まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

ふたたび、フーカットへ。 (3)

Day 3: 2018年3月14日(水)

フーカットで目覚めた。朝ごはんを食べてから、家庭訪問。
聞けば、"Dream Class"の日を、(文字どおり)指折り数えて楽しみにしているらしい。コミュニケーションに不自由があるかもしれないが、コミュニケーションへの欲求は絶えることがない。ハンディキャップをもつ子どもたちのコミュニケーション欲求が、おのずと身体に表れる。そのエネルギーが、まぶしい笑顔になって迫ってくる。

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昨日も書いたが、この活動は、もはや状況を理解し記述するだけの調査ではなく、積極的な介入をともなう社会実践なのだ。フィールドワークにおいては、(調査者が)情報提供者とつねに適切な距離を保つこと、過度に感情移入しないことが大切だと教わる場合が多い(実際にぼく自身も、いまではそう教える立場になった)。それはもちろん重要なのだが、いっぽうで、もう一歩先にすすんでみること、じぶんの感情の揺らぎを味わうことにも関心がある。注意ぶかく、状況に「踏み込む」ことで理解できることはたくさんある。なにより、フィールドワーカーは、一人の人間なのだ。だから、じぶんの感情の流れや身体の反応に素直に従うことも大切なはずだ。

梅垣さんとChiさんが、子どもの父親と話をしているのを眺める。もちろん、大学の教員・専門家として、その知識や経験にもとづくアドバイスをしていることはたしかだ。その声に耳を傾ければ、さまざまな事例に照らして、じぶんたちの個別の状況を理解し、より広い文脈に位置づけることができるだろう。同時に、それは感情が充填された、「人として」の介入に見えた。アドバイスが「正解」をもたらすかどうかはわからないが、これまでの知見をもとに、言うべきことは言わなければならないのだろう。理屈なしに、そうせざるえない。社会調査には、そういう場面が訪れることがある。
コミュニケーションは、パートナーを執拗に求める。だから、大人たちこそが、「伴走者」であることを自覚しなければならない。それが、大切なメッセージだ。

朝は涼しかったが、すでに暑くなっている。11時ごろに空港へ。今回は、毎日のようにメンバーの出入りがあるようで、スケジュールのなかに、空港への行き来が組み込まれている。メンバーが一人が増えて、お昼ごはん。しばらくしてから、ふたたび空港へ。こんどは、ぼくの番だ。15:30過ぎの飛行機でホーチミンに行き、さらに東京に向かう。

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旅の途中で写真をアップしていたとおり、今回もたくさん食べた。どうもぼくの身体はベトナム料理と相性がいいみたいで、快調だ。タイでのプロジェクトの帰りで、ちょっと疲れてはいるが、今年もまた来ることができてよかった。ありがとうございました。🐸

(おわり)