まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

きっかけのデザイン

(2025年8月7日)この文章は、2025年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

松尾 佳歩|Kaho Matsuo

はじめに

人は、いつ、どのようなときに意志を持って自らの行動を変えようと思うのだろうか。何かを始める、辞める、続ける、...という意思決定の背景には複雑な要因があると考えられるが、私はその中でも「他者との関わり」が人の行動変容にどのように影響するのかに強い関心を持っている。
この関心の出発点は、大学2年次に履修していた「リーダーシップのためのコーチング」という科目での経験にある。授業では、コーチングを「自発的行動を促進し、目標達成を支援するコミュニケーション」と定義し、実践を通してそのスキルを学んだ。そのなかで特に印象に残ったのは、「アドバイスをしたとしても、コーチィ(コーチの支援を受けながら自らの目標達成に向けて行動する主体者)自身が納得しなければ行動変容にはつながらない」という学びである。これは、他者がどれだけ善意をもって助言しても、それが本人の内的動機に結びつかない限り、実際の行動には反映されにくいという事実を意味している。だからこそ、コーチ(コーチィの内面にある答えを引き出すためのサポート役)には良質な問いによって相手の気づきを促し、内省を深めることが求められる。この学びを通じて、私は「アドバイス」ではない形で人が変わるきっかけに興味を持つようになった。特に、日常の何気ない会話の中に、行動を変えるほどの本音が見える話が始まる瞬間があると感じており、好奇心を抱いている。本音が見える話とは、表面的な情報交換ではなく、相手の価値観や人生観に触れるような会話であり、自己理解や関係性の再構築を促すような力を持つと考えている。
これまで大学生になって始めた中高生向けの進路支援イベントや、イタリア留学中の日常の何気ない会話の中でも、ある一言やある瞬間が人の決断に影響する場面に立ち会ってきた。そのたびに、単なる情報提供やアドバイスではなく、本音が語られている空気感や心が動く瞬間のようなものが作用していた感覚があった。これらの経験と学びを踏まえて、私の卒業プロジェクトでは「自分を見つめ直す時間と深い対話の場をどのようにデザインすれば、人は行動へと踏み出すことができるのか」という問いに対して探求していきたいと考えている。

 

卒業プロジェクト1の活動

卒業プロジェクト1の期間である2025年4月から7月において、主な活動としては「2024年9月から開始したイタリア留学中の旅行やアペリティーボについて写真や日記をもとにふりかえり、記述する」「月に一度、卒業プロジェクトに関する文章を1600文字程度で書き、自分の研究テーマについてさまざまな視点から考える」の2点であった。月ごとに記述した文章(加筆・修正あり)をもとに、研究テーマと研究活動について再考していきたいと思う。

・4月:「きっかけ」の後押し
旅行中に友人と深い話をする中で、彼女自身が海外インターンへの挑戦を決意する「きっかけ」を提供できた経験から、私は「なぜ人は心の奥底の想いを行動に移せないのか?」「行動のきっかけを自分が後押しできるのか?」という問いを持つようになった。この問いの背景には、私がこれまで地方の中高生の進路選択に課題意識を持ち教育について学ぶ中で出会った「自己効力感」という概念がある。カナダの心理学者バンデューラによれば、「自己効力感」とは自らの能力を信じ、「自分にはできる」と感じる力のことである。彼は自己効力感を高める要因として「遂行行動の達成」「代理的経験」「言語的説得」「情動的喚起」の4つを挙げている。中でも後者の3つは、他者との関わりや外部からの刺激を通じて高められる可能性がある。つまり、意図的に『きっかけ』を設計することで、人の行動変容を促すことができるのではないかと推測する。


私が重要だと考える『きっかけ』は大きく2つある。ひとつは、日常から離れる留学や旅など非日常の体験。もうひとつは、人との関係性を深める食を媒介とした空間、すなわちアペリティーボや手料理をふるまう食事の場面である。現代の大学生や若者は、常に忙しさや目の前のタスクに追われており、「立ち止まって自分の気持ちや価値観を見つめ直す時間」が極端に少ない。加えて、人と深い話をする機会も限られ、心の奥にある想いや葛藤を言葉にすることも難しくなっている。こうした問題意識は、イタリア留学中でアペリティーボや手料理を振る舞うことで自然に深い話が生まれた経験や、留学中に出会った「マイクロリタイア」という考え方に触れて心のゆとりの大切さを実感したこと、そして深い対話の後に得られる満たされた感覚が自分にとってかけがえのないものであることが背景にある。今後は「マイクロリタイア的な空間での対話の場」や「食を媒介とした深い対話の場」などの場が持つ重要性に着目し、自分のフィールドについて模索していきたいと思う。

・5月:「できそう!」と思える瞬間
「行動を起こすきっかけとは何か」という問いをさらに掘り下げる中で、私自身が「行動を起こせなかった過去」を振り返る必要性を感じるようになった。
鹿児島県出身の私は、地元の高校の国公立志向や、通っていた塾に志望大学の合格実績がなかったことから、受験を一人で進め、現役では不合格となった。より良い教育環境を求めて上京し、予備校に通う中で、地方と都市部の教育格差を痛感した。特に、印象的だったのは、夏休みの模試後の面談で志望校が変わったことだ。それまで早慶は視野に入っていなかったが、メンターの問いかけと、合格実績やノウハウに関する説得力のある話を聞く中で、「自分も目指してみよう」と思えたのだ。この経験から、進路選択における地方格差、特に「情報量」と「文化的背景」が、無意識に可能性を狭めていると感じた。この状態を「進路選択の自分ごと化」ができていない状態と捉えている。自分の進路にもかかわらず、周りの環境や価値観に影響され、視野が狭まってしまう状態のことだ。ここから脱却するためには、自分のことをよく知った上で「こういうふうに行動できそうだ」と前向きに予感することが大切だと考える。後に知った心理学者バンデューラの「自己効力感」という概念は、その経験を言語化する手がかりとなった。
私の進路選択の経験を振り返ると、以下のステップで自己効力感が高まったことがわかる。

  1. 選択肢の発見: メンターとの対話により、視野になかった早慶が選択肢として見えるようになった。
  2. 確信の獲得: 模試の成績や予備校の合格事例(代理的経験)が、説得力のある言葉(言語的説得)とともに提示され、「自分もできるかも」と思えた。
  3. 目標設定と行動: 新たな第一志望が見つかり、合格に向けて努力を開始した。

この経験は、自己効力感を高める要因(遂行行動の達成、言語的説得、代理的経験)が複合的に働くことで、「自分もできる」という確信が生まれ、行動につながることを示していると考える。

このような原体験をもとに自分の言語化できていなかった概念として出会った「自己効力感」というキーワードを大切にしつつ、これを高めるための他の要素がないか考察を続けていくつもりである。

・6月:アペリティーボで心をひらく
私は、人々の行動を促す「きっかけ」として、「食」を媒介とした対話の場に着目している。特に、イタリアの「アペリティーボ」という文化に興味を抱き、そのデザインについて考察する。
まず、「アペリティーボ」とは何かを明確にするために、日本の「立ち飲み」と比較しながら、自分なりの定義をしたい。アペリティーボはイタリアの北部にある美食のまちトリノで始まった。ラテン語の「aperire(開く)」が語源となっており、現代では食前酒と共に軽食を楽しみ、人々がおしゃべりをする社交の場を指す。レストラン、バール(カフェ)、自宅だけでなく、川のほとりや公園のベンチなど場所の定義はなく、その日のアペリティーボをするために心地よい場所が会場となる。多くの場合、どこで行うとしても参加している人同士の目線の高さや座る位置はバラバラで、その適当さが心地よさにつながる。そして、その会話は、その日の出来事からこれまでの過去の話、人生観や将来の夢といった深い話題まで幅広い。これは、日中の忙しさから解放され、心にゆとりがある時間帯(体感として13〜26時と幅広い)であること、食が提供されることで心理的な障壁が低くなることが要因と考えられる。一方、日本の立ち飲みは、仕事帰りに気軽に立ち寄り短時間で一杯を楽しむ文化というイメージが強い。私のこれまでの体験を振り返ると、目的は「飲むこと」や「手軽に済ませること」に重点が置かれ、会話も比較的一時的なものになりがちだと感じる。空間はカウンター形式で、隣の人と同じ環境で会話をしていることが傾向として挙げられる。この違いとして、「対話の深さ」があると考える。つまり、アペリティーボとは、心地よい空間とゆるやかな関係性の中で、食と対話を媒介に相手との距離を縮め、深い自己開示や共鳴を自然に引き出す、「心をひらくための時間」として定義できる。
実際に、友人と行ったアペリティーボでは、授業の前後の短い会話では知り得なかった彼女の価値観や夢を知ることができた。彼女の意思決定の軸を知ったことで彼女に対する自分の解像度が上がった。周りが賑やかな中でも、視線が合い続けるわけでも、常に会話が盛り上がるわけでもない自然な雰囲気の中で、時には互いの存在も時間も場所も忘れるほど一つの話題に没頭し、ふたりだけの世界が広がり共鳴し合う感覚を得た。本音で話し、「きっかけ」を後押しできるエネルギーと、そのエネルギーに触発されて自ら動き始めようとするエネルギーが生まれたと感じた。相手と自分の共感できる類似体験や相手の意思決定の核になっているものを知ることで関係性が深まり、深い対話の場につながっていくのではないかと考える。この経験から、アペリティーボという場は、相手との類似体験や意思決定の核となる部分を知ることで関係性が深まり、深い対話につながると考えている。

・7月:ひらいた2人で少しずつ近づく
留学中に出会ったYさんとの関係が、アペリティーボを重ねるなかで深まっていった。初対面の頃は表面的な話が中心だったが、10ヶ月の期間を通じて徐々に彼女の本音が垣間見えるようになっていった。Yさんとの出会いは、友人の誕生日パーティーだった。20分ほどの立ち話で、住んでいるエリアや専攻など表面的な会話に終わった。しかし、十分に話せなかった心残りから、翌週の私の誕生日パーティーに彼女を招待した。当日、彼女は参加できなかったが、「準備を手伝いたい」と申し出てくれた。30人分の料理を一緒に作る中で、自然と会話が深まり、前回は聞けなかった内面に触れることができた。料理という共同作業を通じてタイミングや感覚を共有できたことが、会話の深さにつながった。 その後、3ヶ月ほど会わない時期が続いたが、再会はイタリア北部とモナコへの旅だった。地域の食文化を巡る旅の道中、電車内や宿での会話では、「イタリアで英語を使うことの脆さ」や「イタリア語学習における自分なりの工夫」など、より深いテーマが自然と上がった。彼女の言葉に共感しつつ、自分とは異なる視点や考え方を受け取ることで、自身の行動や意思決定にも影響が及んだ。
アペリティーボのような空間では、無理に会話を続けようとする必要がなく、沈黙も自然に受け入れられる。飲み物を選んだり、料理を味わったりする時間が「沈黙の理由」となり、言葉がなくても安心して過ごせる時間が成立する。このような余白があるからこそ、会話に過度な緊張感が生まれず、話したいことを自分のタイミングで話すことができるのだ。また、相手の反応が肯定的であったり、過去の会話を覚えてくれていたりすることが、「この人になら話しても大丈夫だ」という安心感につながる。Yさんとの対話を通して、自分の考えが整理されたり、言葉にすることで内面に気づきを得たりする場面が何度もあった。そのような対話は、単なる会話にとどまらず、「行動へ移すエネルギー」を生み出すプロセスとしても機能すると考えている。
Yさんとの関係性は、一度の対話で急速に深まったわけではない。むしろ、回数を重ねる中で信頼が築かれ、それに伴って話の深さも変化していった。このプロセスを通じて、「深い対話」の背景には、安心して話せる関係性の蓄積があること、そしてその関係性を育てる場としてアペリティーボのような余白を含む空間が有効であるということを実感した。

・卒業プロジェクト1からの仮説
本稿で取り上げた4〜7月の実践を通じて導かれる仮説は、「人が行動に踏み出すためのきっかけは、安心感と余白を備えた関係性と場の中で生まれる」というものである。まず、場の設計においては、心理的に安全であることが不可欠である。否定される心配がなく、自分の思いや考えを自由に話せる空気があることで、心をひらいた状態で会話ができるようになる。また、沈黙を無理に埋める必要がない「余白」があることも重要だ。たとえば、食事や飲み物、風景といった身体感覚を共有できる要素があることで、無言の時間も心地よく過ごせ、無理なく自然に話題が深まっていく。さらに、日常から少し離れた「非日常性」を持つ空間、つまり旅先やアペリティーボのような切り替えのきっかけがある場は、自分自身と向き合う感覚を後押ししてくれる。一方で、関係性の土壌も深い対話には欠かせない。相手の言葉や変化を記憶し、関心を持って関わり続けることは、「この人は自分をちゃんと見てくれている」という信頼を生む。そうした信頼は、上下のない対等な関係性の中でこそ育ちやすく、「教える/教わる」といった固定的な構図を超えた共創的な対話を可能にする。また、深い関係性は一度の会話で築かれるものではなく、何度も重ねたやりとりの中で少しずつ育っていくものである。そのような継続的な関係性の中では、「今すぐ答えを出さなくていい」という余裕も生まれ、自分の内面と向き合う時間が自然に確保される。このように、深い対話を生み出すためには、成果を急がず、相手が安心して「揺れること」ができるような環境と関係性を、丁寧に育てる姿勢が大切なのではないかと考える。

・振り返りを通じて
 4月から7月にかけての文章作成を通じて、私の問いはより具体的に、かつ幅広く展開してきた。当初は「人が行動を変える『きっかけ』」に関心を寄せていたが、実践・考察の中で「深い対話とは何か」「どのような場がその対話を可能にするのか」「変化とは一瞬ではなく蓄積の結果ではないだろうか」と次々と問いが浮かび上がってきた。これらの問いを持ちながら、フィールドワークを続けていく中で、前後を含むフィールドで起こったことについて丁寧に目を向けてそのプロセスと影響を写真・フィールドノートへの記録・深い話ができた人へのインタビューなど様々な質的なデータを集め、それらをもとに分析していきたい。
卒業プロジェクト1に取り組むにあたって、「構成的フィールドワーク」というものが何かわからずにただひたすら自分の興味に従って問いを持ち、考察を進めてきた。しかし、「『構成的フィールドワークに向けて』という論考」を読み、自分が行ってきた活動のフィールドの認識やフィールドへの向き合い方の曖昧さが課題であり不十分であると感じた。夏季休暇を利用し、これまでのフィールドだと思っていたものやそこへの関わり方などについてもう一度考え直し、「構成的フィールドワーク」だと自信を持って言えるような状況にしていきたい。

 

卒業プロジェクト2に向けて

以下の視点をもとに、卒業プロジェクト2では、これまでの経験を土台にしながら、より対象を絞った深い観察と分析を行い、「きっかけのデザイン」に関する独自の知見を育てていくことを目指していきたいと思う。

・フィールドを捉え直す
一番はじめにすべきことは、フィールドワークの設計を改めて見つめ直すことである。現在の状況としては、フィールド(内部メンバーとして参加者の立場、ときどき主催者という権限付きの立場のときもある)としてイタリア・ヴェネチアのバール、自宅、旅行中の移動の交通機関・ホテル・レストランなど、地理的な側面からのみ捉えている。今後は、自分のフィールドだと思えるものが地理的な条件以外に何が挙げられるのかを考え、他の側面の条件(たとえば「対等な関係性があるか」「ゆるやかな時間の流れがあるか」「目的が過剰でないか」など)を追加することで、研究の対象を絞り、ひとつのリサーチクエスチョンが継続的に成り立っている状態を目指したい。

・分析の方法を具体化する
分析の方法が明確でないことも課題である。卒業プロジェクト1では記述的に現象を捉えることが中心であったが、今後は観察や記録から得られる情報をもとに、対話のプロセスや参加者の変容に関する共通点やパターンを抽出していく必要がある。そのために、出来事の記録だけではなく、「行動変容の兆し」や「自己効力感の変化」がどこで生じているのかに着目した視点で読み解くフレームワークをつくる必要があると考える。また、継続的な観察対象を設定することで、対話による内面や行動の変化を中長期的に追っていきたい。

・記述・記録のフォーマットを整備する
会話や場の観察から得た気づきを、どのように記述・記録するかも重要である。現在は日記やレポート形式が中心であるが、今後は対話の断片、表情、沈黙、場所の雰囲気など、非言語の要素を含めて記録できるフォーマットを模索する。写真、図解、関係性マップ、タイムラインなど、複数の方法を組み合わせながら、主観と客観のあいだを行き来できるような記録手法を試みたい。

・リサーチクエスチョンの決定
卒業プロジェクト1では、「深い対話が行動変容を促す」「本音が語られる場には共通点がある」といった問いが浮かび上がってきた。卒業プロジェクト2では、これらをもう一段階抽象化・定式化したリサーチクエスチョンを設定し、検証可能な形に落とし込む必要があると感じている。

・アウトプットの形を構想する
最終的な成果物の形を早い段階から意識することで、観察や記録の際に必要な情報や構成の方針も見えてくる。今後、自分の関心や伝えたいメッセージに最適な表現方法を探り、場づくりと記録がつながる実践としてアウトプットの方向性も具体化していきたい。

 

参考文献・資料
  • バンデューラ,A.(1997)『自己効力感――行動変容の社会的認知理論』金子書房
  • 山本幸生(2010)『高校生のキャリア教育プログラムの開発と実践に関する研究』
  • 加藤文俊(2025)『構成的フィールドワークに向けて』