まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

えらび、えらばれる。(1)

「研究会」と出会う。

100人の教員がいれば、100通りの「研究会(ゼミ)」があるのだから、えらぶのは難しい。でも、選択肢が多くてえらぶのが難しいこと、悩んでしまうことを、ポジティブにとらえるのがいい。迷うのは、悪いことではないからだ。まずは研究テーマ(学問領域)や方法論、成果物などを手がかりに、「研究会」について調べてみる。シラバスは、「研究会」を知るための大事な「接点」になるはずだ。授業を履修したり、見学に行ったり、あるいは友だちや先輩からの情報(うわさ)を聞いたりするのもいい。さまざまな方法で、じぶんに合っている(と思える)「研究会」をえらぶ。
「研究会」によって、事情はことなる。ぼくの知るかぎり、学生が50名をこえるような大所帯のところもあるし、数名のところもある。定員が決められている場合には、選考プロセスを経て、メンバーとしてむかえられる。だから、学生が自由にえらべばそれで決まるわけでもなく、何らかの課題(レポートや面談)をとおして認めてもらわなければならないこともある。

ぼくも、必要に応じて選考をしているが、とくにここ数年は、いくつかの「研究会」にエントリーする学生が増えているようだ。面談のときには「加藤研が第一志望です」などと言いながら、「合格」を伝えても(何の連絡もなしに)別の「研究会」に加わっている学生もいる。😔 いっぽうで、青田買いのようなふるまいをしている教員がいるとも聞く。学生の不誠実さを嘆きながらも、じつは教員も、こうした状況の一部を構成しているのだと思う。「研究会」をえらぶのが、なんだか面倒な手続きに見えてくる。

理由はともかく、まずは、学生がじぶんの「研究会」をえらんでくれることに感謝したい。えらばれることは、嬉しいことだ(ありがとう)。少し大げさに言えば、他の可能性を(ひとまず)「捨てる」決断をして、えらんでくれたからだ。もちろん、もっと軽い気持ちでえらんでいる学生もいるはずなのだが、このさい、それは気にしないようにする。とにかく、ぼくはえらばれたのだ。
学生は、数あるなかから「研究会」をえらぶ。そして教員は、希望者のなかから、学生をえらぶ。それも、決断だ。授業をとおして知っている学生なら、判断しやすい。レポートや面談でわかることもあるが、わからないこともたくさんある。「研究会」で活動するなかで、お互いに変わってゆくのだから、えらぶのは難しい。ぼくの「見る目」が試される。

えらんだ人に、えらばれたい。えらんでくれた人を、えらびたい。理想的なのは、「えらび、えらばれる」という関係だ。ここのところ、ずっと「えらび、えらばれること」について考えていた。そして昨年の秋、ふとした思いつきで、「研究会」の学生たちに、下記のような課題を出してみた。

【課題】(架空の話です)
カリキュラムが改訂され、今後、「卒プロ」を修了するためには(つまり卒業するためには)、3名以上の教員による「アドバイザリーグループ」を申請することが義務づけられました。あなたは、どの3人とともに「卒プロ」をすすめたいと思いますか?

  • 具体的に3名の教員名(SFCで「研究会」を担当している教員に限る)を挙げる。
  • なぜ、その3名なのか、じぶんの関心のあるテーマや方法論を紹介しながら、「アドバイザリーグループ」が妥当であることを説明する。

提出期限までに、23名から回答が提出された。なかなか面白い結果で、いろいろと考えるきっかけになった。ところでこの課題、架空の設定ではあるものの、それほど突飛な話ではない。大学院に進学すれば、主査と副査(2名以上)によって指導がおこなわれているので、文字どおり「アドバイザリーグループ」が必要になる。学部のカリキュラムも、「研究会」にかんしては、学期(半期)ごとに「移動」が許されているのだから、卒業するまでに複数の「研究会」に所属する学生もいる。同じ学期に「掛けもち」している場合もある。だから、担当教員を一人にかぎることなく、何人か頭に浮かんだほうがいいはずだ。

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学生たちが誰をえらんだのか、簡単にまとめてみた。1行目は、同僚の先生がたの名前(イニシャル)、2行目は、その先生の名前を挙げた学生の人数である。たとえば、回答した23人中9人がYSさんをえらんだということだ。見てのとおり、続いてHI、TK、MNさんの名前が挙がった。なるほど。すでに一緒に調査研究をしたり、「卒プロ」の合同発表会をしたりという関係を知ってか知らずか、「想定内」の名前が挙がった。組み合わせで見ると、「YS・HI」「YS・MS」を「指名」した学生が、それぞれ3名、2名だった。
結局のところ、23名の名前が挙がった。たしか100名くらいは「研究会」の担当者がいるはずだから、仮にこの課題の設定どおりの仕組みになって、学生が自由に教員をえらべるようになったとすると、同僚のおよそ4人に一人が、ぼくと一緒に「アドバイザリーグループ」を構成する、潜在的なメンバーだということになる。

(つづく)