まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

「移動」の季節

毎年度末に開いている「フィールドワーク展」(今回は、15回目の「ドリップ」 https://vanotica.net/fw1015/ )も終わり、「追いコン」についてのやりとりがはじまって、いよいよ卒業のシーズン。大学のほうも学期末のあれこれが一段落して、新学期を前にちょっとひと息というタイミング。学生たちが「移動する」季節だ。

あらためて、この2年間の「研究会(ゼミ)」をふり返ってみた(じつは、これがなかなか面白いので、いずれもう少し遡って整理してみようと思う)。この2年間(4学期)で、35名の学生(大学院生を除く)が、出たり入ったりした。そして、毎学期18〜19名という人数だった。(他の「研究会」のことはわからないが)新陳代謝は、激しい。

人数の変化を、簡単に図示してみた。ウチのカリキュラムは半期制で(前期・後期)、1年生から「研究会」に所属することができるのが特徴。だから、たとえば2年生の春(3セメスター)で「研究会」に所属すると、長ければ3年間は一緒に活動することになる。これまで、そういう学生がけっこう多かったものの、最近は「移動」が多い。
図で、は1年生(1〜2セメスター)、2年生(3〜4セメスター)、が3年生(5〜6セメスター)、が4年生(7〜8セメスター)という色分け。は「卒業プロジェクト」を完了したかどうかの印。(その他の例外的な表記については後述)

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2017年度春(2017S):左から順番にざっと見ていくと、1〜6は、2018年3月卒業予定で入学した学生たち。つまり、2014年度の「新カリキュラム」(通称「14学則」)で学びはじめた学生の初代になる。この年から、3年生があたらしく5名。5名全員が、2年生の秋学期までは別の「研究会」に所属していた。ウチのカリキュラムだと、なんとなく3年生からスタートするのは「遅い」というイメージがあるが、じつは世の中の多くの大学では3年生の春から「ゼミ」に所属して、2年間を過ごすのが標準的である。まぁ、3年生の春というタイミングだと、もう「後がない」ので、無理にでもじぶんの居場所として考えることにはなる。
同じタイミングで2年生が7名、1年生が1名加わっている。つまり、2017年度春学期は、19名のうち、13名が新メンバー。残っていた(継続履修の)学生のほうが、圧倒的に少ない状況で「加藤研」が動きはじめた。

2017年度秋(17F):「卒プロ」修了は4名、そのうち2名は途中から「研究会」を離れて、ぼくは「卒プロ」の指導だけを行なった。は、「研究会」に所属せずに「卒プロ」の指導を受けるパターン。やや例外的だが、少数いる(というより、あまり勧めないけど技術的には可能)。
あとの4年生は、1名は休学、1名は卒業延期。2年生が1名、半期の履修を終えたところで離脱。そして、3年生が3名、1年生が1名、あらたに加わった。

2018年度春(18S):卒業延期していた1名が修了。6セメスター目に「研究会」に所属していると、通常だとそのままもう1年かけて「卒プロ」に取り組むところ、2人が離脱。2年生の4名が、1年間の所属ののち(つまり、3年生になる段階で)離脱。入れ替わりで、3年生が3名、2年生5名があたらしく加わった。

2018年度秋(18F):4年生は1名が「研究会」を離脱して「卒プロ」のみのパターンに、もう1名は離脱。3年生は、メンター申請の学期をむかえるタイミングで1名が離脱。3年生が1名、2年生が3名、あらたに加わった。

2年間をふり返って気づいたこと/考えたこと(雑感):

  • 1年間ほど所属してから離脱するのは、なんだかもったいない。素朴に、そう思う。ようやく、これからというタイミングだから。それは、学生たちの「様子見」の期間(トライアル的に「研究会」にかかわる期間)が長すぎるということなのか、それとも、ぼくのほうが「様子見」を許容しすぎているのか。とくに3セメスター目で「初研究会」として所属すると、どうしても「様子見」になりがちなのかもしれない。講義科目や、書籍などをとおして、ある程度の理解をしてから入ったほうがあれこれ上手くいく。
    「フィールドワーク(=時間がかかるし、意外と苦しい)」をきちんと学びたいなら、やはり2年くらいはじっくりやらないと、その本質を理解することはできないのに…。道半ばで辞めてしまうのは、とても残念なことだ。大学院生たちの「本格的なフィールドワーク」を、もっとわかりやすく紹介するようにすれば、時間感覚や紆余曲折(試行錯誤)についてイメージしやすいかもしれない。やっぱり覚悟が大事だから。
  • もちろん、1年くらい活動して「やりきった感/ひと仕事終えた感」とともに、他の「研究会」を目指すなら、それはよいことだと思う。そもそも、ウチのカリキュラムは学生たちの「移動」が自由な設計になっているのだから、いくつかの「研究会」で学びながら「卒プロ」に向かうのは、理想とも言える。教員としては「囲い込み」の発想は捨てて、「移動」を後押しする姿勢が必要。ただし、その「やりきった感/ひと仕事終えた感」が本物かどうかは要チェック。それは、多くの場合、成果物(いわゆるポートフォリオ)として表れているはず。半期でも1年でも、「研究会」のメンバーとして活動している間に、何をして/何をえて、何を生み出したのか。無形の〈モノ・コト〉はもちろんあるけど、確実に誰かに紹介できる〈何か〉はあるのか。不完全燃焼のままだと、けっこう引きずる(ことがある)。
  • そもそも、じぶんでやる気と関心の高さを表明して、希望して「研究会」をえらんだはずなのに、続けられなかった(続ける気にならなかった)のはなぜかを考えてみることは大切。テーマ(コミュニケーション論、メディア論)や手法(質的調査法)、運営方法(ワークショップ、「キャンプ」などの学習環境のデザイン)、教員との相性(これは、つねに移ろうけど)、メンバーとの人間関係(グループワークが上手くいくかどうか)などなど、いろいろな理由は見つかるはずだが、一番のふり返りが必要なのは、じぶんはどのくらいの意識をもって「研究会」に向き合っていたかを問うこと。やることはやっていたか、サボっていなかったか、本を読んだり文章を書いたりしていたか、メンバーや教員とのコミュニケーションのありようについて自覚的だったか、関係性を維持することについて、どこまでじぶんの感性がはたらいていたのか、などなど。あえて教員目線で語ると、そもそも「シラバス読んだの?」と聞きたくなる場面は、たびたび訪れる。
  • 「ちょっとちがってた」「他に興味がある」などと感じたら、それを言語化したり、じぶんなりのタイムライン(=どのように大学生活にケジメをつけたいかという見とおし)に位置づけたりして考えてみること。つまり、「移動」することの意味づけ。調査研究には、感情が充填されている(と、ぼくは考えている)ので、その情熱と方法論(実現のための道筋)がフィットしていることが大切。そして、評価者をえらぶこと。それは、じぶんの成果を「誰に見てもらいたいか/誰に評価してもらいたいか」を問うこと。すべて、じぶんのセンスや要求水準しだい。楽にやりたければ、楽なところ。不健康なプレッシャーは避けたほうがいいけど、じぶんに深く向き合いたいなら、変化を拒まないこと。
  • 最後に。「移動できること」は、他学部(他大学)では、あまり聞いたことがない、ウチのカリキュラムの特質。その自由が、かえってやりづらさを生んでいるのかもしれないけど、カリキュラムの構造をよく理解することは大事。(大学生の4年間のあとで、たくさん「移動」するわけだから、まぁよく考えて決めればいい。)
    でも、ほとんど何も言わずに辞める人が多いのは残念。じぶんの考えについて話すこともせずに、事務的に離脱する人は、非礼とか非常識とかいうよりも、可哀想な感じ。大学生の一番の特権を、放棄しているわけで。コミュニケーションに気後れしたり、ビミョーだったり、畏れたりすることはあっても、きちんとお互いに「ありがとう」「さようなら」を言って別れないと、たぶん、もう会えない。それは、ぼくの(すでに20年を越えてしまった教員としての)経験から、確実に言えること。本当に、もう会えない。🐸

参考:もともとは、20年前!に書いた文章。