まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

マイペンライでゆこう(5)

Day 5:2018年3月12日(月)

あっという間に最終日をむかえた。いつもは、インタビューの対象になった本人にもう一度会って、目の前でポスターを披露するのだが、今回は、それがかなわなかった。それでも、それぞれのペアがどのようにポスターづくりに取り組んだのか、その経過を共有する時間は大切だ。なるべく記憶が新鮮なうちに、ことばにしておく(誰かに投げかけておく)のがいい。(完成したポスターを目にしたときの本人たちのリアクションについては、ヌイが何らかの方法で記録してくれることになった。)
10時ごろ、ホテルの部屋に集まって、ちいさな成果報告会を開いた。ノボさんにも参加してもらうことができた。順番に、どのように話がすすんだのか、どのようなことを考えながらポスターをつくったのかについて紹介した。ポスターは、印刷されたものではなく、ディスプレイのなかで。今回は、いつもとくらべると、いろいろと勝手がちがうことがたくさんあったはずだ。まずは、無事に完成したことを素直に喜びたい。
3枚のポスターには、一人ひとりの個性が表れている。だが、話をしているうちに、共通点があるようにも思えてきた。いつもぼくたちは、インタビューをとおして、できるかぎり、人びとの自然な表情をとらえることを目指している。ぼくたちは、ことなる(社会的な)役割を自覚しつつ、さまざまな文脈で(意識的にも無意識的にも)「ふさわしい」と思われる「顔」を見せようとしている。それは日常的に「あたりまえ」にくり返されているので、さまざまな「顔」を切り替えていることにはあまり気づかないのだ。

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ぼくたちは、フィールドワークという方法で人びとの日常に「お邪魔する」ことで、その「あたりまえ」を揺さぶろうとする。形式ばったやり方ではなく、なるべくリラックスしながら話をしていると、ふとした拍子に相手の表情が変わることがある。職場では、当然のことながら、それぞれの役割をまっとうする表情があるはずだが、たとえば、ふと「おかあさん」になる。あるいは、休日を一緒に過ごす「仲間」になり、ごくふつうの「二十歳の女性」になる。今回のポスターは、いずれも表情が「ゆるむ」場面をとらえているように見える。

さらに、お互いにどのような「顔」を見せ合っているかという話から、興味ぶかい議論になった。たとえば、職場で「おかあさん」の表情を見せるのは「よいこと」なのか。あたえられた役割に「ふさわしい」表情を見せることが求められるのではないか。上司は上司らしく、部下は部下らしく、リーダーはリーダーらしく。規律が求められる職場であるならば、なおさらのことだ。「オン」と「オフ」をきちんとわきまえることが大事だとするならば、表情が「ゆるむ」場面をポスターにすることに、どのような意味があるのだろうか。もしぼくたちがつくったポスターが、工場の掲示板に貼られたとしたら、ポスターのなかの表情を見た同僚たちは、どのように反応するのだろうか。「ふさわしい」と感じるだろうか。

ぼくは、学生たちの発表を聞きながら、ポスターの「ふさわしさ」について、ぼんやりと考えていた。ノボさんは、タイで暮らしていた経験をふまえて、「いわゆる“political correctness”のようなことは、タイではさほど重要視されていないかもしれない」と言った。なるほど、「ふさわしいかどうか」よりも、「ふさわしさを問うこと」自体について、あらためて考えてみたほうがいいということか。
ここのところ、ぼく自身は、さまざまな場面で「黒か白か」「1(イチ)か0(ゼロか)」「オンかオフか」というように、くっきりと区別や選択を求めがちなことに、ちょっとした違和感をおぼえている。ぼくたちは、現実的には、そう簡単に決められないことに直面することが少なくないからだ。なのに、ぼくはなぜ「オンかオフか」を気にかけ、ポスターのなかの表情が「ふさわしいかどうか」を問いかけたのだろう。

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全体をとおして、今回の「キャンプ」はゆるやかにデザインされていた。「ノープラン」ではなかったが、現場を見ながら決めた部分が少なくなかった。ぼくとしては、ちょうどいい具合だったと思う(参加した学生がどのように感じていたかについては、あとで聞いてみよう)。
あまりにも緻密に計画を立てると、そのとおりにこなすことが目的になってしまう。もちろん、計画どおりにすすんだかどうかで「キャンプ」を評価することは大切だ。だが、予期せぬハプニングに出会い、いろいろな調整や判断が必要になったときこそ、ぼくたちの知恵や工夫が試される。そもそも、天気や体調のことは、あらかじめ計画できる性質のものではない。すべては、事前の計画を、現場の状況とつき合わせながら、まさに行動のなかで理解していくしかないのだ。

今回も、いろいろな人に助けられて「キャンプ」が実現した。ひとまずこれで「タイキャンプ」は終了。ぼくは、ベトナム経由で帰るので、その旅程に合わせてひと足先にバンコクを発つ。まだ少し時間に余裕のある学生たちは、残されたひとときを楽しむべく、まちに出かけた。ありがとう。お疲れさまでした。🐊
(おわり)

おまけ:タイで食べた(3月8日晩〜12日昼)

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Thai Camp (Posters)

Posters|ポスター

Thursday, March 8 - Monday, March 12|Thai Camp

These posters were created as a part of "Special Research Project B: Design and Practice of Community Research," conducted in Thailand, March 8 - 12, 2018. In this project, Keio students interviewed factory workers in casual (informal) fashion, worked on poster designs, and made presentations on the final day.

We thank Nuey and her family members for their warm support toward a joyfull completion of the project. ขอบคุณค่ะ 🙇‍

今回の滞在中に制作したポスターです。加藤研の学生は、ペアでバンコク郊外の工場ではたらく人びとを訪ね、施設見学をしながらインタビューをおこない、最終日のプレゼンテーションに向けてポスターのデザインをすすめました。 

 

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Nao Kokaji and Yudai Matsumuro

 

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Michino Hirukawa and Mariko Yasuura

 

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Yoshinori Hanawa and Rito Tajima

 

 

マイペンライでゆこう(4)

Day 4:2018年3月11日(日)

4日目。きょうは、35℃くらいまで気温が上がるみたいだ。少しずつ疲れも出てきたし、ポスターづくりの時間も必要なので、全員で行動するのは午後からにして、それまでは、自由に過ごすことにした。
そう言いながら、ゆっくり寝ている気分にもなれず、とくにまだ朝の涼しいうちに、少しでもまちを歩いておこうと思った。ヌイとなおと一緒に、近所のカフェで朝ごはん。善し悪しはともかく、とても「いまふう」のカフェだ。店内の設えも、家具も照明もメニューも、店内に入るとバンコクにいること感じさせない、「最近よくあるカフェ」の雰囲気だった。でも、これが“ユニバーサル”であるはずもなく、なんとなくぼくたちが「最近よくあるカフェ」に慣れてしまっただけのことだ。(英語が通じることもふくめて)ある種の安心感はあるが、どこに行っても同じような(とてもよく似ている)場所を求めてしまうのは、ちょっと寂しい気もする。

ほんの数ブロック歩くだけでも、新旧が混在しているようすがわかる。まちは、変化している。そのあと、ホテルのそばにあるBangkok Art and Culture Center(bacc)まで出かけた。時間がなくて展示を見ることはできなかったが、建物のなかをぐるっとめぐって、ブックストアでしばらく過ごした。数年前に日本を主題に開かれた展示のカタログや日本にかんするガイドブック(+エッセイ) を購入。
Tシャツや文房具、雑貨など、「日英タイ」が記されているモノもあった。うまく表現できないのだが、それは「無国籍」というよりは、いくつもの文化がブレンドされて「タイ流」になっているような感じだ。いろいろな形で、日本の文化(それも、すでに多文化がブレンドされたものかもしれないが)がしみ込んでいる。

正午。みんなで集まって、旧市街地のチャルンクルン通り(Charoen Krung Road)へ。Thailand Creative & Design Center(TCDC)を目指した。TCDCは、かつての場所から旧バンコク中央郵便局に移転し、昨年の5月にオープンした施設だ。古い建物のなかに、コワーキングスペースやライブラリー、ショップ、ギャラリーなどがある。フロアプランには、メイカースペースやMaterial & Design Innovation Centerという表示もある。この界隈は「Creative District」として位置づけられ、このTCDCを中心に整備される計画があるという。

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まずは屋上に上がって、バンコクのまちを眺めてみた。手前には旧市街地の古い建物が見えて、その後ろには工事中の高層ビルが並ぶ。ここでも、新旧が混在しているようすを見てとれた。
コワーキングスペースを眺めてから、1Fのギャラリーへ。“Dear Elders”という展示を見た。タイトルどおり、高齢化社会をテーマにした展示で、とても面白かった。タイでは、まもなく高齢者の数が子供の数を上回るという。その現状をさまざまな観点から調査し、まちなかの空間(ストリートファニチャー)、人間関係(住まい方)など、未来に向けてどのような再編成が可能かという問題意識ですすめられたプロジェクトが紹介されていた。コンパクトな展示だったが(ギャラリーがもう少し広くてもいい?)、ゆっくりと時間を過ごした。いろいろ、参考になる。

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ホテルのそばまで戻って、遅めの昼ごはん。そのあとは、もう昼寝をするしかなかった。
結局、滞在中に残された「作業」のことを考えて、晩ごはんはホテルで食べることにした。近所の屋台などで料理やくだものを買ってきて、大きな部屋(本当に広い)にみんなで集まった。海外で「キャンプ」を実施するときは、ふだんと条件がずいぶんちがう。それでも、滞在中に成果をまとめることができるかどうかが課題だ。「作業」の時間を確保するために簡単な食事にするつもりだったが、むしろアットホームな感じで、のんびりと過ごしてしまった。楽しい食事だった。早いもので、もう明日が最終日。🌶

(つづく)

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マイペンライでゆこう(3)

Day 3:2018年3月10日(土)

3日目。曇り空。ホテルにほど近いフア チャン(Hua Chan)橋のたもと、水上バスの乗り場のすぐ目の前にある屋台で朝ごはん。きょうは、まだ涼しいうちにチャトゥチャック・ウィークエンドマーケット(Chatuchak Weekend Market)に出かけることにした。その名のとおり、週末に開かれるマーケットだ。オオニシさんとノボさんによると、とにかく広くて迷路のように通路が入り組んでいるので、誰もが迷ってしまうのだという。どうやら、10,000店舗以上がひしめいているらしい。
スクンヴィット・ラインに乗って、モーチット(Mo Chit)駅へ。10:00過ぎに着くと、駅は、マーケットに向かう人のにぎわいで、すでに混雑していた。 ぞろぞろと人波に流されながら、マーケットへ。
ぼくたちは、このマーケットで「500バーツ(およそ1,700円)で買い物をする」という即席の「課題」に取り組むことにした。それぞれ、2時間くらい自由に歩き回って買い物をする。単純なことながら、全員の買ったモノを並べてみれば、モノをとおしてタイの事情を理解する手がかりをえられるはずだ。「成果」は、別途まとめて報告したい。

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SOURCE: http://www.chatuchak.org/map/chattuchakmap.jpg

 

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マーケットの雰囲気は、(上手く伝わるかどうかわからないが)アメ横のような感じ。ただし、通路はやっとすれ違うことができるほどだ。雑貨、洋服、かばん、ペット用品など、扱っているモノによって、ゆるやかにゾーニングされているらしいのだが、不意に食堂やフットマッサージの店も現れる。アロマ用のハーブやキャンドルと、タイ料理のスパイスの香りが混ざり合う。中央の広場にある時計台を囲むように区割りされているので、通路が斜めになっていたり、不自然に分岐していたり。「現在位置」は、あっという間にじぶんの頭のなかで想像している地点から離れていってしまう。それぞれの「交差点」には位置を示す看板が吊るしてあるので、ときどき、その写真を撮りながら歩いた。そのこと自体が、あまり役に立たないことは、すぐにわかった。なにより、どこにいるのかに意識をうばわれていると、買い物ができない。そして、買い物に集中していると、もはやどこにいるのかわからなくなる。
ぼくは、500バーツぴったりで買い物を終えることを目指して、あれこれ物色した。これはと思ったときに買っておかないと、また後から同じ店に戻るのは、とても難しいことのように感じられた。やはり、出会いが大切。

屋根はあるが、一部を除いてはエアコンはない。直射日光を浴びることはないものの、夥しい数のモノと人びとの往来で、すぐに暑くなった。こういったマーケットでは、「値切る」のが楽しみだというものの、(ぼくの買い物にかぎっては)値段の交渉の余地はなかった。ノボさんにひと声かけてもらったが、表示されていた値段のまま。聞けば、昔は値札がついていないモノも多かったようだ。だからこそ、客と店主が「落としどころ」をめぐって交渉し、モノの値段を決めていたのだろう。「5つ買えば1つタダで付いてくる」といった類いの値引きはあったが、多くのモノについては値段がはっきりと書かれていた。
ひとまず正午に時計台のところで落ち合うことにして、30分待っても会えない場合には、BTSの駅の改札に集まろう。散り散りになる前に、そう決めていた。時間になったので時計台を目指す。
無事に、時計台で合流。
マーケットの中にある店でお昼を食べて、夕方までは、各自で自由に動くことにした。ぼくは、オオニシさん、ノボさんとともにマーブンクロン・センター(MBK Center)へ。 

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MBK Centerのなかで目指したのは、アニメイト・バンコク店だ。というのも、この春学期に「マンガ」という科目を担当することになり、そのなかで無視できないのが世界のなかの「マンガ」という観点だからだ。もちろん、バンコクに来たのは「キャンプ」のためだが、ホテルのすぐそばのショッピングモールにアニメイトが出店している(出店は2年前)と知り、「視察」しておくことにした。店は、外観も雰囲気も、東京で見かけるアニメイトと同じだった。店の奥では、コスプレのイベントも行われていた。みんなエネルギッシュで、そしてとても楽しそうにしている。日本のマンガやアニメが、タイの若者たちを惹きつけていることが、よくわかった。参考のために、何冊かマンガを購入。

ふたたびみんなと合流して、ジム・トンプソンの家(The Jim Thompson’s House)へ。ここも、ホテルから歩いてすぐの所にある。20分ほどのツアーガイドがあって、家や庭のなかを歩き回った。ジム・トンプソンの商品は、たびたびお土産でもらったことがあるが、家のなかを眺めることで、当時のタイでの暮らしぶりをうかがい知ることができた。



そして、最後はヤワラー通り(Yaowarat Road)へ。ヤワラー通りは、チャイナタウンを代表する通りで、この界隈がヤワラーと呼ばれているらしい。通りにはいくつもの店が並び、路上の屋台には長い行列ができている。このエネルギーは、いったいどこからくるのか。熱気に圧倒されながら、数軒の屋台をハシゴし、最後はシーフードのレストランへ行った。きょうは、朝からよく歩いて、よく食べた一日だった。

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慣れない土地、とりわけ海外に行くと、インプットが過剰気味になる。めずらしい〈モノ・コト〉に、いちいち身体が反応する。それはそれで、よいことだ。少し時間をかけて咀嚼していけば、今後のアウトプットにつながることはまちがいない。緊張もしているし、なにしろ暑い。少しずつ疲れが蓄積されていく。体調のすぐれない学生もいて、そんなとき、じぶんがほとんど役に立たないという現実を味わう。
ヌイは、いち参加者でありながら、細やかに気を遣ってくれていることは見てとれる。オオニシさん、ノボさんは、たまたま同じ時期にバンコクにいるということを知って声をかけたのだが、すっかりお世話になってしまった。ぼくたちの毎日は、いろいろな人の知恵や経験が束ねられて成り立っているのだ。この無力感をもインプットにしよう。そう思った。🍜

(つづく)

マイペンライでゆこう(2)

Day 2:2018年3月9日(金)

2日目は、朝からどしゃ降り。雷も鳴っている。疎ましい気持ちで、雨音を聞いていた。それでも、雨は上がるだろうという見込みで(どうやら、きょう向かう方面はそれほど降っていないとのことで)、予定どおりに出発することにした。ホテルで傘を借りて、雨の中をBTSの駅まで向かう。そこからシーロム・ラインに乗って、終点のバンワ(Bang Wa)駅へ。駅でオオニシさんと合流した。ヌイの手配のおかげで、そこからはクルマ(大きなワンボックスカー)に乗って、45分ほどでドンワイ(Don Wai)水上マーケットに着いた。雨は、もう上がっていた。

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タイにはいくつも水上マーケットがあって、観光スポットになっているが、ここは市街から少し離れているからか、観光客とおぼしき姿はあまりなかった。狭い通路には、夥しい数の食べもの(正体がわからないものもたくさん)が並んでいる。マーケットのなかをしばらく歩き回ってから、船に乗った。マーケット周辺の川をめぐるツアー船だ。船から下りることも、船上でものを買うこともないが、1時間ほどかけて、川を周遊する。
地図で確認すると、船がすすんでいるのはターチン(Tha Chin)川(チャオプラヤー川の支流)で、くねくねと蛇行していることがわかった。川はさらに細かい水路となって、血管のように、ずっと奥のほうまで水がしみ込んでいくように見えた。川に沿って並ぶ家を、船上から眺めた。川面は穏やかだ。
ツアーを終えて、マーケットのなかでお昼を食べてから、この界隈では有名だというお寺、ワット ライキン(Wat Rai Khing)を目指した。さっき、船の上からも眺めた場所だ。なかは広大で、家族連れや若者の姿も多かった。背筋を伸ばして、お参りした。

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そして、いよいよきょうの(というより「タイキャンプ」の)メインとも呼ぶべき場所を目指した。これまでも、海外で「キャンプ」を行うときには、そのまちで働く人びとや大学生の取材を試みた。ここで言う「取材」は、フォーマルなインタビューというよりは、職場を見学させてもらったり、一緒にまちを歩いたりしながら話を聞くというものだ。2時間ほどの短いあいだではあるが、かしこまって(あらかじめ用意してきた質問を)順番に投げかけるやり方ではない。むしろ、その場の状況に合わせて、そのかぎられた時間を調整しながら、できるかぎり相手のことを知ろうとする。タイでも、いつもと同じようにペアを組んで、インタビューを行う計画だった。

今回は、取材先とのコンタクトが難しかった。そもそも、お願いしようにも、英語でやりとりできる保証はない。もちろん、これは先方の話だけではなく、加藤研の学生たちの英語力も、ちょっと心もとない。結局、ヌイの伝手をたどって、協力してくれる人を探してもらったのだ。幸い、3名が協力してくれることになった。
つまり今回の「キャンプ」は、ヌイだけではなく、ヌイの家族やその会社で働く人びとをも巻き込んで動いているのだ(ありがとうございます🙇‍♂️)。簡単なオリエンテーションのあとで、学生たちはグループに別れて、オフィスや仕事場を見学したり、話を聞いたりしながら過ごした。くわしい経過や成果物については、別途まとめるつもりだ。

カタコトの英語をしゃべりながら、たとえばスマホの翻訳アプリをつかってやりとりする。単語を交換しているだけでも、少しずつ相手のことがわかってくる(ような気になる)のだ。「ことばを大切にしたい」とつねづね心がけているつもりだが、そのいっぽうで、「ことばはいらない」と感じられる場面にも出会う。なにより、彼/彼女たちが優しく微笑むと、もう「なんとかなる」「だいじょうぶだ」と思えてくるから不思議だ。

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取材への協力にはじまって、お土産をいただき、さらに晩ごはんまでごちそうになり、帰りはホテルまでクルマで送ってもらった。全員、まるごとお世話になってしまった。タイのホスピタリティについては、しばしば語られるが、それがまっすぐに身体に伝わってきた。愉しい食卓だった。ぼくたちは、フィールドワークの成果を「まちに還す」ことを大切な課題として位置づけている。だが、そもそも「まち」というのは正体がわからないものだ。ふだん、何をどのように「還して」いるのだろうか。恩を縁に。それは、もっと個別具体的で、長いかかわりを意識することからはじまるのかもしれない。🐸

(つづく)