まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

出雲キャンプ(その後)

ポスターのその後

2018年11月24日(土)から26日(月)にかけて実施した「出雲キャンプ」でつくったポスターは、中町商店街に掲出されています。その後、ぼくたちが滞在中に過ごした「ともに」の入り口にインフォメーションボードができて、そこにポスターが貼られているとのことです。昨年末、藤田さんから写真が届きました。ありがとうございます。🙇‍♂️(本格改装がはじまるまでの、「期間限定」の掲出らしいです。)

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 【写真:藤田貴子(2018年12月15日)】

研究会シラバス(2019年度春学期)

いつも、大幅に書き換えようと思いながら、またまた“マイナーチェンジ”のままの公開となりました。🙇

事務手続きをはじめ、いろいろな段取りが必要なことは、もちろんわかっているのですが、学期中のしかもいよいよ学期末だというタイミングで(🎍しかもお正月をはさんで)、来学期のシラバスを書くのは、なかなか難しい作業です。いろいろ「仕込み」をして、それで春学期をむかえたいと思っているからです。「先読み」は大切だけど、まずは、目の前のことをちゃんとやらないと。なので、具体的なことは、(仮)(予定)(計画中)の場合もありますが、この内容(とくにスケジュール)は、逐次更新していきます。

ただ、“マイナーチェンジ”をくり返してきたおかげで、少しずつ文章もこなれてきて、それなりに読むのが面倒なくらいのボリュームになりました。ゆっくり、じっくり読んでみてください。リンクもたくさんあります。

2019年度春学期からの新規履修については、大学のオフィシャルサイトにある「研究会シラバス」を参照してください。

※ 加藤研メンバー(2019年1月1日現在):大学院(博士課程2名・修士課程2名)・学部(4年生4名・3年生6名・2年生9名) 

 

01 はじめに

ぼくたちは、絶えずコミュニケーションしながら暮らしています。そして、コミュニケーションについて考えることは、(いつ・どこで・だれが)集い、(何を・ どのように)語らうのかを考えることだと理解することができます。つまり、コミュニケーションへの関心は、必然的に「場所」や「場づくり」への関心へと向かうのです。この研究会では、人びとが集う「場所」の成り立ちや「場づくり」について、実践的な調査・研究をすすめています。主題は、 コミュニケーションという観点から「居心地のいい場所(グッド・プレイス)」について考えることです。

ことばを大切に正確につかいたい。つねにそう思いながら活動することを心がけています。たとえば「地域活性化」「まちづくり」「コミュニティ」など、 それっぽくて、その気になるようなキーワードはできるかぎり排除して、慎重にことばをえらびたいと考えています。つまり、コミュニケーションに執着するということです。「わかったつもり」で、ことばをえらばないこと。そして、相手(受け手)を考えて丁寧に語る/表現する姿勢を執拗に求めることです。

 

02 「時間割」にない授業

「研究会」の学びとはどのようなものか。いつ、どこで、誰と、どのように学ぶか。いろいろと考えるべきことがたくさんあります。ぼく自身は、大学の教員になってから、「場づくり」への関心がますます高まりました。(あたりまえのことですが、授業をするわけなので)まずは、「教室」におけるコミュニケーションのあり方を理解することが大きな課題でした。講義科目にかぎらず、「研究会」を開講してみると、なかなか思うようにいかないことがある。どんなに周到に準備や計画をすすめていても、実践の現場では、予期せぬことがたくさん起きます。つねに実験する精神を忘れずに、「研究会」のことを考えるようにしています。

これまでの経験でわかってきたのは、ぼくたちの活動には、インフォーマルなコミュニケーションが重要だという点です。たまたま居合わせた人とのコミュニケーションが、予期せぬ結果へと結びつくことがあります。「未知の隣人」との出会いが、刺激的なコミュニケーションへの第一歩なのです。こうしたアドホックな出会いは、「偶然」に任せていたら、おそらくは実現しないでしょう。あらかじめ予定を組むと、それはすでに「必然」になります。そう考えると、大学における「時間割」という仕組みがとても窮屈に思えてきます。その日の気分で教室をえらぶことはできないし、時間が来たら、否応なしにコミュニケーションを中断せざるをえないからです。インタラクティブな授業づくりの工夫はたくさんありますが、その多くは「時間割」にしばられています。

実際に、学生とのコミュニケーションについてふり返ってみると、ちょっとしたきっかけが、面白いプロジェクトに結びつくことが少なくありません。教室でのコミュニ ケーションではなく、立ち話やフィールドワークの最中だと、リラックスできるからかもしれません。フェイス・トゥ・フェイスにかぎらず、メーリングリストやSNSも、インフォーマルなコミュニケーション機会をつくるために有用です。

https://www.instagram.com/p/Bqjz0ctjFwU/

つづきまして、出雲そばです。 #izumop


誰かの呼びかけが、信頼できるかたちで伝わり、それに対して即座に応えることができるようになれば、即興的な「教室」が生まれます。〈その時・その場〉で結ばれる関係は、緊密なコミュニケーションを実現するはずです。こうしたプロジェクトの仕組みを考えることで、「研究会」のこと、さらには、(ぼくたち以外の)第三者にとっての「研究会」の役割を再考することもできるはずです。

たとえば、もうずいぶん前になりますが、「坂出フィールドワーク2」 では、学生たちはグループに分かれて、商店街でフィールドワークやインタビューをおこない、ひと晩かけて、30秒のCM映像を作成しました。フィールドは「教室」になります。まちを理解するためには、じぶんの足で地面を感じ、そこに暮らす人びとの声を聞くことからはじまります。宿の大広間は、机を並べれば「スタジオ」として使うことができます。最近のノートPCなら、動画編集は容易にできます。マシンのスペックも、学生たちのリテラシーも、ここ20年で大きく変わりました。さらに、古い民家は「シアター」になります。徹夜で完成させた映像を、地元の人びとに観てもらい、意見交換をしました。調査をおこなった現場で、場合によっては被写体となった人から、直接感想やコメントを聞くことができます。

当時は「モバイルリサーチ」という言いかたをしていましたが、それは、たんにモバイルメディアを使った社会調査/フィールド調査ではなく、調査者が旅をしながら、行く先々で即興的な「場所」をつくる試みなのです。90分ひとコマの授業で換算すれば、1泊2日のワークショップ形式で「研究会」を開講すると、少なくとも10コマ分になります。窮屈な「時間割」から脱出して学び、その「場」で生まれたアイデアは、すぐさま人びとに還す/届けることができます。

自然発生的に、そしていろいろなところでこのようなプロジェクトが動き出せば、人びととの関わりについてあたらしい理解を創造できるでしょう。アドホックな集まりが、これからのコミュニケーションのあり方を考えるためのヒントになると考えられます。

こうした問題意識のもと、2006年の秋ごろから「キャンプ」をコンセプトに、「研究会」の活動をデザインしていくことにしました。そもそも、「キャンパス」も「キャンプ」も、広場や集まりを意味する「カンプス (campus)」が語源です。大学の「時間割」によって組織化される時間・空間を再編成して、いきいきした「場」づくりを実践する。その実践こそが、活気のある「グッド・プレイス(good place)」はどのように生まれ、育まれてゆくのかを考えるヒントになるはずです。

 

03 「キャンパス」と「キャンプ」

「キャンプ」は、ぼくたちのコミュニケーションや社会関係のあり方を再認識し、再構成してゆくための「経験学習」の仕組みです。

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「キャンプ」と聞くと、多くの人は、テントを持って出かける、いわゆる「アウトドア」の「野営」活動を思い浮かべるかもしれません。本格的ではないにしても、ぼくたちの多くは、おそらく、幼い頃に何らかの「キャンプ」体験をしているはずです。たとえば、林間学校や野外学習などの一環として、仲間とともに、飯盒でごはんを炊いたり、星空を見上げたり、火を囲んで語ったりした思い出はないでしょうか。ここで言う「キャンプ」は、必ずしも、こうした「アウトドア」の活動を指しているわけではありません。

「キャンプ」は、ぼくたちに求められている「かかわる力」を学ぶ「場所」として構想されるものです。さほど、大げさな準備は必要ありません。「キャンプ」は、日常生活のなかで、ちょっとした気持ちの切り替えをすることで、ぼくたちにとって「あたりまえ」となった毎日を見直し、「世界」を再構成していくやり方を学ぶためにあります。それは、道具立てだけではなく、心のありようもふくめてデザインされるもので、思考や実践を支えるさまざまなモノ、そして参加者のふるまいが、相互に強固な関係性を結びながら、生み出される「場所」です。くわしくは、拙著『キャンプ論』(2009)を参照してください。

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さしあたり、「キャンプ」には以下のようなふるまいが求められます。

フィールドで発想する 「キャンプ」では、現場(フィールド)での直接的な体験から、〈モノ・コト〉を考えるスタイルを大切にします。もちろん、本・論文を読むこと、理論的な枠組みをしっかりとつくることも重要ですが、まずはじぶんの目で見ること・じぶんの身体で感じることを重視します。近年、「フィールドワーク」ということばが一般的に使われるようになりましたが、「フィールドワーク」には、地道に観察・記録をおこなうこと、時間をかけてデータの整理や解釈を試みることなど、知識を生成するための「技法」としてのトレーニングには(それなりの)時間とエネルギーが要求されます。まち歩きを愉しむことは重要ですが、一人前のフィールドワーカーとして、足(と頭)を動かすことが求められます。

カレンダーを意識する 忙しいことは悪いことではないと思いますが、じぶんの〈やりたいこと〉と〈やること〉とのバランスを上手く取らないと、すべてが中途半端になります。他の授業やサークル、アルバイトなど、さまざまな活動とともに研究会を「中心」に位置づけることを強く望みます。言いかえるならば、〈望ましさ〉と〈実現可能 性〉をつねに意識するということです。これはやる気、能力、チャンスなどと関連していますが、スケジュールや時間のマネジメントが重要である場合が少なくありません。中途半端にならないように、研究活動のカレンダーをきちんとデザインすることが重要です。

じぶんを記録する  フィールドワークを基本的なアプローチにする際、調査の対象となる〈モノ・コト〉への感受性ばかりでなく、テーマに取り組んでいるじぶん自身への感受性も重要です。つまり、じぶんが、いったいどのような〈立場〉で〈モノ・コト〉を見ているのか…をどれだけ意識できるかということです。また、その〈立場〉をどのように明示的に表現(=つまりは調査結果の報告)できるかが大切です。フィールドワークをおこなう際には、現場で見たこと・発見したことを書き留めるためにフィールドノートを書くのが一般的ですが、研究会の時間をふくめ、日々のじぶんを記録します。

2016年春学期から、全員が同じスケッチブックを持ち歩いて、日々の調査研究のこと、気づいたことなどを綴っています。文字だけではなく、観察、図解、概念化などさまざまな思考を整理するために、引き続きスケッチブックを活用します。(スケッチブックは開講時に配布)

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04 まちに還すコミュニケーション

すでに述べたとおり、この研究会では、とくにコミュニケーションという観点から「場」 や「場づくり」について考えます。日常生活のなかで、いきいきとした「グッド・プレイス(good place):居心地のいい場所」はどのように生まれ、育まれてゆくのか…。まずは、じぶんの足で歩くことからはじめます。五感を駆使してまちをじっくりと眺め、気になった〈モノ・コト〉をていねいに「採集」することを大切にします。それは、つまるところ、人との関係性を理解することであり、じぶん自身と向き合うことでもあります。「キャンプ」は、こうした問題意識で活動するための方法と態度を示すコンセプトです。

「場」 は、たんなる物理的な環境ではなく、人と人との相互作用が前提となって生まれます。つまり、上述のとおり、「場」は、コミュニケーションのための空間・時間の整備として、アプローチする必要があります。さらに、人びとが「状況(situation)」をどう理解するかは、個人的な問題であると同時に、社会的な関係の理解、環境との相互作用の所産として理解されるべきものです。たとえば関わる人の数によって「場」の性質は変わるはずです。単発的に生まれ、一 度限りで消失する「場」 もあれば、定期的・継続的に構成され維持されていく「場」もあります。

こうした人びとの暮らしや生活を理解するための「しかた」(つまり、調査・学習・表現に関わるさまざまな考え方・道具・実践)をデザインし、実際にフィールドに出かけて、その有用性を試すこと、意味づけをおこなうことが、この研究会の中心的な活動になります。ここ10年ほど、全国各地を巡って、人びとの暮らしやまち並みに接近する「キャンプ」の実践をすすめてきました。これまで30回ほど実施しましたが、少しずつすすめて、47都道府県の踏査を目指しています。また、高校生向けのプログラムや、中長期的な滞在、あるいは繰り返し(おなじまちを)訪問するやり方な ど、いくつかのバリエーションも生まれつつあります。

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キャンプ|2004〜2018(2018年11月28日現在)→ http://camp.yaboten.net/entry/area_index

 

2018年度春学期は、引き続き「キャンプ」という方法と態度を身につけながら、「まちに還すコミュニケーション」について考えます。

すでに触れたとおり、考えたいのは、ぼくたちの「かかわる力」です。つまりそれは、見知らぬ土地を訪れた場合でも、そこに暮らす人びとに近づく能力です。そして、たんに調査をし、データを持ち帰るだけではなく、きちんと「まちに還す」ことを考えてみたいと思います。ぼくたちは、結局のところは「よそ者」として 地域に入り、短い滞在で出て行くことになります。それでも、騒いでゴミを置き去りにするだけの「よそ者」ではなく、「調査されるという迷惑」に自覚的でありたいと思います。何かを残し(還し)、少しでも余分にゴミを拾ってから帰路につくような「キャンパー」を目指したいのです。

「まちに還すコミュニケーション」については、『キャンプ論』(2009)の「副読本」という位置づけで小冊子をつくりました。下記よりダウンロードして、じっくり読んでみてください(iPadのスクリーンサイズのPDFなので、iPadで読むと快適かもしれません)。冊子も多少の余部があるので、キャンパスで声をかけてもらえれば、渡すことができるでしょう。

 

05 観察者から関与者へ

ここで、最近の具体的な活動として「出雲キャンプ」を紹介しておきましょう。「出雲キャンプ」 は、2018年11月24日(土)~26日(月)にかけて出雲市(島根県)で実施したプロジェクトです。学生たちは2名のグループに分かれて、中町商店街のに人びとを取材しました。このビデオは、現地にいるあいだに撮影と編集を済ませ、「キャンプ」のプログラムのなかで上映・鑑賞したものです。

◉撮影・編集:太田 風美・津田ひかる

キャンプの最後に、みんなでこのビデオを観て、3日間をふり返りました。

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このように、訪れた先々で、[まちを歩く]→[人と出会う・語らう]→[仲間と語る・考える]→[つくる]→[見せる・還す]というプロセスを経ながら、人びととのコミュニケーションのあり方(そして、その「集まり」の構造)を体験的に学びます。あたえられた状況を理解し、かぎられた時間内にみずからの知恵や経験を動員して、課題に向き合います。この一連のプロセスを「キャンプ」と呼んで、概念的に整理しています。

「キャンプ」で実践的に考えてみたいのは、たんなるフィールド調査の方法ではありません。従来からある「問題解決」(ビジネスモデル的発想)を志向したモデルではなく、「関係変革」 (ボランティアモデル的関わり)を際立たせた、あたらしいアプローチを模索しています。より緩やかで、自律性を高めたかたちで人びとと向き合い、その「生きざま」 を描き出すことを目指します。つまるところ、ぼくたちは「調査者」という、特権的に位置づけられてきた立場をみずから放棄し、人びとの日常と「ともに居る」立場へと向かうことになります。その動きこそが、変革のためのよき源泉になると考えているからです。

 

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何が起きるかわからない…。ぼくたちは、変化に満ちた時代に暮らしています。たとえば、じぶんの身近な生活空間について考えてみると、まちや地域をめぐる暗い話題は絶えません。実際に、「シャッター通り」と呼ばれるような商店街は、閑散としていて、寂しい気分になります。何らかの方策を求める声が聞こえてくるのも確かです。しかしながら、ここ15年ほど、学生たちとともに全国各地を巡っていて、あらためて気づいたのは、そのような不安(あるいは不満)、問題に向き合いながらも、明るくてエネルギッシュな人びとが、確実にいるということです。そこに、「何があっても、どうにかなる」という、人びとの強さを感じ ます。また、諸々の問題を抱えながらも、ぼくたちを笑顔で迎えてくれる優しさにも出会います。それが、リアルです。

この圧倒的なパワーを持って、ぼくたちの目の前に現れるリアリティに、どう応えるか。それはまさにコミュニケーションに関わる課題であり、ぼくたちが「場のチカラ プロジェクト」 として考えてゆくべきテーマです。お決まりの調査研究のスキームに即して、「報告書」を書いているだけでは、ダメなのです。つぶさな観察と、厳密な記録、 さらには人びととの関わりをもふくめたかたちで、学問という実践をデザインすることに意味があるのです。

 

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出雲キャンプで制作したポスター http://camp.yaboten.net/entry/2018/11/26/141120

 

ぼくたちの活動は、いわゆる「まちづくり」「地域づくり」「地域活性」といったテーマと無縁ではありません。でも、いわゆる「処方箋」づくりにはさほど関心がありません。 そもそも「処方箋」などつくれるのだろうか、と問いかけることのほうが重要だと考えます。「ふつうの人びと」の暮らしにできるかぎり接近し、その強さと優しさに光を当てて可視化するのです。そこまで行ければ、じゅうぶんです。あとは、人びとがみ ずからの暮らしを再定義し、そこから何かがはじまるはずです。「キャンプ」は、このような人間観に根ざした学問をつくる試みとして位置づけることができます。

 

06 これを読んでください。

◎まずは、下記(近著)を読んでみてください。コミュニケーションやメディアについてどう考えているか、「キャンプ」や「場づくり」の実践、理論的・方法論的な関心、具体的な事例などについて知ることができます。

  • 加藤文俊(2018)『ワークショップをとらえなおす』ひつじ書房
  • 加藤文俊(2017)「ラボラトリー」とデザイン:問題解決から仮説生成へ『SFC Journal』第17巻第1号 特集:Design X*X Design: 未知の分野における新たなデザインの理論・方法の提案とその実践(pp. 110-130)
  • 加藤文俊(2016)『会議のマネジメント:周到な準備、即興的な判断』中公新書
  • 加藤文俊(2016)フィールドとの「別れ」(コラム) - 工藤保則 ・寺岡伸悟 ・宮垣元(編著)『質的調査の方法〔第2版〕』(pp. 156-157)法律文化社
  • 加藤文俊(2015)フィールドワークの成果をまちに還す - 伊藤香織・紫牟田伸子(監修)『シビックプライド2 国内編』第1部(p. 77-84)宣伝会議
  • 加藤文俊(2015)『おべんとうと日本人』草思社
  • 加藤文俊・木村健世・木村亜維子(2014)『つながるカレー:コミュニケーションを「味わう」場所をつくる』フィルムアート社
  • 加藤文俊(2013)「ふつうの人」のデザイン - 山中俊治・脇田玲・田中浩也(編著)『x-DESIGN:未来をプロトタイピングするために』(pp. 157-180)慶應義塾大学出版会
  • 加藤文俊(2009)『キャンプ論:あたらしいフィールドワーク』慶應義塾大学出版会

◎2016年5月に刊行した、加藤研のウェブマガジンです。毎月1回、メンバーが分担して記事を書いています。テーマの方向性や雰囲気がわかるはずです。定期的に記事を書くことで、一人ひとりの筆力の向上を目指します。

 ◎「キャンプ」というアプローチは、当然のことながら「滞在型学習」と密接に関わっています。現在、「キャンパス」で進行している「SBC」のプロジェクトには、おもに基本的な考え方やプログラムづくりという観点で関わってきました。「生活のある大学」というテーマでアイデアを整理しつつあります(まだ、まとまりのない文章ですが)。

◎ぼくたちは「フィールドワーク」と呼ばれる方法や態度を大切にしています。「フィールドワーク法」という講義も担当していますが、以下の文章を読むと、その基本的な考え方がわかるはずです。参考までに。

  • 加藤文俊(2014)まちの変化に「気づく力」を育むきっかけづくり(特集・フィールドワーカーになる)『東京人』5月号(no. 339, pp. 58-63)都市出版
  • 加藤文俊(2014) ツールを考えるということ(特集・フィールドワークとツール)『建築雑誌』12月号(Vol. 129, No. 1665, pp. 32-35)日本建築学会

◎それから、こんなのもあります。

  • 「瞬間」をつくる[AXIS jiku 連載コラム「x-DESIGN/未来をプロトタイピングするために」Vol. 4 加藤文俊×藤田修平(2013年6月)] [http://goo.gl/xSfKx]
  • まちを巡り、人びとの暮らしに近づく。 地域の魅力を照らす、フィールドワークという方法と態度。[SFCオフィシャルサイト:SFCの革命者(2011年7月)] [http://www.sfc.keio.ac.jp/vanguard/20110726.html]
  • 人の暮らしに飽くなき興味を[大学院XDプログラムオフィシャルサイト:XD教員インタビュー(2012年3月)] [http://xd.sfc.keio.ac.jp/features/2012/interview-kato/]

 

2019年春学期の活動

キャンプ:全員(学部生+大学院生) 2019年度春学期は、「キャンプ」を2回実施する計画です(詳細未定)。

卒業プロジェクト:7-8セメスター(個人) 4年生は、それぞれのテーマで「卒プロ1」「卒プロ2」に取り組みます。

フィールドワーク:1-6セメスター(グループ) グループに分かれてフィールドワークに取り組みます。2019年度春学期テーマは「暮らしの余白(仮)」です。詳細は開講時に説明します。

▼個人研究:6セメスター(個人) 「卒プロ」のメンター申請に向けて、個人でプロジェクトの準備をおこない、1年間(7-8セメスター)の具体的な計画を立てます。(▼上記のグループワークと同時進行が望ましいと考えていますが、相談しながら決めたいと思います。)

[参考]これまでにおこなわれたグループワークのテーマと成果のまとめサイト

 

スケジュール(暫定版)

2019年

  • 4月20日(土):エクスカーション(春の遠足)(予定)
  • 5月24日(金)~26日(日):キャンプ(予定)
  • 6月21日(金)〜23日(日):キャンプ(予定)
  • 9月中旬(夏季休校期間実施):特別研究プロジェクト(計画中)

スコールの晩に考えた。

「学会」という集まり

12月14日(金)〜16日(日)にかけて開催されたPacific Rim Community Design Networkという会議に参加するため、シンガポールに出かけた。*1 今学期、とくに後半はかなりタイトなスケジュールになってしまった。大学で講義とミーティング(オリエンテーション)に参加し、その足で羽田に向かって夜の便に乗るというパターン。じつは、いままでそういう動きをしたことがなかった(荷物と一緒に動くのは面倒だし、そもそも慌ただしくて疲れる)。首都大の饗庭さんと同じ飛行機に乗り合わせて、あとから聞いたら、饗庭さんも同じように授業を終えてからの出発だったとのこと。翌朝の6時過ぎに、シンガポールに到着。

会場となったシンガポール国立大学(National Univerisity of Singapore)は、数年前に仕事で訪れたことがあるが、じつに広大なキャンパスだ。空港から直接大学に向かい、紅茶をすすりながら、受付が開始されるのを待った。東京はようやく冬らしくなってきたが、やはりシンガポールはずいぶんちがう。朝陽を浴びているだけで、暑い日になることがわかった。

会場で、亜維子さん、木下さん、黒石さんに会った。参加者リストを見ると、他にも日本人の名前がたくさんある。受付を済ませると、ほどなく全体セッション(プレナリー)がはじまった。キーノートやパネルディスカッションは、この集まりについての議論が中心で、ほぼ隔年で開催されているこの会議は、今年で20年という節目を迎えたとのこと。Pacific Rim Community Design Networkの成り立ち(そしてこれまでの活動)について、紹介があった。20周年という特別な機会に、Great Asian Streets Symposium (GASS) と、Structures of Inclusionという二つの集まりと相乗りしつつ開催されている(という理解で正しいはず)。そのせいもあってか、プログラムは盛りだくさん。ぼくも発表したが(くわしくは後ほど)、7つの部屋でパラレルセッション。そして発表10分+質疑10分という、ちょっと窮屈な構成だった。(5月にウチのキャンパスで開催した「日本生活学会」の研究発表大会は、発表20分+質疑10分。その贅沢さにあらためて感謝した。)

https://www.instagram.com/p/BrWL3YhjcgD/

金曜日の朝は、デッキで。 

疲れてはいたものの、せっかくなので、なるべくたくさんの発表を聞くことにした。やはり、“ネットワーク”という名前を冠した集まりなので、文字どおり、世界じゅうで展開しているさまざまな事例を知り、つながりをつくることを大切にしているのだろう。そう考えれば(そういう生い立ちで続いているのだから)、発表時間の短さもわかる。むしろ、コーヒーブレイクやランチ、レセプションやディナー、エクスカーションというように、参加者とともに語らい、ともにまちに出るという時間が充実しているのは当然のことだろう。いわゆる「学会」というよりは、お互いの近況や活動の進捗を確かめ合う、隔年で開かれる「社交の場」なのだ。
そもそも「学会」には、その役割がある。職場を、研究領域を、さらには国境を越えて、いろいろな人に出会えるのが楽しい。それが、じぶんの思考や行動につながる。それは、よくわかる。すでに「お友だち」になっているどうしの面々が集まっていて、なかにはひさしぶりの再会もあって、旧交をあたためている光景は悪くない。でも、初めて参加したこともあって、ちょっと居場所がないような、落ち着かない気分にもなった。「新参者」には、肩身が狭い。

全体セッションでも説明があったが、20年前、想いを同じくする面々(もともとは、UC Berkeleyのグループ)が集まって問題意識を共有し、それぞれの考えや方法について議論したのがはじまりだという。かつての写真を見ると、15〜20名程度。大きなテーブルを、参加者全員で囲むことのできるくらいの規模だった。その集まりが、あらたなメンバーを加えながら、20年かけて成長した。すでに述べたとおり、いくつものパラレルセッションを設けなければ、プログラムが成り立たないほどの規模まで広がったということだ。
この会議にかぎらず、いくつかの「学会」に参加して感じるのは、ぼくたちの集まりは時間とともに成長し、その性格も少しずつ変化してゆくということだ(もちろん、ぼくたちも、その分だけ歳をとる)。たとえば設立当時からのメンバーは、20年間、お互いの成長を見ながら今回の会議を迎えている。感傷的になるのは、もちろんかまわないし、当時、まだ学位を取ったばかりだった若き研究者たちは、20年間を経て、いまではこの分野の「大御所」になり「重鎮」になっている。それは、分野を拓いた人の功績だ。だが、ここまで広がってきたときにこそ、もう一度ふり返ることが重要なのだろう。「昔はよかった」「もともとはこうだったはず」という回想を大切にしながらも、あたらしい知が立ち上がる現場に居合わせるとき、ぼくたちは興奮をおぼえるのだ。
まぁ同じことは、ウチのキャンパスにもいえる。先人たちに大いに敬意を表しながらも、「昔はこうだった」という、懐古的な空気に流されないように、つねに前を向かないと。

参考までに、当日のプレゼンテーション(via SlideShare)はここ。*2

◎Kato, F. and Eguchi, A. (2018) The looseness of significant ties: On reclaiming our "common" places. Presented at Pacific Rim Community Design Network, December, National University of Singapore.
* じつはこれ、「ORF2018」のピッチ(P10-5)で話した内容の英語版という感じ。

 
〈共〉の場所をとらえなおす

カレーキャラバンは、もともとはアートプロジェクト(墨東大学, 2010-2011)のなかから生まれた。とても趣味性の高い活動だし、ぼく自身は、できるかぎり大学教員という肩書きを使わずに7年近く続けてきた。肩書きのみならず、「フィールドワーク」や「コミュニティ」などということばを使わないことが、人との出会い方、その後の関係の育み方にも、少なからず影響をおよぼす。あくまでも愉しさを優先して、旅をしながら人と出会い、みんなでつくって、みんなで食べることに集中するのがいいと考えている。幸いにも活動は途絶えることがなく、これまでに78回の実践を重ねたので、そろそろ整理してみようと考えてはじめている。調査研究という文脈に位置づけようとすると、どうしても「後付け」になってしまうが、そもそも現場は、研究者の頭のなかにある概念や仮説などはおかまいなしに、いつでも動いている。だから、実践の積み重ねのなかから、ことばを探していくほうが、じつは自然なのだと思う。
カレーキャラバンは、かつて、ぼくたちの身の回りにあった(はずの)〈共〉の場所(誰のものでなくて、誰のものでもある)を、即興的・一時的に取り戻す活動だと言える。いまの段階では、恩田さんの図式(下図)を使いながら説明しすることが多い。*3 恩田さんは、現代社会では、〈公〉あるいは〈私〉と呼ぶべき場所だけになり、もはや〈共〉は消失したのだと問いかける。ぼくたちは、〈公〉と〈私〉の境界(あるいは「際, きわ」)に大きな鍋を据えてカレーをつくる。出来上がってみんなで食べるとき、それがわずか2時間程度であったとしても、境界が曖昧になって、〈共〉らしさをもった場所が生まれるというストーリーだ。今回の会議でも、〈共〉をつくりだす「方法」として、ぼくたちの場づくりの実践を紹介した。

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【共独自の領域の消失(現代社会)|恩田守雄(2006)『互助社会論』(世界思想社)を元に作成】


できるだけサボらずにセッションに出て、いろいろな発表を聞いた。すでに触れたとおり、全体のプログラムは、ちょっと詰め込み過ぎだった印象が強い。個人的には、居場所のなさも感じていた。でも、2日目の岡部さんのキーノートスピーチは抜群に面白かった。いま簡単に紹介したような、ぼくたちがカレーキャラバンについて語ろうという試みと、岡部さんの話した内容は、問題意識が重複していた。大いに共感できる論点だった。
ぼくも、どこかでしゃべったことがあるが、「パブリック(public)」は、日本語だと〈公共〉になる。公共部門、公共サービス、公共空間などなど、日常的に流通していることばを挙げても、〈公〉と〈共〉がセットになって語られることが少なくない。これは日本語(翻訳)の問題ではあるが、「パブリック」が日本語になったとたんに〈共〉をふくんでしまうということは、きちんと考えておく必要がある。〈共〉が、「私たち」(渡辺さん的には「自分たち事」だろうか)の領分であるとするならば、たとえ〈公〉や〈私〉との境界が曖昧であったとしても、その〈あいだ〉の特質について理解する態度は求められるだろう。岡部さんは、ぼくたちが〈公〉〈共〉〈私〉ではなく、〈公共〉〈私〉という理解に陥りがちなことに触れた。

もう一つ、岡部さんの話で気にとめておくべきなのは、さまざまな〈公共〉的な活動の主体は誰かという問いだ。近年、「コミュニティ(コミュニティデザイン)」「ソーシャル(ソーシャルグッド)」といったことばが流通しているが、その主たる使い手は誰なのか。ぼく自身も、「コミュニティ」や「ソーシャル」といったことばはできるだけ慎重に使いたいと考えている。実際、シラバスには「それっぽくて、その気になるようなキーワードはできるかぎり排除して、慎重にことばをえらびたい」という一節を添えている。岡部さんは、こうした「コミュニティ」や「ソーシャル」といったことばを掲げた活動が、最近では広告代理店やコンサルティング企業によって手がけられていることを指摘し、それは(〈公〉でも〈共〉でもない)〈私〉の領分で扱われているのではないかと問いかける。つまり、「それっぽくて、その気になるようなキーワード」を使いながらも、〈私〉的な価値観によって活動が成り立っているとすれば、それは知らず知らずのうちに〈共〉の領分を駆逐してしまうかもしれないという問題提起だ。

こうした論点を際立たせるために、〈公共〉(public)と〈私〉(private)の区別について語るところからはじまったのだと思う。セッションの時間はかぎられていて、しかも遅れ気味で進行していた。いよいよ、面白い議論が展開するというタイミングで、フロアから、一連の問題提起はたんなる「ことば遊び(言語ゲーム)」にすぎないというコメントがあった。それで、会場の空気が変わってしまった。パブリックということばに対する批評だと受け取られてしまったのだろうか。その後は、つぎの予定に追われるようにそそくさと議論がすすみ、なんとなく精神論のような話で終わってしまった(ように聞こえた)。すでに触れてきたとおり、ややハイコンテクストな集まりだったので、ぼく自身が正しく理解しているかどうかは、わからない。

でも確実にわかったのは、(自戒を込めて)日本人の研究者は、もっと自在に英語を操れるようならなければ困るということだ。言語がすべてではないが、20年前に巻き戻されてしまうようなことは、避けなければならないだろう。というより、現場の躍動をきちんとことばにして、世に問いかけてこそ、この集まりの価値があるように思えた。概念的・理論的な整理はやや粗くても、現場での実践に裏打ちされた態度を表明すること(精神論ではなく)、それが、ネットワーク(ネットワーキング)としての場づくりなはずだ。

https://www.instagram.com/p/BraKhC6HLuX/

Little lndia

かくして2日目が終わった。プレゼンテーションのほうは、滞りなく、というか、「無風状態」に近かった。亜維子さん、饗庭さん、内田さんとともにリトルインディアに向かい、カレーやビリヤニを食べてビールを飲んで、軽い打ち上げ。
あれこれ話をしていたが、岡部さんのセッションのことが、ぼくの頭から離れなかった。「ことば遊び(言語ゲーム)」だというコメントは、やはりちがうと思った(というより、あの水を差すようなコメントをとおして、何をしたかったのかがわからずにいた)。一連のタイトなスケジュールのせいで眠気におそわれていたり、初めての参加だったから居場所がなかったという言い訳がましい発想をしたり。じぶんの不甲斐なさが、悔しかった。もっと勉強して、英語力も鍛えて、不埒なコメントをスマートに論破しなければダメだと思った。ひと仕事終えて、すっきりすると思っていたが、そうならずにいた。

来るときタクシーで追い越したはずの雨雲が、少しずつ近づいているようだった。しばらくして、ぼくの浮かない気分を丸ごと洗い流すほどの、激しい雨。いま、シンガポールが雨季だということを忘れていた。⛈

おまけ

翌日にそなえて、飛行機ではよく休んでおいたほうがいい。夜の便(翌日の早朝着)なら、なおさらだ。…と思いつつ、貧乏性というか、この時こそと思って、行きも帰りも深夜に映画を観た。行きは『EDIE』(美しかった)、帰りは『Searching』(観ようと思いつつ、まだだった)。

*1: http://gass-prcdnet-sfi2018.org/ 

*2:プレゼンテーション資料に埋め込まれている動画の撮影・編集は、矢澤咲子によるもの。

*3:これまでにも、少し「理屈」をまとめる機会はあった。カレーキャラバンをすすめながら考えたこと・気づいたことは「ゆるさ」をキーワードにまとめている。詳細はここから。→ 「ゆるさ」があれば カテゴリーの記事一覧 - クローブ犬は考える

exploring the power of place - 028

【本日発行】️🎄いよいよ、カウントダウン。ちょっとひと息して、加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” 第28号(2018年12月20日号)をどうぞ。「渋谷」をテーマにした『渋谷の断想(3)』をお届けします。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/028

◎ 第28号(2018年12月20日号):渋谷の断想(3)
  • あ、また。(小梶 直)
  • 渋谷の現実と偏見(小島 信一郎)
  • 渋谷はだれのもの(津田 ひかる)
  • 最後の日(加藤 文俊)
  • ここは昔(森部 綾子)
  • 早朝の渋谷(染谷 めい)
  • 離れて近づく(高島 秀二郎)
  • 渋谷がもたらしてくれるもの(久慈 麻友)
  • 臭う渋谷(牧野 岳)

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出雲キャンプ(ドキュメント)

ビデオでふり返る

2018年11月24日(土)から26日(月)の成果報告会までを記録した、ダイジェストビデオです。このビデオは、現地にいるあいだに撮影と編集を済ませ、「キャンプ」のプログラムのなかで上映・鑑賞する「リアルタイム・ドキュメンテーション」の試みです。26日の成果報告会のなかで上映しました。

◉撮影・編集:太田 風美・津田 ひかる

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2018年11月26日(月)ビデオ上映のようす