Day 3: 2019年2月24日(日)
日曜日。今朝は、昨日よりもさらに早起きして、6:30に出発。朝ごはんは、ふたたび、クルマのなかでバインミーを食べた。日曜日は、“ドリームクラス”が開かれる日だ。まずは、“Dream Class 1”へ。一昨年、はじめてフーカットに来た時(つまり、はじめて“ドリームクラス”のことを知った時)に訪れたことがある。
あの時は、ちょうどスアンくんの本が出版されるということで、出版記念のイベントも同時におこなわれた。スアンくんも、家からやって来て、サイン会を開いていた。校舎を歩いて、校庭や建物を見たとたんに、いろいろと記憶がよみがえってきた。そう、テレビの取材クルーが来ていたのだった。“ドリームクラス”の試みを、いわゆる「美談」として報じようとしていることが伝わってきて、機材をかついで無遠慮に教室に踏み込んでいくのに嫌悪感をいだいていたことまで思い出した。
あれから、ほぼ2年。教室は、とても賑やかで、いい雰囲気だった。昨日の“Dream Class 4”のような初々しさ(あるいはぎこちなさ)は、まったく感じさせない。年を追うごとに、生徒たちの入れ替わりがあるはずだが、さすがに2012年にスタートしてこれまで続いているだけあって、クラスの雰囲気がいい具合に継承されているのだろう。これは、とても大切なことだ。
なにより印象的だったのは、生徒と教師だけではなく、家族も一緒に教室で過ごしていたことだ。つまり、ハンディキャップを持った生徒と、その「健常な」兄弟/姉妹とが一緒にクラスを成り立たせている。もちろん、両親たちもクラスの一部となって、ともに過ごしている。一昨年と同じように、なかなかのカオスな感じだが、明るい。明るいのは、そして笑顔がたくさんあるのは、とてもいい。
今回は、教室に入って、生徒たちのようすを眺めた。前回は、躊躇して(ちょっと戸惑ってビビっていたということだ…)、〈外側〉から見ていたのだが、少しは進歩があったのだろうか。当時のブログ(2017年3月12日)を読み返してみた。初めて訪れた日について、こう書いている。
じつは、昨日もきょうも、ぼくは“Dream Class”のようすを外から眺めてはいたものの、「教室」のなかには一歩も入らなかった。入ることができなかった、と言ったほうが正しいのかもしれない。それは、ぼくがまだ〈外側〉にいるということだ。プロジェクトの成り立ちや意義は、少しずつわかってきた。子どもたちの家庭のようすもじかに見ることができたので、フーカットでの暮らしも、そして、ハンディキャップをもった子どもたちのことも、身体で理解しはじめていた。だが、今回は「教室」のなかには入らないことにした。もちろん、テレビ局のカメラマンの乱暴さには閉口気味だったが、同時に、「教室」にいる子どもたちからすれば、ぼく自身もさほど変わらない存在のように思えたからだ。(2017年3月12日のブログから)
続いて、“Dream Class 3”へ。ここは、初めてだったが、まだ歴史は浅いみたいだ(※あとで確認)。担当の先生が、クラスの運営にかなり意欲的で、生徒がじぶんでその日の活動をえらべるようなやり方を試しているそうだ。教室の後ろにはロッカーがあって、そのなかに画用紙やクレヨン、絵の具などが収められている。みんなは、そのやり方を理解しているようで、ときどき、そのロッカーに行っては道具を入れたり出したりして、何をするかを決めていたようだ。
つい先ほど見た“Dream Class 1”にくらべると、ものすごくおとなしい。生徒どうしの会話もほとんど聞こえなかった。先生やボランティアでかかわっているメンバーも、教室を回りながら個別指導をしているふうで、なんだか覇気がない。おまけに、(これはみんなが気にしていたことだが)教室の前方にあるディスプレイではアニメが流れていた。クラスが静かだから、アニメの音で少しでも賑やかにしようということなのだろうか。生徒たちは、ディスプレイを眺めながら絵を描いたり、ちいさな人形に色を塗ったりという感じで、むしろ集中力を奪われているように見えた。ただでさえ、飽きっぽいはずだ。なかには、じぶんの手元を見ずに色を塗っている生徒もいて、思わず苦笑した。
“Dream Class 3”の先生がたと一緒にお昼を食べて、ひと休みしてからスアンくんの家に。じつは、スアンくんの2冊目の本が出版されたのだ。Chiさんが、できたばかりの本を手渡す。1冊目はイラストがたくさんあって、マンガとまではいかないものの(アメコミふうではある)、ことばがわからなくてもなんとなくストーリーを想像できた。2冊目は、判型も少しちいさくなって、テキストが主体だ。まずは、本を買い、サインをしてもらった。
いろいろ、変化があった。家の周りはこぎれいになっていて、放置されていた(ように見えた)畑にはピーナッツが植えられていた。どうやら、新年のお祝いのタイミングで、あちこちが整えられたみたいだ。部屋には、扉のついた立派な本棚が置かれていて、本がたくさん並んでいる。去年、ぼくがプレゼントした『うめめ』は、表紙が見えるように飾られていた。
なにより、スアンくんが1年間でずいぶん大人になったようだった。これまでは、あまり会話が続くという感じではなかったが、ごく自然にやりとりができる。もちろん、想像力をはばたかせて、あれこれと思いを巡らせる日々は続いているはずだが、相手の反応を見ながら話がすすむ。学生たちは、スアンくんを囲むようにして座り、1時間ほどおしゃべりをしていた。笑い声もあって、いい雰囲気だった。
明朝、早い便でフーカットを発つので、ふり返りを終えてから荷づくり。あっという間だった。(あとで加筆)(つづく)