Day 2: 2018年3月13日(火)
午前4時に出発。ハノイは、市街から空港までのアクセスが面倒だ。さすがにこの時間だと、ひっそりしている。渋滞することもなく、30分ほどで空港に着いた。定刻どおりに出発。ふたたび、フーカット(Phù Cát)へ。ふだんも早起きだが、さすがに今朝は早すぎた。飛行時間は1時間半。席についたらほどなく寝てしまい、気づけばまもなく着陸体制に入るところだった。1年ぶり。窓の外に緑色が広がって、ちょっと懐かしい気持ちになった。
タラップを下りると、立派な国際線のターミナルビルの姿があった。昨年も工事中だったはずだが、まったく気づいていなかった。まだ仮囲いがあるものの、オープンはそう遠くないだろう。ビルの外側にも椰子の木が植えられ、リゾート地の雰囲気がつくられつつある。
11時ごろの便(梅垣さんほか、参加メンバーが乗っている)が到着するまでのあいだに、朝ごはん。これも、去年行った店だ。目玉焼きには、パクチーとちょっと甘い醤油を。そしてバゲットとコーヒー。この小ぶりのバゲットは、やはり美味しい。いちどホテルに行ってひと休み。ふたたび空港に戻って、みなさんを迎える。
今朝、着いたときには涼しくてしのぎやすかったが、すでに気温が上がり、暑くなっている。バンコクと同じくらいのところまで南下したのだ。お昼は、ホテルのそばの店で。大きなテーブルに料理がたくさん並び、みんなで箸をのばして食べるスタイル。これは、なかなかいい。
午後は、クルマに乗って(これも、1年ぶりのあのワンボックス、あのドライバー)、いくつかの家庭を訪問した。最初が、スアンくんの家だった。彼のことについては、昨年書いたとおり(→ フーカットで考えた。(4): 2017)だ。あれから、ぼくはスアンくんとFacebookで「友だち」になり、ときどきやりとりしてきた。いつも他愛のないメッセージばかりだが、それでも遠くに暮らす「友だち」とつながっている感覚があった。そして、再会。
1時間ほど、順番に質問したりされたりしながら、スアンくんと過ごした。昨年、本を出したことがどうやら「美談」として語られているようだ。ベッドの上で生まれた画と文が、形になる。たしかに、それは特別なことのように思える。だが、話していると、文化も暮らしもちがえど、どこにでもいそうな17歳だという気になってくる。その意味では、「ふつう」の背伸びしがちなティーンエージャーだ。ぼくと、ひとしきり話したあと、スアンくんは、ぼくを「モダンでオフィスタイプでナイーヴだ」と言った。どこから、どのようにその手がかりをえたのかはわからない。おみやげに持ってきた、梅佳代の『うめめ』をプレゼントした。どこにでもありそうな、何気ない(ちょっと微笑ましい)日本の暮らしを眺めてもらおう。
何軒かめぐりながら、"Dream Class"の生徒たちを乗せて移動。日が傾いてきた。のんびりとした風情で、落花生の畑がつづく。新築の家に招かれて、食事をごちそうになった。ラグの上に、たくさんの料理が賑やかに並んだ。何度も乾杯した。
そして、ホテルに戻ってからミーティング。きょう一日をふり返った。このふり返りの時間は大切だ。もともと、この活動は(昨年も)「EBAフィールドワーク」と呼ばれている。「フィールドワーク」という調査の一環で、何軒もの家を訪問して話を聞く。"Dream Class"の生徒たち、そしてその両親や家族が、どのように暮らしているのかを追うのだ。意識が変わったり、さらには行動が変わったり、それは一人ひとりの顔つきに表れる場合もあるし、ピカピカの新築の家からうかがい知れることもある。ぼくたちの観察力、想像力が試されている。
ミーティングでは、調査者の「立ち位置」のようなことが話題になった。定期的に家庭訪問をつづけていると、状況にかかわりをもたずにいられなくなる。一定の距離を置いた〈観察者〉でいることは難しくなり、一人ひとりと共に状況を分かち合う〈関与者〉になる。当然、感情的なつながりもできる。なにより、これは人びとの変化や成長につき合うプロジェクトなのだ。ぼくたちは、すでに10年という長いかかわりのなかにいる。この先、”Dream Class”の一人ひとりが、さまざまな選択の岐路に立ったとき、ぼくたちはどうふるまえばよいのか。どうふるまいたいと考えているのか。ふたたび、「終わらない(終わらせることのできない)」プロジェクトに触れた。🐶
(つづく)