まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

ストーリーテリングを用いて人やものを味わう

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

山田 琴乃

テーマについて

動機

私はアメリカで生まれ育ち、幼い頃から新しい環境に身を置く機会が多くあった。そのため、人にはそれぞれ背景や違いがあることを自然と認識し、無意識に相手を理解していくプロセスに慎重になり、五感を使って、目の前の状況や人を気にするというよりは、楽しみながら理解しようとしていた記憶がある。自ら得た一次情報から想像を巡らせ、相手を理解する、その繰り返しが次第に習慣となり、私の能力となっていった。

しかし、今の私はそれができなくなったと感じている。それは、一次情報を得ようとする以前に、インターネットへのアクセスや言語の習得により、多くの二次情報や三次情報が手に入れられるようになったからである。これは例えば、初対面の人とSNSのアカウントを交換し、直接的にメッセージのやりとりをせずとも、相手のプロフィールや投稿からその人を把握することができるようになったことが挙げられる。また、私自身も相手との対話の中で自分を理解してもらうことが減ったため、端的に自分を表現することに注力するようになった。その結果、経験や思いなどの「線」としての情報が削ぎ落とされ、肩書きや所属などの「点」としての情報を多く発信、目にするようになった。そして、ネットの情報を消費するように「自己」や「他者」と関わり、「つながっているのに孤独」を感じる。

もちろん、一義的な情報で行われるコミュニケーションで十分な場面や関係性もある。私が課題に感じているのは、そのような場面が必要以上に増えている点である。人間はデータのように簡単に整理できるほど単純なものではない。私のように海外で生まれ育った人を「帰国子女」として一括りにして理解することはできるが、一人一人の帰国子女としての体験やその捉え方は異なる。誰しも、個別具体的な体験に個人的な解釈が加わった物語を持っている。それを聴き、エンパシーを持って味わう、その人間にしかできない温かく、愛のある関係性のあり方に興味がある。

 私はSNSが好きである。だからこそ本卒プロでは、SNSに対するアンチテーゼを掲げるのではなく、デジタル時代においても、データとして整理されない、人それぞれの個別具体的な姿を味わう姿勢を取り戻すためのツールを作りたいと考えている。効率性にとらわれることなく、もう一度人間らしい繋がり、コミュニケーションを取り戻したい。

ストーリーテリングアプローチ

ストーリーテリング(物語る)という手法を選んだのには2つの理由がある。

まず私は「物語」には求心力があると感じている。例えば、ダンスのショーケースを作るとき、出演者には同じ「世界観」を表現してもらう必要がある。「切なく踊って」、と指示する時より、「タイタニックの別れのシーンを思い出しながら踊って」と説明した時の方が圧倒的に全体の表現力が上がる。これは全員がその物語に感情移入し、想像しながら心を一つにして踊ったからこそである。

他方で「語る」ことについては、話の型に縛られない自由さが魅力だと思う。「答える」時や「説明」する時は、分かりやすく伝えなければ、とどうしても情報を削ぎ落とし、大事な要素になりうるところが聞けないことがある。しかし「語る」となると、自分のペースや温度感を保ちながら話すことができ、結果として良い時間が生まれやすい。これは所属している加藤文俊研究会での「キャンプ」活動におけるポスター作りで痛感したことである。Q&Aで進行するインタビューより、「語り合う」時こそ本当にその人らしさが引き出せるようになり、自分も相手も満足のいくようなポスターを作れた。

 以上のことを踏まえて、私はストーリーテリングアプローチを取ることで、語る側も聴く側も「物語り」を介して心理的な距離を縮め、味わい合えるのではないかと考えている。

研究活動について

春学期のFWの取り組み

以下が春学期に行った5つの取り組みの概要である。 

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*❹❺:(https://youtube.com/playlist?list=PLkl3dkiE2R5FI-ZuvdGIibKN1xTy9aRr7

 今学期は手探り状態だった。テーマが広義な上に、目的より手段を先に決めていたため、適切なFWを模索するので精一杯だった。しかし、振り返ってみると概ね2段階を経て、春学期の研究が進んでいたと言える。

1段階目:ストーリーテリングへの見解を探る

1段階目では、「ストーリーテリング」を用いて人の話を聞き出す具体的な方法を探るべく、山下公園でのFW(❶)を行い、感覚的に捉えているものをより客観的に言語化するために研究会内でWS(❷)を実施した。

❶:私はインタビューをするとき、調査目的に合った回答を聞き出そうとする癖があるため、あえて目的のない質問を初対面の人に問いかけることにした。具体的な進め方を事前に決めずに始めたが、最終的には、「今日はなぜここに来たのか?」という質問から会話を広げ、許可を得られたらポートレート写真を撮るという方法に落ち着いた。人にもよるが、一つの質問から、その人にとっての山下公園、横浜、ひいては家族関係や仕事、その人の生き様やこれまでについて語り合うことができた。最後まで名前を知ることもなかった相手に「あなたと今日話せてよかった」と言われる瞬間もあり、少し耳を傾けるだけで、こんなにも温かい関係性が生まれるのだと改めて思った。

❷:このWSは緊急事態宣言下の4月に行われたため、オンラインで開催され、かつ、互いの名前と学年以外ほとんど相手のことを知らない中で行われた。普段の研究会の中ではあまり見ない相手の一面が見え、WSだから聞ける・話せることがあり、WS後にもっと話したくなった、というフィードバックを参加者から頂いた。また、ファシリテーターとして参加していた私自身は、各グループの話を比較しながら聴くことを通して、改めて対話によって作り上げられる場の空気感や話のテンポは、話題の広がりを大きく左右すると痛感した。

❶❷を経て、私は他者の⽣きる上での価値観・好み・考え⽅が現れる「対話」を通して、語られる経験や行動を頭の中で繋ぎ合わせ、物語(ストーリー)を構成しているのだと気づいた。そして、私は写真など、形として何かを残すことでそれを本人や第三者に伝え(「テリング」し)、それを介した温かい関係性を築こうとしているということもわかった。

2段階目:フィールドの選定、より体系的なFW設計

2段階目では、1段階目を経て、これからFWを進めるフィールドを再選定し、そこに通うと同時に、「対話」に軸をおいたより体系的な実験の設計・実施をした。 

❸:❶を経て、私は地元にある大きな公園を思い出した。そこにはテントを張って過ごす家族、山羊を散歩する人、紙飛行機を飛ばす練習をするおじいさんなど様々な人が集まる。昨年の自粛期間、新しい出会いなどなかったが、ここの公園に行けば、面白い誰かに出会うことができたため、私にとって特別な場所となった。そんな公園とそこに来る人ともっと関わりを持ちたいと思い、新しいフィールドをここに決めた。また、❶のようにいきなり話しかけるのではなく、まずは改めて公園にどんな人がいるのかを定点的に観察しながら、他者との関わりを仕掛ける方法を考えていた。1ヶ月間通う中で、飛んできた紙飛行機を返して、立ち話をしたり、たまたま高校の時の友人に再会したり、今後のフィールドワークのヒントとなる「関わり合い」があった。

❹❺:❶のFWを踏まえ、私は捉えられていないが故に見逃されている、人やものの姿を見つけ、物語ることの可能性をより追求したいと思い、友人の協力を得て、一般公開を前提としたFWの設計を行なった。❷を経て、普段話し慣れている相手でも、「非日常的」な縛りを設ければ、互いをもっと味わえる対話ができるのではないかと仮定した。そのため、❹では、普段日本語で話す友人と1時間〜1時間半英語で会話するという縛りのもと、その様子を撮影し、後日その友人にどの部分を選び、繋ぎ合わせるかを相談しながら、20分の映像に編集した。私は無意識のうちに、⾝近な⼈から赤の他人まで、誰もが見ても理解できる、見応えのある動画となることを念頭に編集していた。

他方❺では、英語という縛りに代わり、各々が話したいと思ったテーマを3つずつカードに書き、それを出発点に自由に語った。その動画を後日改めて2人で鑑賞し、編集はしないまま、1時間に及ぶ、語り合いの動画を公開した。

改めて、映像を見返すことで、普段は意識しない話し方の癖や話が脱線する様子を見ることができた。しかし、動画を作ることで本人に「還す」ことはできたものの、第三者に対しては、特に告知もせずYoutubeに公開しただけであったため、より適切な届け方、さらには第三者との繋がりを振り返る方法を再考し、今後のFWに活かす必要があると考えている。また、❺を通して、一つの議題に対して概ね9分語ることがわかったため、今後のFWは「時間」を一つの鍵に、語りを広げる取り組みを考えたい。

春学期の活動を経て

「ストーリーテリング」を出発点に始まった卒プロであるが、その中でも「対話」と「ナラティブ」について考えることが多かった。そもそもストーリーとは、物語の筋書きや内容を指すのに対して、ナラティブとは、ストーリーの中でも主体性を持って語られる物語を指す。春学期の取り組みを通して、私は他者との対話の中で、語られる物語以上に、その人のナラティブに着目し、それに自らの解釈を加えて形として残そうとしていた。つまり、語りの中で一つの体験をどう捉え、繋ぎ合わせ、意味づけているのかを見ることで、相手を味わい、ポートレート写真や動画を通して、そこにある、オルタナティブ・ストーリーを表現しようとしていた。今後も私は卒プロを通して、関わった人の背景や物語を伝えること以上に、相手の「ナラティブ」に触れながら、その人を物語のように味わう関わり方を主軸に追究を進めたい。