まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

生活記録としてスケッチをすることに関する研究

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

牧野 渚

調査概要

本プロジェクトでは、生活記録としてまちの人々をスケッチします。日々の生活の中でなるべく頻度高く調査を行い、より多くの人を描きます。この調査は、アメリカのアーティストであるジェイソン・ポランのEvery Person in New Yorkというプロジェクトの取り組みをなぞっています。全てのニューヨーカーを記録したいという好奇心から、毎日のようにニューヨークにいる人々のスケッチをしたプロジェクトです。そのスケッチの集積はアート作品として世に広まったと同時に、彼の生活記録でもあります。具体的な方法としては、お気に入りのスケッチブックとペンを持ってまちを歩いて、彼なりに気になる人を見つけると、相手が気づかない程度の自然な距離を保ってその様子を記録します。対象物をじっくりと観察しながら描く基本的なデッサンの方法とは異なり、いついなくなってしまうかわからなくても、その人の様子を直接見ながらほんの数分の間に特徴を捉えます。そのため、描いている途中に被写体の人が動けば線は二重に描写され、片腕を描いている途中でその人が立ち上がって移動をすればもう片方の腕は描かれません。彼は他のツールに頼ることをせず、自分の目だけを信じ、記録をする上で忠実さを大切にしていました。
のちに、描いたスケッチをスケッチブックからひとつひとつ切り抜いて物理的に並び替えながらレイアウトを吟味し、それらをスキャンして組み合わせたものを画集として刊行しました。各スケッチには日付や場所などのメモが少し記載されている程度で、説明文などは特に加えられていません。ことばによる情報はなくても、集積されたスケッチを見た人はその規模に感銘を受けると同時に、スケッチと経験の中で見てきた景色が結びつけられていきます。鑑賞者の記憶を刺激し、想像力を掻き立てることを通して、各々の解釈がつくられていきます。彼が行った記録は主観的で個別具体的であるからこそ、鑑賞者を選ぶことなく、見た人が内省的にものごとを考えるきっかけになると考えられます。

調査フィールドについて、プロジェクトの調査計画を立てていた段階では、自分が現在住んでいる横浜市に定めていました。しかし、現在は少し変更をして取り組んでいます。ニューヨークはまちに特徴があり、その地域性を活かすために彼はそこをフィールドとして選んでいたと考えられます。一方で、横浜市をひとつの地域としてみたとき、また他の地域と比べたとき、横浜市ならではの特徴や惹かれるような魅力は感じられませんでした。むしろ狭い空間に人が密集していることによる息苦しさばかりが目についてしまい、積極的に調査を行うことができなくなっていきました。また、自宅からアクセスのいい場所として自分が住んでいるまちを選んでいましたが、生活は横浜市の中だけで収まるものではないため、そこに限定することに想定外の難しさを感じていました。例えば、電車に乗って横浜から都内まで移動をするとき、自分が乗っている電車は変わっていないのにも関わらず、フィールドから出た途端に記録を制限されることにも強い違和感を抱いていました。そこで、調査自体は自分が訪れた場所でその都度行い、最終的にひとつにまとめるときに地域性を踏まえて整理を行おうと考えるようになりました。そのため、今学期はフィールドを限定せずにスケッチによる記録を行いました。この方法をとるようになってから、調査がより生活に馴染んでいったので、負担が減りました。

記録方法

「キャンプ」という、加藤研で行っている活動を通して、このプロジェクトの記録方法について改めて考えました。以前は宿泊を伴うかたちで「キャンプ」を行っていましたが、コロナの感染が拡大してからは従来と少し違う方法で取り組んでいます。東急池上線や多摩川線などの小規模な路線を選び、そこの人々を加藤研メンバーで同じ日時にスケッチをするというプロジェクトです。描写の方法は自由で、ジェイソン・ポランのようにその場でスケッチをする人、現場の様子を撮影してそれを元に後からスケッチにおこす人、撮った写真をiPadでトレースをしてイラストにする人などがいます。そのため、さまざまなやり方をみることが、改めて自分の調査方法について考えるきっかけになり、集団で自分の卒プロと似たような取り組みをすることで得られた気づきがあります。

記録方法については、その場の様子を見て直接描いたスケッチの解像度の低さが、描写をする人とされる人の精神的な安全を守ることがあると感じるようになりました。自分の卒業プロジェクトが誰かに不安を感じさせてしまうものにはしたくないため、この方法で進めていくことに決めました。また、そうすることで、記録者の視点が強く反映されるとわかりました。写真をなぞるとイラストとしての完成度は高くなる一方で、全体的な精度が均一になります。そのため、描いた人がどのようなところを注視しながら描写をしていたか、客観的に見たときに汲み取ることが困難になります。一方で、被写体がいつその場から離れるかわからない状態におかれると、自分が記録したい情報に無意識的に優先順位をつけます。例えば、重心を崩してずっしりとしたバッグを肩にかけている様子や、ホームのベンチに座って靴の中の石ころを出そうとしているところを見たときは、髪型や衣類の色についての記録より、その様子を描写したい気持ちを優先したくなります。完成したスケッチは左半身や足元だけの限定的なものになったとしても、その欠如こそが記録者が行った情報の取捨選択を表現します。デッサンやイラストとしての完成度より、このような表現を求めているとわかりました。

さらに、スケッチは生活記録の手法として汎用性が高いことに気がつきました。記録の対象物を選ばないことに加えて、記録をする人の技量もあまり必要としません。文章での記録と同様、訓練をすることで表現力がついていきます。絵を描くことに苦手意識があって、「キャンプ」に対して不安を抱えていた人も、描いているうちに個々のスタイルが絵にあらわれるようになることで自分が描いたものに対して愛着が湧いていき、それが楽しさややりがいにつながっていく様子が見受けられました。生活記録においてスケッチをすることの専門性は低く、さらにプロジェクトを進めていく上では参加者を増やすことも可能だと考えるようになりました。

活動報告の方法

活動の報告は、動画の制作と公開によって行っています。加藤研で取り組む卒業プロジェクトは特にパーソナルな部分に触れることが多いからこそ、周りの人や他者がそれを理解するために追わなければいけない文脈も多いです。大事だとわかっている上でも、それが負担に感じる場合があると想像します。加藤研内外の人に関わってもらうために、アクセスのハードルが比較的低いYouTube上で制作した動画を公開しています。こうすることで、興味を持ってくれた人にこのプロジェクトについて知ってもらうことができ、広がりを持たせることができています。

また、ものごとに対して母国語である日本語での理解をしている場合と、英語での理解をしている場合あります。そのため、動画の中では場面に応じて使い分けをして話しています。編集ができるという動画の利点を活かし、動画全体を通して日本語と英語の字幕をつけているため、可能な限りオーディエンスの限定をしないようにしています。話しているときはできなかった表現も、字幕をつけるために翻訳をしているうちに思いつくことがあり、両方の語彙力を補い合うための訓練にもなっています。

まとめ方について

最終成果物については、これから緻密に計画をしなければいけない要素がたくさんありますが、今年度のフィールドワーク展では主に原画の展示をしようと考えています。展示期間までに使ったスケッチブックを積み上げて、来場者が自由にページをめくって記録を見ることができるようにします。感染対策をしっかりと考えた上での場の設計をしなければいけないため、状況に応じた工夫が必要です。また、オンラインでの開催になったときのことも想定しておく必要があります。そうなった場合は、スケッチを一覧にまとめたウェブサイトを作って公開をするなどの方法をとります。これに加えて、冊子を制作します。具体的なまとめ方については、溜まったスケッチの様子を見て、それらを表現する方法として最も合っているものを選んで冊子をデザインします。期間中は展示会場に在廊し、来場者をスケッチします。もし実際にスケッチをしてみたいという人もいれば、ジェイソン・ポランが行ったTacobell Drawing Clubのように、一緒にスケッチをする時間と場を設けたいと考えています。

1920年代に、Every Person in New Yorkで行われていたような生活記録に重きを置く「考現学」という分野を提唱した、今和次郎という建築家がいました。彼はこのような記録について「結論をうるためのものでなく、暗示的な結果をあげ、発展のレールを敷くための枕木の役をすればたりるのである」(『考現学入門』ちくま文庫, 1987)と語っています。長い期間をかけて描いたスケッチが、思考やコミュニケーションのきっかけになることを目指します。