まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

みたび、フーカットへ(1)

Day 1: 2019年2月22日(金)

少しずつ春めいてきてはいるものの、まだ朝晩は寒い。銀座1丁目の界隈で、寄附講座の「お疲れ様会」に参加して、「このあとの予定がありますから」と言って中座した。22時過ぎになって「このあとの予定が…」などと、みなさんに妙な印象をあたえてしまったかもしれないが、メトロの駅のコインロッカーからスーツケースを取り出し、羽田空港に向かった。
最近は、深夜便がずいぶん増えたのだろう。空港の出発ロビーは、思っていたよりもたくさんの人で賑わっていた。ぼくが乗る便も、日付が変わって1:30発。

機内では、よく眠った。「お疲れ様会」で飲んで食べて、そして深夜だったので、もう寝るしかなかった。朝食をはこぶ音で目覚めると、あと1時間ほどで到着するというアナウンス。寝ているあいだに、銀座1丁目から、4,000キロほど移動していた。
朝6時。無事にホーチミンに到着。昨年、一昨年に続いて3度目のベトナムだ。いきなり、湿度につつまれる。国内線のターミナルに向かうまで、わずか数分歩いただけで、汗ばむ。ここで数時間の待ち合わせをして、フーカット(Phù Cát)に向かう。ひとまず、フォーを食べてひと息。通貨の単位がちがうとはいえ、一杯に95,000(ドン)という値段が記されていると、ちょっと怯んでしまう。(日本円にすると450円くらい。空港の店だから、まちなかで食べるより高めのはずだ。)

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ホーチミンからのフライトは、窓側のシートにした。一昨年、初めてフーカットに向かったとき、窓の下に大きく広がる緑が印象的だった。また、それを眺めようと思った。1時間ほどで降下。およそ1年ぶりのフーカット(クイニョン)の空港は、あたらしい建物(去年は工事中だった)がオープンしていた。梅垣さん、Chiさんたちに迎えてもらい、宿に向かう。学生は4名。食事をしたあとは、家庭訪問へ。3年目ともなると、ちょっとした懐かしさを感じるようになる。おなじ宿、おなじ店で、おなじものを食べる。少しずつ、記憶が戻ってくる。一昨年から、毎年この時期にここを訪れているが、その経緯や内容については「フーカットで考えた。(2017)」「ふたたび、フーカットへ(2018)」に雑記がある。

ぼくが、学生たちとともに日本の各地を巡っている「キャンプ」の試みは、どちらかというと〈広げること〉に関心が向いているので、いくつかのケースを除くと、だいたい1回かぎりの訪問だ。標準的には2泊3日、1回だけの逗留で何をするのか。滞在中に、できること/やるべきことを考えて実践するのが、「キャンプ」という呼称にも込められている。だから、「キャンプ」ではいつも慌ただしく過ごすのだが、フーカットにかんしては、ちょっとちがう。そもそもプロジェクトがはじまって10年目くらいのタイミングから、いわば「オブザーバー的な」立ち位置で参加しているので(しかも途中から合流)、気楽であることにくわえて、おなじフィールドに通い続けることに考えが向く。“Dream Class”という場をつくり、人びとの成長や変化につき合ってゆこうというプロジェクトなのだから、〈続けること〉について、長い時間をかけて考えてみる必要がある。

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あらためて、訪問先での状況はつねに移ろうものだと実感した。話の流れのなかで、ある質問が母親の感情を激しく揺さぶる場面があった。彼女が涙を流すと、すぐさま二人の息子たちが反応して、(別々にではあったが)母親の傍らへと向かった。それは、ごく自然で、本能的な動きだったように見えた。そのようすから、どのような意味や背景を読み取ることができるのか。ぼくたちが訪問する家庭の事情は、想像している以上に複雑なはずだ。そもそもが「抜き差しならない」状況であることはまちがいないのだ。やりとりについては、いちど英語に翻訳してもらうなかで、その細やかなニュアンスは失われるし、そもそもすべてのことばがそのまま訳されるわけでもない。そして、すべてが語られているはずもない。だから、じぶんの「気づく力」が試されているような気持ちになる。

晩は、ニンの家でごちそうになった。ここ数年、この季節に一度会うだけだが、彼の勤勉なようすは変わらない。それは、家の周りがていねいに整えられていることからもうかがえる。ぼくたちの姿を見ると、さっそくココナッツジュースをふるまい、机と椅子を並べて、食事の用意をはじめた。ピーナッツの畑には、スプリンクラーが取り付けられていた。長女が間もなく結婚するというので、豪華な家具(いわゆる応接セットや食卓セット一式)が置かれていて、いかにも日々が充実しているというふうで、終始、にこやかだった(少なくとも、そういう姿に見えた)。いわゆる「インタビュー」ではないが、お茶を飲みながらの「おしゃべり」はいろいろなことを知る手がかりになる。ときおり、Chiさんがやりとりを英語にしてくれるのだが、何を話しているか、なんとなく見当がつくような気もする。ことばがわからない分だけ、表情や声色、ちょっとした仕草に敏感になるのだろう。

そして、宿に戻って、一日のふり返り。銀座での集まりからここまで、長かった。ここで日差しをたっぷり浴びたので、いまにも寝てしまいそうだった。だが、このふり返りの時間は、とても大切だ。やはり、ぼく自身は、調査のしかた、人とのかかわり方に関心が向くようだ。きょうの午後は、学生が4名、そして梅垣さん、Chiさん、ぼくという7名で動いた。つまり、これは「グループワーク」として考えるのがよい。学生一人ひとりは、それぞれのテーマを持っているので、今回の滞在をとおして、いろいろなヒントに出会おうとしているはずだが、ともに過ごし、それぞれの立場から訪問先の体験を持ち帰っているのだ。 それを、いきいきとした知恵に変えていくためにはどうすればいいのか。眠そうな眼をしていたかもしれないが、じつは、あれこれと真面目に考えていた。(つづく)