まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

生活のある大学(3)

長い時間*1

ちょうど5年前のいまごろ、みんなで船に乗って島を目指した。「三宅島大学」のはじまりだった。船は、夜に竹芝桟橋を出るので、東京湾の灯りが見えなくなると、あとは真っ暗な空と海が広がるだけだ。明け方まで、みんなで一緒に船にゆられる。「三宅島大学」が閉校になるまでの3年間、ぼくは、学生たちとともに何度も船に乗った。

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「三宅島大学」の拠点となった御蔵島会館は、しばらく使われていなかった施設だが、マネージャーが常駐し、プロジェクトにかかわるアーティストや「加藤研」の面々が頻繁に利用するようになった。建物のなかを風が通り抜け、人びとが集うようになると、眠っていた部屋が少しずつ息づいていくようだった。船上にかぎらず、島にいるあいだも、ぼくが学生たちと一緒に過ごす時間は長かった。というより、一緒にいるしかなかった。フィールドワークに出かけていたとしても、大海原に囲まれた外周38キロの島にいるという意味では、つねに一緒にいたようなものだ。善くも悪くも「逃げ道」がなかった。

いまでも記憶に残っているのは、食卓の風景だ。島で過ごすときは、おおかた自炊だったので、買いものも調理も片づけも、みんなで段取りよくすすめる必要があった。ぼくもふくめ、一人ひとりの「家事力」が問われる場面がいくつもあって、数日でも一緒に過ごしているだけで、ふだん「教室」では見ることのない、学生たちの人間性に触れることができた。「三宅島大学」には、この10年ほど「キャンプ論」などをとおして考えてきた「生活のある大学」について、アイデアを整理するためのヒントがたくさんあった。

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人と出会い、お互いを知り合ってゆくためには、一緒に食事を準備したりテーブルを囲んだりすることは、とても大切だ。もちろん、美味しい料理やアルコールはコミュニケーションを滑らかにするが、ただ一緒に厨房に立ち、一緒に食べればよいという話ではない。その本質は、「長い時間」を共に過ごすということだ。そして、(おそらく)一緒にいる時間が長ければ長いほど、お互いのことがわかるようになる。忘れてはならないのは、「長い時間」は、お互いに「時間を出し合う」ことによって生み出されるという点だ。ひとたび、じぶんの時間を差し出すと決めたら、あとは(たとえイヤでも)戻ることができない。それなりの覚悟が必要だ。

“In the same boat”という言い回しがあるように、いちど同じ船に乗ったら、目的地の港に到着するまでは「運命」を共にする(せざるをえない)。三宅島への道行きは、文字どおり、島までの時間を一緒に船上で過ごそうという、みんなの意思表明が束ねられることで成り立っていた。

今学期はサバティカル(特別研究期間)をいただいているので、ふだんとはちがったリズムで過ごしている。変則的になるという点では、学生たちに不都合なことがあるかもしれないが、そのおかげで、ぼく自身の気づきは多い。とりわけ、時間の使い方について、いろいろと考えさせられる。たとえば、「時間割」という仕組みによって、ぼくたちの時間が細かく分節化されていることに、あらためて注意が向く。大学という文脈では、ぼくたちの毎日は、90分「ひとコマ」という単位に分けられ、(ときには複雑なかたちで)組み合わせられることで、学期中のリズムがつくられている。会議や打ち合わせの時間も、パズルの“ピース”のように細片となってカレンダーの空いているところに組み込まれる。

そして、なぜだかわからないが、ぼくたちは、すき間なく“ピース”を並べようとする。じぶんのスケジュールを眺めて、すき間、つまり「空き時間」があることに不安を覚える人もいるという。忙しいことは悪いことではないが、すき間がないために、不都合が生じる。ぼくたちのコミュニケーションは、時計仕掛けのように制御されているわけではないので、予定よりも早く会議が終わることもあれば、話が盛り上がって、もともと想定していた時間ではとうてい足りないと感じることもある。コミュニケーションの移ろいやすさ(まさにそれがコミュニケーションの面白さなのだが)は、すき間を埋めたいという欲求によって無理を強いられる。だから、「(前の約束が長引いたので)途中から参加します」「(次の予定があるので)先に帰ります」などというメッセージが飛び交い、さらに不自然なかたちで時間が分断されることになるのだ。相手が「長い時間」を想定していた場合には、途中参加も中座も残念な話になる。学生たちのグループワークは、「長い時間」を確保できない(確保しようとしない)ことによって破綻する場合が多い。すれ違いが多ければ、当然のことだ。

(自戒も込めて)ぼく自身のことを言えば、不安こそ感じないものの、さまざまな理由で、すき間のない状態が続きがちだ。相手のこと、コミュニケーションのことを考えて、もっと丁寧にすき間のつくり方に向き合わなければならない。それは、結局のところは、じぶんのためなのだ。

【2014年3月9日|「三宅島大学」閉校式(御蔵島会館)】

 

一週間ほど前、「三宅島大学」プロジェクトの「同窓会」が開かれた。歴代の常駐マネージャーたちをふくめ、15名ほどが集まって、とても賑やかな時間になった。はじめて島に渡ったころのビデオを観ながら、あれこれと話した。いちどお開きになって、「じゃあもう一杯」という流れになったが、飲み足りないのか、もっと話したいのか、ほとんど人数が減ることなく、2次会も10数名でテーブルを囲んだ。数時間後、ぼくは名残惜しい気持ちでタクシーに乗った。「三宅島大学」が閉校してから、もう2年以上になる。いまは、一人ひとり、それぞれの居場所であたらしいプロジェクトに携わっている。「同窓会」の呼びかけがあったとき、予定をやりくりして、どうしても参加したいと思ったのは、ぼくたちが、かつて一緒に「長い時間」を過ごしたからだ。そして、みんなに会えて本当に嬉しかった。

「生活のある大学」は、お互いに「時間を出し合うこと」によってかたどられるはずだ。キッチンやシャワー、ベッドを備えた“多機能”の「教室(共用スペース)」として「滞在棟」を理解しているかぎり、カレンダーのすき間を埋める程度の、ありきたりの「イベント」が企画されるだけだろう。ぼくたちに「時間を出し合う」覚悟をせまるような、刺激的なコミュニケーションが必要だ。コミュニケーションこそが、「長い時間」が流れる場所をつくるからだ。

(つづく)

*1:この文章は、2016年6月14日(火)にMediumに掲載したものです。本文はそのまま。→ 長い時間 - the first of a million leaps - Medium