(2024年7月16日)この文章は、2024年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。
背景
私は「世界をどうやったら丁寧にあじわえるのか」をずっと考えている。どちらかというと、つくること、よりも、今あるものをどう味わうか、の方が実は難しいのではないかと思っている。それは、ささやかで、放っておいたら気づかず通り過ぎてしまいそうなものに目を向けることができるかと同義だからだ。
『世界をきちんとあじわうための本』という本が大好きで何度も読み返しているのだが、この本の表紙をめくるとこんな言葉がある。
>世界をきちんとあじわおうとすれば、まずはそれに気づく必要があります。でも、それはとても難しい。なぜなら、世界はあらゆるもののすべてを含むので、誰もその外側に出て、丸ごと「これが世界です」と示すことができないから。世界とは、みんなその内側に住みつつ、生きながら気づくしかないもの。
ただスローに生きたり、知る人ぞ知る逸品にこだわる洗練された生活を送ることではなくて、呼吸をしたり頬にあたる風に季節を感じたり意味ではないものに気づくことだと。
いつもここではないどこかに居場所を探していた私にとって、はじめて、世界をきちんとあじわうことと身体が結びつき、大きく息を吸える場所があった。編集者・あかしゆかさんが瀬戸内海の海のそばで営む本屋・aruだった。私は最初、このaruをフィールドに据えて卒プロを進めようとしていた。
春学期の中盤に差し掛かるころ、卒プロの中心に据えるものがaruから変わってしまったが、この成果報告は、卒プロを進める中で紆余曲折した自分を残しておくための文章でもある。だからまずは、6月ごろまでのaruでのフィールドワークの話を、先にちょっと書いておこうと思う。
高校卒業までの18年間岡山にいた私は、aruが2021年にオープンしてから大型休みの帰省のたびに訪れていた。数ヶ月に1回の帰省していたのが、"卒プロ"という嬉しい口実で、2024年2月から、毎月、月に数日だけオープンする日に合わせて岡山に通えることになる。毎月、少しずつ変化していく空間や、あかしさんとお客さんのささやかなやりとりなどを記録していた。3月から時々お店のお手伝いをさせてもらえることになり、店主でもお客さんでもない、あいだの不思議な存在としてその空間に居座り、常連さんと仲良くなったりした。aruに訪れるお客さんがぽろっとあかしさんにこぼす言葉、物理的には来れないけども「海から届く」という選書サービスを通してaruとかかわりをもつお客さんがわざわざペンを握り書いた何通もの手紙、お客さんが教えてくれるお花の意味や、知らない国のある日の大切な慣習。通うたびにゆかさんが嬉しそうに話してくれるのが毎月楽しみだった。aruという場にかかわりをもつ人たちが、それぞれ持っている自分なりの世界を愛する術が気づいたら溢れ出ている場。そんな「場を編集する」ことに興味を持った。aruという空間にあるものや、あかしさんのお店でのふるまい方やその背景・考えていることにヒントがあると思い、それを自分なりに要素分解していった。その中で私はあることに気づいた。確かに店主はあかしさん1人なのだが、aruという場は、あかしさんだけが世界観を完璧につくりあげているのではなく、お客さんの場の受け取り方・感じ方に自然に委ねている部分が大きい、それを何よりも大切にしている、と。
そうなると私の問いは、aruという場に限定せずとも「人はどのようなまなざしで場や世界をみたり、残そうとしたりしているのだろう」ということに変わっていくのである。(一周回ってきた感覚とも言える。)
カメラと私
そんな問いをもちながら、場と編集という大きな(とても抽象的な)ことばに頼りすぎることなく、社会調査(研究)を行いたいと思うようになった。そこでまず、私自身の生活に紐づいた世界へのまなざし・見方を顧みるようになった。私にとって、きってもきり離せないのが、毎日首からさげているカメラの存在だった。
大学1年生のころは、祖父からお下がりでもらった両手でもつのがやっとのサイズの大きくて古いCanonを使っていたが、2022年の12月、遂に新宿の北村写真機店で運命を感じたカメラを手を震わせながら買った。人生で初めて、「私のカメラ」を手にしたのだ。
そのカメラは、Fujifilm xpro-3。単焦点レンズの35mm(カメラのセンサーサイズ換算で50mmになる)と組み合わせて使っているため、ほぼ人間(私)が見えている世界をそのままレンズを通してうつしていることになる。
私は、去年の冬前からどこへいくにも毎日これを首から下げて歩いている。いつもと同じ道を歩いていても、どこかに向かっていても向かっていなくても、「あっ」と思った瞬間があったら、カメラを向けてシャッターをきる。カメラはもうほぼ私の身体の一部くらいに同化していて、カメラを持ち歩けない日は、気持ち悪くてとてもソワソワしてしまう。私の身体に備わる第6の感覚器官のような働きをしていて、私の世界との関わりを広げている。
実はこのカメラ、買ってから1年経たずに液晶画面が突然映らなくなった。しかし、修理のために数ヶ月このカメラから離れる生活が考えられなかったのと、元来カメラはファインダーを覗いて撮るものだよなという原点回帰的な考えによって、壊れたまま(壊れているという感覚はもう私からほぼ消えているが)そのまま使い続けている。
「これを撮るために!」などという目的を持ってカメラを持ち歩くのではなくても、生活する私の身体の一部にカメラがあること、そのことによって確実に私のまちや場に対する見方は確実に変わっていった。
スマートフォンを使って写真が大量に撮影できて、そしてそれをすぐにSNS上でシェアできる現代、プロのカメラマンなわけでも、写真家と名乗り生きているわけでもない私が、わざわざ毎日カメラを首からさげてまちにくりだし、スナップ写真を撮る。私は何をそんなに日々残したいと思っているのだろう。カメラを持ってまちを這うときのあの感覚。世の中は些細な人間らしさと小さく転がる美しさで溢れている、それに目を向けたい、残したいと思う感覚。ここを丁寧に紐解くことで、まずは、私が、カメラを持ったことで場というものをどのようにみているのかに近づけるのではないかと思った。
スナップ写真を通した一人称研究
今後頻出する単語である、「スナップ写真」とは、日常の出来事や風景の一瞬を捉えた写真のことである。何か特別なセッティングをするのではなく、ありのままを写したもの、つまり、私が写真を撮るためにモノに対してなんらかの指示や変化を加えたりはしないで撮影した写真のことである。
スナップ写真は、私とそこにうつる人・ものとの距離感を色濃く反映している。写真のフレームというのは、撮る人が移動しカメラを動かすことによって流動していく枠であり、つまり、とても能動的・行動的な空間意識が貫かれていることになる。自分の足を使って動き回り、「撮りたいと思ったその瞬間(や被写体)を目撃した私」の存在が必ずあるのだ。『カメラは、撮る人を写しているんだ』の中では以下のように語られている。《写真には必然性がある、なぜ他でもないこの瞬間、他でも無いただ一つのそれを選んで撮ったのか、撮らないで無視することもできたはずなのになぜか撮った。(中略)写真は生み出しているのではなく選択しているのだ。》と。まさに、どうあじわうかの話とリンクする。ただ、私がカメラを構えた時の眼はいつも他人や外の世界に向けられていることになる。カメラを自分に向けることがないように、自分を見ることに関しては意識を向けたことがあまりなかった。雲の写真一枚見返すときでも、ただ雲のたたずまいを写した科学的な写真を撮ったわけではなく、その雲のたたずまいに見入った私という人間がそこにいたということが重要なのだ。
誰のために撮ったわけでもなかったスナップ写真たちはパソコンのソフトに取り込まれそのまま眠っていたけど(まだパソコンにも取り込まれていないものもある)、もう一度全部掘り起こしてみる。これまで撮り溜めていた写真を11月からざっと数えて1430枚、その日に歩いた距離や歩数、誰といたか、何をしていた日かを見返して、スプレットシートに記入して分析していくことから始めた。意外と1枚も撮っていない日があったり、似たような写真をすがるように何枚も撮っていた日もあったり。撮影してから時間が経って、ある意味私の身体から一度離れていった写真を、その日の記憶と結びつけて食べなおすことで、私は何を残したいと思っているのだろうという問いに近づこうとしている。つまり、私が、現場で出合ったモノゴトを、その個別具体的状況を捨て置かずに、一人称視点で観察・記述し、そのデータから新しい仮説をたてようとする研究、一人称研究からはじまった。
他者と振り返ることで変化する"撮る"行為
私がカメラさえあれば何時間でも歩き続けられる楽しさを他者に熱弁すると、「その感覚全然わかんない(笑)」と言われるのがたいていだ。しかし、まれに「カメラ欲しくなってきたんだけど...まず何から選んだらいい?」と聞いてくれる友達がいる。まちを這ってスナップ写真を撮る共犯者が増えていくのがとても嬉しい。そして、ついに、1ヶ月近くにわたる作戦会議を経てカメラの購入を決心した友達と、6月末に、私の家のまわり(日本橋)をルートを決めず一緒に歩き、お互い好きに写真を撮って、帰ってから、お互いの撮ったものを見返し、送り合って対話(おしゃべり)をした。私にとってはいつも歩いているまちで、彼女にとってはほぼ初めてのまちということもあるが、同じ場所を歩いても、見ているものも切り取るものも全然違うということの面白さを再確認すると共に、撮影した写真をお互いに見せ合って言葉にする行為を通じて初めて気づける、"私が撮る世界の輪郭"が浮かびあがることに気づいた。
その時に印象に残った具体的な話をひとつ挙げる。撮った写真を見せ合っていた時に、友達が「幸歩の写真、背中多いね」とぽろっとこぼした。それまでは全然意識していなかったけど、これまでの写真ももう一度全て見返してみる。すると、枚数でいうと全体の10%、日数でいうとスナップ写真を撮っている日のうちの1/3は背中の写真を撮っていたことに気づく。(*下資料1参考)また、空港に行った日のジャーナルにも、空港にいる人の背中の表情について言葉を綴っていた日があった(*下資料2参考)。なぜ背中なのか、カメラを向けていることを気付かれるかもしれないという恐れからなのか、無防備な人の瞬間をキャッチしたいのか、背中から何かを読み取ろうとしているのか、その人の向こうに広がる場所が気になっているのだろうか、私はその発見をした日から"背中"という言葉が妙に脳内を駆け回るようになった。なんとなく、で残していた日々がデータとして浮かび上がってくると、それによって新たな発見があり、発見したことによって私の場の捉え方や、写真の撮り方も変化するのかもしれない。でも、毎日のスナップ写真にことばを与えることで生まれた、自身の撮る時の変化自体も、楽しみたいと思っている。
この行為について考えている時に、スナップショットという手法に強くこだわり続けた森山大道という人物について語られている本の中の、印象的なことばがよみがえってきた。《ひとりの人間のなかに、見たものを「撮る人」と撮れた結果を「見る人」という二つの人格が存在するのである。「撮る人」は狩りに似た興奮に操られてシャッターを切るが、「見る人」はその興奮がおさまった状態で眺める。両者の関係は、試合を終えたスポーツ選手に似て相反しがちなのだ。(中略)それまでは見るだけに終わっていたイメージを残し、見直し、それに 触発されてつぎの写真を撮る、というふうに世界を相手にエネルギーを循環させる方法が見つかったのである。》(『スナップショットは日記か?』-大竹昭子)。
撮った写真そのものにも、私が「撮る」際にみている世界や思考があらわれているが、実はそれらを通して、その時の自分にことばを与えたり、それを他者と交わしたりして初めて表出するものがあるのだと気づいた。
*資料1
*資料2
卒プロ2に向けて
私は日々何を残そうとしているのか、という問いをもって、私とカメラと場所へのまなざしの関係に近づこうとしている。私のフィールドは、空間的にいうと私が移動している世界中のどんな場所でも、時間的には第三の目(カメラ)を携えている間ずっと、にまで広がった。卒プロ2では、まずは、引き続きこれまでのスナップ写真のデータをあらゆる角度から分析してみるとともに、日々の"撮る"行為自体をわたしのことばに翻訳しながら観察していく。具体的には、①これまでと同じように日々スナップ写真を撮る ②写真を見返して私がなぜそれを撮ったのか、撮った時の気持ち、見返した時の気持ちや気づきを言葉にする ③その写真とことばを友人に送り、話す。(カメラを使っている友達に送るか、カメラを持たない友達に送るかなどは迷っているため、ひとまず絞らず複数人に送ってみる。)
私の卒業プロジェクトは「人はどのようなまなざしで場や世界をみたり、残そうとしたりしているのか知りたい」という想いが根底にあるため、私以外の協力者(例えば6月に一緒に歩いた友人や写真とことばについて語っている友人)が、カメラを持ってまちに出た時に撮った写真から彼女自身について語りたくなるくらいまで設計できると、より当初の問いに近づき深みを増していくと考える。その背景として実は、6月に自分自身の写真の分析をする前に、私がある4枚のそれぞれ別の場所で撮影したスナップ写真を何人もの友人に見せてその写真から想起したものをテーマに文章を書いてもらうことをしてみた。ひとつの場に複数の場の記憶が重なり語られていく初めての感覚を覚えたものの、私がその人のために撮影したわけではない写真に強引に結びつけることで場の捉え方をわかった気になってはいけないと強く思ってしまった。そんな理由からも、写真に自己を見出すことにおいて、何らかの言葉を紡ぐその人自身がカメラを構えていることが重要なのではないかと思うようになった。映画学に関しては、社会学や美学に基づいた研究が活発であるが、写真学は歴史や技法に関することは語られても社会学などと紐付けられて語られることはあまりないといわれている。被写体の了承なしにカメラにおさめるという、スナップショットが時にもちえてしまう暴力性に慎重になりつつも、私自身や、カメラを持ちまちに出てゆく友人たちが、その狭間の中でどう揺らぎながら、カメラを覗く"私"に近づけるかを調査していきたい。
私は今日もまたカメラをさげてまちに出る。
(山本 幸歩|Yukiho Yamamoto)