まちに還すコミュニケーション

場のチカラ プロジェクト|Camp as a participartory mode of learning.

Day +1: 爆睡、のちふり返り

2022年8月21日(日)

日曜日はのんびり

「キャンプ土佐」に参加した高校生たちは、無事に家に帰り着いただろうか。昨日、道の駅(土佐さめうら)でみんなと別れてから、徳島に向かった。2時間ほどのドライブで、18:30ごろにはホテルにチェックインすることができた。
徳島駅の界隈をぶらぶら散策しようと思っていたのだが、近所で晩ごはんを食べていたら、急に眠くなってきた。おまけに、かなり湿度も高くて、夜の散歩はすぐにあきらめて、涼しい部屋に戻った。そして、ぐっすりと眠った。

曇り空。きょうは、ふたたびフェリーに乗って東京を目指す。ホテルを出るころには陽が差してきた。朝ごはんを食べて、身仕度をして出発。わずか20分ほどで沖洲港に着いて、手続きをしてからクルマと一緒に乗船(帰りは「どうご」だった)。ほどなく船は港を離れた。海は穏やかだ。

日曜日の昼。のんびりと船に揺られている。船内も、ゆるい雰囲気だ。行きと航路がちがうのだろうか、出航してからしばらくのあいだは電波が途絶えずにすすんでいた。例の自動販売機で昼食を調達して、船室の窓から海を眺めながら食べた。1時間ほど昼寝をして、今回の「キャンプ土佐」をふり返ってみた。

まず、たびたび書いているが、対面でのワークショップは3年ぶりだった。いまだにCOVID-19の影響下にあって、油断することはできない。というより、陽性者数はなかなか減らないし、実際にごく身近なところでも陽性者が急増している。そんななかで、対面で実施できたことを素直によろこびたい。しかも、今年は土佐町でのワークショップを担当することになり、いろいろと準備が必要だった。結局のところ、下見をする機会もなく、もっぱらSlackやZoomで連絡を取りながら準備をすすめた。
土佐町のみなさんいしやまの里協議会のみなさんの厚い(熱い)サポートがなければ、実現できなかっただろう。もちろん、大学の事務局にもかなりの負荷がかけてしまった(いろいろ、すみませんでした)。大学生もふくめ、じつに多くの人に支えられて「キャンプ土佐」が形になった。

そして、対面で集うことの価値をあらためて感じることができた。いま述べたとおり、リアルな場づくりには手間ひまがかかる。そのつもりで臨めば、かならずよい時間が流れる。しばらく「不要不急」ということばに翻弄され続けてきたが、高校生にとって、旅をして人と出会うことは「不要不急」どころか、「必要緊急」だったのではないか。出会いの実感には、(物理的な)移動が必要なのだ。

じつは大学生にとっても、よい経験になったと思う。いわゆる「合宿」についての制限は、6月ごろに緩和されたものの、この2年半はオンラインか日帰りの活動を計画するしかなかった。だから、ぼく自身も、学生と一緒に「アウェイ」な場所で寝食をともにするのは、2019年の12月以来のことだった。これまでずっと「あたりまえ」のように続けてきた宿泊型の実習(今回は、正確には高校生向けのイベントのサポートであるが)の雰囲気が、少しでも伝わっていればいいと思う。

ポスターというメディアが持つ力も、再認識した。やはり、A1を出力できるプリンターを調達してはこんで行ったのはよかった。あのサイズで「顔たち」が並ぶと迫力もあるし、みなさんが映る「鏡」のような役目もちゃんと果たすことができる。(いっそのこと、クルマに積んだまま印刷すれば、『顔たち、ところどころ』の気分が増すだろう。)

石川さんと石川研の学生たちと、同じプロジェクトで過ごすのも、じつは初めてだったかもしれない。同僚のこと、そしてふだん接することの少ない学生たちのことを知る機会にもなった。

だんだんと暮れてきて、夕日が海面を照らすようになったので、デッキに上ってみた。三宅島からの帰りの船も、こんな感じだった。ゆっくりと夜に向かってゆくのがわかる。ただし、三宅島からの帰りだと20:00ごろに竹芝桟橋に着くが、この船はあと10時間ほど航行する。
いまは電波の届かないところをすすんでいる。テレビをつけたら、『トータルリコール』がはじまった。なんと30年前の映画だった。

2022年8月22日(月)

* 追記 22日(月)の早朝、無事に東京(有明港)に到着。長かった。疲れているけど、ひさしぶりのリアルな「キャンプ」を体験して、元気になったような、回復に向かっているような、そんな感じがする。