まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

札幌と私の生活史

(2022年8月7日)この文章は、2022年度春学期の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

大河原 さくら

1. 生活史と私

岸正彦編、東京の生活史に聞き手として参加し、生活史を知った。東京の生活史とは、150人が東京にまつわる150人に生活史の聞き取りを束ねた一冊である。生活史とは「個人の人生の語り」のことであり、質的調査法の一種である。私は、大阪から東京に拠点を移したばかりの構成作家の方に聞き取りを行った。聞き取りを通じて、今まで感じたことのない確かな手応えを感じた。それは、誰かが残さないと残らなかった語りであるという語りの固有性への実感である。政治家やスポーツ選手などの著名な人物の語りは残されやすい。しかし、私たちのような一般人が語ったことはさまざまな人がアクセスできる形でアーカイブされづらい。その固有性に聞き取りを行うやりがいと意義を感じた。「普通の人」の語りを集めたスタッズ・ターケルの「仕事!」や「大恐慌!」では、語りの生々しさに圧倒される。上記の2冊のような、個の集積となる一冊を制作したいと考えた。

また、「札幌と私の生活史」は、一般化に抵抗する一つの手段である。女性か男性か、学生か会社員か、私達は社会的なラベルを受け入れて生活をしている。それらのラベルは、他者を判断するには効率的に作用する。しかし、ラベルに囚われ、他者を理解することを蔑ろにしていないだろうか。私は長い語りに耳を傾け、そして残すことによって一般化へ小さく争いたいと考える。

「問題発見・問題解決」を掲げるSFCにおいて、切実な問題意識がないことに長い間焦っていた。学部の前半では、問題解決の手法を学べる授業を履修したり、研究会に所属した。しかし、生活史を知ったことで、そもそもの問題発見、設計を探ることに時間をかけても良いと知った。そう考えたのは、今期のオーラルヒストリーの学びが大きく影響している。ゲスト講師であった岸政彦先生の授業では、語りを残すことそのものの価値を知った。また授業の担当教員である清水先生から、研究において情報収集や材料集めに時間をかけることの実感を得た。卒業プロジェクトという限られた機会において、結論を出すことを急がず、語りの収集に集中する決意をした。

2. 札幌と私

大学3年の秋学期から休学し、札幌に移り住んだ。感染症の爆発的な流行による自粛生活でストレスを蓄積し、生活圏を変えたいと切に感じたことから移住した。札幌は、父親の仕事の関係で小学3年生から中学3年生まで過ごした土地である。また、大学2年時に参加した移住イベント、「北海道移住ドラフト会議」も大きなきっかけである。移住したい参加者を「選手」、移住してほしい地域や企業を「球団」とし、北海道への移住を促す逆指名型のイベントである。

小中学校では学校外での出会いはほぼなかった。しかし、大学生になり交友関係が広がり、北海道の人の魅力を実感した。イベントで出会った地域のプレイヤーは、心から北海道という土地の可能性を信じていた。課題先進地域と呼ばれる北海道でゲストハウスを開き、観光資源を最大限に生かそうとする人、地域おこし協力隊として街の魅力を発信する人など、自分の特性と地域が重なる方法で課題解決に取り組む人々に出会った。その姿を目の当たりにし、一時的な滞在ではなく、長期的に暮らすことで北海道の魅力、そして限界を観察したいと感じたこともきっかけである。

札幌は積雪量が120cmを超えるにも関わらず、人口が190万人を超える世界にも例を見ない都市だ。生活するうちに札幌に暮らす人々のおおらかさや他者を排除しない志向に居心地の良さを感じていった。干渉しすぎないが、困ったときにはお互い様であるという支え合う文化に触れた。数ヶ月後、資金もなく、働き口もなかった私が一人暮らしを賄えるほどとなった。これは紛れもなく札幌で出会った人々からの援助によるものである。9ヶ月間生活する中で、札幌という街が居場所であり、逃げ場所となった。札幌への湧き上がる思い入れの原点は出会った「人」である。私の札幌を構成する、その人々の語りを残したいと考えるようになった。

3. 聞き取り

2021年9月から聞き取りを開始した。東京の生活史の際に受講した研修、また「ライフストーリー・インタビューーー質的研究入門」(桜井厚,小林多寿子)や「プロカウンセラーの聞く技術」(東山紘久)、「質的社会調査の方法--他者の合理性の理解社会学」(岸正彦,石岡丈昇他)を参考にしながら行った。生活史の聞き取りで、最も課題に感じているのが「積極的に受動的になる」という姿勢である。これは、前述の研修での岸正彦先生の言葉である。生活史は、項目を明確に決め、順番通りに聞きとる構造化インタビューとは異なる。生活史の聞き取りにおいて、その場に身を任せ、語りをサポートするように聞きとる。語りを遮らないように適切な相槌をうち、語りの一部を反復するなどして話を引き出す。聞き取りを重ねる中で、徐々にこの姿勢を会得しつつある。当初は、面白い話を引き出そうと前のめりに語り手と向き合っていた。しかし、それでは相手を萎縮させてしまう。問いを立てたり、相槌を打つことで、語りの補助線を引くようにきく。2、3時間にも及ぶ聞き取りの中で、いかに相手が喋りやすい相槌や問いを立てるかが重要だ。オーラルヒストリーの授業での言葉を借りると、「温度のあることば」をできる限り多く拾い上げられるように努めている。

4. 「すすきのと私の生活史」から「札幌と私の生活史」へ

卒プロの構想を始めた3年の秋学期では、札幌の中でも繁華街であるすすきのに焦点を当てていた。すすきのはアジア最北の繁華街であり、無数の飲食店がひしめきあう。札幌で生活する中で、外食の際にはすすきのに出ることが多かった。飲み屋で出会う人々は生活圏内のコミュニティとは外れ、多様なバックグラウンドの人々が多く、刺激的だった。札幌最古の地下街「すすきの0番地」では、獄中で陶芸を極めた人、透視ができるサラリーマン、昼の11時から12時以外は常に飲酒している人など、本当か嘘かわからない話を聞かせてくれる興味深い人々ばかりであった。最初はそんなすすきのの有象無象の語りを残したいと考えていた。

しかし、知人から聞き取りを始めるうちに考えが変わっていった。清水先生から「そもそも大河原さんがなぜ札幌、そしてすすきのに魅力を感じているのか考え直してみたら良い」と言っていただいた。そこで、加藤研での発表や同期への相談をするうちに、すすきのという土地というより、そこで出会った人々に惹かれていると改めて気がついた。今までは繁華街である「すすきの」に絞って語り手を一から探していたが、私の生活圏であった札幌市全体に広げることにした。

聞き取りを行う中で、気づいたことが2点ある。1点目は、ごく狭い界隈での共通言語や共通知識を無意識のうちに体得していたことである。役所の方の個人名や地域では有名な飲食店、複雑な人間関係など9ヶ月間のうちに共通知識を獲得していたことを実感した。個々の文脈を理解していることで、より一歩迫った話を聞くことができる。一方で、界隈の狭さへの違和感や居心地の悪さもまた事実である。独特な界隈性を言語化していくというのも一つの方向性だと感じている。

2点目は、札幌市民は人の流動性に慣れているということである。エキセントリックリサーチの中間報告会で石川先生に「札幌は移動民が多いのでは」と指摘をいただいた。確かに、転勤、Uターン、Iターンで札幌を訪れる人々に多く出会ってきた。中には定住を強く決意するのではなく、自身のライフキャリアを鑑みて移住する人々もいる。私自身もその1人だ。一時的に札幌を離れ、東京で暮らしている語り手もいる。札幌市民には移動民を受け入れる心理が働いているのかもしれない。

上記の2点の仮説を携えつつ、聞き取りと編集を進める。語り手は私が札幌で生活する中で出会った人々である。アルバイト先の上司、通っていたカフェのオーナー、インターン先の先輩など、私の札幌の生活の一部だった人々に聞き取りを行う。

5. 既存の生活史を読む

すでに出版されている生活史集を読み、編集方法を検討した。1つ目は「新宿情話」(須田慎太郎)である。本書は、新宿で暮らし、働く人々の語りを束ねた本である。語り手は踊り子や風俗嬢、喫茶店のオーナーなど、繁華街ならではの職業が目に付く。語り手の氏名や職業などを明記しており、聞き手による語りの解釈も含まれている。聞き手がフォトジャーナリストということもあり、語り手の写真も掲載されており、語りをより現実的なものとして読むことができる。

次に、「東京の生活史」(編・岸正彦)である。自身も聞き手として参加した。聞き手を公募し、150人が150人がきいた東京にまつわる語りを束ねた一冊だ。2022年には、紀伊國屋じんぶん大賞を受賞した。岸正彦氏は「必然的に、偶然集まった」東京の街を著した一冊だと述べる。語りは1万文字ほどで、「あ〜」や「えっと、」などを削らずに文字起こしし、編集がされている。聞き手の解釈はなく、語り手らしさを残す編集がなされている。

他にも「仕事!」「大恐慌!」(スタッズ・ターケル)、「ハマータウンの野郎どもー学校への反抗・労働への順応」(ポール・ウィリス)「街の人生」(岸正彦)を参照する中で、できる限り聞き手の解釈を介せず、語り手の語りのままを残したいと考えるようになった。札幌と私の生活史は、研究の材料としての資料ではなく、ただ語りを語りとして残すための一冊だからである。東京の生活史を主として参考とし、聞き取りと編集を行う。

6. 展望

「札幌と私の生活史」を一冊として完成した暁には、聞き取りに協力してくださった方との場を札幌で企画し、本を直接お渡しすることを目指す。そして、卒業後、札幌と私の生活史を携えて、東京の生活史の札幌版を企画したい。