まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

スコールの晩に考えた。

「学会」という集まり

12月14日(金)〜16日(日)にかけて開催されたPacific Rim Community Design Networkという会議に参加するため、シンガポールに出かけた。*1 今学期、とくに後半はかなりタイトなスケジュールになってしまった。大学で講義とミーティング(オリエンテーション)に参加し、その足で羽田に向かって夜の便に乗るというパターン。じつは、いままでそういう動きをしたことがなかった(荷物と一緒に動くのは面倒だし、そもそも慌ただしくて疲れる)。首都大の饗庭さんと同じ飛行機に乗り合わせて、あとから聞いたら、饗庭さんも同じように授業を終えてからの出発だったとのこと。翌朝の6時過ぎに、シンガポールに到着。

会場となったシンガポール国立大学(National Univerisity of Singapore)は、数年前に仕事で訪れたことがあるが、じつに広大なキャンパスだ。空港から直接大学に向かい、紅茶をすすりながら、受付が開始されるのを待った。東京はようやく冬らしくなってきたが、やはりシンガポールはずいぶんちがう。朝陽を浴びているだけで、暑い日になることがわかった。

会場で、亜維子さん、木下さん、黒石さんに会った。参加者リストを見ると、他にも日本人の名前がたくさんある。受付を済ませると、ほどなく全体セッション(プレナリー)がはじまった。キーノートやパネルディスカッションは、この集まりについての議論が中心で、ほぼ隔年で開催されているこの会議は、今年で20年という節目を迎えたとのこと。Pacific Rim Community Design Networkの成り立ち(そしてこれまでの活動)について、紹介があった。20周年という特別な機会に、Great Asian Streets Symposium (GASS) と、Structures of Inclusionという二つの集まりと相乗りしつつ開催されている(という理解で正しいはず)。そのせいもあってか、プログラムは盛りだくさん。ぼくも発表したが(くわしくは後ほど)、7つの部屋でパラレルセッション。そして発表10分+質疑10分という、ちょっと窮屈な構成だった。(5月にウチのキャンパスで開催した「日本生活学会」の研究発表大会は、発表20分+質疑10分。その贅沢さにあらためて感謝した。)

f:id:who-me:20211203232011j:plain

金曜日の朝は、デッキで。 

疲れてはいたものの、せっかくなので、なるべくたくさんの発表を聞くことにした。やはり、“ネットワーク”という名前を冠した集まりなので、文字どおり、世界じゅうで展開しているさまざまな事例を知り、つながりをつくることを大切にしているのだろう。そう考えれば(そういう生い立ちで続いているのだから)、発表時間の短さもわかる。むしろ、コーヒーブレイクやランチ、レセプションやディナー、エクスカーションというように、参加者とともに語らい、ともにまちに出るという時間が充実しているのは当然のことだろう。いわゆる「学会」というよりは、お互いの近況や活動の進捗を確かめ合う、隔年で開かれる「社交の場」なのだ。
そもそも「学会」には、その役割がある。職場を、研究領域を、さらには国境を越えて、いろいろな人に出会えるのが楽しい。それが、じぶんの思考や行動につながる。それは、よくわかる。すでに「お友だち」になっているどうしの面々が集まっていて、なかにはひさしぶりの再会もあって、旧交をあたためている光景は悪くない。でも、初めて参加したこともあって、ちょっと居場所がないような、落ち着かない気分にもなった。「新参者」には、肩身が狭い。

全体セッションでも説明があったが、20年前、想いを同じくする面々(もともとは、UC Berkeleyのグループ)が集まって問題意識を共有し、それぞれの考えや方法について議論したのがはじまりだという。かつての写真を見ると、15〜20名程度。大きなテーブルを、参加者全員で囲むことのできるくらいの規模だった。その集まりが、あらたなメンバーを加えながら、20年かけて成長した。すでに述べたとおり、いくつものパラレルセッションを設けなければ、プログラムが成り立たないほどの規模まで広がったということだ。
この会議にかぎらず、いくつかの「学会」に参加して感じるのは、ぼくたちの集まりは時間とともに成長し、その性格も少しずつ変化してゆくということだ(もちろん、ぼくたちも、その分だけ歳をとる)。たとえば設立当時からのメンバーは、20年間、お互いの成長を見ながら今回の会議を迎えている。感傷的になるのは、もちろんかまわないし、当時、まだ学位を取ったばかりだった若き研究者たちは、20年間を経て、いまではこの分野の「大御所」になり「重鎮」になっている。それは、分野を拓いた人の功績だ。だが、ここまで広がってきたときにこそ、もう一度ふり返ることが重要なのだろう。「昔はよかった」「もともとはこうだったはず」という回想を大切にしながらも、あたらしい知が立ち上がる現場に居合わせるとき、ぼくたちは興奮をおぼえるのだ。
まぁ同じことは、ウチのキャンパスにもいえる。先人たちに大いに敬意を表しながらも、「昔はこうだった」という、懐古的な空気に流されないように、つねに前を向かないと。

参考までに、当日のプレゼンテーション(via SlideShare)はここ。*2

◎Kato, F. and Eguchi, A. (2018) The looseness of significant ties: On reclaiming our "common" places. Presented at Pacific Rim Community Design Network, December, National University of Singapore.
* じつはこれ、「ORF2018」のピッチ(P10-5)で話した内容の英語版という感じ。

 

〈共〉の場所をとらえなおす

カレーキャラバンは、もともとはアートプロジェクト(墨東大学, 2010-2011)のなかから生まれた。とても趣味性の高い活動だし、ぼく自身は、できるかぎり大学教員という肩書きを使わずに7年近く続けてきた。肩書きのみならず、「フィールドワーク」や「コミュニティ」などということばを使わないことが、人との出会い方、その後の関係の育み方にも、少なからず影響をおよぼす。あくまでも愉しさを優先して、旅をしながら人と出会い、みんなでつくって、みんなで食べることに集中するのがいいと考えている。幸いにも活動は途絶えることがなく、これまでに78回の実践を重ねたので、そろそろ整理してみようと考えてはじめている。調査研究という文脈に位置づけようとすると、どうしても「後付け」になってしまうが、そもそも現場は、研究者の頭のなかにある概念や仮説などはおかまいなしに、いつでも動いている。だから、実践の積み重ねのなかから、ことばを探していくほうが、じつは自然なのだと思う。
カレーキャラバンは、かつて、ぼくたちの身の回りにあった(はずの)〈共〉の場所(誰のものでなくて、誰のものでもある)を、即興的・一時的に取り戻す活動だと言える。いまの段階では、恩田さんの図式(下図)を使いながら説明しすることが多い。*3 恩田さんは、現代社会では、〈公〉あるいは〈私〉と呼ぶべき場所だけになり、もはや〈共〉は消失したのだと問いかける。ぼくたちは、〈公〉と〈私〉の境界(あるいは「際, きわ」)に大きな鍋を据えてカレーをつくる。出来上がってみんなで食べるとき、それがわずか2時間程度であったとしても、境界が曖昧になって、〈共〉らしさをもった場所が生まれるというストーリーだ。今回の会議でも、〈共〉をつくりだす「方法」として、ぼくたちの場づくりの実践を紹介した。

f:id:who-me:20181221075629j:plain

【共独自の領域の消失(現代社会)|恩田守雄(2006)『互助社会論』(世界思想社)を元に作成】


できるだけサボらずにセッションに出て、いろいろな発表を聞いた。すでに触れたとおり、全体のプログラムは、ちょっと詰め込み過ぎだった印象が強い。個人的には、居場所のなさも感じていた。でも、2日目の岡部さんのキーノートスピーチは抜群に面白かった。いま簡単に紹介したような、ぼくたちがカレーキャラバンについて語ろうという試みと、岡部さんの話した内容は、問題意識が重複していた。大いに共感できる論点だった。
ぼくも、どこかでしゃべったことがあるが、「パブリック(public)」は、日本語だと〈公共〉になる。公共部門、公共サービス、公共空間などなど、日常的に流通していることばを挙げても、〈公〉と〈共〉がセットになって語られることが少なくない。これは日本語(翻訳)の問題ではあるが、「パブリック」が日本語になったとたんに〈共〉をふくんでしまうということは、きちんと考えておく必要がある。〈共〉が、「私たち」(渡辺さん的には「自分たち事」だろうか)の領分であるとするならば、たとえ〈公〉や〈私〉との境界が曖昧であったとしても、その〈あいだ〉の特質について理解する態度は求められるだろう。岡部さんは、ぼくたちが〈公〉〈共〉〈私〉ではなく、〈公共〉〈私〉という理解に陥りがちなことに触れた。

もう一つ、岡部さんの話で気にとめておくべきなのは、さまざまな〈公共〉的な活動の主体は誰かという問いだ。近年、「コミュニティ(コミュニティデザイン)」「ソーシャル(ソーシャルグッド)」といったことばが流通しているが、その主たる使い手は誰なのか。ぼく自身も、「コミュニティ」や「ソーシャル」といったことばはできるだけ慎重に使いたいと考えている。実際、シラバスには「それっぽくて、その気になるようなキーワードはできるかぎり排除して、慎重にことばをえらびたい」という一節を添えている。岡部さんは、こうした「コミュニティ」や「ソーシャル」といったことばを掲げた活動が、最近では広告代理店やコンサルティング企業によって手がけられていることを指摘し、それは(〈公〉でも〈共〉でもない)〈私〉の領分で扱われているのではないかと問いかける。つまり、「それっぽくて、その気になるようなキーワード」を使いながらも、〈私〉的な価値観によって活動が成り立っているとすれば、それは知らず知らずのうちに〈共〉の領分を駆逐してしまうかもしれないという問題提起だ。

こうした論点を際立たせるために、〈公共〉(public)と〈私〉(private)の区別について語るところからはじまったのだと思う。セッションの時間はかぎられていて、しかも遅れ気味で進行していた。いよいよ、面白い議論が展開するというタイミングで、フロアから、一連の問題提起はたんなる「ことば遊び(言語ゲーム)」にすぎないというコメントがあった。それで、会場の空気が変わってしまった。パブリックということばに対する批評だと受け取られてしまったのだろうか。その後は、つぎの予定に追われるようにそそくさと議論がすすみ、なんとなく精神論のような話で終わってしまった(ように聞こえた)。すでに触れてきたとおり、ややハイコンテクストな集まりだったので、ぼく自身が正しく理解しているかどうかは、わからない。

でも確実にわかったのは、(自戒を込めて)日本人の研究者は、もっと自在に英語を操れるようならなければ困るということだ。言語がすべてではないが、20年前に巻き戻されてしまうようなことは、避けなければならないだろう。というより、現場の躍動をきちんとことばにして、世に問いかけてこそ、この集まりの価値があるように思えた。概念的・理論的な整理はやや粗くても、現場での実践に裏打ちされた態度を表明すること(精神論ではなく)、それが、ネットワーク(ネットワーキング)としての場づくりなはずだ。

f:id:who-me:20211203232134j:plain

Little lndia

かくして2日目が終わった。プレゼンテーションのほうは、滞りなく、というか、「無風状態」に近かった。亜維子さん、饗庭さん、内田さんとともにリトルインディアに向かい、カレーやビリヤニを食べてビールを飲んで、軽い打ち上げ。
あれこれ話をしていたが、岡部さんのセッションのことが、ぼくの頭から離れなかった。「ことば遊び(言語ゲーム)」だというコメントは、やはりちがうと思った(というより、あの水を差すようなコメントをとおして、何をしたかったのかがわからずにいた)。一連のタイトなスケジュールのせいで眠気におそわれていたり、初めての参加だったから居場所がなかったという言い訳がましい発想をしたり。じぶんの不甲斐なさが、悔しかった。もっと勉強して、英語力も鍛えて、不埒なコメントをスマートに論破しなければダメだと思った。ひと仕事終えて、すっきりすると思っていたが、そうならずにいた。

来るときタクシーで追い越したはずの雨雲が、少しずつ近づいているようだった。しばらくして、ぼくの浮かない気分を丸ごと洗い流すほどの、激しい雨。いま、シンガポールが雨季だということを忘れていた。⛈

おまけ

翌日にそなえて、飛行機ではよく休んでおいたほうがいい。夜の便(翌日の早朝着)なら、なおさらだ。…と思いつつ、貧乏性というか、この時こそと思って、行きも帰りも深夜に映画を観た。行きは『EDIE』(美しかった)、帰りは『Searching』(観ようと思いつつ、まだだった)。

*1: http://gass-prcdnet-sfi2018.org/ 

*2:プレゼンテーション資料に埋め込まれている動画の撮影・編集は、矢澤咲子によるもの。

*3:これまでにも、少し「理屈」をまとめる機会はあった。カレーキャラバンをすすめながら考えたこと・気づいたことは「ゆるさ」をキーワードにまとめている。詳細はここから。→ 「ゆるさ」があれば カテゴリーの記事一覧 - クローブ犬は考える