まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

tema hima

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

飯盛 いずみ

効率主義とコミュニケーション

なにをするにも、なるべく効率の良い方法を考えてしまう。スケジュールを組むときにはなるべく隙間時間が生まれないようにし、自宅から最寄り駅までの道は、最も信号の影響を受けない最短ルートを選ぶ。家の中の動線でさえも、なるべく無駄のないようにしようと頭を働かせる。「効率が良い」と感じることで、私は満足するのである。
ところが、この効率主義な一面が、コミュニケーションの場面にまで表出するようになった。現在のように、「つながる」ということがいとも簡単にできるようになると、次は「より速く、よりシンプルに」伝えることを求めるようになった。例えば、すぐに答えが必要なわけではないことであっても、「今すぐに」解決することを求めてしまう。ここで問題なのは、自分がすぐに解決させようとするということは、相手からの返信もすぐに求めているということだ。効率を求めることは、コミュニケーションの場面では、それを相手にも押しつけることになるのである。
また、相手になにかを伝えるとき、最低限の言葉で伝えるようになった。離れた相手とも素早いコミュニケーションが可能なおかげで、一度で全てを伝える必要性が薄れている。相手のリアクションがすぐに届き、そこできちんと伝わっているかどうかを判断することができる。もしも一度で伝わりきっていなかったとしても、その場ですぐに補足することができてしまうのだ。このことがすっかり当たり前になると、「とりあえず」の言葉で相手になにかを伝えるようになった。そこに相手への配慮はなく、丁寧さに欠ける言葉選びをしてしまっている。コミュニケーションにおいて、「より速く、よりシンプルに」を求めたことで、丁寧さに欠けた、必要最低限のコミュニケーションへと変化してしまった。

自己表現の勇気

私のこれまでのコミュニケーションをふりかえってみると、昔から今に至るまで、他人に対して積極的に自己表現をしていく人間ではなかった。とはいえ、人見知りをするわけではないので、ただ会話をするぶんには困らないが、よりパーソナルな、自分の内面を言葉にして人に伝えるということに関しては消極的である。 
なにかを言葉にするとき、「合っているかどうか」ということをひどく気にしてしまうのだ。表現は間違っていないか、タイミングはふさわしいか、そもそも自分の考えていることは正しいのか。そこに絶対的な正解などないことはわかっていながら、このような小さなことを必要以上に気にしては、勝手に萎縮する。
繰り返し述べているように、今では、思い立ったその瞬間に相手になにかを伝えることが可能になった。すると、「いつでも伝えられるから」という理由をつけて、自ら表現することを先延ばしにするようになる。そして、先延ばしにすればするほど、いざそれを伝えようとしたとき、想像以上の勇気を要するのだ。そうして私のコミュニケーションは、必要に迫られた、最低限に削ぎ落とされたものばかりになる。

コミュニケーションにコストをかけてみる

コミュニケーションにおける「効率主義な自分」と「自己表現の勇気」という問題意識を考えれば考えるほど、私は表現することから逃げてしまいたくなる。しかし、人と理解し合うためには、表現をしつづけなければならないことも理解している。言葉にすることで初めて人に伝えることができ、それがお互いの理解へとつながる。
私がこの問題意識ときちんと向き合おうとしたとき、自分の日常に「手紙」という、あえて手間と時間のかかるコミュニケーションを取り入れてみることにした。すぐに効率を考えてしまう私にとっては、わざわざ手書きで文章を書き、切手を貼り、それをポストまで投函しに行くという、こんなにも時間のかかるコミュニケーションツールは選択肢から真っ先に除外されてもおかしくない。ただ、「表現すること」ときちんと向き合うために、これまでコミュニケーションにかけてこなかったコストをかけてみたいと思った。そうしたとき、自分は相手に対してどのようなことを表現したいと思うのか、そして、相手との関係性はどのようなものになるのか、その変化を追っていく。

文通と交換ノートをはじめる

プロジェクトに着手するにあたり、まずは文通をはじめることにした。相手には、小学生からの友人を選んだ。今では一年に一度会うかどうかの関係性だが、まめな性格をしているため、文通をつづけてくれそうだと思った。文通をはじめる際、卒業プロジェクトの一貫として行なうこと、ただ、特にそのことは気にせずに気軽にやってほしいということを伝えた。コミュニケーションを扱うプロジェクトを行なうとき、なるべく「普段通り」のコミュニケーションを記録するための工夫は必要だ。ただ、やりとりが続いたのちに研究の一環として取り組んでいたことを伝えるよりは、初めに伝えた方が相手のためだろうと判断した。そうして、三月一日に文通を開始した。
手紙でのやりとりにはある程度時間を要することは想像していたものの、研究の進度に直接関わるため、同時に、他の人と他のメディアを用いたやりとりをはじめることにした。コミュニケーションに手間や時間というコストをかけること、そして文通よりも頻度の高いやりとりが可能であることを踏まえ、交換ノートでのやりとりに決めた。相手には、付き合いが最も長く、最も濃い友人を選んだ。付き合いが長くなったからこそ、今では必要最低限の連絡しかとらず、改めてお互いの話をすることがほとんどなくなってしまったからだ。交換ノートというメディアを用いたら、いつもと違うコミュニケーションが生まれるのではないかと考えた。そして、長くつづいてきた関係性にもなにか変化が生まれるかもしれないと思い、四月一日に交換ノートをはじめた。

コミュニケーションを客観的に分析する

文通と交換ノートでのやりとりをつづけるなかで、一度自分が日常的にとっているコミュニケーションを、客観的に分析してみることにした。これまで自分が必要最低限のコミュニケーションしかとってこなかったこと、また、文通と交換ノートではそうではないコミュニケーションが生まれていることを実感したからだ。そこでコミュニケーションを、「重要か不要か」「緊急か不急か」の二軸による、四象限に分類してみることにした。一週間、メディアを用いたすべてのやりとりを記録し、四象限のなかにプロットしていく。メディアごとに区別をするため、LINEは緑、Snapchatは黄色、Slackはピンク、交換ノートは水色に色分けをしてプロットした。

 

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この調査を通して、自分にとって「重要か不要か」の境界線が大きいことが改めてわかった。特にLINEでのやりとりでは、ほとんどの場合で、重要の基準を下回ったと判断した時点で、やりとりを終わらせている。ここから、いかに重要で緊急な連絡をするためのメディアとして認識しているか、また、そのようなやりとりしか求めていないことがわかる。
一方で、この調査で意外な結果となったのは、「不要不急」のコミュニケーションの存在を確認できたことだ。特にSnapchatを用いたやりとりにこれに該当するものが多かった。相手に手軽にスナップを送れるというメディアの特性と、利用している私たちもそこに重要性は含まれていないという共通認識があることで、「重要性も緊急性もそこまでないけれど、なんとなく送る」というコミュニケーションが生まれていた。

急がないやりとりのなかで生まれるもの

では、手紙や交換ノートでのやりとりはどこに当てはまるのか。それは「重要不急」であると考える。
文通ではやりとりに一ヶ月ほどの間が空くため、緊急性の高い話題はまず書かれない。そのため自然と、最近自分が考えていることや、最近の自分に影響を与えたモノのこと、将来のことや過去のことなど、緊急性こそ高くはないが、お互いのより深い理解につながる話題を書くようになる。SNSでのやりとりではあえて語ることはしないことも、手紙でなら自然と書くことができる。相手からのリアクションをすぐに必要としていないことをお互いにわかっているからこそ、相手にも伝えやすいのかもしれない。
交換ノートでも、文通よりも頻度の高いやりとりはできるものの、手書きで、そしてノートを歩いて届けに行くという手間を考えると、伝える内容をよく吟味するようになる。こちらも早急な受け答えを求めていないという共通認識があるため、いつもなら聞かないような話を質問してみたり、自分の日記のようにその日感じたことをただ書き連ねてみたりできる。これまでは事務的な連絡があったときに二〜三往復のやりとりをするだけだった関係性も、交換ノートという一冊のノートを通じて、ゆっくりでも、ただたしかにつづいていると実感できる関係性へと変化してきている。

新たな選択肢を手に入れる

これまでは、相手に伝えたい大事なことがあっても、それが急ぎでなかった場合、それを伝えることを後回しにしてきた。いつか会ったときに伝えよう、今度時間があるときに伝えよう、そのようにして先延ばしにしてきた。私はこのことの原因を、自己表現の勇気が持てないからだと考えていた。しかしその原因の一つには、それを伝えるのに最適なメディアの選択肢がなかったこともあるのかもしれない。今の私には、手紙や交換ノートという選択肢がある。その急がないやりとりのなかでは、自然と自分のことを語る姿勢になれるのだ。
私が次に目指すのは、私と同じように、忙しないやりとりに追われ、後回しにしてしまっているコミュニケーションがある人に、新しいメディアの選択肢を与えることだ。ゆっくりでも、たしかにつづいていくようなコミュニケーションが生まれるメディアを、今後のプロジェクトで模索していきたい。