まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

ストーリーテリングを用いて人やものを味わう

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

山田 琴乃

テーマについて

動機

私はアメリカで生まれ育ち、幼い頃から新しい環境に身を置く機会が多くあった。そのため、人にはそれぞれ背景や違いがあることを自然と認識し、無意識に相手を理解していくプロセスに慎重になり、五感を使って、目の前の状況や人を気にするというよりは、楽しみながら理解しようとしていた記憶がある。自ら得た一次情報から想像を巡らせ、相手を理解する、その繰り返しが次第に習慣となり、私の能力となっていった。

しかし、今の私はそれができなくなったと感じている。それは、一次情報を得ようとする以前に、インターネットへのアクセスや言語の習得により、多くの二次情報や三次情報が手に入れられるようになったからである。これは例えば、初対面の人とSNSのアカウントを交換し、直接的にメッセージのやりとりをせずとも、相手のプロフィールや投稿からその人を把握することができるようになったことが挙げられる。また、私自身も相手との対話の中で自分を理解してもらうことが減ったため、端的に自分を表現することに注力するようになった。その結果、経験や思いなどの「線」としての情報が削ぎ落とされ、肩書きや所属などの「点」としての情報を多く発信、目にするようになった。そして、ネットの情報を消費するように「自己」や「他者」と関わり、「つながっているのに孤独」を感じる。

もちろん、一義的な情報で行われるコミュニケーションで十分な場面や関係性もある。私が課題に感じているのは、そのような場面が必要以上に増えている点である。人間はデータのように簡単に整理できるほど単純なものではない。私のように海外で生まれ育った人を「帰国子女」として一括りにして理解することはできるが、一人一人の帰国子女としての体験やその捉え方は異なる。誰しも、個別具体的な体験に個人的な解釈が加わった物語を持っている。それを聴き、エンパシーを持って味わう、その人間にしかできない温かく、愛のある関係性のあり方に興味がある。

 私はSNSが好きである。だからこそ本卒プロでは、SNSに対するアンチテーゼを掲げるのではなく、デジタル時代においても、データとして整理されない、人それぞれの個別具体的な姿を味わう姿勢を取り戻すためのツールを作りたいと考えている。効率性にとらわれることなく、もう一度人間らしい繋がり、コミュニケーションを取り戻したい。

ストーリーテリングアプローチ

ストーリーテリング(物語る)という手法を選んだのには2つの理由がある。

まず私は「物語」には求心力があると感じている。例えば、ダンスのショーケースを作るとき、出演者には同じ「世界観」を表現してもらう必要がある。「切なく踊って」、と指示する時より、「タイタニックの別れのシーンを思い出しながら踊って」と説明した時の方が圧倒的に全体の表現力が上がる。これは全員がその物語に感情移入し、想像しながら心を一つにして踊ったからこそである。

他方で「語る」ことについては、話の型に縛られない自由さが魅力だと思う。「答える」時や「説明」する時は、分かりやすく伝えなければ、とどうしても情報を削ぎ落とし、大事な要素になりうるところが聞けないことがある。しかし「語る」となると、自分のペースや温度感を保ちながら話すことができ、結果として良い時間が生まれやすい。これは所属している加藤文俊研究会での「キャンプ」活動におけるポスター作りで痛感したことである。Q&Aで進行するインタビューより、「語り合う」時こそ本当にその人らしさが引き出せるようになり、自分も相手も満足のいくようなポスターを作れた。

 以上のことを踏まえて、私はストーリーテリングアプローチを取ることで、語る側も聴く側も「物語り」を介して心理的な距離を縮め、味わい合えるのではないかと考えている。

研究活動について

春学期のFWの取り組み

以下が春学期に行った5つの取り組みの概要である。 

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*❹❺:(https://youtube.com/playlist?list=PLkl3dkiE2R5FI-ZuvdGIibKN1xTy9aRr7

 今学期は手探り状態だった。テーマが広義な上に、目的より手段を先に決めていたため、適切なFWを模索するので精一杯だった。しかし、振り返ってみると概ね2段階を経て、春学期の研究が進んでいたと言える。

1段階目:ストーリーテリングへの見解を探る

1段階目では、「ストーリーテリング」を用いて人の話を聞き出す具体的な方法を探るべく、山下公園でのFW(❶)を行い、感覚的に捉えているものをより客観的に言語化するために研究会内でWS(❷)を実施した。

❶:私はインタビューをするとき、調査目的に合った回答を聞き出そうとする癖があるため、あえて目的のない質問を初対面の人に問いかけることにした。具体的な進め方を事前に決めずに始めたが、最終的には、「今日はなぜここに来たのか?」という質問から会話を広げ、許可を得られたらポートレート写真を撮るという方法に落ち着いた。人にもよるが、一つの質問から、その人にとっての山下公園、横浜、ひいては家族関係や仕事、その人の生き様やこれまでについて語り合うことができた。最後まで名前を知ることもなかった相手に「あなたと今日話せてよかった」と言われる瞬間もあり、少し耳を傾けるだけで、こんなにも温かい関係性が生まれるのだと改めて思った。

❷:このWSは緊急事態宣言下の4月に行われたため、オンラインで開催され、かつ、互いの名前と学年以外ほとんど相手のことを知らない中で行われた。普段の研究会の中ではあまり見ない相手の一面が見え、WSだから聞ける・話せることがあり、WS後にもっと話したくなった、というフィードバックを参加者から頂いた。また、ファシリテーターとして参加していた私自身は、各グループの話を比較しながら聴くことを通して、改めて対話によって作り上げられる場の空気感や話のテンポは、話題の広がりを大きく左右すると痛感した。

❶❷を経て、私は他者の⽣きる上での価値観・好み・考え⽅が現れる「対話」を通して、語られる経験や行動を頭の中で繋ぎ合わせ、物語(ストーリー)を構成しているのだと気づいた。そして、私は写真など、形として何かを残すことでそれを本人や第三者に伝え(「テリング」し)、それを介した温かい関係性を築こうとしているということもわかった。

2段階目:フィールドの選定、より体系的なFW設計

2段階目では、1段階目を経て、これからFWを進めるフィールドを再選定し、そこに通うと同時に、「対話」に軸をおいたより体系的な実験の設計・実施をした。 

❸:❶を経て、私は地元にある大きな公園を思い出した。そこにはテントを張って過ごす家族、山羊を散歩する人、紙飛行機を飛ばす練習をするおじいさんなど様々な人が集まる。昨年の自粛期間、新しい出会いなどなかったが、ここの公園に行けば、面白い誰かに出会うことができたため、私にとって特別な場所となった。そんな公園とそこに来る人ともっと関わりを持ちたいと思い、新しいフィールドをここに決めた。また、❶のようにいきなり話しかけるのではなく、まずは改めて公園にどんな人がいるのかを定点的に観察しながら、他者との関わりを仕掛ける方法を考えていた。1ヶ月間通う中で、飛んできた紙飛行機を返して、立ち話をしたり、たまたま高校の時の友人に再会したり、今後のフィールドワークのヒントとなる「関わり合い」があった。

❹❺:❶のFWを踏まえ、私は捉えられていないが故に見逃されている、人やものの姿を見つけ、物語ることの可能性をより追求したいと思い、友人の協力を得て、一般公開を前提としたFWの設計を行なった。❷を経て、普段話し慣れている相手でも、「非日常的」な縛りを設ければ、互いをもっと味わえる対話ができるのではないかと仮定した。そのため、❹では、普段日本語で話す友人と1時間〜1時間半英語で会話するという縛りのもと、その様子を撮影し、後日その友人にどの部分を選び、繋ぎ合わせるかを相談しながら、20分の映像に編集した。私は無意識のうちに、⾝近な⼈から赤の他人まで、誰もが見ても理解できる、見応えのある動画となることを念頭に編集していた。

他方❺では、英語という縛りに代わり、各々が話したいと思ったテーマを3つずつカードに書き、それを出発点に自由に語った。その動画を後日改めて2人で鑑賞し、編集はしないまま、1時間に及ぶ、語り合いの動画を公開した。

改めて、映像を見返すことで、普段は意識しない話し方の癖や話が脱線する様子を見ることができた。しかし、動画を作ることで本人に「還す」ことはできたものの、第三者に対しては、特に告知もせずYoutubeに公開しただけであったため、より適切な届け方、さらには第三者との繋がりを振り返る方法を再考し、今後のFWに活かす必要があると考えている。また、❺を通して、一つの議題に対して概ね9分語ることがわかったため、今後のFWは「時間」を一つの鍵に、語りを広げる取り組みを考えたい。

春学期の活動を経て

「ストーリーテリング」を出発点に始まった卒プロであるが、その中でも「対話」と「ナラティブ」について考えることが多かった。そもそもストーリーとは、物語の筋書きや内容を指すのに対して、ナラティブとは、ストーリーの中でも主体性を持って語られる物語を指す。春学期の取り組みを通して、私は他者との対話の中で、語られる物語以上に、その人のナラティブに着目し、それに自らの解釈を加えて形として残そうとしていた。つまり、語りの中で一つの体験をどう捉え、繋ぎ合わせ、意味づけているのかを見ることで、相手を味わい、ポートレート写真や動画を通して、そこにある、オルタナティブ・ストーリーを表現しようとしていた。今後も私は卒プロを通して、関わった人の背景や物語を伝えること以上に、相手の「ナラティブ」に触れながら、その人を物語のように味わう関わり方を主軸に追究を進めたい。

他者の生き様からコンプレックスを克服する

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

入江 桜子

『続ける』ことと『辞められない』こと

私は何かに属しているとき、新しい道に挑戦したことがない。中学校と高校は一貫校で同じ部活動に6年間所属し、附属の大学にそのまま進学した今も異なるジャンルだが部活動に所属して4年目になる。続けることは『継続力がある』『忍耐力がある』などといった言葉でまとめられ賞賛される。しかし私の周りには途中で新たな道を見つけて属している団体などを辞める人が多く、その姿を見るとそれまで蓄積してきたモノやコトを一度捨てる『決断力』のほうが賞賛されるべきなのではないかと思う。決して今いる場が嫌いになって投げ出すのではなく、さらなる魅力を見つけて勇気ある一歩を踏み出せる友人たちの姿が格好良く感じ、うらやましくもある反面、保守的になる姿さえも隠そうと繕ってしまう自分に嫌気がさしてしまうことが多々あった。

何かを辞めて新たな道を選ぶことが怖くなったのは高校2年生のときだった。部活動を終えて21時過ぎに帰宅すると母が神妙な面持ちで誰かと電話をしていた。異様な雰囲気に鼓動が速くなり、電話を切った母に「殺害予告が届いたから今からオババ(祖母)の家に行こう。」と言われ数10分で支度をし家を出た。「夜逃げってこんな感じかな。」と微笑む母の横で鼓動は鳴り止まなかった。それから、安定している生活や環境を手放すことに恐怖を感じ、今が居心地良ければ自分の身を晒すようなことはしないほうが良いと執着するようになった。

大学4年生になり就職する道を選んだため、1年後には取り巻く環境が必ず変わることが決まった。社会人になる手前の今だからこそ変化に対して恐怖を感じるのではなく、前向きに楽しめるようになりたい。そこで思い出したのはキッチンカー『fuwari』だった。

fuwariの邦雄さんと佳菜子さん

キッチンカー『fuwari』は夏場はかき氷、それ以外の時期はクレープを公園やマンションで販売している。経営するのは邦雄さんと佳菜子さんの夫婦だ。店主兼作る人の邦雄さんは、東京藝術大学美術学部芸術学科出身で落ち着いた雰囲気からも聡明さはもちろん、話していても豊富な知識とほのかなユニークさがうかがえる。ロングヘアを1つに括り、佳菜子さんがイメージしたことをかたちにする姿は博士のようだ。助手兼考える人の佳菜子さんは宮城文化服装専門学校出身で、話すことが好きな明るくポジティヴな方だ。2人は元々アパレル業界で働いていたが、東日本大震災で佳菜子さんの故郷が被災地になったことをきっかけに「自分も0から何か始めたい。」と考え、会社を辞めて『子供たちが小銭を握りしめ、安心して食べられる体に優しいかき氷』をコンセプトにキッチンカーを運営し始めた。

fuwariとの出会いは、私が中学3年生のとき最寄駅のTSUTAYAに出店していた日だった。CDを返しに行っただけだったが、当時からInstagramのかき氷アカウントを作成する程かき氷に目が無く、全て500円という価格に魅力を感じた私は迷わず購入した。去年まで2人ともサラリーマンをしていたこと、移動販売のかき氷屋自体も目新しく印象的だった。当時は小さなキッチンカーだったが、メニュー看板の細部までユニークなイラストが描かれていたりキッチンカー内のインテリアも手作りにこだわっていた。

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2019年に東京都用賀駅に「fuwariの秘密基地」という仕込み場兼路面店が開店した。その年のキッチンカー出店時に1度足を運んだときにかき氷用のInstagramでやりとりをして以来直接的な交流はなかったが、かき氷やクレープにとどまらずハンドメイドの販売やアパレルブランドとのコラボ、宅配サービスのチャレンジをしている様子をSNSで見ていた。また、雑誌にお店が載るようになり、お店のテーブルやソファ、本棚、キッチンカウンターなど全てが手作りということを知り、人気店になっても自分たちらしさを忘れずに様々なことに挑戦していく姿に惹かれた。2人とコミュニケーションを密に取っていき2人の生き様を追うことで、変化に対し前向きに楽しめる要素を手に入れ、長年心の奥底にある変化に対する恐怖感を払拭したいと考えるようになった。

かき氷偏愛者の実態

2020年12月に研究依頼をしたとき「今かき氷はどれくらいの頻度で食べているのか。どこかのお店の常連か。」ということを聞かれた。かき氷用のアカウントはあるものの、自分の記録を主としていて、友人や知り合いがお店を選ぶときの参考になればと思って活用していた。積極的にかき氷屋巡りをするより、好きな味のメニューがでたときや友人に誘われたときに足を運ぶため「かなり不定期で2週間に1度食べていれば多いほう。今は決まってよく行くお店はないが、時々夏場のみお手伝いをしているお店はある。」と答えた。Instagramではスポット検索機能があり、お店を検索していくうちに同じアカウントをよく見かけるようになったことからかき氷を中心に投稿するアカウントは徐々に増えていると感じていた。佳菜子さんに多く巡っている人は、1日3食かき氷にし毎回3杯ほど食べていたりお店のトイレで吐きながら食べていたりするということを聞いた。また、他店と比較し要望を言ってきたり店を下げるような言葉を放つ人もいる。そのため、私がどこかのお店の常連だと2人の描く店のあり方と合わないと考えたようだった。

私が依頼した時期は、2人がお店やキッチンカーを通しその地域の人々に楽しんでもらうことや当初描いていた『子供たちが安心して食べられるかき氷』を改めて大切にするべきだと感じ、SNSでかき氷の投稿をすることを禁止にしたり、用賀駅に住んでいる人だけの『ご近所さんDAY』を設けたりとコミュニケーションについて考え直す取り組みをし始めたときだった。私を受け入れることによって新たな考えを手に入れたり、一緒に模索していきたいと言っていただいた。

お店に行く

半年間でお店には7回足を運んだ。そのうち、雨天によりキッチンカーが出店中止になってお店に足を運んだ日が1回、友人と食べに行った日が1回、イベントに参加した日が5回だ。

雨天でお店に行った日はクレープに乗せるキンエボシというサボテンのクッキーをいただいた。きっかけは、とあるたい焼き屋が商品を渡すときに「おいしく召し上がれますように。」と声をかけていることだそうだ。ただ渡すのではなくこの言葉を添えることでたい焼きの美味しさが倍増し心も満たされる。私もポイントカードを4枚ためているほどその店が好きなのは、美味しいだけでなく店員さんが目を見て笑顔でたい焼きを渡してくれるからだ。

イベントというのは、月に2回ほどメニュー名だけを先に提示し予約して来店した人だけがどのような見た目で味なのか答え合わせができるものだ。映画や本のタイトルや人名などあらゆるテーマがあり、各地の農家の果物や野菜を使用して後日Instagramに紹介している。かき氷に縛られず自分たちが良いと思うものを書籍なども含めて発信している。また、子供たちにノートを配布したり塗り絵でかき氷のメニューを考えてもらったりと子供からも柔軟な発想を得ている。このような取り組みやSNS投稿の禁止の結果、以前よりお客さんの数は減ったがSNSに依存せずに自分たちにとって「楽しい」と思えることを行っているそうだ。今いるお客さんとのコミュニケーションを通し、相手を理解する想像力を培うことで自分自身の振る舞い方も変化すると思った。

キッチンカー出店時に行く

調査方法としては、主にキッチンカーの出店時に足を運び、そのときに佳菜子さんや邦雄さんと話したり、2人が販売している様子を観察したりしている。また、お店に足を運びキッチンカーのときと同様に話し、フォローさせていただいた佳菜子さんの個人アカウントを見て思想を整理している。

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半年間でキッチンカーの出店には6回足を運んだ。どの回でも共通していたのが佳菜子さんの観察眼だった。1人ひとりをよく見ていて、小学生の女の子3人がクレープを買いに来たときに「その服、ラブトキだよね。可愛いよね。」と声をかけていて、その女の子は照れたような、嬉しそうな表情を浮かべていた。その日に2回訪れたお客さんにも必ず声をかけていて、1回目に話した内容まで覚えていてその続きを聞いている感覚だった。注文してからクレープを渡すまでの5分ほどの場づくりによって、どのようなお客さんも話し、最終的には笑顔になっていた。

これが簡単そうに見えて大変なことだと知ったのはキッチンカーのお手伝いをさせていただいたときだった。アルバイトで飲食店の接客業をしているため、上手くできる自信があったが大間違いだった。キッチンカーが並ぶ共同の空間はお客さんがあちこちに行き、探すのも一手間かかる。そしてどの客が何を注文したかなんとなくは覚えていても、一斉にされる注文の順番を整えて金銭のやりとりをしていくことは確信できるほどの個々を把握する力が大事なのだと認識を改め直した。佳菜子さんのようにお客さんの服装や様子まで見られるような余裕を得るまで何年もかかるのだろう。

また、クレープのメニューの写真はクレープ屋さんでよくある開かれた状態のものではなく、商品として渡すときの状態になっている。思っていたよりクリームが少ない、ぺちゃんことがっかりさせないようにしているこだわりのようだ。「食べるときには中はどうせ見えないから中身を見せる必要はないよね。」と言っていた。また、キッチンカーの背面の窓にはカーテンがかかっている。これは邦雄さんが人の視線を気にしないための取り組みだそうだ。我慢できるような『気にする』ではなく、仕草に思わず出てしまうくらい気にしてしまうため『見えない』ようにカーテンをつけている。邦雄さんと佳菜子さんは根本の考えは似ているものの、こだわりや気にする部分は異なる。狭い空間で過ごすからこそ、自分にとって良い環境を現場での経験を通して築いていくことは難しくもあり互いの発見もある。

キッチンカーという狭い空間に置くモノからその人の人柄が分かるとご助言をいただき、キッチンカーの外と中をスケッチさせていただいた。しかし、まだかなり抽象的なスケッチのため、今後は比率を正確に、モノのメーカーの分析ができるほどの細かいスケッチをしていく予定だ。それにより、2人がこだわっているモノやコトを分析し、キッチンカーやお店で話すときのテーマにしてより思想を深堀していきたい。

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tema hima

(2021年8月7日)この文章は、2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告として提出されたものです。体裁を整える目的で一部修正しましたが、本文は提出されたまま掲載しています。

飯盛 いずみ

効率主義とコミュニケーション

なにをするにも、なるべく効率の良い方法を考えてしまう。スケジュールを組むときにはなるべく隙間時間が生まれないようにし、自宅から最寄り駅までの道は、最も信号の影響を受けない最短ルートを選ぶ。家の中の動線でさえも、なるべく無駄のないようにしようと頭を働かせる。「効率が良い」と感じることで、私は満足するのである。
ところが、この効率主義な一面が、コミュニケーションの場面にまで表出するようになった。現在のように、「つながる」ということがいとも簡単にできるようになると、次は「より速く、よりシンプルに」伝えることを求めるようになった。例えば、すぐに答えが必要なわけではないことであっても、「今すぐに」解決することを求めてしまう。ここで問題なのは、自分がすぐに解決させようとするということは、相手からの返信もすぐに求めているということだ。効率を求めることは、コミュニケーションの場面では、それを相手にも押しつけることになるのである。
また、相手になにかを伝えるとき、最低限の言葉で伝えるようになった。離れた相手とも素早いコミュニケーションが可能なおかげで、一度で全てを伝える必要性が薄れている。相手のリアクションがすぐに届き、そこできちんと伝わっているかどうかを判断することができる。もしも一度で伝わりきっていなかったとしても、その場ですぐに補足することができてしまうのだ。このことがすっかり当たり前になると、「とりあえず」の言葉で相手になにかを伝えるようになった。そこに相手への配慮はなく、丁寧さに欠ける言葉選びをしてしまっている。コミュニケーションにおいて、「より速く、よりシンプルに」を求めたことで、丁寧さに欠けた、必要最低限のコミュニケーションへと変化してしまった。

自己表現の勇気

私のこれまでのコミュニケーションをふりかえってみると、昔から今に至るまで、他人に対して積極的に自己表現をしていく人間ではなかった。とはいえ、人見知りをするわけではないので、ただ会話をするぶんには困らないが、よりパーソナルな、自分の内面を言葉にして人に伝えるということに関しては消極的である。 
なにかを言葉にするとき、「合っているかどうか」ということをひどく気にしてしまうのだ。表現は間違っていないか、タイミングはふさわしいか、そもそも自分の考えていることは正しいのか。そこに絶対的な正解などないことはわかっていながら、このような小さなことを必要以上に気にしては、勝手に萎縮する。
繰り返し述べているように、今では、思い立ったその瞬間に相手になにかを伝えることが可能になった。すると、「いつでも伝えられるから」という理由をつけて、自ら表現することを先延ばしにするようになる。そして、先延ばしにすればするほど、いざそれを伝えようとしたとき、想像以上の勇気を要するのだ。そうして私のコミュニケーションは、必要に迫られた、最低限に削ぎ落とされたものばかりになる。

コミュニケーションにコストをかけてみる

コミュニケーションにおける「効率主義な自分」と「自己表現の勇気」という問題意識を考えれば考えるほど、私は表現することから逃げてしまいたくなる。しかし、人と理解し合うためには、表現をしつづけなければならないことも理解している。言葉にすることで初めて人に伝えることができ、それがお互いの理解へとつながる。
私がこの問題意識ときちんと向き合おうとしたとき、自分の日常に「手紙」という、あえて手間と時間のかかるコミュニケーションを取り入れてみることにした。すぐに効率を考えてしまう私にとっては、わざわざ手書きで文章を書き、切手を貼り、それをポストまで投函しに行くという、こんなにも時間のかかるコミュニケーションツールは選択肢から真っ先に除外されてもおかしくない。ただ、「表現すること」ときちんと向き合うために、これまでコミュニケーションにかけてこなかったコストをかけてみたいと思った。そうしたとき、自分は相手に対してどのようなことを表現したいと思うのか、そして、相手との関係性はどのようなものになるのか、その変化を追っていく。

文通と交換ノートをはじめる

プロジェクトに着手するにあたり、まずは文通をはじめることにした。相手には、小学生からの友人を選んだ。今では一年に一度会うかどうかの関係性だが、まめな性格をしているため、文通をつづけてくれそうだと思った。文通をはじめる際、卒業プロジェクトの一貫として行なうこと、ただ、特にそのことは気にせずに気軽にやってほしいということを伝えた。コミュニケーションを扱うプロジェクトを行なうとき、なるべく「普段通り」のコミュニケーションを記録するための工夫は必要だ。ただ、やりとりが続いたのちに研究の一環として取り組んでいたことを伝えるよりは、初めに伝えた方が相手のためだろうと判断した。そうして、三月一日に文通を開始した。
手紙でのやりとりにはある程度時間を要することは想像していたものの、研究の進度に直接関わるため、同時に、他の人と他のメディアを用いたやりとりをはじめることにした。コミュニケーションに手間や時間というコストをかけること、そして文通よりも頻度の高いやりとりが可能であることを踏まえ、交換ノートでのやりとりに決めた。相手には、付き合いが最も長く、最も濃い友人を選んだ。付き合いが長くなったからこそ、今では必要最低限の連絡しかとらず、改めてお互いの話をすることがほとんどなくなってしまったからだ。交換ノートというメディアを用いたら、いつもと違うコミュニケーションが生まれるのではないかと考えた。そして、長くつづいてきた関係性にもなにか変化が生まれるかもしれないと思い、四月一日に交換ノートをはじめた。

コミュニケーションを客観的に分析する

文通と交換ノートでのやりとりをつづけるなかで、一度自分が日常的にとっているコミュニケーションを、客観的に分析してみることにした。これまで自分が必要最低限のコミュニケーションしかとってこなかったこと、また、文通と交換ノートではそうではないコミュニケーションが生まれていることを実感したからだ。そこでコミュニケーションを、「重要か不要か」「緊急か不急か」の二軸による、四象限に分類してみることにした。一週間、メディアを用いたすべてのやりとりを記録し、四象限のなかにプロットしていく。メディアごとに区別をするため、LINEは緑、Snapchatは黄色、Slackはピンク、交換ノートは水色に色分けをしてプロットした。

 

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この調査を通して、自分にとって「重要か不要か」の境界線が大きいことが改めてわかった。特にLINEでのやりとりでは、ほとんどの場合で、重要の基準を下回ったと判断した時点で、やりとりを終わらせている。ここから、いかに重要で緊急な連絡をするためのメディアとして認識しているか、また、そのようなやりとりしか求めていないことがわかる。
一方で、この調査で意外な結果となったのは、「不要不急」のコミュニケーションの存在を確認できたことだ。特にSnapchatを用いたやりとりにこれに該当するものが多かった。相手に手軽にスナップを送れるというメディアの特性と、利用している私たちもそこに重要性は含まれていないという共通認識があることで、「重要性も緊急性もそこまでないけれど、なんとなく送る」というコミュニケーションが生まれていた。

急がないやりとりのなかで生まれるもの

では、手紙や交換ノートでのやりとりはどこに当てはまるのか。それは「重要不急」であると考える。
文通ではやりとりに一ヶ月ほどの間が空くため、緊急性の高い話題はまず書かれない。そのため自然と、最近自分が考えていることや、最近の自分に影響を与えたモノのこと、将来のことや過去のことなど、緊急性こそ高くはないが、お互いのより深い理解につながる話題を書くようになる。SNSでのやりとりではあえて語ることはしないことも、手紙でなら自然と書くことができる。相手からのリアクションをすぐに必要としていないことをお互いにわかっているからこそ、相手にも伝えやすいのかもしれない。
交換ノートでも、文通よりも頻度の高いやりとりはできるものの、手書きで、そしてノートを歩いて届けに行くという手間を考えると、伝える内容をよく吟味するようになる。こちらも早急な受け答えを求めていないという共通認識があるため、いつもなら聞かないような話を質問してみたり、自分の日記のようにその日感じたことをただ書き連ねてみたりできる。これまでは事務的な連絡があったときに二〜三往復のやりとりをするだけだった関係性も、交換ノートという一冊のノートを通じて、ゆっくりでも、ただたしかにつづいていると実感できる関係性へと変化してきている。

新たな選択肢を手に入れる

これまでは、相手に伝えたい大事なことがあっても、それが急ぎでなかった場合、それを伝えることを後回しにしてきた。いつか会ったときに伝えよう、今度時間があるときに伝えよう、そのようにして先延ばしにしてきた。私はこのことの原因を、自己表現の勇気が持てないからだと考えていた。しかしその原因の一つには、それを伝えるのに最適なメディアの選択肢がなかったこともあるのかもしれない。今の私には、手紙や交換ノートという選択肢がある。その急がないやりとりのなかでは、自然と自分のことを語る姿勢になれるのだ。
私が次に目指すのは、私と同じように、忙しないやりとりに追われ、後回しにしてしまっているコミュニケーションがある人に、新しいメディアの選択肢を与えることだ。ゆっくりでも、たしかにつづいていくようなコミュニケーションが生まれるメディアを、今後のプロジェクトで模索していきたい。

A Day in the Life 3

2021年7月25日(日)

昨年に引き続き、加藤研のメンバーで、学期末のある一日を記録することにしました。ぼくをふくめて28人。2021年7月25日(日)の「日常」を束ねました。ここのところ、猛暑の日が続いています。
緊急事態宣言下で東京オリンピックがはじまりました。いろいろな思いを抱きながら、それぞれの場所で、それぞれの時間を過ごしています。なにより、無事に春学期を終えたことを喜びたい気持ちです。

I decided to record a day at the end of the semester with the members of the fklab. So I compiled the "A Day in the Life" of 28 members, including mine, on Sunday, July 25, 2021.
It's been boiling and humid here lately. The Tokyo Olympics have started under the declaration of a state of emergency. We are all spending our time in different places, with some unsettled feelings. Above all, I am happy to have finished the spring semester safely.

 

研究会シラバス(2021年度秋学期)

更新記録

(2021年8月7日) 「卒プロ1」の概要紹介(春学期のふり返り)にリンクしました。 https://camp.yaboten.net/archive/category/%E5%8D%92%E3%83%97%E3%83%AD2021
(2021年8月4日)秋学期からの新規履修について、
簡単な説明会を開きます!

「加藤文俊研究会」秋学期からの新規履修について:4日、5日、6日に簡単な説明会(というよりインフォーマルな「相談会」のような感じ)を開きます。興味のある人は、下記のフォームで確認してください(keio.jp認証が必要です)。 forms.gle/RJbxEvYhF64gm7(2021年7月27日)予定どおり実施できたので、「A Day in the Life 3」を追加。
(2021年7月19日)「卒プロ」のタイトルと概要を追加。今学期のまとめは8月初めに公開予定です。
(2021年7月14日)
大学のオフィシャル「研究会シラバス」が公開されました。このページを少しだけ修正。
(2021年7月6日)
現在シラバス入力中です。

大学のオフィシャルサイト(SOL)にある「研究会シラバス」も参照してください。

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※ 加藤研メンバー(2021年7月1日現在):大学院生 9名(博士課程 4名・修士課程 5名)・学部生 21名(4年生 7名・3年生 2名・2年生 12名)

もくじ

 

1 はじめに

ぼくたちは、絶えずコミュニケーションしながら暮らしています。
ワツラヴィックらは、『人間コミュニケーションの語用論』(二瓶社, 2007)のなかで「コミュニケーションにおけるいくつかの試案的公理」について述べています。その冒頭に挙げられているのが、「We cannot NOT communicate(コミュニケーションしないことの不可能性)」です。つまり、ぼくたちは、いつでも、どこにいても、コミュニケーションせざるをえない。非言語的なふるまいはもちろんのこと、沈黙もまたメッセージであることに、あらためて気づきます。
そして、コミュニケーションについて考えることは、(いつ・どこで・だれが)集い、(何を・ どのように)語らうのかを考えることだと理解することができます。つまり、コミュニケーションへの関心は、必然的に「場所」や「場づくり」への関心へと向かうのです。この研究会では、コミュニケーションという観点から、人びとの「移動」や人びとが集う「場所」の成り立ち、「場づくり」について実践的な調査・研究をすすめています。 

たまに、「(加藤研は)何をやっているのか、よくわからない」というコメントをもらうのですが、冒頭で述べたとおり、人と人とのコミュニケーション(ヒューマンコミュニケーション)が主要なテーマです。既存の学問分野でいうと社会学や社会心理学ということになりそうですが、ぼく自身は、学部を卒業後は「コミュニケーション論/コミュニケーション学」のプログラムで学びました。まずは、以下の3つのキーワードについて考えてみてください。(書き出してみたら、すべてカタカナのことばになってしまいましたが、そもそも「コミュニケーション」も日本語にはしづらいことばです。)

メディア(Media)

ひとつ目は、メディアへの関心です。メディアはマスメディア、デジタルメディアなど日常的に使っていることばですが、まずはさらに広い意味でとらえて、人と人との「仲立ち」をする〈モノ・コト〉だと考えることからはじめます。そう考えると、ゼミもレストランも公園も、ぼくたちの日常生活は、多様なメディアとともに成り立っていることに気づきます。〈モノ・コト〉であるならば、ぼくたちは能動的にそのありようを構想したり、形をあたえたりすることもできるはずです。その意味で、メディアへの関心は、たんに人と人とを結ぶ(あるいは場合によっては隔てる)「仲立ち」について理解するだけではなく、自らの方法や態度で「仲立ちする」ことにつながっていきます。

たとえば、2009年ごろから続けているポスターづくりのワークショップ(参考:ポスターをつくる, 2015)は、メディアの特性を体験的に学ぶための仕組みとして考えています。全国のまちに出かけ、人びとと語らう。そして、その人びとの“生きざま”をポスター(写真とテキスト)というフォーマットでまとめて一覧できるように並べる。取材という過程と、成果報告会(ちいさなポスター展)によって、ぼくたちはまちに暮らす人びととの距離感を変容させ、コミュニケーションの「場所」をつくります。そのさい、会話だけではなく、ポスターというメディア(ちいさなメディア)が大切な役割を果たします。もちろん、グラフィックデザイナーや広告のプロの手によるものではありません。ただ、ポスターを一緒に眺めるという状況は、人との向き合い方や距離感を調整します。同じように、ウェブや小冊子(ZINEのようなもの)、ビデオクリップなども、その内容だけではなく、あらたな関係性を生み出したり、これまでのやり方を組み替えたりする役目を果たすものとして考えます。

ボンディング(Bonding)

ボンディングは、さほど馴染みのないことばかもしれませんが、〈ボンド=接着剤〉だと頭に思い浮かべれば、なんとなくイメージできるはずです。ぼくたちは、人と一緒に過ごしたいと願い、さまざまな方法で集います。善くも悪くも、「連む」のは、ごく自然なふるまいのように思えます。そして、執拗にお互いを求め合うこともある。いまは、COVID-19の影響で思うように動くことができなくなり、それでも、オンラインの環境を利用しながら時間や空間を共有する感覚をつくる工夫が重ねられています。どんな状況でも、集まりへの欲求があるからでしょう。もちろん、逆の想いもあるわけで、人との距離を置きたいときも、やりとりを遮断したいときもあります。
いずれにせよ、コミュニケーションについて考えるさいには、「誰か」の存在を無視することはできないでしょう。その「誰か」に過去や未来のじぶんをふくめれば、一人でいたとしても、「誰か」とのやりとりがあります。

ボンディングは、そうした「誰か」とのかかわりに着目するためのことばとして位置づけています(ヒューマン・ボンディングのほうが、わかりやすくなるかもしれません)。何らかの用件を伝えるだけでなく、たんに、しゃべるためにしゃべる。あとからふり返ると、他愛のない会話のように思えても(場合によっては、何の話をしたのかさえあやふやでも)、「誰か」と一緒に過ごしたこと(だけ)は、鮮明に記憶に残っていることがあります。冒頭で紹介した「コミュニケーションの不可能性」をふまえると、ぼくたちは、つねに「誰かと共にいる」ことになります。コミュニケーションを理解しようという試みは、「場所」や「場づくり」への関心へと向かいます。そして、さまざまなメディアが、ヒューマン・ボンディングを促す(あるいは妨げる)のにかかわっているのです。

アイデンティティ(Identities)

ぼくたちは、日常のやりとりのなかで「それ、意味がない」などと口にします。そのとき、「じぶんにとって」という部分が省略されている(そしてそのことにあまり気を止めない)のではないかという点を、あらためて意識してみることが大切です。つまり、「それ」にあらかじめ唯一の意味が埋め込まれているのではなく、「それ」を目にしたり考えたりしたじぶん自身にとって意味があるかどうかを語っているにすぎないのです。人と人とのコミュニケーションのありようを理解しようとするとき、意味づけや解釈について考えることになります。もちろん、コミュニケーション観(コミュニケーションの理論)はいくつもあるので、こうした考え方は面倒だと思うかもしれません。でも、意味はどこにあるのかをつねに問いたい。意味は、「それ」のようにどこかにあらかじめ「ある」のではなく、まさにコミュニケーションのなかでつくられると考えます。

メッセージを正しく「伝達」できるかどうかは、機械的・操作的に考えることができます。メールやSNSで、「こちら」(送り手)が送信したのと同じ文字や記号が、「あちら」(受け手)でもそのまま再現されていないと困ったことになります。でも、そのメッセージの意味づけは、もっぱら「あちら」に委ねています。というより、やりとりをしているどうしで共有している(と思われる)状況や文脈、さらには過去のつき合いの履歴なども関係する、複雑で相互構成的な過程をとおして意味が紡がれます。こうして、お互いの反応をえながらやりとりが続けられるのです。
たとえば2020年度の「インプレッションマネジメント」では、「らしさ」をテーマに議論を重ねました。ぼくたちは、じぶんらしくありたいと考え、じぶん自身について関心をいだきます。人とのかかわりのなかで、意味を問い続けることは、結局のところはじぶんを他者との関係で位置づけてゆくこと、つまり、アイデンティティのありようを考えることです。

 

2 方法と態度

COVID-19とフィールドワーク

ぼくたちは、フィールドワークやインタビューに代表される質的調査(定性的調査)を重視していますが、新型コロナウィルスの感染拡大にともない、方法そのものの再定義・再編成が必要となりました。とりわけ、人びとの暮らしに接近し、能動的にかかわりながらその意味や価値を理解しようという試みは、対面での「密な」コミュニケーションを前提として成り立っており、現在の状況下では、調査研究そのものが大きな制約を受けています。
いっぽう、現況下における会議や講義のオンライン化の試みをとおして、あらたな〈現場観〉が醸成されつつあります。さまざまなメディアを駆使し、さらに時間・空間を再編成することによって、定性的調査のありようはどのように変化するのか。だいぶ状況は好転していますが、2021年度秋学期は、人びとの移動、集まり、社交などのふるまいをとらえなおし、オンライン環境における質的調査について検討することも、引き続き大切な課題になるでしょう。
たとえば2021年度春学期は、研究会メンバー全員での取り組み(フィールドワーク、ワークショップなど)として、以下のような活動をおこないました(実施順;計画中のものをふくむ)。

(1)ムービーキャンプ(2021年5月):あらかじめ選ばれた映画を観て、リアクションペーパーを書き/描き、ディスカッションをおこないました。

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(2)人びとの多摩川線
(2021年6月):敬愛するJason Polanの方法をトレースしながら、東急多摩川線の各駅で観察とスケッチの実習をおこないました。「非接触型」フィールドワーク/ワークショップの試みです。駅を行き交う人びとの生態 -- とくに〈いま〉のマスクをつけた人びとのようす -- をとらえました。(このプロジェクトは、昨年秋におこなった「人びとの池上線(2020年10月)」「人びとの世田谷線(2020年11月)」に続く3回目の試みです。

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(3)A Day in the Life 3(2021年7月):家にいる時間が増え、全員が集うことのない毎日。「7月25日」を指定し、その日の一人ひとりの生活の「細片」をビデオにまとめました。昨年度実施の「A Day in the Life(2020年7月)」および「A Day in the Life 2(2021年1月)」と同様に、今年の〈ある一日〉を記録・編集する予定です。(実施予定。)
昨年に引き続き、加藤研のメンバーで、学期末のある一日を記録することにしました。ぼくをふくめて28人。2021年7月25日(日)の「日常」を束ねました。ここのところ、猛暑の日が続いています。 

 

 

観察と記述

つぶさな観察と詳細な記述からはじまるフィールドワーク(その先にはインタビューやワークショップなどを構想・実施)をとおして実践的に考えてみたいのは、たんなる調査の方法ではありません。従来からある「問題解決」(ビジネスモデル的発想)を志向したモデルではなく、「関係変革」 (ボランタリーなかかわり)を際立たせた、あたらしいアプローチを模索しています。より緩やかで、自律性を高めたかたちで人びとと向き合い、その「生きざま」 を理解し描き出すことを目指します。
つまるところ、ぼくたちは「調査者」という、特権的に位置づけられてきた立場をみずから放棄し、人びとの日常と「ともに居る」立場へと向かうことになります。その動きこそが、変革のためのよき源泉になると考えているからです。

2006年の秋ごろから「キャンプ」をコンセプトに、「研究会」の活動をデザインしていくことにしました。そもそも、「キャンパス」も「キャンプ」も、広場や集まりを意味する「カンプス (campus)」が語源です。大学の「時間割」によって組織化される時間・空間を再編成して、いきいきした「場」づくりを実践する。その実践こそが、活気のある「グッド・プレイス(good place)」はどのように生まれ、育まれてゆくのかを考えるヒントになるはずです。

「キャンパス」と「キャンプ」

「キャンプ」は、ぼくたちのコミュニケーションや社会関係のあり方を再認識し、再構成してゆくための「経験学習」の仕組みです。

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「キャンプ」と聞くと、多くの人は、テントを持って出かける、いわゆる「アウトドア」の「野営」活動を思い浮かべるかもしれません。本格的ではないにしても、ぼくたちの多くは、おそらく、幼い頃に何らかの「キャンプ」体験をしているはずです。たとえば、林間学校や野外学習などの一環として、仲間とともに、飯盒でごはんを炊いたり、星空を見上げたり、火を囲んで語ったりした思い出はないでしょうか。ここで言う「キャンプ」は、必ずしも、こうした「アウトドア」の活動を指しているわけではありません。

「キャンプ」は、ぼくたちに求められている「かかわる力」を学ぶ「場所」として構想されるものです。さほど、大げさな準備は必要ありません。「キャンプ」は、日常生活のなかで、ちょっとした気持ちの切り替えをすることで、ぼくたちにとって「あたりまえ」となった毎日を見直し、「世界」を再構成していくやり方を学ぶためにあります。それは、道具立てだけではなく、心のありようもふくめてデザインされるもので、思考や実践を支えるさまざまなモノ、そして参加者のふるまいが、相互に強固な関係性を結びながら、生み出される「場所」です。「キャンプ」には、以下のようなふるまいが求められます。

フィールドで発想する
「キャンプ」では、現場(フィールド)での直接的な体験から、〈モノ・コト〉を考えるスタイルを大切にします。もちろん、本・論文を読むこと、理論的な枠組みをしっかりとつくることも重要ですが、まずはじぶんの目で見ること・じぶんの身体で感じることを重視します。近年、「フィールドワーク」ということばが一般的に使われるようになりましたが、「フィールドワーク」には、地道に観察・記録をおこなうこと、時間をかけてデータの整理や解釈を試みることなど、知識を生成するための「技法」としてのトレーニングには(それなりの)時間とエネルギーが要求されます。まち歩きを愉しむことは重要ですが、一人前のフィールドワーカーとして、足(と頭)を動かすことが求められます。

カレンダーを意識する
忙しいことは悪いことではないと思いますが、じぶんの〈やりたいこと〉と〈やること〉とのバランスを上手く取らないと、すべてが中途半端になります。他の授業やサークル、アルバイトなど、さまざまな活動とともに研究会を「中心」に位置づけることを強く望みます。言いかえるならば、〈望ましさ〉と〈実現可能 性〉をつねに意識するということです。これはやる気、能力、チャンスなどと関連していますが、スケジュールや時間のマネジメントが重要である場合が少なくありません。中途半端にならないように、研究活動のカレンダーをきちんとデザインすることが重要です。

じぶんを記録する
フィールドワークを基本的なアプローチにする際、調査の対象となる〈モノ・コト〉への感受性ばかりでなく、テーマに取り組んでいるじぶん自身への感受性も重要です。つまり、じぶんが、いったいどのような〈立場〉で〈モノ・コト〉を見ているのか…をどれだけ意識できるかということです。また、その〈立場〉をどのように明示的に表現(=つまりは調査結果の報告)できるかが大切です。フィールドワークをおこなう際には、現場で見たこと・発見したことを書き留めるためにフィールドノートを書くのが一般的ですが、研究会の時間をふくめ、日々のじぶんを記録します。

コミュニケーションの練習
ことばを大切に正確につかいたい。つねにそう思いながら活動することを心がけています。たとえば「地域活性化」「まちづくり」「コミュニティ」など、 それっぽくて、その気になるようなキーワードはできるかぎり排除して、慎重にことばをえらびたいと考えています。つまり、コミュニケーションに執着するということです。「わかったつもり」で、ことばをえらばないこと。そして、相手(受け手)を考えて丁寧に語る/表現する姿勢を執拗に求めることです。
その練習のために、ジャーナリング(日々の活動日誌)、スケッチや図解、エッセイなどをおこないます(詳細は開講時に説明します)。

 

3 だから、コミュニケーション

 何が起きるかわからない…。ぼくたちは、変化に満ちた時代に暮らしています。とくにこの1年はCOVID-19に翻弄され、これまで「あたりまえ」だと思っていたことを諦めたり手放したりする場面にいくつも遭遇しました。哀しい出来事にも向き合い、また不安をかかえながら不自由な毎日を強いられることになりました。でも、そのような不安(あるいは不満)、問題に向き合いながらも、明るくてエネルギッシュな人びとが、確実にいるということにも、あらためて気づきました。そこに、「何があっても、どうにかなる」という、人びとの強さを感じ ます。また、諸々の課題に向き合いながらも、ぼくたちを笑顔で迎えてくれる優しさにも出会います。それが、リアルです。

この圧倒的なパワーを持って、ぼくたちの目の前に現れるリアリティに、どう応えるか。それはまさにコミュニケーションにかかわる課題であり、ぼくたちが「研究会」の活動をとおして考えてゆくべきテーマです。お決まりの調査研究のスキームに即して、「報告書」を書いているだけでは、ダメなのです。つぶさな観察と、詳細な記録、 さらには人びととのかかわり(ときには、長きにわたるかかわりの「はじまり」に触れていることもある)をもふくめたかたちで、学問という実践をデザインすることに意味があるのです。

ぼくたちの活動は、たとえば「まちづくり」「地域づくり」「地域活性」といったテーマと無縁ではありません。でも、いわゆる「処方箋」づくりにはさほど関心がありません。 そもそも「処方箋」などつくれるのだろうか、と問いかけることのほうが重要だと考えます。「ふつうの人びと」の暮らしにできるかぎり接近し、その強さと優しさに光を当てて可視化するのです。そこまで行ければ、じゅうぶんです。あとは、人びとがみ ずからの暮らしを再定義し、そこから何かがはじまるはずです。ぼくたちのコミュニケーションのなかにこそ、たくさんのヒントがあります。

2021年度の秋学期について、COVID-19の状況がどうなるのかわからないままですが、できるかぎりオンキャンパスで(さらにはキャンパスの「外」へとフィールドを求めて)活動するつもりです。メディア、ボンディング、アイデンティティといったキーワードをふまえ、人と人とのコミュニケーションについて活発に議論し、何らかの形で社会実践へとつなげていきたいと考えています。

 

4 卒業プロジェクト

2022年3月に卒業予定の4年生は、7名です。それぞれの「卒業プロジェクト」については、2022年2月に開催予定の「フィールドワーク展XVIII」(詳細未定)で展示されます。会場で、本人と直接話をすることもできるはずです。
なお、それぞれの春学期の活動報告は8月6日(金)ごろ公開される予定です(下記よりリンクされます)。

https://camp.yaboten.net/archive/category/%E5%8D%92%E3%83%97%E3%83%AD2021

「卒プロ1(2021春学期)」履修者(7セメ)

  • 安藤あかね:関係:「Vさん」?
    動画サイトがきっかけで「V(ハンドルネームのイニシャル)さん」のことが気になり、3月からゲームのオンラインコーチングを受け始めました。回を重ねる毎に雑談も増え、徐々にVさんのイメージが深まっていきます。「人と知り合い、理解し、仲良くなる」過程を通して、師弟とも友人ともつかないVさんとの不思議な関係について考えます。
  • 飯盛いずみ:tema hima
    私のプロジェクトは、自己表現への苦手意識と、効率主義な自分への疑念から始まりました。自分の想いや考えを人に伝えることが苦手な自分、そして、コミュニケーションでも「より速く、よりシンプルに」を求めてしまう自分。この問題意識から、文通や交換ノートという「手間隙かかるコミュニケーション」を私の日常に取り入れ、コミュニケーションに対する姿勢の変化を追っています。
  • 入江桜子:Run together
    脱サラ夫婦が経営するキッチンカー「fuwari」はかき氷やクレープの販売にとどまらず、路面店のオープンや宅配サービスへの挑戦等、様々な取り組みを行っている。環境の変化に対して恐れを抱いている私が2人を追って原動力や思考に触れることで、変化を前向きに楽しめるような生き方の要素を手に入れるプロジェクト。
  • 堤飛鳥:「模写」を通した作者と鑑賞者との対話
    「模写」という行為は、目の前の作品を線一本一本の単位で分解し捉えようとする。そして、必死に再現しようとすることが、作品の背後にある作者の世界へと身体的に想像を巡らす行為であると考えた。巡らせた想像は、全く違った世界かもしれないし、逆に作者の本質的な癖やフェチまでも見抜くことができるかもしれない。その瞬間に出会うため、私はひたすら友人たちの作品を模写し続ける。
  • 中田早紀:オレンジのガーベラ
    人は誰かに花を贈るとき、相手を思い描いてその人柄を花に例えることが多くあります。このプロジェクトでは、そんな目には見えない人々の「魅力」は一体どのように構成され、目に見える何となって表出されるのか、また私たちはそれをどう切り取るのか、フィールドワークを通して考えていきます。
  • 牧野渚:Every Person in Yokohama City 
    日常の生活記録として、まちの人々のスケッチをするプロジェクト。アメリカのアーティスト、ジェイソン・ポランが生涯をかけて取り組んでいた“Every Person in New York”の手法をなぞりながら、日本の建築家である今和次郎が1920年代に発展させた考現学的な採集調査について、実践的に再考をしています。
  • 山田琴乃:ストーリーテリングを用いて人やものを味わう
    私は、肩書きや所属などの「点」としての情報だけではなく、経験や語りなどの「線」としての物語として、他者を理解するコミュニケーションのあり方を追求しています。そのためにも、本卒プロでは地元の公園をフィールドに、「ふつう」の人の日常生活を観察し、語りに耳を傾け、ストーリーテリングを通して相手への理解を深めるメディアを作ります。

5 2021年秋学期の活動

キャンプ:全員(学部生+大学院生) 2021年度秋学期は、「エクスカーション(ワークショップ)」を1回+「キャンプ」を2回実施する計画です。履修者(履修予定者)は、下記の日程を確保してください。

  • 10月:調整中 10月16日(土)@みなとみらい
  • 11月19日(金)〜21日(日):調整中
  • 12月17日(金)〜19日(日):調整中

フィールドワーク展XVIII 毎年、年間の活動報告のための展覧会を開いています。今年度は、下記のとおり開催すべく準備をすすめています。

  • 日時:2022年2月4日(金)〜6日(日)
  • 会場:BUKATSUDO(横浜市, 予定)

卒業プロジェクト:7-8セメスター(個人) 4年生は、それぞれのテーマで「卒プロ1」「卒プロ2」に取り組みます。

グループワーク:1-6セメスター グループに分かれてフィールドワークをおこないます。2021年度秋学期のテーマは「(近日公開)」です。
(参考)これまでのグループワーク テーマ一覧: https://camp.yaboten.net/entry/fw_themes

 

6 研究会の履修について

◎新規履修希望者
何度かやりとりしながら、履修者をえらびたいと思います。ちょっと面倒かもしれませんが、お互いのためです。結局のところは「えらび、えらばれる」という関係が大事だからです。まずは、このページ をじっくり時間をかけて読んでください。
それから、下記の (1) (2) をまとめてください。その上で(必要に応じて) (3) やりとりしたいと思います。

(1) エッセイ:以下のいずれかのタイトルで、エッセイ(600字程度)を書く。

  • エスパドリーユ
  • 副反応
  • 松葉杖
  • ノマド
  • 無観客
  • 交換日記

(2) 志望理由:なぜ、この研究会に興味をもったのか。じぶんはどのようにかかわるつもりかを文章化する(1000〜1200字程度)。過度な自己PRは避けるように。かならず、このシラバスに書かれた内容と具体的に関係づけて書いてください。

  • 提出期限:2021年8月8日(日)22:00 時間厳守
  • 提出方法:メールで 21f [at] fklab.net宛てに送ってください。他のアドレスに送られらたものは、読まない(というより、見落とす)場合があるので注意。
  • かならず、学部、学年、名前、メールアドレスを明記すること。質問・その他についても、同様に21f [at] fklab.net宛てにメールを送ってください。@の前は、21f(エフは小文字です。)
  • .txt、.doc(.docx)、または.pdf形式のファイルを添付してください。
  • メールの件名は、かならず「2021f」としてください。期限遅れ、宛先/件名の誤り、内容の不備等がある場合は選考対象にはなりません。

(3) コミュニケーション:いつも、可能なかぎり会って話をする機会をつくることにしています。
- すすめかた:2021年8月9日(月)以降にメールで連絡します。そのあとは、予定を調整してオンライン(状況によっては対面)で面談します(15〜20分程度)。

◎継続履修希望者
2021年度春学期「研究会A」履修者で、2021年度秋学期も継続履修を希望する学生については、別途連絡します。春学期の課題が期限までにすべて提出されていることが最低条件です。(難しいと思われる場合には、継続を認めないことがあります。)

 

7 リンクいろいろ

その他、活動内容や日々の雑感についてはブログや研究室のウェブ、SNSなどで随時紹介しています。

 

8 参考資料

たとえば、下記を読んでみてください。コミュニケーションやメディアについてどう考えているか、「キャンプ」や「場づくり」の実践、理論的・方法論的な関心、具体的な事例などについて知ることができます。

  • 荒井良雄ほか(1996)『都市の空間と時間:生活活動の時間地理学』古今書院
  • ジョン・アーリ(2015)『モビリティーズ:移動の社会学』作品社
  • 海野弘(2004)『足が未来をつくる:〈視覚の帝国〉から〈足の文化〉へ』洋泉社
  • アンソニー・エリオット+ジョン・アーリ(2016)『モバイルライブス:「移動」が社会を変える』ミネルヴァ書房
  • 佐藤郁哉(2006)『フィールドワーク(増補版):書を持って街に出よう』新曜社
  • 清水義晴・小山直(2002)『変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから』太郎次郎社
  • 橋本義夫(1978)『誰にでも書ける文章:「自分史」のすすめ』講談社現代新書
  • ドロレス・ハイデン(2002)『場所の力:パブリックヒストリーとしての都市景観』学芸出版社
  • エドワード・ヒュームズ(2016)『「移動」の未来』日経BP
  • ケン・プラマー(1991)『生活記録の社会学:方法としての生活史研究案内』光生館
  • パウロ・フレイレ(1979)『被抑圧者の教育学』亜紀書房
  • ウィリアム・ホワイト(2000)『ストリート・コーナーソサエティ』奥田道大・有里典三(訳)有斐閣
  • ジョン・ヴァン・マーネン(1988)『フィールドワークの物語:エスノグラフィーの文章作法』現代書館
  • 宮本常一・安渓遊地(2008)『調査されるという迷惑:フィールドに出る前に読んでおく本』みずのわ出版
  • ポール・ワツラヴィックほか(2007)『人間コミュニケーションの語用論:相互作用パターン、病理とパラドックスの研究』二瓶社
  • 加藤文俊(2018)『ワークショップをとらえなおす』ひつじ書房
  • 加藤文俊(2017)「ラボラトリー」とデザイン:問題解決から仮説生成へ『SFC Journal』第17巻第1号 特集:Design X*X Design: 未知の分野における新たなデザインの理論・方法の提案とその実践(pp. 110-130)
  • 加藤文俊(2016)『会議のマネジメント:周到な準備、即興的な判断』中公新書
  • 加藤文俊(2016)フィールドとの「別れ」(コラム) - 工藤保則 ・寺岡伸悟 ・宮垣元(編著)『質的調査の方法〔第2版〕』(pp. 156-157)法律文化社
  • 加藤文俊(2015)フィールドワークの成果をまちに還す - 伊藤香織・紫牟田伸子(監修)『シビックプライド2 国内編』第1部(p. 77-84)宣伝会議
  • 加藤文俊(2015)『おべんとうと日本人』草思社
  • 加藤文俊・木村健世・木村亜維子(2014)『つながるカレー:コミュニケーションを「味わう」場所をつくる』フィルムアート社
  • 加藤文俊(2013)「ふつうの人」のデザイン - 山中俊治・脇田玲・田中浩也(編著)『x-DESIGN:未来をプロトタイピングするために』(pp. 157-180)慶應義塾大学出版会
  • 加藤文俊(2009)『キャンプ論:あたらしいフィールドワーク』慶應義塾大学出版会
  • 加藤文俊研究室(2016-)Exploring the power of place → https://medium.com/exploring-the-power-of-place *2016年5月に刊行した、加藤研のウェブマガジンです。毎月1回、メンバーが分担して記事を書いています。テーマの方向性や雰囲気がわかるはずです。
  • 荒木優太×加藤文俊(2017)フィールドワークと在野研究の現代的方法論 → https://www.10plus1.jp/monthly/2017/04/issue-03.php
  • 加藤文俊(2014)まちの変化に「気づく力」を育むきっかけづくり(特集・フィールドワーカーになる)『東京人』5月号(no. 339, pp. 58-63)都市出版
  • 加藤文俊(2014) ツールを考えるということ(特集・フィールドワークとツール)『建築雑誌』12月号(Vol. 129, No. 1665, pp. 32-35)日本建築学会
  • 「瞬間」をつくる[AXIS jiku 連載コラム「x-DESIGN/未来をプロトタイピングするために」Vol. 4 加藤文俊×藤田修平(2013年6月)] [http://goo.gl/xSfKx]
  • まちを巡り、人びとの暮らしに近づく。 地域の魅力を照らす、フィールドワークという方法と態度。[SFCオフィシャルサイト:SFCの革命者(2011年7月)] [http://www.sfc.keio.ac.jp/vanguard/20110726.html]