まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

場所の時間

上野動物園は、奇妙な形をしている。インターネットで検索して、「園内マップ」を見ればすぐにわかる。動物園は東西に分かれていて、それを、通路がつないでいるような格好だ。園内を歩いているぶんには、あまり気になることはない。なにより、動物たちに気持ちが向いているので、動物園そのものの形状など、大したことだとは思わないのだ。あるセミナーで、この不思議な形は、じつは東照宮を囲むかたちで動物園ができたからだという話を聞いた。なるほど、と思った。

まずは、見晴らしのよい、高いところに建物ができる。*1時間の流れとともにその建物が駆逐されるなら、おそらく山の頂に、また何かが建つことになるだろう。だが、山の上が、東照宮のように、簡単に変わり得ない場所になってしまうと、それを避けて、取り囲むようにつぎの「計画」が実施されるのだ。つまり、上野動物園は、昔の時間を取り囲むように、上野の山に寝そべっている。「地層」ならぬ「時層」が、露出しているということだ。*2園内が奇妙な形をしているのは、今と昔をつないでおくための方策だったのだ。

新しい年になった。諏訪さんとのまち歩きも、ちゃんと月一回のペースで続いている。寒い日だった。まちは、まだお正月の雰囲気で、道行く人の姿はまばらだった。

「やはり、高い所は見晴らしがよかったのだろうな…」と、ぼんやりと考えていた。上野の山ほどでなくとも、人は高いところに向かいたい気持ちになるようだ。だが、その「高まり」へと向かう気持ちは、上手く説明できないことがある。緩やかな上り坂だと、あまり行く気にならない*3のだが、逆に、な階段だと、(疲れるだろうとやや躊躇いながらも)足が向く。*4山の上は目指したいのだが、そこに至る道のりは、さまざまだ。

 地図は片手に持っていたが、いつもにも増して、彷徨いの感覚が強かった。このあたりには、寺がたくさんある。地図を見れば、その名前や記号が記されている。*5まちを歩いていると、なぜだか寺や神社に引き寄せられてしまうのだ。

ぼくたちは、すでに水路の痕跡を求めることに楽しさを感じはじめていたが、同じように、人びとが集った痕跡*6をさがしていた。

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まちを歩いていて、こんもりと茂る緑が見えたら、それは、神社や寺かもしれない。ぼくたちは、吸い寄せられた。境内は整然としていて、手入れが行き届いているように見えた。大きな銀杏の樹が二本。樹齢は300年と書いてあっただろうか。

銀杏の樹を見上げたら、空しか見えないような、そんな時間があったにちがいない。もちろん、幹はもう少し細かっただろう。いまは、銀杏の背景にはマンションが見える。背の高い建物が、この寺の周りを囲みつつあるのだ*7あいにく、高い場所ではないので、ここから見える空は、どんどん小さくなっていくしかない。

銀杏のまわりには、まちがいなく、昔の時間が流れている。本堂のほうは、改築工事がすすんでいるようだった。

「なんか、境内は落ち着くね」と諏訪さんが言った。

「そうですね」

としか答えようがなかったが、実際に、こぢんまりとした、品のある場所だった*8決して広いとは言えない空間だったが、まちにとけ込んでいて、これからも、銀杏の樹とともに「時層」が守られていく場所だ。

わずか数十メートルの参道を逆戻りして、広い通りに出た。クルマは少なかったが、まったくちがう時間の流れに向き合うことになった。敷地が狭いせいか、ひょろ長いマンションが林立している。

よく言えば、デザイナーや建築家に、さまざまな冒険を許している、ということになる*9大胆な、都市景観の設計だ。悪く言えば、秩序のない風景だ。マンションが建つたびに、静かに露出していた、いくかの「時層」が、消されてしまったにちがいない。ひとつひとつは、面白い意匠として評価できるかもしれないが、二本の銀杏の樹を見上げたあとだった。

あまりにもバラバラな風景を嘆きつつ、写真を何枚か撮った。

寒さに耐えられず、この日のまち歩きは、二時間で終えることにした。坂の途中に蕎麦屋があったので、暖簾をくぐった。

「やはり、まちには品格が必要だ」

「あのマンションは、ひどいね」

「きょうは、本当に寒かった」

「この時間から呑んでも、いいよね?」

「まだ三時半くらいなんだけど」

諏訪さんは日本酒を、ぼくは焼酎を頼んだ。じつは、諏訪さんと呑むのは、これがはじめてだった

いつも、二人ともボイスレコーダーを身につけて、まち歩きの様子を録音している。二人の会話はもとより、ちょっとした気づきや、ため息など、ぼくたちの、まちとの関わりを記録しておくためだ。後で聞いてみると、まちの音も一緒に再現されて、臨場感があってなかなかいい。簡単な、タイムトラベルのようなことになる。

ボイスレコーダーは、歩き終えて、その日をふり返る時間も電源を入れたままにしておく。諏訪さんが、マイクを付けたまま、トイレに立ったので、ソノあいだも録音が続いているのだな…などと、想像しそうになって、慌ててかき消した。

店に入ったときには、まだ日が高く、ブラインド越しの光がまぶしかったが、いつの間にかすっかり暮れていた。

●この文章は、数年前に同僚の諏訪さんとすすめていた「まち観帖」プロジェクトのなかで綴られた「まち観がたり」の一篇です。フィールドワークをとおして獲得した〈ことば〉(まち観の型ことば)に裏打ちされた、セミ・フィクションです。

参考

  • 加藤文俊・諏訪正樹(2013)「まち観帖」を活用した「学び」の実践 SFC Journal, “学びのための環境デザイン” 特集, Vol.12, No.2, pp. 35-46.
  • 加藤文俊・諏訪正樹(2012)フィールドワークのための身体をつくる:「まち観帖」のデザインと実践(第39回研究発表大会梗概集, pp. 68-69)
  • 諏訪正樹・加藤文俊(2012)「まち観帖:まちを観て語り伝えるためのメディア」人工知能学会第26回全国大会,2P1-OS-9b-6

*1:自らの目線を高いところにおいて、まちを俯瞰することは、私たちの自然な欲求だろうか。当然、家をどこに構えるかを決める判断にもなる。興味ぶかいのは、高低差のなかに時間の流れが見えるかもしれないという点だ。アクセスの善し悪しについても考えてみたい。居場所を決めることは、(たんによい眺めを求めるだけではなく)人びととの関わり方を選択することでもある。

*2:今昔の視点でまちを観ることの基本のひとつが、時間的な変化を〈いま〉どうやって慮るかという点である。じつは、まち観の方法が身体化されてくると、まちのいたるところに、〈むかし〉が露出していることに気づく(まち観の型ことば1を参照)。型ことばのカードでは、神社・寺が例として挙げられているが、他にもさまざまな手がかりとなるモノ・コトがある。

*3:まちを彷徨うとき、まちの風景が、私たちに語りかけてくる。たとえば上り坂を目の前にしたとき、道路の幅、そして傾斜は何を語っているだろうか。わかりやすい道は、おそらく退屈さを喚起する。わかりにくさは、ストレスになるだろう。不思議なバランスで目の前に現れる風景は、私たちの冒険心を刺激する(まち観の型ことば30を参照)。

*4:たとえば二人で歩いている場合には、まちの歩きかたは、パートナーに影響を受ける。お互いを理解し、身体感覚が養われていくことはあるが、それ以前の段階で、直感的な判断が一致することもしばしばだ。階段の向こうに何があるのか。それが気になって上ったことがある。冒険心をかき立てる風景がある(まち観の型ことば36を参照)。

*5:まち観のスピリットは、現場で学ぶことにあるが、事前に地図を見ておくと、その体験が豊かになることがある。地図を眺めて、面白そうな場所への手がかりを探そう。たとえば地図記号は、まちに散りばめられたさまざまな機能を俯瞰できる。何かの気づきがあるだろうか(まち観の型ことば10を参照)。

*6:コミュニティ感という概念も重要だ。たとえば水路を挟んで、人びとはどのように交流していたのか。あるいは、道に沿ってどのように集落の連なりがつくられていたのか。つながりかた・広がりかたを感じることで、今昔の目線が育つ。たとえば、まちの型ことば7を参照。

*7:まちの景観は変化している。だが、まちを歩いていると、時間の影響を受けずそのままの状態が保たれている場所もある。神社・寺の境内は、それを感じることのできる場所になるはずだ(まち観の型ことば6を参照)。

*8:当然、まちにも品格がある。それは、物理的な空間としての設計だけでなく、人びとの「手入れ」の具合によって感じられるものかもしれない。つまり、私たちは、モノの状態を観察しながらも、それに関わった人びとの痕跡を認知しているのだ。植栽の手入れや地面のゴミなど、わかりやすい手がかりはたくさんある。

*9:変化しない場所もあるが、過去の風景をイメージできないほどに、大きく風景が改訂されている場所もある。この日のまち歩きでは、奇妙なデザインのマンション・ビルが目立った。まるで実験をしているかのように見えた。デザインの善し悪しは、外観の好みで語ることもあるが、やはり歩きながら風景を味わうこと、ひとつの連なりとしてまちを認識することをふまえると、ある程度の秩序は欲しいものだ(まち観の型ことば47を参照)。

exploring the power of place - 036

【本日発行】️ 🎃あたらしいメンバーをむかえて、秋学期の活動がはじまりました。加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” 第36号(2019年9月20日号)『えびす(1)』をお届けします。 → https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/036
◎ 第36号(2019年10月20日号):えびす(1)
  • MR. FRIENDLY(大門 俊介)
  • 彼の名は(廣瀬 花衣)
  • 同級生とガーデンプレイス(田村 糸枝梨)
  • 彼女の背中(中田 早紀)
  • 変わってしまうこと(坂本 彩夏)
  • 恵比寿とともに(笹川 陽子)
  • 恵比寿、ヱビス、えびす(藤田 明優菜)
  • あしあと(日下 真緒)
  • 恵比寿で妄想する(佐藤 しずく)
  • ハタチ(山田 琴乃)

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水路に沿って

月に一度、同僚の諏訪さんと、まちを歩いている。あらかじめ決まった道筋も、目的地もない。ぼくたちの身体の感覚にまかせて、ただ「歩くために歩く」のである。五感を開放していると、不思議なことに、細い路地や坂道、ゆるやかに蛇行する小道に足が向く。*1

最近は、スマートフォン*2がまち歩きに役立っている。写真、ビデオ、音声、歩数計など。気負うことなく、記録ができる。そして、ぼくたちの彷徨いを、より刺激的な体験に変えてくれるのが「東京時層地図」というアプリだ。GPSをつかって、現在位置をとらえ、昔の地図(たとえば、文明開化期の頃)の上に表示してくれる。*3つまり、「いま」の場所に確実に立っていながら、100年以上も前の地図のなかに、じぶんたちを見つけることができるのだ。

昨年の暮れ、武蔵小山の界隈を歩いていたとき、じぶんたちが、かつての用水路の上に立っていることがわかった。とたんに、ゆるやかなカーブの道*4が、水に見えてきた。水が流れていたことを知って、その幅にも考えがおよぶようになった。水路の幅が広ければ、それは境界となる。だが、狭ければ、それは人と人との交流をもたらす。水の跡は、すなわち生活の跡だ。ふつうの地図だと、いかにも無愛想に、水路の上を、区の境界線が走っている。

6年ほど、不動前で暮らした。
山手通りと直行する禿坂(かむろ坂)は、桜並木だ。春になると、ベランダから、立派な桜を見下ろしたものだ。禿坂上の交差点から、武蔵小山に向かってしばらく歩くと、急に視界が広がる感じがする。*5いまは、信号機があって直進することができるが、ぼくが暮らしていた大部分の時間は、丁字路だった。このあいだ気づいたのだが、視界が広がるだけでなく、道の両脇の、桜の色も変わる。*6落ち着いて品のある桜色ではなく、商店街に飾られているプラスチック製の花を思わせるピンク色なのだ。

山手通りから、道を真っ直ぐに伸ばす工事が完了すれば、ここは抜け道になる。そう、あたらしくつくられている道なのだ。当然、昔の地図には載っていない。*7道幅のみならず、桜の色までもが、人工的だ。ピンク色の無粋さについて、ぶつぶつ言いながら、諏訪さんと歩いた。しばらくすすむと、工事がまだ終わっていないことがわかった。あたらしくできた信号を直進しても、車は不自然な形で行く手を阻まれ、細かい道へと迂回せざるをえなくなる。コンクリートのブロックが、まるでバリケードのように積まれている。

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道路の工事を阻む、立ち退くことに抵抗し続けている建物が一軒。近づいてみると、文字どおり、その一軒だけが闘っているように見えた。周りは、開通すべき道路に合わせて土地の輪郭が変わって*8いたり、「事業予定地」として空き地*9になっていたりする。その一軒は、頑固に寡黙に建っている。

親父は、きょうもヒマではあったが、いつものように店を開けていた。景気は悪いが、毎日をくり返すのだ。店の前は、いつもと変わらず、平和だ。隣の小学校からは、子どもたちがはしゃぐ声が聞こえてくる。ずいぶん寂れてしまったが、この商店街では、隣どうし、ずっと仲良くやってきたのだ。店の前の道は、ゆるやかに蛇行している。人工的に引かれた直線ではなく、自然がつくった曲線だ。左に向かえば武蔵小山、右に向かうと林試の森。区の境界線*10になっているが、わずか数メートルの道幅だ。月曜日の定休日を除いて、親父は、まるで機械のように、おなじことをくり返している。おなじだが、それはちがう毎日だ。

水を感じながら歩くと、人びとが集まっていた風景が目に浮かぶ。ふだん、あまり意識せずに「川に分断されて…」などと話していることがあるが、諏訪さんは、
断つと分けるはちがうんだ*11と言った。
なるほど、たしかにそうだ。ぼくたちの下を流れている水は、人びとの関係性を断つものではなく、むしろゆるやかに分けるものなのだろう。

最初は「歩くために歩く」ということだったが、数回くり返しているうちに、ぼくたちは、水路に沿って歩くようになっていた。それは、彷徨いのなかに、発見の瞬間があったからだ。だが同時に、ひとたび水路を感じてしまうと、その「見え」から抜け出すことも難しい。少し大げさに言えば、ぼくたちは、水の痕跡を求めずにはいられない身体になってしまったのかもしれない…。
坂道を上っていくと、親父の店は、立ち退きに抵抗する孤独な一軒に見える。だが、水路に沿って歩くと、親父の店はあたりにとけ込み、学校や他の商店と寄り添いながら、まち並みをつくっている。*12

親父は、どうしてもタバコをやめることができない。
身体に悪いことはわかっている。家族にも口うるさく言われている。だが、くり返される毎日のふるまいのなかに、タバコを吸うことも、組み込まれているのだ。店のシャッターを開け、掃除をするのと同じだ。やめてしまえば、何かが変わり、もしかすると、ずいぶん楽になるのかもしれない、と思う。意地を張っているつもりもない。とにかく、やめられないのだ。

ぼくと諏訪さんは、何度か立ち止まって写真を撮った。フレームで矩形に切り取るという作業も大切だが、それ以上に、どこに立ち、どこを向いてファインダーを覗くかによって、ことなる了解へと誘われる*13ことを実感した。水路は地中に姿を消しても、大いなる時間の流れを感じさせてくれる。身体の向きを少し変えるだけで、まったくちがう「物語」になる。

毎回、3時間ほど歩いたあとは、お茶を飲みながら、その日の所感について語り合う。いつも、気づくことがたくさんある。月に一度の彷徨いは、身体にも心にも効く。

 ●この文章は、数年前に同僚の諏訪さんとすすめていた「まち観帖」プロジェクトのなかで綴られた「まち観がたり」の一篇です。フィールドワークをとおして獲得した〈ことば〉(まち観の型ことば)に裏打ちされた、セミ・フィクションです。

参考

  • 加藤文俊・諏訪正樹(2013)「まち観帖」を活用した「学び」の実践 SFC Journal, “学びのための環境デザイン” 特集, Vol.12, No.2, pp. 35-46.
  • 加藤文俊・諏訪正樹(2012)フィールドワークのための身体をつくる:「まち観帖」のデザインと実践(第39回研究発表大会梗概集, pp. 68-69)
  • 諏訪正樹・加藤文俊(2012)「まち観帖:まちを観て語り伝えるためのメディア」人工知能学会第26回全国大会,2P1-OS-9b-6

*1:見慣れた風景から遠ざかってみることは重要だ。真っ直ぐで平坦な道、視界の開けた道は、人びとの「計画」が関与した証である。ふと引き寄せられるのは、なんらかの違和感があるからかもしれない。二人でまち歩きをしていて、徐々に、お互いがどのような箇所に関心をいだくかについて、理解が深まっていった。基本は、五感を開放しておくことだ(型ことば11〜13を参照)。

*2:フィールドワークに必要なデジタルメディアを携行するは、ここ数年いろいろと試してきた。まち歩きの「装備」は重要である。とくに、自らの行動軌跡をある程度復元できるようなメディアを携行したい。われわれのつくった「まち観房具」も、地図とカードを一緒に持ち歩けるように工夫したものだ。数回のまち歩きをつうじて、便利なサイズや機能を検討した。

*3:過去との対応づけは、まち歩きを豊かにする。現在の位置を知ることは重要だが、その場で過去の様子を知ることも大切だ。たとえば古地図や「東京時層地図」を持って出かけたい。

*4:ゆるやかなカーブの道は水の痕跡かもしれない。かつての水の流れが塞がれ、道に姿をかえていることは少なくない。あるいは、川に沿って道ができていたことも想像できる。カーブから、水を感じてみよう(型ことば17番)。

*5:視界の変化に気を配る。視界が広くなる、あるいは狭くなる場所は、人びとの生活を知る手がかりになることが多い。

*6:色の変化・相違に目を向ける。まちの彩りの変化や相違についても考えてみる。それは、事業計画による、変化の表れであることが少なくない(型ことば41番)。

*7:手持ちの地図と現況をつねに照らし合わせてみる。微細な変化を三のがさないように観察しよう。地図には、さまざまな情報が埋め込まれているので、あらかじめ眺めておくといいかもしれない(型ことば8〜10を参照)。

*8:このあたりは、やはりいろいろな力関係の所産として、土地の形状が不自然なところがある。たとえば、ある部分だけ、フェンスで囲まれている。生活の場は、人びとの手が加わって、形を変えながらいまの風景を構成している。輪郭や形状の変化は、何かの予兆として読み解くことはできるだろうか(型ことば3を参照)。

*9:空き地から、どのような「物語」を読み取ることができるか。過去の姿や未来を思い浮かべてみる。何かが始まる(あるいは終わった)ことを知るきっかけである。

*10:地図上で馴染みのある境界線は、バーチャルな「線」である。「線引き」には、もちろんさまざまな理由があるはずだが、それは人びとの生活実践と直結しているとはかぎらない。いっぽうでは、さまざまな人工物を手がかりに、人びとにとっての「境界」をさがすこともできるにちがいない(型ことば40を参照)

*11:ふとしたひと言だったように記憶しているが、境界の意味について考えさせられた。「断つ」と「分ける」のちがいについては、このあとのまち歩きにも影響をあたえている。心理的・物理的に越えがたいエッジ(edge)は、人びとの交流・交換を隔てるものである。だが、配置やサイズによっては、それはパス(path)として機能する。

*12:この日は、シークエンスとして眺めることの大切さ、そして面白さを実感することができた。まち並みや風景は、ひとつの連なりとして理解されている。人びとの住まい方を見るとき、隣接関係に注目する。数年間、近所に住んでいたが、まったく気づかなかった。どの通りを、どの向きに歩くかというのは、知らず知らずのあいだに習慣化してしまうためだろう。その連なりを構成しているのは、たとえばこのケースでは水路であった(型ことば22を参照)。

*13:調査者の視座・視点・視野についても考えておきたい。どの位置に立ち、どこを向いて、どの位のフレーム(頻度やインターバルもふくめ)で写真を撮るかによって、調査者の理解はことなる。リアリティは、どこかに「ある」のではなく、見る人しだいで変容する。当然のことながら、記録のための装置やメディアが変われば、また別のリアリティが表れる

exploring the power of place - 035

【本日発行】️🍇いろいろなことがあった夏。ようやく秋らしくなりました。加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” 第35号(2019年9月20日号)『余白のものがたり(5)』をお届けします。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/035

◎ 第35号(2019年9月20日号):余白のものがたり(5)
  • ロマンあるなあ(染谷 めい)
  • 無力だから(比留川 路乃)
  • やりくり(森部 綾子)
  • 写ルンですくらいでちょうどいい(太田 風美)
  • 魔法のことば(大橋 香奈)
  • トラベラーズノートの余白(久慈 麻友)
  • 学生と社会人の狭間で(矢澤 咲子)
  • 登山と座禅(堤 飛鳥)

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桜井キャンプ

桜井で考える・つくる

全国を巡る「キャンプ」は、続いています。2019年度秋学期は、あたらしいメンバーをむかえて、桜井市(奈良県)に出かけることになりました。まちの人びとを対象に取材をおこない、その結果をもとに、滞在中にポスター/ビデオを制作する予定です。

【きっかけ】今回の出会いは、仙台から。6月にカレーキャラバンで奥州(岩手県)に行く前の晩、仙台に泊まることになりました。その際、ご縁があって日本ファシリテーション協会・総会のあとの「泡の会」(飲み会です)にちょっとだけ顔を出して、そこで知り合った荒金雅子さんとカレーキャラバンの紹介をしていたら、やがて「キャンプ」の話になり、この10数年で47都道府県の踏査を目指してきたこと、さらに、まだ行っていない(未踏の)地域の話になり、奈良県をすすめられたのです。さっそくその晩に、桜井まちづくり株式会社の岡本健さんをご紹介いただき、少しずつやりとりをはじめていました。(今回、奈良に行けば、残りは9つの府県です。)

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2019年9月1日現在|地域別インデックス → http://camp.yaboten.net/entry/area_index

【下見へ】そして、9月5日〜6日にかけて下見に出かけてきました。ふたたび、真夏のような暑さ。奈良の実家に帰省中だった学生も合流して、一緒に桜井のまちを歩き、岡本さん、中尾七隆さんにあれこれ相談しているうちに、取材先、宿、作業場所、印刷、成果報告会などなど、具体的なスケジュールがかたどられ、いつものようなスタイルで「桜井キャンプ」が実施できることに。たっぷりごちそうになり、6日には大神神社や檜原神社にも足をはこぶことができました。ありがとうございます。🙇‍♂️

「桜井キャンプ」は11月。きっと、気持ちのいい季節になっているはずです。わずかな滞在時間ですが、まちを歩くこと、人と出会うこと、「ちいさなメディア」をつくること・流通させることの可能性や意味について考えてみたいと思います。最終日(11月3日)には、ポスター展と成果報告会をおこなう予定です。  

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2019年9月6日(金)|櫻林亭

  • 日時:2019年11月1日(金)〜3日(日)(原則として現地集合・現地解散)
  • 場所:桜井(奈良県桜井
  • 本部(作業):たまり場(桜井まちづくり株式会社)(〒966-0091 奈良県桜井市大字桜井933)
  • 参加メンバー(加藤文俊研究室):21名(学部生 20名・教員 1名)*9月8日現在
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📢プレスリリース:桜井キャンプ(フィールドワーク)について(2019年9月10日) → http://vanotica.net/skrp/pr_190910.pdf

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スケジュール(暫定版)

11月1日(金)

  • チェックイン
  • 18:00〜18:30 集合:たまり場(桜井まちづくり株式会社)(〒966-0091 奈良県桜井市大字桜井933)
  • 19:00〜 交流会

11月2日(土)

  • 10:00ごろ〜 フィールドワーク・インタビュー(グループごとに行動・取材先に応じて随時スタート):2名のグループで、インタビュー先に出かけて話を聞きます。もちろん、写真も撮ります。
  • 14:00ごろ〜 アイデア出し・デザイン作業(グループごとに行動):フィールドワークで集めてきた素材をもとに、ポスターのデザイン/編集作業をすすめます。
  • 17:30ごろ 夕食
  • 19:00ごろ〜 アイデア出し・デザイン作業(つづき)

11月3日(日)

  • 7:30 ポスターデータ入稿:データ提出(時間厳守)→ 9:00 印刷へ(株式会社 中尾組
  • 10:00〜 展示準備・設営 会場:エルト桜井〒633-0091 奈良県桜井市大字桜井
  • 12:30ごろ〜 「桜井の人びとのポスター展」
    (12:30〜 成果報告会 → 13:30〜 ふり返りビデオ鑑賞・まとめと講評)
  • 14:00ごろ 片づけ・解散

https://www.instagram.com/p/B2BcntuDd1E/

2019年9月5日(土)|🍚きょうのランチ。 #sakuraip