まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

マイペンライでゆこう(2)

Day 2:2018年3月9日(金)

2日目は、朝からどしゃ降り。雷も鳴っている。疎ましい気持ちで、雨音を聞いていた。それでも、雨は上がるだろうという見込みで(どうやら、きょう向かう方面はそれほど降っていないとのことで)、予定どおりに出発することにした。ホテルで傘を借りて、雨の中をBTSの駅まで向かう。そこからシーロム・ラインに乗って、終点のバンワ(Bang Wa)駅へ。駅でオオニシさんと合流した。ヌイの手配のおかげで、そこからはクルマ(大きなワンボックスカー)に乗って、45分ほどでドンワイ(Don Wai)水上マーケットに着いた。雨は、もう上がっていた。

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タイにはいくつも水上マーケットがあって、観光スポットになっているが、ここは市街から少し離れているからか、観光客とおぼしき姿はあまりなかった。狭い通路には、夥しい数の食べもの(正体がわからないものもたくさん)が並んでいる。マーケットのなかをしばらく歩き回ってから、船に乗った。マーケット周辺の川をめぐるツアー船だ。船から下りることも、船上でものを買うこともないが、1時間ほどかけて、川を周遊する。
地図で確認すると、船がすすんでいるのはターチン(Tha Chin)川(チャオプラヤー川の支流)で、くねくねと蛇行していることがわかった。川はさらに細かい水路となって、血管のように、ずっと奥のほうまで水がしみ込んでいくように見えた。川に沿って並ぶ家を、船上から眺めた。川面は穏やかだ。
ツアーを終えて、マーケットのなかでお昼を食べてから、この界隈では有名だというお寺、ワット ライキン(Wat Rai Khing)を目指した。さっき、船の上からも眺めた場所だ。なかは広大で、家族連れや若者の姿も多かった。背筋を伸ばして、お参りした。

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そして、いよいよきょうの(というより「タイキャンプ」の)メインとも呼ぶべき場所を目指した。これまでも、海外で「キャンプ」を行うときには、そのまちで働く人びとや大学生の取材を試みた。ここで言う「取材」は、フォーマルなインタビューというよりは、職場を見学させてもらったり、一緒にまちを歩いたりしながら話を聞くというものだ。2時間ほどの短いあいだではあるが、かしこまって(あらかじめ用意してきた質問を)順番に投げかけるやり方ではない。むしろ、その場の状況に合わせて、そのかぎられた時間を調整しながら、できるかぎり相手のことを知ろうとする。タイでも、いつもと同じようにペアを組んで、インタビューを行う計画だった。

今回は、取材先とのコンタクトが難しかった。そもそも、お願いしようにも、英語でやりとりできる保証はない。もちろん、これは先方の話だけではなく、加藤研の学生たちの英語力も、ちょっと心もとない。結局、ヌイの伝手をたどって、協力してくれる人を探してもらったのだ。幸い、3名が協力してくれることになった。
つまり今回の「キャンプ」は、ヌイだけではなく、ヌイの家族やその会社で働く人びとをも巻き込んで動いているのだ(ありがとうございます🙇‍♂️)。簡単なオリエンテーションのあとで、学生たちはグループに別れて、オフィスや仕事場を見学したり、話を聞いたりしながら過ごした。くわしい経過や成果物については、別途まとめるつもりだ。

カタコトの英語をしゃべりながら、たとえばスマホの翻訳アプリをつかってやりとりする。単語を交換しているだけでも、少しずつ相手のことがわかってくる(ような気になる)のだ。「ことばを大切にしたい」とつねづね心がけているつもりだが、そのいっぽうで、「ことばはいらない」と感じられる場面にも出会う。なにより、彼/彼女たちが優しく微笑むと、もう「なんとかなる」「だいじょうぶだ」と思えてくるから不思議だ。

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取材への協力にはじまって、お土産をいただき、さらに晩ごはんまでごちそうになり、帰りはホテルまでクルマで送ってもらった。全員、まるごとお世話になってしまった。タイのホスピタリティについては、しばしば語られるが、それがまっすぐに身体に伝わってきた。愉しい食卓だった。ぼくたちは、フィールドワークの成果を「まちに還す」ことを大切な課題として位置づけている。だが、そもそも「まち」というのは正体がわからないものだ。ふだん、何をどのように「還して」いるのだろうか。恩を縁に。それは、もっと個別具体的で、長いかかわりを意識することからはじまるのかもしれない。🐸

(つづく)