まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

関係:「Vさん」?

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

安藤 あかね

私が現在取り組んでいるプロジェクトのテーマを一言で表すと、「主に声だけでコミュニケーションをとるような環境において、どう人を理解して好きになっていくか」です。
これだけではあまり明瞭でないため、このテーマに行き着くまでの経緯を順に説明したいと思います。
当プロジェクトにおいて、非常に重要な存在となっているのが「Vさん」です。
「V」はインターネット上でのハンドルネームのイニシャルで、私はVさんの素顔も本名も知りません。私も同様に、本名ではなくハンドルネームでVさんとやり取りをしています。
Vさんとはどのような人なのか、なぜVさんと関わりを持つことになったのか。そして、関わる中でどのようにしてテーマが決まっていったのかをお話します。

Vさんを最初に知ったのは、今年の1月頃のことです。
私は任天堂が発売しているゲーム「Splatoon2」がとても好きで、上達のために上手いプレイヤーの動画をよく検索して視聴しています。その過程で、Vさんの動画と出会いました。
丁寧に編集されており、説明もとても分かりやすいにもかかわらず、その動画はあまり流行っていないようでした。
投稿した時期の問題(当時は「Splatoon2」の発売から数年経過しており、アクティブユーザーの多い全盛期とは言えませんでした)もあるかもしれませんが、それでも「この人はこんなに充実した内容の動画を作っているのに、何故あまり伸びないんだろう」と感じました。
当時の私は、「インターネット上のコンテンツ共有サイトにおける、投稿者や受容者間でのコミュニケーション(例:コメント欄で起こる会話)の個性」について興味を持っていました。その調査をするにあたり、自分も投稿者の立場に立つ必要があると考え、昨年の8月から不定期で動画共有サイトで動画の投稿をするようになりました。
しかし当然ながら、有名な投稿者が沢山いるこの時代、コメントをもらえる程に投稿が注目されることはなかなかありません。
そんな自分とVさんを、無意識のうちに重ね合わせて見ていたのかもしれません。気付けば毎日Vさんの動画を遡って観始めていました。

きっかけこそ少しの「共感」ですが、一通り動画を視聴し終わった頃にはどういうわけか、Vさんが持つ説明できない魅力を感じていて、動画では飽き足らず配信も観るようになりました。コンテンツ自体というよりも、Vさん自身の話し方や話す内容に注目していました。
Vさんが配信内で話す情報から、彼が男性であり社会人2年目(8月現在)であること、関西在住であること、大学院生時代にTAを務めた経験があることなどを知り、私の中でのVさんのイメージが少しずつ形成されていきました。
いつしか「Vさんと実際に話してみたい。Vさんがどういう人かを知って、仲良くなりたい」という気持ちが強くなった私は、彼があるサイトを経由して行っていた「Splatoon2」のオンラインコーチングのサービスを受けることを決めました。それが3月頃のことです。
サービスは有償で、基本的に1〜2時間を1回とし、およそ2週間の間隔を空け受講します。3回分で合計10000円、私にとっては決して格安とは言えない金額です。
それでも、勿論ゲームの上達という目的もありますが、それ以上にVさんと仲良くなりたい気持ちが大きかったので、迷わず受講を決めました。

初回のコーチングは、3月12日の20時に行われました。
配信でよく聴いていたVさんの落ち着いた声が実際に聞こえてきた時、「本当にVさんが存在していて、まさに今話しているんだ」と心の中で嬉しく思いました。
ですが初回は流石にいくらか緊張していたため、最低限の質疑応答以外、あまり自分から何かを話すといったことはできませんでした。
雰囲気こそ柔らかいものでしたが、お互いにしっかりと敬語を使っており、およそ2時間、決められたコーチングの内容だけを遂行してその日は終了しました。2回目も同様に、滞りなく終わりました。
コーチングの様子に初めて変化が訪れたのは、3回目の受講時のことです。
2時間のコーチングを終えた後に、Vさんとひたすら雑談をだらだらと続けるようになりました。長い時は3時間にも及び、最早コーチングの内容よりも長い時間を雑談にかけています。雑談の主な内容は、好きなゲームといったゲームに関連した話から、承認欲求の話、就活の話など個人的なものまでありました。
ちなみに、後から振り返って気がついたことなのですが、Vさんの「これでコーチングを終わりたいと思いますが、何か質問はありますか?」という発言が、いつも雑談の始まりの合図でした。
5回目の受講の頃には、私も緊張がほぐれたのか、時々Vさんに対してため口が出てしまうようになりました。初めはため口をこぼす度に謝っていましたが、6回目ではあまり謝らなく(気にしなく)なっていました。またVさん側のため口も、ごく僅かですが見られるようになりした。
8回目はVさんがコーチングの後に用事があったため雑談の時間はあまりとれませんでしたが、本来雑談はしなくていいことなのにもかかわらず、Vさんから長く話せないことを最初に提言されました。いつの間にか、私とVさんの間でコーチングの後に雑談をすることが前提となっていたのです。
このような各回の変化を経て、Vさん自身がどう感じているのかは定かではありませんが、少なくとも私は確実にVさんと打ち解けていっているように感じました。
穏やかで真面目だけれど意外とよく笑う、考え方はあっさりしている…などといったVさんの性格が、鮮明に私の中にイメージとして刻まれていきました。

改めて考えると、大学生になってからというもの、この「人と知り合い、何度も会って話し、時間をかけて相手と仲良くなる」経験がめっきりなくなってしまったように思います。
一学期で完結する授業のグループワークなど、その場では上手くやっていたとしても、あくまで作業を穏便に進めるためであり、本当に仲良くしている実感はない、そんな便利だけれどちょっと寂しい刹那的な関係が増えてしまいました。
さらに現在は、新型コロナウイルスが猛威をふるっている影響で、何も考えずに人と気軽に会って話すことが難しくなっています。
そういう意味で、私が現在体験しているこのVさんとのやりとりは貴重なのかもしれない、今はオンラインだからこそできる体験なのではないか、と考えました。
だからこそ、この体験を通して、素顔も本名もわからない、けれどもその人のことを沢山知っているような気がする、そんなVさんとの不思議な関係を表現したいと強く思います。
「主に声だけでコミュニケーションをとるような環境において、どう人を理解して好きになっていくか」これが今、最も関心を抱いているテーマです。

実を言うと以前にも「コンテンツ共有サイトにおけるコミュニケーション」から、私の頭の中で思い描くテーマが一度変わったことがあります。「私がVさんに抱いている気持ちはどのようなものなのか」についてです。
一言で表すならば、私は確実にVさんのことが「好き」です。しかしその「好き」は、ごく普通の友人に抱く「好き」とも、恋愛のパートナーに抱く「好き」とも異なるものだと心のどこかで感じていました。友人にしては感情が重いような気もするし、かといって恋愛感情かと聞かれると、決してそうではないと断言できる自信があったのです。
「好き」という言葉の解像度の低さを思い知らされるとともに、私がVさんに抱く「好き」は具体的にどのような感情なのかということに興味を持っていました。
ですが、プロジェクトが進み、研究室のメンバーや先生と意見の交換をするうちに、友人関係が様々存在するように、「好き」という感情にも様々あり、わざわざVさんへの好意を変に特別視して解明する必要もないということに気が付きました。
そもそも、様々に存在する関係を同じ「友人」や「師弟」といった名前で一括りにしてしまうこと自体が、本当は疑問視されるべきことなのかもしれません。
私とVさんの関係は、あくまで「私にとって」の「Vさんと」の関係です。それは私が他に関わりを持っている誰のものとも異なりますし、Vさんにとっても同様でしょう。
だから私はこの関係を、唯一無二であるという意味を込めて、そのまま「Vさん」と名付けました。これは今後プロジェクトが進む中で変化する可能性も否定できませんが、現時点ではこの名前が最も合っていると思います。

最後に、現在も引き続きコーチングを受講しながらプロジェクトを進めていますが、その過程で「記録をとる」といった行為はしていません。なぜなら、あえて記録をとらないことの面白さがあると考えているからです。
初めの頃は、後から個人的に聴き直し、ふり返ることを目的としてコーチングの録音を行っていたのですが、録音をしなかった(厳密には、し忘れた)回の方が、よりVさんの発言をはっきりと覚えていたのです。記憶に残る発言のほとんどが、私に対して言及していたり、私の発言に笑っていたりする場面のものでした。
このように、一種のフィルターがかかった状態で「あの時、私にこう言ってくれていた」と思い出すことが非常に面白いと感じたので、それ以降コーチングの録音を意図的にやめました。
ですが、最終的に発見や学びを表現するためには、何かしらの成果物を作成する必要があります。どのような媒体にするかはまだ決められていませんが、関係「Vさん」を表現するのに最も適切な方法を、「卒プロ2」を進める中で模索していければと考えています。

ストーリーテリングを用いて人やものを味わう

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

山田 琴乃

テーマについて

動機

私はアメリカで生まれ育ち、幼い頃から新しい環境に身を置く機会が多くあった。そのため、人にはそれぞれ背景や違いがあることを自然と認識し、無意識に相手を理解していくプロセスに慎重になり、五感を使って、目の前の状況や人を気にするというよりは、楽しみながら理解しようとしていた記憶がある。自ら得た一次情報から想像を巡らせ、相手を理解する、その繰り返しが次第に習慣となり、私の能力となっていった。

しかし、今の私はそれができなくなったと感じている。それは、一次情報を得ようとする以前に、インターネットへのアクセスや言語の習得により、多くの二次情報や三次情報が手に入れられるようになったからである。これは例えば、初対面の人とSNSのアカウントを交換し、直接的にメッセージのやりとりをせずとも、相手のプロフィールや投稿からその人を把握することができるようになったことが挙げられる。また、私自身も相手との対話の中で自分を理解してもらうことが減ったため、端的に自分を表現することに注力するようになった。その結果、経験や思いなどの「線」としての情報が削ぎ落とされ、肩書きや所属などの「点」としての情報を多く発信、目にするようになった。そして、ネットの情報を消費するように「自己」や「他者」と関わり、「つながっているのに孤独」を感じる。

もちろん、一義的な情報で行われるコミュニケーションで十分な場面や関係性もある。私が課題に感じているのは、そのような場面が必要以上に増えている点である。人間はデータのように簡単に整理できるほど単純なものではない。私のように海外で生まれ育った人を「帰国子女」として一括りにして理解することはできるが、一人一人の帰国子女としての体験やその捉え方は異なる。誰しも、個別具体的な体験に個人的な解釈が加わった物語を持っている。それを聴き、エンパシーを持って味わう、その人間にしかできない温かく、愛のある関係性のあり方に興味がある。

 私はSNSが好きである。だからこそ本卒プロでは、SNSに対するアンチテーゼを掲げるのではなく、デジタル時代においても、データとして整理されない、人それぞれの個別具体的な姿を味わう姿勢を取り戻すためのツールを作りたいと考えている。効率性にとらわれることなく、もう一度人間らしい繋がり、コミュニケーションを取り戻したい。

ストーリーテリングアプローチ

ストーリーテリング(物語る)という手法を選んだのには2つの理由がある。

まず私は「物語」には求心力があると感じている。例えば、ダンスのショーケースを作るとき、出演者には同じ「世界観」を表現してもらう必要がある。「切なく踊って」、と指示する時より、「タイタニックの別れのシーンを思い出しながら踊って」と説明した時の方が圧倒的に全体の表現力が上がる。これは全員がその物語に感情移入し、想像しながら心を一つにして踊ったからこそである。

他方で「語る」ことについては、話の型に縛られない自由さが魅力だと思う。「答える」時や「説明」する時は、分かりやすく伝えなければ、とどうしても情報を削ぎ落とし、大事な要素になりうるところが聞けないことがある。しかし「語る」となると、自分のペースや温度感を保ちながら話すことができ、結果として良い時間が生まれやすい。これは所属している加藤文俊研究会での「キャンプ」活動におけるポスター作りで痛感したことである。Q&Aで進行するインタビューより、「語り合う」時こそ本当にその人らしさが引き出せるようになり、自分も相手も満足のいくようなポスターを作れた。

 以上のことを踏まえて、私はストーリーテリングアプローチを取ることで、語る側も聴く側も「物語り」を介して心理的な距離を縮め、味わい合えるのではないかと考えている。

研究活動について

春学期のFWの取り組み

以下が春学期に行った5つの取り組みの概要である。 

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*❹❺:(https://youtube.com/playlist?list=PLkl3dkiE2R5FI-ZuvdGIibKN1xTy9aRr7

 今学期は手探り状態だった。テーマが広義な上に、目的より手段を先に決めていたため、適切なFWを模索するので精一杯だった。しかし、振り返ってみると概ね2段階を経て、春学期の研究が進んでいたと言える。

1段階目:ストーリーテリングへの見解を探る

1段階目では、「ストーリーテリング」を用いて人の話を聞き出す具体的な方法を探るべく、山下公園でのFW(❶)を行い、感覚的に捉えているものをより客観的に言語化するために研究会内でWS(❷)を実施した。

❶:私はインタビューをするとき、調査目的に合った回答を聞き出そうとする癖があるため、あえて目的のない質問を初対面の人に問いかけることにした。具体的な進め方を事前に決めずに始めたが、最終的には、「今日はなぜここに来たのか?」という質問から会話を広げ、許可を得られたらポートレート写真を撮るという方法に落ち着いた。人にもよるが、一つの質問から、その人にとっての山下公園、横浜、ひいては家族関係や仕事、その人の生き様やこれまでについて語り合うことができた。最後まで名前を知ることもなかった相手に「あなたと今日話せてよかった」と言われる瞬間もあり、少し耳を傾けるだけで、こんなにも温かい関係性が生まれるのだと改めて思った。

❷:このWSは緊急事態宣言下の4月に行われたため、オンラインで開催され、かつ、互いの名前と学年以外ほとんど相手のことを知らない中で行われた。普段の研究会の中ではあまり見ない相手の一面が見え、WSだから聞ける・話せることがあり、WS後にもっと話したくなった、というフィードバックを参加者から頂いた。また、ファシリテーターとして参加していた私自身は、各グループの話を比較しながら聴くことを通して、改めて対話によって作り上げられる場の空気感や話のテンポは、話題の広がりを大きく左右すると痛感した。

❶❷を経て、私は他者の⽣きる上での価値観・好み・考え⽅が現れる「対話」を通して、語られる経験や行動を頭の中で繋ぎ合わせ、物語(ストーリー)を構成しているのだと気づいた。そして、私は写真など、形として何かを残すことでそれを本人や第三者に伝え(「テリング」し)、それを介した温かい関係性を築こうとしているということもわかった。

2段階目:フィールドの選定、より体系的なFW設計

2段階目では、1段階目を経て、これからFWを進めるフィールドを再選定し、そこに通うと同時に、「対話」に軸をおいたより体系的な実験の設計・実施をした。 

❸:❶を経て、私は地元にある大きな公園を思い出した。そこにはテントを張って過ごす家族、山羊を散歩する人、紙飛行機を飛ばす練習をするおじいさんなど様々な人が集まる。昨年の自粛期間、新しい出会いなどなかったが、ここの公園に行けば、面白い誰かに出会うことができたため、私にとって特別な場所となった。そんな公園とそこに来る人ともっと関わりを持ちたいと思い、新しいフィールドをここに決めた。また、❶のようにいきなり話しかけるのではなく、まずは改めて公園にどんな人がいるのかを定点的に観察しながら、他者との関わりを仕掛ける方法を考えていた。1ヶ月間通う中で、飛んできた紙飛行機を返して、立ち話をしたり、たまたま高校の時の友人に再会したり、今後のフィールドワークのヒントとなる「関わり合い」があった。

❹❺:❶のFWを踏まえ、私は捉えられていないが故に見逃されている、人やものの姿を見つけ、物語ることの可能性をより追求したいと思い、友人の協力を得て、一般公開を前提としたFWの設計を行なった。❷を経て、普段話し慣れている相手でも、「非日常的」な縛りを設ければ、互いをもっと味わえる対話ができるのではないかと仮定した。そのため、❹では、普段日本語で話す友人と1時間〜1時間半英語で会話するという縛りのもと、その様子を撮影し、後日その友人にどの部分を選び、繋ぎ合わせるかを相談しながら、20分の映像に編集した。私は無意識のうちに、⾝近な⼈から赤の他人まで、誰もが見ても理解できる、見応えのある動画となることを念頭に編集していた。

他方❺では、英語という縛りに代わり、各々が話したいと思ったテーマを3つずつカードに書き、それを出発点に自由に語った。その動画を後日改めて2人で鑑賞し、編集はしないまま、1時間に及ぶ、語り合いの動画を公開した。

改めて、映像を見返すことで、普段は意識しない話し方の癖や話が脱線する様子を見ることができた。しかし、動画を作ることで本人に「還す」ことはできたものの、第三者に対しては、特に告知もせずYoutubeに公開しただけであったため、より適切な届け方、さらには第三者との繋がりを振り返る方法を再考し、今後のFWに活かす必要があると考えている。また、❺を通して、一つの議題に対して概ね9分語ることがわかったため、今後のFWは「時間」を一つの鍵に、語りを広げる取り組みを考えたい。

春学期の活動を経て

「ストーリーテリング」を出発点に始まった卒プロであるが、その中でも「対話」と「ナラティブ」について考えることが多かった。そもそもストーリーとは、物語の筋書きや内容を指すのに対して、ナラティブとは、ストーリーの中でも主体性を持って語られる物語を指す。春学期の取り組みを通して、私は他者との対話の中で、語られる物語以上に、その人のナラティブに着目し、それに自らの解釈を加えて形として残そうとしていた。つまり、語りの中で一つの体験をどう捉え、繋ぎ合わせ、意味づけているのかを見ることで、相手を味わい、ポートレート写真や動画を通して、そこにある、オルタナティブ・ストーリーを表現しようとしていた。今後も私は卒プロを通して、関わった人の背景や物語を伝えること以上に、相手の「ナラティブ」に触れながら、その人を物語のように味わう関わり方を主軸に追究を進めたい。

他者の生き様からコンプレックスを克服する

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

入江 桜子

『続ける』ことと『辞められない』こと

私は何かに属しているとき、新しい道に挑戦したことがない。中学校と高校は一貫校で同じ部活動に6年間所属し、附属の大学にそのまま進学した今も異なるジャンルだが部活動に所属して4年目になる。続けることは『継続力がある』『忍耐力がある』などといった言葉でまとめられ賞賛される。しかし私の周りには途中で新たな道を見つけて属している団体などを辞める人が多く、その姿を見るとそれまで蓄積してきたモノやコトを一度捨てる『決断力』のほうが賞賛されるべきなのではないかと思う。決して今いる場が嫌いになって投げ出すのではなく、さらなる魅力を見つけて勇気ある一歩を踏み出せる友人たちの姿が格好良く感じ、うらやましくもある反面、保守的になる姿さえも隠そうと繕ってしまう自分に嫌気がさしてしまうことが多々あった。

何かを辞めて新たな道を選ぶことが怖くなったのは高校2年生のときだった。部活動を終えて21時過ぎに帰宅すると母が神妙な面持ちで誰かと電話をしていた。異様な雰囲気に鼓動が速くなり、電話を切った母に「殺害予告が届いたから今からオババ(祖母)の家に行こう。」と言われ数10分で支度をし家を出た。「夜逃げってこんな感じかな。」と微笑む母の横で鼓動は鳴り止まなかった。それから、安定している生活や環境を手放すことに恐怖を感じ、今が居心地良ければ自分の身を晒すようなことはしないほうが良いと執着するようになった。

大学4年生になり就職する道を選んだため、1年後には取り巻く環境が必ず変わることが決まった。社会人になる手前の今だからこそ変化に対して恐怖を感じるのではなく、前向きに楽しめるようになりたい。そこで思い出したのはキッチンカー『fuwari』だった。

fuwariの邦雄さんと佳菜子さん

キッチンカー『fuwari』は夏場はかき氷、それ以外の時期はクレープを公園やマンションで販売している。経営するのは邦雄さんと佳菜子さんの夫婦だ。店主兼作る人の邦雄さんは、東京藝術大学美術学部芸術学科出身で落ち着いた雰囲気からも聡明さはもちろん、話していても豊富な知識とほのかなユニークさがうかがえる。ロングヘアを1つに括り、佳菜子さんがイメージしたことをかたちにする姿は博士のようだ。助手兼考える人の佳菜子さんは宮城文化服装専門学校出身で、話すことが好きな明るくポジティヴな方だ。2人は元々アパレル業界で働いていたが、東日本大震災で佳菜子さんの故郷が被災地になったことをきっかけに「自分も0から何か始めたい。」と考え、会社を辞めて『子供たちが小銭を握りしめ、安心して食べられる体に優しいかき氷』をコンセプトにキッチンカーを運営し始めた。

fuwariとの出会いは、私が中学3年生のとき最寄駅のTSUTAYAに出店していた日だった。CDを返しに行っただけだったが、当時からInstagramのかき氷アカウントを作成する程かき氷に目が無く、全て500円という価格に魅力を感じた私は迷わず購入した。去年まで2人ともサラリーマンをしていたこと、移動販売のかき氷屋自体も目新しく印象的だった。当時は小さなキッチンカーだったが、メニュー看板の細部までユニークなイラストが描かれていたりキッチンカー内のインテリアも手作りにこだわっていた。

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2019年に東京都用賀駅に「fuwariの秘密基地」という仕込み場兼路面店が開店した。その年のキッチンカー出店時に1度足を運んだときにかき氷用のInstagramでやりとりをして以来直接的な交流はなかったが、かき氷やクレープにとどまらずハンドメイドの販売やアパレルブランドとのコラボ、宅配サービスのチャレンジをしている様子をSNSで見ていた。また、雑誌にお店が載るようになり、お店のテーブルやソファ、本棚、キッチンカウンターなど全てが手作りということを知り、人気店になっても自分たちらしさを忘れずに様々なことに挑戦していく姿に惹かれた。2人とコミュニケーションを密に取っていき2人の生き様を追うことで、変化に対し前向きに楽しめる要素を手に入れ、長年心の奥底にある変化に対する恐怖感を払拭したいと考えるようになった。

かき氷偏愛者の実態

2020年12月に研究依頼をしたとき「今かき氷はどれくらいの頻度で食べているのか。どこかのお店の常連か。」ということを聞かれた。かき氷用のアカウントはあるものの、自分の記録を主としていて、友人や知り合いがお店を選ぶときの参考になればと思って活用していた。積極的にかき氷屋巡りをするより、好きな味のメニューがでたときや友人に誘われたときに足を運ぶため「かなり不定期で2週間に1度食べていれば多いほう。今は決まってよく行くお店はないが、時々夏場のみお手伝いをしているお店はある。」と答えた。Instagramではスポット検索機能があり、お店を検索していくうちに同じアカウントをよく見かけるようになったことからかき氷を中心に投稿するアカウントは徐々に増えていると感じていた。佳菜子さんに多く巡っている人は、1日3食かき氷にし毎回3杯ほど食べていたりお店のトイレで吐きながら食べていたりするということを聞いた。また、他店と比較し要望を言ってきたり店を下げるような言葉を放つ人もいる。そのため、私がどこかのお店の常連だと2人の描く店のあり方と合わないと考えたようだった。

私が依頼した時期は、2人がお店やキッチンカーを通しその地域の人々に楽しんでもらうことや当初描いていた『子供たちが安心して食べられるかき氷』を改めて大切にするべきだと感じ、SNSでかき氷の投稿をすることを禁止にしたり、用賀駅に住んでいる人だけの『ご近所さんDAY』を設けたりとコミュニケーションについて考え直す取り組みをし始めたときだった。私を受け入れることによって新たな考えを手に入れたり、一緒に模索していきたいと言っていただいた。

お店に行く

半年間でお店には7回足を運んだ。そのうち、雨天によりキッチンカーが出店中止になってお店に足を運んだ日が1回、友人と食べに行った日が1回、イベントに参加した日が5回だ。

雨天でお店に行った日はクレープに乗せるキンエボシというサボテンのクッキーをいただいた。きっかけは、とあるたい焼き屋が商品を渡すときに「おいしく召し上がれますように。」と声をかけていることだそうだ。ただ渡すのではなくこの言葉を添えることでたい焼きの美味しさが倍増し心も満たされる。私もポイントカードを4枚ためているほどその店が好きなのは、美味しいだけでなく店員さんが目を見て笑顔でたい焼きを渡してくれるからだ。

イベントというのは、月に2回ほどメニュー名だけを先に提示し予約して来店した人だけがどのような見た目で味なのか答え合わせができるものだ。映画や本のタイトルや人名などあらゆるテーマがあり、各地の農家の果物や野菜を使用して後日Instagramに紹介している。かき氷に縛られず自分たちが良いと思うものを書籍なども含めて発信している。また、子供たちにノートを配布したり塗り絵でかき氷のメニューを考えてもらったりと子供からも柔軟な発想を得ている。このような取り組みやSNS投稿の禁止の結果、以前よりお客さんの数は減ったがSNSに依存せずに自分たちにとって「楽しい」と思えることを行っているそうだ。今いるお客さんとのコミュニケーションを通し、相手を理解する想像力を培うことで自分自身の振る舞い方も変化すると思った。

キッチンカー出店時に行く

調査方法としては、主にキッチンカーの出店時に足を運び、そのときに佳菜子さんや邦雄さんと話したり、2人が販売している様子を観察したりしている。また、お店に足を運びキッチンカーのときと同様に話し、フォローさせていただいた佳菜子さんの個人アカウントを見て思想を整理している。

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半年間でキッチンカーの出店には6回足を運んだ。どの回でも共通していたのが佳菜子さんの観察眼だった。1人ひとりをよく見ていて、小学生の女の子3人がクレープを買いに来たときに「その服、ラブトキだよね。可愛いよね。」と声をかけていて、その女の子は照れたような、嬉しそうな表情を浮かべていた。その日に2回訪れたお客さんにも必ず声をかけていて、1回目に話した内容まで覚えていてその続きを聞いている感覚だった。注文してからクレープを渡すまでの5分ほどの場づくりによって、どのようなお客さんも話し、最終的には笑顔になっていた。

これが簡単そうに見えて大変なことだと知ったのはキッチンカーのお手伝いをさせていただいたときだった。アルバイトで飲食店の接客業をしているため、上手くできる自信があったが大間違いだった。キッチンカーが並ぶ共同の空間はお客さんがあちこちに行き、探すのも一手間かかる。そしてどの客が何を注文したかなんとなくは覚えていても、一斉にされる注文の順番を整えて金銭のやりとりをしていくことは確信できるほどの個々を把握する力が大事なのだと認識を改め直した。佳菜子さんのようにお客さんの服装や様子まで見られるような余裕を得るまで何年もかかるのだろう。

また、クレープのメニューの写真はクレープ屋さんでよくある開かれた状態のものではなく、商品として渡すときの状態になっている。思っていたよりクリームが少ない、ぺちゃんことがっかりさせないようにしているこだわりのようだ。「食べるときには中はどうせ見えないから中身を見せる必要はないよね。」と言っていた。また、キッチンカーの背面の窓にはカーテンがかかっている。これは邦雄さんが人の視線を気にしないための取り組みだそうだ。我慢できるような『気にする』ではなく、仕草に思わず出てしまうくらい気にしてしまうため『見えない』ようにカーテンをつけている。邦雄さんと佳菜子さんは根本の考えは似ているものの、こだわりや気にする部分は異なる。狭い空間で過ごすからこそ、自分にとって良い環境を現場での経験を通して築いていくことは難しくもあり互いの発見もある。

キッチンカーという狭い空間に置くモノからその人の人柄が分かるとご助言をいただき、キッチンカーの外と中をスケッチさせていただいた。しかし、まだかなり抽象的なスケッチのため、今後は比率を正確に、モノのメーカーの分析ができるほどの細かいスケッチをしていく予定だ。それにより、2人がこだわっているモノやコトを分析し、キッチンカーやお店で話すときのテーマにしてより思想を深堀していきたい。

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tema hima

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

飯盛 いずみ

効率主義とコミュニケーション

なにをするにも、なるべく効率の良い方法を考えてしまう。スケジュールを組むときにはなるべく隙間時間が生まれないようにし、自宅から最寄り駅までの道は、最も信号の影響を受けない最短ルートを選ぶ。家の中の動線でさえも、なるべく無駄のないようにしようと頭を働かせる。「効率が良い」と感じることで、私は満足するのである。
ところが、この効率主義な一面が、コミュニケーションの場面にまで表出するようになった。現在のように、「つながる」ということがいとも簡単にできるようになると、次は「より速く、よりシンプルに」伝えることを求めるようになった。例えば、すぐに答えが必要なわけではないことであっても、「今すぐに」解決することを求めてしまう。ここで問題なのは、自分がすぐに解決させようとするということは、相手からの返信もすぐに求めているということだ。効率を求めることは、コミュニケーションの場面では、それを相手にも押しつけることになるのである。
また、相手になにかを伝えるとき、最低限の言葉で伝えるようになった。離れた相手とも素早いコミュニケーションが可能なおかげで、一度で全てを伝える必要性が薄れている。相手のリアクションがすぐに届き、そこできちんと伝わっているかどうかを判断することができる。もしも一度で伝わりきっていなかったとしても、その場ですぐに補足することができてしまうのだ。このことがすっかり当たり前になると、「とりあえず」の言葉で相手になにかを伝えるようになった。そこに相手への配慮はなく、丁寧さに欠ける言葉選びをしてしまっている。コミュニケーションにおいて、「より速く、よりシンプルに」を求めたことで、丁寧さに欠けた、必要最低限のコミュニケーションへと変化してしまった。

自己表現の勇気

私のこれまでのコミュニケーションをふりかえってみると、昔から今に至るまで、他人に対して積極的に自己表現をしていく人間ではなかった。とはいえ、人見知りをするわけではないので、ただ会話をするぶんには困らないが、よりパーソナルな、自分の内面を言葉にして人に伝えるということに関しては消極的である。 
なにかを言葉にするとき、「合っているかどうか」ということをひどく気にしてしまうのだ。表現は間違っていないか、タイミングはふさわしいか、そもそも自分の考えていることは正しいのか。そこに絶対的な正解などないことはわかっていながら、このような小さなことを必要以上に気にしては、勝手に萎縮する。
繰り返し述べているように、今では、思い立ったその瞬間に相手になにかを伝えることが可能になった。すると、「いつでも伝えられるから」という理由をつけて、自ら表現することを先延ばしにするようになる。そして、先延ばしにすればするほど、いざそれを伝えようとしたとき、想像以上の勇気を要するのだ。そうして私のコミュニケーションは、必要に迫られた、最低限に削ぎ落とされたものばかりになる。

コミュニケーションにコストをかけてみる

コミュニケーションにおける「効率主義な自分」と「自己表現の勇気」という問題意識を考えれば考えるほど、私は表現することから逃げてしまいたくなる。しかし、人と理解し合うためには、表現をしつづけなければならないことも理解している。言葉にすることで初めて人に伝えることができ、それがお互いの理解へとつながる。
私がこの問題意識ときちんと向き合おうとしたとき、自分の日常に「手紙」という、あえて手間と時間のかかるコミュニケーションを取り入れてみることにした。すぐに効率を考えてしまう私にとっては、わざわざ手書きで文章を書き、切手を貼り、それをポストまで投函しに行くという、こんなにも時間のかかるコミュニケーションツールは選択肢から真っ先に除外されてもおかしくない。ただ、「表現すること」ときちんと向き合うために、これまでコミュニケーションにかけてこなかったコストをかけてみたいと思った。そうしたとき、自分は相手に対してどのようなことを表現したいと思うのか、そして、相手との関係性はどのようなものになるのか、その変化を追っていく。

文通と交換ノートをはじめる

プロジェクトに着手するにあたり、まずは文通をはじめることにした。相手には、小学生からの友人を選んだ。今では一年に一度会うかどうかの関係性だが、まめな性格をしているため、文通をつづけてくれそうだと思った。文通をはじめる際、卒業プロジェクトの一貫として行なうこと、ただ、特にそのことは気にせずに気軽にやってほしいということを伝えた。コミュニケーションを扱うプロジェクトを行なうとき、なるべく「普段通り」のコミュニケーションを記録するための工夫は必要だ。ただ、やりとりが続いたのちに研究の一環として取り組んでいたことを伝えるよりは、初めに伝えた方が相手のためだろうと判断した。そうして、三月一日に文通を開始した。
手紙でのやりとりにはある程度時間を要することは想像していたものの、研究の進度に直接関わるため、同時に、他の人と他のメディアを用いたやりとりをはじめることにした。コミュニケーションに手間や時間というコストをかけること、そして文通よりも頻度の高いやりとりが可能であることを踏まえ、交換ノートでのやりとりに決めた。相手には、付き合いが最も長く、最も濃い友人を選んだ。付き合いが長くなったからこそ、今では必要最低限の連絡しかとらず、改めてお互いの話をすることがほとんどなくなってしまったからだ。交換ノートというメディアを用いたら、いつもと違うコミュニケーションが生まれるのではないかと考えた。そして、長くつづいてきた関係性にもなにか変化が生まれるかもしれないと思い、四月一日に交換ノートをはじめた。

コミュニケーションを客観的に分析する

文通と交換ノートでのやりとりをつづけるなかで、一度自分が日常的にとっているコミュニケーションを、客観的に分析してみることにした。これまで自分が必要最低限のコミュニケーションしかとってこなかったこと、また、文通と交換ノートではそうではないコミュニケーションが生まれていることを実感したからだ。そこでコミュニケーションを、「重要か不要か」「緊急か不急か」の二軸による、四象限に分類してみることにした。一週間、メディアを用いたすべてのやりとりを記録し、四象限のなかにプロットしていく。メディアごとに区別をするため、LINEは緑、Snapchatは黄色、Slackはピンク、交換ノートは水色に色分けをしてプロットした。

 

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この調査を通して、自分にとって「重要か不要か」の境界線が大きいことが改めてわかった。特にLINEでのやりとりでは、ほとんどの場合で、重要の基準を下回ったと判断した時点で、やりとりを終わらせている。ここから、いかに重要で緊急な連絡をするためのメディアとして認識しているか、また、そのようなやりとりしか求めていないことがわかる。
一方で、この調査で意外な結果となったのは、「不要不急」のコミュニケーションの存在を確認できたことだ。特にSnapchatを用いたやりとりにこれに該当するものが多かった。相手に手軽にスナップを送れるというメディアの特性と、利用している私たちもそこに重要性は含まれていないという共通認識があることで、「重要性も緊急性もそこまでないけれど、なんとなく送る」というコミュニケーションが生まれていた。

急がないやりとりのなかで生まれるもの

では、手紙や交換ノートでのやりとりはどこに当てはまるのか。それは「重要不急」であると考える。
文通ではやりとりに一ヶ月ほどの間が空くため、緊急性の高い話題はまず書かれない。そのため自然と、最近自分が考えていることや、最近の自分に影響を与えたモノのこと、将来のことや過去のことなど、緊急性こそ高くはないが、お互いのより深い理解につながる話題を書くようになる。SNSでのやりとりではあえて語ることはしないことも、手紙でなら自然と書くことができる。相手からのリアクションをすぐに必要としていないことをお互いにわかっているからこそ、相手にも伝えやすいのかもしれない。
交換ノートでも、文通よりも頻度の高いやりとりはできるものの、手書きで、そしてノートを歩いて届けに行くという手間を考えると、伝える内容をよく吟味するようになる。こちらも早急な受け答えを求めていないという共通認識があるため、いつもなら聞かないような話を質問してみたり、自分の日記のようにその日感じたことをただ書き連ねてみたりできる。これまでは事務的な連絡があったときに二〜三往復のやりとりをするだけだった関係性も、交換ノートという一冊のノートを通じて、ゆっくりでも、ただたしかにつづいていると実感できる関係性へと変化してきている。

新たな選択肢を手に入れる

これまでは、相手に伝えたい大事なことがあっても、それが急ぎでなかった場合、それを伝えることを後回しにしてきた。いつか会ったときに伝えよう、今度時間があるときに伝えよう、そのようにして先延ばしにしてきた。私はこのことの原因を、自己表現の勇気が持てないからだと考えていた。しかしその原因の一つには、それを伝えるのに最適なメディアの選択肢がなかったこともあるのかもしれない。今の私には、手紙や交換ノートという選択肢がある。その急がないやりとりのなかでは、自然と自分のことを語る姿勢になれるのだ。
私が次に目指すのは、私と同じように、忙しないやりとりに追われ、後回しにしてしまっているコミュニケーションがある人に、新しいメディアの選択肢を与えることだ。ゆっくりでも、たしかにつづいていくようなコミュニケーションが生まれるメディアを、今後のプロジェクトで模索していきたい。

A Day in the Life 3

2021年7月25日(日)

昨年に引き続き、加藤研のメンバーで、学期末のある一日を記録することにしました。ぼくをふくめて28人。2021年7月25日(日)の「日常」を束ねました。ここのところ、猛暑の日が続いています。
緊急事態宣言下で東京オリンピックがはじまりました。いろいろな思いを抱きながら、それぞれの場所で、それぞれの時間を過ごしています。なにより、無事に春学期を終えたことを喜びたい気持ちです。

I decided to record a day at the end of the semester with the members of the fklab. So I compiled the "A Day in the Life" of 28 members, including mine, on Sunday, July 25, 2021.
It's been boiling and humid here lately. The Tokyo Olympics have started under the declaration of a state of emergency. We are all spending our time in different places, with some unsettled feelings. Above all, I am happy to have finished the spring semester safely.