まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

exploring the power of place - 023

【本日発行】️🍉暑い日がつづいていて、早くも夏バテ気味です。先日、「研究会(ゼミ)」のほうは、無事に今学期の最終回をむかえました。あともうひと息、成果をまとめる作業が残っています。涼しい部屋で、加藤研のウェブマガジン “exploring the power of place” をどうぞ。
今回(2018年7月20日号)のお題は「ゆらゆら」です。→ https://medium.com/exploring-the-power-of-place/tagged/023

◎ 第23号(2018年7月20日号):ゆらゆら
  • 行きたい場所(小島信一郎)
  • 交差点にて(塙佳憲)
  • ゆるりゆらり(松室雄大)
  • 少なくとも、わたしは。(小梶直)
  • 一瞬という時間(比留川路乃)
  • またな(和田悠佑)
  • 大学4年生の葛藤(吉澤茉里奈)
  • いずれ来る日(加藤文俊)
  • ゆれうごく自分(保浦眞莉子)
  • 「ちがい」(大橋香奈)

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桜丘町フィールドワーク

2018年夏季休校期間中実施「特別研究プロジェクトB」

特別研究プロジェクトB
コミュニティリサーチのデザインと実践(2018)

再開発の波が押し寄せてくる前に、桜丘町(東京都渋谷区)を歩いておくことにしました。外周およそ1.6㎞、「…丁目」の設定がない町です。短期集中型のプロジェクトですが、短期集中的に界隈のいろいろな店にも行ってみようと思います。

本研究プロジェクト(特別研究プロジェクトB)は、地域コミュニティの調査方法のデザインおよび実践について、フィールドワークやワークショップをとおして学ぶものです。具体的には桜丘町(東京都渋谷区)を対象地とするフィールドワークをおこない、まちを定性的に理解するための方法や態度について学びます。
まず桜丘町エリアを概観し、個人によるフィールドワークをもとにいくつかのテーマを抽出し、グループによる調査をデザイン・実施する予定です。8月9日(4日目)までに収集したデータは、各自が整理・編集し、9月21日(5日目)までに成果物をまとめます。

本プロジェクトでは、フィールドワークを活動の中心に据えていますが、全体の学習プログラムは「モバイル・メソッド(http://mobile-methods.net/)」(大学院プロジェクト科目)との接続を意識しながら設計を試みています。たとえば、Büscher、Urry、Witchgerら(2011)が提案する「モバイル・メソッド」の視座や「ロケーティブ・メディア(locative media)」研究(たとえばWilken & Goggin, 2014)の動向をふまえて、人、モノ、情報、アイデア等の「移動」に関わる調査・研究と、デザインリサーチやソーシャルファブリケーション領域との関連づけるものです。
参加条件・その他については大学のオフィシャルサイトにある「特別研究PJ」のページ(https://vu.sfc.keio.ac.jp/sp_project/index.cgi?mode=2)を参照。

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受入予定人数 10名程度

履修条件 原則としてこれまでに加藤が担当する「研究会」で1学期以上活動していること(2018年度秋学期から新規履修希望/予定の学生については要相談)

 

スケジュール(暫定版)

8月5日(日)渋谷(桜丘町)

  • 14:00〜16:00 イントロダクション:フィールドワークの方法と態度、プロジェクトの構成・スケジュールの確認
  • 16:00〜18:00 フィールドワーク(1):全員で歩く(スケールの共有・フィールドへのエントリー

8月6日(月)渋谷(桜丘町)

  • 10:00-12:00 フィールドワーク(2):一人で歩く(テーマの発見)、考現学的フィールドワークと風俗採集
  • 13:00-15:30 レビュー:フィールドワークのレビュー、テーマの抽出・グループ分け、ディスカッション

8月7日(火)渋谷(桜丘町)

  • 10:00-12:00 フィールドワーク(3):グループで歩く
  • 13:00-15:30 レビュー:フィールドワークのレビュー、ディスカッション

8月9日(木)SFC

  • 10:00-12:00 データの整理:フィールドワークで収集したデータの整理・マッピング、資料検索・ブックマークの作成
  • 13:00-16:00 まとめ(中間):4日間のふり返り、9月までの課題整理(作業分担など)

9月21日(金)SFC

  • 10:00-12:00 成果の公開:作業の進捗報告、調査のデザイン、成果の公開
  • 13:00-16:00 まとめ:「的な桜丘」に向けて、まとめと講評

 
 

研究会シラバス(2018年度秋学期)

いつも、大幅に書き換えようと思いながら、また“マイナーチェンジ”のままの公開となりました。🙇

事務手続きをはじめ、いろいろな段取りが必要なことは、もちろんわかっているのですが、学期中のしかもいよいよ学期末だというタイミングで、来学期のシラバスを書くのは、なかなか難しい作業です。今学期の活動をとおして気づいたことなどをふり返って、夏休み中にいろいろ「仕込み」をして、それで秋学期をむかえたいと思っているからです。「先読み」は大切だけど、まずは、目の前のことをちゃんとやらないと。なので、具体的なことは、(仮)(予定)(計画中)の場合もありますが、この内容(とくにスケジュール)は、逐次更新していきます。

ただ、“マイナーチェンジ”をくり返してきたおかげで、少しずつ文章もこなれてきて、それなりに読むのが面倒なくらいのボリュームになりました。ゆっくり、じっくり読んでみてください。リンクもたくさんあります。

2018年度秋学期からの新規履修については、大学のオフィシャルサイトにある「研究会シラバス」を参照してください。→ https://vu.sfc.keio.ac.jp/course2014/seminar/list_all.cgi

※ 加藤研メンバー(2018年7月1日現在):大学院(博士課程3名・修士課程2名)・学部(4年生6名・3年生6名・2年生7名) 

 

01 はじめに

ぼくたちは、絶えずコミュニケーションしながら暮らしています。そして、コミュニケーションについて考えることは、(いつ・どこで・だれが)集い、(何を・ どのように)語らうのかを考えることだと理解することができます。つまり、コミュニケーションへの関心は、必然的に「場所」や「場づくり」への関心へと向かうのです。この研究会では、人びとが集う「場所」の成り立ちや「場づくり」について、実践的な調査・研究をすすめています。主題は、 コミュニケーションという観点から「居心地のいい場所(グッド・プレイス)」について考えることです。

ことばを大切に正確につかいたい。つねにそう思いながら活動することを心がけています。たとえば「地域活性化」「まちづくり」「コミュニティ」など、 それっぽくて、その気になるようなキーワードはできるかぎり排除して、慎重にことばをえらびたいと考えています。つまり、コミュニケーションに執着するということです。「わかったつもり」で、ことばをえらばないこと。そして、相手(受け手)を考えて丁寧に語る/表現する姿勢を執拗に求めることです。

 

02 「時間割」にない授業

「研究会」の学びとはどのようなものか。いつ、どこで、誰と、どのように学ぶか。いろいろと考えるべきことがたくさんあります。ぼく自身は、大学の教員になってから、「場づくり」への関心がますます高まりました。(あたりまえのことですが、授業をするわけなので)まずは、「教室」におけるコミュニケーションのあり方を理解することが大きな課題でした。講義科目にかぎらず、「研究会」を開講してみると、なかなか思うようにいかないことがある。どんなに周到に準備や計画をすすめていても、実践の現場では、予期せぬことがたくさん起きます。つねに実験する精神を忘れずに、「研究会」のことを考えるようにしています。

これまでの経験でわかってきたのは、ぼくたちの活動には、インフォーマルなコミュニケーションが重要だという点です。たまたま居合わせた人とのコミュニケーションが、予期せぬ結果へと結びつくことがあります。「未知の隣人」との出会いが、刺激的なコミュニケーションへの第一歩なのです。こうしたアドホックな出会いは、「偶然」に任せていたら、おそらくは実現しないでしょう。あらかじめ予定を組むと、それはすでに「必然」になります。そう考えると、大学における「時間割」という仕組みがとても窮屈に思えてきます。その日の気分で教室をえらぶことはできないし、時間が来たら、否応なしにコミュニケーションを中断せざるをえないからです。インタラクティブな授業づくりの工夫はたくさんありますが、その多くは「時間割」にしばられています。

実際に、学生とのコミュニケーションについてふり返ってみると、ちょっとしたきっかけが、面白いプロジェクトに結びつくことが少なくありません。教室でのコミュニ ケーションではなく、立ち話やフィールドワークの最中だと、リラックスできるからかもしれません。フェイス・トゥ・フェイスにかぎらず、メーリングリストやSNSも、インフォーマルなコミュニケーション機会をつくるために有用です。

https://www.instagram.com/p/BkUdebZFoUt/

きょうの加藤研。夕飯の支度。 #gojomep


誰かの呼びかけが、信頼できるかたちで伝わり、それに対して即座に応えることができるようになれば、即興的な「教室」が生まれます。〈その時・その場〉で結ばれる関係は、緊密なコミュニケーションを実現するはずです。こうしたプロジェクトの仕組みを考えることで、「研究会」のこと、さらには、(ぼくたち以外の)第三者にとっての「研究会」の役割を再考することもできるはずです。

たとえば、もうずいぶん前になりますが、「坂出フィールドワーク2」 では、学生たちはグループに分かれて、商店街でフィールドワークやインタビューをおこない、ひと晩かけて、30秒のCM映像を作成しました。フィールドは「教室」になります。まちを理解するためには、じぶんの足で地面を感じ、そこに暮らす人びとの声を聞くことからはじまります。宿の大広間は、机を並べれば「スタジオ」として使うことができます。最近のノートPCなら、動画編集は容易にできます。マシンのスペックも、学生たちのリテラシーも、ここ20年で大きく変わりました。さらに、古い民家は「シアター」になります。徹夜で完成させた映像を、地元の人びとに観てもらい、意見交換をしました。調査をおこなった現場で、場合によっては被写体となった人から、直接感想やコメントを聞くことができます。

当時は「モバイルリサーチ」という言いかたをしていましたが、それは、たんにモバイルメディアを使った社会調査/フィールド調査ではなく、調査者が旅をしながら、行く先々で即興的な「場所」をつくる試みなのです。90分ひとコマの授業で換算すれば、1泊2日のワークショップ形式で「研究会」を開講すると、少なくとも10コマ分になります。窮屈な「時間割」から脱出して学び、その「場」で生まれたアイデアは、すぐさま人びとに還す/届けることができます。

https://www.instagram.com/p/BkUopCvloqF/

きょうの加藤研。だまこ鍋を食べる。 #gojomep


自然発生的に、そしていろいろなところでこのようなプロジェクトが動き出せば、人びととの関わりについてあたらしい理解を創造できるでしょう。アドホックな集まりが、これからのコミュニケーションのあり方を考えるためのヒントになると考えられます。

こうした問題意識のもと、2006年の秋ごろから「キャンプ」をコンセプトに、「研究会」の活動をデザインしていくことにしました。そもそも、「キャンパス」も「キャンプ」も、広場や集まりを意味する「カンプス (campus)」が語源です。大学の「時間割」によって組織化される時間・空間を再編成して、いきいきした「場」づくりを実践する。その実践こそが、活気のある「グッド・プレイス(good place)」はどのように生まれ、育まれてゆくのかを考えるヒントになるはずです。

 

03 「キャンパス」と「キャンプ」

「キャンプ」は、ぼくたちのコミュニケーションや社会関係のあり方を再認識し、再構成してゆくための「経験学習」の仕組みです。

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「キャンプ」と聞くと、多くの人は、テントを持って出かける、いわゆる「アウトドア」の「野営」活動を思い浮かべるかもしれません。本格的ではないにしても、ぼくたちの多くは、おそらく、幼い頃に何らかの「キャンプ」体験をしているはずです。たとえば、林間学校や野外学習などの一環として、仲間とともに、飯盒でごはんを炊いたり、星空を見上げたり、火を囲んで語ったりした思い出はないでしょうか。ここで言う「キャンプ」は、必ずしも、こうした「アウトドア」の活動を指しているわけではありません。

「キャンプ」は、ぼくたちに求められている「かかわる力」を学ぶ「場所」として構想されるものです。さほど、大げさな準備は必要ありません。「キャンプ」は、日常生活のなかで、ちょっとした気持ちの切り替えをすることで、ぼくたちにとって「あたりまえ」となった毎日を見直し、「世界」を再構成していくやり方を学ぶためにあります。それは、道具立てだけではなく、心のありようもふくめてデザインされるもので、思考や実践を支えるさまざまなモノ、そして参加者のふるまいが、相互に強固な関係性を結びながら、生み出される「場所」です。くわしくは、拙著『キャンプ論』(2009)を参照してください。

 

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https://www.instagram.com/p/BkZMo8_F7dJ/

成果報告会です。 #gojomep


さしあたり、「キャンプ」には以下のようなふるまいが求められます。

フィールドで発想する 「キャンプ」では、現場(フィールド)での直接的な体験から、〈モノ・コト〉を考えるスタイルを大切にします。もちろん、本・論文を読むこと、理論的な枠組みをしっかりとつくることも重要ですが、まずはじぶんの目で見ること・じぶんの身体で感じることを重視します。近年、「フィールドワーク」ということばが一般的に使われるようになりましたが、「フィールドワーク」には、地道に観察・記録をおこなうこと、時間をかけてデータの整理や解釈を試みることなど、知識を生成するための「技法」としてのトレーニングには(それなりの)時間とエネルギーが要求されます。まち歩きを愉しむことは重要ですが、一人前のフィールドワーカーとして、足(と頭)を動かすことが求められます。

カレンダーを意識する 忙しいことは悪いことではないと思いますが、じぶんの〈やりたいこと〉と〈やること〉とのバランスを上手く取らないと、すべてが中途半端になります。他の授業やサークル、アルバイトなど、さまざまな活動とともに研究会を「中心」に位置づけることを強く望みます。言いかえるならば、〈望ましさ〉と〈実現可能 性〉をつねに意識するということです。これはやる気、能力、チャンスなどと関連していますが、スケジュールや時間のマネジメントが重要である場合が少なくありません。中途半端にならないように、研究活動のカレンダーをきちんとデザインすることが重要です。

じぶんを記録する  フィールドワークを基本的なアプローチにする際、調査の対象となる〈モノ・コト〉への感受性ばかりでなく、テーマに取り組んでいるじぶん自身への感受性も重要です。つまり、じぶんが、いったいどのような〈立場〉で〈モノ・コト〉を見ているのか…をどれだけ意識できるかということです。また、その〈立場〉をどのように明示的に表現(=つまりは調査結果の報告)できるかが大切です。フィールドワークをおこなう際には、現場で見たこと・発見したことを書き留めるためにフィールドノートを書くのが一般的ですが、研究会の時間をふくめ、日々のじぶんを記録します。

2016年春学期から、全員が同じスケッチブックを持ち歩いて、日々の調査研究のこと、気づいたことなどを綴っています。文字だけではなく、観察、図解、概念化などさまざまな思考を整理するために、引き続きスケッチブックを活用します。(スケッチブックは開講時に配布)

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04 まちに還すコミュニケーション

すでに述べたとおり、この研究会では、とくにコミュニケーションという観点から「場」 や「場づくり」について考えます。日常生活のなかで、いきいきとした「グッド・プレイス(good place):居心地のいい場所」はどのように生まれ、育まれてゆくのか…。まずは、じぶんの足で歩くことからはじめます。五感を駆使してまちをじっくりと眺め、気になった〈モノ・コト〉をていねいに「採集」することを大切にします。それは、つまるところ、人との関係性を理解することであり、じぶん自身と向き合うことでもあります。「キャンプ」は、こうした問題意識で活動するための方法と態度を示すコンセプトです。

「場」 は、たんなる物理的な環境ではなく、人と人との相互作用が前提となって生まれます。つまり、上述のとおり、「場」は、コミュニケーションのための空間・時間の整備として、アプローチする必要があります。さらに、人びとが「状況(situation)」をどう理解するかは、個人的な問題であると同時に、社会的な関係の理解、環境との相互作用の所産として理解されるべきものです。たとえば関わる人の数によって「場」の性質は変わるはずです。単発的に生まれ、一 度限りで消失する「場」 もあれば、定期的・継続的に構成され維持されていく「場」もあります。

こうした人びとの暮らしや生活を理解するための「しかた」(つまり、調査・学習・表現に関わるさまざまな考え方・道具・実践)をデザインし、実際にフィールドに出かけて、その有用性を試すこと、意味づけをおこなうことが、この研究会の中心的な活動になります。ここ10年ほど、全国各地を巡って、人びとの暮らしやまち並みに接近する「キャンプ」の実践をすすめてきました。これまで30回ほど実施しましたが、少しずつすすめて、47都道府県の踏査を目指しています。また、高校生向けのプログラムや、中長期的な滞在、あるいは繰り返し(おなじまちを)訪問するやり方な ど、いくつかのバリエーションも生まれつつあります。

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キャンプ|2004〜2016(2017年1月1日現在)→ http://camp.yaboten.net/entry/area_index

 

2018年度春学期は、引き続き「キャンプ」という方法と態度を身につけながら、「まちに還すコミュニケーション」について考えます。

すでに触れたとおり、考えたいのは、ぼくたちの「かかわる力」です。つまりそれは、見知らぬ土地を訪れた場合でも、そこに暮らす人びとに近づく能力です。そして、たんに調査をし、データを持ち帰るだけではなく、きちんと「まちに還す」ことを考えてみたいと思います。ぼくたちは、結局のところは「よそ者」として 地域に入り、短い滞在で出て行くことになります。それでも、騒いでゴミを置き去りにするだけの「よそ者」ではなく、「調査されるという迷惑」に自覚的でありたいと思います。何かを残し(還し)、少しでも余分にゴミを拾ってから帰路につくような「キャンパー」を目指したいのです。

「まちに還すコミュニケーション」については、『キャンプ論』(2009)の「副読本」という位置づけで小冊子をつくりました。下記よりダウンロードして、じっくり読んでみてください(iPadのスクリーンサイズのPDFなので、iPadで読むと快適かもしれません)。冊子も多少の余部があるので、キャンパスで声をかけてもらえれば、渡すことができるでしょう。

 

05 観察者から関与者へ

ここで、最近の具体的な活動として「五城目キャンプ」を紹介しておきましょう。「五城目キャンプ」 は、2018年6月22日(金)~24日(日)にかけて五城目町(秋田県)で実施したプロジェクトです。学生たちは2名のグループに分かれて、五城目に暮らす人びとを取材しました。このビデオは、現地にいるあいだに撮影と編集を済ませ、「キャンプ」のプログラムのなかで上映・鑑賞したものです。

◉撮影・編集:塙佳憲・佐々木茅乃・保浦眞莉子

キャンプの最後に、みんなでこのビデオを観て、3日間をふり返りました。

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このように、訪れた先々で、[まちを歩く]→[人と出会う・語らう]→[仲間と語る・考える]→[つくる]→[見せる・還す]というプロセスを経ながら、人びととのコミュニケーションのあり方(そして、その「集まり」の構造)を体験的に学びます。あたえられた状況を理解し、かぎられた時間内にみずからの知恵や経験を動員して、課題に向き合います。この一連のプロセスを「キャンプ」と呼んで、概念的に整理しています。

「キャンプ」で実践的に考えてみたいのは、たんなるフィールド調査の方法ではありません。従来からある「問題解決」(ビジネスモデル的発想)を志向したモデルではなく、「関係変革」 (ボランティアモデル的関わり)を際立たせた、あたらしいアプローチを模索しています。より緩やかで、自律性を高めたかたちで人びとと向き合い、その「生きざま」 を描き出すことを目指します。つまるところ、ぼくたちは「調査者」という、特権的に位置づけられてきた立場をみずから放棄し、人びとの日常と「ともに居る」立場へと向かうことになります。その動きこそが、変革のためのよき源泉になると考えているからです。

 

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何が起きるかわからない…。ぼくたちは、変化に満ちた時代に暮らしています。たとえば、じぶんの身近な生活空間について考えてみると、まちや地域をめぐる暗い話題は絶えません。実際に、「シャッター通り」と呼ばれるような商店街は、閑散としていて、寂しい気分になります。何らかの方策を求める声が聞こえてくるのも確かです。しかしながら、ここ15年ほど、学生たちとともに全国各地を巡っていて、あらためて気づいたのは、そのような不安(あるいは不満)、問題に向き合いながらも、明るくてエネルギッシュな人びとが、確実にいるということです。そこに、「何があっても、どうにかなる」という、人びとの強さを感じ ます。また、諸々の問題を抱えながらも、ぼくたちを笑顔で迎えてくれる優しさにも出会います。それが、リアルです。

この圧倒的なパワーを持って、ぼくたちの目の前に現れるリアリティに、どう応えるか。それはまさにコミュニケーションに関わる課題であり、ぼくたちが「場のチカラ プロジェクト」 として考えてゆくべきテーマです。お決まりの調査研究のスキームに即して、「報告書」を書いているだけでは、ダメなのです。つぶさな観察と、厳密な記録、 さらには人びととの関わりをもふくめたかたちで、学問という実践をデザインすることに意味があるのです。

 

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五城目キャンプで制作したポスター http://camp.yaboten.net/entry/2018/06/24/140221

 

ぼくたちの活動は、いわゆる「まちづくり」「地域づくり」「地域活性」といったテーマと無縁ではありません。でも、いわゆる「処方箋」づくりにはさほど関心がありません。 そもそも「処方箋」などつくれるのだろうか、と問いかけることのほうが重要だと考えます。「ふつうの人びと」の暮らしにできるかぎり接近し、その強さと優しさに光を当てて可視化するのです。そこまで行ければ、じゅうぶんです。あとは、人びとがみ ずからの暮らしを再定義し、そこから何かがはじまるはずです。「キャンプ」は、このような人間観に根ざした学問をつくる試みとして位置づけることができます。

 

06 これを読んでください。

◎まずは、下記(近著)を読んでみてください。コミュニケーションやメディアについてどう考えているか、「キャンプ」や「場づくり」の実践、理論的・方法論的な関心、具体的な事例などについて知ることができます。

  • 加藤文俊(2018)『ワークショップをとらえなおす』ひつじ書房
  • 加藤文俊(2017)「ラボラトリー」とデザイン:問題解決から仮説生成へ『SFC Journal』第17巻第1号 特集:Design X*X Design: 未知の分野における新たなデザインの理論・方法の提案とその実践(pp. 110-130)
  • 加藤文俊(2016)『会議のマネジメント:周到な準備、即興的な判断』中公新書
  • 加藤文俊(2016)フィールドとの「別れ」(コラム) - 工藤保則 ・寺岡伸悟 ・宮垣元(編著)『質的調査の方法〔第2版〕』(pp. 156-157)法律文化社
  • 加藤文俊(2015)フィールドワークの成果をまちに還す - 伊藤香織・紫牟田伸子(監修)『シビックプライド2 国内編』第1部(p. 77-84)宣伝会議
  • 加藤文俊(2015)『おべんとうと日本人』草思社
  • 加藤文俊・木村健世・木村亜維子(2014)『つながるカレー:コミュニケーションを「味わう」場所をつくる』フィルムアート社
  • 加藤文俊(2013)「ふつうの人」のデザイン - 山中俊治・脇田玲・田中浩也(編著)『x-DESIGN:未来をプロトタイピングするために』(pp. 157-180)慶應義塾大学出版会
  • 加藤文俊(2009)『キャンプ論:あたらしいフィールドワーク』慶應義塾大学出版会

◎2016年5月に刊行した、加藤研のウェブマガジンです。毎月1回、メンバーが分担して記事を書いています。テーマの方向性や雰囲気がわかるはずです。定期的に記事を書くことで、一人ひとりの筆力の向上を目指します。

 ◎「キャンプ」というアプローチは、当然のことながら「滞在型学習」と密接に関わっています。現在、「キャンパス」で進行している「SBC」のプロジェクトには、おもに基本的な考え方やプログラムづくりという観点で関わってきました。「生活のある大学」というテーマでアイデアを整理しつつあります(まだ、まとまりのない文章ですが)。

◎ぼくたちは「フィールドワーク」と呼ばれる方法や態度を大切にしています。「フィールドワーク法」という講義も担当していますが、以下の文章を読むと、その基本的な考え方がわかるはずです。参考までに。

  • 加藤文俊(2014)まちの変化に「気づく力」を育むきっかけづくり(特集・フィールドワーカーになる)『東京人』5月号(no. 339, pp. 58-63)都市出版
  • 加藤文俊(2014) ツールを考えるということ(特集・フィールドワークとツール)『建築雑誌』12月号(Vol. 129, No. 1665, pp. 32-35)日本建築学会

◎それから、こんなのもあります。

  • 「瞬間」をつくる[AXIS jiku 連載コラム「x-DESIGN/未来をプロトタイピングするために」Vol. 4 加藤文俊×藤田修平(2013年6月)] [http://goo.gl/xSfKx]
  • まちを巡り、人びとの暮らしに近づく。 地域の魅力を照らす、フィールドワークという方法と態度。[SFCオフィシャルサイト:SFCの革命者(2011年7月)] [http://www.sfc.keio.ac.jp/vanguard/20110726.html]
  • 人の暮らしに飽くなき興味を[大学院XDプログラムオフィシャルサイト:XD教員インタビュー(2012年3月)] [http://xd.sfc.keio.ac.jp/features/2012/interview-kato/]

 

2018年秋学期の活動

キャンプ:全員(学部生+大学院生) 2018年度秋学期は、「キャンプ」を2回実施する計画です(詳細未定)。

卒業プロジェクト:7-8セメスター(個人) 4年生は、それぞれのテーマで「卒プロ1」「卒プロ2」に取り組みます。

個人研究:6セメスター(個人) 「卒プロ」のメンター申請に向けて、個人でプロジェクトの準備をおこない、1年間(7-8セメスター)の具体的な計画を立てます。

フィールドワーク:1-5セメスター(グループ) グループに分かれてフィールドワークに取り組みます。2018年度春学期テーマは「的な桜丘(仮)」です。詳細は開講時に説明します。

[参考]これまでにおこなわれたグループワークのテーマと成果のまとめサイト

 

スケジュール(暫定版)

2018年

  • 9月28日(金)〜30日(日):キャンプ(予定)
  • 10月26日(金)~28日(日):キャンプ(予定)
  • 11月22日(木)・23日(金・祝):ORF2018(オープンリサーチフォーラム)

2019年

  • 2月8日(金)〜11日(月):フィールドワーク展XV

方法は、いろいろある。(4)

「いつもどおり」で「いつもちがう」

ぼくたちは、全国のまちを巡る「キャンプ」を続けている。ここ数年は、2泊3日で出かけるのが標準的なやり方になった。「キャンプ」では、滞在先で人びとの暮らしにできるだけ接近して話を聞き、その成果をポスターやかわら版などの「ちいさなメディア」にまとめる。初期のころは、ポストカード、ビデオクリップ、音声ガイドなど、フィールドワークの成果をまとめる方法をあれこれと試していたが、いまはポスターづくりの活動として落ち着いている。この一連の活動の原型は、2004年の秋に柴又(東京都葛飾区)でおこなったフィールドワークに遡る。あの頃は、「カメラ付きケータイをもちいた社会調査」として位置づけていた。

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【2004年11月9日|日本経済新聞】

柴又のフィールドワークでは、学生たちが(ケータイのカメラで)集めた写真にテキストを添えてポストカードをつくり、まちで配布した。一連の活動をとおして、まちのことを理解するばかりでなく、人びととのコミュニケーションこそが大切だという想いはつねにあった。そもそも、誰かとのかかわりなしにフィールドワークはできないからだ。
柴又のフィールドワークは、日帰りだった。新聞の記事がきっかけで金沢(石川県)に出かけることになり、やがて宿泊をともなう形で全国のまちを巡る活動へと展開していった。しばらくは、「フィールドワーク」ということばで呼んでいたが、基本的な考え方・すすめ方を『キャンプ論』*1として本にまとめる頃から、「キャンプ」ということばを使うようになった。いつも、20名ほどの学生たちとともに出かけるので、「フィールドワーク」という「調査」でありながら、「合宿」としての側面について考えさせられることも少なくない。

この活動をはじめたばかりのころに、実践の事例として「キャンプ」を紹介する機会が何度かあったが、「キャンプ」は「研究なのか教育なのか」を問われることが多かった。また、「地域活性化」や「まちづくり」とのかかわりについての質問もあった。そして、判で押したように、「キャンプ」と呼んでいる活動の「効果」や「影響(インパクト)」をどのように評価するのかという話題になった。「研究なのか教育なのか」という問いには「両方です」とこたえるしかない。そのこたえに不満足そうな人も少なくなかったが、もともと「キャンプ」は「キャンパス」と対比させながら位置づけているので、当然のことながら教室やカリキュラムのあり方について考えているし、まちに暮らす人びとと語らう過程においては、インタビュー調査(広い意味でのインタビュー調査)としての側面が際立つことはまちがいない。
「何のためにやるのか」「どういう意味があるのか」といった問いは、たびたびくり返される。実際には、「キャンプ」という実践を体験しながら学んでいることが、とてもたくさんある。その学びを「続けること」が「何のために」という問いへのこたえなのかもしれない。「どういう意味」かについては、まさに「キャンプ」という場づくりをとおして、コミュニケーションのなかでつくられてゆく性質のものだ。

「キャンプ」は、多くの場合は「一度かぎり」である。47都道府県を巡ろうという発想なので、たいていは「未踏」の対象地を選ぶことになる。そんななか、同じ場所に何度か出かけることもある。たとえば青森県の深浦町では、2015年から3年続けて「キャンプ」を実施することができた。*2

https://www.instagram.com/p/BUDKEtggCfs/

「深浦の人びとのポスター展3」は、本日11:00から。 #fukap3

 

2017年5月、3度目の「深浦キャンプ」をおこなった。すでに別のところで書いているが、活動を継続していくなかで、ぼくたちが考えるべきなのは「慣れ」の問題である。いま、あらためてふり返ってみると、3度目の「キャンプ」を実施するにあたって、さまざまな手続きが、とても上手くいった。それは、3年をかけて、ぼくたちが、深浦での「キャンプ」のやり方を体得してきた証だ。学生メンバーは学期や年度ごとに出入りがあるが、全体の企画やファシリテーションにかかわるメンバーどうしで、「いちいち言わなくてもわかること」が、たくさん共有されるようになったのだろう。
初めて深浦に行くことになったとき(2015年6月)は、事前に都内で打ち合わせをしたり、下見に出かけたりして準備をすすめた。2年目は都内でのミーティング、3年目はメールでのやりとりだけで「本番」に臨んだ。もちろん、日程のやりくりの問題もあったと思うが、ぼくたちは、過去の2回をとおして、準備や運営の「しかた」を一緒に学んだのだ。それは、すべてが言語化・形式化されているわけではなく、少しずつ積み重ねられたコミュニケーションとともに、身についたものだ。

そのおかげもあって、3度目の「キャンプ」は、ほぼ予定どおりに、淀みなく進行した。取材からポスターづくり、印刷、成果発表会にいたるまでの一連の流れは、とてもスムースだった。そのいっぽうで、「言わなくてもわかること」だと想定して、コミュニケーションが疎かになっていたのかもしれない。もちろん「馴れ合い」だったなどとは、全く思わない。
ごくあたりまえのことだが、ぼく(そして準備や運営にかかわるメンバー)にとって3度目であったとしても、今回が初めての「キャンプ」だという学生が何人もいた。そのことへの配慮は、じゅうぶんだっただろうか。「キャンプ」は、「まずは、やってみなければわからない」という経験学習の考え方に依拠しているからなおさらのこと、いささか説明不足であっても、身体で覚えればいいと考えがちだ。

すすめ方や活動内容は「いつもどおり」だったとしても、つねに「いつもちがう」のだ。このことをきちんと自覚していないと、「キャンプ」は、少しずつ綻びを見せはじめる。ポスターも成果報告会も、見かけ上は、さほど変わらないように映るかもしれない。だが、ちょっとした連絡不行き届きや調整の甘さが、全体としての質を確実に左右する。

 

「まち」はどこにあるのか

「キャンプ」は、慌ただしいプログラムだ。すでに述べたとおり、(まだ漠然としてはいたものの)柴又に出かけたころから、調査の成果を、対象となった人びとに還すということを意識していた。協力をお願いしたのだから、素朴にお礼をしたいという想いもある。くわえて、論文や報告書という形だけが「成果」なのではなく、もっと身近なやり方を探すことが大事だと考えていた。
できるかぎり出先で(つまり滞在中に)成果をまとめて、その場で発表したり、成果物を渡したりすることにも取り組みはじめた。ぼくたちは、「成果がまとまったら、あとでお送りします」などと言って現場を離れることが多いのだが、実際にはフィールドワークから帰ってくると、つい後回しになってしまう。もちろん、それはぼくたちの問題ではあるのだが、旅が終わると達成感もあって気が緩んでしまう。だから、「宿題」を持ち帰らないようにするのがいい。滞在中に、成果をまとめてしまえば、きっとスッキリするにちがいない。そう思って、「キャンプ」では、最終日に成果報告会を組み込むようになった。「宿題」をかかえたままでいることなく、出先のことは出先でひと区切りつけてから、清々しく帰るためだ。

典型的には、「キャンプ」の最終日に開く成果報告会に取材対象となったかたがたを招いて、その場で完成したポスターを披露する。もしかすると訪れることもなかったまちで、会うはずのなかった人と、「キャンプ」という活動をとおして語らう。そして、わずか数時間のやりとりのなかで、その人の「生き様」に触れる。「インタビュー」や「取材」ということばを使って協力をお願いするが、実際には世間話をするようなものだ。取材をお願いしたみなさんからは、「ただおしゃべりしただけだった(あれでよかったのだろうか)」「じぶんばっかり話していた(あまり取材された感じがしなかった)」などといったコメントが返ってくることもある。でも、それでいい。というより、それがいい。ざっくばらんな話のなかにこそ、その人の「らしさ」がにじみ出ると考えているからだ。
もちろん、世間話であったとしても、その時間をふり返りながら、ひと晩でポスターにまとめるのはそう簡単なことではない。会ったばかりの人のことを想いながら、夜更かしして、ポスターを仕上げる。そして成果報告会では、取材のようすや、ポスターをつくるにあたってどのようなことを考えていたのか、順番に発表してゆく。それぞれのポスターには、学生たちが感じたこと・考えたことが埋め込まれている。成果報告会は、笑いも涙もあって、いつも感動的だ。このひとときのために「キャンプ」があると言ってもかまわないくらいだ。それは、ポスターをつくるために時間やエネルギーを投じたことが、報われる瞬間でもある。

成果報告会が終わるとドタバタと片づけて帰路につくので、その後のポスターの行方については、じつはきちんと把握できていないことのほうが多い。たとえば「深浦キャンプ3」では、役場のロビーにポスターを展示し、その前で報告会を開いたが、そのまま深浦をあとにした。つくったポスターは、「おきみやげ」として、その場に残したままでぼくたちは「キャンプ」を終えた。

あとから、「キャンプ」をとおして出会った人から、ハガキやメールが届くことがある。ぼくを「迂回」して、直接、取材に赴いた学生たちに届くことも少なくない。残念ながら、近親者から訃報が届くこともある。ポスターそのものが、遺影に使われたという話を、たびたび聞いた。もちろん、悔やむ気持ちでいっぱいだ。あんなに元気そうだったのに、と驚かされる。同時に、学生たちが、故人の笑顔や自然なふるまいを、上手くとらえたことの表れなのではないかと感じる。ポスターも、そしてポスターのなかの人物も、少しずつ歳を重ねる。

「深浦キャンプ」のように、同じ場所にふたたび赴く機会があると、ぼくたちがつくったポスターと再会することもある。2回目となる「深浦キャンプ2」(2016)のときのポスターを、それぞれの場所で見ることができた。「厳しいよ ここは」という、1年前のコピーは、いまはどのように響くのだろうか。「クセになる、曲者」の日常はどのように流れているのだろうか。成果報告会を経て、一枚一枚のポスターが、どこで、どうなってゆくのか。これについては、少し時間をかけて、ゆっくりと見守るしかないだろう。

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【2017年|「深浦キャンプ2」(2016)でつくったポスター】

 

2017年6月に実施した「那珂湊キャンプ」は、あらためて「まちに還す」ということの意味をふり返るきっかけになった。このときは、那珂湊駅(ひたちなか海浜鉄道湊線)のホームを借りて、成果報告会を開いた。そして、取材先のかたがたの多くが、足をはこんでくれた。こぢんまりとした集まりだったので、その分、感情に充ちていたように思う。ふだんは、成果報告をしつつ、役場のロビーやギャラリーなどに貼ったまま帰るのだが、今回は、可能なかぎり、その場でポスターを手渡すことにした。
ポスターをつくった学生(ペア)から、直接、本人に手渡す。つまり、「まちに還す」のではなく、「人に還す」場面が生まれた。さらに厳密に言えば、「人」のところには、具体的な「名前」が入るので、たとえば 「尾澤さん」に、「川崎さん」に、あるいは「奥山さん」に、それぞれ還すということだ。ぼくたちは、知らず知らずのあいだに、「まち」という顔の見えない存在を相手に活動するようになっていたのではないだろうか。そもそも、感謝の気持ちを込めて、成果を一人ひとりに還そうとしていたはずだ。

2017年度前半に実施した「キャンプ」は、対照的だった。「深浦キャンプ3」は、3年目(3回目)となって、惰性や弛みを心配するほどにお膳立てされていた。「那珂湊キャンプ」は、学生たちが中心となって準備をすすめたので、やや粗削りな構成だった。*3「まち」という、ひとつのまとまりが際立つ「キャンプ」。そして、特定の名前とともに「人」の顔が際立つ「キャンプ」。いずれも、ぼくたちの「キャンプ」である。こうしたバリエーションに気づくことができるのも、「いつもどおり」で「いつもちがう」からだろう。🐸(つづく)

 

https://www.instagram.com/p/BVvs8f6AFNz/

🐙「那珂湊の人びとのポスター展」は、こんな感じです。 #nakap

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【2017年度のポスター|深浦3・那珂湊・福井・東広島・バンコク】

 

*1:加藤文俊(2009)『キャンプ論:あたらしいフィールドワーク』慶應義塾大学出版会

*2:深浦のほかにも、金沢、坂出、富山、小諸、氷見、釜石には2回以上訪れている。

*3:「那珂湊キャンプ」は、「慶應SKC計画(https://www.facebook.com/groups/skckeio/)」のプログラムでである。「慶應SKC計画」は、慶應義塾創立150年記念の未来先導基金の公募プログラムとして採択されたもので、2017年度は学生主導の13のプログラムが実施された。