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まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

フーカットで考えた。(1)

ベトナム レポート EBA

Day 1: 2017年3月9日(木)

縁あって、「EBAプログラム」のフィールドワークに参加することになった。ホーチミンで国内線に乗り継いで、フーカット(Phù Cát)に向かう。

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ベトナム戦争中に枯葉剤(Agent Orange)が散布されたことは、もちろん「出来事」としては(ごく常識的なレベルで)知っている。枯葉剤は、その後も数十年にわたって、森林や田畑に、そして人びとの身体にも影響をあたえ続けている。つまりは、人びとの心の奥にまでおよんでいるということだ。(付け焼き刃ではあるが)日本を発つ前に『花はどこへいった』『沈黙の春を生きて』というドキュメンタリーの映像を見た。いささかならず、重い気持ちになる。

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すでに到着していた学生たち(大部分が梅垣研)と合流してランチを食べて、午後は3つの家を訪問した。一つひとつの家庭には、それぞれの事情がある。もちろん、子どもたちの症状も多様だ。映像に感情を揺さぶられることはたびたびあるが、やはり、現場の体験にはかなわない。なにより、ぼくにとっては、すべてが「初対面」なのだ。いっぽう、梅垣さんもチーさんも、そして大部分の学生たちも、フーカットで「再会」を果たしていた。「大きくなった」「前より元気そうだ」などと、再訪の場面ならではのことばとともに、旧交を温めているようすだった。わずかに話を聞いただけだが、この数年間でずいぶん社交的になったり、実際に家の外に出るようになったりと、時間をかけて向き合っているからこそ見えてくる、変化(の兆し)があることはまちがいないようだ。ぼくが、こうして無防備にフィールドワークに随行できるのは、時間をかけて、ていねいに信頼関係がつくられてきたからだ。その難しさをいつも感じているだけに、ずっと頭が下がる想いで過ごしていた。

このプロジェクトが向き合っているのは、おそらくは「こたえ」のない問題だ。言うまでもなく、原因がわかることと、治ることはちがうからだ。ぼくたちの身の回りにも、「こたえ」が見つからない(かもしれない)問題はたくさんある。現場の状況は、あまりにも複雑すぎて、明解な「処方箋」などないかもしれない。だからこそ、まっすぐに向き合って、その「こたえ」のない問題(あるいは簡単に「こたえ」が見つからない問題)とともに暮らしてゆくという道筋を選ばざるをえないのだ。知恵を集めれば、少しでも痛みや哀しみが和らぐかもしれない。それを願うばかりだ。
この日の晩のミーティングで、意味じくも、梅垣さんがことばにした。じぶんは「終わらない(終わらせることのできない)プロジェクトをはじめてしまった」のだと。だから、今回の旅は、その大いなる時間の流れのなかの、わずかな一瞬でしかない。まだ、怖くて踏み込むことができないが、ガイドブックには載ることのない、〈ここ〉の暮らしにじかに触れた。

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では、なぜ、これほどの執拗さをもって、このプロジェクトに向き合うことができるのだろうか。ぼくたちは、調査プロジェクトの話になると、その「理論的な背景」や「社会的な意義」について問うこと、問われることが多い。いかにも紋切り型の質問なのだが、それでも、理論による裏づけや成果の「公共性」については、きちんと考えておくべきだと感じているはずだ。プロジェクトを支援してもらうためには、(それなりに)「期待される成果」について語る必要もある。だが、そう言いながらも、結局のところは、理屈では説明できないある種の「違和感」のようなものが、前へとすすむ原動力になっているのではないか。

たとえば、20代のころにベトナム戦争という「出来事」に遭遇していたとしたら。その当時、アメリカで暮らしていたとしたら。それはきっと、鮮烈な記憶とともに、自らのふるまいや態度に大きな影響をあたえているはずだ。そんなことを考えると、今さらながら、なぜこのプロジェクトが生まれ、〈ここ〉で芽吹こうとしているのか、妙に合点がいく。研究者がひとりの人間である以上、ことばにはできない「何か」に突き動かされているのだ。🇻🇳

(つづく)

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