まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

鹿野キャンプ2

鹿野で考える・つくる(再訪)

更新記録
(2025-10-3)鹿野キャンプ2(鳥取県)のページを公開しました。

フィールドワーク型のワークショップを「キャンプ」と呼んで、学生たちとともに全国のまちを巡っています。まちで出会った人びとに話を聞いて、ひと晩でポスターをつくります。やや荒削りではあるものの、まちに暮らす人びとの姿をできるかぎり自然に映しとり、ことばを添えます。「まちに還す」ことの大切さと面白さを味わいながら、ポスターづくりのプロジェクトは20年近く続いています。47都道府県の踏査まで、残すは京都府だけというところまで来ました。

コンプリートを目前にしつつ、“2周目”をはじめます。今回は、2015年9月に訪れた鹿野町(鳥取県)へ。ちょうど10年ぶりのポスターづくりです。

「鹿野キャンプ」でつくったポスター(2015年9月)

【きっかけ|つながりの系譜】(準備中)

 

鹿野キャンプ2
  • 日時:2025年11月14日(金)〜16日(日)(原則として現地集合・現地解散)*14日は移動日
  • 場所: 鹿野町(鳥取県)
  • 参加メンバー:加藤文俊研究室 16名(学部生 12名・大学院生 4名・教員 1名)*10月3日現在 

📢  プレスリリース:鹿野キャンプ2(フィールドワーク)について → 

スケジュール(暫定版)

11月14日(水)
  • 16:30ごろ 集合 オリエンテーション
  • 17:30ごろ〜 夕食:しかの心(〒689-0405 鳥取市鹿野町鹿野1809-1)
  • 20:30ごろ 移動 → 宿泊:
11月15日(土)
  • 10:00ごろ〜14:30ごろ インタビュー/フィールドワーク(グループごとに行動・取材先に応じて随時スタート)
  • 15:00ごろ〜 デザイン作業(グループごとに行動):インタビュー/フィールドワークで集めてきた素材をもとに、編集作業をすすめます。
  • 18:30 夕食:
11月16日(日)
  • 00:00 ポスターデータ提出(時間厳守)
  • 10:00ごろ〜 ポスター展準備 会場:しかの心(〒689-0405 鳥取市鹿野町鹿野1809-1)
  • 11:30ごろ〜 「鹿野の人びとのポスター展2」
  • 成果報告会 11:30ごろ〜(ふり返りビデオ上映 12:00ごろ〜)
  • 12:30ごろ〜 昼食(片づけ)
  • 14:00ごろ 解散

Photo: 2024年6月21日

五島キャンプ(ドキュメント)

ビデオでふり返る

2025年9月3日(水)から5日(金)の成果報告会までを記録したダイジェストビデオです。このビデオは、5日(金)の成果報告会で上映したものにその後のシーンをくわえたバージョンです。

◉撮影・編集:伊東 柚香・松本 仁奈

2025年9月5日(金)|成果報告会(ビデオ上映)のようす

五島キャンプ(ポスター)

ポスターをつくる

今回は、7名のかたがたにインタビューをおこない、ひと晩でポスターをつくりました。“ポスター展のポスター”をふくめて8枚。ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。

五島の人びとのポスター展
  • 日時:2025年9月5日(金)11:30〜
  • 会場:三井楽公民館(〒853-0601 長崎県五島市三井楽町濱ノ畔1044-1)
    • 成果報告会:5日(金)11:30〜(12:30〜 ふり返りビデオ上映) 成果報告会は終了しました。ありがとうございました。


2025年9月5日(金):成果報告会(三井楽公民館)

 

 

 

 

 

 

 

卒業プロジェクト 1(2025)

幸せ探しの旅に出る

(2025年8月7日)この文章は、2025年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

松本 仁奈|Nina Matsumoto

「幸せって、なんだろう」

小さい頃から、そんな問いを抱いてきた。お金、成功、愛情――世の中にはさまざまな“幸せ”のかたちがあるけれど、私が心から満たされるのは、いつも「誰かと共にある時間」だった。

たとえば高校時代に打ち込んだ生徒会活動。報酬もなければ感謝されるわけでもない。でも、誰かの笑顔のために仲間と共に考え、動いた時間は、何よりも楽しく、幸せだった。同じように、長年続けてきたバレエやピアノも私に大きな影響を与えている。どちらも、明確な正解がない世界。楽譜通りに弾く、振付通りに踊る。それだけでは届かない。自分の表現や気持ちの込め方によって伝わり方が変わる。自分の中にあるものを信じて表現する時間が、私にとっての豊かさだった。そんな時間が当たり前にあったからこそ、点数や合否、順位、効率といった「わかりやすい尺度」に違和感を持つようになった。努力の方向性は一つではないはずだし、何を「頑張る」のかはもっと自由であっていい。だからこそ、「その努力は、本当に幸せにつながっているのか?」という問いが生まれた。上京して一人暮らしを始めてからは、家族と過ごした日々の温かさをあらためて実感した。特別なことはなくても、日々の出来事を共有し合える誰かがいることが、私にとっての安心や幸せの土台だった。
あるできごとを誰かに話すと、頭の中に感情や景色がよみがえる。そして、そこから思いがけない気づきや新しい思考が生まれることがある。悲しかったことも、悔しかったことも、話すことで少しずつ意味を持ちはじめ、前向きに捉えられるようになる。ただ楽しかった出来事も、言葉にすることで心の奥に根を張る。話すことで、思ってもみなかった自分の言葉に出会う。そんな時間を、私は家族との対話のなかで積み重ねてきた。
けれど、大学進学を機に気づいたのは、「対話のぬくもり」は血縁や同居に限られたものではないということ。友人や地域の人との他愛ない会話、ただ誰かと隣にいる時間にも、「家族のような」あたたかさを感じる瞬間に出会ってきた。

 

「なぜ、幸せ探しの旅に出るのか」

現代社会では、経済的・社会的な地位が豊かさや幸せの尺度とされがちだ。そして、「努力」や「頑張り」は、ヒエラルキーを上るための手段として語られる。しかし、その方向性は本当に人間らしい幸せにつながっているだろうか。私の原体験や日々の実感からすると、そうとは限らない。誰かと共にいる時間、分かち合う言葉、何気ないやり取りの中にこそ、確かな幸せの気配があった。便利さや効率が重視され、オンラインで簡単につながれるようになった今。でも、孤独や寂しさが消えることはない。だからこそ、人とあたたかく関わることの意味や可能性を、見つめてみたい。
卒業プロジェクトでは、既存の価値観とは異なる軸で生きる人々や場を訪れ、「幸せ」や「豊かさ」のかたちを探っていきたい。
とくに注目したいのは、「家族的なつながり」を感じられるような空間。役割や責任に縛られるのではなく、「ただそこにいる」という状態から始まる関係性に関心がある。たとえば、地域のたまり場、多様な人が行き交う共有スペース、特別な目的がなくても集まれる場所。そんな場に流れる空気や交わされる言葉に、“幸せの種”があるのではと感じている。フィールドは一つに絞らず、さまざまな「外のリビング」のような場所を訪ねる。現地に足を運び、人々と話し、その場の空気を感じながら、「誰かと共にいることで生まれる幸せ」を探っていく。そして、「自分はどんなときに満たされるのか」という問いと向き合いながら、人と人との関係性のなかにある豊かさを見つけていきたい。

 

「たびのば」

出発点となったのは、横浜駅近くの会員制ラウンジ「フラグヨコハマ」であった。今年の2月、偶然参加した『庭の話』という書籍の著者イベントにてこの場所を初めて訪れ、その際に1日限定のパスをいただいた。軽い気持ちで再訪したことが、図らずもこの旅の第一歩となった。そこで出会ったのが、フラグヨコハマのコミュニティマネージャーである「コーヒータロー」さん。彼が主催する毎週月曜朝の雑談会「朝タロー」に参加するようになった。肩書きも目的も超えて、ただ会話を楽しむその場は、日常に自然な会話と出会いをもたらしてくれる。ここを起点に、多くの縁がつながり始めた。ここからは次々と私が春学期間に訪れた場所での出来事や感じたことを述べていく。

つながりから生まれた最初の訪問先は鎌倉にある「関係案内所はつひので」。ここでは毎週水曜日、「自炊の水」という持ち寄りのご飯会が行われている。私もお惣菜を一つ手作りして持っていき、参加した。初対面の人々が料理を囲んで語らう光景に出会った。名も知らぬ者同士が、言葉よりも前に同じ空間と時間を共有し、自然に関係が生まれていた。その様子には「外にあるリビング」という言葉がぴったりだった。

続いて、弘明寺の商店街へと足を運んだ。弘明寺商店街で月に一度のマルシェを主催するダバさんと出会い、地域の中で人と人とのつながりを大切にして暮らす姿に深く共感した。彼が弘明寺に関わるきっかけとなったのが「ニューヤンキーのたむろば」という一風変わったシェアハウスであった。ここでは、1年間の共同生活を通じて、住人たちが夢や想いを育み、最後には発表という形で卒業していく。ダバさんは、商店街を歩きながらカフェや設計事務所、お弁当屋さんなど、当たり前にどれもが自身の居場所であることを教えてくれた。その風景は、金銭や地位と離れた、純粋なつながりの世界を映しているように感じた。

さらに、若葉町にある民家アートセンター「wharf」に伺った。コーヒータローさんの出張珈琲屋に同行し、竹屋啓子さんが講師をつとめる中国人の役者さん達によるダンスワークショップに参加した。即興の身体表現を通して言葉を超えたつながりで新たな動きが生まれ、数値では測れない「人間性」を身体で理解したような気がした。📸中国各地や台湾から訪れた役者さん達が2週間、共同生活しながら舞台を作っていく。このワークショップに参加させていただいたご縁で、一人劇の鑑賞もさせていただいた。ドリンク配布のお手伝いをしながら、まちの小劇場での本番に居合わせることができたが、生の劇がもたらす没入感とインパクトには強く心を動かされた。実際、開演前の客席は、たとえ隣同士に座っていてもどこか他人のような空気が漂っていた。だが、生の劇が始まり、舞台と客席が向き合うと、小劇場ならではの距離の近さの中で、一人ひとりの観客と舞台との一体感が自然と生まれてくる。劇は、観客同士がその感覚を意識し合いながら進んでいった。終演後の語らいや表情には、同じ時間に、同じ感覚を共有したことから生まれる心の一体感のようなものがにじんでいた。その変化は、ドリンクを手渡した開演前の様子と、飲み終わったカップを回収する終演後の様子とのあいだに、はっきりと感じられた。

同じくコーヒータローさんの縁から、みなとみらいのコワーキングスペース「Chilink」を訪れ、スタッフの勢〆さんの紹介で北九州の「ATOMica」へと旅を広げた。ATOMicaは「誰もがいてよい場所」を目指すコワーキングスペースであり、小学生から社会人までが自由に活用していた。その思想は単なる空間提供にとどまらず、集まった人々の「想い」を軸にして他地域と人をつなげるハブとしての役割も担っていた。そこにも、はつひのでで感じた「外にあるリビング」の感覚が存在していた。みなとみらい、Chilinkでは何度か訪れるうちに「ブロックス」というボードゲームを行うのが恒例となり始めた。ボードゲームを介してchilinkの会員さんやそこに居合わせた方々とのコミュニケーションが生まれた。ブロックスを机の上に出し始めた私の様子を見て、集まる人々。人を呼ぶことができる力にコミュニケーションのハブとしてのボードゲームの重要性を感じた。

コワーキングスペースつながりで埼玉県小川町にある「NESTO」にも訪れた。代表の笠原さんは材木店の三代目でもあり、「儲け」よりも「自然さ」を重んじた新しい場づくりを行っていた。人が自らの手で自身の家具を作りながらつながり、語らう空間で、モノづくりのプロセスの中に関係性が育まれる場を画策していた。そこには、「共通の体験」こそが深いコミュニケーションを生むという確信があった。笠原さんの言葉、「こんなことしてたら全然儲からない!でも自然なことをしたい」が強く心に残った。

また、星天クレイにあるシェアハウス「ヤドレジ」のコミュニティマネージャー大越さんとも「朝タロー」で出会った。彼はヨガを通して人とのつながりをつくっている。公園などで偶然居合わせた方とヨガを通じて共に時を過ごすことを楽しんでいる大越さんは、「ヨガはあぐらをかき手を膝に置いて座るだけで、人と世界と繋がれる」と語っていた。私も大越さんのヨガを体験した。身体を動かし心を和ませながら、静かに周囲と一体感を感じることができた。同じ呼吸をし、生きる生き物として心を通わせるコミュニケーションの始まりを感じた。

朝タローの時間を通して、馬車道駅にあるdance base yokohamaでスタッフを務める神村さんに出会い、実際に足を運んだ。ここはダンサーの育成や稽古場としての機能を持つ一方で、一般の人が自由に出入りでき、稽古の様子を観られるという特徴がある。私が訪れた時は、10月に公演予定の作品のアイディア出しの身体動作を試す稽古中で、まだ曲や振り付け、コンセプトが決まっていない段階だった。出演予定のダンサーの身体や表現の特徴をその時間の中で見つけ、音源制作や舞台の細かな制作に繋げていくのだと教えてもらった。自由に稽古の様子を観ながら、食事や仕事をすることも可能なこの場は、私が知るダンススタジオとは異なり、その自由さに衝撃を受けた。

飯田橋にある日建設計による"共創の場" PYNTへの2度目の訪問では、偶然、前回同席していた5人のメンバーがまた集まり、テーブルを囲んで1時間ほど自由に話をした。初回はお互い「今、何を考えているか」を意見交換するような空気が強かったが、今回は少し違っていた。事前のメッセージ上のやりとりから、なんとなく「今日、みんなが来るかもしれない」という予感があり、それぞれが“会うために会いにきた”という感覚を持っていたように思う。お互いにその思いが伝わりあっていたのか、よりパーソナルで深い話が生まれた。自分のライフストーリーや今の自分が抱えている想い、未来への展望を語り合い、違う背景を持つ者同士が、同じ場所と時間を共有している不思議さと面白さを、改めて実感する時間となった。

PYNTで出会った東京都市大学の学部4年生、ことはちゃんとかほちゃんのお誘いで、尾山台駅近くにある「タタタハウス」へ向かった。ここは2階が彼女たちの研究室、東京都市大学坂倉研究室のゼミ室にもなっている。尾山台駅を出ると、日中は歩行者天国になる商店街通りが続いている。タタタハウスはその入り口付近にある。大きなガラス窓のある出入り口からは中の様子がよく見え、「まちのリビング」のような、誰でも足を運びやすく、入りたくなる雰囲気が漂っていた。尾山台という地域も、タタタハウスという場所も私にとっては初めてだったが、入った瞬間に「いらっしゃい!」と声をかけられ、心地よいお出迎えを受けた。2階の研究室は木の温もりを感じられる空間で、SFCのドコモハウスにも少し似ているように思えた。1階は洋品店とカフェ、そして休憩スペースを兼ねており、常に人で賑わっていた。新しいお客さんも、馴染みのお客さんも次々と現れ、赤ちゃんから学生、ご高齢の方まで、さまざまな方が訪れていた。ほんの一瞬だけ買い物に立ち寄る方もいれば、作業中のおじさん、おままごとに夢中な子どもたち、私のような大学生まで、それぞれの時間を過ごしていた。けん玉で遊んでいたママ友グループの様子を眺めていると、「やってみて!」とけん玉を手渡された。中学生のころにけん玉にハマっていた時期があり、少しだけコツを覚えていた。うまく成功させると、まるでヒーローのような扱いを受け、みなさんから「教えて~!」と声が上がった。そのまま30分ほど、けん玉教室がはじまった。

毎週月曜日の朝タローの様子もこの数ヶ月で少しずつ変化している。
6月23日の朝タローには、茨城土産の藁納豆を持参した。最近はコーヒータローさんが朝から白いご飯を炊いてくれるようになっていて、そのご飯に合うおかずをそれぞれが持ち寄る動きが、自然と広がっている。誰かが指示したたわけでもない。けれど、「誰かと過ごす朝」の時間を想像して、何かを手にして向かいたくなる。そんな関係性の気配が心地よく感じた。藁納豆を持って行ったことで、集まった方との距離が、物理的にも心理的にも近づいたような気がした。
6月30日の朝タローでは、アーティストのキム・ガウンさんと、鞄職人の増田さんと時間を共にした。増田さんと初めて会ったのは4月。そのときは「鞄職人で、本と工房オドリバをやっています。たまにガリバン教室も開いています」と自己紹介を受けた。それから3ヶ月間、何度か顔を合わせる中で、彼の中にある関心の新たな形が見えはじめていた。以前から「穴」に関心があると聞いていたが、この日、それがはっきりとしたかたちになって現れていた。彼は「僕は穴の人です」と、ごく自然に自己紹介をしながら、彼の得意な鞄作りやガリバン技術を生かし、皮で作られたショベルケースと “Hole is Human” とガリバン印刷されたTシャツを仕上げていた。増田さんとは数ヶ月前まで面識もなかったし、今でも関係性の説明は少し難しい。でも、彼が「穴」に出会い、惹かれ、それに向かって行動している流れを、私は自然に受け取ることができている。それがなんだか嬉しく、おもしろかった。
7月7日の朝タローでは、コーヒータローさんとフラグヨコハマのスタッフ、三浦さんと3人で過ごした。この日は旅のお土産を持参した。ふとした瞬間、「あ、お土産を持って行こう」と思えた自分に気がついた。その感覚の中に、関係性の進展や、深まりを感じた。お土産とは単なるプレゼントではなく、非日常のなかで日常を思い出させる、持ち帰り物なのかもしれない。そう思うと、毎週月曜日に通っている朝タローの時間は、私にとって「日常」として溶け込みつつあることを強く感じた。

 

「たびさほう」

これまでの私の取り組みは、まず現場に実際に足を運ぶことから始まっている。訪れた場所では、調査者としての構えをできるだけ手放し、ただその場に存在することを心がけてきた。そこでは無理に質問を投げかけたり、深く掘り下げて聞き出そうとしたりするのではなく、その時々の空気感や人とのやり取りに自然に身を委ね、内輪の一員のように関わることを大切にしてきた。そのため、録音や長時間の録画などのツールは用いず、その日の様子を写真と文章で記録する方法を選んでいる。写真は場の雰囲気やその場の時間を思い出すためのスナップ程度にとどめ、主な記録としては訪問後にまとめる文章が中心である。そこには、そこで交わされた会話や出会った人の印象、その時の自分の気持ちや場の空気感が含まれている。
この調査で集められているデータは、現場での経験に基づく文章や記録写真、そして出会った人たちとの会話や関わりの中で得られる印象や感覚である。いわゆる定量的なデータではなく、私が現場で感じたことを丁寧にすくいあげることを重視している。その理由は、私が関わっているフィールド自体が、効率や数値で測ることのできないつながりや偶発性を重視する場であり、そこでの経験をどう記述し、どのように解釈するかが重要だからである。
フィールドは特定の一箇所に固定されたものではなく、複数の場にまたがっている。朝タローやchilink、タタタハウス、WHARFといった、人や活動がゆるやかに交わり、つながりが生まれていく場を中心としている。また、ダンスやヨガを通じた活動をきっかけに人との関係を生み出す人々とも出会ってきた。私は、これらの場にあらかじめ外部の調査者としてではなく、ひとりの参加者として関わり、そこに存在することを受け入れられながら過ごしている。その意味で私は「調査者でありながら当事者でもある」という二重の立場であり、場の中に自然にいることそのものを調査の出発点としている。
分析の方法は、訪れた各場を文章に収められた私の感覚を中心に相対的に見比べながら、そこでどのような会話が生まれているのか、なぜ人と人との距離が自然に縮まっていくのかといった点に注目しながら行う。
特に、食事や何かを共にする時間が持つ力の大きさから、”共有すること”自体が関係をつくりだす要因になっていることを感じている。また、私が訪れた場はそれぞれ独立しているように見えて、どこかでつながっているという実感が生まれた。個々に異なる活動や価値観を持っているはずなのに、根底に流れる思想や目指している方向性がどこか似ており、ゆるやかに重なり合っているように感じられる。そのこと自体が非常に面白く、社会の大きなシステムとは違う価値観がどのようにそれぞれの人生の中で軸となっていき、共有され、つながりをつくり出しているのかを考えるきっかけとなった。

今後の計画としては、まだ足を運べていない場所がいくつかあるため、まずはそこに訪れることを続けていきたい。また、これまでの出会いや経験を改めて振り返り、どのような関わり方が会話を生み、距離を縮めているのかについて、より深く考察していく予定である。そして春学期の経験から得た気づきや面白さを踏まえ、今度は自分自身が会話や関係のきっかけを提供する側として場をつくる実践にも挑戦したいと考えている。そうすることで、これまで観察する側として得てきた知見を、自らが関係を生み出す主体として確かめ、さらに広げていくことができるのではないかと思っている。