まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

Day -1: 出航

2022年8月17日(水)

ひさしぶりの船旅

暑い日が続いている。昨日の東京の最高気温は、36℃をこえた。10年ほどかかわっている夏の恒例のイベントがはじまる。3年ぶりに、対面の実施だ。今年については、地方でも開催することになって、ぼくは、石川さんと一緒に土佐町(高知県)でのワークショップを担当する。

秋学期まではまだ時間があるが、なんだかくたびれている。じぶんのこともままならないのに、いろいろな事案に向き合って対応するのが役目だ。ひとつ落ち着いたと思ったら、つぎが来る。スピードを求められる場合も少なくないので、仕事が雑にならないようにと気をもむ。人と人とのコミュニケーションのありようが、この2年間で少しずつ変わってきていることを実感しながら過ごしている。
とくに春学期になって、対面での場面が増えたことで、生活のリズムにも影響が及んでいる。顔を見ながら話をすることの価値は疑いようがないが、画面越しのやりとりに慣れすぎてしまったためだろうか。直接、顔を合わせて語る、そのやり方を忘れてしまったり、あるいはさほど経験がなかったり。ぎこちなさを感じることが多い。身体も心も丁寧に整えなければと思う。

大学の一斉休業(この期間は1週間ほど事務室が閉室する)を経て、8月も後半に入った。じつは、ドタバタしていて(もちろん、いまだにCOVID-19の影響下にあるので)、いわゆる「夏休み」らしい時間を過ごしていない。今回、土佐町に出かけるのが、この夏のおそらく唯一のイベントだ。
もちろん、ワークショップの最中は「業務」なのだから、「夏休み」気分ではいられない。準備をすすめながら、緊急時のために、そして大きな機材をはこぶために、クルマで移動するのがよいと考えた。そうすれば、行き帰りの道中をのんびりと愉しむことができるはずだ。到着したら「業務」がはじまるので、その前後をゆっくり味わうのだ。

じつは7年前のちょうどいまごろ、土佐山田までクルマで出かけた。そのときは(陸路で)淡路島を経由し、高松で過ごしてから山を越えて土佐山田に向かった。帰りも、同じ道のりを運転して帰った。今回は、往復1500キロのドライブは気がすすまず、船に揺られて過ごすことにした。まずは、有明(東京)から沖洲(徳島)までフェリーで行き、そこから土佐町に向かう計画だ。

「業務」以外の部分をそぎ落とせば、ずいぶん楽になることはわかっている。多くの人は、移動時間を最短にするように計画する。大判プリンターをあきらめて、飛行機で行くことにすれば、羽田からわずか1時間ほどで高知空港に着く(旅費も申請できる)。だが、ぼくとしては10数年にわたってポスターづくりのワークショップを全国各地で実施してきた経験から、大きなサイズで印刷されるポスターの魅力を知っている。行った先で工夫することもできるが、今回はかなりタイトなスケジュールで動くことになりそうだ。単純な発想だが、そんなときはプリンターを載せて出かければよいのだ。

『顔たち、ところどころ』(2017)は、何度も観た(まだの人はぜひ)。あの二人のエネルギーには遠くおよばないが、クルマを走らせ、たどり着いた場所で人びとの「顔たち」を大きく印刷する。まちかどに貼られた「顔」は、鏡のように人びとを映す。ぼくにとって、憧れの情景だ。だから、今回はあの映画の素敵なシーンと重ねながら土佐に向けてドライブすることができる。面倒も手間ひまも引き受けよう。費用も時間もかかるが、それでもかまわない。ささやかすぎる冒険を、大切な思い出にする。なにしろ、60回目の夏なのだ。

水曜日なので、いつものように会議がいくつかあって、夕方まで画面を眺めて過ごしていた。いそいそと荷物を積んで出発。有明のフェリーターミナルに着いて、手続きを済ませた。ほどなく誘導されて船内にクルマを停めた。ひさしぶりの船旅だ。窓の外には東京ゲートブリッジが見える。19:30ごろ、ほぼ定刻に出航。