぞれ人の流れが異なると感じる。「渋谷学」(石井研二)においては、場所のもつ特殊なシンボル性のなかには取り替え不可能な問題があり、場所性と文化消費に必要な多様なオーディエンスだという。東京のシンボル地とも言える渋谷と比較した際、2つ目の多様なオーディエンスは奄美大島とは大きく異なる。島において、日本人観光客やインバウンドの観光客を増やす働きはあるものの、実際に島に降りたつと方言を話さない人を探す方が難しい状況で、多様さとはかけ離れていることが分かる。そのような環境では、集団意識がより強固なものになることも理解ができるのかもしれない。そしてこのような奄美大島の環境や人、空気、街、あらゆるところから感じられる慣習を身につけることができたわたしは、すでにどの場所でも生きていける力を身につけられているのかもしれないと感じた。

これから

これまで、過去の日記を読み解いたり、友人と会うことを通して、当時のわたしを客観的にみながら、6年間のわたしらしさや奄美大島らしさを徐々に言語化できるようになっている。卒プロのこれからに向けて、より具体的な表現やエピソードを集めるためにも実際に奄美大島を訪れ、参与者として「らしさ」を捉えていきたい。そして引き続き、友人と繰り返し会話を行いながら過去の記憶を紐解いていきたいと考えている。しかし友人とのコミュニケーションを行う中で感じた、お互いの記憶の乖離には慎重になる必要があると感じている。友人と会話を行いながら、一方にとっては大きな出来事と捉えていることでも、他方にとっては記憶にすら残っていない出来事が多くあった。わたしは奄美大島「らしさ」を考える上で、過去の出来事を友人と同じもののように共有し、当時の答え合わせをしていくように紐解いていくことができるのではないかと期待していた。しかし10〜15年前の記憶となると、曖昧になることも多かった。「そうだったような気がする」と相手に合わせてしまう会話では、普段のコミュニケーションと変わらないものになってしまう。そして記憶の改ざんができてしまうと感じている。当時の記憶をそのまま現在にもってくるためにも、繰り返し友人と会うことが必要性を感じており、さらに日記を現場に持ち込むことや、友人の人数を変えることで記憶を広げていくことが必要になると考えている。今後は、引き続き過去の記録を読み解き、当時の自分が何を考えていたのか友人とのコミュニケーションを通して考えるとともに、奄美大島を訪れ、生活を眺めることで風習や風土、慣習などの大きな枠組みの奄美大島らしさを考えていきたい。もう2年ほど奄美大島で半日以上の滞在をしていないわたしが、改めて奄美大島と関わりをもつ。当時の友人のほとんどが島外へ出ている島に長く滞在する理由がなくなってしまっている現在の環境は、15年前、初めて島を訪れた時の環境と似ているのかもしれない。何かと理由をつけて、そこにいても許される理由を探しているわたしにとって、時間が経てば立つほどアクセスがしづらくなっている島に足を運んでみる。少し部外者となってしまった、わたしが今改めて島で生活することでみえる社会はどのようなものだろうか。卒プロのこれからは数年ぶりに奄美大島での生活を眺め、より近くで「らしさ」を感じていきたい。

(岩﨑 日向子|Hinako Iwasaki