まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

方法は、いろいろある。(2)

続けるための方法

近年、大学の研究室やゼミが、(地方の)まちを訪れて「フィールドワーク」をおこなう活動が増えているようだ。近年、と書いたが、じつは住民参加型のまちづくりワークショップなどは、数十年前からさまざまな形で実践されているので、それをふまえると、大学(大学生)と地域との連係の試みは、それほど新しいことではないだろう。最近増えている(ように見える)のは、大学のカリキュラムのなかに学生たちの「現場体験」を取り込もうという、一連の試みだととらえたほうが適切かもしれない。
学生にかぎったことではないが、「現場」での即時的な判断や行動力が問われることは少なくない。さまざまな複雑な問題に向き合うとき、細分化された専門性ではなく、複合的・総合的に状況を定義する能力やセンスが求められる。そして、その状況そのものが、めまぐるしいスピードで変化しているのだ。さらに、対面的な場面ではなく、ネットワークを介したやりとりに向かいがちな若者たちの「コミュニケーション能力」を育むという問題意識も「フィールドワーク」への関心の高まりと無関係ではないように思える。10年ほど前から聞くようになった「社会人基礎力」をめぐる議論は、こうした一連の問題意識の表れだと理解することもできる。(この「社会人基礎力」という考え方自体には、さまざまな意見があるが。)

いっぽう、『キャンプ論』でも触れたとおり、現場志向の強い学生はたくさんいる。「フィールドワーク」のような社会調査にかぎらず、ボランティアやインターンシップなど、さまざまな形で、学生たちは大学の「外」へと向かおうとしている。また、多くの学生が、それなりの時間とエネルギーをアルバイトに費やしているので、社会経験を積む機会はすでに提供されていると言ってもよい。いずれにせよ、大学の「外」を知る機会を持つことことは重要だ。

「キャンプ」という概念は、「キャンパス」と対比させながら位置づけている*1。大学で講義や演習をとおして触れた内容は、大学の「外」で、その適用・転用可能性を実感できたときにこそ、いきいきとした知識になる。「キャンプ」における身体的な理解を、こんどはもういちど「キャンパス」に持ち帰る。この往復をくり返すことは、直接体験と言語化(概念化)の試みを交互にくり返すことである。
この10年ほど「キャンプ」を続けてきて、ようやくひとつの(ワークショップ型の)「プログラム」として企画、実施できるようになった。毎回の現場はそれぞれがユニークで一回きりだが、より汎用的な形で「プログラム」を構成するための知識や段取りは、経験を積みながら学んできた。最近では、むしろ惰性で進行したり、(組織上の)弛みが表面化したりすることが課題として表れつつある。

【2016年11月13日(日)|深浦の人びとのポスター展2(深浦キャンプ2)http://camp.yaboten.net/entry/fukap2

 

「プログラム」としては整ってきたが、重要なのはこの先も継続してゆくことだ。事例を増やすことも、また特定のフィールドにより深くかかわってゆくことも、いずれも「プログラム」の持続可能性しだいだ。その方法を模索するとき、まず考えなければならないのは、「キャンプ」に必要な費用の問題だ。つまりは、ぼくたちの自立である。頻繁に「キャンプ」に出かけることは、魅力的に響くかもしれないが、交通費、宿泊費、もちろん食費も必要だ。「先立つもの」がなければ困るというのが現実なのだ。
そして、当然のことながら、自立だけではなく、自律についても考えなければならない。「キャンプ」では、できるかぎり制約を受けずに、ぼくたちなりに考え、ことばを発することができるような環境づくりをしたい。そのためには、さまざまな調整も必要になる。

「深浦キャンプ」の実践

「キャンプ」における自立性を確保するためのもっともシンプルな方法は、「自腹」でおこなうということだ。大切な(そして現実的に負荷がかかる)部分を、学生たち一人ひとりに委ねてしまうことになるが、自らの「懐を痛める」ことで、より主体的にかかわる意識が生まれることもたしかだ。各自が「元を取る」つもりで、向き合うことになるからだ。(行き先にもよるが)実際には、事前に余裕をもって旅程を計画すれば、比較的安価な交通手段が見つかることも多い。ときおり、「キャンプ」の方法に興味をある人に話すと驚かれるが、ぼくたちの「キャンプ」は、いつも原則として「現地集合・現地解散」である。日時と集合場所、そして滞在中の行程を事前に共有しておくだけだ。海外で「キャンプ」を実施したときでさえ「現地集合・現地解散」である。

そして「自腹」で活動していれば、それは自律につながる。契約関係などは前提とせず、自らの責任において「懐を痛めて」いるのだから、制約を受けずにのびやかに活動することができる。「自腹」は、(実現は難しい場合もあるが)もっとも単純に自立性と自律性を手に入れる方法だ。

深浦キャンプ」(青森県深浦町)は、いつもとはちょっとちがった方法で実施することができた。経緯の詳細は省くが、下図のように、自治体と企業、そして大学との3者で関係を結ぶことで、プロジェクトが実現した。形式的には「産学官連携」の事業ということになるだろう。どの立場で語るかによって、この方法の見え方は変わってくるが、加藤研とまちとのあいだには、通常の「キャンプ」と同様の関係性が担保されていた。つまり、学生たちは深浦に暮らす人びとを取材し、その成果をポスターにまとめて表現し、最終日には成果報告会(ポスター展)を開くというものだ。まちの人びとには、取材に協力してもらい、現地での移動や作業環境などについては自治体のサポートを仰ぐ。これまでに続けてきた2泊3日の行程はほぼそのままで、滞在先の条件を勘案しながら、詳細を調整したくらいだ。

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【2015年6月・2016年11月|深浦町(青森県)での実施体制】

 

いっぽう、自治体は、企業に対してプロモーション支援(旅行予約の件数アップを目指したコミュニケーションデザイン)を委託している。たとえば特設サイトを公開し、そのサイトを介して、宿泊予約件数の増加を目指す。成果は、予約件数や来訪者数という具体的なデータとなって表れる。ぼくたちは、そのプロモーション用の素材を提供するという役割で、旅費・宿泊費の支援を受けた。

特筆すべきなのは、ぼくたちが ふだんおこなっているポスターづくりは、いつもと同じやり方で実施することができたという点だ。つまり、(自治体から業務を委託されている)企業に指示されて行動することはなかった。ぼくたちは、いつもどおりに活動し、そのプロセスを企業の担当者が取材するという形で進行した。つまり、取材している学生たちを、さらにその「外」から取材して記事を書き、それがプロモーション用サイトの素材になるという流れだ。もちろん、学生たち自身も取材を受けたり、あるいは現場にはふだんはいないはずの企業の担当者が同行していたり、まったく同じだったとは言えないのだが、それでも、ストレスを感じることはなかったようだ。

このやり方は、いままでにはなかった。2015年6月にこの方法で「深浦キャンプ」を実施し、幸いなことに、それなりに好評だった。ポスター(およびポスター展)という形での成果のみならず、宿泊予約件数の増加にもつながったようだ。ぼくたちは、交通費・宿泊費のサポートを得て、いつもと同等の自律性を保ちながら「キャンプ」をおこなうことができた。同時に、自治体と企業との契約関係についても、好ましい結果が出たということだ。その成果をふまえて、2016年11月には同じやり方で、「深浦キャンプ2」を実施するにいたった。

なにより感謝すべきなのは、自治体も企業も、ぼくたちの「キャンプ」という方法と態度をよく理解し、肯定的に受け入れてくれたという点だ。ぼくたちのつくるポスターでは、屋号や商品名など、ビジネス・プロモーションに必要だとされる情報は、意図的に割愛する。人びとの「生きざま」を表すために、ポスターをつくるからである。その方針についても、最初の段階から共感をえることができた。通常のポスターとはちがうという点が理解されていたからこそ、取材の方法もポスターづくりの実践も、なんら干渉されることなくすすめることができたのだ。

プロジェクトを続けるための方法は、他にもいろいろと考えることができるはずだ。自立と自律を実現するためにも、引き続きアイデアを練るつもりだ。だが、どのような方法を考案するにせよ、ぼくたちの行動を規定する「キャンプ」の考え方をきちんと説明し、理解してもらうことは大前提だ。活動内容の理解を促すためのコミュニケーションには、努力や工夫を惜しまず、また、毎回の活動の記録や所感を地道に蓄積しておくことも大切だ。🐸(つづく)


 

*1:くわしくは、『キャンプ論:あたらしいフィールドワーク』(慶應義塾大学出版会, 2009)を参照