まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

研究会シラバス(2025年度春学期)

更新記録

(2025年1月22日)FKLAB On the move(ビデオ)を追加(加藤研のメンバー紹介+展覧会会場への案内)
(2025年1月15日)研究会の履修について を更新。
(2025年1月6日)シラバス(詳細版)入力中です。随時更新するので、マメにチェックしてください。

大学の公式「研究会シラバス」をかならず確認してください。 

もくじ

【ビデオ】FKLAB On the move:2025年1月21日(火)

※ 加藤研メンバー(2025年1月1日現在):大学院生 6名(博士課程 3名・修士課程 3名)・学部生 19名(4年生 5名・3年生 5名・2年生 7名・1年生 2名)

研究会の履修について

2025年度春学期に「研究会」の履修を希望するひと

何度かやりとりしながら、履修者をえらびたいと思います。ちょっと面倒かもしれませんが、お互いのためです。結局のところは「えらび、えらばれる」という関係が大事だからです。大まかな流れは以下のとおりです。

*2024年度秋学期に「研究会」を履修しているひとには、別途連絡します。

1月中旬〜2月中旬
(1) まず、このシラバスをじっくり読む(随時更新中)。質問などあったら、25s [at] fklab.net 宛てに連絡する。*s(エス)は小文字、[at] は@に変える(以下同様)。

(2) 「研究会」を見学してみる(今学期はあと1回を残すのみですが、21日(火)の「研究会」は、みなとみらい界隈で開講する予定です…。)🙇🏻

(3) 「フィールドワーク展」に足をはこんで、具体的な活動内容や成果物を見る。機会があれば、会場で加藤や加藤研メンバーと話をしてみる。(フィールドワーク展は、毎年の成果発表をおこなう展覧会です。今回で21回目。)

◎フィールドワーク展XXI【綴】

オフィシャルサイト(更新中)https://vanotica.net/fw1021/
Instagram https://www.instagram.com/spell_fw1021/

  • 日時:2025年2月7日(金)〜9日(日)11:00〜20:00
  • 会場:BUKATSUDO(〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい2−2−1)

(4) あるいは、「成果報告会」に参加してみる

毎年恒例の卒プロ合同発表会(諏訪研・石川研・清水(唯)研・加藤(文)研)は、対面での開催です。途中入退室OK。 *最新情報はここでお知らせします(変更などあるかもしれないので確認してください)。

  • 日時:2025年2月12日(水)9:30〜18:00(予定)
  • 会場:τ11教室(大学院棟)

※いろいろと多忙な時期ですが、時間をやりくりして個別に話すことは可能です。その場合は、 25s [at] fklab.net 宛てにメールを送ってください。

(5) よく考えて、履修するかどうかを決める。履修する気持ちになったら、フォームに記入する(keio.jpの認証が必要です)。 → https://forms.gle/urcwUhEzAFPLhzL98

提出期限:2025年2月9日(月)23:59(厳守)

2月下旬
(6) 面談します(2月10日までにフォームに入力したひとには、事前に簡単な課題を出すと思います)。そこで、いろいろと話をしましょう。いまのところ、面談は2月21日(金)、25日(火)、2月26日(水)で調整するつもりです。

はじめに

ぼくたちは、絶えずコミュニケーションしながら暮らしています。
ワツラヴィックらは、『人間コミュニケーションの語用論』(二瓶社, 2007)のなかで「コミュニケーションにおけるいくつかの試案的公理」について述べています。その冒頭に挙げられているのが、「We cannot NOT communicate(コミュニケーションしないことの不可能性)」です。つまり、ぼくたちは、いつでも、どこにいても、コミュニケーションせざるをえない。非言語的なふるまいはもちろんのこと、沈黙もまたメッセージであることに、あらためて気づきます。
そして、コミュニケーションについて考えることは、(いつ・どこで・だれが)集い、(何を・ どのように)語らうのかを考えることだと理解することができます。つまり、コミュニケーションへの関心は、必然的に「場所」や「場づくり」への関心へと向かうのです。この研究会では、コミュニケーションという観点から、人びとの「移動」や人びとが集う「場所」の成り立ち、「場づくり」について実践的な調査・研究をすすめています。 

いま述べたとおり、人と人とのコミュニケーション(ヒューマンコミュニケーション)が主要なテーマです。既存の学問分野でいうと社会学や社会心理学ということになりそうですが、ぼく自身は、学部を卒業後は「コミュニケーション論/コミュニケーション学」のプログラムで学びました。

何が起きるかわからない…。ぼくたちは、変化に満ちた時代に暮らしています。とくにこの4年近くのあいだはCOVID-19に翻弄され、これまで「あたりまえ」だと思っていたことを諦めたり手放したりする場面にいくつも遭遇しました。哀しい出来事にも向き合い、また不安をかかえながら不自由な毎日を強いられることになりました。でも、そのような不安(あるいは不満)、問題に向き合いながらも、明るくてエネルギッシュな人びとが、確実にいるということにも、あらためて気づきました。そこに、「何があっても、どうにかなる」という、人びとの強さを感じ ます。また、諸々の課題に向き合いながらも、ぼくたちを笑顔で迎えてくれる優しさにも出会います。それが、リアルです。

この圧倒的なパワーを持って、ぼくたちの目の前に現れるリアリティに、どう応えるか。それはまさにコミュニケーションにかかわる課題であり、ぼくたちが「研究会」の活動をとおして考えてゆくべきテーマです。お決まりの調査研究のスキームに即して、「報告書」を書いているだけでは、ダメなのです。つぶさな観察と、詳細な記録、 さらには人びととのかかわり(ときには、長きにわたるかかわりの「はじまり」に触れていることもある)をもふくめたかたちで、学問という実践をデザインすることに意味があるのです。

ぼくたちの活動は、たとえば「まちづくり」「地域づくり」「地域活性」といったテーマと無縁ではありません。でも、いわゆる「処方箋」づくりにはさほど関心がありません。 そもそも「処方箋」などつくれるのだろうか、と問いかけることのほうが重要だと考えます。「ふつうの人びと」の暮らしにできるかぎり接近し、その強さと優しさに光を当てて可視化するのです。そこまで行ければ、じゅうぶんです。あとは、人びとがみずからの暮らしを再定義し、そこから何かがはじまるはずです。ぼくたちのコミュニケーションのなかにこそ、たくさんのヒントがあります。

2024年度秋学期の活動紹介

もうすぐ載せます(ちょっと待ってください)。

2025年度春学期のおもな活動(案)

詳細については調整中(随時更新)です。

  • 4月8日(火) 春学期スタート(毎週火曜日4, 5限に開講予定)
  • 4月25日(金)〜27日(日):キャンプ(愛媛県)(予定)

履修にあたって

シラバス(大学の公式版)に記載しているとおり、以下を「履修条件」として挙げています。

  • フィールドワークやインタビューなど、現場での活動を「がっつり」やってみたい
  • コミュニケーションの理論・実践に関心がある
  • 文章を書くのが好き(ことばの難しさを実感している)
  • 紙メディアの編集(製本・印刷のことなどをふくめ)に興味がある

また、加藤が担当する「フィールドワーク法(B6114)」「インプレッションマネジメント(C2030)」「リフレクティブデザイン(C2104)」のいずれかを履修していることが望ましいでしょう。

フィールドワークは、時間を必要とします。地道にコツコツと積み上げてゆく方法と態度を学ぶための「研究会」です。サークル、アルバイト、インターンシップ、就職活動など、やること・やりたいことがたくさんあるのはよいことですが、週1回の「研究会」の時間(時間割に表れる時間)以外に、多くの時間を供出することが条件です。それができない場合には履修をおすすめしません。フィールドに出ること、観察したモノ・コトについて文章に綴ること、たくさん語ること、そのための時間とエネルギーを惜しまないひとの履修を期待しています。

※2024年度秋学期に「研究会」を履修したひとは、上記の履修条件をもういちど確認してください。記載事項は半年前と変わりませんが、今学期をふり返って、履修する(履修できる)かどうかをよく考えてください。継続が難しい場合もあります。
※原則として、7セメスター目からの新規履修は認めていません。また、2025年度春学期が6セメスター目の場合、「研究会」の履修が「卒プロメンター」の引き受けを約束するものではありません。「研究会」と「卒プロ」は、別のもの(履修上も別科目です)なので、よく考えて行動してください。

参考

資料

フィールドワークや学習環境の設計にかんする考え方については、下記を読んでみてください。

  • 加藤文俊・諏訪正樹・石川初(2023)フィールドワークの学と術 桑原武夫・清水唯一朗(編)『総合政策学の方法論的展開(シリーズ 総合政策をひらく)
  • 加藤文俊(2022)態度としてのフィールドワーク:学会誌の「外」へ 『認知科学』第29巻4号, pp. 661-667.
  • 加藤文俊(2020)デザインというかかわり『デザイン学研究』特集号(社会実践のデザイン学)102, Vol. 27-2, pp. 42-47. 
  • 加藤文俊(2017)「ラボラトリー」とデザイン:問題解決から仮説生成へ『SFC Journal』第17巻第1号 特集:Design X*X Design: 未知の分野における新たなデザインの理論・方法の提案とその実践(pp. 110-130)
  • 加藤文俊(2014)まちの変化に「気づく力」を育むきっかけづくり(特集・フィールドワーカーになる)『東京人』5月号(no. 339, pp. 58-63)都市出版
読んでおきたい本(抜粋)
  • 荒井良雄ほか(1996)『都市の空間と時間:生活活動の時間地理学』古今書院
  • ジョン・アーリ(2015)『モビリティーズ:移動の社会学』作品社
  • 海野弘(2004)『足が未来をつくる:〈視覚の帝国〉から〈足の文化〉へ』洋泉社
  • アンソニー・エリオット+ジョン・アーリ(2016)『モバイルライブス:「移動」が社会を変える』ミネルヴァ書房
  • ケネス・ガーゲン(2023)『関係の世界へ:危機に瀕する私たちが生きのびる方法』ナカニシヤ出版
  • ケネス・ガーゲン(2020)『関係からはじまる:社会構成主義がひらく人間観』ナカニシヤ出版
  • 加藤文俊(2018)『ワークショップをとらえなおす』ひつじ書房
  • 加藤文俊(2016)『会議のマネジメント:周到な準備、即興的な判断』中公新書
  • 加藤文俊(2009)『キャンプ論:あたらしいフィールドワーク』慶應義塾大学出版会
  • 佐藤郁哉(2006)『フィールドワーク(増補版):書を持って街に出よう』新曜社
  • 清水義晴・小山直(2002)『変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから』太郎次郎社
  • 橋本義夫(1978)『誰にでも書ける文章:「自分史」のすすめ』講談社現代新書
  • ドロレス・ハイデン(2002)『場所の力:パブリックヒストリーとしての都市景観』学芸出版社
  • エドワード・ヒュームズ(2016)『「移動」の未来』日経BP
  • ケン・プラマー(2021)『21世紀を生きるための社会学の教科書』(ちくま文庫)
  • ケン・プラマー(1991)『生活記録の社会学:方法としての生活史研究案内』光生館
  • パウロ・フレイレ(1979)『被抑圧者の教育学』亜紀書房
  • ウィリアム・ホワイト(2000)『ストリート・コーナーソサエティ』奥田道大・有里典三(訳)有斐閣
  • ジョン・ヴァン・マーネン(1988)『フィールドワークの物語:エスノグラフィーの文章作法』現代書館
  • 宮本常一・安渓遊地(2024, 増補版)『調査されるという迷惑:フィールドに出る前に読んでおく本』みずのわ出版
  • ポール・ワツラヴィックほか(2007)『人間コミュニケーションの語用論:相互作用パターン、病理とパラドックスの研究』二瓶社
リンク

その他、活動内容や日々の雑感についてはブログや研究室のウェブ、SNSなどで随時紹介しています。

フィールドワークの課題をデザインする

目次

課題をつくる

フィールドワークやインタビューに代表される質的(定性的)な調査法は、現場での実践を重ねながら、ある程度の時間をかけて学ぶ性質のものだ。調査法の教科書はたくさんあるし、実践事例は興味ぶかい「読みもの」としていくつも刊行されている。だが、大事なのは教科書と実践事例の「あいだ」を体感することだ。なにより、じぶん自身の感性にしたがってまちを歩き、さまざまなものやことを眺め、人と語らう。フィールドワークという方法や態度を、少しずつ身体になじませていくのが望ましい。そのためには、ムリをすることなく、それでいて途中で投げ出すことのないような「よい課題」があるといい。

大学の教員になってから、フィールドワークの実習課題をデザインすることを、ぼく自身の役割として意識するようになった。それには、じぶんが調査者としてまちに出かけるのとはちがった思考様式が求められる。課題のデザインについて考えることで、自らのフィールドワークの方法や態度を、あらためてふり返るきっかけになるのだ。よくよく考えてみると、どのようにしていまのようなものの見方、やり方が培われてきたのか、上手く説明することができない。フィールドワークの経験を重ねながら、少しずつ姿勢がつくられてきたように思う。後述するように、課題をデザインすることは、たんに学生たちにきっかけを提供するだけではなく、ぼく自身が、教員としてこれまで辿ってきた道筋を俯瞰し、批評的にとらえる機会として理解することができる。

フィールドワークの難しさや楽しさは、現場に出かけてこそ実態をともなう形で体験することができる。だから、課題の善し悪しは、そもそも、ある程度は現場に委ねられているといってもいい。現場との出会いしだいで、課題に取り組む態度も変わるはずだ。重要なのは、ガイドブックを片手に、あらかじめ決められた場所を目指してまちを歩くのとは、本質的にちがうという点だ。フィールドワークは、むしろ、じぶんをとりまく現場との応答のなかで、歩き方も行き先も決まってゆく。その意味で、対象となるエリアや、考えてほしいテーマ(着眼点)を大まかに伝えることにして、あとは、学生たちにまかせるのだ。

じつは、この「大まかに」というのが、実習課題をデザインする上で難しいところだ。事前に詳細を決めて、課題を構造化しすぎると、先が見えてしまうからだろうか、「もっと自由にやりたい」という意見が出る。そういった意見を受け容れて「自由」にすると、こんどは「どうすればいいかわからない」という反応になる。課題としての難しさと、取り組むさいの柔軟性をバランスよく整えると「よい課題」になるのだろう。理屈ではわかっていても、そのような課題をデザインすることは難しい。

当然のことながら、時間的な制約にも影響を受ける。時間がかぎられているなら、ある程度は構造化しておかないと路頭に迷う。いっぽうで、時間に余裕があれば、「自由」に発想しながら試行錯誤をくり返すことができる。おそらく、ぼくたちが課題に向き合うときには、時間的な余裕と、課題の構造化の度合いによって、「ムリだ」と思って投げ出したり、「退屈だ」と感じて手を抜いたりする。ぼくは、毎学期、「ムリ」と「退屈」のバランスを勘案しながら、課題のデザインを試みることになる。

対象地(エリア)やテーマ(理論的な関心)は、毎学期、ちがうかたちで課題に仕立てているが、以下の3点については、いつでも考えるようにしている。これまでにつくってきた、さまざまな課題に共通する目的(あるいはデザインの方針)だといえるだろう。

(1) 習慣化する

まず、ぼくがフィールドワークの課題をデザインするさいに考えるのは、調査を習慣化することだ。ぼくたちの日常生活の多くは、思っている以上に規則的でルーティン化されている。たとえば大学生であれば、時間割や学事日程によって、一週間の移動や行動範囲が概ね決まってくる。アルバイトや部活などの予定は、「空きコマ」との調整によって決まっている。それがいわば「あたりまえ」の時間の流れをつくっているので、そのなかに、あらたにフィールドワークのための「余白」を見いだすことは難しいのかもしれない。

フィールドワークは、現場にたびたび通い、少しずつじぶんの身体をなじませてゆくプロセスによって成り立っている。だから、(容易ではないものの)いま述べた「あたりまえ」の日常をとらえなおして、じぶんの生活時間を調整・再調整することが求められる。フィールドワークの実習課題は、そのやり方について、いろいろと工夫する機会として位置づけている。もっとも単純なのは、自らの規則的な暮らしをわかりやすく、大きく変容させることだ。参与観察のためにアルバイト先を変えること(働く現場を調査対象にする)、フィールドワークに充てる曜日と時間帯をあらかじめ決めること(たとえば毎週水曜日の午後に現場に赴く)など、思い切って決めてしまえば、それがあらたな「あたりまえ」となってじぶんの生活の一部になる。要は、決断と実行力(実現力)だ。

現場の状況は、フィールドワークをすすめればすすめるほど、わからなくなる。それほどに、人びとの日常生活は複雑で起伏に富んでいる。だが、その〈生〉に関心を寄せているなら、しばらくは地道に続けてみるしかない。必要以上に「こたえ」を求めようとせずに、ひとまず「問題解決」などということばは忘れて、現場に没入することだ。それは、じぶんの生活と調査を切り離して考えずに、自らの暮らしと調査研究を一体化させることだといえるだろう。〈生きる〉こと自体が、幾度とない試行錯誤によってかたどられている。つまり、くり返される毎日が「知ろうとする」行為と結びついているということだ。とりたてて構えることなく、日常生活のなかにフィールドワークという営みを取り込んでいくことができればいい。方法はいろいろ考えられるが、研究と生活を切断することなく、むしろ一体化させる意味でも、フィールドワークを習慣づけることを意識してみることだ。

フィールドワーカーは、現場で見聞きしたこと、感じたことなどを記録する。いわゆる「フィールドノート」は、そのときのようすを再現するための手がかりになる。もちろん、現場は一回かぎりのもので、すべてを記録することはできないし、もう一度おなじ現場に出かけることはできない。だが、できるだけ記憶が鮮明なうちに、現場での感情の流れなどもふくめて記録しておこう。「フィールドノート」を綴ること、調査の経過を記録することも、ムリはせずに習慣化するよう心がけるといい。かならず、あとから記録に助けられる場面に出会う。

(2) グループで取り組む

フィールドワークの課題は、いずれもグループで取り組むことを想定してデザインしたものである。そもそも、卒業論文や卒業制作にかかわる調査は、一人ですすめるものだという理解が一般的だろう。より具体的に、ぼくが担当している「研究会(ゼミ)」活動においては、一人で「卒業プロジェクト」に取り組むことになっている。つまり、4年生になると、着想から調査の計画、フィールドの選定、調査の実施、結果の分析・解釈、成果のまとめにいたるまでの一連の手続きは、一人ひとりが自立的・自律的にすすめることが期待されている。その意味では、2、3年生のころから個人研究をすすめて、基礎を身につけたり予備調査をおこなったりしながら、「卒業プロジェクト」の準備をしておくやり方もある。実際に、2、3年生のうちから個人研究をすすめたいという声もある。だが、ぼく自身は、グループワークこそが、フィールドワークやインタビューという方法や態度の素養をつくるのに役立つと考えている。

グループワークという話になると、メンバーどうしの日程調整が上手くいかず、なかなか一緒に活動できないという意見を聞く。一人の場合でさえ「余白」を見つけて習慣化するのが難しいのに、メンバーで一緒にフィールドワークをすることなどできるのだろうか。グループですすめていると、一人ひとりの「熱量」のちがいも見えてくる。とくにあたらしいメンバーは、慣れないこともたくさんあって様子見をしがちで、さほど能動的にかかわろうとしない。当然、意欲的に向き合おうとしていた学生は水を差された気持ちになるし、全体の士気は下がる。「社会的手抜き」や「タダ乗り」といったことばで語られるようなふるまいが、目につくこともある。

重要なのは、こうしたグループワークをすすめるなかで生まれがちなストレスは、課題が指定している内容(対象地やテーマ)ではなく、コミュニケーションや人間関係のありように根ざしていることが多いという点だ。そもそも、フィールドワークやインタビューは、人とのかかわりを求めるところからはじまるものだ。

だから、コミュニケーションや人間関係についての感度を高めることがとても大切だ。グループワークをとおして、ごく身近な人(おなじ「研究会」のメンバーという時点で、すでに同質的で関心領域は多少なりとも共通しているはずだ)との関係を培うことは、さらに広い文脈で、現場の人びとの多様さに触れるための準備になる。

いま、「研究会」のメンバーは同質的だと書いたが、実際に一緒に活動してみると、一人ひとりの個性にも出会う。いうまでもなく、おなじテーマであっても、3人いれば、向き合い方は、三者三様。それぞれのものの見方や考え方が、フィールドワークの現場で合流することになる。

フィールドワークの課題は、その「問い」に合理的・効率的に応えるためだけのものではない。じぶんのものの見方や考え方を、他者(グループのメンバー)をとおして再認識し、さまざまなもの・ことを相対化して位置づける感性の開拓につながる。

(3) メディアをつくる

さらに、フィールドワークの経過やえられた知見などは、かならず「ちいさなメディア」にまとめることにしている。メディアといっても、それほど凝ったものである必要はない。一学期間というわずか3か月ほどであるものの、学期ごとにあらたにグループが編成され、課題に取り組むところから、さまざまな試行錯誤を経て最終的な成果をまとめるところまで、ひととおりの流れをふまえて文章化する。

大著をものするわけではないが、学期ごとに調査のことを綴っておくことで、つぎの課題をデザインするさいに役立つという実用的な価値があることに気づいた。もちろん、じぶんたちの関心領域や活動内容を紹介する役割も担う。ちいさな冊子として印刷・製本しておけば、現場で出会った人びとに配ることもできるし、自身の「ポートフォリオ」の一部にくわえることができる。成果発表の展覧会では、来場者への「おみやげ」になる。もちろん、紙媒体にかぎる必要はないので、ウェブなどを介して閲覧できるようにしておけば、より多くの人びとにフィールド調査の成果が届くはずだ。

短期的な実用性ばかりではない。15年ほど続けてきて、ちいさな冊子が、後から参照することのできる大切な「資産」になりうることを実感している。この感覚をえるのに、15年かかった。フィールドワークにおける発見や気づきが、後になって重要な価値を生み出すことがある。もちろん、すべてを記録・保存することはできないが、とにかく地道に積み重ねてゆくことを目指して、記録を続けてみよう。

数年経ってから、じぶんの書いた文章を読むのは、どこか気恥ずかしい。「若書き」であったと、じぶんで書いておきながら不勉強であったことを思い知る。だが、不思議なことに、文章を読んでいると、当時の熱量のようなものは、思いのほか克明によみがえってくる。そして、気恥ずかしさを受け容れつつ、当時のじぶんと「出会いなおす」ことは、重要な意味をもつ。今回、これまでにじぶんが書いてきた文章を順番に読んでみた。いろいろなテーマを扱ってきたようで、案外、似たようなことをちがう言い回しや光の当て方で考えてきたことに気づいた。じぶんは、何に関心をいだき、どのように向き合ってきたのだろうか。

結局のところは、コミュニケーション、移動、集まり、場所(場づくり)、メディアといったキーワードで性格づけられるようなテーマで課題をつくり、学生たちに問いかけてきたのだと思う。10数年、「手を変え品を変えて」いろいろな課題をデザインしてきたが、やはり通底するテーマがあり、これからも考えていきたい概念がある。この実感をえたのは、「研究会」での活動を、適宜「ちいさなメディア」としてかたちにして、残してきたからだ。

「ふだん記」と呼ばれる文章運動をすすめた橋本義夫は、「有るは無きに優る」というフレーズで、書くこと・残すことの重要さを説いた。たとえば文章を冊子に定着させておけば、つまり、有れば、ページを繰りながらもういちど大切なテーマを考えることができる。無ければ、それは容易ではなくなる。

課題から学ぶ

いち教員として、あたらしい学期をむかえるたびに、フィールドワークやインタビューについて実践的に学ぶための課題を考える。いま述べたとおり、いつも3つの目的を意識しながら、実施可能な課題として具合化を試みる。最終的に、学生に課題を紹介するときには、実際の学事日程のなかに上手く収まるように考えなければならない。

学生たちにとっては、学期をとおして取り組むグループワークの課題だが、じつは、課題をつくる側のぼく自身にとっても、大切な学ぶ機会をもたらす。ぼくが課題というかたちで投げかけた「問い」に、学生たちがどのようにこたえようとするのかをとおして、ぼく自身が、対象や方法に対する理解を更新しているからだ。そう考えると、課題を〈出す=出される〉という関係そのものの理解を再考する必要があることに気づく。つまり、フィールドワークの課題は、教員から学生に一方的に届けられるものではない。実習課題は、ぼくたちのコミュニケーションを促すための仕組みなのだ。実習課題は、学生どうし、あるいは教員と学生たちが、現場に触れながら、それぞれの感情を合流させるための場所をつくる。課題は、その対話をはじめるための合図にすぎないのだ。大学の演習科目である以上、定期的に「はじまり」や「終わり」が訪れるが、それは学事上の(便宜的な)区切りであって、おそらく「問い」と「こたえ」のやりとりは、絶えず続いてゆくはずだ。

すでに述べたとおり、多少なりとも目途が立って先が見えてくると、学生たちは「そつなく」成果をまとめようする。あまりにも複雑で面倒な「問い」だと、気乗りしないからか、グループワークが後回しになりがちだ。つねに、「ムリ」と「退屈」のあいだに、ちょうどいい案配の課題設定を求めているつもりだが、これは実際に試してみないとわからないことが多い。ある課題に手応えを感じたとしても、それは、さまざまな条件が整っていたということだ。つまり、「よい課題」をつくり続けるためには、さらに広い文脈で課題のことを考える必要がありそうだ。

いうまでもなく、学生たちは、毎学期入れ替わってゆく。一人ひとりの意欲や能力だけでなく、同期や先輩後輩など、誰とともに課題に取り組むかによって、コミュニケーションの道筋は変わる。また、15年という範囲でふり返ると、その間、社会環境は変化してきた。ここ数年は新型コロナウイルスの感染拡大で動きが制限され、フィールドワークやインタビューなどはもちろんのこと、人と対面で語らうことさえできない時期があった。学生たちの気質も少しずつ変わっている。2010年にフィールドワークの課題に取り組んでいた学生たちは、いまでは40歳近くになり、「若手」として勤めはじめた当時のぼくの年齢に達しようとしている。そう考えると、課題のデザインも、こうした変化をふまえて再構成することが求められているのかもしれない。

たとえばここ5、6年で、学生たちの「コスパ」「タイパ」志向が高まっている(新型コロナウイルスの感染拡大の影響下でオンライン講義が続いていたことがその志向を強めているのかもしれない)。フィールドワークやインタビューは、そもそも「コスパ」や「タイパ」とは縁遠い方法だ。その本質を学ぶために、固持すべきことは何か、あるいは、時代に合わせて調整すべきことは何か。時代の変化をふまえながら、フィールドワークの課題のありようを考えていく必要があるだろう。

半期ごとに綴じる

あたらしい学期をむかえるとき、テーマやフィールドワークの対象地(対象エリア)を決める。一学期(実質的には三か月ちょっと)という短い期間で、ひとつの課題を終えることになるので、いささか慌ただしい。ぼく自身としては、少なくとも1年間、つまり二学期くらいはフィールドワークやインタビューといった定性的な調査法で実践を重ねてほしいと願っている。調査の性質上、そのくらいの時間をかけて学ぶのが自然だと思えるからだ。だが、いまの勤務先のカリキュラムとの兼ね合いで、半期ごとに「節目」を設けて、テーマを変えながらすすめるやり方に落ち着いた。

多くの大学では、ゼミ(人文・社会科学系についての経験にかぎられるが)は、3年生になったら所属して、2年間、同じ教員の指導を受けながら卒業論文や卒業制作へと向かう。いっぽう、ぼくの職場では、半期ごとに「研究会(ゼミ)」を履修するかたちになっている。研究会での活動を大学生活の中心に据えるのがカリキュラムの特質なので、制度上は1年生から履修できるし、制限はあるものの複数の研究会をかけ持ちすることもできる。もちろん、継続して履修できるわけだから、2年間(あるいはそれよりも長い年数)にわたってぼくの研究会で活動して卒業する学生も一定数はいるのだが、移動も少なくない。ことなる教員の研究会で学びながら、(じぶんの関心に応じて)複合的な分野に取り組むことができる、自由度の高いカリキュラムだ。

自由度が高いことは歓迎すべきことだが、フィールドワークやインタビューのような方法は、その本質を理解し、現場で実践できるようになるためには時間を要する。まずは現場に身を委ね、その直接体験をふり返り、言語化・概念化を試みた上で、ふたたび現場に戻る。このくり返しが、(フィールドワーカーとしての)感性の開拓に役立つ。そのためには、焦ることなく腰を落ち着けて現場に向き合うのが望ましい。カリキュラムとの整合性を保つために、ひとまず、学期ごとに「終わり」をむかえながらも、次学期、次々学期へと連続していくような課題をデザインすることを考えるようになった。

半期ごとにフィールドワーク(グループワーク)の成果をまとめてちいさな冊子をつくっているが、これまでの経験から、毎回立派な冊子をつくることはあまり現実的ではないと考えている。凝ったレイアウトで編集をすれば、見栄えも中身も印象的なものができる。だが、実際には学期の「終わり」に成果をまとめているうちに、次の学期の準備がはじまってしまう。半期ごとに着実につくり続けることを優先して、冊子の編集方針について考えた。続けることは大事なのだが、気持ちだけで続けることはできない。続けやすい(続けることができる)かたちを現実的にとらえるということが、続けるコツなのだ。

2010年の秋学期からつくっている冊子はA5サイズの長辺を少し(20ミリ)切った判型で、毎回20ページくらいのものになる。見かけは、学会誌の抜き刷りのようなもので、学生たちは、グループで3000字程度の文章を書く。ぼくが序文を寄せて、束ねて綴じる。このくらい簡素にしておけば、半年に一回、フィールドワークの経過や成果をまとめて出し続けることができる。くわえて、経過については、それぞれの学期のテーマごとにウェブをつくり、写真や動画などはアーカイブするようにしている。すべてを残すこと、残し続けることは容易ではないが、冊子とウェブがあれば、その時々の熱量をある程度は思い出すことができる。

A5版変型のちいさな冊子をつくりはじめてから15年になる。基本的にはおなじ判型、おなじくらいのページ数のもので続いているが、その間、判型を変えたこともある。3年前に新型コロナウイルス感染拡大の影響下にあって、思うようにフィールドワークに出かけることができず、窮屈な毎日に向き合っていたときには、気分を変えたくなって、A4版変型の正方形の冊子にした。状況が少しずつ好転し、これまでにつくった冊子を束ねて保存しておくことの利便を考えて、もういちど、元のサイズに戻すことにした。

参考:これまでにつくった課題(タイトル)

フィールドワーク テーマ一覧 - まちに還すコミュニケーション

  1. 早稲田・慶應・東大 ぐるり調べ(2010年 秋)   
  2. 法政・明治・立教 ぐるり調べ(2011年 春)
  3. まちのおみやげ (2011年 秋)    
  4. 常連になる(2012年 春)    
  5. 工夫と修繕(2012年 秋)    
  6. ちいさなトラック(2013年 春)    
  7. 引っ越しの準備(2013年 秋)    
  8. 渋谷をはかる(2014年 春)    
  9. 団地の暮ら(2014年 秋)    
  10. 爽やかな解散(A)(2015年 春)    
  11. 爽やかな解散(B)(2015年 秋)    
  12. いけずなまち(A)(2016年 春)    
  13.  いけずなまち(B)(2016年 秋)    
  14. 連れてって(2017年 春)    
  15. うごけよつねに(2017年 秋)    
  16. 的な(2018年 春)    
  17. 的な桜丘(2018年 秋)    
  18. 余白の理由(2019年 春)    
  19. 恵比寿の余白(2019年 秋)    
  20. チャラ(2020年 春)    
  21. ぎこちない距離(2020年 秋)    
  22. ちいさなメディア論(再訪)(2021年 春)    
  23. 100円ショップを「読む」(2021年 秋)    
  24. となりのエンドーくん(2022年 春)    
  25. 渋谷のプリズム(2022年 秋)    
  26. 一緒に食べよう(2023年 春)    
  27. はこべるよろこび(2023年 秋)    
  28. ダンチジン(2024年 春)

別府キャンプ(ドキュメント)

ビデオでふり返る

2024年12月6日(金)から8日(日)の成果報告会までを記録したダイジェストビデオです。このビデオは、いちど解散したあと、ポスターを渡しに行くシーンをくわえた最終バージョンです。

◉撮影・編集:矢野 晶・神作 真由・小田 文太郎 

成果報告会のようす

別府キャンプ(ポスター)

ポスターをつくる

(2024年12月8日更新)今回は、7名のかたがたにインタビューをおこない、ひと晩でポスターをつくりました。“ポスター展のポスター”をふくめて8枚。ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。

成果報告会のようす

 

 

 

 

 

 

 

別府キャンプ

別府で考える・つくる

更新記録
(2024-11-20)ウェブ(暫定版)を公開。

別府キャンプ

  • 日時:2024年12月6日(金)〜8日(日)(現地集合・現地解散)*24日は移動日
  • 場所: 別府市(大分県)
  • 参加メンバー:加藤文俊研究室 18名(学部生 16名・大学院生 1名・教員 1名)*11月20日現在

スケジュール(暫定版)

12月6日(金)
  • 16:30ごろ 集合:陽光荘(〒874-0043 大分県別府市井田3組)
  • 17:00 オリエンテーション(仮)
12月7日(土)
  • 10:00 オリエンテーション
  • 10:30ごろ〜14:30ごろ インタビュー/フィールドワーク(グループごとに行動・取材先に応じて随時スタート)
  • 15:00ごろ〜 デザイン作業(グループごとに行動):インタビュー/フィールドワークで集めてきた素材をもとに、編集作業をすすめます。
    作業場所:a side 満寿屋(大分県別府市井田4組 すじ湯温泉前)〜18:00まで
  • 18:00ごろ 夕食
    (食後も引き続きデザイン作業)
12月8日(日)
  • 6:00 ポスターデータ提出(時間厳守)
  • 10:00ごろ〜 印刷
  • 11:00ごろ〜 成果の共有
  • 13:00ごろ 解散

写真は2024年11月24日(日):軽く下見