まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

みたび、フーカットへ(2)

Day 2: 2019年2月23日(土)

きょうは早起き。後半で合流したぼくにとっては2日目だが、プロジェクトとしては、もう終盤を迎えつつある。7:30に宿を出発。クルマのなかでバインミーをほおばっているうちに、目的地に到着した。きょうは、まず“Dream Class 4”を見学するためにキャットハン地区(Cát Hanh)まで来た。この4校目は開いたばかりで、まだ2週目とのこと。いろいろな意味で、初々しい。というより、ちょっとぎこちないようす。生徒もその保護者たちも、そして教員さえもが、なんとなく不慣れな感じで教室に集まっていた。

しばらくして、Red Crossの面々がやって来た。いよいよ開校したというので、「正式」に書類にサインをして取り交わすという儀礼的な時間が設けられていた。もちろん、〈はじまり〉(そして、ひとまず5年間続けるという合意)なのだから、節目を意識しておくことは必要だと思うが、どうやら慣れていないことによる初々しさにくわえて、この形式ばった時間が、全体の雰囲気をつくっていたのかもしれない。それは、机やイスの並べ方にもわかりやすく表れていた。机は横長に並べられ、生徒と教員が座り、いわゆる「お誕生日席」と呼ばれる奥の席にRed Crossの担当者と梅垣さんが並んで座った。
そこで、スピーチがあり(おそらく、クラスの生徒たちには小難しくて、それほど関心をいだくような内容ではなかったはず)、それを受けて、“ドリームクラス”の創設者である梅垣さんが返礼しつつ、メッセージを伝える。そして、「合意書にサインしているようす」と「にこやかに握手をしているようす」が写真に撮られる。プロジェクトの記録という意味でも、この儀式そのものには何も問題はないと思うが、このおかげで、ごく自然にきょうの授業の流れが方向づけられてしまったように見えた。Red Crossの人びとと、さらにぼくたちも来訪するということで、教員たちはいつも以上に「教員らしく」ふるまおうとしていたのだと思う。だから、生徒たちもそれに合わせて「生徒らしく」することが求められてしまう。教室の机やイスは、クラスメイトどうしの交流・交歓には窮屈な配置のままだった。

「学校」という仕組みは、思っている以上にぼくたちのふるまいに強くはたらきかけてくるのだろう。ハンデキャップのある生徒たちのためのプロジェクトであるからこそ、できるかぎり「ふつう」に近づくように授業を構成することが目標になる。じつは、そのことが、一人ひとりの個性を見ようとせず、「ふつう」という凡庸な基準で生徒たちを評価することへと向かわせる。

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そのあとは、家庭訪問。“ドリームクラス”に通っていたという青年が、最近、結婚したという。いま「通っていた」と書いたが、“ドリームクラス”には、いわゆる「卒業」はない。そもそも、一人ひとりの年齢も事情(ハンデキャップの種類や度合い)もちがうので、じつに多様な生徒たちの集まりだ。それは、「ふつう」の学級のように、あらかじめ決められている学修を終えたら「卒業」する/できるという仕組みにはなじまないものだ。もし「卒業」と呼ぶべきタイミングが訪れるとすれば、クラスに通うことをとおして(多少なりとも)社会的なかかわりをもち、関係を変えてゆくことを知り、自律的に動けるようになった時だろう。つまり、“ドリームクラス”が、もう必要なくなる時が「卒業」だ。
新婚であるから(しかも、子どもを授かったという)、もちろん幸せそうだ。だが、日常生活のさまざまなことを、家族が面倒をみている。いろいろな理由は想像できるものの、ずいぶん過保護な感じだ。そのあまりにも無垢な(イノセントな)感じが、少し心配にさえなる。後述するが、(皮肉なことに)“ドリームクラス”の愉しさや居心地のよさが、実質的な「卒業」を遠ざけているのかもしれない。話のなかで、彼はじぶんの所帯を支えていくことに不安を感じていると言いながら、依然として“ドリームクラス”には顔を出しているらしい。

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ゆっくりとランチを食べて、もう一軒。昨日、このメンバーでの活動は「グループワーク」のようなものだと書いたが、その観点からすると、少しずつ学生たちの連携が上手く行きはじめているように見えた。明確な役割分担が決められているわけではないのに、なんとなく、全員で状況を確認しながら会話がすすむ。複数のメンバーで訪問することの強みは、ことなる視座を認めながらも、お互いの行動を補完し、みんなで状況の理解を試みることができる点にある。メンバーが途中で合流したり、あるいは先に現場を去ったりということもあるので、「固定メンバー」ではなく、即興的にその時・その場でのふるまいを考えて協調的に動けるようになるといい。

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そして、晩ごはんを食べてから、ふり返りのセッション。いろいろと面白い論点があった。今朝、見に行ったのは、数週間前に開校したばかりのクラスだったが、“Dream Class 1”は2012年にスタートしている。つまり、その歳月の分だけ、生徒たち(かつての生徒たち)は変化しているということだ。あたりまえだが、たとえ長く続いていることで経験が蓄積されているとしても、すべてはあたらしい。クラスが続くかぎり。人と長くかかわるということは、つねに未知の出来事に向き合うということだ。だから、想像力や寛容さが求められる。

きょうの家庭訪問をふまえて感じたのは、“ドリームクラス”のインパクトだ。事情はことなるが、きょう訪ねた二人は、クラスが愉しかったとくり返していた。「卒業」することなく、いまでもかかわっているという(クラスへの精神的なつながりの強さは、うかがい知ることができた)。これは、“ドリームクラス”が成功したことの証だ。つまり、彼/彼女らの人生に大きな影響をあたえていることは、まちがいないのだ。そのいっぽうで、“ドリームクラス”の佳き思い出が、無垢な頃(無垢でいるだけでよかった頃)へと引き戻してしまうのかもしれない。そう思った。もちろん、プロジェクトが、着実に続いてきたからこそ、こうした気づき、考えてゆくべき課題が見えてきたのだ。(つづく)